2016年03月13日

レビュー:Lucia

このトーチライトをはじめとした象徴的な小道具の散りばめ方が精緻で心憎い。
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Lucia (Kannada - 2013)

タイトルの意味:作中に登場するドラッグの名前

DVD/BDの版元:Anand
正規オンライン全編動画(有料):https://youtu.be/B7AhxgNDRB8
DVD/BD/オンライン動画の字幕:英語(歌詞含む)
DVDのランタイム:約137分
ディスクの主な販売サイト:Kannada Store ほか

Director:Pawan Kumar

Music Director:Poornachandra Thejaswi

Cast:Ninasam Sathish, Shruthi Hariharan, Achyuth Kumar, Hardhika Shetty, Balaji Manohar, Aryan, Poornachandra Mysore, Prashanth Siddi, Bharath Singh, Lalipalya Mahadev, Vasudha Bharaighat, Prasad, Sanjay Iyer, Krishna, Rishab Shetty, Arasu, Aryabhata, Bianca, Ana, Sabreen, Cathy, Narayan Bhat, Gourish Akki, Sathish Kumar, Surya Vasishta, Kishore Vasishta, Veerendra, Sai Mahesh, Ravi Bhat, Reddy, Shama, Pia, Pawan Kumar

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2013/12/lucia-kannada-2013.html

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【事前に分かっても問題ない程度のストーリー導入部】
バンガロールのとある病院の個室に昏睡状態で横たわる男がいる。人工呼吸器によってかろうじて生かされている、ニキルという名のその男を安楽死させるべきかどうかは、TVのニュースショーでも取り上げられている。しかし一方で、彼がこういう状態に陥った元の出来事に事件性があるのかどうかも、人々の関心の的である。バンガロール警察にムンバイから来たサンジャイ(Sanjay Iyer)という名の捜査官を交えた特別チームが始動した。

バンガロールの下町の映画館でトーチ係(懐中電灯で通路を照らして客を席に案内する係員)をしているニキル/ニッキ(Ninasam Sathish)は、マンディヤのド田舎から一人で上京してきた。3年を州都で過ごした今も、信じられないくらい狭苦しいアパートで、似たような若者たち数人と雑魚寝する生活だった。そのせいで彼は不眠症に陥っている。

彼が勤めるのはカンナダ映画専門館。頑固者の館主シャンカランナ(Achyuth Kumar)は、ニッキのことをド突きながらも可愛がっている。しかし古ぼけた映画館の客の入りは最低で、借金取り立て&地上げ屋が訪れ、脅迫めいた台詞を残していくこともある。

ある夜、ニッキは路上でつつましい庶民の娘シュウェータ(Shruthi Hariharan)を見かけて一目惚れする。

同じころ、眠れないまま夜の街路に出た彼は、怪しげな売人から「ルシア」という名前の睡眠薬を薦められる。それは単に睡眠に導入するだけでなく、極上の夢を見させ、しかもその夢を次の晩に引き続き楽しむことができるという効能を持つものだった。半信半疑でその薬を服用してまず見た夢で、彼はカンナダ映画界のトップスターとなっていた。

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【とりとめのない感想】
いきなりリメイクの話からで恐縮だが、本作は2015年に Enakkul Oruvan というタイトルでタミル語リメイクが公開された。主演はシッダールトで、どう考えてもオリジナルよりもプロダクション・バリューが高く、名作になりそうに思えたが、実見したところ筆者には全く心響くものがなかった。理由はいくつか挙げられるが、一番大きいのは、リメイクの舞台であるタミルの映画界が「全然栄えてるじゃん!」ということ。そう、本作はカンナダ映画界の抱える難儀な状況を大きな前提として構築されたものなのだ。

本作はカンナダ映画としては初めて、主にオンラインで出資者を募るクラウド・ファンディングの方式で製作された。斬新な資金集め手法のインパクトは、封切り時点では話題になったとしても、やがて時の流れの中で作品自体と比べて重要性を失っていくだろうと最初は思った。しかし遡って製作過程にまつわるあれこれに目を通していくと、上に述べた難儀な状況がそのまま反映されているのだ。そして、本作で大成功を収めたはずのパワン・クマールが、次作もやはりクラウド・ファンディング手法で作ろうとしている(作らざるを得ない?)ところを見ると、バックステージの資金集めですら作品の一部なのではないかと思えてならない。

「カンナダ映画界の抱える難儀な状況」を説明しだすと終わらなくなってしまうが、ひとまずここでは、本作のクランクイン前にパワン・クマールがブログで発表して大反響を呼んだ『Making Enemies』というエッセイ、それから、プレ・シューティング段階でのとあるエピソードを回想したパワンのフェイスブック上の公開ポストを紹介しておく。

前者は、本作の主役を名前の知れたスターたちにオファーして軒並み断られた話。彼らが脚本のプレゼンを聞くことなく断ったということにパワンが憤激して書かれた。とはいえ、完成した本作の中には、当たり前といえば当たり前だが、多数のカンナダ映画作品への言及が散りばめられている。また、オファーを断った有名俳優たちとは誰だったのか、そしてそのスターたちが仮にこの役をやったならどんな仕上がりになっていたかを想像するのも楽しい。ルサンチマンにまみれながらも、本作はカンナダ映画への愛に満ちている。

カンナダ映画への愛は、すなわちカンナダ語への愛でもある。本作の舞台であるバンガロールは、コスモポリタンな文化を誇る一方で、州公用語であるカンナダ語を母語とする人々の割合が4割を切るという特異な状況にある。さらにこの街では、インド全般にある英語至上主義もどぎつく現れている。カンナダ映画研究家MKラーガヴェーンドラ(過去にここで紹介した)によるエッセイ『Meanings Of The City』はその背景を簡単に紹介してくれている。英語が使えなければ二級市民扱いというような状況は、たとえば『マダム・イン・ニューヨーク』などでも重要なモチーフのひとつとなっているが、本作は異国ではなく、生まれ育った州の州都での話なのだから余計に突き刺さるものがある。でありながら、英語を話す外国人たちが、怨詛の対象ではなくむしろ主人公を助ける存在として描かれるところなどには、バランス感覚が感じられる。

くどくど書いてはみたものの、そんな予備知識なく本作に臨んだ観客をも圧倒するだろうと思えるのは、全編に満ち満ちたメランコリックなポエジー。多くのシーンで舞台となるのは夜、あるいは薄暗い室内、スタジオ、映写室であるのだが、メランコリーの因って来るところはもちろんそれだけではない。カンナダ映画になぜだか多い、娯楽映画フォーマットの中にシュルレアリズム的表現を盛り込む手法が、(低予算にもかかわらず)洗練された形で採られているからだと思う。夢をめぐる詩的なイメージの集積に、「夢を見る装置」としての映画が巧みに重ねあわされて渾然一体となる。ルシアによってもたらされた夢から醒めた日中は、ただのインターミッションとなる。暗がりで眩しい光を照射されてたじろぐ登場人物のイメージが幾度も登場する。そして最後に「幸福とは何なのか」という、これまたカンナダ映画に特有のポエマー体質大爆発の問いかけが発せられて物語は終わる。

極めて思弁的でメタフィクション的な内容を持つ本作だが、劇中に登場する場末館にくるような観客をも置き去りにしてはいないと思う。それは主演のサティーシュとシュルティ(二人とも本作が初の主演)の魅力と演技力に負うところが大きいし、アチュート・クマールの中年力、捜査官サンジャイを演じるサンジャイ・アイヤルや唯一のアフリカ系俳優プラシャーント・シッディーなどの面白すぎる顔たちも貢献しているだろう。

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投稿者 Periplo : 18:43 : カテゴリー バブルねたkannada so many cups of chai
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2016年01月14日

1月のマラヤーラム映画上映

幸せを振りまきながら風のように吹き抜けていく男、追いかけるヒロイン。マラヤーラムのニューウェーブが生み出した、奇跡のような中二病映画(←もちろん褒めてる)。

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Charlie (Malayalam - 2015) Dir. Martin Prakkat

原題:ചാർലി
タイトルの意味:登場人物の名前

Cast:Dulquer Salmaan, Parvathy Menon, Aparna Gopinath, Nedumudi Venu, Chemban Vinod Jose, Soubin Shahir, Neeraj Madhav, P Balachandran, Kalpana, KPAC Lalitha, Seetha, Ramesh Pisharody, Jayaraj Warrier, Surjith, Renji Panicker, Joy Mathew, Tovino Thomas, Nasser, etc.

Music:Gopi Sundar

公式トレーラー:https://youtu.be/oYxtLNJJ54Y
全曲ジュークボックス:https://youtu.be/K0eSCmqjp8M

■日時:2016年1月24日、15:00開映(当日券販売および予約チケットの引き換えは13:30頃から開始、映画は18:00前に終了)
■料金:大人1800円、5-15歳の子供1000円、5歳以下の子供は無料(座席なし)
■字幕:英語
■上映資材:DCP
■上映時間:約130分
■会場:埼玉県川口市、SKIPシティ、彩の国ビジュアルプラザ http://www.skipcity.jp/access/
※別料金でインターミッションにはスナックの販売あり。下の申し込みフォームからチケットと同時に予約可。

■主催者公式サイト:http://www.celluloidjapan.com/
■参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2016/01/charlie-malayalam-2015.html

※事前予約をお勧めします。申し込みフォームの入り口はこちら。万が一の直前の急な変更や今後の案内などもメールで受信できるようになります。

【粗筋】
グラフィックデザイナーのテッサ(Parvathy Menon)は、独立心に富んだ女性で、母親(Seetha)が強いる見合い婚を嫌い、バックパッカー+ヒッチハイカーとしてバンガロールからコーチンにやってくる。フォート・コーチンで見つけた奇妙な古アパートは、前の賃借人が住んでいた時のままに保たれていた。テッサは、残された数々の痕跡から、チャーリ(Dulquer Salmaan)と呼ばれるその住人に興味を惹かれ、彼を知る人々を訪ね歩き、いつしか彼を追いかけて旅に出ることになる。

【主要キャラクター/キャスト】 
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■チャーリ(ドゥルカル・サルマーン)
住所不定、携帯電話ももたず、時折マジシャンとして仕事をしながら漂うように生きている男。どうやらクンニッカ(Kunjikka)という愛称がファンの間で定着したらしいドゥルカル・サルマーンは『OK Darling』ですでに日本デビュー済み。セルロイドの上映では Bangalore Days が好評だった。甘やかされた金持ちのボンという、これまでの決まり役から離れた本作での演技が大変高く評価され、最高傑作とも言われている。
■テッサ(パールヴァティ・メーノーン)
自分の兄弟が結婚するに当たって、ちょうど良いとばかりにその花嫁の兄弟との結婚をお膳立てされたのに腹を立てて家を飛び出してしまう、自立心旺盛なヒロイン。パールヴァティも Bangalore Days でドゥルカルと共演し、ついこの間の Ennu Ninte Moideen のヒロインとしても強い印象を残した。
■カニ(アパルナ・ゴーピナート)
かつて成功した外科医だったが、今は高原の老人ホームで暮らしている。アパルナ・ゴーピナートはチェンナイ生まれ。デビューはマールティン・プラッカート監督の ABCD: American-Born Confused Desi で、やはりドゥルカルとの共演だった。演劇畑の出身ゆえなのか、フェロモン系とは違う独特な魅力を持った人だ。
■クンニャッパン(ネドゥムーディ・ヴェーヌ)
老人ホームに入居している元軍人。若いころの悲恋の経験から、哲学的なことを口走る。
■スニ(サウビン・シャーヒル)
空き巣。たまたまチャーリの住処に忍び込んだところ、彼に捕らえられ、行動を共にするようになる。

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【トリヴィア】
魔術的レアリズムという言葉を使いたい誘惑も多少はあるものの、この語が醸すねっとりとした土俗性とは無縁の、異色の若者映画。

本作で重要な舞台となる場所は三つある。フォート・コーチン、イドゥッキ郡の高地(有名なムーナールなのかもしれないが、はっきりしない)の茶畑、象のページェント・プーラム(州最大規模の見物客が集まる観光資源でありながら、古式が良く保たれている大祭だと言われる)で有名なトリシュールのヴァダックンナータン寺院だ。中でも、カーニヴァル(なぜか元旦に行われる)に沸くフォート・コーチン(と隣接するマッタンチェーリ)からこの物語が始まるのは偶然ではないように思われる。

大航海時代以来のポルトガル、オランダ、イギリス人が建てた古建築が残るこの町は、欧米人ツーリストが闊歩し、彼らを目当てに州外からも商売人が集まり、一年中浮ついた雰囲気が支配する。同時にここは若者のアートの街でもあり、気の利いた連中が開いたブティックやカフェが点在し、古色蒼然とした街路のいたるところにこんな感じのグラフィーティが描かれている。極東のすれっからしとしては、これらの「アート」に対して、ちょいとむず痒かったり、痛いような青臭さを感じて、必ずしも手放しで賞賛はできないのだが、もちろん現地の若者たちはお構いなしに「不思議大好き」なアート生活を謳歌している。

この映画に描かれる、フォート・コーチンのミステリアスな古アパートのしつらい、登場人物のファッション、壁画、漫画といった全てが、この若者文化に由来するものだ。ただそれが、仲良しグループのお遊びのレベルを超えた、高度に洗練されたものになっているのが凄い。と、なにやら斜に構えた褒め方をしているように思われるかもしれないが、ふわふわとした彷徨の末のラストシーンの身震いがするような圧倒される感じを形容する言葉は見つからない、是非とも大画面で味わってほしいとしか言いようがないのだ。

監督のマールティン・プラッカートはこれが三作目となる新進。これまでの二作、Best ActorABCD: American-Born Confused Desi とは、どちらももっさりとしたキレのない凡作だったので、ここでの突然の飛躍に吃驚だ。ゴーピ・スンダルの音楽も良い。特に、なぜか上にリンクしたジュークボックスから抜けている ♪Chundari Penne (ドゥルカルが歌っている)がカッコいい。まさかの70年代ファッションのリバイバルで若者の間に追随者を生んだというサミーラ・サニーシュによる衣装、ジャヤシュリー・ラクシュミ・ナーラーヤナンの手になるファンタスティックな美術、そして前作 Ennu Ninte Moideen とはガラリと趣を変えたジョーモーンTジョーンのカメラも特筆もの。
Charlie3.jpg投稿者 Periplo : 13:13 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2015年11月28日

12月のタミル映画上映:おかわり

( ^∀^ )ニコニコ(・∀・)ニコニコ(゜∀゚)ニコニコ(゜∀。)ニコニコ
ホラー予測は見事に外れた。しかしお勧め度マックスのコテコテ・シスコン&アクション映画っすよ。

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Vedalam (Tamil - 2015) Dir. Siva (Siruthai Siva)

原題:வேதாளம்
タイトルの意味:Phantom
タイトルのゆれ:Vedhalam, Vedaalam, etc.

Cast:Ajith Kumar, Lakshmi Menon, Shruti Haasan, Ashwin Kekumanu, Soori, Thambi Ramaiah, Sudha, Kabir Duhan Singh, Rahul Dev, Aniket Chouhan, Vidyullekha Raman, Bala Saravanan, Swaminathan, Mayilswamy, Kovai Sarala, 'Naan Kadavul' Rajendran, Appu Kutty, Rajkumar, Jasper, Ramesh Tilak, Yogi Babu, Meera Krishnan, Raviraj, Sriranjini, Mansoor Ali Khan, Avinash, Nagineedu, R N R Manohar, Kalairani, Sukran, etc.

Music:Anirudh Ravichander

公式トレーラー:https://youtu.be/z0cw4CKvV9k
全曲ジュークボックス:https://youtu.be/faPJa2jgBAc

■日時:2015年12月5日、15:00開映(18:00ごろに終了)
■料金:大人2200円(予約2000円)、5-12歳の子供1200円(予約1000円、5歳以下の子供は無料(座席なし)
■字幕:英語
■上映資材:DCP
■上映時間:ネット情報によれば約152分
■会場:千葉県市川市、イオンシネマ市川妙典(こちら参照)

■映画公式サイト(FB):https://www.facebook.com/vedalamofficial/
■主催者公式サイト:http://indoeiga.com/
■参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2015/10/vedalam-tamil-2015.html

※事前予約をお勧めします。申し込みフォームはこちら。万が一の直前の急な変更や今後の案内などもメールで受信できるようになります。

【ネタばれ度20%の粗筋】
最初はアジットの2002年の旧作 Red に似ているとも言われたが、公開近くなって、モーハンラールの Ustaad あるいはラジニの『バーシャ』のそっくりさんだという情報が流れた。実際のところ、フォーマットとしては『バーシャ』、見かけ上の役作りとしては Red から引き継いでいるように思えるが、両作品にはない面白さが溢れている。

ガネーシュ(Ajith Kumar)と妹のタミル(Lakshmi Menon)が、二人でコルカタに到着するところから物語は始まる。ガネーシュは自分自身にはこれといった目的もなく、タミルを志望する美術学校に入れるためだけにチェンナイからやってきたのだった。彼は差しあたっての生活のためにタクシー・ドライバーになる。実直な彼は、タクシー・ドライバーに対して呼びかけられたお尋ね者通報の依頼に応じて、警察に情報を提供する。そのことによって兄妹の平穏な生活に暴力が忍び寄ることになる。そして温和な彼の驚くべき過去も明らかになってくるのだった。

【主要キャラクター/キャスト】イメージは本作のスチルからではないものも混じっている。

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■ガネーシュ(アジット・クマール)
チェンナイからコルカタへ、妹とともに移り住む男。笑顔を絶やさず、腰が低い。しかし実は想像を絶する過去を持っている。タラ(おかしら)アジットについては、2月の Yennai Arindhaal... のところで書いた。
■シュウェータ(シュルティ・ハーサン)
ガネーシュに惹かれるおっちょこちょいな弁護士。2012年に「今のところ大ヒットは飛ばしていない」などと紹介したシュルティだが、その後の活躍はご存知のとおり。サマンタ、カージャルとならび、日本での上映で最多の顔見せを誇る女優になった。今作は親父様主演の Thoongaavanam とディーパーヴァリ公開の一騎打ちとなった。
■タミル(ラクシュミ・メーノーン)
ガネーシュの妹。絵を描くことが好きで、ガネーシュの手配で、コルカタにある芸術大学に入学する。ラクシュミ・メーノーンはケララ出身でマラヤーラム映画でデビューしたが、3作目のタミル映画 Sundarapandian でのヒロイン役が評価されて、タミル映画界に拠点を移した。1996年生まれの前途有望な19歳。
■アルジュン(アシュウィン・カクマヌ)
タミルに一目惚れする中産階級の青年。これまでのキャリアは全て脇役またはセカンドヒーローのアシュウィン君については、あまりよく分かっていないのだが、2013年の Idharkuthane Aasaipattai Balakumara で、大阪を舞台にしたソングシーンに登場してた。
■アビナイ(カビール・ドゥハーン・シン)
人身売買などの悪事に身を染める三人兄弟の真ん中。なんじゃこの縦長は?と思ったのだが、カビールは、なんとムンバイでモデルをしていた人なのだそうだ。今年テルグ映画でデビューしたばかりだが、来年公開されるパワン・カリヤーンやバーラクリシュナの大作にもメインの悪役としての出演が決まっているそうで、これからもちょくちょく拝むことになるかもしれない。

【その他のキャラクター/キャスト】
■ラトナ・バーイ(ラーフル・デーヴ)
悪役三兄弟の長兄。ムンバイのモデル出身のラーフル・デーヴについては、以前にここでちょっとだけ書いた。
■アニケト(アニケト・チャウハーン)
悪役三兄弟の末弟。ロン毛とグラサンでほぼ顔が分からないアニケトもまたムンバイのモデル。FBページ見てもやっぱロン毛+グラサンばっか。
■タミルの父(タンビ・ラーマイヤー)
盲目でありながら慎ましく和やかな家庭を築いていた家長。タンビ・ラーマイヤーは Mynaa での独特なユーモアで一躍売れっ子コメディアンとなった人。
■ゴーマティ(スダー)
タミルの母でやはり盲目。スダーお母さんはテルグ映画の常連。『バードシャー テルグの皇帝』では、亭主を青ざめさせるダンスを踊ってた。
■コルカタ・カーリー(ラージェーンドラン)
Naan Kadavul で衝撃のデビューをしたため、「ナーン・カダヴル」が芸名の一部となってしまったラージェーンドラン。もともとはスタントマンだった。こちらに短いインタビューあり。
■ラトナ・バーイの手下(アヴィナーシュ)
カンナダ映画界からはアヴィナーシュ。なんでこんな台詞もほとんどないような役で出てきたのかと訝しく思うのだが、イメージを裏切らない短い見せ場が用意されている。

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【釣り書き】
タイトルのヴェーダーラムは、サンスクリットの vetala に照応する語で、このヴェーターラは古代のヴィクラマーディティヤ王を狂言回しとした幽霊譚のアンソロジーを思い起こさせるものであるという。しかし本作にホラー要素は全くない。何をもって「化け物」としたのかはお楽しみ。

監督のシヴァ(シルッタイ・シヴァ)は、正統的なマサラ映画をこってりと仕上げる実力派。デビュー作の Souryam (Telugu - 2008) では、コメディの冴えが尋常ではなかった。初のタミル作品 Siruthai (Tamil - 2011) は、ラージャマウリのヒット作 Vikramarkuduここでちょっと紹介)のリメイクで、さすがにこれはオリジナルには及ばなかったが、この題名がシヴァ監督の冠タイトルになってしまったのは皮肉。もちろん一番重要なのは、やはりアジットをフィーチャーした Veeram (Tamil - 2014) だ。どこまでもアジットの魅力を引き立てつつ、コメディ、アクション、ロマンス、ファミリーセンティメントをこれでもかと詰め込みながらも散漫にはならず、品数の多いご馳走ミールスに仕立て上げた。同作は、批評家からはやや斜に構えた評を浴びつつも、同年のトップ5入りの売り上げを達成した。

シヴァ監督とアジットの二回目のコラボとなる本作でもマサラ路線は変わらないが、よりいっそうパワーアップした感がある。予想通り批評家からは結構な辛口の論評を受けたが、結局のところそれは、インテリにありがちな浅薄な進歩史観と文芸趣味を露呈しただけだったように思える(だから筆者はインド芸能メディアの星評価を全面的には信用しない)。カリスマ力をもった俳優が、あんなことしたりこんなことしたりするのを眺めるという、根源的な映画の快楽を無視してしまったら、どんなに難しい単語を羅列しても、インド大衆映画の本質からは外れたところに行ってしまう。歌わない踊らない映画が優れていて、マサラ映画が遅れて劣っている、というような単純なものではない。優れたマサラ映画もそうでないマサラ映画もある、という単純なものなのだ。

優れたマサラ映画である本作、劇中でのアジットの「子羊から妖魔への変容」シーンや、アニルドのアゲアゲのテクノ・クットゥは、やはり大画面+爆音で体験するのが望ましいし、周り中がタミル人だったらなおさら理想的だ。再上映が企画されたのはまたとないことであると思う。

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全編の6割以上がコルカタを舞台にした本作、しかしそのコルカタの描写は、ベンガル映画はもちろん、『女神は二度微笑む』などと比べてもかなり嘘臭い。けれど、イエローキャブ(トップのポスターの背景にもある)、ハウラー橋と並ぶ、もうひとつのコルカタ名物がクライマックスで登場するところでは、やはり天を仰ぎたくなった。

投稿者 Periplo : 23:54 : カテゴリー バブルねたtamil so many cups of chai
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2015年04月20日

5月のタミル映画上映

こうやって並べると、どうしたって右の方に期待しちゃうってのが人情じゃありませんかい?ついに実現した関東・関西のデュアル上映、どうぞ応援してやっておくんなさいまし。

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Uttama Villain (Tamil - 2015) Dir. Ramesh Aravind

原題: உத்தம வில்லன்
タイトルの意味:Virtuous Villain
タイトルのゆれ:Uthama Villain, etc.

Cast:Kamal Haasan, Jayaram, Andrea Jelemaiah, Parvathi Menon, Parvathi Nair, K Viswanath, K Balachander, Pooja Kumar, Nasser, Urvashi, M S Bhaskar, Chithra Lakshmanan, Anant Mahadevan, Shanmugarajan, Ghibran, Rajesh M Selva, etc.

Music:Ghibran

公式サイト(FB):https://www.facebook.com/OfficialUttamaVillain
公式トレーラー(英語字幕つき):https://youtu.be/fD4F_dQgDUs
全曲ジュークボックス:http://youtu.be/-5YPmYIJi4w

【関東】
■日時:2015年5月9日(土)、14:00開映(17:00前に終映)
■料金:大人3000円(予約前払い2500円)、5-15歳の子供1000円、5歳以下の子供は無料(座席なし)
■字幕:英語
■上映資材:DCP
■上映時間:ネット情報によれば約136分約173分ということだが、数分カットされたという話もある。途中で15分程度のインターミッションあり
■会場:千葉県市川市、イオンシネマ市川妙典(こちら参照)

※当日券の購入および予約チケットの引き換えは、イオンシネマ3Fの共通チケットブースではなく、会場入り口にて。13:00から受付開始。

【関西】
■日時:2015年5月10日(日)、14:00開映(17:00前に終映)
■料金:大人2500円、5-15歳の子供1000円、5歳以下の子供は無料(座席なし)
■字幕:英語
■上映資材:DCP
上映時間:ネット情報によれば約136分約173分ということだが、数分カットされたという話もある。途中で15分程度のインターミッションあり
■会場:大阪府茨木市、イオンシネマ茨木(こちら参照)

※当日券の購入および予約チケットの引き換えは、イオンシネマの共通チケットブースではなく、会場入り口にて。13:00から受付開始。

■主催者公式サイト:http://celluloidjapan.com/
■参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2015/03/uttama-villain-tamil-2015.html
※5月1日の現地封切り後に追記予定

※事前予約をお勧めします。申し込みフォームへの入り口は、関東がこちら、関西がこちら。万が一の直前の急な変更や今後の案内などもメールで受信できるようになります。

【粗筋】
封切前のため詳細は不明。8世紀の宮廷役者であるウッタマン(Kamal Haasan)と、21世紀のタミル映画界の熟年スーパースター・マノーランジャン(Kamal Haasan)の人生とが並行的に語られるらしい。カマル自身の言葉によれば、“It’s the story of an actor; a superstar with and without a mask” なのだそうだ。

【主要キャスト】イメージは本作のスチルからではないものも混じっている
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■カマル・ハーサン(カマラーハーサンとも)
カマル・ハーサンについては Vishwaroopam のところで書いた。ともかくこの人は、プロデューサーや監督に全てを任せて指示に従うタイプではなく、通常主演俳優に求められる以上に深く深く製作にタッチする傾向がある。そのため、監督がバラバラであっても、全ての主演作にクッキリとした「カマル謹製」の刻印が押されているのだ。おそらくそれと関係があるのだろう、封切りにあたって色々と横槍が入って揉めることがやたらと多い(本人もインタビューでそれを認めている)。そして、そのせいなのか、揉め事が法廷闘争にまで及ぶような面倒くさい力作と、その合間の明らかに肩の力を抜いた箸休めとを交互に発表している。2年前の前作 Vishwaroopam は明らかに前者だった。今作はというと、最初は後者であるような印象を持っていたのだが、やはり訳の分からない理由で公開が延期になったりしており、さあてどっちなのか。
■ジャヤラーム(ジェヤラームとも)
マラヤーラム映画界ではモーハンラール、マンムーティに続く押しも押されぬ大スターなのだが、両巨頭に比べると芸域が狭いためにキャリアが尻すぼみな感じになり、ここのところパッとしなかった。170本を超えるマラヤーラム映画出演があるが、タミル映画でも30本に出演している。基本的な芸風は愛すべき頓馬キャラ。タミル映画だと、以前東京でやった Thuppakki がいい例だけど、さらに輪をかけて笑われ役なんだ。さて、今作ではどう出てくるか。公式サイトもあり。
■Kバーラチャンダル
昨年末に惜しまれつつ世を去った監督・プロデューサー。日本では Thanneer Thanneer [邦題:お水よお水] (Tamil - 1981) が映画祭公開されているほか、『ムトゥ』のプレゼンターとしても名前が知られている。1960年代半ばから昨年までの50年にわたる映画人生のインパクトは巨大なもので、その訃報に一つの時代の終わりを感じた人は多かったようだ。各時代ごとに名作を送り出しただけでなく、新人発掘にも手腕を発揮し、カマル・ハーサン、ラジニカーント、プラカーシュ・ラージ、ラメーシュ・アラヴィンドなどが、このKBによってデビューしたり、初ブレイクを達成している。本作では、そういった経緯から、KBの顔見せは名匠へのオマージュ程度のものかとも思っていたのだが、ラメーシュ・アラヴィンド監督によれば、出番は長くはないものの、ストーリーに絡む重要な役なのだそうだ。
■Kヴィシュワナート
こちらもまた映画監督。主にテルグ映画を手掛けているが、2000年ごろから俳優としての活動の方が目立つようになってきている。監督としては、Shankarabharanam [邦題:シャンカラバラナム] (Telugu - 1979) に代表される芸道ものの巨匠とみなされている。
■アーンドリヤー・ジェレマイヤー
Vishwaroopam と連続でカマル映画のヒロインとなった。タミル・ナードゥで生まれ育ったアングロ・インディアンであるという。まず歌手としてデビューして、2007年ごろから俳優として活動を始めた。長身と英語の影響の強いセリフ回し(吹き替え声優としても需要があるという)が売り。比較的仕事を選ぶタイプのようで、フィルモグラフィーはさほど多くはないが佳作が並ぶ。代表作は Annayum Rasoolum (Malayalam - 2013) あたり。
■プージャ・クマール
北インド出身の両親の元にアメリカで生まれ育ったNRI。1995年に「ミス・インディアUSA」となったことから芸能界入りの道が開けた。やはり Vishwaroopam との連続出演となる。公式サイトあり。
■パールヴァティ・メーノーン
Bangalore Days (Malayalam - 2014) でパールヴァティが演じた魅力的なラジオジョッキーのことはまだ記憶に新しいだろう。同作のタミル・リメイクにも出演が決まっているという。
■パールヴァティ・ナーイル
こちらもマラヤーラム映画界出身の新進女優。2月に川口で上映された Yennai Arindhaal... での、悪役の妻としての演技が印象的だった。

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【釣り書き】
渾身の力作かちょっとした箸休めなのかは分からないが、もちろん本作も「カマル謹製」を楽しめば十分なのであるが、年季の入ったファンとして見過ごせないのが、「監督:ラメーシュ・アラヴィンド」だ。

1980年代中ごろから俳優として活躍するベテラン、南インド5言語(トゥル語含む)とヒンディー語映画に出演し、フィルモグラフィーは130本超を記録している。やはり最初はKバーラチャンダル監督に見いだされ、タミル映画に専心していたが、1990年代終わりごろから母語である(←と思うのだが、確認はできなかった)カンナダ語の映画にシフトしはじめ、サンダルウッドの中堅スターとして現在に至っている。劇場公開こそなかったが、日本語字幕付きDVDが流通した Rhythm (Tamil - 2000) で、ARラフマーンの名曲をバックにミーナちゃんの王子様として登場するシーンを見て微妙な感想を持った人も少なくないのではないだろうか。ま、いわゆるチョコレート・ヒーローからサイコな奴まで何でもこなす器用な役者だ。

監督デビューは Rama Shama Bhama (Kannada - 2005) で、以降の監督作5本もすべてカンナダ映画。全部を見たわけではないが、こじんまりとした作風で、手堅くまとめてきているという印象だった。ここにきて初のタミル映画、それもカマル・ハーサン主演のビッグバジェットものということで、さてどんな腕前を見せてくれるのか、かなり楽しみなのである。

俳優、監督の他に、TVショーのホストもこなす。カマル・ハーサンとは年来の友人であるという。脱力系(エアポート・ブックともいう)のエッセイ集の執筆もしている。公式サイトあり。

他に気になるスタッフとしては、プロデューサーとして中堅監督のリングサーミ、それから衣装デザイナーとしてカマルの現夫人で往年のヒロインであるガウタミの名前が挙がっていることか。

それから、トップ右の画像に掲げたマスク・プレイだが、これはケララ州で盛んなテイヤムと呼ばれている降神・憑依系の芸能であると説明されている。ありがたいことに、この芸能に関しては、日本語で呆れるほどに多くの紹介・研究ページが見つかる(一例としてここここなど)。こういう絵柄だからといって、これが8世紀のパートのものである保証はないのだが、見せ場の一つであることは間違いないだろう。そして、8世紀には、現在のケララ州もまた大タミル語地域の一部だったことを覚えておいても良いかもしれない。

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投稿者 Periplo : 21:13 : カテゴリー バブルねたtamil so many cups of chai
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2015年04月14日

レビュー:Ugramm

とめてくれるなおっかさん、腕のナラシンハが吠えているんじゃ。

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Director:Prashanth Neel
Cast:Sriimurali, Haripriya, Tilak Sekhar, Atul Kulkarni, Avinash, Jai Jagadeesh, Padmaja Rao, Manjunath Reddy, etc.

原題:ಉಗ್ರಂ (Ugramm)
タイトルの意味:憤怒 ※映画冒頭でこのように丁寧に説明される。’momentous anger induced by a great period of tolerance’ を一語で表すサンスクリット起源の言葉。本作自体は神話のストーリーとは無関係ではあるが、ウグラムとはそれだけでナラシンハの物語を想起させる語であるようだ。シュローカ全体の訳はこちら参照。

DVDの版元:Anand
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約131分
DVD 入手先:Kannada Store など。

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2014/06/ugramm-kannada-2014.html
公式トレーラー:https://youtu.be/Vfi3bEWkG5Y

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【粗筋】
オーストラリア在住NRIのニティヤ(Haripriya)は母の墓に詣でるためにインドに帰国する。故地であるタラグワールに向かう途中で、彼女は一群のならず者たちに誘拐されるが、アガスティヤ(Sriimurali)という名のメカニックの男に助けられる。彼女を攫って殺害しようとする試みは、かつて密輸などの非合法活動に手を染めていたニティヤの父(Jai Jagadeesh)とギャング出身の政治家シヴァルドラ・リンガイヤ (Avinash)との間での因縁の争いに関係があった。

アガスティヤは母(Padmaja Rao)と暮らすコーラールの自宅にニティヤを匿う。ニティヤは助けてくれたアガスティヤに好意を持つが、やがてその過去を知ってショックを受ける。

無法者が支配する北カルナータカのムゴール地方に生まれたアガスティヤは、幼いころにギャング同士の抗争の中で父を失っていた。彼自身は平穏に生きることを望み、父の復讐を試みることはなかったが、ギャングとしての地位を確立したいと望む幼馴染みの親友のバーラー(Tilak Sekhar)のために、暴力沙汰に手を染めることになる。

有能なアガスティヤの力添えでバーラーは支配地域を着々と広げていく。しかし、組内部での緊張の高まりの中で、アガスティヤはバーラーの弟を殺してしまう。バーラーは彼を許さず、アガスティヤはギャング稼業から足を洗い、町を離れることになったのだった。

しかし、シヴァルドラの執念と、その息子ディーラージ(Atul Kulkarni)の野心とが、アガスティヤを再びムゴールの暴力の世界に引き戻すことになる。

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【主要キャラクター:キャスト】 ※上のイメージには本作のスチルからではないものも含まれる
■シュリームラリ:アガスティヤ
バンガロールの東約50kmのところにある小邑コーラールに母と共にひっそり暮らすメカニック、しかしその名だけでならず者を震え上がらせる過去を持った男。ひとたび戦闘モードに入ると敵無しの殺戮マシーンと化してしまう。演じるシュリームラリは10年超の芸歴を持ち、コンスタントに出演作があるにもかかわらず、本作の諸レビューは盛んに「カムバック」の語を使っていた。つまり、初期の数本のヒット以降それくらい鳴かず飛ばず状態が続いていたのだ。ラージクマール夫人パールヴァタンマの甥にあたり、血族ではないものの、ラージクマール王朝に連なる俳優ということになる。イトコのシヴァラージクマールやプニートとはタイプが違うものの、やっぱり鼻が目に飛び込んでくる。兄に同じく俳優のヴィジャイ・ラーガヴェーンドラがいる。本作の監督プラシャーント・ニール(これがデビューでそれまではIT技術者だったそうだ)は義理の兄弟にあたるという。
■ニティヤ:ハリプリヤー
オーストラリア・シドニーに住むNRIで、帰国早々に暴力沙汰に巻き込まれたところをアガスティヤに助けられ、匿われて共に暮らすうちに当然のこととして彼に惚れるようになる。ハリプリヤーもまた、南印4言語にまたがる10年近いキャリアの持ち主ながら、突破口となる大ヒットには恵まれずにいた。当網站でも出演作のレビューをあげておきながら、ヒロインへの言及は一切なし、って我ながら酷いもんだ。チッカバッラープラ出身の生粋のカンナダ女優、訓練をうけたバラタナーティヤムの踊り手でもあるという。
■バーラー:ティラク・シェーカル
ムゴール地方全体を支配下に置くギャングのドンになることを望み、友人であるアガスティヤに助力を求める。モデル出身のティラクはこれまで主として悪役を演じてきた。初期のインタビューはこちら
■シヴァルドラ・リンガイヤ :アヴィナーシュ
シーラを本拠地とする元ギャングの政治家。ニティヤの父との過去の争いを根に持ち、いまだに意趣返しの機会を窺っている。アヴィナーシュは舞台出身、80年代後半の映画デビュー以降300本以上に出演と言われる悪役・性格俳優。日本では、『チャンドラムキ』の祈祷師の役で登場済み。
■ディーラージ:アトゥル・クルカルニー
シヴァルドラの息子。政界で大物となる野心を持っており、そのためには非合法な手段をとることも厭わない。マラーティー映画界の知的な演技派という印象が強いアトゥル・クルカルニー(公式サイトはこちら)だが、実はカルナータカ州ベルガウム(ベラガーヴィ)の出身だと知って吃驚。ヒンディー、マラーティー、南印4言語で活躍するマルチリンガル俳優。日本では、ゲイ映画『マンゴー・スフレ』によって紹介済み。
■ニティヤの父:ジャイ・ジャガディーシュ
カルナータカ出身で今はオーストラリアに住むビジネスマン。インドにいたころには密輸などの非合法活動にたずさわっていた。ここで「密輸」と出てくるのは、たぶん1980年代にこの親父が悪さしてたってことなんだろうね。現在からは想像しにくい部分もあるが、90年代の改革開放路線前のインド映画では密輸王ってのは悪役の定番だったのだ。ジャイ・ジャガディーシュもまた息の長い活躍をしている俳優・プロデューサー。1960-70年代の巨匠プッタンナ・カナガル監督の元でアシスタントをしていたところを抜擢されて俳優となった。たぶんこれは抜粋でしかないのだろうけど、フィルモグラフィーはこちら

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【トリヴィアなど】
2000年代のカンナダ映画についてここで大上段に構えて論じる器量は当網站筆者にはないが、本作は典型的なカンナダ映画とは随分違った、突き抜けた一作と受け止められているようだ。これでカンナダ映画もひとつステージが上がった、などとはしゃいでいる連中も結構見受けられる。

確かに、ドン臭いストーリー、もっさりしたアクション、目を逸らしたくなるダンス、咀嚼困難なポエム等々といった、これまでのカンナダ映画によくみられた癖からは、見事なくらいに吹っ切れた、スタイリッシュでパワフルでスピーディーな130分だ。

その突出ぶりが最も顕著なのは、タミル・ナードゥ出身の名カメラマン、ラヴィ・ヴァルマンのカメラワークであることについては衆目が一致している。フィルモグラフィーを見てもその充実ぶりには唸らされる。日本公開作としては Phir Milenge [邦題:フィル・ミーレンゲー/また会いましょう]、Barfi! [邦題:バルフィ!人生に唄えば] などがある。

それから、物語の舞台が北カルナータカ(劇中で北カルナータカという言及はないし、ムゴールは架空の町であるようだが)というのも実は案外珍しい。あれこれと見てみても、カンナダ映画というのは大半が、バンガロール~マイソール~マディケリと、えーとそうだなシモガを結ぶ三角形とその周辺だけで完結してるんじゃないかと思えるところがある。北部・中部カルナータカが舞台になるのは珍しいし、また北部出身者を定型的な悪役として描くことも多い。まあ、ムゴールが悪のはびこる化外の地として描かれているという点では、カンナダ映画の伝統的な世界観を踏襲している訳だが。本作は、北部のグルバルガの町で初めて本格的にロケが行われたことを謳っている。前半部分を含むその他のロケ地としては、かつて金鉱で湧いた町コーラールのKGF(Kolar Gold Field)と呼ばれる荒涼とした跡地(時折他の映画のソングシーンなどにも登場する、こちら参照)、チンターマニ、ナンディ・ヒルズ、マイソールなど。

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投稿者 Periplo : 17:45 : カテゴリー バブルねたkannada so many cups of chai
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2015年02月19日

2月のJ-テルグ

お待ちかね、2015年初のテルグ映画。

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Temper (Telugu - 2015) Dir. Puri Jagannadh

原題:టెంపర్

Cast:NTR Jr, Kajal Aggarwal, Prakash Raj, Madhurima, Posani Krishna Murali, Kota Srinivasa Rao, Ajaz Khan, Ali, Tanikella Bharani, Subbaraju, Vennela Kishore, Jaya Prakash Reddy, Sapthagiri, Ramaprabha, Pavithra Lokesh, Kovai Sarala, Sonia Agarwal, Nora Fatehi, etc.

Music:Anoop Rubens (songs), Mani Sharma (BGM)

公式サイト(FB):https://www.facebook.com/TemperMovie
公式トレーラー:http://youtu.be/SQgRN5tu1f4
全曲ジュークボックス:http://youtu.be/dHUV5fb4FSE

■日時:2015年2月28日(土)、12:45開映(開場は11:30ごろ)、15:15ごろ終映予定
■料金:大人2500円、5-12歳の子供1000円、5歳以下の子供は無料(座席なし)
※2月23日までに予約した場合、早割で大人が2200円となる。

■字幕:なし
■上映資材:DCP
■上映時間:ネット情報によれば約147分。途中で20分程度のインターミッションあり。

■会場:埼玉県川口市、SKIPシティ、彩の国ビジュアルプラザ http://www.skipcity.jp/access/
※別料金で12:00ごろからカレーランチ、またインターミッション中にインドスナックのケータリングあり。

■主催者公式サイト:http://indoeiga.com/
NEW!https://www.facebook.com/pages/IndoEiga/387150801377796
■参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2015/02/temper-telugu-2015.html

※事前予約をお勧めします。申し込みフォームの入り口はこちら。万が一の直前の急な変更や今後の案内などもメールで受信できるようになります。

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【粗筋】
制服を着ないお巡りさんの話だという。孤児として育ったダヤ(NTR Jr)は、金と権威をほしいままにできる警官になることを夢見ていた。長じてその夢をかなえ、不正や汚職で悪名高いサブ・インスペクターとなる。ハイダラーバードからヴァイザーグに転属となった彼は、土地のやくざのワールタル・ヴァース(Prakash Raj)とかかわることになる。それは腐敗した大臣(ジャヤプラカーシュ・レッディ)の意向によるもので、ダヤとワールタルはつるんで様々な悪事に手を染める。一方で、ダヤは動物愛護活動家のシャーンヴィ(Kajal Aggarwal)と知り合い、追いかけまわし、やがて恋仲となる。しかし、彼女が人違いによってワールタルに命を付け狙われていることがわかり、事態は新たな局面を迎える。

その他の登場人物
ムールティ(Posani Krishna Murali):ダヤの副官、実直な巡査
ラクシュミ(Madhurima):ワールタルが本当に命を狙っている娘
コソ泥たち(Sapthagiri, Ali)

さらに続きの粗筋を読んでおきたいむきには川縁先生のレビューがお勧め。

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【釣り書き】
NTRジュニアは、押しも押されぬテルグ映画界のトップスター、その動向は常にマスコミの話題の中心で、新作の封切りは祝祭となる。にもかかわらず、ここ数年『バードシャー』を除いてはボックスオフィス的にパッとせず、批評家からもマンネリと誹られることが続いていた。しかしここにきて本作でやっと雪辱を果たすことになったらしい。13日の現地封切りからこっち、売り上げも上々(こちらなど参照)、そして珍しいことに批評家による評価が軒並み高いのだ。Yamadonga (Telugu - 2007) 以来の秀作、いや Rakhee (Telugu - 2006) からこっちの名演、いやいやデビュー以来の全出演作きっての傑作じゃ、それどころか祖父NTRを超えたんじゃないか、などなど、大げさな賞賛が飛び交い、逆にこれまでの低空飛行の長さを物語るようでもある。

本作でのノベルティは撮影中に披露されたシックス・パックの腹筋で、色々なニュアンスの悲鳴が聞かれたが、『バードシャー』でのさらさらヘアーと同じで、さほど大した意味は無いのじゃないかな。お客さんにウケてもらうためには何でもやりまっせという天晴れ芸人魂ではあると思うが。

最大の魅力とされているのは、プーリ・ジャガンナート監督自身が書いた面白すぎる台詞と、それを操るジュニアの台詞回し、クライマックスのアクションだそうだ。台詞は日本人としてはどうしようもない部分であるが、ハイ・テンションのダンスも健在ということなので、楽しみにしたい。

監督のプーリ・ジャガンナートは過去に Businessman (Telugu - 2012) を上映した際にちょっとだけ紹介した。その後もIddarammayilatho (Telugu - 2013) などのヒットをものにしたが、「グナシェーカル、ラージャマウリとならぶ(テルグ映画監督の)3トップ」とまで褒め上げた筆者にとってはちょっと物足りない作品が続いていた。しかし本作では、ここのところのスクリプトの弱さを克服して、これまでのキャリアの中でのベスト作品とまで賞賛されている。

気をよくしたプロデューサーのバンドラ・ガネーシュは、早くもパート2の製作を宣言してもいる。本当に実現するかどうかは分からないが、『ダバング』のチュルブル・パーンデーのような名物キャラになって行けば、それもまた面白そうだ。

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投稿者 Periplo : 20:41 : カテゴリー バブルねたtelugu so many cups of chai
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2015年02月04日

【日程変更】2月のタミル映画上映:その1

タラ(=おかしら)・アジットついに見参だ!

当初予定されていた2月11日の上映はキャンセルとなった、変更日程は下記参照

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Yennai Arindhaal... (Tamil - 2015) Dir. Gautham Menon

原題: என்னை அறிந்தால்
タイトルの意味:If you know me...
タイトルのゆれ: Yennai Arindhaal, Yennai Arindhal, Ennai Arindhal, Yennai Arinthaal, etc.

Cast:Ajith Kumar, Anushka Shetty, Trisha Krishnan, Arun Vijay, Parvathy Nair, Vivek, Daniel Balaji, Thalaivasal Vijay, Amit Bhargav, Rajasimman, Devi Ajith, Baby Anikha, etc.

Music:Harris Jayaraj

公式サイト(FB):https://www.facebook.com/YennaiArindhaal
公式トレーラー:http://youtu.be/B7c87SWQg-Y
全曲ジュークボックス:http://youtu.be/AnSjg8tQqmg?list=RDAnSjg8tQqmg

■1回目:2015年2月14日(土)、17:15開映、
■2回目:2015年2月15日(日)、13:00開映(開場は12:00ごろ)、17:00ごろ終映予定
■料金:大人2200円、5-15歳の子供1000円、5歳以下の子供は無料(座席なし)

■字幕:英語
■上映資材:DCP
■上映時間:ネット情報によれば約176分とも約189分とも。真偽不明ながら189分から25分ほどカットされたという記事も見つかっている。途中で20分程度のインターミッションあり。

■会場:埼玉県川口市、SKIPシティ、彩の国ビジュアルプラザ http://www.skipcity.jp/access/
※15日の上映にあたっては別料金で12:00ごろからカレーランチ、またインターミッション中にインドスナックのケータリングあり。14日については主催者に照会中。

■主催者公式サイト:http://indoeiga.com/
NEW!https://www.facebook.com/pages/IndoEiga/387150801377796
■参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2015/01/yennai-arindhaal-tamil-2015.html

※事前予約をお勧めします。申し込みフォームはこちら。万が一の直前の急な変更や今後の案内などもメールで受信できるようになります。

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【予想される見どころ】
現状で粗筋は一切不明なので何も書かない。アクション・スリラーであるらしい。見どころのトップは、もちろん本邦初見参のアジット・クマール。ラジニとカマルハーサンを別格としたところでのタミル男優四天王の一人(他の三人は、ヴィクラム、スーリヤ、ヴィジャイ)。1971年チェンナイ生まれの43歳。1993年に主演デビューし、Aasai (1995) で初のブレイク。この時点ではまだ少年の面影の残るロマンチック・ヒーローだった。筆者は随分後になってからだが初めてアジットを見たときに、明らかにそれまでのスターと違う「くしゃ顔」にかなり感銘を受けたものだった。スタートの頃は女学生のアイドル風であったもの、その後何年かかけてアクションをメインにしたマッチョスターへと変身していった。ほぼ同じ頃にデビューしたヴィジャイとは何かにつけて比較され、ファン同士も激しいライバル意識を持っているといわれる。タミル四天王はいずれも基本はアクション俳優だが、それ以外のところで個性を打ち出しているというか棲み分けをしているというか、ヴィクラムは演技派的身体改造、スーリヤは筋肉、ヴィジャイは永遠のアンちゃんと、見た目がはっきり分かれている。このアジットはというと、40歳になった2011年の Mankatha から明らかになってくるのだが、ジョージ・クルーニー風のロマンスグレー路線をとってきたのだ。頭髪だけでなく、体についてもマイルドな中年体型を晒して特になんとも思っていないらしい。こういうスターのあり方が可能だというのも、タミル映画界の懐の深さだと思えるのだ。

既に50本を越えるフィルモグラフィーなので、筆者も全作はつぶしていないのだが、上で言及した以外では、Vaali (1999)、Villain (2002)、Varalaru (2007)、Billa (2007) あたりが重要作と考えている。上記は全てタミル映画だが、SRK主演の Asoka (Hindi - 2001) でも好演した。また、日本公開はなかったものの『マダム・イン・ニューヨーク』のタミル語版では、ヒンディー語版でアミターブ・バッチャンが演じたパートを受け持っている(ネタバレでも構わんという人のみこちら参照)。夫人は『ウェイブ』のヒロインであったシャーリニ、また2000年過ぎからはカーレーサーとしても顔も持つようになった。

ツインヒロイン(どちらがメインなのかよく分からない)のひとりアヌシュカについては、過去の上映の際に簡単に紹介した。今年はこの先にも主演作をインド系自主上映で目にすることになるのではないかと期待している。

もうひとりのヒロイン、トリシャーについては過去にこんなイメージを紹介したこともあった。モデル出身のドールフェイスのトリシャーも気がつけば31才。つい先月に婚約を発表をしたばかりだが、結婚しても女優業を辞めるつもりはないと力強く宣言もしている。タミル&テルグの錚々たる大スターとの共演作が多くあるが、入門としては、本作と同じガウタム・メーナンによるロマンス Vinnaithaandi Varuvaayaa (Tamil - 2010) での魅力爆発っぷりをご覧いただきたいと思う。

監督のガウタム・メーナンはウィキペディアによれば、ケララ生まれとのことだが、タミルナードゥで育ち、タミル・テルグ映画を送り出している、本籍タミルのトップ監督。以前ちょっと憎まれ口を書いたこともあったけど、常に注目を浴びているスター監督であることは間違いない。スーリヤが主役の警官もの Kaaka Kaaka (Tamil - 2002) の大ヒットにより、アクション路線を邁進したが、上記の Vinnaithaandi VaruvaayaaNeethaane En Ponvasantham (Tamil - 2012) では一転して現代的な心理描写に心を砕いたロマンスものに取り組んで、やはりヒットとしている。二時間半超えとなる本作では、もしかしたらアクションとロマンスの両方を取り込んだものになるのだろうか。根拠はないのだが、スチル写真などからそんな想像をしてしまう。

音楽のハーリス・ジャヤラージは2001年から活動している中堅MD。タミル人のMDに好まれる古典や民俗の要素の取り入れがあまりなく(Anniyan のような例外もあるが)、どこまでもポップな音作りでヒットを飛ばし続けてきた。ガウタム・メーナンと組んだ上記の Kaaka Kaaka のサントラなど、10年以上経った今聴いても恥ずかしカッコよくて痺れる。

悪役(?)を演じるアルン・ヴィジャイは、名優ヴィジャヤクマールの息子だという。こちらも楽しみ。
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なお、「2月のタミル映画上映:その2」も既に発表されて予約受付中である。2月22日、ダヌシュ主演の Anegan だ。上映団体が違うので注意。 申し込みはこちらから。近日中に当網站でも簡単な案内をアップする予定。

投稿者 Periplo : 01:07 : カテゴリー バブルねたtamil so many cups of chai
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2014年05月29日

6月のJ-テルグ

サマンタとシュレーヤーのツインヒロイン、アミターブ・バッチャンの顔見せ…しかしテルグの衆にとっての大御馳走は何といってもANR家(正確にはアッキネーニ家)の三世代共演ていうところにあるんだと思う。

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Manam (Telugu - 2014) Dir. Vikram K Kumar

原題: మనం
タイトルの意味:We ※ドラヴィダ語に特有の、話者と語りかけられる相手とを含む一人称複数代名詞。相手を含まない一人称複数はmemu。

Cast:Akkineni Nageswara Rao (ANR), Nagarjuna, Naga Chaitanya, Samantha Ruth Prabhu, Shriya Saran, Brahmanandam, Ali, M S Narayana, Jayaprakash Reddy, Chalapati Rao, Posani Krishna Murali, Shankar Melkoti, Srinivasa Reddy, Krishnudu, Ramchandra, Giridhar, Saptagiri, Gundu Sudarshan, Ambati Srininivas, Duvvasi Mohan, Saranya Ponvannan, Tejaswi Madiwada, Satya Krishnan, Kaushal Sharma, etc.
Guest appearance:Amitabh Bachchan, Lavanya Tripathi, Neetu Chandra, Raashi Khanna, Akhil, Amala

■日時:2014年6月7日、14:00(終映は17:00ごろ)
■料金:大人2000円(予約は1900円)、5歳以上12歳以下の子供1200円(予約は1000円)、5歳以下の子供は無料(座席なし)
■字幕:英語(万が一字幕なしだったら御免なさいです)
■上映時間:ネット情報によれば約150分
■会場:埼玉県川口市、SKIPシティ、彩の国ビジュアルプラザ http://www.skipcity.jp/access/
※家族チケットなど上映に関しての詳細は、主催者公式サイトhttp://www.indoeiga.com/を参照のこと
※別料金でインド料理ケータリングあり(上映前ランチとインターミッション中のスナック)

■映画公式サイト(FB):https://www.facebook.com/ManamTheFilm
■公式トレーラー:http://youtu.be/Y4Bq4SQc_eM
■ソング全曲ジュークボックス:http://www.youtube.com/watch?v=uCHGnpp_sGE&feature=share&list=PL0ZpYcTg19EHn4BQrVFDBOE13qy2-Wvry
■参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2014/05/manam-telugu-2014.html

メールによる事前予約をお勧めします。
メールのタイトルは「Manam ticket booking」などとし、
1. Name:申し込み代表者のお名前をローマ字でここに記入
2. Number of tickets / adults:大人の人数を算用数字でここに記入
3. Number of tickets / children:子供の人数を算用数字でここに記入
以上の必要項目を埋めてmovieinfoアットindoeiga.com(アットを@に変える)までメールして下さい。支払いは当日劇場受付で。残席がある場合予約は上映前日まで可能、上映前に確約の折り返しメールが届くはずです。

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【ネタバレ度40%ぐらい?の粗筋】
1983年、ラーダーモーハン(Naga Chaitanya)とクリシュナヴェーニ(Samantha Ruth Prabhu)の若夫婦は交通事故に遭って命を落としてしまう。一人残された息子のナーゲーシュワラ・ラーオ(愛称ビットゥ)は長じて成功したビジネスマン(Nagarjuna)となった。あるとき、ナーゲーシュワラ・ラーオはナーガールジュナ(Naga Chaitanya)とプリヤ(Samantha Ruth Prabhu)という若い男女と知り合い、二人が両親に生き写しであることから輪廻を確信し、この二人の愛のキューピットになろうと決意する。

同じ頃、彼はアンジャリ(Shriya Saran)という若い女性、チャイタニヤ(ANR)という老人とも知り合う。90歳のチャイタニヤは、ナーゲーシュワラ・ラーオとアンジャリが遠い昔に亡くなった自分の両親とそっくりなのを見て驚く。チャイタニヤは彼らが両親のシーターラームドゥ(Nagarjuna)とラーマラクシュミ(Shriya Saran)の生まれ変わりであると確信して、この二人の愛のキューピットになろうと決意する。

【見どころ紹介】
2013年10月18日、89歳のアッキネーニ・ナーゲーシュワラ・ラーオ(ANR)は本作を撮影中のアンナプールナ・スタジオ(自らが設立したファミリー・プロダクションの本拠地)で、一族を従えて記者会見を行った。25分に及ぶスピーチ中で、彼は自分が癌と診断されたことを告白し、闘病の意欲は充分にあること、個人的な見舞などを遠慮してほしいという要望を伝え、100歳まで生きるつもりであると宣言した。この時点で本作は約60%撮了していたという。この演説の力強さ、そして周りを固めた一族の結束の様子(こちら参照)を見て、この人は本当に100歳を迎えることができるだろうと確信したのを覚えている。

その後彼は手術に臨んだが、術後15日目に病床でアフレコ作業をするための手配を息子ナーガールジュナに命じた。「今のうちにやっておかないと、(ANRの声帯模写を得意とする)物真似芸人に頼むことになってしまうぞ」(ナーガールジュナのインタビューによる)。ソングシーンの僅かなショットを除き、予定されていた全ての撮影・レコーディングを終えた後、NTR(シニア)と人気を二分したこの不世出の名優は、2014年1月22日に不帰の人となった。

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つまり本作は70年超にも及ぶANRの芸歴を最後を飾る記念碑的な作品であるわけなのだが、上に書いた粗筋に目を通していただければ分かるように、笑っちゃうようなラブコメ+ファミリー映画なんだよね。現地のレビューでは「バック・トゥ・ザ・フューチャー印度版」なんて言い方が盛んにされていたけど、輪廻ってのが入ってくるのがミソ。

ナンダムーリ(NTR)家とならぶ名門アッキネーニ家の始祖ANR、息子ナーガールジュナ、孫のナーガ・チャイタニヤが共演し、しかも劇中の役名として、祖父が孫の、息子が祖父の、孫が息子の芸名を背負って演技する、この完全な内輪受け構造。もともと3月末の公開が予定されていた本作は、ウガーディ・シーズン向けのファミリー映画の超豪華版。しかし、単なる季節の縁起もの映画を超えた、高いレベルの作劇と演技が結びついて、5月23日の公開以来、各種レビューで軒並み4/5の高ポイントを獲得し、興行上も爆発的な売り上げ記録を更新している。

長老ANRについてはここで、息子ナーガールジュナについてはここで以前に書いた。

孫のチャイ太ことナーガ・チャイタニヤは Josh (Telugu - 2009) でデビューして本作が第7作目。やっと青臭さが抜けてきたというところ。これまでのところの代表作は、サマンタのデビュー作でもある Ye Maya Chesave (Telugu - 2010) か。母はナーガールジュナの前妻ラクシュミで、この人は「愛と憎しみのデカン高原」の主演俳優ヴェンカテーシュや「マッキー」のプレゼンターであるスレーシュ・バーブの妹(または姉)なので、チャイ太はアッキネーニ家とダッグバーティ家の双方に連なることとなる。

豪華ツインヒロインは、「ボス その男シヴァージ」のシュレーヤー・サランと、「マッキー」のサマンタ。また、ナーガールジュナの現夫人アマラと、二人の間の息子アキルもちらりと顔を出すという。一方でこの三人が登場しないのはなぜなのか、一部では訝しがる声もある。

監督のヴィクラム・クマールは、1990年代末に英語作品でデビューし、その後は主にタミル&テルグで作品を送り出し、本作が7作目の中堅。これまでの代表作は、タミル・ヒンディー・バイリンガルのホラー Yaavarum Nalam / 13B (Tamil, Hindi - 2010) と、フレッシュなラブコメとしてヒットした Ishq (Telugu - 2012) の2本。今回はテルグ映画界きっての名門のファミリー映画を手掛けたというのだから当然テルグ人かと思いきや、2012年のこのインタビューでは、「昔と比べたら随分テルグ語も分かるようになってきた」というようなことを言っていて吃驚。本籍はタミルの人であるようだ。

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本作の大ヒットに刺激されて、テルグ映画界で番を張ってる他のファミリーの皆さんも、全員集合映画を作りだしたりしないもんかね。チランジーヴィ率いるコニデラ一家の壮絶兄弟喧嘩ムービーとか、NTRジュニアが事実上代表しているナンダムーリ一家のドロドロ愛憎サーガとか、モーハンバーブ率いるマンチュ一族のお笑い説教マラソンとか、凄く観てみたいわ。

投稿者 Periplo : 23:00 : カテゴリー バブルねたtelugu so many cups of chai
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2014年03月18日

PJ2013-01:Annayum Rasoolum

天星小輪@柯枝。このイメージの格好よさに痺れて点が甘くなってるのは自分でも分かってる。
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Annayum Rasoolum

Director:Rajeev Ravi
Cast:Fahad Faasil, Andrea Jeremiah, Sunny Wayne, Soubin Shahir, Ranjith, Shine Tom Chacko, Srinda Ashab, Aashiq Abu, Sija Rose, P Balachandran, M G Sasi, Joy Mathew, Vinayakan

原題:അന്നയും റസൂലും
タイトルの意味:Anna and Rasool
タイトルのゆれ:Annayum Rasulum

DVDの版元:AP International
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間47分

ジャンル:ロマンス
キーワード:デビュー監督、コーチン、ヴァイピン島、フェリー、大型アパレル店、カーッカナード、ポンナーニ、マッタンチェーリ、カーニヴァル、ポルトガル風ギター

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2013/06/annayum-rasoolum-malayalam-2013.html

お勧め度:★★★★☆

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【寸評】
久々の2時間45分越えの大作、しかも『ロミオとジュリエット』を翻案した(ただし、本作のプロモーションではそれを明確に謳った文言はなかったように記憶しているが)直球の大ロマンスもの。運命の出会いから始まり、コミュニティの違いなどからくる周囲の大反対にあう、そして結末も大体見えている、それでもなかなかに惹きつけて逸らさないものがあった。それは、そう多くはない登場人物の造形が細やかでリアリティがあるのと、舞台となる幾つかのロケーションの詩情溢れる描写によるものと思える。

前者に関して言うと、たとえばファハド・ファーシルが演じるハイヤーのドライバーという職業だ。ここでの主人公ラスールの性格が、この種のドライバー(高等教育を受けていない若者にとってはかなり割のいい、ただし不安定な職業)の典型を活写していて感動した。怖い顔をして何やら深刻そうだが、実は何も考えていない。一転して笑うと人の良さが無防備なまでにむき出しになる。ヒロインに対するストーカー的行為が自分をどのように見せるかにも考えが及ばない自意識の欠如。基本的に純情で気のいい奴なのだが、そうした思慮のなさや不運が積み重なって、徐々に追い詰められていく様子に説得力がある。一方アーンドリヤー・ジェレマイヤー演じるヒロイン・アンナが、大型アパレル店の販売員というのも絶妙。アパレル販売員残酷物語としては Angaadi Theru (Tamil - 2010) Dir. Vasanthabalan という凄まじい作例があるが、ここで描かれる職場はもうちょっと穏健な雰囲気。とはいえ、家計の助けとなるささやかな給金以上の何かをヒロインに与えるものではなく、希望のないモノトーンな日々を送っている。それもあってか、ストーカーもどきとして登場したラスールを、最初こそ迷惑がるものの、結局は命がけで愛し抜くという選択をすることになる。こうした、特にヒロイックでもなく、お手本にしたいような優れた美点があるわけでもない平凡な市井人の恋愛を、観客が応援する気にさせるかどうかが、この映画の勝負の分かれ目だったと思うが、充分に成功している。

上にストーカーと書いたが、インドの恋愛ものにおけるストーカー的求愛行動には注釈が必要だ。欧米型のロマンス映画の常道が対話によって育まれる愛情であるのに対して、インド映画では一目惚れと付きまといというのが典型のひとつとしてある。普通に考えて女子はこれをやられたら気味悪いだろと思うのだが、映画を離れて現実の恋愛のありかたとしても稀ではないという証言もある。と同時に、そもそも自由恋愛というもの、すなわち学校や社会で偶然に巡り合った相手に恋愛感情をもつということ自体がふしだらであり、家やコミュニティの恥である(たとえば、自由恋愛で結ばれた者がいると、その兄弟姉妹が見合いでハンデを負うことになる)という通念も、特に中産階級以下のクラスで根強い。これを分かりやすく見せてくれたのが往年の名作 Aniathipravu (Malayalam - 1997) Dir. Fazil だったが、15年以上たった現在も、大きくは変わっていないようだ。本作ではカップルへの逆風を一層際立たせるためにムスリムとクリスチャンという宗教の違いが設定されているが、これは本質的なものではないし、製作者の意図したテーマはコミュナルな対立ではなかったものと思われる。

上に書いたロケーションの魅力についてだが、特筆すべきはコーチンのヴァイピン島の描写だろう。コーチンの西側に縦に27kmも延びる細長い島で、その南端はフォート・コーチンから指呼の距離、フェリーで10分足らずだが、観光客でにぎわうフォート・コーチンとは対照的に、眠ったような住宅街。ヒンドゥー、ムスリム、クリスチャンが混住しており、車も入れないような隘路がくねくねと続く様子が物語の舞台としてふさわしいように感じられた。一方で、主人公の家族が住むマラバールのポンナニは、ケララ・ムスリムの集住地域のひとつ。寂しげな漁村の風景が印象に残った。

何しろ長いので尻込みされる向きもあるかもしれないが、自信を持ってお勧めしたい一作。ニューウェーブの流行と相まって、年々ランタイムが短くなる傾向にあるマラヤーラム映画だが(統計はないが、体感としては平均値2時間10分程度ではないだろうか)、将来こういう作品が、その長さだけで劇場から閉め出しを食らったりすることにならないように祈りたい。

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投稿者 Periplo : 00:34 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2014年03月02日

PJ2012-35:Manjadikuru

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Director:Anjali Menon
Cast:Thilakan, Rahman, Murali, Jagathy Sreekumar, Sagar Shiyaz, Harishanth, Kaviyoor Ponnamma, Urvasi, Bindu Panickar, Praveena, Sindhu Menon, Sridevika, Thrissur Chandran, Firoz Mohan, Julia George, Kannan Pattambi, Poojapura Ravi, Venu Machad, Sreekumar, Prithviraj, Padmapriya
Children Cast:Sidharth, Vyjayanthi, Rijosh, Arathi Sasikumar

原題:മഞ്ചാടിക്കുരു
タイトルの意味:インド原産のナンバンアカアズキの実(こちら参照)。西洋の四葉のクローバーのように縁起の良いものと見なされている。ケララではクリシュナ寺院に奉納されることが多い。グルヴァユール寺院にこの実を奉納した山岳地帯の女性信徒の伝説が有名。グルヴァユール寺院に大いに関係のあるこの映画にも、マンジャーディクルが印象的に使われるシーンがあった。
タイトルのゆれ:Lucky Red Seeds(英語題名)

DVDの版元:Satyam Audios
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間7分

ジャンル:アートなメロドラマ
キーワード:子供、タラワード、大家族、骨肉の争い、湾岸NRI、児童労働、階級格差、トリシュール地方、酷暑期

公式サイト:http://www.manjadikuru.com/
参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2013/08/manjadikuru-malayalam-2012.html

お勧め度:★★★★★

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【寸評】
舞台は今から約20年前のケララ中部。酷暑期。ドゥバイで生まれ育った10歳のヴィッキ(Sidharth)は両親に連れられて母の故郷であるトリシュールの田舎の村にやってくる。毎年一回の定期的な帰省とは異なり、今回は祖父アップクッタン・ナーイル(Thilakan)の死去を受けてのものだった。大邸宅カウストゥバムには、祖母デーヴァヤーニ(Kaviyoor Ponnamma)と大叔父ヴァースデーヴァン(Thrissur Chandran)が住み、敷地内にはオジのラグ(Rahman)一家が小さな離れを建てて住んでいる。葬儀のために各地に散らばるその他の子供たちもやってくる。長女のアンム(Bindu Panicker)はデリーから、次女でヴィッキの母であるスジャータ(Urvasi)はドゥバイから、三女のシーラ(Praveena)はマドラスから、それぞれ配偶者・子供と共に、四女のスダーマニ(Sindhu Menon)は身重でありながら単身でアメリカから到着する。極左運動に身を投じるために家出した長男のムラリ(Murali)までもが10数年ぶりに姿を現し、2男4女全員が揃うことになった。

ヴィッキはオジのラグの二人の子供、カンナン(Rijosh)とマニクッティ(Arathi Sasikumar)とすぐに打ち解けて一緒に遊びまわるようになる。屋敷にはもう一人の子供がいた。タミル・ナードゥ州シヴァカーシからやってきて女中として働くロージャー(Vyjayanthi)だ。12歳の彼女は家の人々からは名前で呼ばれることもなく、何かにつけては容赦のない罵声を浴びせられ、それでも懸命に働いている。ヴィッキたち3人はロージャーの置かれた状況を次第に理解し、彼女を何とか助けようと思うようになる。

故人の子供たちを中心とした一族は、葬儀の後も16日間邸宅に滞在を続ける。デーヴァヤーニの意思で、16日後にアップクッタンの遺言が読み上げられることになったからだ。もともとあまり仲の良くない兄弟姉妹は、小競り合いを繰り返しながら戦々恐々としてその時を待つ。

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オムニバス映画 Kerala Cafe (Malayalam - 2009) 中のHappy Journey という一編を監督し、批評家・映画ファンを唸らせたアンジャリ・メーノーンによる待望の長編第一作。2008年には撮了していたが、プロデュースの部分に何やら問題があり、公開が引き延ばされた。2009年に没したムラリが登場しているのもそのため。2008年からやや短いビデオ版が各地の映画祭で上映され、多少の評判は聞こえてきただけに、それらにアクセスできないファンにとっては幻のカルト映画と化していた。2012年5月にやっと一般公開に漕ぎつけ、アンジャリが脚本を担当した Ustad Hotel とほぼ同時期に劇場に掛かることになった。

いわゆる「子供の澄んだ目に映った~」というタイプの設定で、それは通常ならば心の濁った筆者がもっとも忌避するものなのだけれども、本作にはやられた、参りましたと言うほかない。同時に、目の澄んだ子供が「戦争なんてなくなればいいのに」とか言うのに喝采するような観客にも受けるだろう。つまり、大変に高いポテンシャルをもったアート映画だということだ。

筆者のような腐った奴がなぜ感銘を受けたかというと、それは、子供の目から見た大人世界の批判という面を当然持ちながらも、個々の大人気ない大人たちの「大人の事情」ってやつが幅広い諧調で描かれているからだと思う。寄る辺のない女中っ子ロージャーに対しての無情な仕打ちと共に、各人の抱える過去の傷や、現在の問題、相互の憎しみ、労わり合いといったものが、2時間超の中にぎっしりと詰まって、主人公の独白にあるように「白と黒の間には無限の色が存在する」ことが示されるのだ。

そして無垢で無謬の子供たちも、いつまでもそのままでいられる訳ではない。やがて彼らも、自分の意思による行為の結果起こってしまった思わしくない事々に直面しなければならなくなる。責任を取りたいと思ってもそのすべもなく、非難の眼差しの前にただ項垂れるしかない事態に追い込まれる。子供時代の終わりが、雨季の先触れの驟雨によって区切られる。

メインのテーマと共に、現地の観客に強くアピールしたのは、圧倒するノスタルジー。携帯電話も、インターネットも、それどころか田舎にはエアコンすらなかった時代、子供にとってチョコレートを包む銀紙やマンジャーディクルが宝物となりえた時代の細かな描写は、それを知る世代の観客にとっては堪らないものだったろうと想像できる。

筆者にとって最も印象的だったのは、大家族の物語で登場人物が多いのに、その紹介のされ方、キャラの立ち方、ストーリー中での捌かれ方が絶妙で、誰が誰だか分からなくなるというのがほとんどなかったこと。これはもちろん、アンジャリ・メーノーンの采配だけでなく、子役から最長老に至るまでの演技者たちの高い演技力にも負っている。こんな渋い演技をする俳優たちが世界の片隅で広く知られることもなく埋もれている、という不当感を久しぶりに抱いた作品でもあった。

個人的には、2013年に没したティラカン翁にトップクレジットを贈りたい。限られたシーンのみの出演、翁にとってはなんでもない芝居だったことは想像できるが、ただもう素晴らしかった。晩年のオフスクリーンでの翁は、色々と揉め事が多く、アグレッシブに吼える痛ましい姿には不可解な面も多かったが、できれば本作でのイメージを翁の最後の姿(もちろんこれは遺作ではないのだが)として心に留めておきたいものだと思ったのだ。

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投稿者 Periplo : 00:27 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2014年01月13日

1月のJ-テルグ:その1

よっ、昨日あれからちゃんと帰れたか~?みたいなさりげなさだが、実はソロ出演としては二年ぶりの新作じゃ(去年は SVSC があったけど)。1月10日に封切られた本作は、サイコ・スリラーというふれ込み。

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1-Nenokkadine (Telugu - 2014) Dir. Sukumar

原題:1- నేనొక్కడినే
タイトルの意味:I am alone
タイトルのゆれ:1, Nenokkadine, One-Nenokkadine, 1..Nenokkadine, etc. ロゴに現れるタイトルは「1」がメインで、これにふりがなとして「ネーノッカディネー」が付加されているようだ。

Cast:Mahesh Babu, Kriti Sanon, Nassar, Anu Hasan, Sayaji Shinde, Pradeep Rawat, Kelly Dorji, Vikram Singh, Posani Krishna Murali, Srinivasa Reddy, Anand, Surya, Gautham Krishna, Naveen Polisetty, Sophie Choudry, etc.

■日時:2014年1月18日、午後6:00開映(9:00頃終映予定)
■料金:大人2600円(予約2400円)、5歳以上12歳以下の子供1400円(予約1200円)、5歳以下の子供は無料(座席なし)
■字幕:なし(の予定)
■上映時間:ネット情報では約169分
■会場:千葉県市川市、イオンシネマ市川妙典(こちら参照)9番劇場
※当日券の購入および前売り代金の支払いは、イオンシネマ3Fの共通チケットブースではなく、5Fの9番劇場入り口にて。受付開始は17:30ごろから。着席は17:45から可能。上映は18:00きっかりにスタートする。インターミッション休憩なしの連続上映となる。
※家族チケットなど上映に関しての詳細は、主催者公式サイトhttp://www.indoeiga.com/を参照のこと。
※本上映入場者はイオン市川妙典の駐車場が3時間まで無料で利用できる。
※今回はインド・スナックのケータリングはなし。イオンシネマの売店でドリンク、スナックの購入が可能。

■映画公式サイト(FB):https://www.facebook.com/1Nenokkadine
■公式トレーラー:http://youtu.be/Gi2ukWXMMAA
■ソング全曲ジュークボックス:http://youtu.be/HJ3rF7PW7HA
■参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2014/01/1-nenokkadine-telugu-2014.html

メールによる事前予約をお勧めします。
メールのタイトルは「1-Nenokkadine ticket booking」などとし、
1. Name:申し込み代表者のお名前をローマ字でここに記入
2. Number of tickets / adults:大人の人数を算用数字でここに記入
3. Number of tickets / children:子供の人数を算用数字でここに記入
以上の必要項目を埋めてmovieinfoアットindoeiga.com(アットを@に変える)までメールして下さい。支払いは当日劇場受付で。残席がある場合予約は上映前日まで可能、上映前に確約の折り返しメールが届くはずです。

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【分かっている粗筋】
イギリス生まれで現在はインドで活躍するロックスターのガウタム(Mahesh Babu)は、孤児として育ち、その私生活は孤独だった。彼には幼少時の記憶があまりないのだが、両親が3人の男たち(Nassar, Pradeep Rawat, Kelly Dorji)に殺される映像だけが脳裏に刻み込まれており、それは成人した今も悪夢となって日々彼を苦しめていた。あるコンサートの最中に、彼は3人のうちの1人を目撃し、その男を追跡して殺す。復讐を遂げて警察に自首したガウタムだったが、その殺人は彼以外の誰にも認識されておらず、彼は現実と願望の区別が付かない精神疾患と診断される。混乱した彼は執拗なマスコミをかわすために一人でゴアに逃れる。ドキュメンタリーを撮るためにガウタムに接近していたTVリポーターのサミーラ(Kriti Sanon)は、彼を励まし、その疾患の原因とじっくり向き合うために今いる場所を離れることを勧める。二人は連れだってゴアにやってくるが、その情報をつかみ、特ダネをものにしようと彼を追い回す。そこで待っていたのはサミーラを攻撃する謎の男たちだった。(粗筋了)

【見どころなどの予想】
「マヘーシュ」の一言で終わらせたい気持ちをぐっとこらえて、トリヴィアっぽいことをちらほら書いておく。

ヒロインのクリティ・サーナン(テルグ語スクリプトから判断した読み)はデリー出身のモデル、本作がデビューとなる。当初はおなじみのカージャル・アガルワールがヒロインと決まっていたが、色々あって降版、オーディションによってクリティが選ばれた。今のところそれ以上の情報はなく、「モデルさんみたいですね」としか言いようがない。他に女優では、UKエイジアンのシンガーでボリウッド映画にも何本か出演しているソフィー・チャウダリーがアイテム・ダンスを披露するようだ。

その他のキャストでは、懐かしの『インディラ』でヒロインだったアヌ・ハーサン(カマル・ハーサンの姪で、シュルティ・ハーサンやスハーシニとはイトコにあたる)が久々に登場。ケリー・ドルジー、サヤージ・シンデー、ナーサル、プラディープ・ラーワトといった出ずっぱり悪役軍団(幾人かは Baadshah のときにプロフィールを紹介している)も。通な人向けには、マニ・ラトナムの Thiruda Thiruda (Tamil - 1993) などに出演してそれなりに評価されながらもなぜか芽が出ず、気がついたらマラヤーラム映画の悪役俳優になっていた(こちら参照、尤もTVで活躍してるらしいけど)アーナンドが顔を見せるというのが珍しいかも。コメディー・シーンがないということで封切り前に話題となった本作だが、コメディー的な役割のいくばくかを担うのは、異貌の人ポーサーニ・クリシュナ・ムラリであるようだ。また、マヘーシュの長男ガウタム・クリシュナが主人公の少年時代の役でデビューする。それでいきなりこれだ。家業であるスターの世襲に向けての準備はもう始まっているのだ。

そういや、マヘーシュに関しては、最近流行のシックス・パック開陳予測報道なんてのもあったっけ。ボリウッドとは対照的に、テルグ(というかサウス)では、数人の脱ぎ専キャラを除くと男優は「脚本に必然性がない限り」むやみと肌を晒さないし、筋肉信仰も比較的弱い。監督をはじめとしたスタッフが、嫌がるマヘーシュを説得して脱ぎのシーンを実現させようとした、ってんだけど本当かね。そっち方面の興味がある人は注目だ。

監督のスクマールは本作で5作目の、新感覚派と見なされている才人。これまでは一貫して若手俳優を使い、低予算でひねりの利いたラブコメを中心に撮ってきた。今回は、大スター・マヘーシュを使い(正確にはマヘーシュに起用され、だが)、2カ月のロンドン滞在を含む海外ロケを行うなど、これまでとはケタ違いの大作に挑む。こちらに最新インタビューあり。

撮影のRラトナヴェールはタミル・テルグを中心に活躍する中堅。これまで手がけた中での代表作は何と言っても『ロボット(Enthiran)』。

音楽はDSPことデーヴィ・シュリー・プラサード先生。上にリンクしたジュークボックスには♪O Sayonara Sayonara なんてのもあって興味を惹かれるが…なんというか、ロックスターの映画の割には、ちょっとその、ダサくないですかい?………まあその、映画音楽ってのは映像と合体したときに初めて評価されるもんだとは思うので、振り付け担当のプレーム・ラクシト先生のお手並みに期待したいところ。

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ロックしてる格好いいスチルも沢山あるけれど、やっぱこういう絵が一番嬉しいなあ。

【特別付録:スクマール全作品ディスコグラフィー】
蛇足っぽいが、凝った作風で知られるスクマールの過去作品についても簡単に紹介しておく。

cvArya.jpgArya (Telugu -2004)

Cast:Allu Arjun, Anuradha Mehta、Siva Balaji, Rajan P Dev, Subbaraju, Sunil, Venu Madhav, Devi Charan, Vidya, Babloo, Abhinayasri, J V Ramana Murthi, Sudha, etc.

原題:ఆర్య
タイトルの意味:主人公の名前

DVDの版元:KAD, Aditya
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間30分
DVD 入手先:Bhavani DVD など。TouTube上に全編動画(字幕なし)もあり。

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2013/04/arya-telugu-2004.html

■ デビュー作品。学園を舞台に、アーリヤ(Allu Arjun)、ギータ(Anuradha Mehta)、アジャイ(Siva Balaji)という3人の若者の間での三角関係を描いたロマンス。ほとんど脈がなさそうなヒロインに屁理屈と頓智をまくし立ててアタックを続ける主人公が、いわゆる「不思議ちゃん」キャラで、どうやって結末にもってくのかとハラハラしながらストーリーを追うことになる。少女マンガみたいな展開に唖然とする異色作。観客を選ぶタイプの作品と思えるのだが、ヒットしたという。ヒンディー語とマラヤーラム語の吹き替え版が作られ、ベンガル語、オリヤー語、タミル語のリメイクが生まれた(こちら参照)。

cvJagadam.jpgJagadam (Telugu - 2007)

Cast:Ram, Isha Sahni, Pradeep Rawat, Prakash Raj, A S Ravikumar Chowdary, Satya Prakash, Raghu Babu, Thanikella Bharani, Telangana Shakuntala, Venu Madhav, etc.

原題:జగడం
タイトルの意味:War

DVDの版元:Shalimar, Tolly 2 Holly など
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間42分
DVD 入手先:Bhavani DVD など。TouTube上に全編動画(字幕なし)もあり。

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2013/12/jagadam-telugu-2007.html

■ ここに挙げた中では最高傑作であると当網站筆者は考える。幼少時から暴力の格好良さにあこがれていた若者が道を踏み外し、大きな代償と引き換えに最後に過ちを悟る、という大変に教訓的で、しかも陳腐なストーリーライン。しかし、語り口が大変にフレッシュで、テンポもよく、ブラックなユーモアもある。特に、ヤクザのボスが、暗黒街映画で語られるようなスタイリッシュな奴でもなく、時に間抜けで、時に臆病ですらある、というリアリスティックな描写には訴えるものが大きかった。

cvArya2.jpgArya 2 (Telugu - 2009)

Cast:Allu Arjun, Kajal Agarwal, Navdeep, Shraddha Das, Brahmanandam, Mukesh Rishi, Srinivasa Reddy, Sayaji Shinde, Ajay, Duvvasi Mohan, etc.

原題:ఆర్య 2

DVDの版元:Volga
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間42分
DVD 入手先:Bhavani DVD など。TouTube上に全編動画(字幕なし)もあり。

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2013/04/arya-2-telugu-2009.html

■IT企業を舞台に、アーリヤ(Allu Arjun)、ギータ(Kajal Agarwal)、アジャイ(Navdeep)という3人の若者の間での三角関係を描いたロマンス。Arya との繋がりはまったくないが、登場人物の役名とともに、主人公が「不思議ちゃん」というのが共通している。前作よりも面白くなっているのは、後半部にラーヤラシーマ・ファクション映画のパロディを持ってきたところ。これはかなり笑える。相変わらず無理の多い展開なのだが、これのおかげで満足度はかなり高いものとなっている。


cv100percent.jpg100% Love (Telugu - 2011)

Cast:Naga Chaitanya, Tamannah, K R Vijaya, Vijayakumar, M S Narayana, Chitram Seenu, Dharmavarapu Subramanyam, Tara Alisha, Nandhu, Naresh, Satyam Rajesh, Tagubothu Ramesh, Meghna Naidu, Maryam Zakaria, etc.

原題:100% లవ్

DVDの版元:Aditya
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間20分
DVD 入手先:Bhavani DVD など。TouTube上に全編動画(字幕なし)もあり。

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2013/12/100-love-telugu-2011.html

■これもまた、少女マンガ路線大爆発の一作。学校の試験での点の取り合いという、インドの学園ものならではのエゲツない競争を通じて近づいていくヒーローとヒロインのやりとりが前半を占め、後半になって社会に出た後も持ち物や職業の格で優劣を競うという殺伐とした描写が結構刺激的。最後は DDLJ に絡めた洒落みたいなものでまとめる。同名のベンガル語リメイクがある。

投稿者 Periplo : 13:37 : カテゴリー バブルねたtelugu so many cups of chai
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2013年10月14日

10月のJ-テルグ:その2

ファンのためだけの映画?上等じゃねーか(のっしのっし)
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J-テルグ復活祭第二弾はNTRジュニア出演作。これでジュニアをやるのも4本目だよ。前作 Gabbar Singh がテルグ映画史上No.1とも言われる大ヒットを記録したハリーシュ・シャンカル監督の第4作目。現地アーンドラ・プラデーシュでも、まだヒットが続いている先日の Attarintiki Daredi と並ぶダサラ祭シーズン映画の目玉とみなされ、ベンガル湾上に超大型サイクロンが迫る中11日に公開された。復活記念のご祝儀も混じってんじゃないかと疑うほどに絶賛の嵐だった AD とは対照的に、批評家によるレビューには辛さが目立ったが、台風・クリティックなんぼのもんじゃい!という勢いで順調に売り上げを伸ばしているようだ。

Ramayya Vasthavayya (Telugu - 2013) Dir. Harish Shankar
原題:రామయ్యా వస్తావయ్యా
タイトルの意味:Rama (hero/God), (when) will you come ?
解釈についてはこちらも参照。このタイトルがあって、あおり文句の 'He is coming...' があるわけだ。なお本作は今年6月に公開された Ramaiya Vastavaiya (Hindi - 2013) Dir. Prabhu Deva とは無関係、同作はこれのリメイク。
タイトルのゆれ:Ramayya Vastavayya, RV

Cast:NTR Jr, Samantha Ruth Prabhu, Shruthi Haasan, P Ravi Shankar, Mukesh Rishi, Rao Ramesh, Paruchuri Prasad, Hamsa Nandhini, Kota Srinivasa Rao, Vidyullekha Ramana, Rohini Hattangadi, Ajay, Tanikella Bharani, Nagineedu, Praveen, Pragathi, Saranya Ponvannan

■日時:2013年10月19日、午後2:15開映(5:00頃終映予定)
■料金:大人1990円(予約1800円)、5歳以上12歳以下の子供1200円(予約1000円)、5歳以下の子供は無料(座席なし)
■字幕:なし(の予定)
■上映時間:ネット情報によれば約167分
■会場:埼玉県川口市、SKIPシティ、彩の国ビジュアルプラザ http://www.skipcity.jp/access/
※家族チケット・予約方法など上映に関しての詳細は、主催者公式サイトhttp://www.indoeiga.com/を参照のこと
■参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2013/10/ramayya-vasthavayya-telugu-2013.html

メールによる事前予約をお勧めします。
メールのタイトルは「RV ticket booking」などとし、
1. Name:申し込み代表者のお名前をローマ字でここに記入
2. Number of tickets / adults:大人の人数を算用数字でここに記入
3. Number of tickets / children:子供の人数を算用数字でここに記入
以上の必要項目を埋めてmovieinfoアットindoeiga.com(アットを@に変える)までメールして下さい。支払いは当日劇場受付で。残席がある場合予約は上映前日まで可能、上映前に確約の折り返しメールが届くはずです。

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■前半部分のあらすじ
ナンドゥ(NTR Jr)はハイダラーバードに暮らすお気楽な大学生。一目惚れしたアーカルシャ(Samantha)にあの手この手でアタックし、ついに相思相愛の仲になる。アーカルシャが姉の結婚式に出席するのに付き添って、ナンドゥはカルナータカ州クールグに赴く。その地に住むアーカルシャの父で裕福な実業家、ナーガ・ブーシャナム(Mukesh Rishi)はしばらく前から不審者(Ajay)による襲撃を受けて命の危険にさらされていた。カップルがクールグに到着し、結婚式が無事終了したところで、ナンドゥは思いもよらない行動を始め、ナンドゥとナーガ・ブーシャナムとの間の秘められた因縁がフラッシュバックによって明らかになる。

■主要登場人物
NTR Jr:ナンドゥ、ハイダラーバードの大学生
Mukesh Rishi:ナーガ・ブーシャナム、クールグに住む実業家
Samantha:アーカルシャ、ナーガ・ブーシャナムの次女
Shruthi Haasan:アンムル、アディティヤプラム村の人権活動家
Rohini Hattangadi:ベイビー・シャーミリ、アーカルシャの付き添いの老婦人
Kota Shrinivasa Rao:ウマーパティ、腐敗した大臣
P Ravi Shankar:ビクシャパティ、ウマーパティの息子で同じく政治家
Rao Ramesh:CBI捜査官
Nagineedu:ナンドゥの祖父
Tanikella Bharani:アンムルの父

■見どころなどの予想を箇条書きで
まず、大いなる不安点。テルグの大作映画にはつきものの、慣れ親しんだコメディアン軍団の名前が見当たらないこと。一応コメディエンヌとされているヴィディユレーカーさんの名前が見られるが、彼女だけで2時間50分近い娯楽作品を転がせるとは思えない。MSナーラーヤナの出番は極めて限られたものだという。隠し玉が潜伏しているのだろうか。

批評家からの評判が悪いと上に書いたが、要はありふれた復讐ものの陳腐な筋立てで新味がなく、過剰な暴力がうんざりさせる、というのが批判の最大公約数。RはリヴェンジのR、VはヴァイオレンスのVってことだね。近年の作品では特に Rebel (Telugu - 2012)、Nayak (Telugu - 2012)、Mirchi (Telugu - 2013)、それからジュニア自身の主演作 Simhadri (Telugu - 2003)、Narasimhudu (Telugu - 2005)、Dammu (Telugu - 2012) なんてあたりと同パターンじゃんかと言われている。逆に言うとこの辺のものを見てれば RV も字幕なしでらーくらく、ってのはさすがに無理か…。

しかしジュニアのダンスはなかなかイイ!らしい。音楽はおなじみのタマン君、そして振り付けに関しては、この記事を信用するならば、全5曲を5人のコリオグラファーが手がけていることになる。この中のショービ・マスターというのは、こないだ Theeya Velai Seiyyanum Kumaru の富山ロケで来日したのと多分同一人物だね。

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Bhookailas (Telugu - 1958) より、左からNTR(ラーヴァナ) 、ANR(ナーラダ仙)、SVR(マヤースラ)

ガダ(鎚矛)が気になる。トップに掲げたポスターでジュニアが担いでいるのがそれ。サンスクリット語起源でテルグ語でもガダと呼ばれるこの武器は、歴史的にはインド以外の地域にもあったし、現代インドでも伝統武術の一ジャンルとしてガダによる武闘は行われている。ただし、この金メッキの極めて装飾的なガダを見れば、どうしたってジュニアの爺ちゃんのNTRの神話映画を思い浮かべるわな。ヒンドゥー神話のイコノロジーの中で、このガダを担ぐキャラクターには決まりがあるらしい。簡単に言うと、神様であれ魔王であれ、武闘派キャラの持物なのだ。マハーバーラタに登場する中で代表的なのがパーンダヴァ5兄弟のひとりビーマと敵方のドゥリヨーダナ、ラーマーヤナだとラーヴァナとハヌマーン、それからヤマ大王やマハーバリなどもガダを持って描かれることが多い。クリシュナ神を当たり役としたNTRシニアだが、実はラーヴァナやドゥルヨーダナといった悪役キャラも好んで演じており名作もいくつかある。近年特に爺ちゃんへのオマージュを作中にこめることが増えてきたジュニアだが、おそらくはこのガダもNTRシニアへの言及と共に現れるのではないかと思われる。そして本作のオーディオお披露目でもこんな演出がされていたことを考えると、これは単なるお飾りじゃなさそうだ。ジュニアがガダを使ってどんな暴れ方をしてくれるのか、ちょっと楽しみだ。

豪華二大ヒロイン。先日も予告したけど、Attarintiki Daredi に続いてハエの恋人、『マッキー』のヒロイン、サマンタの登場、手の切れるような最新作じゃ!マッキーと合わせて10月はサマンタの3連発、まあ本作はジュニアの一人芝居という評もあるけれど、サマちゃんがこんな風に踊るところを大画面で拝むのはファンには堪らんもんじゃろうて。セカンドヒロインはシュルティ・ハーサン。すでにJ-テルグでは Gabbar Singh でお目見え済み。なんていうかね、この娘はデビュー当初の登場の仕方があまりにも勿体つけた感じで、「宇宙スターの娘でございますのよ」「作曲とかもやりますのよ」「ボリもサウスもどっちもありですのよ」etc.で、ただのカワイ子ちゃん扱いしちゃいけないのかと勝手に思ってたんだけど、しかし虚心に Gabbar Singh を眺めてみれば、フツーのカワイ子ちゃんなのだった。なんだ、だったら早くそう言ってよってことで、これからはカワイ子ちゃん軍団の一人として楽しみにしようと思う。

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今回はおなじみの川口スキップシティに戻ってのゆったり上映、のんびり楽しめると思うよ。

投稿者 Periplo : 23:57 : カテゴリー バブルねたtelugu so many cups of chai
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2013年05月04日

PJ2012-20:Ozhimuri

「ナーイルの女は象のように歩め!」「象には象遣いが必要なのものだぜよ」
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Ozhimuri

Director:Madhupal
Cast:Lal, Asif Ali, Bhavana, Swetha Menon, Mallika, Kochu Preman, Jagadheesh, Sudhir Janardhanan, M R Gopakumar, Nandu Lal

原題:ഒഴിമുറി
タイトルの意味:Divorce document
タイトルのゆれ:Ozhimuri - Document of Separation

DVDの版元:Movie Channel
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間6分

ジャンル:アート
キーワード:penn malayalam, marumakkathayam(母系相続)、離縁、ティルヴァタンコード(トラヴァンコール)藩王国南部地方、州界再編

オフィシャルサイト: http://www.ozhimuri.com/
参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2013/01/ozhimuri-malayalam-2012.html

お勧め度:★★★★★

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【背景】 
タミルナードゥ州の最南端、カンニャークマーリ地方。そこは古くからトラヴァンコール藩王家の領地で、マラヤーラム語話者とタミル語話者が混住する地域だった。トラヴァンコール藩王国とその北のコーチン藩王国とはインド独立後の1949年に合併し、トラヴァンコール・コーチン州となり、両王家の人々は政治的権力を放棄した。1956年に、言語州再編の動きの中でトラヴァンコール・コーチン州はさらにその北のマドラス州マラバール地方と一体化し、ケララ州が成立する。それと同時に、最南端のカンニャークマーリ地方は、タミル語話者による政治運動の結果として、ケララ州から切り離されマドラス州(タミルナードゥ州の旧名)に組み込まれることとなった。

他のケララの地域と同じく、ここでも母系制をとるナーイル・カーストが社会階層の上部を占めていた。しかし、藩王国時代の1912年に Travancore Nair Act が成立し、ナーイルの財産相続も、母から娘への女系相続から、全ての子供へのへの均等相続になるべく制度が改められた。とはいえ法改正はこれまでの慣習を即座に変えるものではなく、その受け入れは各家庭によってバラツキがあった。それもあり、トラヴァンコール地方では(特に不動産)相続を巡る親族間での民事訴訟が異様なほどに多く、また係争が世代を跨いで続けられていることも珍しくないという。

ナーイルの母系相続と大家族制度は、これまでにも多くの研究者を惹き付けてきた。ひとつのカーストの慣習というレベルを超えてケララ州全体の際立った特徴として取り上げられることもしばしばある。筆者は長らくこれが不思議で、日本のナーイル研究の第一人者に尋ねてみたことがあるのだが、答えは極めてシンプルなものだった。ナーイルが財をほぼ独占していたから、その相続制度は社会全体にとっての関心事となった。その他のカーストには相続すべき財もほとんどなかったので、男系も女系もたいした意味を持たなかったのだと。ペン・マラヤーラム(Penn Malayalam、女の国ケララ)という言葉が劇中にも登場するが、この言い回しは上に書いたようなことごとを一言で指し示すものであるようだ。

【ネタバレ度50%の粗筋】
どこにもハッキリとは書かれていないが、本作の年代設定は2000年代初め頃と思われる。タミルナードゥ州カンニャークマーリ地方のナーイル旧家の当主ターヌピッライ(Lal)は71歳にして妻から離婚裁判を起こされるという事態に直面していた。妻のミーナークシ(Mallika)は55歳、一人息子で教師をしているシャラト(Asif Ali)はミーナークシの側に寄り添っている。ターヌピッライの弁護士となったバーラーマニ(Bhavana)は、保守的なタミル・バラモン家庭に育ちながらも法曹の道に進んだ進歩的な女性である。彼女は、老境に入ってからの離婚裁判は当事者の誰にも益にならないと考え、法廷外での和解に持ち込もうとしてまずシャラトに近づき、彼の両親の事情を聞き出そうとする。ターヌピッライの母カーリピッライ(Swetha Menon)は名家の家長で、旧時代のナーイルの領主の傲岸さの典型のような人物だった。彼女は貧しいレスラーのシヴァンピッライ(Lal)を夫として、ターヌピッライを生むが、彼以外に子供を持たなかったことで後に運命から仕返しを受けることになる。シヴァンピッライに飽きたカーリピッライは、定められた作法に則り、易々と、かつ一方的に彼を離縁する。離縁された父の絶望と惨めな最期を幼少時に目撃したターヌピッライは、母を憎み、母系制度を憎んでいたため、同じナーイルでもすでに父系相続に切り替えていた家庭の娘であるミーナークシを娶る。彼は、妻子に暴力を振るうことも辞さない専横な家父長としての家庭生活を送る一方、家格にふさわしい公職として得たトラヴァンコール文書局役人の地位は藩王家の解体によって名目だけの閑職となり、しかしそんなことは歯牙にもかけず完璧なナーイルの紳士としての社交生活を営むという、多面的な性格の持ち主であった。シャラトは、幼少時から家庭での父の暴力に反発し心を許すことがなかったが、バーラーマニに促されて父母の間に起こった過去の出来事を掘り起こして行くうちに、思いもよらなかった隠された事情や父の心情を知ることになる。

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【寸評】
いや、この連載20回目にして2012年最高傑作と思われるものを紹介してしまったら、この後を続ける気力が保てるだろうか。2時間ちょっとしかないにも拘らず、途中何度も停止しながら観た。退屈だからではなく、一気に観てしまうのが勿体なく感じられたからだ。デビュー作 Thalappavu (Malayalam - 2008) で唸らされたマドゥパール監督の4年ぶりの第二作。普段はなかなか目が行かないのだが、本作では原作・脚本担当にも刮目させられた。タミルナードゥ州最南部ナーガルコーイルの出身の、タミル・マラヤーラムのバイリンガル作家&脚本家&評論家であるジャヤモーハンだ。といっても最初は誰だか見当がつかなかったのだが、Naan Kadavul (Tamil - 2009) Dir. Bala、Angaadi Theru (Tamil - 2010) Dir. Vasanthabalan、Kadal (Tamil - 2013) Dir. Mani Ratnam の原作・脚本家として関わっている人と知ってかなり驚いた。特に Angaadi Theru は濃密に情念的なタミル固有の世界が展開されており、同じ人物が全く雰囲気の異なるマラヤーラム芸術映画にたずさわるとはとても思えなかったからだ。多言語のインドならではのバックグラウンドを持つ異才の人というのはいるものなんだ。

賞を獲ってなんぼである芸術映画、劇場で本作を観たそう多くはない観客の絶賛を浴びながらも、2012年ケララ州映画最優秀作品賞レースでは次点どまり、他にBGMと衣装部門での受賞のみに終わった。2013年1月に発表された第60回国家映画賞で、主演のラールに対するスペシャル・メンションが与えられたのが最高の評価となった。

結婚制度が重要なモチーフだが、社会派女性映画ではない。3世代が描かれるが歴史映画ではない。男女の愛や家族の絆をテーマにした詩的で心理小説的なスケッチとでもいったらいいのか。芸術映画に付きものの図式的な象徴性は少なく、生の人間のドラマが鮮やか。上では背景となる歴史的な流れを書いたりしたが、もちろん本作はこうした史実の絵解き解説ではない。父と息子、母と息子、姑と嫁、夫と妻といった関係性の中での、内に秘められ、時に噴出する強い感情的な紐帯をきめ細やかに描く。同時にトラヴァンコール南部地方の特殊な風土、社会変動の過渡期におけるナーイルの精神史も活写される。そこには失われた旧時代へのノスタルジーはもちろんあるが、同時に過去の愚かしさから学び、より良い関係性を築こうとする希望もあり、単なる懐古趣味では終わっていない。レスラーだった父シヴァンピッライと息子のターヌピッライの中年期から老年期までを一人で演じ切ったラールは賞賛に値する。この人に対してはどうしてもコメディー映画の監督としてのイメージが先行してしまっているが、考えてみれば俳優デビューの Kaliyattam (Malayalam - 1997) Dir. Jayaraj から数えれば15年もの演技のキャリアを持っている訳だ。マドゥパール監督との Thalappavu でもそうだったけど、もう、空恐ろしくなるくらいの巧みな演じ手である。が、一方でMoMa2大巨頭のようなカリスマ明星になることは絶対にないというのも分かる。しかしそんなことは当網站筆者にとってはニの次。本作の何が凄いって、やっぱシュウェちゃんことシュウェータ・メーノーンさんのド迫力の女お館様ぶり。出演時間はかなり限られているにも拘らず圧倒された!時代が変わりつつあることを絶対に認めない旧時代の封建領主の頑迷、人に頭を下げることなど考えたことすらない傲岸、微かに顔を覗かせる好色、富と自信に裏打ちされたディレッタントぶり、そして最後に陥ることになる孤独地獄、これら全てが短い出番の中で心憎いほどに見事な一幅の絵となって迫ってくるのだ。2012年に出産という大きな転機を迎えたシュウェちゃんだが、俳優人生の中での本作の占める位置はかなり大きいものとなったのではないかと思われる。シュウェちゃんのためだけに本作を観ても絶対に損はないと保証したい。

そうは言ってもバーヴァナちゃんのレース使いの法服も萌えどころとして高ポイント♥
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投稿者 Periplo : 23:30 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2013年04月29日

PJ2012-18:Trivandrum Lodge

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Trivandrum Lodge

Director:V K Prakash
Cast:Jayasurya, Honey Rose (Dhwani), Anoop Menon, Master Dhananjay, Baby Nayanthara, Thesni Khan, P Balachandran, Saiju Kurup, Janardhanan, Sukumari, P Jayachandran, Bhavana, Babu Namboothiri, Devi Ajith, Arun, Kochu Preman, Krishnaprabha, Nandu, Nikhil, Ponnamma Babu, Indrans, V K Prakash

原題:ട്രിവാന്‍ഡ്രം ലോഡ്ജ്

DVDの版元:Movie Channel
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約1時間59分

ジャンル:人間ドラマ
キーワード:ニューウェーブ、愛、セックス、フォート・コーチン、マッタンチェーリ、貧乏下宿、ドクターフィッシュ

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2013/01/trivandrum-lodge-malayalam-2012.html

お勧め度:★★★★★

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【寸評】
フォート・コーチンにある古色蒼然たる洋館トリヴァンドラム・ロッジ。そこには、年老いた音楽家、得体の知れない自称映画ジャーナリスト、非熟練労働者として職を転々とする若者など、様々な背景を持つ変わり者たちが入居し、どんよりと垂れ込めた日々を過ごしていた。そこに一人の若い女性が転居してくる、彼女はインテリで上層階級に属しているが、最近離婚したばかりで気分転換を求めていた。そしてこの貧乏下宿に蠢く男たちを観察して小説を書こうとしている。

本作を見た観客の反応は大雑把に言って3パターン。退屈で寝ちゃうか、大いに惹きつけられるか、猥雑表現(そのほとんどは映像ではなく台詞によるものだが)に激怒するかだ。筆者は最初の3分の1程は大欠伸の連続だったが、女性たちが賑やかになってくる中盤から引きこまれ、2時間もせずに終わった時にはこの黴臭くジメジメした貧乏下宿から立ち去り難く思われて悲しくなった。一般的には最後のパターン、怒っちゃった人が多数派だったらしい。その怒りの声をあれこれ読み漁るのもまた楽しい。一方で絶賛する観客は本作の「大胆さ」を言い立てているが、ダブルミーニングの猥語を連発した程度の「大胆さ」で感激しすぎるのもガイジン観客としてはどうかと思う。

ストーリーらしいストーリーもない本作の魅力は、俳優たちの高い芝居力と、卓越した美術・カメラワークによって醸し出される「気怠い心地よさ」と「いがらっぽさ」。実際、ジャヤスーリヤの芝居に感銘する日が来るとは思っていなかった。他にもサイジュ・クルップ、アルンなど「かつてのヒーロー候補生」たちが味のある存在感を見せてくれる。女優達は特別出演に近いバーヴァナを除いては、特に美人はいない。しかし、にもかかわらず不敵なほどにエッチで魅力的だ。主演のハニー・ローズの色事師ぶりはカッコイイ。

VKプラカーシュという人は、ご多分に漏れずパドマラージャンの大ファンであるようで、前作 Beautiful (Malayalam - 2011) でも Thoovanathumbikal (Malayalam - 1987) へのオマージュが捧げられていた。本作での Thoovanathumbikal への言及はオマージュを超えた、かなり下品なパロディになっていて、それがまた否定派の逆鱗に触れたのではないかと想像される。もちろん、一番イケなかったのは、女の方から男にお誘いをかけるところだったんだろうけどね。

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上にも書いたように本作の舞台はフォート・コーチンであって、トリヴァンドラムではない、念のため。

投稿者 Periplo : 01:25 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2013年04月24日

PJ2012-13:Nidra

久しぶりにオリジナルを超えたリメイクを観た気がする。超えたというようりは、オリジナルの製作者が存命ならば、今日の技術でこんな風にセルフリメイクしたかったんじゃないか、とまで思わされた。

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Nidra

Director:Sidharth Bharathan
Cast:Sidharth Bharathan, Rima Kallingal, Jishnu, KPAC Lalitha, Thalaivasal Vijay, Vijay Menon, Sarayu, Guruvayoor Sivaji, Malavika, Rajeev Parameswaran, Ambika Mohan, Ajmal, Kavitha, Baby Maria Biju, Preethi

原題:നിദ്ര
タイトルの意味:Sleep
タイトルのゆれ:Nidhra

DVDの版元:AP International
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約1時間43分

ジャンル:人間ドラマ
キーワード:ニューウェーブ、過去の名作のリメイク、ネイチャー系引きこもり、Chalakudy

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/10/nidra-malayalam-2012.html

お勧め度:★★★★★

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【ネタバレ度50パーセントの粗筋】
ケララ中部の裕福な家庭の次男坊として生まれたラージュ(Sidharth Bharathan)は、宇宙科学研究者を目指していたが、内向的な性格から世間とうまく折り合えず、念願かなって赴いたドイツ留学も精神的な問題から完遂することができず、帰国後は定職にも就かず無為に過ごしていた。彼には兄と弟がいたが、特に世知に長けた常識人である兄のヴィシュワン(Jishnu)に対しては屈折した感情を抱いている。

彼は子供のころから恋心を抱いていたアシュワティ(Rima Kallingal)と再会し、二人は結婚を望むようになる。寡婦の母(KPAC Lalitha)と二人で慎ましい生活を営むアシュワティと資産家の息子ラージュとの恋愛は周囲の反対を引き起こしたが、結局恋人たちは結ばれる。

希望にあふれて婚家での新生活を始めたアシュワティだったが、時にバランスを崩しそうになる夫の精神状態を見て不安を覚えるようになる。幾つもの不運な出来事の連鎖によって、ラージュの症状は悪化の一途をたどる。アシュワティは自分たち夫婦が肉親からさえも見放されつつあることを悟る。

【寸評】
注目のカムバック新人シッダールト・バラタン(ここで紹介した)による監督&主演作。オリジナルはシッダールトの父であるバラタン監督による1981年の同名作品。2012年の本作は、クライマックスの数分以外はかなり忠実にオリジナルをなぞっている。

たとえばこんなところまで。
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ついでだが、オリジナルでの主役は、今や嫌な奴系脇役が定位置となったヴィジャイ・メーノーン(2012年リメイクでは精神科医の役で登場している)。そしてヒロインは以前にちょこっと紹介したこともあったシャーンティ・クリシュナさん。
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オリジナル版のシャーンティ・クリシュナは文句なしに素晴らしい。小鳥のように可憐でありながら芯の強さがあり、自分自身が不安に苛まれながらも、壊れてゆく夫をなんとか繋ぎ止めようとする健気な若妻。この役を、全くタイプの違うリマにキャスティングしたシッダールト監督の、そしてオファーを受けたリマの勇気は大したものだと思う。これまで悩ましいイメージが先行していたリマだが、ここで見せた絶望の深さと愛の強さを体現した芝居は、ひとつの転機を感じさせるものだった。演技者としてのシッダールトも、自分を見つめる他人の瞳に映る恐怖と憐憫に深く傷つく孤独な若者の姿をリアリティを持って描き出していた。

オリジナルとリメイク、どっちを先に見てもいいけど、ともかく見比べてみると、最後の数分の改変の部分に深い感銘を受けると思う。両方は見ていられないというのなら、やはりリメイクの方がお勧め。

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クライマックスに近づくにつれ凄みを増して行くサミール・ターヒルのカメラ。この人の監督デビュー作 Chaappa Kurish (Malayalam - 2011) Dir. Sameer Tahir を見た時は、有望な新人監督の登場だと思ったのだが、本作を見るとこのままカメラマンを続けたほうがマ映画のためにはプラスなんじゃないかとも思えた。

投稿者 Periplo : 02:49 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2013年03月29日

PJ2012-05:Arike

マラヤーラム映画界の二大「きれいなお姉さん」の競演。

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Arike

Director:Shyamaprasad
Cast:Dileep, Mamta Mohandas, Samvritha Sunil, Vineeth, Ajmal Ameer, Urmila Unni, Innocent, Madampu Kunjukuttan, Dinesh Panicker, Chithra Iyer, Sreenath Bhasi, Valsala Menon, Narayanan Nair, Prakash Bare

原題:അരികെ 
タイトルの意味:close by
タイトルのゆれ:Arike So Close

DVDの版元:Moser Baer
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約1時間57分

ジャンル:ロマンス
キーワード:ニューウェーブ、コーリコード、同時録音、ニューエイジ風バジャン、核家族、中産階級、親の反対する恋愛

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/10/arike-malayalam-2012.html

お勧め度:★★★★☆

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コーリコードの裕福なバラモン家庭の娘カルパナ(Samvritha Sunil)と言語学者のシャンタヌ(Dileep)は恋人同士。シャンタヌは非バラモンで孤児、講師としての稼ぎも良くないので、カルパナと結婚するには彼女の家族の反対が予想される。二人がこっそりデートするのを助けるアヌラーダ(Mamta Mohandas)はカルパナの親友で、愚痴やのろけの聞き役でもある。しかし彼女自身は過去のとある苦い体験のせいで恋愛というものを信じられなくなっている。そんな彼らに予想もしなかった感情的な転機が訪れ、三人の間のベクトルが大きく変わる。

Agnisakshi [邦題:誓いの炎] (Malayalam - 1999)、Akale [邦題:へだたり] (Malayalam - 2004) の2本が日本で映画祭公開されているシャーマプラサード監督の最新作。大変に文芸的・芸術的な作品群を送り出している同監督に対してはどうしても身構えてしまうが、本作は肩の凝らないロマンス。哲学的な深読みをすることも可能かもしれないが、監督自身はリシケーシュ・ムカルジーやバース・チャタルジーの作品のような、穏やかでロマンティックなものを目指したのだとインタビューで語っている。

その分、これまでのシャーマプラサード作品のファンからは期待に及ばずとの声もあったようだが、ストーリーのツボは非常に理解しやすく、なおかつ役者の持ち味が(意外性も含めて)とても効果的に使われていて楽しい。

全体のトーンは、エレガントなヨーロッパ映画のそれを思わせる。ヒーローとヒロインの間にはカーストの差があるが、これは最後に立ちはだかるハードルではない。典型ではない個としての人物の心理の綾によって物語は紡がれる。そして、通りすがりのオートの運転手までもが、メインの登場人物の会話を漏れ聞いて何かしら心に感じているものがあることが示されたりする(しかしこのエピソードは以降のナラティブには全く関わらず、ここで途切れる)。これは従来のインド映画では伏線としてでなければ存在することが許されない要素だったはずだ。もうひとつ、ヨーロッパ映画的に感じられたのは、カメラと人物との間のインティマシー。何がどう違うか言葉で指摘できないのがもどかしいが、本作の空気感は明らかに他のマラヤーラム映画のものとは異質だった。

なお、監督の強い意志により、本作の台詞はマラヤーラム映画としては珍しく、同時録音で撮られた(インタビューによれば録音技師はこの面で一歩先んじているボリウッドから招聘されたという)。メインの出演者のそれぞれが、この珍しい体験について語り、台詞を暗記するのが大変だったと述懐しているのは、何とも呑気で微笑ましい。

投稿者 Periplo : 00:21 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2013年03月25日

PJ2012-01:Ustad Hotel

人間の貪欲は止まるところを知らん。ただし食べ物だけは別なんじゃ。誰だって満腹になればそれ以上は望まんもんさ。

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Ustad Hotel

Director:Anwar Rasheed
Cast:Dulquer Salmaan, Nithya Menon, Thilakan, Siddique, Mamukoya, Manian Pillai Raju, Jayaprakash, Jinu Jose, Lena, Kunchan, Prem Prakash, Kalabhavan Saijohn, Jagan Reju, Jishnu, Praveena, Asif Ali

原題:ഉസ്താദ് HOTEL
タイトルの意味:Maestro’s Restaurant
タイトルのゆれ:Usthad Hotel, Ustaad Hotel

DVDの版元:Movie Channel
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間30分

ジャンル:青春
キーワード:ニューウェーブ、料理特訓、マーピラ、スレイマニ・チャーイ、パロータ、ビリヤーニー、コーリコード、マドゥライ、湾岸成金

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/10/ustad-hotel-malayalam-2012.html

お勧め度:★★★★★

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【寸評】
ビリヤーニーというのは面白い料理だ。中東から亜大陸、東南アジアにまで広がり、無数のバリエーションを展開しながらも、基本的に名前は変わらない(そこのところが、いわゆるカレー系料理とは違う)。どんな入り口からであれ、インドに縁をもつことになった人はどこかで必ずこの料理と出会い、自分にとってのナンバーワンを語らずにはいられなくなる。筆者にとってのオブセッションは何と言ってもトリシュール以北のケララで供されるマラバール・ビリヤーニーだ(運命の出会いは駅弁だった)。ベンガル地方で収穫されるカイマと呼ばれる小粒で丸っこい米を使うのが最大の特徴で(カイマの主要消費地はベンガルとマラバール地方だけということだ)、ふんわりした軽快な食感、なおかつジューシー、そして爽やか。

本作の読後感にもまさにそんなマラバール・ビリヤーニーを形容する語句をそのまま使えそうだ。実際、脚本を担当したアンジャリ・メーノーンによれば、ストーリーの最初のインスピレーションは Kerala Cafe (Malayalam - 2009) のコーリコードでの撮影中に地元レストランが仕出しした絶品ビリヤーニーだったという(こちら参照)。

ストーリーを煎じ詰めれば、料理人になることを目指す青年のありきたりな成長物語。拝金主義の否定、西欧崇拝への穏やかな批判、弱者救済のメッセージ、といったものが散りばめられながらも、伸びやかで屈託のない語りに引き込まれる。そしてティラカンやニティヤといった演技者、舞台設定、脚本などの全てが、メガスター・マンムーティの御曹司であるドゥルカルを引き立てるために注意深くセッティングされたと想像されるのに、最終的に仕上がった作品にスター崇拝のカルト臭が全く感じられないのが驚異だ。

ストーリーや俳優の魅力は確かに大きいが、さらに衝撃的だったのはカメラと音楽。プレイバック・シンガー上がりの作曲家ゴーピ・スンダルによるソング&BGMは椰子國離れしたエッジの立った格好良さ。タイトルロールでウスタード・ホテルの看板が未明の海岸に現れるシーンの映像と音、主人公がマドゥライに出かけて行くシーンでフォークギターにナーダスワラムがかぶさるところには珍しく鳥肌が立ったものだった。

また、筆者がが意識して追っているマーピラ映画というジャンルの中でも特筆すべきものと思われる。スタッフにムスリムが多く名前を連ねているにも拘らず、あえてエキゾ風味な要素(カッワーリー、駱駝、旋回舞踊etc.といった本来のケララ・ムスリムの世界にはないもの)をあっけらかんと押し出すフュージョン感覚が印象的。この先のマーピラ映画にも大きな影響を与えるのではないかと想像される。

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親爺と息子のポスター、そろい踏み(2012年7月、コーチンにて)。

投稿者 Periplo : 00:21 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2012年10月21日

レビュー:Kathavarayan

コスプレもコスプレ、部族民ルックだ! でも多分、実際の山岳部族の風俗とはほとんど関係ないファンタジーの産物だと思うけど。

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しばらく前にあげたポストでシヴァージ・ガネーシャンの神話映画の目録を作ろうとした時に、唯一本作だけが神話ものなのかどうかはっきりせずに残った。ディスクは持ってなかったので判断のためにYTで見たソングシーン ♬Niraiverumo Ennam には魅了された。また繋がって出てきた同作のテルグ同時リメイク Karthavarayani Kadha (Telugu - 1958) Dir. Ramanna の ♬Mooge Cheekati は、同じ監督による明らかに同じシーンなのに、そのとんでもない違いっぷりに驚いた。タミル版の方はその後やっとDVDを入手して全編鑑賞。当初の懸案だったジャンルの仕分けとしてはフォークロアかなと思うのだが、かなり異色の作例である。

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Kathavarayan (Tamill - 1958) Dir. T R Ramanna

原題:காத்தவராயன்
タイトルのゆれ:Kaathavarayan
タイトルの意味:主人公の名前

Cast : Sivaji Ganesan, Savitri, Kannamba, T S Balaiah, J P Chandrababu, M N Rajam, K A Thangavelu, E V Saroja, Serukalathur Sama, O A K Thevar, E R Sahadevan, Mohana, Kamalamma, Joshi, Gopal, Gopikrishna, Kamala Laxman

DVDの版元:Pyramid(シングル盤DVDと2in1盤DVDがあり、本レビューは後者によっている)ほか
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約3時間4分
DVD 入手先CineMovies (Modern Cinema 盤、字幕不明)、Jollywood (Pyramid の2in1盤)、TamilMovieUSA (Pyramid のシングル盤)ほか

関連作品
Aryamala (Tamil - 1941) Dir. Bomman Irani は同じ伝説を扱った先行作品。かなりのヒットとなったという。
Karthavarayani Kadha (Telugu - 1958) Dir. T R Ramanna は本作とほぼ同時公開されたテルグ版。主演はNTR。ヒロインがサーヴィトリというのは変わらないが、その他の配役はカンナンバのパールヴァティ以外すべて差し替えられている。
Amar Prem (Hindi - 1960) Dir. T R Ramanna はあまりに手がかりが少なすぎるが、本作の吹替え版であるようだ。ただし主演のシヴァージとサーヴィトリ以外はやはりヒンディー語圏の俳優に差し替えて撮り下ろされた可能性がある。

参考レビュー集成http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/10/kathavarayan-tamil-1958.html

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【ネタバレ度100%の粗筋】
いつとも知れない遠い昔、カイラーサ山のシヴァ神の住処では、シヴァ(Gopikrishna)とパールヴァティ(Kamala Laxman)によるダンスの技比べが行われていた。戯れに始まったその踊りは徐々に真剣味を増し、両神は力の限り踊るが、神妃パールヴァティは途中で脱落してしまう。パールヴァティが腹立ち紛れに吐いた暴言をシヴァは聞き逃さず、妻に厳罰を科す。途中から母に加勢して父に歯向かった三男カータヴァラーヤンと共に人間界に堕ちて苦しみを味わうようにと命じた。

赤子となった三男とともに地上に降りたパールヴァティ(Kannamba)が途方に暮れていると、そこにコッリマライの山岳部族の首長の娘たちがやってくる。赤子の美しさに魅せられた娘たちは、子供に恵まれない自分たちに赤子を託してくれるなら大切に育ててコッリマライの王にしようと申し出る。パールヴァティはその申し出に応じて赤子を引き渡し、自分はカーマークシと名乗り、カンバの川辺にシヴァリンガを奉じて苦行三昧の生活を送ることとなった。

同じ頃、アーリヤプラム国の王室付き僧侶のもとに一人の娘が生まれた。待ち望んでやっと得た子供にバラモンは喜んだが、占星術師は、この娘が成長して異カーストの男に誘惑され汚されることになる、そして同じ頃に王国もまた傾くだろうと予言する。その予言の実現を回避するために、王はその娘マーラー(アーリヤマーラー)を引き取り王女として育てることにする。

月日は流れ、カータヴァラーヤン(Sivaji Ganesan)は美しく強健な若者に成長する。養父母は成人した彼に初めて実母の存在を知らせる。彼は見聞を広めるために出かける旅の最初にカンバの岸辺の母を訪ねる。カーマークシは彼に世間というものの残酷さを説き、また彼が知らずに授かっている恩寵について説明する。それは困難に遭った際に好きなものに変身できるという超能力だった。しかしその力を利己的な目的に使おうとした場合には、それは働かず以降は失われてしまうだろうとも。

旅を続けるカータヴァラーヤンはチェーラ国(ケララ)で、怪しげな呪術を使って人々から金品を巻き上げている三人組、チンナ(T S Balaiah)、妻のアーラーヴァティ(M N Rajam)、妻の弟のマンナリ(J P Chandrababu)に出会う。カータヴァラーヤンはその真摯な祈りによってチンナの呪術を打ち負かしたので、チンナたちは彼の僕となり、後に仲間となる。

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その後アーリヤプラム国に入ったカータヴァラーヤンは森の中でマーラー(Savitri)と出会い、二人はお互いに一目惚れする。カータヴァラーヤンはなんとかしてもう一度マーラーに会おうと王宮への侵入をあれこれと試み、ついに超能力を使い鸚鵡に姿を変えて王女の寝室に忍び込むことに成功する。二人は初めての逢瀬を楽しむが、異変に気づいた侍女達が騒ぎ出す。カータヴァラーヤンは再び鸚鵡に変じて逃げようとするが、なぜか変身の術が効かない。やむなく彼は兵士たちを相手に大立ち回りを演じて逃げのびる。

この事態に激怒した王は彼の首に懸賞金を掛け、またマーラーと将軍との婚礼の準備を進める。一方カータヴァラーヤンは、身分違いの恋は成就しないとのカーマークシの諌めにも耳を貸さず、マーラーを誘拐する覚悟を固めてヴィシュヌ神に祈る。宝石商に変装してマーラーに近づくが、正体を見破られて捕らえられる。王は彼に焼きごてによって目を潰す刑を申し渡す。それを止めようとマーラーは自らに刃をつきたてる。恋人が死んだと思い込んだカータヴァラーヤンは狂気に陥り、繋がれていた鎖を超人的な力で断ち切り、兵士を殺し、都を荒し回る。再び宮殿にやってきた彼は王に手をかけようとするが、母が割って入り息子を諭す。やっと鎮まったカータヴァラーヤンをすかさず兵士達が捕らえる。

カータヴァラーヤンは市中を引き回された後に、巨大なシヴァ神像のもとでカルマラムの刑(先端を尖らせた木片でできた「針の筵」の上を歩かせる)に処されようとしていた。息子を追って来たカーマークシは、刑のあまりの残酷さに打ちのめされ、王の前に跪いて助命嘆願するが、王は一蹴する。王の傲慢に憤激したカーマークシは、苦行によって得た力を息子に乗り移らせ、かつての諌めを忘れよ、アーリヤプラムを滅ぼし尽くせと命じる。カータヴァラーヤンは刑場であるシヴァ神殿を丸ごと破壊する。瀕死の重傷を負いながらも生きていたマーラーは這って神殿に辿り着き、恋人達は手をとりあって息絶える。瓦礫のなかを息子を探していたカーマークシはやっと二人の遺体を見つけるが、その瞬間にシヴァ神の許しがもたらされ、三人は揃って昇天する。(粗筋了)

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【くどくど寸評】

「苦しむために生まれてきた」。一言でいうならばこういう映画なのだ。これはひどく胸に突き刺さる。しかし同時に、とても一言では済まされない厚みを持った大娯楽作品でもある。

以前にフォークロア映画についての仰々しいエントリーをあげたのは、実にこの作品について書くための前フリだったのだ。それまでもテルグ映画を中心にフォークロアと呼べるものをそこそこ観てはいたのだが、正直なところ結構苦手なジャンルだった。有名作品 Patala Bhairavi (Telugu - 1951) Dir. K V Reddy なんかを観て特にそう思ったのだが、ともかく長くて退屈、ストーリーが幼稚、メリハリに欠けていて見終わったあとにカタルシスがない、などなど、かなり疲れる映画体験となることが多かったのだ。どんなに古色蒼然としたものでも神話・バクティ映画になら、心が震える感動的な瞬間があり、俳優の芝居力が発揮される見せ場がある。一方でフォークロアは、マニエリズムに支配され、次々と繰り出される怪異や驚異に有機的な繋がりがなくツギハギ感が漂う。神話・バクティ映画で神が信者に与える試練は超現実的でありながら説得力のあるものだが、フォークロアではヒーローがヒーローであるというだけで勝手に魔法の扉が開き、形ばかりの取ってつけたような試練しか描かれない(ちょうどオペラ『魔笛』の最終局面のように)、そんな印象が強かった。

しかし、本作を観て、さらに初期のMGRのフォークロア作品を多少観ることになってこれが揺るがされた。テルグのフォークロア映画がデモーニッシュなまでに能天気で、レビューショーのように次から次へとアトラクションが展開する割にはストーリーに起伏がなく単調であるのに対して、タミルのそれにはクッキリとドラヴィダ民族主義のイデオロギーが織り込まれているのだ。また、娯楽的な側面に目を転じても、本作の10曲のソングはどれをとってもヴィジュアルな衝撃に満ちているし(本当は一曲ごとに色々語りたいところだが、あまりに長くなりすぎるので割愛)、ソング以外でも、かなり本気でやってるレスリング、主人公を助ける象の活躍、魔術対決からカラガッタムになだれ込む大道芸っぷりなどなど、息もつかせない面白さ。どうも、少なくともこの時代に限って言えば、変化に富んだアトラクションを連打しながら大きなうねりをもってストーリーを語るという技術において、タミル映画人はテルグ人よりも巧みだったのではないかという印象を持った。

そして、現在では被抑圧階級となった山岳部族民の神話をとりこむという大胆さ。どんなにカラフルなソングシーンを織り交ぜようと、そしてラストに取ってつけたような昇天のエピソードを加えようと、やはりこれは恨みをもって死んでいった古代の異族の英雄への鎮魂の物語なのだ。この情念的な要素が実にタミルらしいものと思える。そしてこの、極限の悲惨をスクリーン上で追体験することによって観る者の心が洗われるというプロセスは、現代のタミル・ニューウェーブ作品群にも通じるものなのではないか。というより、タミル・ニューウェーブがこういった過去の伝統をきっちりと受け継いでいると言った方がいいのかもしれない。

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以下には、本作に現れる様々なモチーフのうち、制作者の純然たるファンタジーの産物ではなく現実と繋がりがありそうな幾つかについて分かったことを列記しておく。

■カータヴァラーヤン
実際にタミルの地で崇拝されている神格である。ただし非常にマイナーな神なので情報が極めて少なく、学術的な裏付けをもった資料というより個人の旅行記やエッセイなどの断片的な記述を拾いあわせてみるしかないのだが。

まず、カータヴァラーヤンはシヴァ神の第三の息子とされているが、全インド的にはシヴァの息子はガネーシャ、スカンダ=ムルガンのニ人だけである。これは正にヒンドゥー教が各地の原始宗教の神々を取り込んでいった(なおかつそれが一地方だけに留まった)事例の一つといえるのだろう(Heritage Town VILLAGE GOD)。

タミル全土を見渡せば、おそらくカータヴァラーヤンの神像は無数に存在すると思われる。ただしそれはパーリヴァーラ(பாரிவார)と呼ばれる脇侍としてのもの、またはカーヴァル・デイヴァム(காவல் தெய்வம்)と呼ばれる村の守護神としてのもので、主神として祀った寺院はネット上では数軒しか見つからなかった。カータヴァラーヤンは、通常マーリアンマン女神(天然痘をもたらすという南インドの土俗的な神だが、名目上はシヴァ神妃ということになっている)の脇侍として、マドゥライ・ヴィーランやカルップサーミなどと同格の神として表される(Hindupedia Mariamman Thalattu/Ülo Valk and S. Lourdusamy, Village Deities of Tamil Nadu in Myths and Legends)。

一方で、この映画中のようにカーマークシ女神と結びつける説も少なからず見られる(The Hindu Drawing the devout)。さらには典型的な「村の神」である男神アイヤナールの配下であるという説もある(Sri Ayyappa Bhajanai Sangham Sastha, Ayyanar, and Ayyappan)。

また、この神の出身地がタンジャーヴールであるという、根拠が示されない記述も見つかる(Wikipedia Village deities of Tamil Nadu)。しかしカータヴァラーヤン信仰はタミル人のディアスポラとともに世界に広がり、たとえばスリランカ・タミル人の間では Kathan Koothu と呼ばれる舞踊+歌謡も行われているという(City of Jaffna Arts)。また、仏領レユニオン諸島のタミル系移民の間では Katalarien という仏語化した(?)名前で祀られているようだ〔ஒம் கருப்புசாமி Kathavarayan Swamy (Katalarien)〕。

見過ごす訳には行かないのが、カータヴァラーヤンが特定のダリト集団の神であるとする民話研究家の証言。

Exposing the hollowness of this argument, veteran folklorist A. Sivasubramanian said most of these temples in rural areas had folk deities, who were generally slain Dalits. Among these, Madurai Veeran and Chinnathambi belonged to the Arunthathiar community and Kathavarayan was a Pulayar. Although Muthupattan, another folk deity, was a Brahmin, he married two Arunthathiar women.(Frontline, Volume 26 - Issue 15, Jul. 18-31, 2009, Dalits as god より)

プライヤル(プライヤンとも)は、今日のタミルナードゥでダリトの代名詞とされているコミュニティーのひとつであり、葬儀にまつわる諸々の作業を担う集団とみなされている。起源は今日のケララ地方にあるとも言われているが諸説が入り乱れてよく分からない(Vijaya Ramaswamy Historical Dictionary of the Tamils ほか)。したがってプライヤルの祖先が本作中に暗示されるようにコッリマライの山岳部族民だったのかどうかは分からない。

■カーマークシ女神
カーマークシという名はチェンナイ近郊の都市カーンチプラムの代名詞と言えるぐらい、同市のカーマークシ・アンマン寺院が有名だが、各所に分院もある。カーンチプラムの本院はアーディ・シャンカラとの繋がりをもつ大僧院でもあり、完全に正統派の大伝統に組み込まれているようである。寺院のサイトを眺めてもカータヴァラーヤンのような民間信仰に触れている箇所は見当たらない。ただし、カーマークシ女神がカーンチーのカンバ川の岸辺でシヴァリンガを奉って苦行を続けたという記述はペリヤ・プラーナム中に見られるそうだ。本作中でも言及されているカンバは伝説上の川で、カーンチーの街の地下を流れているという(V Krishnaraj Kamakshi)。

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■コッリマライと部族民
コッリマライ(Kolli hills)は東ガーツ山脈の一部で、タミルナードゥ州中部、セーラムとティルチラパッリの中間にあたる。最高標高は1300メートルほど。こんな魅力的な景色が広がっている。

コッリマライは1〜3世紀のタミルで成立したとされるサンガム(シャンガムとも)文学にも何箇所かに言及されている〔一例として『エットゥトハイ 古代タミルの恋と戦いの詩』(高橋孝信・訳)のP.251〕。

この網站まで来て下さる読者には釈迦に説法だろうが、今日のインドで不可触民=ダリトと呼ばれている人々は、そのほとんどがドラヴィダ人やアーリヤ人よりも前に亜大陸に住みついていた先住民である。平地に降りてヒンドゥー教をある程度まで受け入れた人々がアウト・カーストとなり、独自の言語や宗教を保持しつつ山間部などの僻地に孤立して住み続けた人々がトライブと規定された。

しかしサンガム時代のタミルでは強固なカースト制度はまだ存在しなかった。サンガム恋愛詩は平地の女と山岳地方の男との恋を(平地の女の視点から)数多く扱っている。そこに現れる山地の男は宗教も言語も異にしているが(A K Ramanujan The Interior Landscape: Love Poems from a Classical Tamil Anthology P.23)、決して穢れた存在とはみなされていない。また一方で、上に述べたプライヤンという語も既に登場しており(前掲『エットゥトハイ 古代タミルの恋と戦いの詩』P.267、 P.293)、身分の賤しい者として形容されてはいるものの、制度化された絶対的位階の最低辺というわけでもないようだ。ただし、コッリマライに住む部族とプライヤンと呼ばれた人々との関係はよく分からない。ともあれ、本作中でヒロインのマーラーに対して実の父親が「異なる宗教を奉ずる相手とは結ばれ得ない」と説得を試みるシーンは大変印象に残る。また部族民ダンスのシーンでは、動物供犠の残酷性を咎める内容の芝居が部族民自身によって演じられており、無邪気を装った政治性にギョッとさせられる。

■シヴァ神
上の寸評では「取ってつけたような昇天」と書きはしたが、冒頭と最終場面に物語を縁どるようにシヴァ神が現れるのは見逃せない。また、クライマックスで倒壊する巨大なシヴァ神像の異形度(見慣れたこういうイメージとは随分隔たっている)も、意味はよく分からないがともかく凄い。

… ニ - 三世紀ぐらいからシヴァ教・ヴィシュヌ教双方において教理と実践の体系の組織化が行なわれるようになる。シヴァ教においては、このころから最古の宗派であるパーシュパタ派の体系化が始まったようである。シャイヴァ・シッダーンタは、そのパーシュパタ派を母胎として徐々に成立していったものと考えられる。
 このシャイヴァ・シッダーンタの教えが、現在も生きて行われているのは、タミルナードゥを中心とする南インドだけである。学者も含めて大部分のタミル人の理解においては、この教えはタミル起源のものであると考えられている。しかしながら、最近の研究は、この派がより北方から伝来したことを明らかにしている。(高島淳、「シヴァ信仰の確立」より、 『ドラヴィダの世界』に所収、P.42)

もちろん、シヴァ信仰は全インドで盛んであるし、上の引用にもあるように、シャイヴァ・シッダーンタ(聖典シヴァ派)は本当は北インドが発祥のものである。しかしタミル人のアイデンティティのよりどころのひとつとしてのシヴァ教の重要度はやはり無視できないものだ。その証拠に、タミルの神話映画を思い起こしてみれば、その多くがシヴァ神とその息子ムルガンの登場するものであるということに気づくだろう。対照的に、二大叙事詩の映画化が盛んだったテルグでは、ヴィシュヌ系のストーリーが圧倒している。本質的に二大叙事詩はヴィシュヌとその化身を中心に据えた物語であるからだ。

しかし叙事詩的な詩作は、どちらかといえば最高神としてのヴィシュヌ崇拝が広がった地域で培養されたようである。このことはつぎのようなことからもあきらかである。すなわち、マハーバーラタの宗教的教訓的な部分では、この神がいちじるしくおもてだっていて、この書物が、ヴィシュヌ崇拝のために捧げられた、教養書の一つであるかのような印象さえ与えるのである。しかしまた、これとならんで、シヴァ神の伝説や、シヴァ神の儀礼に関係する個所がないわけでもないが、一般にこれらは後世の付加であることが容易に認められる。それらはこの叙事詩が、シヴァ神崇拝の流行する地方一体に拡がったときに、付加されたのである。(ヴィンテルニッツ インド文献史〈第2巻〉叙事詩とプラーナ、P.9)

ヴィシュヌが多くの化身を持つのと対照的に、シヴァは化身せずに(ただし名前は微妙に変えながら)各地の土着の女神たちを妻とした。

シヴァ神は先住民の地母神たちを自分の妃というかたちで包含し、信仰を広めていった。シヴァに献身的な愛を捧げるサティーやパールヴァティー、血を好み武器を持って魔族と闘うドゥルガーやカーリーといった女神たちがそれである。ヴェーダ文献が集成された時代には、アーリヤ人たちのなかでは女神信仰は盛んでなかったが、インド全土に見られる民間の地母神崇拝は無視できない力を持っていたので、こうしたかたちで吸収せざるをえなかったのである。一方、地母神をはじめとするさまざまな神を崇拝していた民間の人々も、ヒンドゥーの主流に連なることで、自分たちの地位が向上すると考えた。(宮本久義「ヒンドゥー教と民間信仰」、『原インドの世界—生活・信仰・美術』に所収、P.103)

もともとの盛んなシヴァ信仰に加えて、ほいほいと土着女神と婚姻するシヴァ神の気前のよさ(そうは言ってもヴィシュヌ系神格にはこういう事例がゼロ、というわけでは勿論ないのだが)、これがタミル映画におけるシヴァ神テーマの多さ、ひいては本作のような部族民伝説にまで顔を出すことの理由をを説明しているようにも思える。

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まあ本当にクドクド要らぬことまで書いてしまったが、古代の先住民への鎮魂、現代の被抑圧階級への慰撫と(非常に遠回しな)同化への圧力、そんなものを織り込んだ堂々3時間の大娯楽作品、公開当時はそれほどヒットしなかった(100日超え作品には入っていない)ようだが、それでもこれだけ面白いということに魂消ると思うよ。

投稿者 Periplo : 22:50 : カテゴリー バブルねたtamil so many cups of chai
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2012年08月25日

収集癖:ナーラダ仙(5)

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この雲海のセットはシンプルだけど綺麗だねえ。絵全体としての雰囲気が、ちょっとこの天平期の透かし彫りを思わせるものがありゃしませんかい?

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一方でこういう野外シーンでは、穏やかなパステルカラー、随所に散りばめられた金、圧縮された遠近法の書き割りなどが、まるで初期ルネッサンスの群像画みたいだ。

Sri Krishna Satya (Telugu - 1971) Dir. K V Reddy

原題:శ్రీ కృష్ణ సత్య
タイトルのゆれ:Shri Krishna Satya, Srikrishna Satya, Sri Krishna Sathya, Sree Krishna Satya, etc.
タイトルの意味:Sri Krishna and Satyabhama

Cast : N T Rama Rao (NTR), Jayalalithaa, S V Ranga Rao (SVR), Kanta Rao, Ramana Reddy, Chittor V Nagaiah, Padmanabham, Rajanala

DVDの版元:Universal
DVDの字幕:英語
DVDの障害:途中で停まるディスクあり
DVDのランタイム:約2時間48分
DVD 入手先Bhavani ほか

参考レビュー集成http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/08/sri-krishna-satya-telugu-1971.html

【ネタバレ度70%の粗筋】
ドワールカーのクリシュナ(NTR)の館、そこには第一夫人のルクミニ・デーヴィーを始めとしてクリシュナに仕える多数の女達が住んでいた。その一角にまもなくクリシュナに嫁ごうとしているサティヤバーマー(Jayalalithaa)もいたが、彼女は夫となるクリシュナを毛嫌いして館での行事に顔を出そうともしなかった。そこでクリシュナは眠っているサティヤの枕元に立ち、彼女に前世の記憶を蘇らせる。

サティヤは、前世では蛇王の娘チャンドラセーナー(Jayalalithaa)だった。彼女はラーヴァナ(NTR)の弟であるマヒラーヴァナ(SVR)に懸想され、その地底の王国に捕われていた。折しもラーヴァナにかどわかされたシーターを救い出すためにラーマ(NTR)がランカー島に戦を仕掛ける前夜であった。前哨としてランカー島に忍び込んだハヌマーンの説得により、チャンドラセーナーはマヒラーヴァナに靡くふりをして彼の急所を聞き出してハヌマーンに知らせ、それによってラーマの軍勢は勝利する。戦勝をもたらした働きへの報償として彼女が望んだのはラーマの妻となることだった。しかし、シーターだけを愛し、シーター以外の側妾も第二夫人も一切を拒否するラーマは、その願いに応えることはできない。ナーラダ仙(Kanta Rao)の采配によって、彼女には次の転生においてラーマの生まれ変わりであるクリシュナの妻となることが約束される。

こうした前世の記憶を取り戻したサティヤは、俄然クリシュナを恋いこがれるようになり、めでたくクリシュナとの婚礼を挙げる。しかし、独占欲の強いサティヤはルクミニやジャーンバワンティなど他の妻達と共棲することが我慢できない。嫉妬に苦しむ彼女がナーラダ仙に相談すると、夫を奉納した上でトゥラーバーラム(天秤の片方に人間が乗り、もう片方に同じ重さの宝物や食料を載せてそれらを奉納する儀礼。参考までに改宗者によるごく最近の事例)によって再び取り戻せば、クリシュナはサティヤだけのものになる、と唆される。一時的な奉納の相手はナーラダが引き受けることとなった。

意気揚々と儀式に臨むサティヤ。天秤には悲しげなクリシュナが載っている。サティヤは用意してあった宝物を反対側の皿に載せて行くが、秤は一向に動かない。焦った彼女は所有する全ての財をつぎ込むがクリシュナの重みには釣り合わなかった。絶望に身を捩るサティヤを尻目に、突如態度を豹変させたナーラダは、言葉荒くクリシュナを引き立て市場で彼を奴隷として売りに出すが、人々の反発が激しく館に戻ってくる。プライドを捨てたサティヤはルクミニにひれ伏し、助けを求める。ルクミニは聖なるトゥラシの葉を一枚取り上げ、祈りを込めてサティヤが積み上げた財物の上に載せる。するとついに天秤は動き出しクリシュナと奉納物の載った皿は等しい重さとなる。愛執の罪深さを思い知らされたサティヤは平安な心持ちでカウラヴァとの和平交渉に向かうクリシュナを送り出す。(粗筋了)

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入れてあげないんだもん。/遅くなってごめ〜ん。いま来たよ〜。
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駄目ったら駄目。/意地悪言わないでさ〜。
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うふふん。/お願い入れて〜〜。
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やっと機嫌直ったんだね〜、よしよし。/あたし、アンタを奉納することにしたから。/うぞっ、がーん…。

【長い寸評】
いや、↑こういう4コマ漫画はいったん始めると止め所がなくなっちゃいそうで、なるべくやらないように自分を戒めてるんだけど、我慢できなくてやっちまった。しかし上のキャプションは筆者が勝手につけたものではなく、実際に概ねこのような会話がなされているのだ。いやもう、笑い通しだよ。いうなればこれ、『お笑い!ドワールカーの家庭内不和』なんだ。

このようなジャンルとしてのリバイバル(訳注:1957年の Maya Bazaar から始まるテルグ映画における神話ジャンルの再生)が、「コメディ・ミソロジカル」とでも呼ぶべき混合ジャンルによって開始されたということは見過ごすべきではないだろう。その後にはシリアスな神話映画も多く作られはしたが、Maya Bazaar で神話ジャンルに導入されたソーシャル的要素の組み合わせは引き続き採用されることとなった。(M Madhava Prasad, Genre Mixing as Creative Fabrication, 2011 より、勝手訳)

本作はその Maya Bazaar を手がけたKVレッディの最後の監督作となった。上で70%の粗筋を書いたが、本作にはそれ以外にも熊王ジャーンバワンタとラーマ&クリシュナとの関わり、ハヌマーンとその息子との邂逅のエピソードなどが散りばめられ、なおかつサティヤバーマーが改心した後には、マハーバーラタのクライマックスの一つである『クリシュナ使者に立つ』が30分ほど続く。しかし、本来なら一番の見せ場であるはずのこのシーンは、なんだかもうすっかり気の抜けた感じで緩〜いエピローグにしか思えないのだ。そのくらいジャヤラリタ・ショーがド迫力なのだ。

高慢ちきに許婚を嘲ったり、一転して降って湧いた恋心にくすぐったがったり、嫉妬で身悶えしたり、悪企みに高笑いしたり、ぴくりとも動かない天秤を前に滝の汗を流したり、ナーラダの企みに気づいて逆切れしたり、ルクミニにひれ伏す恥辱に身を焦がしたり、もう忙しいったらない。もちろんこのストーリーラインは本作固有のものではなく、比較的近い時代に作られたものだけでも、ジャムナがサティヤを演じた Sri Krishna Tulabharam (Telugu - 1966) Dir. Kamalakara Kameshwara Rao やサロージャ・デーヴィーが演じた Sri Krishna Rukmini Sathyabhama (Kannada - 1971) Dir. K S L Swamy などがある。筆者はこの2本も観てみたが、やはりジャヤ様には敵わない。この役、あまり楚々たる美女がやっては、クリシュナとナーラダの男2人が知恵の足りない女を無体に苛めているように見えてよくない。かといってあまりに憎々し過ぎる女悪役でも教訓が効果的に伝わらない、ジャヤ様の、図太くも可愛らしい豚児ぶり(←語法ミス)がまさにハマっているのだ。

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それと同時に、カーンタ・ラーオの演じたナーラダ仙がまた凄いのだ。いつもニコニコ町内会の世話焼き小父さんみたいな風を装いながら、やることが一々エグい。妻が幾人もいる家に希少な印度夜香木の花をたった一輪だけ持って行って、奥さんにどうぞなんて言ってのける嫌らしさ。トゥラーバーラムによるクリシュナの買い戻しが不成立に終わった途端、これまでのへりくだった態度から豹変してクリシュナを叱咤して市場に追い立てる、その非情なビジネスマンぶり。カーンタ・ラーオはナーラダ仙が当たり役といわれた役者で、生涯に9回もナーラダを演じている。筆者はそのうちの7本までを観たが、脂ののり切った狸親爺としての芝居では本作が圧倒的だと感じた。希代のナーラダ仙役者カーンタ・ラーオ(一方で剣劇映画のトップヒーローとしての顔もあった、こちらなど参照)については、もう少し材料が揃ったらまとまった紹介をしてみたいと思っている。

NTRを見に行ったつもりが、ジャヤラリタとカンータ・ラーオにノックアウトされて帰ってきた。これだからテルグ神話映画はやめられないのだ。

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ところで、ご主人の体の重さはごぞんじであろうな?(くくっ、この馬鹿女、これで政治的に立ち回ってるつもりなんだぜ)
ご心配なく、充分にわきまえておりますわ、上人様♬(童貞親爺が何いってんだか、大笑いだわよ)

あ〜、もう止めないと…。

投稿者 Periplo : 01:36 : カテゴリー バブルねたtelugu so many cups of chai
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2012年07月17日

7月のJ-テルグ

まさかトップ写真に虫の画像をアップする日が来ようとは思わなかったぜ。
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可愛いサマンタちゃんを拝むために観るのもありだろう。
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半端イケメソ(ヒロインを輝かせる俳優とも言うね)のナーニ君目当ての人だってもしかしているかもしれない。
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あっ、アンタこんなとこでこんなことしててイイんかいな?と思わず叫んだカンナダのトップスターのひとりスディープさんももちろん注目点。こちらの情報によれば、テルグ・タミルともセルフダビング、なおかつテルグ版では一曲歌ってるそうだ。
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が、やっぱり興味の先は、現在のテルグ界きってのスター監督SSラージャマウリ氏が何をやらかすつもりなのか、ということに向くと思う。ところで↓この写真、一体何してるとこなんだ?
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まずは基本データから。

Eega (Telugu - 2012) Dir. S S Rajamouli

原題:ఈగ、நான் ஈ (タミル語版タイトル)、ഈച്ച(マラヤーラム語版タイトル)、※ヒンディー語版も公開が予定されているらしいが、タイトルは現在のところ不明 [2013.9.17追記] ヒンディー語版タイトルは मक्खी Makkhi、同バージョンの邦題は『マッキー』

タイトルのゆれ:Naan Ee (タミル語版タイトル)、Eecha(マラヤーラム語版タイトル)
タイトルの意味:Fly (タミル語版は I am fly)

Cast: Sudeep, Naani, Samantha Prabhu, Abhiram, Adithya Menon, Hamsa Nandini, Devadarshini, Srinivasa Reddy, Crazy Mohan, Thagubothu Ramesh (テルグ語版のみ), Santhanam (タミル語版・マラヤーラム語版のみ)

■日時:2012年7月29日、12:00ごろ開場(別料金でのランチサービスあり)、13:30開映予定(16:30ごろ終映予定)
■料金:大人2000円(当日券)1800円(予約)/5歳以上の子供1200円(当日券)1000円(予約)
■字幕:英語(万が一ナシだったらゴメンナサイ)
■会場:埼玉県川口市、SKIPシティ、彩の国ビジュアルプラザ http://www.skipcity.jp/access/
■映画公式サイト:http://eegamovie.com/
※ 当日券・家族チケット・予約方法など上映に関しての詳細は、主催者公式サイトhttp://www.indoeiga.com/を参照のこと
■ 参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/10/eega-telugu-2012.html
[2013.9.17追記]■日本語公式サイト:http://masala-movie.com/makkhi/

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公式トレイラーから読み取れる限りのネタバレ度?パーセントの粗筋】
お互いに好意を抱き合いながらはっきり口にすることがないまま、恋の予感にときめく幸せな日々を送る若い男女(Naani, Samantha)。ある日突然メンヘラ男(Sudeep)が現れて恋路の邪魔を始め、ついにはカップルの男の方を殺してしまう。死んだ男はハエに転生し、メンヘラへの復讐に猛進する。(粗筋了)

【予想される見どころについて】
筆者は基本的には映画見物に臨む前は(特にDVDでの鑑賞の場合は)あまり情報を仕込まないことにしている。今回は劇場での一期一会鑑賞、しかしやっぱりあまり予断を持ちたくない。それでも僅か2分半のトレイラーから上記のような粗筋が把握されてしまうのだ(なおかつ、クローネンバーグの『ザ・フライ』のパクリでないことも分かる。こちらのインタビューによれば、監督の父で脚本家であるヴィジャイェンドラ・プラサード氏の語りが元となっているのだという、ただしこれが古譚なのかプラサード氏の創作なのかは分からない)。これはもちろんトレイラーの編集が悪くてネタバレになってしまったというのではない。かつてラージャマウリはインタビューで過去作品 MagadheeraMaryada Ramanna に関して、ストーリーの新しさで惹き付ける作品ではなく語り方で見せる映画なので、公開前の粗筋秘匿主義はとらないと言明したことがある。本作もまたその系譜に連なるものであることは間違いないだろう。

大体、普通の大人だったら、上記のような粗筋を聞かされたら、まあ間違いなくチープな色物だと思っちまうだろう(実際にそうである可能性も捨てきれないけど)。ただ、監督がラージャマウリである、ただそれだけの理由から、テルグ人の皆さんが公開前から大騒ぎして&種々の理由から遅れに遅れた封切りを待ちこがれたのだ。ラージャマウリなら何か凄い仕掛けがあるに違いない、大スターを使わずともワクワクする濃密な映画時間を楽しませてくれるに違いない、そういう期待からだ(そして7月6日に公開されて現地では爆発的にヒットしているようだ)。

上に掲げた主演の3人はそれぞれ実力のある俳優だし、彼らの貢献は無視できないだろうけれど、何と言っても本作の焦点はCGとVFXによる(制作側はアニメーションという言葉を使っている)蠅の活躍。実はCGアニメで再現される生き物というのは、インド映画のなかではちょっと特殊な背景を持っている。詳しくは『これでインディア』サイト上でのアルカカットさんの 2006年1月19日の論考をお読みいただきたいが、要するにかなり過激化した動物愛護運動の煽りを受け、本物の動物をスクリーン上で使うことが大変に難しくなってきていて、何でもない動物登場シーンでもCGで合成した画像を使うケースが増加しているのだ。

たとえば、Aadukalam (Tamil - 2011) Dir. Vetrimaran の冒頭にはこんな断り書きが現れたりする。国家映画賞まで受賞した作品だけど、一番のモチーフである鶏闘のシーンのほとんどがCGというのは若干興ざめだった。これはもちろん状況から止むない選択であっただろうが、他作品では、明らかにCG部隊が暴走してしまったことを窺わせる不自然で不要なCGシーンを目にすることもよくある。

こういう状況を逆手に取って、敢えて(実写があり得ない)蠅を主人公にしたんじゃないだろか、ラージャマウリ氏は。やむを得ない代替え手段としてではなく、挑戦的にCGを前面に押し出す。最も日常的でかつ煩わしい生き物である蠅を、100%作り物で再現して、グラフィックな驚異を作り出すだけではなく、テルグ娯楽映画に不可欠なヒーローのヒロイズムを担わせようとしているのだ。そういう意味で、本作はテルグ映画としては珍しい「監督がスター」な一本なのだ。

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デルグ映画史上初の蠅の巨大カットアウト、2012年7月9日ハイダラーバードのショッピングモール&シネコン・プラサーズにて、設置の模様までが動画として配信された

【豪華付録:SSラージャマウリ全作品ディスコグラフィー】
ということで、2001年のデビュー以来10作品に満たないながら既にスターとしての地位を獲得してしまったラージャマウリ監督(公式サイト公式フェイスブック・ページ、当人のものとされるツイッターアカウント、ウィキペディアエントリー)の全作品をここに挙げて予習復習のお役にたてようと思う。

cvStudentno1.jpgStudent No.1 (Telugu - 2001)

Cast:NTR Jr, Gajala, Rajiv Kanakara, M S Narayana, L B Sreeram, Ajay, Sudha, Brahmanandam, Ali, Kota Srinivasa Rao, Tanikella Bharani

原題:స్టూడెంట్ నెం.1

DVDの版元:Sri Balaji Video
DVDの字幕:なし
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間27分
DVD 入手先:Bhavani DVD など

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/10/student-no-1-telugu-2001.html

■ヴァイザグの法科カレッジにやってきた新入生、おとなしく目立たない風を装っていたが、番長に目をつけられて挑発を受けるようになり、やがてその驚くべき過去が明らかになる、というストーリー。

NTR ジュニアのヒーロー・デビュー後の第2作目にして初ヒット作。今日からすると信じられないくらいの低予算映画。この時ジュニアは17か18だったはずだが、既にこの年頃のフツーの兄ちゃんとは完全に別の生き物だと言っていいキャラの立ち方。SSラージャマウリの賞賛されるべき手腕は、シンプルなストーリーの中で、名門の、しかし疎まれた庶子であるこの若造に宿る、ある種の「異様な美」を引きだしたことにあるのだと思う。なお本作は Student Number 1 (Tamil - 2003) Dir. Selva としてリメイクされた。


cvSimhadri.jpgSimhadri (Telugu - 2003)

Cast:NTR Jr, Bhumika, Ankita, Nasar, Rahul Dev, Mukesh Rishi, GV, Brahmanandam, Venu Madhav, Kota Srinivasa Rao, Sreenivasa Reddy, Sarath Saxena, Seetha, Rajan P Dev, Chalapati Rao, Bhanu Chandar, Surya, Hari, Rallapalli, Subbaraya Sharma, Pardhasaradhi, Ramya Krishnan

原題:సింహాద్రి

DVDの版元:MMI Video
DVDの字幕:なし
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間49分
DVD 入手先:Bhavani DVD など

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/10/simhadri-telugu-2003.html

■ 名門の大家族の邸宅で暮らす孤児の主人公、お館様から気に入られ総領娘との結婚をお膳立てされるが、そこで彼が精神科療養施設に入所させて密かに世話をしている若い娘の存在が明らかになる。とあるきっかけからこの娘が正常な意識を取り戻した時、一族の秘められた過去が開示される、というストーリー。

前作から2年後、NTRジュニアは既にデビューから7作目となり、荒々しいアクション路線はどうやら既に確立されていたようだ。ここでの目新しい点は、ヒロインもまたバイオレントにストーリーに関わっていく点、それから(必然性はやや弱いのだが)舞台の一部をアーンドラの外に設定したことか。ソングシーンでのワープではなく、NRIものの背景として欧米先進国をご都合主義的に組み込むこととも違う、インドの中にある異郷を取り込み、テルグ映画の物語世界を拡張しようとする試みのようなものが感じられる。成功したかどうかはよくわからないが、これは以降の作品にも共通して現れる特徴である。なお本作からはGajendra (Tamil - 2004) Dir. Suresh Krishna と Kanteerava (Kannada - 2011) Dir. Tushar Ranganath という2本のリメイクが生まれている。


cvSye.jpgSye (Telugu - 2004)

Cast:Nitin, Genelia, Pradeep Rawath, Ajay, Venu Madhav, Sashank, Nassar, Rajiv Kanakala, Tanikella Bharani, Supreet Reddy

原題:సై
タイトルの意味:Challenge

DVDの版元:Sri Balaji Video
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間41分
DVD 入手先:Bhavani DVD など

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/10/sye-telugu-2004.html

■ ハイダラーバードの伝統あるカレッジ、学内は理系と文系とに分かれて激しく対立し合っていた。ヴァイザグからやってきたヒロインは文系の新入生だったが、初日から理系番長のヒーローと衝突するがやがて相思相愛になる。その一方土地のマフィアはカレッジの土地を不正に接収しようと魔の手を伸ばしてくる。内輪揉めに明け暮れていた学生達は一致団結してそれに対抗するが…というストーリー。

ここで紹介の作品中、最もロジックを無視したストーリーと言っていいと思う。開始早々いきなりマフィアの凄惨な殺しの場面を描いた後、突然今度はカレッジの過激なラギングと内ゲバが延々と続き、マフィアがカレッジの土地に興味を示したところで話はなんとか繋がるのだが、学生対マフィアの小競り合いの後、なぜか決着をラグビーの試合でつけようということになりスポコンになってしまう。警察官は何度も登場するが、司直の裁きは全く無効、最後に勝った方に味方するということが暗示されている。一昔前のご都合主義満載のテルグ映画を思わせる造りなのだが、それでも途中で嫌にならずに楽しく見通すことができるのは、ビジュアライゼーションのいちいちに若々しい生気が漲っているからであるように思える。渋滞している往来でフラッシュモブよろしく開始される最初のソングシーンの斬新さ、そしてクライマックスで30分にも渡って続くラグビーの試合場面のパワフルさ(もちろんラグビーは大方の印度人観客にとって馴染みのないスポーツであったはずだが、そんなことはお構いなしにグイグイと引っ張って行く)などなど。ダンス振り付けから殺陣にいたるまでの、2000年代前半テルグ映画の技術的な革新のサンプルとしてもいいかもしれない。


cvChatrapathi.jpgChatrapathi (Telugu - 2005)

Cast:Prabhas, Shriya Saran, Pradeep Rawath, Shafi, Narendra Jha, Supreet, Jeeva, Venu Madhav, Jaya Prakash Reddy, Bhanupriya, Kota Srinivasa Rao, L B Sriram, Mumaith Khan, Arti Agalwal, Kamal Kamaraju, Sekhar, Ajay

原題:ఛత్రపతి
タイトルの意味:Chief, head or King of Kshatriyas

DVDの版元:iDream
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間38分
DVD 入手先:MyIndiaShoppingWebmall IndiaBhavani DVD など

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/10/chatrapati-telugu-2005.html

■ スリランカ沿海部から内戦によって追われてヴァイザグに辿り着いた主人公は、生き別れになった継母を探し続けているのだが実を結ばない。ヴァイザグの港湾は引揚者を不当に酷使するマフィアによって牛耳られていたが、彼はそれに対して敢然と立ち向かう。同じ頃、継母の実子である弟との再会を果たすのだが、彼を逆恨みする弟はマフィアと手を組んで彼を潰そうとする、というストーリー。

これもまた、かなり非現実的な設定を取り入れた作品。タミル映画ならともかく、テルグ人のスリランカ難民というのは、もちろんゼロではないにせよ社会問題になるには極小過ぎる集団であるはずなのだ。逆に言うとタミル映画ならば充分にあり得るストーリー。いわばオリジナルの存在しないタミル映画のテルグ・リメイクと言っていいかもしれない。なぜそんなことをという疑問は当然のように湧いてくるが、ラージャーマウリは自作を振り返るインタビューで、「ヒーローのプラバースをスーパーヒーローとして確立させることだけが念頭にあった」と語っている。そしてそれは大成功したという。ここにあげた作品群のうちで最もフォーミュラ的な一本といえるだろう。


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cvVikramarkudu.jpgVikramarkudu (Telugu - 2006)

Cast:Ravi Teja, Anushka, Ajay, Vineeth Kumar, Brahmanandam, Raghubabu, Prakash Raj, Jayaprakash Reddy, Ruthika, Meghna Naidu, Rajiv Kanakala, Amit Kumar Tiwari

原題:విక్రమార్కుడు
タイトルのゆれ:Vikramathithya(マラヤーラム語吹き替え版)、Pratighat(ヒンディー語吹き替え版)、Vikram Singh Rathod IPS(ボージプリー語吹き替え版)
タイトルの意味:1世紀ごろにウジャイン(現MP州)を統治していたという伝説の賢王ヴィクラマルカの名をテルグ風に言ったもの、意味するところはいまひとつ分からない

DVDの版元:Sri Balaji Video, Bhavani Media
DVDの字幕:英語
DVDの障害:Sri Balaji Video 盤は一部再生できず、Bhavani Media 盤は特に問題なし
DVDのランタイム:約2時間41分
DVD 入手先:Bhavani DVD など。また YouTube 上に字幕付き全編動画もあり。

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/09/vikramarkudu-telugu-2006.html

■ケチな詐欺師兼コソ泥の主人公は宝物が入った箱を盗み出すが、そこに入っていたのは年端も行かない女児だった。少女が所持する写真に写っていたその父は主人公と瓜二つの警察官、ヴィクラム・ラートール・シン、チャンバル渓谷で恐怖政治を敷いていた封建領主と戦った英雄だった、というストーリー。

ラヴィ・テージャの項でもちょっとだけ紹介した。その時はタミル・リメイク Siruthai (Tamil - 2011) Dir. Siva と、先日封切られて大ヒット中のヒンディー・リメイク Rowdy Rathore (Hindi - 2012) Dir. Prabhu Deva を紹介したが、その後カンナダ・リメイク Veera Madakari (Kannada - 2009) Dir. Sudeep の存在を遅まきながら知った(そしてこれには Veer Madakari Iss Sadi Ka というヒンディー語吹き替えも存在する)。スディープが監督&主演しているのだ! それからヒンディー版よりも一足早く公開されたベンガル・リメイク Bikram Singha (Bengali - 2012) Dir. Rajib Biswas もあることが分かった。さらにはバングラデシュのベンガル語リメイク Ulta Palta 69(公開年など不詳)も。 また、テルグ・オリジナルから派生した3つの吹き替え版も存在するし、壮観としか言いようがない。公開時点でのVikramarkudu への批評家からの評判は今ひとつ、余りにも蓮っ葉過ぎるヒロインとか、MP州のチャンバル渓谷に設定された無法地帯で極悪領主に立ち向かうラートール姓(ラージプートであるということなのか)の主人公や周りの人々が全員テルグ語を喋る非現実な設定などが槍玉にあげられたが、フツーに観てればそんなことはどうでも良くなる。ストーリーの整合性が崩れていたとしても映画として面白いものこそが正しいのだ!ということがよくわかる一本。


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cvYamadonga.jpgYamadonga (Telugu - 2007)

Cast:NTR Jr, Priyamani, Mamtha Mohandas, Mohan Babu, Jayaprakash Reddy, Raghubabu, Ali, Brahmanandam, M S Narayana, Dharmavarapu Subramanyam, Kushboo, Rambha, Narendra Jha, Rajiv Kanakala, Naresh, Preeti Jingyani, Navaneet Kaur, Archana, Narsing Yadav, Siva Parvati

原題:యమదొంగ
タイトルの意味:Hell Thieve

DVDの版元: Tolly2Holly
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間51分
DVD 入手先:MyIndiaShoppingWebmall IndiaBhavani DVD など。また YouTube 上に全編動画(字幕なし)もあり。

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/09/yamadonga-telugu-2007.html

■ハイダラーバードでけちなコソ泥をやって暮らしている主人公は、行きがかりから暴漢に襲われかけていた大富豪の娘を匿う。彼女を親族のもとに送り届けるのと引き換えに身代金をせしめようと欲をかいたところが、返り討ちにあってあえなく命をおとす。当然の結果として地獄に堕ちた彼だが、反省の色もなく今度は閻魔大王から権威の印であるヤマパーサム(死の捕縄)を奪いクーデタを起こして黄泉の国の最高権力者に収まる、というストーリー。

ハッキリ言う、テルグ映画2000年代の最初の10年を代表する作品の1本だ。これまでになんで本作のレビューを上げなかったのか自分でも訝しく思うのだが、あまりにも好きすぎて何も書けなくなっちゃう映画ってのもあるものなのだ。そこを頑張って数行でも書こう。過ぎ去った黄金期の神話映画のグランジャー、今日的なアクション映画のダイナミズム、そして当代一の踊り手であるジュニアNTRの神ダンス、ノンストップのローラーコースター的ツイスト、純愛、時代がかった滔々たる長口舌とスピーディーなコメディ、これら全てを1本の映画の中に注ぎ込んで金メッキでコーティングした空中楼閣、これはインド広しといえどもテルグ界からしか生まれないだろうという傑作、ここで紹介の中で1本だけというならば躊躇いなく本作を推したい。日本語煽り文句つきトレーラーもあるよ。

あ、それから公開当初話題をさらったのは「踊れる小太りのおっさん」とニコ動職人の皆さんに認識されていた(1983年生まれだという情報は広まらなかったらしい)NTRジュニアが25kgともいわれる大減量を成し遂げてスクリーンに登場したということだった。その後若干肉付きを取り戻して来ているジュニアだが、この時の減量は役作りに絶対に必要なものであるとラージャマウリが強く求めて実現したものであるという説がある(信頼性の高いソースでの裏は取れていない)。巨大セット、あるいはここから始まった馬鹿馬鹿しいCG使いと並んで、本作のもっとも際立ったギミックであることは間違いない。


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cvMagadheera.jpgMagadheera (Telugu - 2009)

Cast:Ram Charan Teja, Kajal Agarwal, Devgill, Rao Ramesh, Sunil, Brahmanandam, Srihari, Sarath Babu, Surya, Mumaith Khan, Sameer, Sekhar, Rajiv Kanakara, Kim Sharma, Saloni, Hema, Chiranjeevi, Ali

原題:మగధీర
タイトルの意味:Great Warrior

DVDの版元:Sri Balaji Video
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間44分
DVD 入手先:MyIndiaShoppingWebmall IndiaBhavani DVD など。またYouTube上に全編動画(字幕なし)もあり。

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/09/magadheera-telugu-2009.html

■ 現代のハイダラーバードで巡り会った若い男女、不思議な力に導かれて彼らは前世で悲劇的な最期をとげた恋人達であったことを悟る。それは400年前のラージャスターンでイスラーム勢力の拡張と対峙しながら独立を保っていた藩王国の王女と戦士との悲恋だった、というストーリー。

興行上の様々な記録を塗り替えた2009年テルグ界トップのブロックバスター。「やっと我々自身の中からハリウッド並みの作品が生み出された」と感涙にむせんだテルグ人が多かったらしい。面白いことに、そう多くはない日本人の鑑賞者の中では絶賛派と否定派(というか何でこれがこんなにヒットしたのか理解できないと悩む派)とで評価がきれいに分かれた(筆者は後者に属している)。たしかに、キラキラと贅沢な画面、滑らかなCG使い、全体的に「あえて土地のオーラを排除した」感がある造作はハリウッド的あるいはディズニー的であるといえるかもしれない。印度映画的な文脈からは、 本作は Patala Bhairavi (Telugu - 1951) Dir. Kadri Venkata Reddy あたりから始まる「フォークロア」と呼ばれる独特なジャンルを、現代の技術と巨大スケールで蘇らせる試みだったのではないかと、そしてそれがテルグの衆の心の琴線にビンビンに触れまくったのではないかと考えている(個人的にはもうちょっと材料が揃ったらこのフォークロア作品群については取り組んでみたいとは思っている)。CGものに特有のクリスタル・クリアな空気感の中で繰り広げられる無国籍(多国籍?)な活劇の部分が一番のみどころ。TDLで虚心にエレクトリカル・パレードを楽しめる人、ケルトやローマを始めとした古代戦記ファンタジーものの系譜の中で一風変わった作例を観てみたい人には積極的にお勧めしたい。なお、ヒンディー・リメイクの話はかなり以前から流通しており、現時点ではランヴィール・シン主演になるというが有力。


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cvMaryadaRamanna.jpgMaryada Ramanna (Telugu - 2010)

Cast:Sunil, Saloni, Nagineedu, Supreet Reddy, Venugopal, Brahmaji, Kanchi, Anuj Gurwar, Rao Ramesh, Jayavani, Sandhya, Anitanath, Ravi Teja (dubbing)

原題:మర్యాద రామన్న
タイトルの意味:Respectable Ramu

DVDの版元:Sri Balaji Video
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間10分
DVD 入手先:MyIndiaShoppingWebmall IndiaBhavani DVD など。またYouTube上に字幕付き全編動画もあり。

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/09/maryada-ramanna-telugu-2010.html

■ ハイダラーバードで小規模輸送業をしている男が、先祖伝来の土地を売って資金を作ろうとラーヤラシーマに出かけて行くが、そこでファクショニストの血腥い抗争に当事者として巻き込まれ、必死の脱出をはかるというコメディ。

若手のトップコメディアン、スニールを主役に据えたということで(スニールの主役はこれが初めてではないのだが)大いに話題になった。その後スニールのヒーロー化計画は順調に進んでいるが、本作はその重要なステップストーンとなったことは間違いない。脚本は細心の注意を払ってこれまでスニールが築いてきたスクリーンイメージを利用しつつ、それをひっくり返して爽やかな驚きを観客に与える。が、もちろんそれは怖いもの知らず+驚異の身体能力を誇るスーパーヒーロー(つまり通常のテルグ娯楽作品のそれ)に仕立て上げるという安易なものではない。これまでスニールや他のコメディアンがやってきた、どこか常人とは違うズレた行動原理によって不条理空間を作り出し、ヒーロー・ヒロインを困惑させたり、世間から笑われたりする、それを転倒させたのだ。どこまでも普通人で、気のいい奴だがごく当たり前に自分の身がかわいい、そんな男が、都市の住人とは違った行動原理で動いている荒くれ達のただ中に放り込まれ不条理な状況の中で右往左往するのを笑うのだ。脚本は無駄がなく考え抜かれた緊密な構成、しかしのんびりと楽しむことができ、見終わった後には暖かいものに満たされた気分になれる。クライマックスの断崖絶壁のシーンはラージャマウリの前作 Magadheera の大詰めシーンのものと設定が似通っており、洒落たセルフパロディに唸らされる。本作からは Maryada Ramanna (Kannada - 2011) Dir. Guruprasad と Phande Poriya Boga Kaande Re (Bengali - 2011) Dir. Soumik Chattopadhaya と Son of Sardar [S.O.S.] (Hindi - 2012公開予定)Dir. Ashwini Dhir の3本のリメイクが生まれている。[2014.05追記]サンターナムを主役に据えたVallavanukku Pullum Aayudham (Tamil - 2014) Dir. Srinath も追加。[2014.07追記]ディリープを主役にしたマラヤーラム・リメイク Maryada Raman というのも、2013年の後半に撮影開始になるというもあったがどうなったのか。[2014.10追記]マラヤーラム・リメイクは Ivan Maryadharaman のタイトルで9月に撮影開始。

投稿者 Periplo : 21:23 : カテゴリー バブルねたtelugu so many cups of chai
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2012年04月11日

収集癖:ナーラダ仙(2)

集中連載にするつもりはないと言っときながら、我慢できず続けてしまうのだ。今回はぐっと本格的な神話映画。バーガヴァタ・プラーナを基にした、禍々しさと不吉さに満ち、しかし感動的なストーリー。

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Bhakta Prahlada (Telugu - 1967)

Director:Chitrapu Narayana Murthy
Cast:S V Ranga Rao (SVR), Baby Rojaramani, Anjali Devi, Balamuralikrishna, Padmanabham, Relangi, Haranath, Ramana Reddy, Dhulipala, Chittoor V Nagaiah, Jayanti, T Kanakam, Vanisri, Santa, Meena Devi, Sunita, Sushila, L Vijayalakshmi, Vijayalalitha, Geethanjali, Venniradai Nirmala

原題:భక్త ప్రహ్లాద
タイトルの意味:Devotee Prahlada
タイトルのゆれ:Bhakt Prahlada, Bhakta Prahlaada, Bhaktaprahlada, Bhaktha Prahalada

DVDの版元:Volga (Palビデオ)
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間46分
DVD 入手先:Induna(MoserBaer から発売のNTSCビデオ)など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/bhakta-prahlada-telugu-1967

※Volga版の本作DVD冒頭の認証画面を見ると、認証日が1977年となっているのが読み取れる。67年の公開から10年後に、何らかの手を加えた形でリバイバル上映がされたものと推測されるが、67年版との異同は明らかではない。

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Bhakta Prahlada (Kannada - 1983)

Director:Vijay
Cast:Rajkumar, Master Rohit (Puneet Rajkumar), Sarihta, Anant Nag, Tugudeep Srinivas, Vanavali Krishna, Satish Srinivasamurthy

原題:ಭಕ್ತ ಪ್ರಹ್ಲಾದ
タイトルの意味:Devotee Prahlada
タイトルのゆれ:Bhakt Prahlada, Bhakta Prahlaada, Bhaktaprahlada, Bhaktha Prahalada

DVDの版元:United Video
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間28分
DVD 入手先:Kannada Store など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/bhakta-prahlada-kannada-1983

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【ネタバレ度100%の粗筋】(カッコ内の人名は、テルグ版/カンナダ版のキャスト。なお神話の登場人物の名前の読みは概ね映画中の台詞のものにあわせるようにしてみた。厳密なサンスクリット発音の表記ではないのをご了承いただきたい)

ヴィシュヌ神の住まうヴァイクンタの門番である天人のジャヤとヴィジャヤ。ある日ヴィシュヌ神が休息をとっている時間にブラフマー神の息子である4人の若き聖仙がやってくる。童形の彼らを甘く見て、また主の休息を妨げまいとして、入域を拒む門番と聖仙たちとの間で小競り合いが起こり、怒った聖仙は2人に人間界に堕ちるべしと呪いをかける。ヴィシュヌ神は2人の門番の非を認め、追放せざるを得なくなるが、時限を設けることにする。ヴィシュヌ神は2人に、ヴィシュヌに敵対するものとしての3転生を経た後に戻ってくるか、それともヴィシュヌ信徒としての7転生の後とするかを選ばせる。ヴィシュヌ神から離れていることが堪え難い2人は前者をとる。こうして2人は、1:ヒランニャカシャプとヒランニャクシャ、2:ラーヴァナとクンバカルナ、3:ダンタヴァクラとシシュパラ、という3つの転生を経た後にヴァイクンタに戻るのを許されることとなった。

ヒランニャカシャプ(SVR/Rajkumar)とヒランニャクシャの双子の兄弟は梵仙カシャパと妻ディティとの間に生まれた。ディティはまだ日のある黄昏時に欲情し自分から夫を誘って交わり2人を受胎した。これは大変不吉であるとされ、双子は婆羅門の両親を持ちながらも夜叉の王族としての人生を歩むことになった。

2人は有力な領主として君臨していたが、弟のヒランニャクシャは天界になだれ込んでの狼藉が過ぎて、ヴァラーハ(イノシシの形をとったヴィシュヌ神の化身のひとつ)にあえなく殺されてしまう。最愛の弟をなくして怒り狂ったヒランニャカシャプはヴィシュヌへの復讐を誓い、そのための超能力を得ようと激しい苦行を数年がかりで行う。ヒランニャクシャに住処を蹂躙されて以来夜叉の兄弟に恨みを持つインドラ神は、食を断ったヒランニャカシャプが痩せ細って行くのを見て彼の死を予測し、一族の血統を絶つため妊娠中の妻リーラーヴァティ/カヤドゥ(Anjali Devi/Saritha)をかどわかし胎児もろとも殺そうとするが、ナーラダ仙(Balamurakikrishna/Anant Nag)に止められる。ナーラダはリーラーヴァティを林間の庵に引き取って保護する。平穏に産み月を待つリーラーヴァティにナーラダはヴィシュヌの偉大さを讃える説法をする。まどろむ妊婦の体内で、胎児は熱心にそれに聞き入り復唱する。

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苦行を成し遂げてブラフマー神を喜ばせたヒランニャカシャプは引き換えに恩寵を授かることになる。不死身となることを希望したがそれは不可能であると言われた彼は、以下のように望んで叶えられた。昼にも夜にも、地上でも天空でも、屋内でも野外でも殺されないこと。鳥・動物・樹木・虫によっても、武器・言葉によっても、天人・神・夜叉・人・その他ブラフマー神によるどんな被造者によっても殺されないこと。これによって事実上の不死者となり無敵となったヒランニャカシャプは天界・人間界・冥界、三界の支配者となる。勝利に酔った彼はインドラとその取り巻きの神々を屈服させ自らの僕とする。さらに弟の復讐を果たそうとヴィシュヌの棲むヴァイクンタに押し入るが、不信心な彼はその場にいるヴィシュヌを見ることができない。雲隠れした卑怯者と罵りながら彼はヴィシュヌの行方を探し続けることになる。

ヒランニャカシャプの不在中に生まれた王子プラハラーダ(Baby Rojaramani/Master Rohit)は聡明で、誰に教わるでもなく生まれついての熱狂的なヴィシュヌ信徒だった。そんな彼を矯めようと父はシヴァ派の婆羅門(Padmanabham, Relangi/??)の下に入門させるが、プラハラーダはその学舎で門下生達にヴィシュヌへの帰依を説いて勧める有様だった。度重なる説得にも耳を貸さない息子に激怒したヒランニャカシャプはヴィシュヌへの信心を捨てなければ処刑すると脅すが、プラハラーダは「ヴィシュヌのために死ぬならば、それはまたとない僥倖である」と動じない。ヒランニャカシャプは兵士達に命じて、プラハラーダを崖から突き落としたり、象に踏ませようとしたり、毒蛇の群れの中に放り込んだりするが、ヴィシュヌ神の恩寵によってその度に息子はかすり傷一つ負わずに生還する。黄昏時、宮殿の柱廊で、ついにヒランニャカシャプは自ら手を下す覚悟で息子に迫る。「そなたが帰依するヴィシュヌが宇宙に遍在するというのなら、この宮殿にもいるというのか、儂の目の前のこの柱の中にもいるというのか」という問いに然りと答えるプラハラーダ。ヒランニャカシャプが怒りに任せて棍棒で柱を叩き割ると、そこからヴィシュヌの十化身の一つである人獅子ナラシンハが躍り出てヒランニャカシャプを倒し、その体を膝の上に抱え手で腹を切り裂いて貪り喰らう。憤怒のナラシンハはナーラダや神々が宥めても治まらなかったが、プラハラーダの祈りによって鎮静し、慈愛に満ちたヴィシュヌ神が再び現れる。(粗筋了)

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【寸評】
主役となるヒランニャカシャプやプラハラーダは日本人には馴染みの薄いキャラクターだが、インドでは映画以前の巡回劇団時代から神話ものの定番ストーリーの一つとなっているようで、幾度もリメイク(というか、先行作を意識して制作されたかどうかもわからないので、この言葉を使っていいか疑問なのだが)されている。 1931年のテルグ版は、記念すべきテルグ初のトーキー映画。同じくテルグの 1942年版は有名なスラビ劇団の演出を踏襲したものらしい。ヒンディー語版の Bhakt Prahlad (Hindi - 1946) Dir. Dhirubhai Desai についてはあまりにも情報が少なすぎる。上にあげたテルグ版からはタミルおよびカンナダ吹替え版が派生していた可能性が高い。実例は見つからなかったが、おそらく他の地方言語でも制作されていたのではないか。今回取り上げたのはそのうちのDVDで簡単に見ることができる2本。

先にズバリ総評してしまうと、どちらも見る価値あり、でも作品としての出来で比べるなら断然テルグ版が上、だと思う。

南印4言語の映画にそれなりの目配りをしていれば誰でも思うことだろうが、ともかく「神話映画」という浮世離れしたジャンルのテルグ語地域におけるしぶとさには驚くしかない。筆者は5年以上前にとあるところで、

南印神話映画の中心地はテルグ語圏らしい。神話映画がジャンルとして盛んだったのはヒンディー語映画が1940年代まで、タミル語映画が1960年代まで、それに対してテルグ語映画圏では1980年代まで命脈を保っていた。1960年代(タミル映画)、1970年代(テルグ映画)までの全盛期神話映画は総じて大作で、その時代の一流俳優が出演するものだった。それ以降の神話映画は急速にB級化し、かならずしも一流俳優が出演するものではなくなり、配給上も大都市ではなく地方が主なマーケットとなった。

などということを知ったかぶって書いたのだが、 今現在は、たとえば Sri Rama Rajyam (Telugu - 2011) Dir. Bapu の華々しい興行成績を見るだけでも訂正、あるいは留保を書き加える必要を(特に後半部分に)感じている。

なぜテルグ映画でなのか、というその頃からの疑問には未だに決定的な答えは見つかっていない。テルグ人が他州人と比べて特別に信仰深いとか、そういうんではなさそうだし。タミル映画との比較で言えば、テルグ界には神話映画とは相性が悪いドラヴィダ民族主義イデオロギーの影響が少なかった、ということは言えるのではないかと思う。それ以外で思いつく仮説はというと、冗談に聞こえるかもしれないが「テルグ映画界にはNTRがいたから」なんてとこだろうか。もちろんNTR一人では神話映画は成り立たない。同時代人として、今回紹介作の主演であるSVR(S V Ranga Rao)がいて、アンジャリ・デーヴィーがいた。さらには CSRが、サーヴィトリが、グンマディが、カンタ・ラーオが(かなり中略)そしてもちろんANRがいた訳である。神話映画が必要とするモニュメンタルな存在感を持つこれらの俳優が集まり、才能ある製作陣に支えられて秀作が数多く送り出された1950年代後半(Mayabazar 公開の1957年を起点としても大ハズレではないかもしれない)から60年代後半までの期間は、神話映画史からすれば奇跡の10年といってもいいものだったのではないか。この時期に生まれた傑作群に接しているうちにテルグ人観客はみんな神話映画アディクトになっちゃったんだよ、きっと。

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この2作の見比べからは、60年代のテルグと80年代のカンナダの、まさに総体的な人材の差というのを感じさせられた。主演のSVRとラージクマール、この2人の間に甲乙をつけるつもりは全くない。ただもう華麗の一言のドクター・ラージに対して業の重みに耐えかねて巨体を喘がせるSVR、どっちも繰り返し見たくなる。問題はそれ以外の部分。カンナダ版の方は主役の夜叉を取り巻く人々がなんかすっかりホームドラマになってるんだ。

一番くっきりと対照的なのはプラハラーダを演じる子役。カンナダ版ではドクター・ラージの次男三男ローヒト(現在のパワースター・プニート、誤記指摘感謝、川縁先生)なんだけど、かなり退く。この年頃の子供として当たり前ではあるけれど乳歯が抜け始めててガラッパチ顔なんだ。でもって(おそらく自分の声で)思い切り調子っぱずれに歌ってる。オイラがエキストラの兵隊役だったら、別の意味で頭を垂れちゃうよ。それに対してテルグ版でこの役を演じたのは本作でデビューした少女、ロージャーラマニーだった。歌の吹き替えはおそらくより年長の訓練された歌手。キャプチャ写真だけでイッちゃってる感が伝わるかどうかわからないが、もう楳図かずおの世界なんだ。この子の赴くところ奇跡が巻き起こるというのも200%納得。こんな神懸かった凄い役を幼少時に演じてしまったら、燃え尽きてその後の人生が滅茶苦茶になってしまったりしないだろうかと余計な心配までさせられてしまうのだが、成人後はフツーの人となって、吹き替え声優として落ち着いたキャリアを築き、オリヤー映画の俳優と結婚してもうけた男児は俳優タルン・クマールとして活躍するに至っているという。よかったよかった。

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あー忘れてた、これは一応ナーラダ仙品評のエントリーなんだった。ええと、カンナダ版ではアナント・ナーグが起用されている。本作にまつわる資料はあまりにも少なすぎて裏は取れないのだけれども、Narada Vijaya (Kannada - 1980) Dir. Siddalingiah がヒットしたのを受けての登場なのは間違いないと思う。衣装も使い回しじゃないかってくらいの、そっくり同じ役作り。ただ、同じキャラが本来の神話世界に投げ込まれると、なんだかやり手営業マンみたいな雰囲気になってしまう。システム手帳(この時代まだスマホはなかったから)でも使ってそうだよ。ドクター・ラージの剛毅とはいまひとつ噛み合っていないような印象を持った。一方テルグ版の方は、今やカルナーティック声楽の大御所となったバーラムラリクリシュナがやっている。音楽家のキャリアを1950年代から始めたこの人は、プレイバックシンガーとして映画との関わりも浅くはなかったが、自分自身の役での特別出演を除けば、本作が唯一の俳優としての演技。この時はまだ20代だったはずだ。これにはかなり意表をつかれたね。だってまあ、このオッさん、素顔を見てもお世辞にも男前とは言えない、っていうかハッキリ言ってキモい系じゃないすか。で、実際メイクをして花を飾ってスクリーンに登場してもやっぱヘンテコ顔なんだわ。にもかかわらず、物語が進むにつれて最高位の神仙としての深い慈愛のようなものが滲み出てくる。マッチポンプの謀略家というだけではなく、同時にあわせ持つリシとしての徳の高さが、いつの間にかオーラとなってこの素人俳優を覆っていた。これは結構みものだと思う。

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なんだかカンナダ版を貶すようなことを随分書いてしまったが、最初に断ったように本当に両作ともに鑑賞しても損はないと思うのだ。一番凄いのは何よりもこの神話のストーリーだと思うから。

特に「昼にも夜にも、地上でも天空でも、屋内でも野外でも殺されない/鳥・動物・樹木・虫によっても、武器・言葉によっても、天人・神・夜叉・人・その他ブラフマー神によるどんな被造者によっても殺されない」という恩寵を授かったヒランニャカシャプが、「黄昏時に、ナラシンハの膝の上で、宮殿の柱廊で、人獅子によって、素手で」殺されるというのが面白い。ほとんど頓智問答ではあるのだが、境界線上にある曖昧なものが持つ得体の知れない恐ろしい力という、原始的な神話世界に多く見られるモチーフが巧みに取り込まれていて唸る。

同時に、涜神の輩ですらヴィシュヌ神の大いなるはからいの中にいるという、バクティ的世界観のスケールの大きさに圧倒される。神話世界の中では、悪人にすら言祝ぐべき壮烈な死がありうるということ、自らを恃み暴虐を尽くした末の悔悟の暇さえ与えられない酷たらしい最期でありながら、それがヴィシュヌに近づくための悦ばしき一歩であるということ、こうした事々が民百姓にも夷狄の天竺映画オタクにも体感できるよう平易に説かれるのだ。心が洗われる。解脱への道が見えてきたような気すらするよ。

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解脱への道も見えたところでもういい加減にしとこうと思うのだが、最後にひとつだけ。83年のカンナダ版でのヒランニャカシャプのお母さん、まだ日のあるうちからイケないことで頭がいっぱいになっちゃった女仙人様、これを演じた女優さんは誰なんだ〜(ハアハア)。

投稿者 Periplo : 02:43 : カテゴリー バブルねたsouth so many cups of chai
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2012年04月01日

収集癖:ナーラダ仙(1)

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一月以上のブランクの後にブログを更新するのは、なんでだか訳もなくプレッシャーだったりする。なので今回は文章控えめでなるべく画像に語ってもらうエントリーにしようと思う。

「天界のトリックスター」ナーラダ仙がとにかく好物なのだ。

この辺境サイトにまで来て下さるような方には説明は不要だろうが、ナーラダ仙とはヒンドゥー教の神話世界でのリシ(聖仙)の代表格で、特にデーヴァリシ(神仙)と呼ばれる最高位にあり、三界を自由に行き来するメッセンジャーである。ヴィシュヌ神との繋がりが深く、常にヴィシュヌの異名である「ナーラーヤナ」を唱えている。芸術、特に音楽を司る技芸神としての一面もあり、タンブーラ(本来はヴィーナ)とカルタル(カスタネット状の楽器)を携えている。

そのためか、多くの仙人とは異なり、苦行者の形はとらず、髷を結い花輪を麗しく飾った姿で識別される。童貞の誓いを立てており、女性との艶めいた交渉はない。噂好きで、また秘密を守ることができない性格のため、天界ではしばしばトラブルメーカーともなる。

映画中では多くの場合、中背中肉のオバさんみたいな中年男性として描かれる。まだまだ色々と説明すべきことは多いが、それは今後のエントリーの中で徐々に書き加えて行くことにしよう。

まあ、こういう面白いキャラではあるのだが、神話映画の中では掻き回し屋として重要ではあっても、主役になることはほとんどない。しかしこの1980年のカンナダ映画では、ずばりタイトルにまでなっているのだ、しかも諜報エージェントもの(印度映画ではCIDジャンルと呼ばれることが多い)との合体で。面白くない訳がないでしょうが。

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Narada Vijaya (Kannada - 1980)

Director:Siddalingiah
Cast:Anant Nag, M P Shankar, Padmapriya, S Ashwath,
Tugudeepa Shrinivas, Sudheer, Hemachoudhari, Prathimadevi

原題:ನಾರದ ವಿಜಯ
タイトルの意味:Victorious Sage Narada, Sage Narada and Vijay
タイトルのゆれ:Naradavijaya

DVDの版元:Sri Ganesh
DVDの字幕:なし
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間13分
DVD 入手先:Kannada Store など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/narada-vijaya-kannada-1980

かなり以前に上記のDVDを買って観て、痺れに痺れてなんとか紹介したいものだと思いながらも、あまりに情報が少ないのと字幕がなくて想像で書かなければならない部分が多いのとで、逡巡したままそれっきりになってしまっていたのだ。

それがつい先日になってYouTube上に全編が字幕付きで上がってる(Shemaroo社提供)のを知ってビックリ。動画URLはhttp://youtu.be/9ZklUCRdEw4。こういうことはこれからも起きそうな気がする。

【ネタバレ度100%の絵入り粗筋】
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天界のヴァイクンタの園で、ヴィシュヌ神から任務をいいつかるナーラダ(Anant Nag)。人間界で二人といないほどの熱心なヴィシュヌ信者が苦境に立たされているのを救うべしとの指令である。ナーラダはとりあえず近くの雲上を航行中の飛行機に乗り込む。そしてあっという間にバンガロール空港に到着。

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降り立ったナーラダを地元警察のグルパーダ・シン(M P Shankar)らが出迎える。彼らはナーラダを、特命を帯びてボンベイからやって来たCIDのヴィジャイだと信じて疑わない。さらに怪しい男達もナーラダの後をつける。

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そして一便後の飛行機でバンガロールに到着する本物のヴィジャイ(Anant Nag)。ナーラダはホテルで寛ぐが、偶然にもその隣室にはヴィジャイが滞在することになった。ヴィジャイがバンガロールにやって来たのは、ギャングの一味に誘拐された科学者ラクシュミパティの行方を捜索して身柄を保護するため。そして、ガソリンなしで走る自動車という世紀の発明をまもなく完成させようとしていたこの天才科学者こそが、ヴィシュヌ神が救出を命じた大信徒だったのだ。

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ナーラダは彼をヴィジャイだと思い込んだヴィジャイのガールフレンドから迫られて多いに弱る。一方その頃ヴィジャイはスカートめくりをして遊んでいた。

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混乱は止まるところを知らない。ナーラダはヴィジャイの捜査を妨害しようとホテルにやって来たギャングの手下を相手に格闘する。一方その頃ヴィジャイは、そうとは知らずにナンパした博士の娘マーラー(Padmapriya)を追いかけ回していた。

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博士を監禁しているギャング一味は、シャッターを押すと被写体を数分間凍り付かせることができる魔法のカメラを使って犯罪を重ねていた。

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そしてナーラダとヴィジャイはついに対面し、お互いの目的が共通であることを知る。ナーラダは「ラクシュミパティを救うのはお前には無理だろう」とヴィジャイを挑発する。気色ばむヴィジャイ。

口論の中での行きがかりから、お互いに相手に成り代わって任務を遂行しようということになり、衣装を交換する二人。周囲の人々はさらに混乱する。

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一方ギャング達は、発明品を渡そうとしない博士に腹を立て、巨大電熱器で処刑しようとしていた。再び衣装を交換して元の姿に戻り、ギャングのアジトに突入するナーラダとヴィジャイ。博士を助け、一味を逮捕してめでたしめでたし。これにて任務完了。ヴィジャイはナーラダの偉大さを目の当たりにしてひれ伏す。(粗筋了)

【寸評】
上にあげた粗筋で分かっていただけたと思うが、本作は本来解説など全く不要な性質のものなのである。なので簡単に済ませよう。見どころは、全編に漲るとぼけたパロディーと、一人二役のアナント・ナーグ。特に後者、作中後半部分でナーラダとヴィジャイが服を取り替えてからのシーンが凄いね。印度の神さん映画に特有の(そして愛されている)仕掛けの一つに「成り済まし」というのがある。印度の神さんてのは変装が大好きだからね。Mayabazar (Telugu - 1957) Dir. K V Reddy で、サーヴィトリが演じた「可憐なシャシレーカーに化けた羅刹ガトートカチャ」の場面などが有名(バリ島の舞踊にも「クビャール・トロンポン」なんてのがあったよね、そういや)。この「成り済まし」を一人の俳優が同一の画面上で二人分同時に行うという高度な演技力が要求される場面なのだ。その芝居力が、こんなお莫迦映画に惜しみもなく使われてる、贅沢だあ。この人は、デビュー作である Ankur (Hindi - 1974) Dir. Shyam Benegal での印象があまりにも強すぎて、「立派な映画」でしかお目にかかれない俳優のように勝手に思い込んでいたんだけど、実際にはユーモア映画の第一人者だったのだな。カンナダ界、奥が深い。

それから音楽も、ソング・BGMともに素晴らしい。特に ♪Idu entha lokavayya (What a wonderful world)の生きる歓びの横溢に圧倒される。どうやらエキストラではなく見物の群衆をそのまま画面に取り込んでしまったらしいバンガロールの街頭シーンもいい。

歌詞の意味についてはこちらの掲示板上で詳細に説明されている。

字幕なしのDVDと5分ごとぐらいに強制広告の入るYouTube動画、どちらにも長短があるのだが、前世紀のカンナダ呑気ワールドにのんびり浸かりたいならDVD、細かいジョークを味わいたいならYouTube動画ってとこだろうか。一度は観て損はしないと思うよ。

これに関しては集中連載ではなくこれから気が向いた時にエントリーしようと思う。ナーラダ仙をどうぞご贔屓に。

投稿者 Periplo : 14:00 : カテゴリー so many cups of chai
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2012年02月28日

レビュー:Chaappa Kurish

マラヤーラム映画史上(印度映画史上?)初のiPhone映画。いや別にあいほんで撮ったって訳じゃないけど。

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アマル・ニーラドのもとで撮影監督をつとめ(Big B などを担当)、本作で監督デビューしたサミール・ターヒルはインタビューで以下のように語っている。

“I am not trying to convey any particular message through the movie. It’s a pure commercial entertainer. But if the viewers get something out of it, I will be more than happy,” Sameer says. (Yentha.com 記事 Behind The Camera: Chappayum Kurishum Screenil より)

なかなか潔い言明だね。しかし32歳のデビュー監督の言葉とは裏腹に、観た後にかなり色々考えさせられたよ。持てるものと持たざるものとの間の絶対的な距離についてではなく、マラヤーラム映画の将来についてだけど。

cvChappaKurish.jpgChaappa Kurish (Malayalam - 2011)

Director:Sameer Tahir
Cast:Fahad Fazil, Vineeth Sreenivasan, Ramya Nambeesan, Roma Asrani, Niveda Thomas, Jinu Joseph, Sunil Sukadha, Dinesh Panicker

原題:ചാപ്പാ കുരിശ്
タイトルの意味:Head or Tail ※But I wanted it in the colloquial lingo.” To one's amusement he adds "It's called 'Changum Chappayum' in Kollam, 'Thalayum Valum' in Kottayam, 'Raja Kozhi' in Thrissur and 'Chaappa Kurish' in Cochin. And I belong to Cochin." (Yentha.com 記事 Behind The Camera: Chappayum Kurishum Screenil より)
タイトルのゆれ:Chappa Kurish, Chaappa Kurishu, Chaappakurish

DVDの版元:Central
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間11分
DVD 入手先:Webmall IndiaBhavani DVDMaEbag など

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/09/chaappa-kurish-malayalam-2011.html/a>

【ネタバレ度40%の粗筋】
舞台はコーチン。建設会社のエグゼクティブであるアルジュン(Fahad Fazil)は、裕福な家庭に生まれ、ブームに沸く建設業界での競争に果敢に挑む企業家精神の持ち主である。一方で、選良意識の高い彼は、目下の人間・無用とみなした人間に対しては、挨拶やねぎらいの言葉をかけることすらしないような冷淡なところがあった。両親が決めた婚約者である資産家の令嬢アン(Roma Asrani)とつきあいながらも、会社の部下のソニア(Ramya Nambeesan)と密かに肉体関係を持っていた。

フォート・コーチンの惨めなアパートに住むアンサーリ(Vineeth Sreenivasan)は、エルナクラムのスーパーに勤め、さして多くもない稼ぎの中から田舎に仕送りしている。職場ではトイレ清掃などの単純労働のみをあてがわれている。彼は教育程度が低いだけでなく元来の性格にも鈍重なところがあり、同僚達から馬鹿にされ、雇い主からは屈辱的な叱責を浴び続けながら毎日を送っていた。

ある日、アルジュンはふとした遊び心から、自室に訪ねて来たソニアとの情事の一部始終をアイフォンで録画する。その後、ソニアはアルジュンとアンの挙式が迫っていることを偶然に知り、アルジュンを詰るが、彼はソニアとの結婚の約束をした覚えはないと突き放す。公衆の面前で取り乱したソニアを宥めようとしているうちにアルジュンはアイフォンをうっかりと落としてしまう。それを拾ったのはアンサーリだったが、彼は拾得物をこっそりポケットにしまい、その場を足早に後にする。落とし物に気づいたアルジュンの煩悶と焦燥の日々がそこから始まる。(粗筋了)

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【寸評】
以前に
Cocktail (Malayalam - 2010) Dir. Arun Kumar を紹介する際に形容した言葉を再度使うと、本作もまた「ごく平凡な都会人の生活スケッチと思われるところからスリリングなドラマを生じさせる、よく考えられた脚本」「担い手となっているのはデビュー、あるいはデビューから2、3作の新人監督」「知名度はそこそこあるが大スターとまではいかない俳優を巧みに配置し(つまり中規模の予算ということ)、都会を舞台にしてスリラー的な展開をする」といった共通の特徴をもつニューウェーブ的な流れの中の一本といえよう。いくつかの項目について留保つきながら、インテリ系の観客からはそれなりの評価を受けた。

そして例によって犯罪成分を含んだスリラー。しかしいくら流行だからといって、先が見えきった定型的展開&ソングやコメディなど独立パーツの組立て工法の映画ばかりを作ってきたケララ人が、緊密な金縛り系スリラーをゼロから急に作れる訳がない。なのでプロットやストーリーは他所から借りてくることになる。本作も、スマートフォンに録画された激やばビデオを巡る攻防という点で Handphone (Korea - 2009) Dir. Kim Han-min からヒントを貰っているという。金持ちの死活の鍵を貧乏人が手にしてしまったというシチュエーションは Taxi No.9211 (Hindi - 2006) Dir. Milan Luthria ともよく似ている(これ自体がハリウッド映画の非公式リメイクだという)。だけど、こういうのを見つけて「モラルのないパクリ」と切り捨ててしまうだけでは面白いとこを取り逃がしてしまうことになる。問題はローカライゼーションが成功してるかどうかということ。

ローカライゼーションとなると、ここにもう一つの問題が立ちはだかってくる。つまりケララには都市型スリラーにふさわしいメトロポリスというものが、現状ではどう贔屓目に見ても存在しないということ。そこを無理に作ろうとすると舞台は必然的にコーチンとなる。もちろんコーチンにも都市ならではのゴミ問題だの交通問題だのはあるけれど、都会的なクールさや酷薄さがあるかというとねえ。なもんで、そのへんのギャップをカバーしてアーバンでスタイリッシュな雰囲気を出すためにヴィジュアルワークに傾斜することになったりするのだ。本作でもその傾向は認められたが、全体的なバランスを崩すほどの変な凝り方にはなってなかった、幸いにして。

ケララらしさが感じられたのは、金持ちと貧乏人との間の距離の設定だね。金持ちの方は、印度全域に生息している鼻持ちならない&躾けが全くなってない自己中野郎の典型だけど、その身の回りからは目も眩む想像を絶するような富と権力は感じられない。貧乏人の方も、愚鈍で無気力で「貧困は自己責任」論者をほくそ笑ませるような人物像になってるけど、ともかく定職があり住処も持っている。両者を分け隔てる最も分かりやすい生活資材がアイフォンとガラケーなんだな。お宝の詰まったアイフォンを拾った貧乏人は、しかしその中身を見るすべを知らない。彼にできるのは着信に応対することと電源を切ることだけ。バイブ設定に切り替えるやりかたすら分からないのだ。この部分が、ネタもとの韓国映画にはなく、本作で観客を引き込ませる最大のポイントなのだと思う。

なお本作では、マラヤーラム映画としてはおそらく初めて、長々としたフレンチ・キスが遮蔽物なしに映された。ほとんどのレビューがそのことを取り上げているが、不思議なことにさほど非難も賞賛も引き起こさなかったようだ。同年公開の Salt n' Pepper (Malayalam - 2011) Dir. Aashiq Abu のソング中でのカジュアルなチョロっとしたキスシーンが一部で妙に持ち上げられたのと対照的に(というかこの小品自体がどうしてこんなにケララの衆に馬鹿ウケしたのかさっぱり理解できないのだが)。

本筋からはズレるのだが、しかし本作がお得だと感じたのは主人公アルジュンの友人に映画の吹き替え声優という設定の人物が出てくる(脚本上若干の必然性があるのだ)点。その人物が仕事してるとこが描写される短いシーン(ネタバレでも構わない人のみこちら参照)、最近のマ映画界の状況がクッキリ出ててかなり笑えるよ。ここにレビューをあげたのは実はこれを言いたいためだったりして。

ChaappaKurish03.jpgChaappaKurish04.jpg
まあそれと、金持ちが吠え面かかされてるところ見るだけで飯ウマ〜、って人にもお勧めだすね。

投稿者 Periplo : 13:32 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2012年01月27日

TNWコレクション:Avan - Ivan

おらもきっとインド映画見ながらこんな顔してるに違いねえ。おかしな男たちと喧しい女たちのお伽話。

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このタミル・ニューウェーブのシリーズを始めるにあたって、「バーラー監督作品は取り扱わない。何と言うか新潮流の一員というよりは、独自の作家性の中にいる人のような気がするからだ」なんてことを書いたのだけど、あっという間に自分でそのルールを破ってしまうのだ。理由は、すごく面白かったから。

cvAvanIvan.jpgAvan - Ivan (Tamil - 2011)

Director:Bala
Cast:Vishal, Arya, G M Kumar, Janani Iyer, Madhu Shalini, R K, Surya, Ambika, Jayaprabha, Prabha Ramesh, Ramaraj, Ananth Vaidyanatha, Vimalraj Ganesan

原題:அவன்-இவன்
タイトルの意味:That guy, this guy
タイトルの揺れ:Avan Ivan, Avana Ivan, Veedu Vaadu(テルグ吹き替え版のタイトル)

DVDの版元:Ayngaran, Lotus Five Star
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし(Ayngaran盤)
DVDのランタイム:約2時間11分
DVD 入手先:WebmallIndia など

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/09/avan-ivan-tamil-2011.html

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★★★☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★★☆☆☆
おセンチ度★★★★★☆☆☆☆☆衝撃度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★★★★☆☆シリアス度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★☆☆

【ネタバレ度20%の粗筋】
テーニ地方西ガーツ山麓の小さな村。60歳を迎えた土地のラージャー(作中ではザミンダールという言葉が使われている)・ティールタパティ(G M Kumar)は、屋敷以外の資産の多くを手放してしまっていたが、村人からはハイネスと呼ばれ充分な尊敬を受けて体面を保っていた。しかし、二人の妻と幾人かの愛人に生ませた15、16人もの子供達は誰一人寄り付かず、コソ泥稼業の二人の若者と、太っちょの孤児の少年だけを相手に日々の無聊を慰めていた。

そのコソ泥とは、異母兄弟のワルター・ヴァナンガームディ(Vishal)とクンブダレーン・サーミ(Arya)である。二人はそれぞれの母(Ambika, Jayaprabha)と共に隣り合った家に住み、板挟みになって項垂れるばかりの父親を尻目に、罵り合い、掴み合う毎日を送っていた。父の家系は代々コソ泥を生業として来たため、二人も当然のこととして盗みを行い、警察からも目を付けられている。しかしその営みが犯罪としてはあまりに軽微であるために、曖昧な形で村の暮らしに溶け込んでいる。泥棒の技術では弟のクンブダレーンが勝っていたが、斜視の兄のワルターには女形としての芝居の才能があった。仲の悪い二人ではあったが、ハイネスの前では一緒に子供のように遊び回っていた。ある時、ワルターは盗みに入った先で遭遇した巡査のベイビー(Janani Iyer)に一目惚れし、一方クンブダレーンの方も大学生のテンモリ(Madhu Shalini)に目を付ける。(粗筋了)

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テルグ吹き替え版 Vaadu Veedu のポスター。

【寸評】
そもそもなんでバーラー監督作品をこのシリーズから除外しようと考えたかというと、簡単に言って歯が立たない感じがあったからだ。たとえば Pithamagan (Tamil - 2003) なんか、そもそもタイトルの意味すらよく分かんないし(直訳は「祖父」、どうやら野辺送りの際に唱えられる経文の一部らしいのだが)。スリランカからの難民流入という社会現象を背景に、母と息子の関係を描いた Nandha (Tamil - 2001) は、割とすんなり受け入れられたんだけど、それ以外の作品が、観応えはあるのだけれども論じにくい難物に思えてちょっと尻込みしちまったのだ。それら作品は、いずれも境界線上にいる人間を主人公に据え、彼らを各種の極限状態に追い込みながら存在への問いかけを提起するという類のもので、もちろんインドでしか成立し得ないものではあるが、どちらかというと芸術映画に近い感触で、タミルの風土との繋がりは比較的弱いものに思えたのだ。

で、本作なのだが、上に挙げたようなバーラー作品の定番を期待していた観客にはかなり評判が悪かったようだ。でもこれ、バーラー・ブランドのレッテルを外して、一本のタミル映画として見るとかなり楽しい仕上がりになっていると思う。少なくとも筆者は充分に楽しんだ。威信を保つことに腐心しながら実際は寂しがり屋の老人であるハイネス、おちゃっぴぃな婦警さん、獰猛な母親たち(以前のエントリーでは小娘時代の可愛らしい写真を掲載したこともあるアンビカー、それに Nadodigal でオッソロシい女代議士を演じて鮮烈な印象を残したジャヤプラバーが演じている)、といった人々が織りなす、いうなれば現代の古譚なのだ。田舎を舞台にしていながらリアリズムではなく、転倒した、あるいは揺すぶられる権威(ハイネスの遊び友達としての泥棒兄弟、夫を放ったらかして掴み合う妻たち、警官にタメ口で話しかける悪ガキetc.)がコメディの中で語られる。しかし最初から最後まで仙境では映画にならないので、後半から異物が登場する。それが何であるかはここでは書かない。この異物にヒンドゥー教的価値観への挑戦を見るべきなのかどうかは難しいところだ。筆者はむしろ経済原理の万能性の侵食であると受け止めた。その異物との戦いの果てのクライマックスは、残酷でありながらどこかユーモラスで、壮麗な大盤振る舞いでもあり、民俗学的な興味をも掻き立てる見事なものだったと思う。

演技という面で見れば、多くの評者が言うように、ヴィシャールが最大の功労者であり見どころでもある。長身で筋肉質、色黒でなおかつ斜視でありながら、その女装姿には目を釘付けにする何かがあり、冒頭のダンスシーンからその困惑させる色気にタジタジとなった。大いに話題となったその斜視だが、脚本段階ではその設定はなく、撮影の初日に監督が思いついたものだという(TOI記事による)。そもそも意志の力で寄り目となって踊りや乱闘を含む演技をするなどということが想像を絶するものだが、ヴィシャールは撮影中度々の酷い頭痛に悩まされたという。そこまでして何故斜視にしなければならなかったのか、劇的な必然性はどう考えても見当たらないのだが、もし斜視でなかったならば、ゲストで登場するスーリヤが裸足で逃げ出した(←誇張)その劇中演技にはそれほど説得力がなかったかもしれない。ハイネス(ハイネスゥと発音するのがコツ)としてペーソスある芝居を見せてくれたGMクマールは、監督・脚本家として30年以上のキャリアを持った人物だが、本作によって一気に脚光を浴びることになったのは間違いない。テレビコマーシャルのモデルをやっていたというジャナニ・アイヤルはそれまでに端役で何本かの出演作があったようだが、本作のヒロインが事実上のデビューのようだ。ちっこくて可愛い婦警さんには大変好感を持ったが、さてこの先どうなるかね。

最後に、アインガラン盤のDVDにわかりやすい字幕をつけてくれたシュライヤンティさん(象印社は最近字幕担当者のクレジットも付記するようになったのかな)にもお礼を言っておきたい。

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投稿者 Periplo : 20:09 : カテゴリー so many cups of chai Tamil new wave catalog
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2012年01月11日

TNWコレクション:Mynaa

下のポスター、なんかちょっとピーテル・ブリューゲルのこの絵を思わせるものがあるね。これに限らず、当エントリーに掲載のイメージを見て何か感じるところのある人がいたら、迷わず本作を見ていただきたい。以下の駄レビューは読まなくても全然オッケー。イメージ通りの、清々しくも狂おしい緑の眩惑体験。

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2008年に旗揚げされた制作・配給会社レッド・ジャイアントは、歴史が浅いながらもヴィジャイ、スーリヤ、カマルハーサンといった 大スターの出演作を扱い、すでにタミル映画界の重要な一角を占めるに到っている。この会社の若きCEOウダヤニディ・スターリンのお祖父様は、言わずと知れた前タミルナードゥ州首相カルナーニディ先生、そして親爺様はチェンナイ市長やTN州政府内閣の要職を歴任したジョンイ…じゃなかった、MKスターリン同志である。それはともかく、錚々たる大スターが名を連ねる同社の制作・配給作品群のなかで、無名俳優をフィーチャーした明らかに低予算な本作だけが異彩を放っているのだ。コンテンツにあれこれと指図されたくないということで制作はプラブ・ソロモン監督自身が担当したのだが、試写を見せられたウダヤニディ君がぞっこん惚れ込んでしまい、レッド・ジャイアントの配給のラインナップに加わったということらしい。

cvMynaa.jpgMynaa (Tamil - 2010)

Director:Prabhu Solomon
Cast:Vidharth, Amala Paul (Anaka), Sethu, Thambi Ramaiah, Susan George, Sevvalai, Manroadu Manickam

原題:மைனா
タイトルの意味:ヒロインの名前
タイトルの揺れ:Mainaa, Myna

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間26分
DVD 入手先:<Bhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/wish-listmyaa

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★★☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★★☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★☆☆☆衝撃度★★★★★★★★★★
ハッピー度★★★★☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★☆☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★★☆

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【ネタバレ度50%の粗筋】
タミルナードゥ州テーニ地方のペリヤクラム拘置所。ディーパーヴァリの前日。看守長(Sub Jail Officer)のバースカル(Sethu)は落ち着かなかった。彼は結婚して間もない妻のスダーと共にこれからマドゥライに向かい、シヴァガンガ郡のアマランガドゥから来る妻の実家のメンバーと合流することになっている。興奮気味のスダーは電話で親戚にあれこれ指図をしている。彼女は度を超して我が儘なところがあり、バースカルも若干持て余している。

拘置所に収監されている若い男スルリ(Vidhaarth)は、テーニ山地の僻村セッヴァングディの出身。博打うちの息子として荒んだ家庭で育った。幼い頃、彼は街で母子家庭が借金取りによって追い立てを食らっているところに行き会い、その母娘を自分の村に引き取り、自分の祖母と一緒に住まわせる。以後彼はその娘マイナーの守護天使となり、あらゆる事柄に関して世話を焼くようになる。

自身は学業からドロップアウトしてしまったが、美しく成長したマイナー(Amala)の通学に毎日自転車で送り迎えをするスルリは、そのあまりの献身ぶりを村人にからかわれても一向に意に介さなかった。彼女が初潮を迎えた時も、成女儀礼のための費用を日雇い仕事によって調達したのは彼だった。彼は当然のこととしてマイナーと結婚するつもりでいたが、彼女の母クルヴァンマは娘を教育のある隣村の男に嫁がせようと目論む。それを聞いて激嵩したスルリはクルヴァンマに暴力を振るい、村人の通報によって逮捕され14日間の拘置を喰らったのだった。

拘置所内の行事が終わり、当直以外の職員達が休暇に入る準備をしていたところに、スルリが脱獄して逃亡中という報告が舞い込む。この不祥事がマスコミに漏れるのを恐れる上層部は、バースカルに1日以内にスルリを捕捉するよう命じる。彼は看守のラーマイヤー(Thambi Ramaiah)を伴って、急遽セッヴァングディに向かう。ディーパーヴァリの遠出がキャンセルになったことでスダーは怒り狂う。バースカルとラーマイヤーの二人はクランガニまではバスで行ったが、そこから先は漆黒の山中を夜通し歩くしかなかった。

セッヴァングディに帰り着いたスルリは再びクルヴァンマと掴み合っているところを、やっと辿り着いたバースカルに拘束される。興奮したクルヴァンマは娘のマイナーにすら危害を加えようとしたので、成り行きからバースカル達は手錠をかけてスルリを連行するのにあわせて、曖昧な形でマイナーも同行させることになる。ところが予期せぬ椿事が重なり、4人は西ガーツ山中で道を見失い、ケララのムンナールに出てしまう。(粗筋了)

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【寸評】
タミル・ニューウェーブの一つの到達点ではないかという気がする、類型としてのカテゴライズを拒むユニークな作品。到達点ではあってもここで打ち止めになるとは思わないが。しばらく前に紹介した Poo (Tamil - 2008) は、田舎が舞台で純愛がテーマという点で、一見同じ括りに入りそうにも見えるが、Poo が寓話性&文学性を指向したものであったのに対し、こちらはどこまでも映画的リアリズムなんだな(そして純愛というよりは狂恋と言った方がいいかもしれない)。作中に展開する出来事は普通の人間が体験することでは全くない、にもかかわらずリアルさがある。そしてリアリズムであるからといって痩せて枯れたものになるとは限らないということが感動を呼ぶのだ。

撮影は作中の舞台設定とほぼ同じ、テーニ地方の最西端、ケララ州境に近いボーディナーヤッカヌールの僻村で主に行われたという。撮影監督のMスクマーランへのインタビューによれば、屋外ではトロリーやクレーンはほとんど使われなかった(予算がなくて使えなかった)という。他のキャストやスタッフの証言を読んでも、シューティング自体がほとんどロードムービーのようなものだったようだ。

ロードムービーが筆者の好物である(そしてロードムービーには点が甘くなりがちである)ということはこれまでに何度か書いてきた。しかし、言うまでもないことだろうが、旅をするなかで、ただ風景が移り変わり、珍しい景色が立ち現れるだけでは不充分だ。空間を移動することによって主体である人間が変容することにこそロードムービーの存在意義がある。本作でもその道行きの中で、清冽な山の空気が人間を変えていく、脱獄囚と連行する警官という社会的な立場・レッテルが段々に削ぎ落とされ、各人が一個の人間として向き合うようになっていく過程が鮮やかなのだ。一方で、同じ山中、僅かな距離しか隔たっていないにも拘らず、タミルとケララの際立った人気(じんき)の違いというのもまた非常に劇的なものとして迫ってくる。これら構成要素がハーモニーを奏で、これほどの高みに昇りながら、最後の落としはあんまりだろう、というのは多くのレビューワーが苦情を言っているところ。筆者も同意見。

演技者たちのなかで本作の第一の功労者は、何と言ってもアマラちゃん。それほど台詞も多くなく、主要キャラの中では振れ幅の少ない役柄なのだが、取り囲む男達を変容させる触媒であるかのような神秘的な存在感、大きな瞳とアルカイック・スマイルの表現力が多いに活きた。アマちゃんなしでは本作は成立しなかっただろう。そして看守役のタンビ・ラーマイヤー。本業は監督である(しかし端役としての出演も少なくはない)というこの人が、本作のユーモアのパートを一人で受け持って笑わせてくれた。監督のプラブ・ソロモンは、本作の前にすでに6本もの作品を送り出しているというのに不覚にも全くノーチェックだった。これから可能な限り遡って鑑賞してみようと思う。


少女の喉を潤した水の飛沫を浴びて、歓喜する男と呆れる親爺。馬鹿馬鹿しくも芸の細かい演出が本作のユーモアの源。

投稿者 Periplo : 02:14 : カテゴリー so many cups of chai Tamil new wave catalog
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2011年11月23日

TNWコレクション:Anjathey

Chithiram Pesuthadi (Tamil - 2006) に続く、ミシュキン監督作品の第二作目。近年のタミル映画の都市型スリラーとしては傑作と評価された。

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この数年、筆者のタミル映画の鑑賞本数が減ってしまったのは、何よりもメディアの値段の相対的な高さによるものだったけれど、二番目の理由としてはガウタム・メーナン的なものにウンザリしてしまったせいもあるのだ。Kaaka Kaaka (Tamil - 2003)といい、Vaaranam Aayiram (Tamil - 2008)といい、大掛かりな割に薄っぺらいヒロイズムをたっぷりのメロドラマと変にマジなメッセージと一緒に見せられて、胸糞悪くなっちまったんだわな(そんなこと言いながら、ロマンス映画 Vinnaithaandi Varuvaayaa は決して嫌いではないのだが)。

筆者は、リアリズムを至上のものとする、インドのある種の映画好きとは立場を同じくしない。神話的な後光の中に仁王立ちするヒーローを常に待望しているのだ。が、作り手の「こうなりたかった格好いい自分」を芸もなく映像化しただけにしか見えない豪華アクション大作はどうしても駄目だ。そんな時に通俗的ヒロイズムとはちょっと違う本作に出会って、情念と運命の絡まりや、極限の悲惨の中の崇高といった、タミル映画を見始めた頃に刮目させられた世界に再び出会ったように感じ、懐かしくまた慰められる思いをしたのだった。

cvAnjathey.jpgAnjathey (Tamil - 2008)

Director:Mysskin
Cast:Narain, Ajmal Ameer, Prasanna, Vijayalakshmi, Pandiarajan, M S Bhaskar, Livingstone, Ponvannan, Bomb Ramesh, Sridhar, Sangeetha Balan, Priya, Snigdha Akolkar

原題:அஞ்சாதே
タイトルの意味:Do not fear
タイトルの揺れ:Anjathe, Anjathae, Anjaathe

DVDの版元:Moser Baer, Ayngaran (カバー写真は Moser Baer 盤)
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約3時間03分
DVD 入手先:Bhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/anjathey-tamil-2008

都会度★★★★★★★★★★田舎度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度★★★★★★☆☆☆☆お笑い度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★☆☆☆☆☆衝撃度★★★★★★★☆☆☆
ハッピー度★★☆☆☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★★☆

【ネタバレ度40%の粗筋】
チェンナイ・テーナームペーットにあるポリス・コロニー。サティヤ(サティヤヴァン、Narain)とキルバ(キルバカラン、Ajmal Ameer)は、どちらも巡査を父に持ち、向かい合った家に住み、同じカレッジで主席を争った仲でもある親友だった。しかし、3年に一度のサブ・インスペクター(SI)採用試験に向けて着々と準備をするキルバに対して、サティヤは目的もなく無頼の生活を送っていた。キルバの妹のウッタラ(Vijayalakshmi)は兄がゴロツキ同然のサティヤと付き合うことに顔を顰めている。サティヤは酒場での喧嘩をきっかけに、怪しげな商売人のローグ(Pandiarajan)と不気味な若い男ダヤー(Prasanna)と顔見知りになる。祭りの夜、ウッタラに目を付けたダヤーは浴室に入った彼女を襲おうとするが、すんでのところでサティヤが助けに入り、ダヤーを殴打する。しかしウッタラの気持ちを思い、彼女が襲われかけたことをサティヤは口に出さない。常々サティヤの素行を苦々しく思っている父のローガナーダン(M S Bhaskar)は、そんな事情も知らず、無用な暴力沙汰を起こしたとして大勢の前で息子を痛罵する。

父の罵りに憤激したサティヤは、周りの人間の鼻をあかすためだけにSIになろうと決心する。彼には大臣の個人秘書を務める伯父がいたが、彼に縋って様々な便宜を図ってもらうことを潔癖な父はこれまで許さなかった。サティヤは一人でこっそりと伯父のもとを訪れ、助力を頼む。不真面目な態度で臨んだにも拘らずサティヤは試験に合格し、1年間の訓練期間の後、地元テーナームペーットの警察署に配属となる。このころチェンナイでは少女をターゲットにした身代金誘拐事件が連続しており、とあるきっかけから覆面の犯人グループの一人の声を聞いて記憶したサティヤは、キールティ・ヴァーサン(Ponvannan)が率いる私服の特別捜査チームに組み込まれる。(粗筋了)

【箇条書きの寸評】
■長尺と長回し
ともかく近年では珍しい3時間超のランタイム、挿入歌はたったの3曲なのに! しかも、ミシュキンは妙に長回しに凝る癖があり、プラン・セカンスまでは行かないものの、1分を超えるようなショットはゴロゴロ出てくる。それに加えて、芸術映画にあるような、遠景・中景での物事の進行だとか、逆に人物の膝から下しか映らない数分間とか、娯楽映画的な発想からしたら盛り上げるというよりは逸らかすような映像のオンパレードなのである。でありながら、ダレるところが全くなく、一気に見られてしまう。おそらくそれは犯罪ドキュメンタリーを見ているようなリアリティの演出によるものなのだと思う。

■語る風景
チェンナイを舞台にしているにも拘らず、華やかな都会らしい風景は一切出てこない。メインの舞台であるテーナームペーットは決して郊外ではなく、有名な繁華街 Tナガルからも遠くない地区なのであるが。夜のシーンも多いが、昼間であってもどの光景も不思議にくぐもっており、タミルが太陽の国であることを忘れてしまいそうだ。最たるものが、クライマックスの砂糖黍畑。チェンナイ市の北端のイェラーヴールという設定だが、大空のもと黍の葉が青々と茂っているありふれた農村地帯のはずなのに、ただもう不吉で彼岸の景色のようなのだ。ちょっとしたボタンの掛け違いから運命の用意した破滅への道を突き進む登場人物と、それを黙って見守る自然との対比が鮮やか。人物が点でしかないロングショットを使って雄弁に語らせるミシュキンの心象表現の好例と言えるだろう。

■妹の力
全体的には男っぽい映画なのだが、一応ヒロインとしてヴィジャヤラクシュミがいる。前年の Chennai 600028 (Tamil - 2007) Dir. Venkat Prabhu でデビューしたばかりでこれが2作目。角度によって可憐だったり小母さんみたいだったりする不思議な女優だが、本作では慎ましい庶民の娘を好演。ただし、ヒロインであるのに通俗的なセックスアピールがあまりない。ヒーローの恋愛対象としてよりもセカンドヒーローの妹としての存在の方が重要だからだ。ミシュキンという人には割と重度の妹コンプレックスがあるのじゃないかと疑ってしまう。前作 Chithiram Pesuthadi では、小学生ぐらいの幼い妹だったが、グサッとくるような洞察力のある台詞を吐いて大変に印象深かった。第三作の Nandalala だけはシスコンよりもマザコンが勝った作品だったが、続く Yudham Sei では、その不在によって大きな影を落とすものとして妹が帰ってきている。ミシュキン映画の妹にはこれからも注目だ。

■悪役
本作では、チョコレートボーイとしてタイプキャストされていたプラサンナーを変質的な犯罪者の役で起用したことが大変に話題になり、賞賛されもした。しかし、プラサンナーの邦人女性ファンを敵にまわすことになるかもしれんが、ホントにすげえのはパーンディヤラージャンの方だと思う。短躯で不格好、時代遅れの印度人民服をまとい、内面の歪みが表に溢れ出てしまっているような面構え。こいつが、大胆で卑劣な犯罪に手を染めながらも、同時に小心で怯懦、その恐怖心から逆に簡単に残虐行為を行なってしまう、かなり危ない奴なのだ。Chithiram Pesuthadi でもそうだったが、ミシュキン映画の悪役はリアリティと突拍子もなさが合わさって怖い。80年代中盤からのユーモア映画のヒーロー格(当網站でも一本紹介している)で、近年は脇に回ったコメディアンとして活動を続けている、いわばチョコレート小父さんのパーンディヤラージャンから愛嬌髭を取り去ったら犯罪者が見えた、この彗眼には唸ったね。

■音楽
デビュー3作目のスンダルCバーブの楽曲は僅か3曲だが、胸キュンおセンチ歌謡 ♪Manasukkul Manasakkul は良い。ソング・ピクチャライゼーションにおける幻想と現実の織り交ぜ方が神懸かっている。お待ちかねの黄色いサリーのお姐さんが登場する ♪Kathala Kannala でアイテムダンスを披露するスニクダ・アコールカル(と読んでいいのだろうか)は、ミシュキンの次回作 Nandalala ではヒロインを演じることになるので注目だ。一方、バックグラウンドスコアの方は、若干古くさく、時々やりすぎな感じがあった。

■南インド映画と警察官
大きく出た見出しだよな。これについてちゃんと書こうと思ったら、超長文のエントリーが別に必要になるくらいだ。ここでは手短かに、一々典拠を示すのを略して書く。

サウス映画で主人公あるいは悪役としての警察官がプレゼンスを増すのは、大雑把に言って1980年代からである。前者はエンカウンター(あるいはフェイク・エンカウンター)をも辞さないスーパーコップ、後者は多くの場合政治家と癒着した汚職警官として現れる。本作のように玉虫色の警察官像を描くのは比較的珍しいものであるはずだ。

それから、前半のメインの舞台となっているポリス・コロニーというのは、インドの都会なら大抵ある、その名の通り警察関係者が集住する地区。英国植民地時代の遺制と古来のカーストによる住み分けとが結びついたものと思われるが、他にも公務員の職名がそのまま地区名となっているレイルウェイ・コロニー、ポスト・コロニー、アーミー・コロニーなどが多くの町に存在する。同じ価値観を持ち、同じような経済状態にある人々が集まって暮らすわけだ。そういう中で、巡査の息子がSIになるということへの切ない憧れは育まれていく。これを強烈なモチーフとしたものに Kireedam (Malayalam - 1989) Dir. Sibi Malayil という有名作(2007年にアジット主演で同じ題名のタミル・リメイクが公開されもした)がある。

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ヴィジャヤラクシュミとスニクダ。だけど、いっちゃん萌えたのは、誘拐される金持ちの子女でかなり気の毒な役回りだった
プリヤーちゃん(注、役名)だってことは内緒だ。

投稿者 Periplo : 03:12 : カテゴリー so many cups of chai Tamil new wave catalog
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2011年10月31日

TNWコレクション:Chithiram Pesuthadi

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「アンタいっつも黄色を歌ってるね。シャツも黄色、時計も黄色だ。バンダナも黄色じゃないか、一体なんでなんだい?」答えはインターミッションの後に語られる。貰い泣き必至の切ない物語が。

タミル・ニューウェーブの最重要監督の一人と言っていいと思う、ミシュキンのデビュー作を紹介しておきたい。

cvChithiramPesuthadi.jpgChithiram Pesuthadi (Tamil - 2006)

Director:Mysskin
Cast:Narain, Bhavana, Dhandapani, Mahadevan, Ravi Prakash, Sathyapriya, Vasantha Narayanan, Ajayan Bala, Jaya Madan, Singara Sukumaran, Gana Ulaganathan, Malavika (Guest Appearance)

原題:சித்திரம் பேசுதடி
タイトルの意味:Talking Parrot
タイトルのゆれ:Chithiram Pesudhadi, Chithiram Pesuthady

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間28分
DVD 入手先:BhavaniMyIndiaShopping など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/chithiram-pesuthadi-tamil-2006

なお、本作は、タミル映画としては珍しく(だと思うのだが)脚本が出版された。

都会度★★★★★★★★☆☆田舎度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度★★★★★☆☆☆☆☆お笑い度★★★☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★☆☆☆☆衝撃度★★★★★☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★★☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★☆☆

【ネタバレ度40%の粗筋】
チェンナイのどこか。8年生で学業をドロップアウトしたティル(ティルナーヴッカラス、Narain)は、職もなく無為な生活を送っていたが、ヤクザのドンの息子ヴァサンタを暴漢から助けたことがきっかけで、そのドン、アンナーッチ(Dhandapani)の手下となり、有能な鉄砲玉として重宝されるようになる。ある日彼は、スクーターに乗ったチャール(チャールマティ、Bhavana)とニアミスして諍いを起こす。叔父(Ravi Prakash)の経営する孤児院で働くチャールは、育ちの良い娘だが度を超して勝ち気なところもあり、不正義を見過ごすことができない。境遇が全く違うにも拘らず生活圏の近い二人は、その後もしばしば思わぬところで出会い、その度に衝突していたが、いつしか恋が芽生える。母を遠い昔に亡くしているチャールは、一人娘を溺愛する父(Mahadevan)を説得し、彼女のために更正への道を歩み出したティルとの結婚に同意させる。しかし挙式まで残すところ10日に迫った日に、衝撃的な事件が起きる。(粗筋了)

【寸評】
監督のミシュキン以外にも、本作では以下の人々がデビュー(タミル・デビュー)を果たした。マ映画界での鳴かず飛ばすを打破するため改名して心機一転をはかろうとしたナレン、ちょっと世界征服に行くわよっとケララを出発したバーヴァナ(本作でフィルムフェア・サウスのタミル映画最優秀主演女優賞を獲得)、そして現在では気鋭のミュージックディレクターとしてバリバリ仕事をこなしているスンダルCバーブ。また、ソングシーンに登場するガーナー・ウラガナーダンは、無名のディヴォーショナル・シンガーだったが、本作によって大ブレイクしたという。その一方で脇を固める役者は思わず唸るような渋い芸達者。タイトルロールでこれまでの代表作を冠にして表示されている3人、カーダル・ダーンダパニ、ピターマハン・マハーデーヴァン、アレパーユデー・ラヴィ・プラカーシュ、この親爺達に痺れたね。特に、一度見たら忘れられないダーンダパニのド迫力。ミシュキンは悪役の造形にたいそう凝る監督と見た。

タイトルの「おしゃべりな鸚鵡」の意味が説明される台詞などは見当たらない(あるいはソング中にあるものを見落としているのかもしれないが)。まあ、普通に考えればこれはバーヴァナ演じるヒロインを形容しているものなのだろう。正義感が強く、不正が行われているのを見ると後先考えずに突っかかって行く。訴えが通らないと悔しさのあまり号泣する。父親に対しては専横な暴君として振る舞う。惚れたら一途。空気を読まない。妥協しない。演じ手によっては相当嫌味なキャラになってしまうところだが、さーすがバーちゃん、キュートな、愛すべきヒロイン像になっている。
【追記】いやこの場合「Talking Parrot」はインコの御神籤占いのことを指しているのだろうか?そうなると含意するところはますます分からなくなる。

一方で、ストーリーは全編を通じて破滅へと向かう不吉さに満ちているものの、ミシュキン作品のトレードマークとも言える「暗いどよめき」は、まだ発展途上にある印象だ。特にソングシーンのピクチャライゼーションが足を引っ張っている。マラヴィカがゲストで踊る一曲を除くと見るに耐えない出来。予算はねえし、主演俳優は踊りからっ下手だし、どうしろってんだよ!とヤケクソででっち上げたものとしか思えん。マラヤーラム映画見てんのかと思った。しかし、お馬鹿妄想シーンでこんなイメージとか見せられると、ゴーマン発言で有名なミシュキン監督とも友達になれそうだとも感じた。

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ダーンダパニが演じるヤクザの本拠地は、バナナの卸屋だった!このファンタスティックな緑の魔窟のせいで星が増えたのだ。

投稿者 Periplo : 21:37 : カテゴリー so many cups of chai Tamil new wave catalog
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2011年10月28日

TNWコレクション:Kalloori

南インドにおいて、肌の色の違いは多くの場合階級の違いである。英語を喋るかどうかの違いはほぼ間違いなく階級の違いである。階級の違うもの同士の間で友情は成り立つのか。そして友情と恋愛は共存できるのか。

kaloori1.jpg

前回はちょっと長く書きすぎたことを反省中。やっぱブログってメディアにはそれ相応の程よい文章量ってものがあるわな。それに毎回あんなに書いてたら体が保たないし、途中で挫折しちゃいそうだし。なのでなるべくサクサク紹介して点数を増やそうと思う。

cvKalloori.jpgKalloori (Tamil - 2007)

Director:Balaji Shakthivel
Cast:Tamanna, Akhil, Hemalatha, Rajeshwari, Sailatha, Mayareddy, Prakash, Thisaigal Arunkumar, Bharani, Kaamatchinaadhan, Balamurugan, Arunkumar, Alex

原題:கல்லூரி
タイトルの意味:Collage
タイトルのゆれ:Kalluri

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間20分
DVD 入手先:AyngaranMyIndiaShopping など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/kalloori-tamil-2007

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★★☆衝撃度★★★★★☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★★
消化不良度★☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★★☆

【ネタバレ度20%の粗筋】
タミルナードゥ州のどこかの地方都市。タミル語ミディアムのハイスクールを卒業したムットゥ(Akhil)は州立人文カレッジの歴史学科に入学する。ハイスクールの同級生の8人の男女も一緒だった。彼らはその多くが下層の家庭の出身で、様々な問題を抱えながらもなんとか高等教育の場に進んだのだった。初めての授業で彼らは同じクラスの女子生徒ショーバナ(Tamanna)に目を奪われる。地方長官や裁判官などを代々輩出したバラモン家庭出身の彼女は、ぬけるような白い肌と、流暢な英語とで他の生徒達を圧倒する。最初はお高くとまっているように見えたショーバナだが、ムットゥ達との交流の中で打ち解けるようになる。 10人の男女はいつまでも変わらない友情を誓い合うが、彼らの間で恋愛感情が芽生えてくることによって亀裂が生じはじめる。(粗筋了)

【寸評】
個人的な話で恐縮だが、ともかく学園青春ものというのが苦手なのである。言うまでもないが、キャンパスで出会ったハクいお姐さんに一目惚れして追いかけ回してたら怖い親爺が出てきて、トラックに満載の鎌持った手下の皆さんを相手に死闘を繰り広げる、というのは違う。ここで言う学園青春ものとは、多くの場合中産階級の子弟が集うキャンパス生活自体を、甘酸っぱいノスタルジアでコーティングして描く群像ドラマのことである。もちろん恋愛もあるが、メインとなるのは友情である。自分にとっちゃ、日本人のサウス映画ファンの間でも大変評価の高い Happy Days (Telugu - 2007) Dir. Sekhar Kammula も「ケッ」ってなものだったし、 Classmates (Malayalam - 2006) Dir. Lal Jose も、サスペンスの要素がなかったら評価するところゼロだったかもしれない。まあたぶん、これは観るもの自身がいい学生時代を送ったかどうかの差なんだろうけどね。

KallooriTamanna.jpgそれが、本作でだけは違ったのである。自分が実際に経験したことでもないのに、一々のエピソードに引きこまれ、固唾を飲んで見守った。幼くて特に賢くもない学生たちの人間模様という点では上に挙げた2作と同じ、ただ本作では、メインの登場人物の多くが貧困と向き合っているという点が違う。彼らにとって恋愛沙汰などというのは余剰的で贅沢な営為であり、不道徳ですらあり、意図して遠ざけなければならないものであった(妄想のソングシーンにあってすら、恋人たちは手も握らないのだ)。にもかかわらず恋心はジリジリと炙り立てるように追いかけてくる。前半はムットゥの、後半はショーバナの、その心の揺れが非常に丁寧に描かれる。特にショーバナを演じたタマンナーは圧巻。限りなくノーメイクに近いナチュラルメイク(かえってそれでインド人離れした白さが際立つのだ)で、上流家庭の慎ましいお嬢さんの雰囲気を完璧に描写し、恋愛の過程での憧れ、焦燥、嫉妬、喜び、自己嫌悪といった全ての感情を易々と表現していて驚嘆する。今やタミル映画界の女王となったタマンナー・バーティヤー(もちろん北インド出身)だが、大ブレイク(2009年ぐらいからか)以前にこんな見事な芝居をしていたのだ。これだけでも本作は、ニューウェーブに関心のある向きにだけでなく全てのタミル映画ファンにとって観るに値するものだと断言できる。

リアリスティックな田舎の学生生活の描写と同時に、本作ではある重大な社会的事件(ネタバレでも構わない人のみこちら参照)と、その土壌となっている政治的風土についても語られる。クライマックスにこれを持って来たことによって、制作者が何を訴えたいのか若干戸惑ってしまう(DVDの付録として採用されなかった別バージョンのラストシーンが収録されているということは、制作者にも迷いがあったのか、それとも何らかの圧力があったのか)のだが、それではどんな終わり方が良かったのかと考えてみても、これに代わるものは思いつかないのだった。

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本作の制作は S Pictures。『ラジニカーントのロボット(Enthiran)』のあのSシャンカル監督がオーナーのプロダクション会社である。自身は毎回記録を塗り替えるような巨大予算ポトラッチ映画を監督しながらも、一方でこの人は低予算の良質なスモール・シネマを送り出し続けている。プラカーシュ・ラージがオーナーのプロダクション Duet Movies と、この S Pictures、タミル・ニュー・シネマの2つの有力な供給元として今後も注目していきたい。

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「兄ちゃんぶたないで。一所懸命やったんだけど、染みはとれなかったの。ますます濃くなっちゃったみたいなの」ハンカチという古典的な小道具で泣かせる台詞。

投稿者 Periplo : 17:27 : カテゴリー so many cups of chai Tamil new wave catalog
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2011年10月08日

アラビアお伽噺

これは Arabi Katha(アラビア物語)ではない、Malayali Katha(マラヤーリー物語)なのである、なんて言ってるポスター。
Arabikatha

相当以前にあげた記事で、

ケララの衆にとって、豊かで何でもアリでオサーレーで憧れちゃう宝の国っていったら、なんつってもアメーリケなんだな。いろいろ見てみたけどイギリス在住 NRI にはついぞお目にかかったことがない。不思議だ。湾岸ていうのは、リアリティあり過ぎてまた意味が違って来ちゃうんだろうし。逆にジャッパンなんて、あまりにイメージなさ過ぎて造形不可能なんだろし。

なんてことを書いたのだった。アメーリケやジャッパンに関してはまあ今でも変わりはないのだけれど、湾岸に関しては少し分かってきたことがある。それは、実際に行った者と、ケララに残った者との間でのイメージのギャップだ。行って帰って来た者はあまり多くを語りたがらない、あるいは語るすべを持たない。一方残った者達は出稼ぎ者によってもたらされた金品によって野放図に想像を膨らませる傾向があるようだ。そしてこれまでのマラヤーラム映画はもっぱら後者に寄り添って作られてきたのだ。

従来のマ映画で最も多かったのは「がるふに行きたしと思へども がるふはあまりに遠し」というパターンで、Nadodikkattu (Malayalam - 1987) Dir. Sathyan Anthikkad なんかが代表例となるか。あくまでもケララの地から憧れてるだけの話。2000年代になると、貧乏なマ映画でも海外ロケは珍しいものではなくなってきて、一部をドゥバイなどでロケした作品が多少は目につくようになってくる。その場合は、幸運にもドゥバイで成功して巨万の富を築いた人物、またはドゥバイの暗黒街のドンが出てくるのが決まりだった。お約束は砂漠にキャンプを設営しての夜の大宴会・ベリーダンス付き。この系統で代表的なのは、公開当時マ映画史上最もハイバジェットだと言われ、そして見事に大コケした Dubai (Malayalam - 2001) Dir. Joshiy になるかね。

まあ娯楽映画なんてそういうものだと言っちゃえばそれまでだが、大卒者、学位保持者が「石を運ぶ仕事をしていた」というような湾岸出稼ぎの現状は、これまでスクリーン上で再現されることはほとんどなかった。ちなみに、上に引いたセリフは Varavelppu (Malayalam - 1989) Dir Sathyan Antikkad にあったと思う。

以下に紹介するのは、そのような定型パターンから外れた、実際に湾岸に赴いた者の生活の実情を描き出そうと試みた2本。別の意味でのお伽話ではあるのかもしれないが。

cvArabiKatha.jpgArabikatha (Malayalam - 2007)

Director:Lal Jose
Cast:Sreenivasan, Chang Shumin, Jayasurya, Jagathi Sreekumar, Guruvayoor Sivaji, Indrajit, Nedumudi Venu, Samvrutha Sunil, Salim Kumar, Atlas Ramachandran, KTC Abdulla, Augustine, Suraj Venjaramoodu, Narayanan Nair, Anil Panachooran, Sadiq, Majeed

原題:അറബിക്കഥ
タイトルの意味:An Arabian Tale
タイトルのゆれ:Arabikkatha, Arabikkadha, Arabi Kadha, Arabi Katha

DVDの版元:Central
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間30分
DVD 入手先:Bhavani DVD など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/arabikatha-malayalam-2007

【ネタばれ度30%の粗筋】
ケララ内陸地方の片田舎、チェンマンヌール。共産党の専従党員ムクンダン(Sreenivasan)は労働争議に明け暮れる日々を送っていた。父ゴーパーラン(Nedumudi Venu)からコミュニスト魂を受け継いだ彼が神のように崇めるのはフィデル・カストロ。そのためにキューバ・ムクンダンという綽名を持ち、妥協を知らず、党活動にのめり込むあまり中年になっても未婚の彼は、現実主義の党上層部メンバーからは密かに煙たがられていた。そんな彼をある日突然の不幸が襲う。農作業中に急死した父ゴーパーランに、党資金の使い込み疑惑が急浮上したのだ。実はこれは党執行部によって仕込まれた陰謀だったのだが、そんなことを知らないムクンダンは党資金返済のためにドゥバイに出稼ぎに行くこととなる。資本主義の牙城ドゥバイを憎悪するムクンダンは、彼の地で労働組合を結成することなどを目論むが、到着早々そんな夢想は打ち砕かれ、パキスタン人の監督の下で単純肉体労働に従事する。ある日彼は街頭でマラヤーラム映画の海賊盤VCDを売り歩く中国人の女性(Chang Shumin)と巡り会う。お互いに片言の英語でしか話せない間柄であるにも拘らず、ムクンダンは彼女に夢中になる。人民革命の大業を成し遂げた中国からやって来た、ただそれだけの理由から。(粗筋了)

【寸評】
皮肉とペーソスと感傷が巧みにブレンドされた上質の大人向けお伽話。全編の半分以上がドゥバイで撮影され、出稼ぎ者の悲哀と寄る辺なさがタップリと描写されるのだが、一番の批判の対象となっているのはケララ社会のありかた、そして左翼運動の今日的現状だったりする。ただし、玉虫色のエンディングを見ると、共産主義をこてんぱんに批判・断罪しているものでもない。つまり右の人も左の人もそれなりに楽しく観られる作りになっているんだ。こういう「敢えてとことんまで突き詰めない」というのはラール・ジョース監督の得意技だ。一方で個々の登場人物の愛すべきキャラ造形が、胃もたれしないしユーモア映画として本作を成功に導いたのだと思う。例えばシュリーニヴァーサン演じる主人公が、単に人民中国から来ているというだけでヒロインに一目惚れするところ。映画的に見ると、もうちょっと華のある女優(素人であったとしても)を引っ張ってこられなかったのかとも思う。しかし、あまりフェロモン発散のない、ちょっと疲れたようなこの人にゾッコンになってしまうというところに、逆に老唯物論者の馬鹿っぷりが見事に表れていて笑える。本筋からは外れるが、筆者にとって一番印象深かったのは挿入歌 ♪Chora Veena だった。勇ましい革命歌謡なのだが、うっすらと哀しみがつきまとう。これがね、なんかじ〜んと来ちゃうのよ何遍聴いても。政治的信条とかそういうのとは無関係に、餓鬼の頃の運動会の入場ソングがワルシャワ労働歌だった世代には堪んないんだぁ。てっきり歴史的な革命歌なのかと思っていたが、実は歌詞も楽曲も本作のオリジナル(本歌取り的な意味での下敷きはあったようだ、こちら参照)らしい。これはケララ左翼の皆さんの間でも大ヒットして、今では現実の示威行進などでこの曲が使われることも多々あるという。椰子の国のむせかえる緑の中にはためく紅旗と革命詩人、美しいじゃありませんか。

Arabikatha2.jpg


一方、こちらは「本当は怖いお伽噺」というタイプか。

cvGadhama.jpgGaddama (Malayalam - 2011)

Director:Kamal
Cast:Kavya Madhavan, Sreenivasan, Suraj Venjaramoodu, Biju Menon, V G Muralikrishnan, Jaffer Idukki, Lena, Sukumari, KPAC Lalitha, Sasi Kalinga, Shine Tom, Manu Jose, Ali Khamees, Mariam Sulthan, Khaamiz S Mohammed, Hala Al Sayed, Ahmed Saleh, Adnan Althuki, Tehani Al Mohammed, Abi Gael

原題:ഗദ്ദാമ
タイトルの意味:Housemaid(原題はアラビア語)
タイトルのゆれ:Khaddama, Gadhama

DVDの版元:Central
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約1時間56分
DVD 入手先:MyIndiaShoppingWebmall IndiaBhavani DVDMaEbag など

オフィシャルサイト:http://www.khaddama.com/
参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/gadhama-malayalam-2011

Gaddama.jpg

【ネタばれ度10%の粗筋】
ラザック・コッテッカード(Sreenivasan)はサウジアラビアの首都リヤドに定住しているケララ人で、小商いの傍ら、この地で同胞のマラヤーリーに起こる様々な問題に取り組み手助けをするソーシャルワーカーでもあった。ある日彼は、リヤドから400km離れた地方都市ブライダで住み込みメイドとして働いていたケララ人女性アシュワティ(Kavya Madhavan)が、雇い主の家から金品を盗んで逃走中との新聞記事を目にする。記事に書かれていることに疑念を持った彼は独自に調査を開始する。(粗筋了)

【寸評】
Arabikatha とはガラリと変わって、こちらは実話に基づく恐怖の逃走劇。スリラーとしての性格が濃いのであまりネタバレになることは書きたくない。クウェート在住のITエンジニアとの見合い結婚&移住の後、よくわからない経緯から泥沼の離婚劇を経てケララに帰還したカーヴィヤ・マーダヴァンが主演、本作によって完全復活が宣言された。観る前は告発調一辺倒の陰惨なアート系作品だと思ってたのだが、見事に裏切られた。これ、言うなれば「カーヴィヤ版ダイハード@サウジ」なんだわ。そうはいうものの、主役はか弱い女性、主体的に戦う場面はほとんどなく、逃げ惑うばかり。その一方で、彼女が赴く先々で、相対する人物がそれぞれに「この人を救うべきか、見捨てるべきか」を迫られるのだ。この部分にヒューマニティを追求するカマル監督らしさがよく表れていた。また、メイドとして湾岸に出向くケララ人女性が直面するかもしれない困難を容赦なく描きながらも、雇い主による性的な虐待の描写だけは避けて(代わりに別の国からやって来た女性が担わされるのだが)、実社会での出稼ぎ女性に差別の目が向かないように心配りもされている。しかし他方で全くの獣として表出されたアラブ人の描き方には反発も起きたようで、湾岸のいくつかの国では上映禁止となった。このあたりが、本作をリアリズム作品というよりは裏返しのお伽噺として扱いたくなる部分ではある。そして悪夢のような逃避行の後にほのかな希望の光を感じさせるエンディング。ここでの大変抑制された奥ゆかしい演出に感じ入った。カーヴィヤ・マーダヴァンは国家映画賞候補になるなどと騒がれたが、この人の通常レベルからしてこの位は普通という感想を持った。印象に残ったのは Bhramaram (Malayalam - 2009) Dir. Blessy で初めて注目したVGムラリクリシュナンだった。これがデビューから3作目。マ映画には少なくない「主役もこなせる性格俳優」として、これからお目にかかる機会も増えてくるのではないかと思われる。それから、ここのところ出演作が増加中の脇役シャシ・カリンガ、あまりに容貌魁偉すぎて分量を誤るとバランスが崩れてぶち壊しになりそうなこのオッさんを、ああこういう風に出して来たかと膝を打ちたくなる使い方、このあたりも見所と言っていいかと思う。ともかく鑑賞後に雨上がりの清々しさのようなものが感じられるお勧め作品。2本併せてみるとまた格別かも。

Gaddaama
映画関係者だけのプレビューでマンジュ・ウォーリアルとサミュークタ・ヴァルマが本作をいたく気に入って激賞した、ただそれだけの理由から二人の顔写真が並べられたポスター。

投稿者 Periplo : 03:45 : カテゴリー so many cups of chai
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2011年09月27日

レビュー:Traffic

汚れちまった人生だけど、それでも生きにゃあならんのだ。

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渋い実力派俳優を揃えて低予算で勝負、2011年前半に封切られて評判になり、結果的にかなりの興行成績を収めたという一本。

cvTraffic.jpgTraffic (Malayalam - 2011)

Director:Rajesh Pillai
Cast:Sreenivasan, Kunchacko Boban, Rahman, Vineeth Sreenivasan, Asif Ali, Lena, Sandhya, Roma Asrani, Ramya Nambeesan, Sai Kumar, Vijayakumar, Prem Prakash, Anoop Menon, Namitha Pramod, Anjana Menon, Gauri Krishna, Munshi Venu, Baiju Ezhupunna, Saju Alffingal, Dr. Rony, Santosh Krishna, Sudeep Joshi, Premlal, Manoj, Raj Kumar, Sibi Kuruvilla, Reena Basheer, Fathima Babu, Nisha Sarang

原題:ട്രാഫിക്‌

DVDの版元:Central
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約1時間56分
DVD 入手先:MyIndiaShoppingWebmall IndiaAmazon.comBhavani DVDMaEbag など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/traffic-malayalam-2011

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【ネタバレ度10%の粗筋】
9月16日の朝9時ごろ、エルナクラムの市街地のとある交差点。自家用車を運転する若い女性は、しばらく前から前後を付きまとっては野卑な言葉を投げかけてくるバイクの不良達に悩まされていた。マラヤーラム映画界のトップに立つスター、シッダールト・シャンカル(Rahman)は、新作の封切りを横目に、早朝撮影を終えてパーラッカードの自宅に自家用機で向かう前に、ライブのTVインタビューをひとつこなそうと車を走らせていた。医師のエイベル・テリアン(Kunchacko Boban)は愛妻シュウェータ(Ramya Nambeesan)へのサプライズ・プレゼントに買った新車を引き取り、自ら運転して帰宅するところ。助手席には友人のジートゥがいた。交通巡査のスデーヴァン・ナーイル(Sreenivasan)は長年の勤続で初めてくらった停職処分が解けて、職場である警察署にスクーターで向かっていた。微細な収賄に手を染めて検挙され、その模様が大々的に報道されてしまったため、彼は家族にあわせる顔がなかった。若いレーハン・シャイフッディーン(Vineeth Sreenivasan)は、念願かなってTV局の採用試験をパスし、試用期間初日に親友ラージーヴ(Asif Ali)のバイクに同乗して出勤するところだった。FMラジオ局のディレクターであるマリア・テリアン(Roma Asrani)は空港に向かう同僚が運転する車に乗って移動する途中で、自局の放送を耳にしてその内容に腹を立てていた。

同じ日の昼前後、コーチン警察のコミッショナーであるアジマル・ナーセル(Anoop Menon)は、コーチンからパーラッカードまで、非常にデリケートな荷物を運ぶために警察の総力をあげて作戦行動にとりかかるよう州政府高官から依頼される。両都市間の距離は約180km、自動車専用の高規格道路は存在しない。立体交差すらほとんどないのだ。ウィークデイの午後に、この区間を平均時速100km、2時間で走り抜けなければならない。何よりも厳しいのは綿密に作戦を練る時間がないということ。1秒でも早く行動を開始しなければならないのだ。(粗筋了)

【寸評】
いや、アクロバティックな脚本に唸ったね。いわゆるグランドホテル・スタイルのストーリー。普通このタイプの物語は、クライマックスに来てそれまで無関係だった登場人物が一堂に会して大イベントが起きるというのがパターン。このスタイルは、まあまずクライマックスを先にブチあげておいて、そこに到るまでの各人の人生行路みたいなのを個別にそれらしく構築すればいっちょあがりだ。実際に本作と同時期に公開された Vaanam (Tamil - 2011) Dir. Krish などもそれだった。 ところが本作はその裏をかいて、冒頭でいきなり主だった登場人物が一つの交差点の周辺でニアミスしてしまう。そしてその後彼らはくっついたり離れたりしながら最後まで濃くあるいは薄く関わり続けるのだ。しかも最初の全員集合にしても、実は直前の各人の言動が微妙に絡み合った結果であるというのにも感銘する。また、2時間を切るランタイムの中で大勢の登場人物の性格や置かれた状況を的確に表出するテクニックも凄い。一例を挙げるならば、ラフマーンが演じるマラヤーラム映画界のトップスターが口にする「俺の名前を出したのか?」という一言、これでこの人物がいかに思い上がった増長慢であるかがクッキリと浮かび上がる。台詞だけではなく、シュリーニヴァーサンのアップの顔が映し出されるだけで、平凡な下積み人生の中でほんの一瞬魔が差した汚職警官の深い悔恨が押し寄せて、貰い泣きせずにはいられなくなるのである。やはり芸達者脇役軍団の芝居は凄い。一方で親子や恋人・夫婦同士の感傷的なやりとりもむせび泣くバイオリンと共にたっぷり描かれるのだが、どこか抑制が効いている。制作者達は、たとえばシュリーニとヴィニートを親子役にキャスティングするとか、そういう方向での安易なセンチメントの盛り上げには一切興味がなかったようだ。

しかし、いろいろ書いてみたものの、最大のアトラクションはコーチン(エルナクラム)〜パーラッカードの2時間走破大作戦の部分。一度でもこの2点間移動をやってみた者なら分かるスリリングさ。ケララ州の大動脈である国道47号線で平地部を貫いてトリシュール近郊まで北上する約90キロ、ここまではまだ何とかなる。残り半分は徐々に高度を上げて行く片側一車線道、ところどころに葛折もある。狭隘なのに交通量の多いこの部分を平均時速100kmで駆け抜けるのはまず無理。どうするかというと、前半の平地部でさらにスピードを上げて時間を稼ぎ、なおかつ山地部では国道から外れた小集落の村道を抜け道として利用するしかない。運搬車の乗員、そして路上の歩行者のリスクといったら尋常じゃないのだ。しかもそこに、ある人物の突然噴出した激情の波が押し寄せて…。と、最終的には運転技術ではなく人の心が道行きを揺さぶる。まあ、面白いですよ。低予算映画でもクレバーに制作されれば、ヒットに繋がるという見本のような一本。カマル・ハーサンが出演するというタミル・リメイク、 結構なマルチスターになりそうなヒンディー・リメイクの話も既に動いているようだが、できれば最初にマラヤーラム版を観とくことをお勧めしたい。

【それでも突っ込みはある】
ケララ・ポリスにはGPSナビを買う金もないんかい!

【本筋には無関係だが気になる】
クライマックスの舞台になる架空の集落、ビラール・コロニー。ゴールのパーラッカードに近い最後の難所として現れる。劇中の台詞によれば「マイノリティ(=ムスリム)が集住し」「デリケートで警察も気軽には踏み込めない」「ブラックマーケットのある、違法流通物資の集積地」「かつての手入れでは銃撃戦が起きたこともある」「DVDを求める外国人観光客がしばしば訪れる」。なぬっ、DVD? そんなパラダイスな無政府地帯がケララにある訳? モデルはどこだーっ!

Traffic
しかしいくら脚本の勝利だからと言って、裏方の方が威張ってるこのポスターには感心しないがな。

投稿者 Periplo : 03:31 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2011年08月15日

レビュー:Cocktail

ワールド映画として見るならば凡庸な部類に入ってしまうのかもしれない。第一、カナダ映画の(たぶん無許可)リメイクだって言うし。それでもやっぱり少しは感想を書き留めておきたいのだ。

Cocktail1.jpg

長らくフィルム編集を手がけてきたアルン・クマールの監督デビュー作。Kochivibeのインタビューによれば、ヒンディー映画に本格的に進出してからのプリヤン先生作品のほとんどを担当したそうだ。

cvCocktail.jpgCocktail (Malayalam - 2010)

Director:Arun Kumar
Cast:Anoop Chandran, Samvritha Sunil, Jayasurya, Mamukoya, Innocent, Aparna Nair, Fahad Fazil

原題:കൊക്ക് ടെയ്ല്‍

DVDの版元:AP International
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約1時間50分
DVD 入手先:Webmall India など

オフィシャル・サイト:http://www.cocktailthefilm.com/
その他の参考レビュー:http://periplo.posterous.com/cocktail-malayalam-2010

【ネタバレ度30%の粗筋】
ラヴィ・アブラハム(Anoop Menon)は大手建設会社に勤めるやり手の管理職。ライバル会社との間で、そして社内の同僚との間でも、常に熾烈な競争に晒されていた。ある日彼は一人娘を新顔のベビーシッターに委ねて、妻のパールヴァティ(Samvritha Sunil)と共に外出する。道端で故障車の傍に佇んでいたアンビと名乗る男(Jayasurya)を善意で車に乗せたところから事件は始まる。最初は陽気に世間話をしていた彼は突如ラヴィに銃を突きつける。そして、ラヴィとパールヴァティは彼に絶対服従しなければならないこと、もし逆らえば共犯であるベビーシッターが娘に危害を加えるであろうことを告げる。(粗筋了)

【寸評】
先日のレビューでは、最近のマラヤーラム映画に奇抜な設定を活かしきれず企画倒れに終わる凡庸なホームドラマやラブコメが多いと書いた。しかし一方では、ごく平凡な都会人の生活スケッチと思われるところからスリリングなドラマを生じさせる、よく考えられた脚本のものも少しずつ出て来ている。担い手となっているのはデビュー、あるいはデビューから2、3作の新人監督。これまで観たものの中では Passenger (Malayalam - 2009) Dir. Ranjith Shankar, Traffic (Malayalam - 2011) Dir. Rajesh Pillai, Race (Malayalam - 2011) Dir. Kukku Surendran なんていうところが思い出される。

知名度はそこそこあるが大スターとまではいかない俳優を巧みに配置し(つまり中規模の予算ということ)、都会を舞台にしてスリラー的な展開をするものが多い。そしてタイトルは何故だか英語のものが目立つ。しかし、これをマラヤーラム・ニューウェーブだと言ってしまうのにはためらいがある。本作のようにストーリーが借り物であることもあるし、第一まだ本数が少ない。

残念ながらオリジナルの2007年カナダ映画 Butterfly on a Wheel を観ていないので公平な判断はできないかもしれない(ケララの大部分の観衆もそうだろう)。しかしコーチンを舞台にした本作は非常に面白かった。よく知っている、あるいはなんとなく見覚えのあるような風景の中で凄いことが進行しているというところに、余計にスリルを掻き立てるものがあったのだと思う(ケララの大部分の観衆もそうだっただろう)。どうやら金が目的ではないらしい犯人は、夫婦を街の様々な場所に連れ出して、考えうる限りのありとあらゆるサディスティックな責め苦(恥辱プレイをはじめとした♪)を課すのだ。いやぁ〜、金持ちが虐められてるところを見るのは無条件で快…(略)。

ええと、ともかく久々に暗くヒリヒリとした情緒を味わえて楽しかったのである。ただし、一方で限界というものも感じられる。ノワールな世界を器用に表現した本作ではあるが、たとえば Aparan (Malayalam - 1988) Dir. P Padmarajan のラストのような、「存在そのものの不安」を暗示するかのような域には達していない。良くも悪くも娯楽的。

大掛かりな宣伝もなく公開された本作は、好意的なレビューと口コミに援護されて、結果的にはそこそこのヒットとなったようだ。脚本の勝利と言っていいんだろうね。ケララのインテリが言うところの「リアリティのある」「ストーリー本位の」映画か。これがこの先のマ映画の大きな流れになるかどうかは分からない。が、新人監督が才能を世に問うための足がかりとして、芸術作品ではなくこのようなスタイルの娯楽映画がまだまだ出てくるのではないかという予感はしている。

必ずしも手放しで大歓迎はしないけどね。都会的で、英語のタイトルで、上映時間が短くて、ソングが少なくて(あ、これは元々か)、ジャンル映画化していて(この傾向も元々あるな)、土地の固有の文化の影が薄くて、ひねりの利いた脚本が命だなんて、まるでボ…(略)。

Cocktail2.jpg
サムちゃんは、ヒロインというより若妻専門女優になってしまったのかなあ。

投稿者 Periplo : 04:09 : カテゴリー so many cups of chai
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2011年08月13日

レビュー:Pranchiyettan & The Saint

金ならある。あとは恋と名声じゃ!あ、それからお洒落もしたい。中年が夢を見ちゃあいかんのか?

pranchiyettan.jpg

ケララ・クリスチャン映画のコレクションにまた一つ大物が加わる。Thoovanathumbikal (Malayalam - 1987) Dir. P Padmarajan 以来の久しぶりのトリシュール映画だという。Paleri Manikyam (Malayalam - 2009) で唸らされたランジットとマンムーティの組み合わせだ。期待する理由は山ほどあり、そしてそれが裏切られなかった、なんとも珍しいことなのだが。

cvPranchiyettan.jpgPranchiyettan & The Saint (Malayalam - 2010)

Director:Ranjith
Cast:Mammootty, Priyamani, Siddique, Khushboo, Master Ganapathy, Innocent, Jesse Fox Allen, Biju Menon, Jagathy Sreekumar, Ramu, Tini Tom, T G Ravi, Edavela Babu, V K Sreeraman, Sreejith Ravi, Sasi Kalinga, Jayaraj Varier, Balachandra Chullikkad, Guruvayoor Sivaji, Sadiq, Pala Charlie

原題:പ്രാഞ്ചിയെട്ടന് & The Saint
タイトルの意味:Pranchi and The Saint Francis
プランジはクリスチャンネームのフランシスがマラヤーラム語化したもの。-ettanは兄を意味する親族呼称。ヒンドゥー、クリスチャンの男性の名前に付加されて、ある種の敬語となる。実際に血縁ではなくとも使用可能で、妻が夫の名前を呼ぶ際にもしばしば付加される。
タイトルのゆれ:Pranchiyettan and The Saint

DVDの版元:AP International
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間21分
DVD 入手先:Webmall India など

オフィシャル・サイト:http://pranchiyettan.com/
その他の参考レビューおよびオフィシャルサイト魚拓:http://periplo.posterous.com/pranchiyettan-the-saint-malayalam-2010

【ネタバレ度30%の粗筋】
深夜のトリシュール。シェーランマル・フランシス、通称プランジ(Mammootty)は先祖代々が眠る墓地を訪れて蠟燭を点し、教会堂で祈りを捧げる。するとそこに守護聖人であるアッシージのサン・フランチェスコそのひとが現れる。マラヤーラム語をしゃべる聖人に驚喜して、プランジはここに祈りに来た訳を語り始める。

プランジは米穀商を営むローマン・カトリックのシリアン・クリスチャン(形容矛盾のようだが実際にそういう人々がケララにはいるのだ)の裕福な家系に生まれ、勤勉に働いて受け継いだ富をさらに拡大した。現在は建設業や貴金属販売など事業の幅を広げているが、少年時代につけられた綽名「米屋プランジ」はいつまでもついてまわっている。仕事中毒で婚期を逃した彼は、慈善事業など社会的な責務も果たしているが、不器用な面も大いにあり、財産に見合った名声を築くことができない。そして勉強が苦手だったので高等教育の門をくぐらなかったことによるコンプレックスも彼を苦しめている。

プランジにとって咽に刺さった骨とも言えるのが、少年時代の同級生ジョース(Siddique)だった。彼はインテリとしての名声、要領の良さ、そしてプランジの初恋の相手だったオーマナ(Khushboo)と、全てを手にしていたからだ。小馬鹿にするジョースをなんとか見返そうと、プランジは名誉を金で買う作戦を幾度も試みるが、ことごとく失敗する。そんな時、プランジの前に、若いインテリア・デザイナー兼画家のパドマシュリー(Priyamani)と、落ちこぼれの15歳・ポーリ(Master Ganapathy)が登場する。(粗筋了)

【寸評】
どうもこのごろのマラヤーラム映画には、設定がとてつもなく奇抜で興味を掻立てられるのだが、実際に見てみると特異な設定が活きているのは最初の30分ぐらいで、あとは型で押したような決まりきったファミリードラマやラブコメとなってしまう、そういうタイプのものが少なくない。12-13世紀のイタリアの聖人サン・フランチェスコが登場するという触れ込みの本作にもその危惧はあったのだが、幸いにして杞憂に終わった。プランジの話の聞き役として登場する聖人は完全に狂言廻しで、いなくてもストーリーに支障はないようなものだが、最初は「キリストの御名のもと汝に平安あれ」とかなんとかイタリア語でもにょもにょ言ってたのが、突然「ほいで、それからどうなったん?」とトリシュール弁に変わるとこが、やっぱり転げ回るくらい可笑しい(こんなこと書くとまるで台詞の意味が分かってるみたいだが、全然そんなことはない)。ラストの落としの部分にもちゃんとこの聖人のキャラが活かされてるし。ともかく、サン・フランチェスコから始まって脇役の隅々にいたるまでの人物造形が、おそろしく手のこんだものであることに唸る。

タイプ的には、マラヤーラム映画お得意の「愚か者のイタい大立ち回りを笑う」という系譜中にあり、またマンムーティが次々と挑戦中の「訛りで笑かす」シリーズ(イノセント、ビジュ・メーノーン、TGラヴィなどご当地出身俳優も目立つ)だが、これまでの同系のものとは笑いの質のレベルが違う。

プランジがパドマシュリー称号を金で買おうとして失敗し塞ぎ込んでいるところに、イノセント演じる友人が現れて「次はシュヴァリエを狙おう!」なんて言うところに吹く。インテリア・デザイナーのプリヤーマニがプランジの家の模様替えを始めようとするシーンで、「こちらのご先祖はドラマ・カンパニーかなんかをやっていたの?」とドン臭い室内装飾を揶揄する台詞にニヤリとする。プランジのドライバーが自分の雇い主の動静をこっそりジョースに報告しているという設定の細かさに感じ入る。皮肉屋な使用人イーヤッパン(Kerala Cafe でデビューしたらしい恐るべき「新人」シャシ・カリンガが演じる)が、ボスの一大事にあたって似合わない正装をする姿がジワジワと可笑しい。あるいは、一時的な別れを告げにやって来たパドマシュリーを見て、一瞬プランジが自分の妻となった彼女を幻視するシーン、普通ならウェディング・ドレスでも着せるところにこんなイメージを持ってくるあたり、奥ゆかしい。

ひとことで言うならば、様々な趣向を凝らした滋味のある笑いが、一流の演じ手達によって繰り広げられる良質のコメディー。お勧めです。

PranchiyettanPoster.jpg
オサレに変身!のシーンも笑った。

投稿者 Periplo : 17:23 : カテゴリー so many cups of chai
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2011年08月03日

レビュー:Kutty Srank

今回はバリバリの芸術映画だ! どうしちまったんだ、やっぱ俺疲れてるんだろか…。

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カンヌ行き印仏合作映画 Vaanaprastham (Malayalam - 1999) のシャージNカルンが、マラヤーラム映画としては11年ぶりに送り出した純芸術作品。実は本作のセンサー認証は2009年に行われている(スチル写真は2008年から流通していた)。しかし監督がこちらのインタビューで激白しているように、一般映画館での上映の買い手は当初全くつかず、2009 年秋の釜山国際映画祭での初上映を皮切りに、国内外の映画祭を転々とした。2009年度作品を対象としたケララ州映画賞でも完全に無視され(なにやら「賞業界」内での揉め事もあるようだ)、このまま幻の作品となるかと思われていたが、2010年6月ごろになんとか一般公開にこぎ着けた。そして2010年秋に発表されたインド国家映画賞を席巻し、作品賞・撮影賞・脚本賞・衣装賞、それに編集部門での審査員特別賞を獲得した。これによって再度の一般館上映が行われたらしい。製作はマラヤーラム映画初参入となった Reliance Entertainment、とても頼もしい財布持ちだ。それでも2009年時点では劇場が触手をのばそうとしなかった、主演がマンムーティであっても。いやゲージツも大変なんだね。


cvKuttySrank.jpgKutty Srank (Malayalam - 2010)
Director:Shaji N Karun
Cast:Mammootty, Padmapriya, Kamalinee Mukherji, Meena Kumari Perera, Siddique, Suresh Krishna, Sai Kumar, Wahida, P Sreekumar, Satheesh Chandra, Amit, Gaurav Moudgill, Valsala Menon, Johnny, Maya Viswanath, Nanda Lal, Divya Das

原題:കുട്ടിസ്രാങ്ക്
タイトルのゆれ:Kutti Srank, Kuttysrank, Kutty Shrank, Kutty Sranku, Kutty Shranku, Kuttisranku, etc.
タイトルの意味:The Sailor of Hearts というのが流通してるが、これはキャッチフレーズ。DVDは Small time captain Kutty としている。これだと「日雇い船頭クッティ」か。またJunior boat captain という訳もある。kutty を固有名詞とするか形容詞とするか、どっちが妥当なのだろうか。

DVDの版元:AP International
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間13分

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/kutty-srank-malayalam-2010

【ネタバレ度100%の粗筋】
■プロローグ
1950年代のケララのどこか、寂しい浜辺で、派手な舞台衣装に身を包んだ男の死体が見つかる。彼に縁があった3人の女たちが順繰りに遺体の確認に訪れ、警察官(P Sreekumar)から事情聴取を受ける。

KuttySrank02.jpg

■第一部:マラバール地方、夏(ケララ沿海部では3月から5月末まで)
残忍で無法な封建領主ムーッパン(Satheesh Chandra)の元に一人娘のレーヴァンマ(Padmapriya)がセイロンでの勉学を終えて帰還する。ムーッパンは娘の結婚を執り行おうとするが、レーヴァンマはすぐにも家を出てビハール州のガヤーに向かい、仏教の尼僧として得度するつもりであることを告げる。ムーッパンのただ一人の腹心で、彼のためならどんな汚れ仕事でも引き受けるクッティ・シュランク(Mammootty)は、レーヴァンマを唆したとして、同行のシンハラ人僧侶を殺そうとする。それを止めたレーヴァンマは、父の暴力を幼時に目撃したことで消えがたいトラウマを味わったこと、自分には仏法の道しか残されていないことを涙ながらに語る。考えを改めたシュランクは、マドラス行きの船が出るまでの間を安全に過ごせるように、レーヴァンマに隠れ家をしつらえ、自身も身を潜める。ムーッパンはレーヴァンマを連れ戻しシュランクを殺すべく、大勢の手下たちを捜索に繰り出す。

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■第二部:コーチン地方、モンスーン(6月から9月末まで、10、11月を含むこともある)
チャヴィットナーダガムの座長(asanと呼ばれる)であるローニ(Suresh Krishna)は、大酒飲みで教会にも碌に行かないやくざな男だったが、劇団員たちからの信頼は厚かった。彼は半年後の教会の大祭で上演する『シャルルマーニュ伝』(Charlemagne Charitham)のメインキャストを親友のシュランクと妹のペンマナ(Kamalinee Mukherji)に振る。クリスチャンかどうかもよくわからない、ただの船頭でしかないシュランクと、伝統的に舞台に立つことがなかった女性であるペンマナの抜擢に、周囲は動揺し、看板役者を自認していたジョーッパン(Amit)は怒りをあらわにする。常々ローニの行状を快く思っていない教区の神父(vicarと呼ばれる)ヨーナス(Siddique)も口を出すが配役は変わらない。川辺に新しく建設される礼拝堂の屋根に十字架を挙げる作業がクリスチャンのコミュニティ総出で行われたが、十字架は落下し死傷者を出す事態となった。混乱のさなかムーッパンの殺し屋がやってくるのを察知したシュランクは姿を消す。数ヶ月後、突然戻ってきたシュランクは再び主役の座に納まる。シュランクに恋いこがれるペンマナは大胆に誘惑するが、彼は不在にした間に恋人ができたと言って取り合わない。ローニ、シュランクとジョーッパン、神父との間の対立は深まり、舞台上演の最中に起きた乱闘でローニは命を落とす。葬儀の場にムーッパンの暗殺者が再び姿を見せる。ほどなくしてジョーッパンもまた死体となって発見される。

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■第三部:トラヴァンコール地方、冬(12月から2月末まで)
三番目に現れた女、聾唖のカーリーは妊娠中だった。彼女だけが、遺体をシュランクのものだとは認めなかった。シュランクがペンマナ達の前から姿を消していた数ヶ月の間に二人は出会い、彼女はシュランクの子供を身ごもったのだ。シュランクは10年ぶりにコッラムに住むウンニタン・ナーイル(Sai Kumar)のもとにやってくる。この10年の間、ウンニタンの一族には不幸が続き、彼は極端に迷信深い人間になっていた。息子のヴィシュヌは酒浸りになり、その妻との夫婦仲も冷えきっていた。孤独な妻ナーリニ(Wahida)は小説を書き始め、シュランクとカーリーの物語が綴られる。神経症的なウンニタンは、一連の不幸が不吉な女カーリーに由来するものと思い込む。その意を察したシュランクはカーリーを殺そうと彼女が暮らす貧しい家に押し入る。しかし怯えきった彼女を目にして哀れを催し、逆に彼女を守るようになる。ある日カーリーは蛇に噛まれて意識不明で倒れているシュランクを森で見つけ、自宅に連れ帰って一月以上看病する。その過程で二人は心を通わせ、実質的な夫婦生活を送るようになる。傷が癒えて再び姿を現したシュランクをウンニタンは裏切り者として激しく叱責する。ウンニタンは土木工事の着工に当たってカーリーを人柱として殺す計画をたて、またムーッパンの追手も迫っていたため、二人はコーチン方面に逃走する。

■エピローグ
レーヴァンマとカーリーは連れ立って事情聴取の場を後にする。ジョーッパンを殺したのは自分だと告白したペンマナだけはその場に残る。レーヴァンマの父ムーッパンは拳銃で自死する。

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【分かったことや分からなかったこと】
これまで当サイトで紹介してきた中では最高に本格的な芸術映画だ。意味が分からないと文句を言ってもしょうがないし、あれこれもっともらしい解釈をしたりするのも誰の役にもたたないだろうからやりたくない。色々レビューを読んでみた(いちばん共感があったのは VR Talkies さんによるものだった)が、軒並み言われていることは「繰り返し見るべき作品である」ということ。全く異存はない。そして繰り返し見るに値する作品でもある。これまで、あまり気乗りしないままに芸術系も多少は見て大概は悪口を言ってきた訳だが、本作に関しては、もう「アートとしての格が違う」って感じだ。映像の、構図と色と光の、磨き抜かれた美しさはただものじゃない。

繰り返し見ることによって分かって来たことは、ごく皮相的なレベルでも多かった。わざとはぐらかすような話法もなくはないが、細かな台詞にも注意しながら再見すると、時系列もある程度整理されてきて、3つのパートが一応整合していることも分かった。パート2以降に時折挿入される、先行するパートの登場人物による短いエピソードが橋渡しの役をしているのだ。娯楽映画にあるようなベタベタな展開ではないものの、ナラティブにおいては本作はさほど前衛的ではない。しかし、ひとつひとつのエピソードや台詞に一対一対応の「意味」を求め、分析的に観るのはあまり賢いこととは思えない。人の創った芸術作品というよりはむしろ「ただ自ずからそこに在るもの」に対するように繰り返しその中に分け入り、その都度少しずつ違う見え方を体験するのが楽しい、と言ったら褒め過ぎか。

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したがって、以下に書くのはあくまでも末梢的な、何となく気になったことの羅列である。

■ 本作の3つのパートがそれぞれ場所・季節・宗教の異なる組み合わせから成っているというのは、ほぼ全てのレビューが取り上げている。しかしこれの出典がわからない。一般公開前に各地の映画祭で上映された際のプレス資料にでもあったのかもしれないが、今となっては分からない。実際の作中では、仏教・キリスト教・ヒンドゥー教の3つの宗教については疑いはないものの、季節や場所についてはヒントがないものもある。あるいは方言などによって分かるものもあるのかもしれないが。ともあれ、この季節や場所の組合わせというのはタミルの古典文学の約束事を思い出させる。なおかつそれが象徴的な意味をもたず、あくまでもムードを醸し出すためにあるらしい、というところに好感が持てる。さらなるバリエーションとして、3人の女性がそれぞれ信仰・愛欲・母性という強い性格を属性として持ち、それに対するシュランクが盲目的な忠僕・伊達男・誠実な恋人/夫として対応するのが面白い。

■ 上で、仏教・キリスト教・ヒンドゥー教の3つの宗教については疑いはないと書いたが、第1部のレーヴァンマに関してはよくわからない部分もある。彼女の父のムーッパンという名前は普通はムスリムのものだ。しかし彼女の叔父・叔母はヒンドゥーの名前を持ち、装いもヒンドゥー風である。レーヴァンマの台詞中の親族呼称もヒンドゥーのもの。しかしムーッパンに仕えるシュランクの装いは時にムスリム風、また屋敷内の屠場(羊や水牛の首がゴロゴロしている)の描写にもムスリム的なものが思い起こされる。

■本作中での「文明的な事物」の排除はかなり徹底している。まず道路、そして自動車というものがほとんど登場しないのが凄い。シュランクが舵を取る船以外で、機械らしきものが登場するのは第3部での映写機とラジオぐらいか。そんな中、ときおり登場するムーッパンの放った刺客が乗る豹をかたどったボートだけがちょっと妙な感じだった。まるでテーマパークの遊覧船みたいに見えるんですけどね。それからプロローグ・エピローグと繋ぎのシーンを除き、警察官が一切登場しないのも凄いね。司法の不在の中で、私刑、暗殺、人柱なんていうエピソードが満ち満ちて、まるで中世の世界みたいだ。

■時代の特定もまた気になるところ。第1部でレーヴァンマが「大勢のインド人が仏教に改宗する」のに参加するためにガヤに行くと述べるくだりがある。仏教への集団改宗といったら、普通は1956年10月のアンベードカル博士のナーグプル(マハーラーシュトラ州)でのそれがまず頭に浮かぶが、作中ではビハール州のガヤーとなっている。また第3部でシュランクとカーリーが観ている映画は、マラヤーラム映画の歴史に必ず名前が出る Neelakkuyil (Malayalam - 1954) Dir. P Bhaskaran & Ramu Karyat である。しかしそのあとにラジオが列車事故を告げるシーンでは、「アーンドラ・プラデーシュ州」という地名がはっきり聞き取れる。アーンドラ・プラデーシュ州の成立は1956年11月。

■第3部には印象的な2つの祭礼が画面に現れる。巨大な山車を船で運ぼうとするシーンのものは、ケットゥカールチャと呼ばれる祭り。コッラム郡のマラナダで3月の末頃に行われるという。もうひとつ、シュランクとカーリーが逃走するシーンでは、女装した男達の行列が見られるが、これはコッタンクランガラ・チャマヤヴィラックと呼ばれるもの。コッラム郡のチャヴァラで3月末から4月にかけての時期に行われる。

■これがテルグの娯楽映画だったら大騒ぎになっていたに違いないカマーリニ・ムカルジーさんの背面ヌード は、ボディダブルをたてることなく本人が撮影に臨んだという。信頼性が低いソースながら、監督がそう証言しているとのことだ。

■本当の主役はこの人か、というぐらいの冴え渡ったカメラワークのアンジャリ・シュクラは、デビューとなった本作でいきなり国家映画賞を受賞した。マラヤーラム語があまり話せないと告白しているのでケララ人ではないらしく、育ちはUP州のラクナウとのことだ。長らくサントーシュ・シヴァンのもとで修行を積み、Anandabhadram (Malayalam - 2005) Dir. Santosh Sivan の中の♪Pinakkamano の撮影もまかされていた。その後もサントーシュ組の一員として仕事をしているらしい。

■本作中で最もカラフルなアトラクションとなっているのは、大航海時代にやって来たポルトガルの影響下に成立したとされる、ケララ・クリスチャンの間に伝承されてきた舞台劇チャヴィットナーダガムであることに誰も異論はないだろう。何回か現れるこの劇のシーンと、カマーリニさんのエロティックな演技、そして痛烈な教会批判のせいで、ちょっとバランスが崩れないかと思えるほど第2部が突出して魅力的なのだ。そしてシュランクの死体が舞台衣装をまとっていることによってその印象はますます強まる。5年も前にちょっとだけ書いた時は、まさかこれが映画作品中で見られるとは思ってもいなかった。アイサック・トーマス・コットゥカーッピリによる劇中歌が素晴らしい。古雅という形容詞がしっくりくるような旋律は、世界中に散らばるポルトガル起源の大衆音楽に共通の明るさとメランコリーを併せ持っているように聞こえるが、どうだろう。また、踊りの凄さでは定評のあるマンムーティだが、巧みな編集によって色んなものが台無しになる危険は回避されている。というより舞台シーンでは本当に格好良いと思った。この舞台劇も20世紀後半には忘れ去られ、消滅の危機にあったというが、近年になってやっと復興の動きが出てきたものらしい。本作ではアレッピーにある Kreupasanam Pauranika Renga Kalapeedam という団体が協力・出演したらしく、同団体のウェブサイトには本作の撮影風景が掲載されている。ただし、最も正統的な「本家」としてこの芸能を保持してきたのはアレッピーではなく、コーチンの北端にあるゴトゥルトという名の中洲の島だという。根拠は薄弱だが、総人口中のクリスチャン率が97パーセントにも達するというこの島が第2部の舞台と想定されているのかもしれない。

Photobucket
ゴトゥルト島にある聖セバスチャン教会。この地でのチャヴィットナーダガムの中心。YouTube上にはここを本拠地とする保存団体 Yuvajana Chavittu Nadaka Kala Samithi による上演を記録した一時間を超える動画もアップされている。

投稿者 Periplo : 16:40 : カテゴリー so many cups of chai
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2011年07月30日

レビュー:T. D. Dasan Std. VI B

またしても芸術映画に片足を突っ込んだようなものを紹介してしまうのだ、どうしたんだ、俺。

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インド映画に登場する子供については以前にちょっとだけ書いた。映画から離れて見てみても、インド人は相当に子供好きな民族のようだ。自分の子供を(時には「小皇帝」扱いで)可愛がるだけではなく、赤の他人の子供であってもたいそう愛おしむ人が多い。にもかかわらず近年まで、膨大な製作本数の割には子供が主役の映画は少なかったようだ。これはインドの大衆文化が、まだ基本的には大人主導であるからなのではないかと思っている。日本でも、欧米でも、例えば1950年代の映画の主人公は「いい歳した大人」が圧倒的だった。ヒーローは必ずきっちりとスーツを着込み、屋外では帽子を冠っていた。子供や青年ではなく、大人の人生のあれこれこそが語るに値するものだった。そういう「大人(おとな)・大人(たいじん)の文化」は若者が大衆文化の消費者の筆頭となる 1960-70年代になって、消滅こそはしなかったものの、最前線からは退いたかたちになった。しかし南インドの場合はもうちょっと長く大人文化が続いたようなのだな。

まあ、あと内実と外見のズレってのもあるね。脚本の設定がそれでも時代の流れで徐々に若者指向になってきてるのに、演じ手が40-50代のオッさんなんていう現象は南印ではちょっと前まで珍しくないことだった。インド人でもこれを揶揄する人は多いが、サウス映画の源流の一つである巡回演劇での約束事の名残を見るという視点もあるようだ。バーガヴァタルと呼ばれたステージの役者には、いわゆるスターイメージを守るという意識はほとんどなかった。なおかつ、演劇の世界では実年齢とキャラ年齢のギャップというのはそれほど問題にされていなかったのだな。

もう一つ特異なのは、この世代のスターたち(訳注:MGR、NTR、ラージクマールなど)がスクリーン上の容姿を実生活において再現しようとはしなかったということである。彼らは皆、スクリーン上では厚化粧・カツラ・ふさふさとしたモミアゲといういでたちで派手な大学生を演じながら、オフスクリーンで公の場に現れる際には、民族服をまとい、時には禿頭を晒していた。俳優としてのキャリアの絶頂期、彼らはスクリーン上で若々しくファッショナブルな恋人を演じながら、実生活では子女の結婚式を華々しく執り行い、その模様を雑誌が取り上げることを許していた。彼らのパブリックイメージとは、言い換えるならば、伝統的な上流社会における尊敬すべき年長者のそれであった。ハリウッドやボリウッドのセレブリティたちがその私生活の一片をマスコミに見せる際には、スクリーンとオフスクリーンとの間に決定的な齟齬が生じないよう容姿に気を遣うのが常であるのと対照的に。我々のスターたちは、スクリーンと実生活との間にはっきりと境界を設けたのである。 (中略)
こうした現象の理由は歴史的なものである。MGR、NTR、ラージクマール、ANR、シヴァージ・ガネーシャンといった面々は、映画産業がまだ様々な面で民衆演劇の流れをひいていた時代に育ち、デビューした世代に属していた。それは南インド映画史の初期、サイレント映画のそれまでの発展が突如無に帰し、登場人物たちが台詞を口にしなければならなくなった時代である。そのような状況のもと、映画制作者たちはこれまでのスタイルの映画に音声を付加するだけで済ますことはできず、台詞をもった芝居を求めた。したがって南インドの初期のトーキーのほとんどは舞台劇に由来するものとなったのである。俳優も当初はそこからやって来た。我らがヒーローたちも、彼らに先立つホンナッパやティアガラージャといったバーガヴァタルたちと同じ鋳型から造られた、つまり巡回劇団(時には少年劇団)で訓練を受けた後に映画界入りした俳優だったのだ。我らがヒーローたちの場合、映画制作者にスカウトされる前の舞台経験は非常に短いものではあったが。ラージクマールはその自伝の中で、バーガヴァタル風のヘアスタイル(訳注:こんな感じのものらしい)をいかに捨てたかを回想している。最初期のバーガヴァタル出身俳優たちは映画にあっても舞台での演技スタイルを相当に引きずっていたが、我らがスターたちは、舞台劇的なナラティブからより自律的な文法に基づく映画への移行を目撃した。こうして彼らは、俳優にスター性などというものが存在しなかったバーガヴァタル時代と、スター人格が全てに優先する現代との橋渡し役となったのである。彼らはその役者人生のほとんどを映画俳優としてすごしながらも、まだバーガヴァタル時代の心性を残している中間世代だったのだ。齢50にしてロマンスのヒーローを演じるということは、男が女を演じる(たとえばANRは映画界入りする以前は女形だったという)こともあるような、そして身にまとうヴェーシャによって役柄が決定されるような伝統演劇の職業俳優にとっては、別に奇妙なことではなかったのである。(M Madhava Prasad, Cine-Politics:On the political significance of cinema in south India P.42-43より、勝手訳)

つまり若い男が主役となる芝居が仮にあった場合、誰が主演するかを決定するのは、実際に歳が若いということでは必ずしもなく、何よりも演技が上手い役者かどうかということなんだな。ついでに書いちゃうと、上記論文末尾の脚注に記された、私的な会話の中で筆者に対してアーシシュ・ラージャーディヤクシュが述べたという、各言語界のトップランク男性スターの特質が印象的。次点のスターと彼らを隔てるのは、彼らがスクリーン上では必ず髭を蓄えていなければならないという点(実生活では剃っていることもあるというが)だという。あああ、ずっと前に封印したはずの ヒゲ理論がまたしても。

いきなり本題から外れまくり。ええと、ケララは南インドの中でも特に、大人が主役の映画、また中年が青年を演じる現象がしぶとく残っている地域だということが言いたかっただけなんだけど。本作はマラヤーラム映画にしては珍しく(先行がゼロという訳ではない、たとえばラルさんの息子君主演の Punarjani とか)子供の視点をメインに据えた準芸術映画。

cvTDDASAN.jpgT. D. Dasan Std. VI B (Malayalam - 2010)
Director:Mohan Raghavan
Cast:Biju Menon, Jagadeesh, Swetha Menon, Jagathy Sreekumar, Suresh Krishna, Mala Aravindan, Valsala Menon, Sreehari, Sruthi Menon, Dennis Parakkadan, Aloysius, Tina Rose, Master Alexander

原題:T. D. ദാസന്‍ Std. VI B
タイトルの意味:6年B組TDダーサン (インドの初等教育は8年間が原則で、スタートは日本よりも1年早い、 こちらなど参照)

DVDの版元:Moser Baer
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約1時間38分

オフィシャルサイト:http://www.tddasan.com/
その他の参考レビューおよびオフィシャルサイト魚拓:http://periplo.posterous.com/t-d-dasan-std-vi-b-malayalam-2010

【ネタバレ度30%の粗筋】
ケララ州パーラッカード郡の片田舎、チットゥールに住むダーサン(Master Alexander)は6年生、母チャンドリカ(Swetha Menon)と父方の大叔母(Valsala Menon)と3人で暮らしている。父ディワーカランはダーサンの記憶にも残っていない昔に母との諍いから家を出てしまっている。その出奔の原因は母の不貞にあったと村人たちは噂している。製材所に勤めて家計をなんとか支えているチャンドリカは癇性で、何かというとダーサンを叱りつけ、また大叔母とも口論が絶えない。父の名前は禁句となっている。あるとき彼は母の古ぼけたトランクの奥底から父の住所と思われるものを見つけ出し、こっそりと父宛の手紙を書く。差出人の住所欄には学校の所在地とクラス名を記して。

カルナータカ州バンガロール。ローティーン(ダーサンよりも1、2年上の学年か)のアンムー(Tina Rose)は、広告業界で撮影監督をしている父ナンダ・クマール(Biju Menon)と使用人のマーダヴァン(Jagadheesh)の3人で暮らしている。不自由のない中産階級の家庭ではあるが、両親は折り合いが悪く、母は他所で別居している。ある日彼女の家に見知らぬダーサンからの手紙が届く。住所は合っているが宛名のディワーカランには心当たりがない。父は手紙を郵便局に戻すよう命じるが、横着なマーダヴァンはそれを捨ててしまう。屑籠から手紙を拾いだしたアンムーは開封して中身を読む。名宛人の所在を突き止めようと試みたものの見つけ出せなかった彼女は、こっそりとダーサンに返信をしたためる、ダーサンの父ディワーカランになりすまして。(粗筋了)

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【寸評】
2010年4月に一般劇場公開された本作は、批評家からの好意的なレビューに恵まれたものの、2週間ほどの後、軒並み上映打ち切りとなりかけたらしい。箸にも棒にもかからない屑映画ならそれも当然だろうが、大スターが出演していないというだけの理由で良質な作品がこのように扱われていいのかと、プリヤダルシャン、ラール・ジョース、シビ・マライル、ランジットといった名の知れた監督の面々が本作への支持を公の場で訴えたという(こちらなど参照)。ちなみに同時期に公開されてヒット街道を驀進していたのは Pokkiri Raja (Malayalam - 2010) Dir. Vysakh だった。当時この支援声明がかなり印象に残っていたのだ。特にエゴの塊みたいな自己厨プリヤン先生が加わってたとこに。本作がそれに助けられてロングランしたのかについては結局分からず終い。

大スターが顔を見せない作品の運命というのは、本作に限らずかなり厳しいものだ。なので支援にセレブ監督が立ち上がったというのには、何か特別な隠された訳があったのだろうかと訝しく思えてしまう。一つ考えられるのは、劇場にも商品を卸しているコーラ会社から上映への何らかの圧力でもあったのではないかということ。しかしまあ、これも単なる個人的憶測の域を出ない。本作中のコーラ会社批判はそれほど声高なものではないし、出てくるエピソードも現地のTVなどで何百回と放映されたに違いないものだから。2003年頃のケララでは、パーラッカードに進出したコカ・コーラ社の工場が大量の地下水をくみ上げて枯渇させ、またボトル洗浄の過程で生じる大量のヘドロ状の産廃が環境汚染を引き起こしているということで大揺れに揺れていた(こちらなど参照)。2006年にはケララ州がコカ・コーラをはじめとした清涼飲料水の製造販売を禁止する法案を通過させるところまで過激化したが、これは州高裁によって無効化されている。その渦中の2004年にはコカ・コーラ社のCMイメージ・キャラのオファーをマンムーティが受諾したということで蜂の巣を突いたような騒ぎになり、話はあったものの引き受けなかったと当人が釈明するというエピソードもあった。しかし実のところマンムーティ出演のコマーシャル・フィルムも既に撮影済みというところまで来ており、スーッパルスター側がコークに対して巨額の違約金を払ってそれをないことにしたのだという憶測もある。それにしてもだ、コークの広告塔にマンムーティ!やっぱケララは大人の国だあ。

あああ、また脱線。

「遠い昔、聖なるダイヤモンドを運んで天を駆ける蛇神たちは、椰子の木のてっぺんで休息をとるのが常だった。村の椰子酒造りはその日の椰子酒を根元において蛇神に捧げていた。天に向かって聳える椰子の木の上から見下ろされて隠しおおせる物事はなにもなかった。その時代、椰子の木は自ら頭を垂れて、地上にいる椰子酒造りに椰子酒を与えていた。しかし椰子酒造りの妻の不義密通を見てからは椰子の木はそれをやめてしまった。」(冒頭のナレーションより)

なにかこう涼風に心地よくなぶられるような、ファンタスティックな寓話を予想させる出だし。しかしメインとなるテーマは都会と田舎の断絶とそれに橋を架けようとする試み、コカ・コーラ問題も絡んでくる。この2つのトーンのチグハグが最初に観た時にいまひとつしっくりと来なかった部分だった。しかしこれこそが制作者が狙ったものなのだとも考えられる。だいいち、田舎とはいっても、主人公のダーサンは文盲ではないし、貧しいながらちゃんと学校に通っており、労働を強要されているような気配もない。時が止まったおとぎ話のような村であり続けることは良くも悪くも現実のケララではあり得ないのだ。制作者にとって、メインテーマとなる部分をもっとどぎつく強調して、田舎の無垢と都会の無神経を対比させたあざとい作りにするやり方はいくらでもあったと思う。しかしそれは回避され、心地よい緊張感をもつサスペンスドラマとなった。この部分が、筆者が本作を評価したいところなのだ。ダーサンの父ディワーカランは今どこにいるのか。ディワーカランに成りすまして返信をするアンムーの正体がバレる時が来るのだろうか。ダーサンは貯金箱の小銭をかき集めてバンガロールに行くのだろうか。etc. それに加えてシュウェちゃん演じる母チャンドリカの貞節というサブモチーフがあって、これがもう手に汗を握るくらいのドキドキだったのよ、こちとらには。チャンドリカの夫が出奔した原因だと村人が噂する、情事の相手だとされる男は作中にも登場する。この二人の間には過去に本当に何かがあったのか、そして劇中でこれからシュウェちゃんがよろめく(←死語)という展開はあるのか。いや、凄いサスペンス。以前、珍しいテルグ映画のアート系作品 Grahanam (Telugu - 2004) Dir. Indraganti Mohana Krishna というのを観たことがあって、その中に本作のシュウェちゃんに若干似たシチュエーションがあった。演じたのはジャヤ・ラリタ、もちろんタミルナードゥ現首相のジャヤ様じゃなくて、以前にちょっと紹介したテルグのお色気専門女優のジャヤ・ラリタさん。Grahanam に対する多くのレビューが、ジャヤ・ラリタをキャスティングしたことによって、作中のこの女性の身持ちの危なっかしさを増幅する効果があったと書いていた。同じことが本作でのシュウェちゃんにも起きていた。こういう固定イメージがついてまわるのは多分俳優にとっては面白くないことなのだとは思うが、ともかくここでのシュウェちゃんの毅然としていながらも脆さも感じさせる芝居は絶品だった。そしてシュウェちゃんのラストのシーンについては…。様々な解釈を許す芸術映画的なものだったとだけ書いておこう。

ということで、「子供の目から見た〜」系作品の紹介のように始まりながら結局いつものシュウェちゃんラブで終わってしまうのだった。遅ればせながら結婚おめでとう、シュウェちゃん。頼むから引退とかしないでね。

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投稿者 Periplo : 17:54 : カテゴリー so many cups of chai
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2011年07月18日

レビュー:Sufi Paranja Katha

これって結構刺激的なイメージなんだと思う、現地観客にとっては。
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珍しくアート系を紹介。「芸術映画」というフレーズには難しい単語は含まれていないが、定義しようとすると結構難しい。そもそも日本ではあまり頻繁に使われることはない。ぼんやりとしたイメージとして、通俗的なアピールやストーリー性にとらわれない耽美主義的な作品(たとえば鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』とかアラン・レネの『去年マリエンバートで』なんていうあたり)が思い浮かんだりする。しかしこの用語、インドのものとなると事情は変わる。結構くっきりとしたカテゴリーとして成立してるようなのだな。

現象面から見れば、

1.せいぜい90分程度のランタイムで、歌謡・舞踊シーンを含まないことが多い。コメディや格闘シーンもほとんどない。
2.低予算で(時にはNFDCなどの援助を受けて)作られることが多い。
3.上からの必然で有名俳優が出演することが少ない。ただし賞の獲得などを目的として売れっ子俳優が低いギャラで出演を承諾することもある。
4.一部の意識の高い観客の間でのみ受容される。一般劇場公開はならず、国内外の映画祭で限定上映などということも珍しくない。

というあたりが共通項。

コンテンツ的に言うと、

5.映像処理やナラティブにおいて反フォーミュラを指向し、実験的な技法を用いる。
6.社会問題を積極的に取り上げ、メッセージ性が強い。文芸作品を原作に持つこともある。社会問題を告発するのだから基本的にはモラル的なのだが、娯楽映画が重視する家族の価値などに対しては挑戦的な姿勢をとるものもある。
7.社会性から一歩退き、人間の心の内奥を覗くような、あるいは幻想の美の世界を描写するような観念的な作風のものもある。この場合モラル性は後退することもある。いわゆる「芸術のための芸術」。

などということが言えるか。

ただし、5の実験性という面ではあまり過激化していない。それから7の純粋芸術志向も実例は極めて少数。たとえばローヒタダースBhoothakkannadi (Malayalam - 1997) や、シャージNカルンVanaprastham (Malayalam - 1999) あたりが挙げられるか。まあ、これら作品にしても社会性と完全に無縁という訳ではない。

インドの芸術映画の圧倒的多数は6のメッセージ系なのである。糾弾される社会問題でポピュラーなのは1)コミュナル紛争 2)極端な貧富の差 3)女性への抑圧 4)カースト差別 5)官僚・政治家の腐敗、なんていうところか。広いインド、ネタは無尽蔵。ただしメッセージに偏りすぎて痩せた感じになってしまう作品も少なくない。でもそれじゃメッセージを伝えるべき大衆にますます届かないんだな。

「パラレル映画」という言い方がされることもある。筆者も時々使ってしまうが、定義はさらに難しい。こちらのように、「芸術映画」の別の言い方ととらえている場合もあるが、区別してる場合もある。後者の場合、パラレル映画を一言で表すと、「若干娯楽映画に歩み寄った芸術映画」というところか。要するにソングシーンが付加されたものを指してるのかな。ジャンル論にあまり拘泥すると話が進まなくなってしまうのでこのくらいにしとく。

思わせぶりな暗示にはイライラする、難しい理屈を捏ね回されると頭が痛くなっちゃう、鹿爪らしい、あるいはお高くとまったものを見せられると下品な茶々を入れたくて我慢できなくなる、そんな芸術映画アレルギーのロウアーな筆者が、なんでだかとても楽しく観られた一作を紹介したいと思う。

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マラヤーラム語による原作小説の英訳(上左):What The Sufi Said K P Ramanunni 著、 N Gopslskrishnan, R E Asher 共訳、Rupa & Co.刊、2002年初版、主な入手先はアマゾンIndiaclubVedams など。

インドに行くと必ず立ち寄る書店の兄ちゃんに勧められて何の予備知識もなく買った。しかしドン臭いカバーデザインが災いしてそのまま積ん読状態に。映画を見た後にやっと手に取って読むことになった。原著者KPラーマンウンニは1990年代に発表した本作で小説家としてデビューした。本作の舞台のひとつでもあるポンナーニで幼少期を過ごしたという。A5版174ページの本書には映画と比べてより詳細で背景説明的な文章が多いが、だからといって映画中の謎のエピソードの意味がそっくり解説されているという訳ではない。ともかく映画を観た後、ヴィジュアルが頭の中にイメージできる状態で読むと凄く面白い。書店の兄ちゃん侮るべからず。

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映画(上右):Sufi Paranja Katha (Malayalam - 2010)
Director:Priyanandanan
Cast:Sharbani Mukherji, Prakash Bare, Thampi Anthony, Jagathy Sreekumar, Geetha Vijayan, Valsala Menon, Indrans, V K Sreeraman, Augustine, Irshad, Sona Nair, Babu Anthony, Samvritha Sunil, Vineeth Kumar

原題:സൂഫി പറഞ്ഞ കഥ
タイトルのゆれ:Sufi Paranja Kadha, Soofi Paranja Kadha
タイトルの意味:スーフィーの語った物語

DVDの版元:Highness
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間5分
DVD 入手先:Bhavani など

オフィシャルサイト:http://www.sufikatha.com/
その他の参考レビュー:http://periplo.posterous.com/sufi-pranja-katha-malayalam-2010

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【ネタバレ度50%の粗筋】

マラバール地方沿海部、どこともしれぬ浜辺に小さなイスラーム聖者廟(jaram)が立っている。そこに祀られて、ムスリム、ヒンドゥー、クリスチャンを問わず参拝者を集めているのはビーヴィとのみ称されている女性の聖人である。この廟を訪れた若者に、一人のイスラーム行者(Babu Anthony)がその縁起を語る。

19世紀前半、英国支配下の同地方、バラトプラ川の近く。有力なナーイルの名家に跡継ぎとなる女児が生まれた。その赤子はカールティヤイニ(カールティ)と名付けられすくすくと育って行く。しかしその星回りには何か尋常でない運命が記されており、時折彼女は自分でも意図しないところで超自然的な力を発揮することがあった。美しい娘に成長したカールティ(Sharbani Mukherji)に対しては、生みの母(Geetha Vijayan)や家の全てを取り仕切る伯父のシャング・メーノーン(Thampi Anthony)ですら、子供扱いができないようなオーラがあった。

あるとき、彼女の住む館にポンナーニからやってきたマーピラの若い商人マンムーティ(Prakash Bare)が滞在する。二人はすぐに恋に落ち、駆け落ちして結婚する。イスラームに改宗し、ポンナーニのムスリム社会にもそれなりに馴染んだかにみえたカールティだったが、ある日自邸の庭で土中に埋まったバガヴァティ女神の像を見つけた時から、その生活に変化が生じる。彼女は夫の許しを得て、邸宅内に女神のための祠を建てる。「祈るためではないの、過去を忘れずにいることが必要だから」と言って。(粗筋了)

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【寸評】

メッセージ系芸術映画だというのに、何ともカラフルで楽しいケララ絵巻なのである。撮影のKGジャヤンのあまり衒ったところのない正攻法アプローチが活きている。ストーリーの大筋は明快で、つまり「他宗教に対する寛容」がメッセージなのだが、何かを糾弾したり誰かに天罰を与えたりという手法をとらないので説教臭さはない。また、最底辺を生きるダリトも登場するが、彼らの声を直接に代弁するようなエレメントはない。それよりも英国統治下のマラバールの、時代の雰囲気を総体として描く、それだけのことに制作者は腐心しているようだ。あとは観客がそれぞれに感じ取り考えればいいということか。そして、大筋は明快でも、こまごまとした部分には説明のされない超現実的なエピソードが連なる。その最たるものが上には書かなかったがヒロイン・カールティのラストのシーンだろう。また、冒頭のサムちゃんの微笑みから始まり、英国人の傍若無人、天然痘の恐怖、伯父と姪との間の危うい関係などなど、末端水系のように結論を欠いたままどこかに消えてしまうエピソードも数多い。単純なオイラは、普段だとこういうのを見せられるとプンスカ怒り出しちゃったりするのだが、なぜだか本作ではそういうフラストレーションを感じなかった。象徴的な挿話が、逐一の説明がなくとも「腑に落ちる」感じ、たぶんこれが魔術的レアリズムの醍醐味なのだと思う。

エロス的な表現の鮮やかさも印象に残る。男女の性愛の描写もあるが、むしろヒロインのカールティが庭で女神の像を見つけるシーンなどにゾクゾクするようなエロティシズムが感じられる。そうなのだ、本作においてイスラームと対置されるのは、シヴァやヴィシュヌといったヒンドゥーの大伝統の神々ではなく、バガヴァティ(母神)とのみ呼ばれる、最も原始的な部分に根をもつ神。それは確立された教義体系をもつ理知的な信仰とは位相の違う深い部分にあるものなのだ。「新しい信仰を受け入れるとは、自分の母を失うということなの?」というヒロインの台詞がこれを端的に表している。この言葉によって、自信にあふれたイスラーム指導者(Jagathy Sreekumar)に(僅か数世代前の)ヒンドゥー教徒だった祖先の記憶が蘇り、彼は懊悩する。こうしたことごとの全てが、ケララ(あるいはインド全域か)に特有の、豪快でいい加減なシンクレティズムを分かりやすく絵解きしているように思える。

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SufiParanja05.jpgSufiParanja04.jpgSufiParanja08.jpg

おそらくウルトラ低予算映画だったに違いない本作、大スターはいないが演技者たちは皆適材適所で素晴らしい。

ヒロインを演じたシャルバーニ・ムカルジーはラーニー・ムカルジーの従姉妹、つまりベンガル人。プリヤン先生の Snegithiye (Tamil - 2000) でお人形さんのようなお嬢様をやっていたのが記憶に残っているが、それから10年、まあいい感じに熟してきたのだな。ケララっ娘離れしたその容貌が本作では非常に効果的。ウィキペディアのフィルモグラフィーを見ると、その後の(主として北インドでの)活動は「バイト」程度でしかない。どうやらかなり役を選ぶ芸術志向の人のようだ。しかしなぜか2010年には本作と Aathma Katha (Malayalam - 2010) Dir. Premlal の2本のマ映画に出演している。もしかしてこのままマ映画女優になって行くのだろうか。

驚きだったのはヒロインの伯父役のタンビ・アントニー。芸達者が多いマ映画界で唯一ラディッシュな印象があるバーブ・アントニー(本作でスーフィーの役を演じている)、何でも冠タイトルは「アクション・キング」というのだそうだが、そのバーブ・アントニーの兄で米国在住の詩人兼実業家がタンビ・アントニー。これまでにも数本の映画出演はあったが、おそらくは「文化人枠」ということでギャラも安めだったんじゃないかな。本作ではプロデューサーの一人でもある。過去の出演作は幾つか見ているが特に記憶にも残らず、こんな顔写真から「れれれの小父さん」という印象しかなかった。それが本作では堂々たるお館様ぶりで仰け反った。事実本作の後はオファーがどっと増えたということだ。Yugapurushan (Malayalam - 2010) Dir. R Sukumaran でも同じような役どころで登場している。

たったの2曲だがモーハン・シターラによる劇中歌もあり、♪Thekkini Kolaya が素晴らしい。ヴィランバカーラのリズムで刻まれるセミ・クラシックの楽曲にマーピラ音楽の4分の3拍子(これのマラヤーラム語での呼称がよくわからない)が挿入されるくだりには訳もなく感動する。筆者にとって、芸術映画の音楽に感動するのはかなり珍しいことだが。

ともあれ、これまではプリヤダルシャン先生と名前が似ていて紛らわしい、ということでしか注意を払ってこなかったプリヤナンダナン先生が気になって仕方がなくなってしまったのである。EMSナンブーティリパッドの生涯を批判的に描いたという Neythukaran (Malayalam - 2002) も見たくてたまらないし、現代ケララの新興宗教へのサタイアだという Bhakthajanangalude Sradhakku (Malayalam - 2011) も。ああ、大変だ。

Sufi Paranja Katha
現地での上映時のポスターはこんな感じだった。ややもすると低予算お色気映画ともとられかねないような扱い。

投稿者 Periplo : 03:32 : カテゴリー so many cups of chai
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2011年03月28日

レビュー:Bhargavinilayam

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いまから5年も前に書いた記事白黒時代の名作2に補追。

印度におけるホラー映画の(特に初期の)歴史というのは、大変興味深いテーマに思えるのだが、一愛好家が入手できる資料・鑑賞できる実作品は非常に限られていて、サックリとした要約ですら難しい。

ヒンディー映画に関しては、それでも多少のテキストが見つかる。ウィキペディアの Bollywood horror films の項には、1940年代から60年代にかけて公開されたホラー映画4本が挙げられている。この維基百科リスト(なぜか80年代まででストップ)、およびその筋では有名なサイト Bubonic Films のリストでも、またその他の資料でも、最初のホラー映画を Mahal (Hindi - 1949) Dir. Kamal Amrohi とするところでは一致している。これはホーンテッド・マンション+輪廻転生モチーフだという。比較的楽に手に入れられそうなのでそのうち見てみようと思う。

それから、1970年代末からはラムゼイ兄弟という、B級ホラーを専門に手がける制作者集団が現われている。この兄弟の送り出した作品群は、世界のモンド映画愛好家からは一定の注目を集めているようだ。ヴィジュアルはこんな感じ。正直な話、あんまし観たくないかも。

サウスのホラーに転じるとどうか。これがもう、絶望的なまでに資料がない。地道に一作一作をあたって行くしかないという感じ。これまでにも何度か書いてきたが、その中ではマラヤーラムは実作品で入手できるものがずば抜けて多い。「マラヤーラム界はホラー映画王国」と言い切ってしまうのには躊躇が残るが、他の3言語圏よりも盛んであるということについては間違いないと思う。今回はウィキペディアの散漫なリストのなかで最古のものとなっている白黒映画について紹介。

cvBhargavinilayam.jpgBhargavinilayam (Malayalam - 1964)

Director:Aloysius Vincent
Cast: Madhu, Prem Nazir, Vijaya Nirmala, Adoor Bhasi, Kuthiravattom Pappu, P J Anthony

タイトルのゆれ:Bhargavi Nilayam, Bhaargavi Nilayam,
タイトルの意味:House of Bhargavi

VCDの版元:Harmony
VCDの字幕:なし
VCDの障害:あり、下記参照

2006年に本作を4枚(2作品)組VCDで鑑賞した際には、ディスク1は問題なかったのに、ディスク2が最初の5分程度しか再生できなかった。その後シングル(2枚組)VCDが再発売となったので買ってみたのだが、そちらもディスク2がアウト。どちらもディスク2の盤面の同じ箇所に気泡のような汚れが付着していた。昨年後半になってダメ元でもう一度同じディスクを買い(さらに再生機も買い替え)たところ、めでたく全編通して見ることに成功したのだった。

なんでそこまで意地になったかというと、やはり5年前に観た最初の1時間超がなんとも素晴らしかったからだ。

まずは原作となったヴァイコム・ムハンマド・バシールのマラヤーラム語の短編小説、 Neela Velicham [Blue Light] から。英訳での分量だが僅か11ページほど。1952年に発表された短編集 Paavappettavarude Veshya の中の一篇。

【原作小説のあらすじ】
転居癖のある独身の小説家(名前は明かされない)は、ある日執筆に向いていそうな村はずれ(場所もまた一切明かされない)の一軒家を見つける。ひどく感じの良いその家が空家だったということに驚きながらも、彼は早速2か月分の家賃を前払いし、意気揚々と引っ越してくる。彼が入居を最初に知らせに行った郵便局員は、その住所を聞いて絶句する。郵便局員が言うには、その家では過去に不自然な人死にがあり、それ以降夜になると無人のはずの家の中で妙な物音がしたり、水道の水が勝手に流れ出したりと、不可解な出来事が起こるようになったというのだ。小説家は予想もしていなかった話に驚く。次に毎日の食事の出前を頼みに行った食堂では、従業員がさらに詳細を語ってくれた。不自然な死に方をしたというのはその家の娘、21歳のバーガヴィだった。彼女には深く愛し合った恋人がいたのだが、その恋人は最後に彼女を裏切り別の娘と結婚してしまった。その結婚式の夜にバーガヴィは自宅の井戸に身を投げて自死したのだという。幽霊が女であると聞き、小説家の緊張は半減する。「豪勇でもなければ臆病でもない」と自認する彼はその家でなんとか暮らしていこうと考える。

その家で迎えるはじめての夜から、彼は目に見えない幽霊に話しかける、バーガヴィ・クッティ、と(※)。彼は自分がこの家に住む事の許し、バーガヴィへのいたわり、蓄音機でかける音楽の話など、様々な物事についてしゃべる、まるで共に暮らす妻に対するかのように。食事の後、彼が執筆をはじめようとすると、背後に何かの気配が感じられた。振り返っても誰もいない。落ち着かず家の中を歩き回る彼の目に、窓の外の漆黒の闇の中に何かが一瞬光るのが見えた。

しかしそれ以上のことは何も起こらず、彼は2ヵ月半以上をその家で安穏と過ごす。最初の頃には熱心だったバーガヴィへの語りかけも、やがてなおざりになり、時々彼女のことを思い起こすだけになっていった。ある夜、執筆が佳境に入り夢中になっていた小説家は、卓上灯が消えそうになっているのに気がつく。執筆を中断したくない彼は、補充のケロシン油を求めて街中の銀行で夜勤をしている知人を訪ねる。油を分けてもらいすぐに引き返そうとしたところに雨が降り出し、やむなく知人とカードゲームで時間を潰し、結局家に戻ったのは3時間後の真夜中だった。

そこで彼が目にしたのは、消えかけていたはずの灯火が煌々とあたりを照らし出し、全体が青い光で満たされた書斎だった。(粗筋了、なおこの要約は英訳アンソロジー Poovan Banana And Other Stories を基にしている)

※クッティ(kutty)というのもなかなか訳しにくい言葉である。「~ちゃん」よりも用途が広い。単独で呼びかけで使われることもあるし、また正式な人名の一部となることもある。

Bhargavinilayam02.jpgBhargavinilayam03.jpgBhargavinilayam04.jpg

【寸評】
原作のストーリーはこれで全部、掌小説的というか、スケッチというか、劇的な展開は何もない。これをそのまま映画化するのは絶対無理だ。で、いろいろと変更を加えて起伏のある展開にしたわけだが、まあ、ふつう文学作品の映画化がそうであるように、細やかなニュアンスが飛び、ヒロイズムや勧善懲悪モラル、通俗的なロマンスなど(さらにはコメディまでも)が幅をきかせることになった。だが、IMDbを見ると、原作者のバシールが、ストーリーライターだけでなくダイアローグを担当しているとある。つまりこれは原作者も了承の上での改変ということだったのか。結果としては本作は大ヒットしたという(The Hindu 記事による)。

上に書いたように、文学的な深みという点ではかなり後退してしまった本作だが、それでも強力に推したいのは、超自然的な存在が自らを顕示するシーンの信じがたい美しさのためだ。それ以降多数作られたマラヤーラム・ホラー映画でもこれを超えたものは無いように思える。ただし、5年前の感想にも書いたが、効果音の演出が激しく安物じみていて、50年近く前の作品だとしても、もうちょっとどうにかならなかったものかと思えてしまう。しかし一方で上記の顕現シーンにおける楽曲の美しさはたとえようもない。以前に紹介したドキュメンタリー Cinemayude Kalppadukal(本作の監督であるA ヴィンセントも出演している!)でも、時代の証人たちが本作の音楽の特別さについて語るシーンがある(40:00~46:00のあたり)。

そして上に挙げたような本作の美点は、ほとんどが前半、つまりディスク1の範囲内にあるのだ、実のところ。苦心してやっと観たディスク2は、長大なフラッシュバック、つまりヒロインのバーガヴィがどのように恋人(映画では誠実な恋人というキャラクターに変更されている)と巡りあい、愛し合い、非業の最期を遂げたかという説明となっている(詳細なストーリー解説はウィキペディアにあり)。このクリシェをなぞった回想部分では、前半での緊張感がほとんど失われてしまっているのが残念。それじゃあ、この間の探求が無駄だったかというと、やっぱ人生捨てたもんじゃない、ディスク2ではヒロインのヴィジャヤ・ニルマラの美貌が炸裂しているのだった。

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Bhargavinilayam08.jpgBhargavinilayam07.jpg

ヴィジャヤ・ニルマラ、出生地や出生年は不明ながら今日のアーンドラ・プラデーシュの出身であることはほぼ間違いない。子役として出発し、本作でヒロインデビュー。その後タミル、テルグ映画にも出演し、特に後者ではクリシュナとの共演でヒットを多く飛ばし、二人は銀幕上のベストカップルとされた。その後なんとクリシュナの第二夫人(後妻ではなく)となって世間を驚かせた。マヘーシュ・バーブの継母という事になるが、自身の初婚でもうけた実子ナレーシュもまた俳優(当サイトでは主演作を紹介したことがある)。中年以降は監督に転じ、最も多作な女性監督としてギネスブックにも掲載されたという。現在は、(夫ともども)なにやら妖気漂うような佇まいだが、このデビュー作での可憐さには声を失った。

なので、最後まできちんと再生できる本作VCDの流通はやはり大変にめでたいことなのだった。

投稿者 Periplo : 00:39 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2010年11月02日

ベイベ、おまえは蜜に溶かした山葵じゃ!

スリランカの主都コロンボにちょっくら行く用事があったんで、ついでに話題の Endhiran (Tamil - -2010) Dir. Shankar を観てきた。なんとこの地での上映では英語字幕つき、ありがとうスリランカ!

Photobucket

最近いわゆるマイクロ・ブロギングなるものにはまっている。といっても自分が俳句だの短歌だのを捻って投稿しまくるというのではなく、ROMがメイン。世の中には、ブログなどで一定のボリュームを持った感想文を書くまでには至らないが、自分の観た映画についてひとこと言いたい人が無数にいるものなのだな。いや凄いもんなんだ、Endhiran、Enthiran、Robot、イェンディラン、ロボ etc.のキーワードでの検索結果が。

ラジニ+シャンカルの前作 Sivaji The Boss (Tamil - 2007) Dir. Shankar の時も既にこのサービスは始まっていたのだが、こちらがまだツールとしての凄さに気付いていなかった。だから当時の資料が手元になく、同じ条件での比較はできないのだが、この Endhiran への怒涛の反響は明らかにこれまでのものとスケールが違うように感じられる。特にヒンディー語圏観客のレスポンス(と推定されるもの)が印象的。近年のラジニ出演作は多くがヒンディー語に吹き替えられて(あるいは英語字幕が付けられて)北インドでも公開されていると聞く。しかし本作ほどに非タミル人観客を圧倒する状況を作り出したものはなかったのではないか。「無闇に予算をつぎ込んだ泥臭い南印度のイロモノ」という視点ではなく、一映像作品として評価してリスペクトしているものが目に付く。それはもちろん作品総体としてのパワーによるものなのだろうが、やはり観客を劇場に向かわせた原動力としてのアイシュワリヤ・ラーイ効果も大きかったものと思われる。これまでもずっと、作品の立ち上げのたびにラジニサイドは繰り返しアイシュさんにラブコールをし続けて来て、そしてそれは個人的にはあまりスタイリッシュには見えなかったのだが、眼の前に歴然たる効果を突き付けられたような感じだ。そしてアイシュさんが本作まで出演を保留にしてきたのも、結果としてみれば正しい選択だったように思える。

ラジニ信者じゃなく、タミル映画ファンでもない無名氏(だと思うが)のとても端的なレスポンスの一例。

Saw Shankar's Enthiran today. Never thought I will ever see a Rajini movie and say "Awesome"(バンガロールに在住のケララ人と思われるシュリージット君の一行レビュー

業界の方々からも絶賛の嵐。

If u can handle.. Bourne Rajni, Bond Rajni, Rajninator, Rajnix Reloaded, Fast &Rajnious.. All this n more in one movie, Do not miss ROBOT.(Kuselan でラジニと数秒間共演した事もあるマムタ・モーハンダースちゃんの感激のコメント

そして実際に自分でも観てみて、これらのコメントは全く同感できるものだった。現実には還暦を迎えたラジニは、いつものことながら信じられんほどに年齢不詳だった。本作ではいわゆる「スタイル」は影を潜め、そしたらラジニはなんだか可愛いのだな、ちょっと吃驚するくらいに。小手先のスタイルは無くなったが、その代わりにロボットという巨大なギミックが導入された。いうなれば紅白の常連歌手が呼び物にしてる衣装という名の舞台装置みたいなもんか。しかしその巨大なギミックに呑まれることなく、ラジニは楽しげに1人3役(数え方によっては4役とも)を演じ分けていて、さすがだと思った。伊達にヒマラヤで修行してるのじゃないんだな。アイシュさんはというと、演技力が要求されるような複雑なキャラでは全然ないのだが、後半の凄まじい戦いの原因になる美女という役どころには他の誰よりも相応しいものだった。悪の帝王を演るのだと思っていたダニーさんは意外にあっさりした役で、ファンとしては不満が残ったが、チェンナイが舞台(一応そうだと思うのだが)のこの映画に一種独特な未来的無国籍感を与えていた。

役者と同等に存在感を示しているのは、もちろんシャンカル監督。トレードマークである社会告発のシャンカル節は今回は唄ってないが、その代わりにラジニ映画・シャンカル映画あるいはもっと広く伝統的なタミル映画の特質を、大変に贅沢な素材を使って料理して外の世界にまで届けてくれた。その特質とは何かというと、「稚気」だと思う。別に貶めて言っているのではなく。向日性で楽天的、ふっくりとした丸みを持つ力強い単純さ、おとぎ話を現実に変えようと絶えず志向する心性、これらをひと言で言い表そうとすると「稚気」としか表現できないのだ。それはたとえば、他の制作者の手にかかれば非常にニヒルなものとなりかねなかったラストシーンなどによく現われていると思う。この特質、同じ南印でも他の3言語圏では仮に存在したとしても微妙にニュアンスの違うものだろうし、タミル映画からも徐々に失われて来ているものなのではないか。

エグ味を多分に含んだパワフルさ、という点では前作 Sivaji The Boss よりも(これでも)随分大人しくなっている本作、しかし60歳ラジニの記念碑的到達点としての意義は大きい。これだけの達成を遂げたのだから、ここで一度引退してみてもいいのではないか、悪意ではなく虚心にそう思った(余計なお世話だろうが)。

【付記:ジャパン関連】

さてさて、毎度御馴染みのラジニ様による日本へのオマージュである。

まず第一に、こちらさんによれば、本作には日本のロボット関係団体が協力しており、冒頭またはエンディングにクレジットが示されるという。これは事前に知っていたので注意したつもりだが、結局見つけられなかった。日本の関連団体というと日本ロボット学会日本ロボット工業会ということになるかね。

ソングのひとつ、♪ Irumbile Oru Idhaiyam の出だしに「アリガトゴザイマス」という日本語のフレーズがサンプリングされているのが既に日本で話題になっている。しかしもっと凄いのがあるのだ。

劇中の最初のソング、♪ Kadhal Anukkal のサビの部分に以下のような歌詞がありリフレインされるのだ。日本語は筆者による超訳だ、違ってても責任は取れん、念のため。

ஹோக்கு பேபி ஹோ பேபி
hokku baby ho baby
おおうベイベ、おうベイベ
செந்தேனில் ஒஸ்ஸாபி
senthenil wasabi
君は蜜に溶かしたワサビ
ஹோக்கு பேபி ஹோ பேபி
hokku baby ho baby
おおうベイベ、おうベイベ
மேகத்தில் பூத்த குலாபி
megathil pootha gulabi
君は雲に咲く薔薇

蜂蜜にワサビって何やねん?一応こういうレシピが見つかった、食通の間では知られてるのか?いや、実は今チェンナイでは蜂蜜にワサビを溶かしてプレーン・ドーサにつけて食するのが大流行、なんてことは全然なくて、こちらのブログ記事のコメント欄を見るとわかるように、多くのタミル人観客にとっても謎のフレーズであるようだ。かつて作詞家のヴァイラムットゥ先生が来日された折に、何かそれに類したものでも召し上がったのだろうか。とりあえずこれからチューブのワサビでも買って来よっと。

【資料集】
http://en.wikipedia.org/wiki/Enthiran
http://cauvery-south-cine.at.webry.info/201010/article_3.html
http://www.koredeindia.com/010-10.htm#1001a
http://www.thehindubusinessline.com/2010/09/30/stories/2010093051791100.htm
http://www.kollywoodtoday.com/reviews/review-enthiran/
http://sify.com/movies/specials/endhiran/
http://www.upperstall.com/films/2010/enthiran
http://www.hindustantimes.com/Gautaman-Bhaskaran-s-Review-Endhiran/Article1-606907.aspx
http://www.bbthots.com/?p=1573
http://www.directorshankaronline.com/category/movies/enthiran-movies/
http://chennaionline.com/specials/Endhiran/Review.aspx
http://tamilomovie.com/movie-review-rvs/4234-movie-review-enthiran
http://blogs.timesofindia.indiatimes.com/line-of-sight/entry/rajni-vs-rajni-in-enthiran-robot
http://www.indiaglitz.com/channels/tamil/review/9874.html
http://www.dnaindia.com/entertainment/review_review-robot-endhiran-is-an-indian-film-to-be-proud-of_1446033

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マラヤーラム映画ファンにとってのくすぐりどころはコーチン・ハニーファカラーバワン・マニのチョイ役出演、それにサブちゃんの特別出演。それにしてもこのスチルの扱いは酷い!

投稿者 Periplo : 03:31 : カテゴリー バブルねたtamil so many cups of chai
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2010年10月03日

レビュー:Swa.Le

この先、サービス残業の挙げ句に終電逃して歩いて帰宅するようなときには、このシーンを思い出すかもしれない(笑)。しょっちゅう思い出すことになるかもしれない(泣)。

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それほど華々しく公開されたわけでもなく、大ヒットも記録しなかったが、90年代マラヤーラム映画の良い部分を蘇らせたような、ちょっと懐かしい感じの佳作に出会うことができた。

cvSwaLe.jpgSwa.Le (Malayalam - 2009) Dir. P Sukumar

Cast: Dileep, Gopika, Nedumudi Venu, Salim Kumar, Jagathy Sreekumar, Harishree Ashokan, Innocent, Ashokan, Ganesh Kumar, KPAC Lalitha, Vijaya Raghavan, Edavela Babu, Kunchan, Manikuttan, Sreejith Ravi, Sadique, Madhu Warrier, Nishant Sagar, Guruvayoor Sivaj, Kalaranjni, Sona Nair, T P Madhavan, Kochu Preman

タイトルのゆれ:SwaLe, Swa Le, Swantham Lekhakan
タイトルの意味:Staff Correspondent

DVDの版元:Moser Baer
DVDの字幕:英語
DVDの障害:現在のところ特になし
DVD入手先:RealCinemasMaEbagBhavani など

【ネタバレ度30パーセントの粗筋】
1980年代末のケララ中部、インターネットも携帯電話もない時代。地方語新聞王国ケララを支える末端の記者達は毎日のように特ダネを求めて互いにしのぎを削っていた。弱小新聞ジャナ・チンタの地方支局の若手記者、ウンニ・マーダヴァン(Unni Madhavan / Dileep)もその一人。相棒カメラマン、怠け者で不真面目なくせに時おり哲学的なことを呟くチャンドラ・モーハン(Chandra Mohan / Salim Kumar)とコンビを組んで、ローカルニュースを追いかけて東奔西走していた。彼には周囲の反対を押し切って結婚した愛妻ヴィマラー(Vimala / Gopika)がおり、臨月の体なのだが、恋愛結婚が理由で親族とは連絡を断ってしまっているため、妻はただ一人で家にいる。家計も非常に苦しく、ジャーナリスト稼業だというのに、地方都市のそのまた郊外の不便で寂しい場所での借家住まいに耐えなければならない。

どちらかと言えば取るに足らないニュースを追いかけていたウンニを、ある日大きなショックが襲う。マラヤーラム文学界の巨星パラリ・シヴァシャンカラ・ピッライ(Palazhi Sivasankara Pillai / Nedumudi Venu)が心臓発作で倒れて危篤という知らせが入ってきたのだ。報道デスクのカイマル(Kaimal / Innocent)を始めとする会社上層部は色めきたつ。死にゆく文豪の刻一刻を報道し、さらに彼が没した後に追悼特集を組めば売り上げ増は間違いないからだ。カイマルはウンニに、パラリの家に張付き、その死の瞬間を他のどの新聞社にも出し抜かれることなくレポートし、さらに情感溢れる追悼記事を書くよう命じる。これはウンニにとっては残酷な業務命令だった。彼は幼時パラリの近所に住んでおり、パラリの薫陶を受けて文筆の道に進んだのだった。今日のウンニがあるのは全てパラリのお蔭だといっても過言ではない。懊悩するウンニにさらに別の問題が持ち上がる。いつ容態が急変するかわからないパラリの家に詰めきりになることによって、初産の不安から心身ともに弱っている妻がさらに不安定な状態に追い込まれてしまったのだ。敬愛する恩師の死の床に土足で立ち入ることへの嫌悪、一人ぼっちに耐えている愛妻を思っての心痛、会社への反発とでウンニの心は張り裂けそうになる。(粗筋了)

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【とりとめのない感想】
自分でも不思議なくらいノスタルジックな余韻がいつまでもいつまでも残ってるんだ。ジャーナリストが主役の映画ってたら、ニューデリーが舞台で銀縁眼鏡の細面が出てくるものだと思ってしまいそうだが、いきなりケララのド田舎が舞台。主人公のウンニの住む家は川に面していて(下左写真)、毎朝渡し舟で通勤。渡りきった先はというと、やっぱりド田舎(下右写真)。こういうのは普通は苫屋とは言わない、隠れ家リゾートって言うがな。ちなみにロケ地は、近年のマラヤーラム映画ではとても人気のあるイドゥッキ郡トドゥプラの郊外、パラプラ(Purapuzha)という小村らしい。80年代末、つまり91年の経済開放の少し前という設定も絶妙。

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そういう牧歌的なセッティングの中にありながら、テーマは結構深刻なのだ。主人公は、幼時に文(ふみ)の世界への憧れを植えつけてくれた恩人である文豪の死の床に寄り添いながら、正味なところではその死を今か今かと待つ状況に追い込まれるのだから。家には不安定な状態の妻が彼を待っていて、できることなら他のスタッフに肩代わりしてもらって帰宅したい。しかし文豪との個人的な絆ゆえに、彼は置き換え不能な人材になってしまい、報道デスクは戦線離脱を頑として認めない。デリーが、あるいはカルカッタが舞台の映画だったら、かなり沈痛で内省的なトーンになってただろう。だけどそこがマ映画、のほほ~んとエエ湯加減なんだわ。瀕死の文豪が臥せっているのが、これまた都会の病院じゃなくて人里離れたタラワッド(大邸宅)。近所にはトタン掛けのチャイ屋が一軒あるきり。そこでチャイを啜りながら記者達はXデーをただ待ち続け、見た目はピクニックみたいになってしまうのだ。余談ながらこの文豪というの、名前からしても明らかに『えび』の作者として名高いタカリ・シヴァシャンカラ・ピッライをモデルにしてるんだろうね、別に伝記的な描写をしてるわけじゃないけど。

脱線から戻って。恩師への思慕の念、職業人としての誠意、そして家庭人としての責任、三つ巴のジレンマからウンニがどのような成り行きで解放されるのかというのが本作のクライマックス。とても笑い事ではないのだが、悲劇が極まって喜劇に転じる寓話のようで、爽やかな読後感。ニヒリズムを含んだ最終場面についてはレビューでも評価が分かれているようだが、まあいかにも「らしい」なあ、と筆者は肯定的に捉えている。

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演じ手達は端役に至るまでナイスなキャスティング。アンサンブルの妙味を楽しめる。とはいえやはり第一に書くべきは主演のディリープだろう。こういうペーソスを含んだヒーロー像をやらせたら今の椰子國でかなう奴はいないと思う。日頃の自意識過剰を押し殺して演じた、やられっぱなしの若オッちゃんは良かった。これが結婚後カムバック作となったゴーピカも、見せ場は少ないながらも手堅い芝居で、じっと耐えるいじらしい妻を好演した。一番印象に残ったのは悪役的性格の強い報道デスク役のイノセント。主人公に対して「お前の嫁が子供を生んだら一面ネタになるのか?臨終の文豪に張り付け!」なんていう鬼畜な台詞を平然と吐く、頭のネジが数本足りないイエロージャーナリズムの権化を、怖いくらいに嬉々として活写。日頃はアクの強さで頭ひとつ抜きん出ていることの多いジャガティ先生も、ここではちょっと霞んで見えたくらいだ。俄か景気に舞い上がって、文豪の家の隣にある自分のチャイ屋をスターつきホテルにしようなど夢想する愉快なキャラで、もちろん悪くないだけどね。

撮影監督としてキャリアを積み、本作で監督デビューしたPスクマールについては、今後も注目して行こうと思っている。

付録:どん詰まりのラストシーンにマラヤーラム語の文章がかぶさるのだが、これに英語字幕がついていない。気になって仕方がないので、捩り鉢巻のガリ勉で大意を訳してみた。ネタバレでも構わないという方はこちらを参照のこと。結局大したことは言っちゃいないんだけどね。

参考
http://en.wikipedia.org/wiki/Swantham_Lekhakan
http://entertainment.oneindia.in/malayalam/top-stories/2009/swantham-lekhakan-real-life-041109.html
http://old.musicindiaonline.com/ar/i/movie_name/12259/1/
http://www.indiaglitz.com/channels/malayalam/preview/11264.html
http://movies.rediff.com/report/2009/oct/30/south-malayalam-review-swa-le.htm
http://sify.com/movies/malayalam/review.php?id=14917466&ctid=5&cid=2428
http://kerala9.com/news/swale-review-swantham-lekhakan-user-reviews/
http://dileepfansclub.co.cc/news/2009/swantham-lekhakan-first-schedule-completed/

投稿者 Periplo : 00:45 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2010年09月20日

レビュー:Pazhassiraja

我が最期にではなく、この大地のために哭せよ。

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まさか日本で上映される事になるとは思わなかった。2009年のマラヤーラム映画の最大のヒット作。


話はやや迂遠になるが、以下はタミル映画の歴史的名作といわれている Veerapandiya Kattabomman (Tamil - 1957) Dir. B Ramakrishnaiah Panthulu が描いた18世紀末のティルネルヴェーリ地方の土侯カッタボンマンについての解説。

 ヴィーラパーンディヤ・カッタボンマンは1760年に生まれ、90年に父の跡を継いで領主となる。30歳のときであった。彼はイギリス東インド会社からの再三の要求にもかかわらず、税の支払いを拒否し、徴税官と会見に臨んだおりに暴力沙汰におよんだりしたため、イギリス側が態度を一段と硬化させ、彼を逮捕すべく軍隊を遣わした。イギリスはヴィーラパーンディヤ・カッタボンマンのいる砦を包囲したが、彼の頑強なる抵抗に手を焼き、退却をよぎなくされるなど戦闘は難航を極めた。
 砦がイギリス軍の砲撃に耐えられないことを悟った彼は、軍が退くのを見届けるや、すぐさま砦から脱出し外部の味方のもとに潜伏する。イギリスが懸賞金を出して行方を追っていたところ、仲間の裏切りによってヴィーラパーンディヤ・カッタボンマンは捕らえられてしまう。イギリスが謝罪を条件に釈放の提案をしたが、彼はそれを即座に拒絶したとも伝えられている。彼はイギリスに屈しないまま、絞首台で名誉ある死を遂げたのであった。
 ヴィーラパーンディヤ・カッタボンマンが繰り広げた闘争は、1857年から59年にかけてのインド大反乱(セポイの反乱)に半世紀以上も先立つもので、全インド的な反英闘争の口火を切るものとして歴史的な意義も大きい。そのことは、1999年に彼の肖像を図案にしたインドの郵便切手(3ルピー)が発行されたことからもうかがい知られる。しかし、彼の闘いが基本的にはポリガールとしての権益を守るためのもので、後世の反英民族主義の動きとは性格を異にするとする見方もあるなど、歴史上の評価が定まっていないことも事実である。カッタボンマンは、当時イギリス支配に抵抗した多くのポリガールたちの一人であった。彼らの闘いは等しく鎮圧され、多くはイギリス東インド会社に所領を没収され、衰運は決定的なものになっていく。
 (中略)
 タミル人にとってヴィーラパーンディヤ・カッタボンマンは銀幕上でもおなじみの存在である。彼の波瀾万丈の生涯を描いたタミル映画『ヴィーラパーンディヤ・カッタボンマン』(1959年)は、インド独立闘争にもかかわった父をもつ名優シヴァージ・ガネーサンが主演したヒット作で、1960年にカイロのアフリカ・アジア映画祭で最優秀男優賞の栄誉に輝いている。

山下博司「カッタボンマンの戦い」(世界歴史体系 南アジア史3 南インド P.222-224)より。引用文中のポリガールとは地方領主のこと。なお、横書きでの読みやすさを考慮して、原文の漢数字を算用数字に置き換えさせていただいた)

20世紀前半の南インドは、対英独立闘争において自前のイコニックな指導者像を欠いていた。もちろん戦いに参加した無数の無名人はいたはずだが。結果として南インド映画史では独立闘争ジャンルは比較的低調であったという。随分前に紹介した 1921 (Malayalam - 1988) Dir. I V Sasi は史実(マイナーではあるが)に基づいた珍しい作例。プリヤン先生の Kaalapani (Malayalam, Tamil, Hindi - 1996) はフィクション。今日のアーンドラ・プラデーシュ地域ではアッルーリ・シーターラーマラージュ(1897- 1924)という、部族民を率いて英国に叛旗を翻した英雄がおり、過去に2度NTRとクリシュナをそれぞれ主役にして映画化されている。それから、上記の Veerapandiya Kattabomman のように過去に遡り歴史の再解釈を加えたもの。カッタボンマンについては、この Pazhassiraja 中でもちらりと言及されている。

18世紀末のマラバール地方コーッタヤム(今日のケララ南部の街ではない、こちら参照)の小領主、ケーララ・ヴァルマ・パラッシについても同じ事が言えるだろう。冷静な目で見れば、パラッシは上に引用したカッタボンマンと同じくイギリス東インド会社に対して孤立的に戦を交えた小領主の一人、いわば発掘されたフリーダム・ファイターだ。歴史の流れの中に埋もれた土豪をいかにスケール大きく描き出すか、これは一般的にはマラヤーラム映画の得意分野とは思えないので若干不安に思いつつも期待していたのだった。


cvPazhassiraja.jpgPazhassiraja (Malayalam - 2009) Dir. Hariharan

Cast: Mammootty, Sarath Kumar, Manoj K Jayan, Kaniha, Padmapriya, Suresh Krishna, Jagadheesh, Devan, Suman, Jagathy Sreekumar, Ajay Ratnam, Harry Key, Linda Arsenio, Peter Handley Evans, Captain Raju, Urmila Unni, Mamukoya, Nedumudi Venu, Valsala Menon, Thilakan, Lalu Alex, Murali Mohan, Abu Salim, Subair(詳しい配役についてはこちら参照)

正式タイトル:Kerala Varma Pazhassiraja
タイトルのゆれ:Pazhassi Raja, Keralavarma Pazhassi Raja
邦題:ケーララの獅子(@アジアフォーカス・福岡国際映画祭2010

DVDの版元:Moser Baer、メイキング映像を収録した付録DVDつき。なおマラヤーラム映画としては初のブルーレイ版も発売されている
DVDの字幕:英語
DVDの障害:現在のところ特になし
DVD入手先:MaeBagRealCinemas など

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【粗筋ではなく、文献に残っている、(一応)史実とされていること】赤字は劇中に登場する人物と役者名)

■第一次パラッシ・ラージャー戦争(1793-1797)
18世紀の最後の10年、ケララ北部マラバール地方は第三次・四次マイソール戦争によって、マイソールのティープー・スルターンの統治からイギリス東インド会社(以下カンパニー)による再支配へと移行しつつあった。マイソールの統治下にあっては農民は政府徴税官を通じて直接納税していたが、カンパニーがマラバールの統治者に返り咲いた後この政策は覆され、各地の小領主(ラージャー)が徴税を請け負い、一括納税することになった。しかし各地での組織化された農民の抵抗もあり、定められた税額を納められないラージャーも多かった。戦争での損失を補填するために敷かれた厳しい税制への農民の不満はラージャーを通り越してカンパニーに向けられたのだった。コーッタヤムではさらに複雑な事情が加わった。当地の王家のケーララ・ヴァルマ・パラッシ(Kerala Varma Pazhassi Raja, aka Pychy Raja/ Mammootty)は、マイソール戦争に自ら出陣しカンパニー勢力を助けて奮戦し、ティープー・スルターンを退けるのに功があった。しかしカンパニーはこれに充分に報いることなく、彼の伯父クルンブラナード・ラージャー(Kurumbranad Raja, aka Veera Varma / Thilakan)にコーッタヤムの支配を委ねた。これを不服としたパラッシは公然と反抗し、小競り合いが繰り返され、コーッタヤムからの納税は事実上停止した。パラッシはカンパニーから反逆者と見なされていたナーランゴーリ・ナンビヤールを匿い、また自領内に住むマーピラ(マラバール・ムスリム)2名を窃盗の罪により処刑した。カンパニーはこれらをもってパラッシに逮捕状を出すことになるが、臣民からの信望の厚い彼を捕縛することは困難だった。1795年4月にはゴードン中尉(Lt. Gordon 劇中では Major James Gordon/ Peter Handley Evans)率いる分遣隊がパラッシの館を急襲するが、すでに主は逃亡していたため、カンパニー兵による宝物の略奪が行われた。

ワヤナードのマナッタナの森に逃れたパラッシは、ゲリラ戦によってカンパニー軍を悩ませる。和睦の試みも何度かはあったものの、不調に終わる。戦いの一方でパラッシは、かつて戦さを交えたマイソールのティープー・スルターンとの共闘も画策している。1797年3月にはダウ大佐およびミーリー中尉に率いられた2小隊がワヤナード北部のペリヤ峠付近で合流を試みたが、パラッシ配下の数千のナーイルおよびクリッチヤ(同地方の部族民)によって撃退される。同月にキャメロン小佐指揮下の1100名の分隊もペリヤ峠周辺でパラッシの待ち伏せ攻撃に遭って敗走し、キャメロンは戦死する。カンパニーは事態を安閑と眺めていることができなくなり、ボンベイから総督ジョナサン・ダンカン(Jonathan Duncan / Tommy)がやってくる。チラッカル・ラージャー(Chirakkal Raja / Murali Mohan)の仲介により、パラッシとカンパニーは和平に合意する。パラッシはカンパニーからの年金受領と略奪された宝物の返還と引き換えに、カンパニーとの共存(実質的な隠居)を受け入れた。

■第二次パラッシ・ラージャー戦争(1800-1805)
1797年の停戦は長くは続かなかった。パラッシの再蜂起の直接の原因は、1799年のシュリーランガパトナムの戦いによるマイソール戦争の終結後、マイソールとカンパニーとの間で結ばれた条約を根拠に、カンパニーがワヤナードを直接支配しようとしたことだった。ワヤナードを自領と考えるパラッシは、ナーイル、クリッチヤ、マーピラからなる兵を集めて再び戦いの狼煙を上げる。パラッシの有能な部下には、カンナヴァト・シェーカラン・ナンビヤール(Kannavath Shekaran Nambiar / Devan)カイテーリ・アンブ・ナーイル(Kaiteri Ambu Nair / Suresh Krishna)エダッチェーナ・クンガン・ナーイル(Edachanna Kungan Nair / Sarath Kumar)、それにクリッチヤ族の勇猛なる指導者タラッカル・チャンドゥ(Talakkal Chandu / Manoj K Jayan)らがいた。かつてクンガンが、部族民コロニーで無体な税の取立てを強行しようとした官吏を追い払って以来、チャンドゥは彼を慕いその右腕となっていた。事態を重く見たカンパニーはアーサー・ウェルズレイ(後のウェリントン公爵)をマラバール・マイソール・サウスカナラ総司令官に任命する。ウェルズレイ将軍はタラッセーリに布陣し対ゲリラ戦の戦略を練る。1801年にはスティーヴンソン大佐がマイソール側からワヤナードに攻め入ることに成功し、山中に要塞群を築く。徐々に勢力範囲を分断されていったパラッシは、今やワヤナード山中を彷徨っていると言ってもよい状態だった。1801年11月にはエドワード中尉がカンナヴァト・シェーカラン・ナンビヤールとその息子をを捕縛して処刑する。1802年には、徴税長官(コレクター)でもあるミクラウド少佐が一帯に武装解除を発令した。パラッシの側も反撃し、クンガンとチャンドゥの指揮のもと、カンパニー軍が駐屯していたパナマラム砦を攻略し陥落させた。1802年11月のこの勝利は一連の戦闘中のランドマーク(こちら参照)として語り継がれることになる。カンパニー側は、1200名の警察官からなるコルカルという軍事組織を新たに創設し、パラッシとの局地的戦闘に備える。

1804年初頭には、若く精力的なトーマス・ハーヴェイ・ベイバー(Thomas Harvey Baber / Harry Key)がタラッセーリの徴税副長官(サブ・コレクター)として赴任する。彼に与えられた特務は、パラッシの叛乱を鎮圧することだった。彼はコルカルを効果的に使い幾つかの局地的蜂起を押し潰し、また住民に対して反乱者への非協力と反乱者の動向を報告することを義務づけた。パラッシやその配下の武人達の首には懸賞金がかけられた。コルカルによる執拗な追跡のなかで、タラッカル・チャンドゥが逮捕される。山中を逃避行するパラッシとその一党の命運は、1805年11月30日に尽きる。この日、追い詰められたパラッシ・ラージャーは、50名のセポイと100名のコルカル・数名の仕官・それにベイバーからなるカンパニー軍と対峙し、短い交戦の末に射殺されたのだ。ワトソン大尉の副官チェーラン(Subedar Cheran / Ajay Ratnam)がまずパラッシらを発見し、接近戦の末、パラッシとその手勢は銃弾を浴びて斃れた。ベイバーお抱えの召使カナラ・メーノーン(Kanara Menon / Jagathy Sreekumar)が大胆にも銃を携えたままのパラッシに近づいて行くと、瀕死のラージャーは威厳をもって「寄るな、お前によって汚されたくない」と一喝した。同時に部下のうち4人が殺され、2人が捕縛された。パラッシの后とその侍女たちもまた保護された。しばらく後、別の場所では、病のため動くこともできなくなっていたクンガンが、生け捕りになることを潔しとせず自刃して果てた。ベイバーはパラッシの遺体を自らの輿にのせてマーナンタヴァーディまで運び、カンパニーの礼式に則り丁重に葬った。「反乱者ではあったが、彼はこの地の天与の指導者の一人であったので、打ち負かされた敵として扱われるべきではないと思った」と彼は報告書中で述べている。ベイバーはまた、パラッシを「特筆すべき無比の人格」と形容し、「あらゆる階層の住民達の間で、彼に対する大いなる尊敬と思慕が根を張っており、それは彼の死によってもまったく損なわれることはなかった」と記した。

[主要参考資料]
A Survey Of Kerala History, A Sreedhara Menon, 2006, S. Viswanathan Pvt. Ltd.
Malabar Manual, William Logan, 1887/2004, Asian Educational Services
ウィキペディア:Pazhassi Raja
ブログ:Malabar Days by Nick Balmer(トーマス・ベイバーの子孫に当たるアマチュア歴史家)

なお、上記の資料中には、多くの記述はないものの、以下のような人名も見られる。
パラヤ・ヴィーッティル・チャンドゥ(Palaya Vittil Chandu 劇中ではPazhayamveedan Chandu / Suman):クルンブラナード・ラージャーの腹心
デーヴァス・バンダーリ(Devas Bhandari / Jagadheesh):コンカン人の胡椒商人
ウンニ・ムーッタ・ムーッパン(Unni Mutta Muppan / Captain Raju):カンパニーからは匪賊と見做されていたマーピラの首長
アッタン・グルッカル(Attan Gurukkal / Mamukoya):同じく犯罪者として扱われたマーピラ
パッルール・イェンマン・ナーイル(Pallur Emman Nair / Lalu Alex):ウェルズレイ将軍の友人として遇されていた有力者だが、パラッシのスパイであった可能性もある。後に公然とパラッシを支持する

また、トーマス・ベイバーの夫人ヘレン(Helen Baber)は劇中ではなぜか「婚約者」ドーラ(Dora / Linda Arsenio)となっている。実在のヘレンは、パラッシとの戦闘で戦死したキャメロン少佐の妻だったが、後にベイバーと再婚し、インドで没したという。あるいはドーラはヘレンとは別の人物として構想されたのかもしれない。

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【寸評の寄せ集め】

雄渾で、モニュメンタルで、時に野性的で、最後には悲劇的カタルシスを与えてくれる、まさにマスターピース。ハリハラン監督の代表作となるだろう本作の成功は、スケールの大きさと共に、絶妙なまでの現代的バランス感覚があってのことだったのではないだろうか。

まずはヒロイズムの描き方。マンムーティのために誂えられたと言ってもいい役(そうは言ってもこれも、そいからこれも凄く見たい!)だが、過去の南印歴史もの映画とは違い、長々しい演説などはさせない。「スパイスの商いにやって来た者たちがこの国を支配してはならない」とだけ述べて、あとはひたすら行動で示すのだ。ますらおぶりと同時に貴族的な優雅さもたっぷりと描写されていることにも唸る。

それから洗練された殺陣。戦闘シーンの連続といっても過言ではない作品で、無数の人間が死ぬ場面ばかりなのに、目を背けたくなるようなむごたらしさは不思議と感じられない。一定のリアリティを保ちながらもあまり痛そうじゃない流血というのはインド映画としては割とレアなものではないか。啓蒙的作品として学童などに受容されるのも考慮に入れてのことだったのだろうか。

敵である英国人の描き方。初めて印度愛国映画を観る人にとってはかなり退くものがあるかもしれないが、これでも過去の作品と比べると随分中庸なものになってきているのだ。考証は相変わらずかなりいい加減(たとえば18世紀末の辺境の英国人社会でワルツが踊られてるとか)、それからお約束の「印度に理解を寄せる少数派」のキャラクターも図式的で雑な感じではあるのだが。それにしても、本作の主要英国人キャラを演じる Harry KeyLinda ArsenioPeter Handley Evans といった面々、例によってコーヴァラム・ビーチで転がってるところをリクルートされたのかと思いきや、皆さん「ボリウッド俳優」という肩書きをお持ちとのことだった、凄いね。

芸術性とエンターテインメント性とのバランスも見事。以前、タミル映画に親しんできた人がマラヤーラム映画のダンスシーンを観て「なんだかとても余白の多い画面ですね」と感想を述べたのを聞いて、その直感的な表現力に恐れ入ったことがある。本作では(ソングシーンに限らず)その余白の多い画面が芸術的・象徴的なアピールのベースとなっている。冒頭とクライマックスでの彼岸を思わせるチベット風ファンファーレなども印象的。一方でチャンバラのシーンは文句なしに楽しいし、ソングではエキゾチックなマーピラ歌謡まで聞かせてくれて、3時間20分を退屈させない。

バランスある配分といえば2人のヒロインの対比も。カニハーが演じる王妃は、しとやかに薄物をまとって佇むだけの静的なキャラクターだが、パラッシが英軍に捕縛されそうになるシーンなどでは芯の強さを見せて巧みだった。これまでは小柄な人と思い込んでいたが、本作で見ると実際はそうでもないみたいだ。出身地のタミル映画界では売れっ子とは言いがたかったが、本作をきっかけとして一気にマラヤーラム映画のオファーが増え、馴染みの顔となって活躍している。対照的に「動」の役割を担って活き活きしているのがクリッチヤ族の女戦士ニーリを演じるパドマプリヤ。実際のところ、パラッシ・ラージャーの軍にアマゾネス部隊があったという史実はないらしいのだが、敢えて考証の正確さを犠牲にしても、制作者にとってこれはどうしても必要なエレメントだったのだろう。見れば納得できる格好良さだもんね。もしも国家映画賞にアクション部門というのがあるならば、パドマプリヤ嬢こそがトップの候補者になったはずだ。余談ながら、弓が巧みであることで有名なクリッチヤ族は、20世紀後半のナクサライト運動においても、部族民の中では最も積極的に関わった集団なのだという。

最後に、サポーティング・キャストで気になった点。サラト・クマールやマノージKジャヤン、それに2人のヒロインについてはどのレビューでも言及され賞賛されているが、脇役マニア的におおっと思ったのは、王妃の兄弟でパラッシの腹心の一人であるカイテーリ・アンブを演じたスレーシュ・クリシュナ。普段は三番手四番手の悪役で、キャラ的には「単なるイヤな奴」。それが本作では随分と見せ場の多いおいしい役を貰って、なおかつ期待に応える演技をしていた。それから、クライマックスでパラッシとの一騎打ちを買って出るカンパニー兵チェーランを演じたタミル俳優アジャイ・ラトナム。正確に言うとスベダールは下級仕官だが、植民地下の現地人兵のイメージ(筆者が勝手に抱いているものだが)にかなりのリアリティが感じられた。

kaniha.jpgPadmapriya.jpg

【レビュー・インタビューなど】
http://en.wikipedia.org/wiki/Pazhassi_Raja_%28film%29
http://www.indiaglitz.com/channels/malayalam/review/9653.html
http://www.nowrunning.com/movie/4056/malayalam/pazhassi-raja/review.htm
http://www.thehindu.com/arts/cinema/article391756.ece
http://www.outlookindia.com/article.aspx?262540
http://sify.com/movies/malayalam/review.php?id=14915401&ctid=5&cid=2428
http://movies.rediff.com/slide-show/2009/sep/29/slide-show-1-south-interview-with-kaniha.htm#contentTop
http://passionforcinema.com/pazhassi-raja-worthless-lives-priceless-freedom/
http://blog.nikhil.co.in/2009/10/pazhassi-raja-movie-review.html
http://www.sreejith.info/2009/10/movie-review-pazhassi-raja.html
http://prempanicker.wordpress.com/2009/10/29/review-pazhassi-raja/
http://www.kenneyjacob.com/2009/10/18/pazhassi-raja-is-royal/
http://www.bollywood-mania.com/TB/?P=4073
http://varnachitram.com/2007/06/01/who-was-pazhassi-raja/
http://cauvery-south-cine.at.webry.info/200911/article_1.html

recliningRaja.jpg
スチル・カメラマンさんのこういう遊び心にもグッとくる。

投稿者 Periplo : 03:00 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2010年08月21日

ディスク情報1008-4

Thoovanathumbikal (Malayalam - 1987) と Kariyilakkattupole (Malayalam - 1986) に続いて字幕付きで見られるパドマラージャン監督作品が見つかった、これは大事件(情報提供:花隈會舘さん多謝)。他では妥協したとしてもパドマラージャン作品だけはやはり字幕付きで観る方が絶対にいいと思うのだ。

cvNamukkuParkkan.jpgNamukku Parkkan Munthirithoppukal (Malayalam - 1986) Dir. P Padmarajan

Cast:Mohanlal, Shari, Vineeth, Thilakan, Kaviyoor Ponnamma, Omana

タイトルの意味:Wineyards for us to dwell in
タイトルのゆれ:Namukku Parkkan Munthiri Thoppukal, Namukku Parkan Mundiritooppukal

VCDの版元:Harmony
VCDの字幕:英語・アラビア語
VCDの障害:現在のところ特になし
VCD入手先:RealCinemas など

【ネタバレ度20%の粗筋】
マイソールに定住するケララ・シリアン・クリスチャンであるソロモン(Mohanlal)は、トラック運転手としての数年間の風来坊暮しを終えて、母(Kaviyoor Ponnamma)と従弟アントニー(Vineeth)の暮らす家に戻ってくる。これからは亡父が残した山間部の葡萄園の経営に真面目に取り組むつもりだ。帰宅後程なく、彼は自分が不在にしていた間に隣家に住むようになっていた姉妹に目を留める。鉄道職員ポール・パイロッカラン(Thilakan)と看護婦ロージーの夫妻の娘、ソフィア(Shari)とエリザベスの2人の姉妹のうち、甲斐甲斐しく働く姉のソフィアに彼は惹かれるようになる。しかしなぜかソフィアには不幸の影がまとわりついていることに彼は気付く。(粗筋了)

【とりとめのない感想】
久しぶりに贅沢な映画体験だった。これまでに見てきたシリアン・クリスチャン映画というのは、なんでかしらんが家族内のドロドロ&敵対する名家同士の泥仕合を扱ったものが多くて、俳優が無闇に吼えまくってる、という固定観念があった。本作のストーリーも奇麗事では全くないのだが、なんか「ステージが違う」んだよね。煎じ詰めればメロドラマチックなラブストーリー、ただしそこに醸されるリリシズムの質が凡百の恋愛映画とは一線を画している。登場人物はたったの10人、語りの場は家と墓地と農園の3箇所のみ、ミニマリズムの設定の中で、聖書の物語のようなシンプルなナラティヴが詩情豊かに展開する。マジカルとしか言いようがない。

そのマジックの幾ばくかの部分は、マイソール、および高地の農園(どうやらバンガロール近郊のナンディ渓谷あたりをモデルとしているようだ)という、ケララの平地部とは全く異なるロケーションに負っているのかもしれない。葡萄園というのもマラヤーラム映画では見ることの少ないエキゾチックな道具立てだ。しかしこれは飾りではなく、リリシズムの中核をなしていて、劇中では旧約聖書の雅歌の一節の引用が効果的に絡められる。

なにぶん古い作品なので、ヴェーヌというカメラマンについては情報がない。VCDの解像度には限りがあるし、元になったプリントも劣化したものだったろう。それでも想像力によって補えるものはある。たとえば前半の、主要登場人物が庭でバドミントンをするシーンでの纏わりつく光と影の描写には、ビクトル・エリセの映像世界を思い起こさせるせるものがあった。映画館の大画面でとまでは言わないが、せめてリマスターしたMPEG2で見ることができたらと切に思うのだが。

演技陣についてはわざわざ冗言を費やす気にはなれないが、やはりモーハンラールとティラカンが傑出している。クオリティの高いロマンス映画としてもちろん推奨。さらに、単なる目先の変わった設定というのではなく、クリスチャニティが本質に据えられているクリスチャン映画というのを観てみたければ、本作は大変にお勧めなのだった。

NamukkuParkkan1.jpgNamukkuParkkan2.jpg
NamukkuParkkan3.jpgNamukkuParkkan4.jpg

投稿者 Periplo : 23:57 : カテゴリー so many cups of chai Mohanlal Discography
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2010年07月19日

レビュー:Maro Charithra

不滅の愛の名作、とされている。しかし色々な意味で謎も多い。

MaroCharithra1.jpg

本作でデビューしたサリターのなんともいじらしい逸話。

I cannot forget my first shot before the camera. It was in `Maro Charithra' and I was in the company of K. Balachander and Kamal Hassan at Vizag. I was to take Kamal Haasan's hand and kiss it and say `Emi thappa' and he would say `No.' The first shot did not click at all. Even after several `takes' it did not work out and some people wanted the actress changed. But director K. Balachander insisted that I do it. He cancelled the shooting and asked us to come the next day. He sent director Ananthu to my room in the evening and told me the full story. Ananthu said it was a love story and suddenly asked me "Do you like Kamal Haasan?"

"Yes, I like him very much," I said. "Then it should be seen on your face. That is acting," Ananthu told me.

The next day I did an emotive scene, just before the climax. I did it very well and later in the day K. Balachander came to my room and gave me five 5 star chocolates. Only then did I realise that I had passed a crucial test.(サリターによる回顧、2006年の The Hindu 記事 Saritha back with a bang on small screen より)

タミルTVソープの女王、そして巨体を生かした怪演で多くの映画を彩る性格俳優でもあるサリター、おそらくこの時はまだ10代だったのではないか。日本では Thanneer Thanneer 邦題『お水よお水』 (Tamil - 1981) Dir. K Balachander が映画祭公開されている。

Slipping into reminiscent mode, she continues, "I was the 162nd girl he had auditioned for a film. I did not even look nice in the black-and-white pictures that were sent to him. But I was informed that I had done well in the interview."

Remembering the first day of the shoot, Saritha says, "It was a harrowing experience. I kept on giggling. In fact, they even wanted to pack me off. But later, I was briefed about my role, and promised chocolates. Luckily, I performed well and earned my chocolates too." (The Hindu による2005年の別のインタビュー Second time also lucky より)

長らくSEAの字幕なしDVD(下左)しかなかったものが、最近になって Moser Baer から Platinum Series と銘打って再発売(下右)され、字幕が新たに加えられたので紹介しておきたい。

cvMaroCharithra1.jpgcvMaroCharithra2.jpg

Maro Charithra (Telugu - 1979) Dir. K Balachander

Cast:Kamal Haasan, Saritha, Madhavi, Jayavijaya, Shyamala, Saroja, Ramana Murthy, P L Narayana, Adams, Krishna Chaitanya, Bhaskara Raju, Janardhana Rao, Meera Rani

タイトルの意味:another life, another history
タイトルのゆれ:Marocharithra, Maro Charitra

DVDの版元:Moser Baer
DVDの字幕:英語
DVDの障害:現在のところ特になし
DVD入手先:Bhavani など。

【ネタバレ度30%の粗筋】
アーンドラ・プラデーシュ州沿海地方の都市ヴァイザグの郊外、隣り合っていながら仲の悪い二軒の家があった。片方のヴェーンカテーシュワラ・ラオの家には年頃の娘スワプナ(Saritha)がおり、地元のカレッジに通っていた。もう片方には数年前に転居してきたタミル・ブラーミンのカンナッパの一家が住まい、隣家との間で主として習慣の違いから来る揉め事を繰り返していた。ある日カンナッパのもとに長男のバール(Kamal Haasan)がマドラスから戻ってくる。職場での諍いで衝動的に離職してしまった彼は、テルグ語がわからないためヴァイザグでは無為の日々を過ごさざる得ない。バールとスワプナは顔見知りになるが、片言の英語でしか意思疎通できない。しかし付き合いが深まるにつれ、お互いの言葉を学びあうようになり、やがて二人は離れては生きられないことを悟る。それを知った両家の親達はカップルを引き離しにかかる。果てしない言い争いの末に、二人が一年間お互いに会わず音信も絶つことを耐え抜いたなら結婚を認める、という条件が課される。(粗筋了)

色々な意味で謎、と上に書いたけど、やっぱりね、基本的にはタミル映画人であるKバーラチャンダルが、タミル人俳優をヒーロー&ヒロインに据えてテルグ映画を作ったというところに驚くわけよ。このストーリーはタミルを舞台にしては成立し得なかったということなのかな。これは色々調べてみても謎のまま。ちなみに本作は吹き替えなしでそのままマドラスでも封切られ、好評を博したという。さらにキャストを入れ替えて Ek Duje Ke Liye (Hindi - 1981) Dir. K Balachander としてリメイクもされた。

それから1979年封切作品である本作がモノクロであるという点。カラー化という観点からすると、ヒンディー映画(1937年の Kisan Kanya が初、ただし一般化したのは1950年代末から)、タミル映画(1955年の Alibabhavum Narpathu Thirudargalum が初)と比べてテルグ映画は随分遅れていた。初のカラー作品はNTR主演の神話もの Lavakusa (Telugu - 1963) Dir. C Pullaiah & C S Rao、ソーシャル映画での初カラーは Tene Manasulu (Telugu - 1965) Dir. Adurthi Subba Rao だったという。そうは言っても本作は70年代末のもの。モノクロ撮影は意識的な選択だったと思えるのだが、この選択はなぜなのか。

急いで付け加えておくと、今日の目で実際に観てみると、本作がモノクロで撮影されたことには、いかなる意味でもハンディキャップは感じられない。予算が足りず已む無くモノクロ作品になったとは決して思えないのだ。ヴァイザグで初めて本格的なロケが行われた本作、その風景がモノクロ画面の中で非常に表現主義的な力強さを持っている。いくら郊外とはいえ沿海アーンドラ地方第一の都市であるとはとても信じられない、寂しさと荒々しさが同居する景観はその後の映画史の中でのこの街のイメージを決定づけたもののようにも思える。

一般にサウス映画で、カメラを屋外に出してのフル外光撮影のパイオニアはバーラティラージャー監督とされている。16 Vayathinile (Tamil - 1977) Dir. Bharatiraja に始まる一連のヴィレッジ・フィルムの流れだ。しかしそれとほぼ時を同じくして同じタミル映画人がオール屋外ロケで、しかし「田舎映画」とは違うテイストの作品を、ヴァイザグという特徴的なロケールを背景に制作したということの意義は大きいように思う。1950-60年代の作品では、屋外シーンですら書き割りのセットを作成して撮影される事が少なくなかった。理由は幾つか考えられるが、一つには屋外での撮影時に露出を適正にコントロールする技術が未熟だったということにあるのではないかと思っている。しかし本作の屋外景観の描写では、完璧といっていい程に光の配分が計算されている。まあこの屋外撮影に関してはそのうち別にエントリーを立てて書くことにしよう。

MaroCharithra2.jpgMaroCharithra3.jpg

なんのかんのと理屈を捏ねてみたけれど、結局本作の最大のアトラクションは初々しいサリターに尽きる。どこかのインタビューで「美人に生まれつかなかったことが却って幸いしたと思う」などと哲学的なことを口走っていたサリターだが、どうして、この愛らしさを見よ!そして♪Bhale Bhale Mogadi♪Kalisi Unte といったカッ飛んだラテン歌謡とハイパーモダンなファッションの数々も凄いよ。

有名な「バーラチャンダルの入り江」ってのはヴァイザグにあったのかね。
MaroCharithra4.jpg

投稿者 Periplo : 00:29 : カテゴリー バブルねたtelugu so many cups of chai
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2010年06月22日

映画の歓び

もちろんカラー化というのは絶対条件ではなかった。ただ、劣化したモノクロ映像で字幕無しで3時間というのはちょっと辛かったと思う、凡夫には。幸いにしてカラー化は原作の映像美を損なわなかったし、品格を落とすことにもならなかった。

cvSatyaHarishchandra.jpgcvMaayaabazaar.jpg

カンナダ、テルグ映画のモノクロ時代の古典と言われる2作品が2008・2010年にそれぞれリマスター&カラー化&DTSサウンド化されて公開された。そのDVDを立て続けに鑑賞して、山なす凡作にちょっと疲れ気味だった印度映画生活に新たな活が入ったような気分になった。

Satya Harischandra (Kannada - 1965/2008) Dir. Hunsur Krishnamurthy

Cast:Rajkumar, Pandhari Bai, Udaykumar, Narasimharaju, Dwarakish, Ashwat, M P Shankar, Relangi Ratnakar, Dwarakish, Baby Padmini, Vanisri

タイトルの意味:Harischandra, the truthful king
タイトルのゆれ:Sathya Harishchandra

DVDの版元:Sri Ganesh Video
DVDの字幕:英語
DVDの障害:現在のところ特になし
DVD入手先:KannadaStore など、T-Series によるモノクロ・オリジナル版(こちらは字幕無し)の販売もあり

DVDのランタイム:モノクロ版の173分に対してカラー版DVDでは161分(1965年の劇場公開時の長さは221分だったという)
ソング:DVDに収録されたのはカラー・モノクロ共に9曲、The Hindu 記事によれば、オリジナルには12曲あったらしい。

【さっくり粗筋】
アヨーディヤに君臨するハリシュチャンドラ王(Rajkumar)は、君主としての徳目の全てを備えた人物。信仰深い王妃チャンドラマティ(Pandhari Bai)と王子ローヒト(Baby Padmini)からなる円満な家庭を築き、臣民達からも敬愛されて王国は富み栄えていた。ある時、天上のインドラ神の宮廷で、ヴァシシュタ仙とその弟子にあたるヴィシュワーミトラ仙(Udaykumar)とが地上に棲む人間の徳性について議論を戦わせた。ヴァシシュタ仙は、少数の人間に宿る高いモラリティについて、ハリシュチャンドラを例に引いて述べる。対するヴィシュワーミトラ仙は、それは王族という恵まれた生まれによるもので、最低の身分に落とされ辛酸を舐めれば、ハリシュチャンドラとて不誠実な人間になるはずだと言う。ヴィシュワーミトラは自説の正しさを証明するために、お供のナクシャトリカ仙(Narasimharaju)を従え地上に降り立ち、ハリシュチャンドラ王を陥れることを試みる。ヴィシュワーミトラは王に相対して、まずは王国の全ての財を上回るような巨額の布施を、次には王位そのものを要求する。どちらに対しても王は一切の躊躇いなく応じて、妻子と共に襤褸をまとって宮殿を立ち去り、ベナレスへと向かう。約束した布施の支払いを完済するために一家は離散し、奴隷市場で自らを売ることになる。王妃はバラモンの家に奴婢として住み込み、王は死体焼き場の番人となった。かくも悲惨な境遇に陥ってもなお、遵法の精神を失わない王に対して、ヴィシュワーミトラはさらに残酷な試練を課すのだった。(粗筋了)

HarishchandraColor.jpg

Mayabazar (Telugu - 1957/2010) Dir. K V Reddy

Cast:N T Rama Rao, Savitri, Akkineni Nageswara Rao, S V Ranga Rao, Gummadi Venkateswara Rao, Rushyendramani, Chaya Devi, Sandhya, Suryakantham, Ramana Reddy, Relangi Venkata Ramaiah, Allu Ramalingaiah, Vangara Venkata Subbaiah, Mukkamala, Mikkilineni, Chilakalapudi Seetha Rama Anjaneyulu, R Nageswara Rao (Rajanala)

タイトルの意味:Palace of illusion
タイトルのゆれ:Maya Bazar, Maya Bazaar, Mayabazaar

DVDの版元:Universal
DVDの字幕:英語
DVDの障害:現在のところ特になし
DVD入手先:RealCinemas など。Shalimar によるモノクロ・オリジナル版(字幕無し)DVDは、単に読み込めないだけでなく、再生機を制御不能にする(脱出するためには電源コードを引っこ抜くしかなかった)とんでもないキラーコンテンツ(あ、ちょっと違うか)だった。

DVDのランタイム:カラー版DVDでは162分(1957年の劇場公開時の長さは192分だったという)
ソング:DVDに収録されたのは13曲、ただしレチタティーヴォ的なものをカウントするかどうかによって若干数字は変わる。

【さっくり粗筋】
ストーリーは3つの王家の間に展開する。
■ヤーダヴァ族:バララーマ(Gummadi Venkateswara Rao)、クリシュナ(N T Rama Rao)、スバドラー(Rushyendramani)の兄弟・妹、バララーマの妻レーヴァティ(Chaya Devi)、娘のシャシレーカー(Savitri)、クリシュナの妻ルクミニ(Sandhya)が登場する。
■パーンダヴァ族:マハーバーラタの主役である5兄弟であるが、本作に登場するのは5兄弟の三男アルジュナとヤーダヴァ族のスバドラーの間に生まれたアビマンニュ(Akkineni Nageswara Rao)だけである。傍流の成員として、5兄弟の次男ビーマの情けを受けた羅刹女ヒダンビ(Suryakantham)、その息子ガトートカチャ(S V Ranga Rao)が活躍する。
■カウラヴァ族:ドゥルヨーダナ(Mukkamala)、ドゥフシャーサナ(R Nageswara Rao)を中心とした百王子、彼らの伯父に当たるシャクニ(Chilakalapudi Seetha Rama Anjaneyulu)、ドゥルヨーダナの親友カルナ(Mikkilineni)、ドゥルヨーダナの息子ラクシュマナ・クマール(Relangi Venkata Ramaiah)などが登場する。

ヤーダヴァ族のシャシレーカーとパーンダヴァ族のアビマンニュは幼い頃から許婚と定められ、相思相愛の仲だった。ところが、パーンダヴァ5王子がカウラヴァ族の策略に嵌り、サイコロ賭博で全てを失い放浪生活に入ってしまったことにより、シャシレーカーの両親はこの縁組について考え直す。父のバララーマはドゥルヨーダナの甘言にのせられ、ドゥルヨーダナの息子で暗愚なラクシュマナ・クマールのもとに娘を嫁ける約束をしてしまう。屈辱に耐えかねてヤーダヴァの宮殿を去ったアビマンニュは、クリシュナの助言で従兄にあたるガトートカチャの居城に身を寄せ、彼の協力を得て恋人を取り戻そうとする。(粗筋了)

MayaBazarColor.jpg

「映画の歓び」などと大げさなタイトルをつけたものだが、確かにこの両作品には、すれっからしをも打ちのめすような原初の感動が満ちている。その源はなんなのだろうと考えるのだが、一番大きなものは「役者の器の大きさ」ではないかと思う。どちらも数十年も昔の作品、加えて神話映画でもあり、今日のリアリズム的演出とは全く異なるものなのに、役者が体現するキャラクターの迫真性が桁違いなのだ。

ラージクマールが演じるハリシュチャンドラ王が、法(ダルマ)に従うという原則を曲げずに自ら妻を処刑しようとするシーン、芝居臭い書割であるにも拘らず、そこで観客の目に映るのは本物のハリシュチャンドラ王でしかない。実在の人間としてはありえない戯画的なまでに無私のキャラクターが、しかしここで血肉を伴って現前するのだ。ヤーダヴァ一族のどたばたソープオペラ中で、微笑み黒魔術(©古舘伊知郎)を使う親戚の叔父さんでありながら同時に半神として崇拝もされるクリシュナの無茶な両義性も、NTRが例のメイクでそこに立ってるだけで100パーセント説得力を持つものになるのだ。

ヴィシュワーミトラ仙の従者でありながら時に師に対して突っ込みを入れるナクシャトリカ役のナラシンハ・ラージューのフリークス性の高いおどけ顔、半羅刹のガトートカチャ役のSVランガ・ラオの無邪気な哄笑、ガトーカチャが化身して生じた可憐なシャシレーカーの幻影を演るサーヴィトリが変奏するその高笑い、全てがカラフルでなおかつ迫真的。

神話物語のソース、卓越したスタッフ陣、リメイクの輪廻etc.この2作品の面白いトリヴィアを語りだしたらキリがないと思えるので、ひとまずここでは資料集を添えてお終いにしておく。

【Satya Harischandra】資料集
ChitraLoka.com によるカラー化にあたっての回顧記事
個人ブログamidreaming上のレビュー
川縁先生の日本語によるレビュー
IndiaVilas.com による各種神話文献中のハリシュチャンドラ王についての詳説
Bharathadesam によるマルカンデーヤ・プラーナに現れるハリシュチャンドラ王についての詳説
Cinegoer.com によるテルグ版リメイクのレビュー

【Mayabazar】資料集
TeluguCinema.com による Movie Retrospect
EarlyTollywood によるレビュー
Post-Punk Cinema Club によるレビュー
Cinegoer.com によるレビュー
川縁先生の日本語によるレビュー
撮影監督マーカス・バートリーのファンサイト
公開50周年を記念するThe Hindu 記事
ストーリーの元となった民間伝承の詳説:A Study In Folk "Mahabharata": How Balarama Became Abhimanyu's Father-in-law

投稿者 Periplo : 02:13 : カテゴリー バブルねたtelugu so many cups of chai
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2010年06月17日

春雷隆隆 -a peal of spring thunder-

または、たまには本も読もう8。

内務省では、インド毛派は地方の不満から生まれた大衆運動とは考えられていない。同省の用語では、毛派は「犯罪者」や「テロリスト」と同義語であり、こうした姿勢が同派との対話の余地を狭めている。チダムバラム内相は、毛派が暴力放棄を宣言して初めて、交渉が行われるとの立場を繰り返し言明しているが、非現実的な条件だと批判する政治家は多い。(SankeiBiz 2010年5月21日記事 『インド 毛派テロ対策 武力行使に限界 経済へ暗雲も』より)

チャッティースガル、ジャールカンド、ビハールなど印度中東部で今年に入ってから特に活発さを増している武力闘争を耳にしていれば、上に述べられている「テロリスト」との定義も、戦略的に問題があったとしても、極東の一小市民の実感としては無理もないものと思えてしまう。ところが、これがウエストコースト最南端の椰子國に行くとちょっと違うみたいなのだ。

In popular perception, there were only a few categories of naxalites in Kerala: in the early years, they were seen mainly as either groups that attacked police stations or those that murdered landlords and looted their wealth; in recent years, they have come to be seen as either those who continued to believe in the annihilation of class enemies or those who took a moderate line and wanted to participate in elections. (Frontline 2005年10月8-21日号 Embers of a revolution より)

cvKeralasNaxalbari.jpgKerala's Naxalbari
Ajitha : Memoirs of young revolutionary
Translator : Sanju Ramachandran
Publisher : Srishti Publishers & Distributors, New Delhi
First published in 2008
主な販売サイト : IndiaClub ほか

原典は1979年に雑誌上で連載が開始され、1982年にになって単行本として上梓されたマラヤーラム語の回想録。その英語訳が2008年になって出版されたもの。つまりコンテンツとしては30年前のものであることを念頭において読まなければならない。

著者のアジタは、1950年にケララ人の父とグジャラート人の母との間に生まれ、コーリコードでプチブルの子女としての幼年時代を送った。両親はどちらも先鋭的な共産主義者で、それゆえに1960年代中盤の思想的な混乱期に既存の共産党(CPI)から追放されていた。アジタはハイスクール在学中から既に各種の左翼的文献に親しみ、特に中国の人民革命にひとかたならぬ興味を寄せていた。1967年にカトリック系カレッジを中退して在地の出版社マルキシスト・パブリケーションズに加わり、以降旺盛な活動を展開した。この出版社(兼政治結社)は毛沢東の著作の翻訳出版に特化していたようで、メンバーは北京放送を聴いてディスカッションを行うのが常だった。在デリーの中国大使館からは毛の著作の英語版の他にも、各種報道写真や毛バッジまでもを支給されていた。

アジタが18歳で武器をとるまでの世界にはこんな出来事があった。

ソ連・フルシチョフによるスターリン批判 1956
EMSを首班とするケララ州初代内閣(CPI)の成立 1957
中ソ・イデオロギー論争の表面化 1960
中印国境紛争 1962
中印国境紛争を受けたインドでの第一次非常事態宣言 1962-68
インド・CPIの分裂、CPI-M(CPMとも)の結党 1964
中国・文化大革命 1966-76
ケララでの第二次EMS内閣(LDF)成立 1967-69
西ベンガル州でナクサルバーリーの蜂起 1967(3月)
中国・人民日報は社説でナクサルバーリーの蜂起を「インドの春雷」と評価 1967(6月)
アーンドラ・プラデーシュ州でシュリーカクラムの蜂起 1967(11月)-1969
全インド革命闘士連絡委員会(AICCCR)がCPI-M内部に成立(CPI-MLの前身) 1967

パンフレット出版を通した宣伝啓蒙活動に飽き足らなくなったアジタは、ケララ・ナクサライトの最初の武装闘争である1968年のタラッセーリ=プルパッリ蜂起の後半部分・プルパッリ作戦に中核的メンバーとして、そして唯一の女性戦闘員として、志願して参加することになる。

ワヤナードの最奥地プルパッリはその大部分が寺院領となっている高地の森林地帯である。1950年代以降、「ケララのライス・ボウル」として知られる南部コーッタヤム地方から零細農民の数千世帯が入植していた。彼らはコーッタヤムでの灌漑事業やゴム農園開発などの影響で土地を失い、ブローカーの甘言にのせられて移住して来たのだった。しかしそこで彼らを待っていたのは、未開拓の原生林と、不法入植者としての告発だった。政府への直訴も空しく、プルパッリにはMSP(マラバール特別警察)が置かれる。これは実質的には農民達に各種のハラスメントを行い、立ち退きを促すための機関だった。同時に、南部からの農民の流入で、元来の住人である部族民たちがさらなる奥地にと追いやられていく状況も併存していた。これら農民、部族民を結集させて叛乱を起し、MSP、それに専制君主として君臨する少数の大地主を打倒する、これがアジタたちが思い描いた蜂起の図だった。

プルパッリ作戦に先行した11月20日のタラッセーリ警察署襲撃は惨めな失敗に終わり、メンバーの1人だったアジタの父クンニカル・ナーラーヤナンは地下に潜る(後に投降)。タラッセーリで強奪した武器を携えたメンバーとの合流後に進められるはずだったプルパッリ作戦だったが、ヴァルギース、シャンカラン、アジタらの先発隊は外部の情報を全く得られないままワヤナードの山中で孤立してしまう。

タラッセーリ組との合同作戦を断念した約60名は、11月24日、僅かな武器でプルパッリのMSP駐在署を襲撃し、無線技師を殺害し警官の1人に重傷を負わせる。署内にあった土地権利関係の書類を焼き払った後にチェカディに行軍した彼らは、有力地主の邸宅を襲撃して金品を奪い、ティルネッリに到った。この時点で当初計画されていた作戦行動の第1段階は終了したが、爆弾の暴発によって同志1人を失い、脱落者も多出し、またタラッセーリ組との連絡も相変わらずとれず、士気は最低レベルまで堕ちていた。最終的にアジタを含む15名が山中でゲリラ戦を続ける決意を表明し、その他のメンバーは解散した。しかし数日後にアジタと数名の同志はアダッカトードという僻村で捕縛される。

1968年12月初旬に収監されてから、長い裁判期間、僅かな仮釈放期間、刑が確定した後の服役期間とで、8年間をアジタは獄中で過ごす。コーリコード、カンヌール、トリヴァンドラムの監獄での生活を経験した彼女は終始政治犯としての扱いだったが、獄内で巡り会った他の女囚たち(多くが娼婦、あるいは密造酒販売者、時に親族殺人犯)の救いのない姿にショックを受ける。

1977年6月、恩赦によりアジタは出獄する。「階級の敵殲滅」(annihilation theory) に傾いた残存同志によるその後の幾つかの襲撃事件、プルパッリのリーダーだったヴァルギースの「エンカウンター」による死(1970)、インディラ・ガンディーによる非常事態宣言(1975-1977)、そして毛沢東の死去(1976)、これら全てを彼女は獄中で知ったのだった。

出獄後の脱力、そして2年後の父の死のショックで、かつての闘争心を失っていたアジタだったが、同志の勧めにより1981年に結婚する。相手は7歳年下のムスリムで、「党内アレンジド・マリッジ」による結びつきだった。その後夫妻は2人の子供に恵まれる。子育てのさなか1985年にムンバイで開催された全インド・フェミニスト会議に出席したことから彼女の新たな進路が定まる。以降はケララの(主として貧困層の)女性の権利保護のための活動を行うアンウェーシを主宰し、フェミニズムの代表的人物となって今日に至っている。

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まず自分の感想を書く前に、プロによるちゃんとした書評を載せておこう。
The Hindu :Poster girl of kerala's Naxalism (Anitha Joshua)
DNA India :A Naxal remembers (Pramod K Nayar)

で、幼稚な個人的感想はというと、おそろしく貴重な証言ではあるが、大きな欺瞞が見え隠れして、読後に清涼感がない、なんていうとこだ。印度で社会の底辺にいる女性の権利を保護するというのは、それ自体尊敬されるべき社会活動ではある。とはいえ、これはどう考えてもユートピア平等社会の創設を目指した武装蜂起とは不連続で次元の異なるものだ。著者のアジタはかつての自分の武装闘争を全面的に肯定した上で、(英語版の)エピローグとして現在の社会活動を当たり前ように付け加えているのだが、筋金入りの日和見主義者であるオイラから見ても、これは能天気としか言いようがない。

アジタが武器を取ったのは、自らの身に直接降りかかった貧困や抑圧に耐えかねて止むを得ず、というのでは全くなかった。どこまでも思想的な理由からなのである。それであれば、武力を放棄するにあたっても、なんらかの総括・自己批判が欲しかったところだ。意地悪い見方をすれば、この人は丁度良いタイミングで逮捕され、世界からも運動からも切り離されて浦島太郎になってしまったことにより、深刻な自己否定・懐疑から自由でいられたのだろうな。

などとクサしながら、なぜに紹介したのかと言えば、大きな欺瞞を宿したこの本の中で、ワヤナード山中の行軍(むしろ彷徨と言ったほうが適切か)の描写だけは率直で胸に迫るものがあるからだ。タラッセーリとプルパッリ、ほぼ東西に並ぶ二点間の直線距離は僅か60km弱、しかしこの間で連絡を取り合う術を欠いた彼らは疑心暗鬼の泥沼に陥る。さらに、衣食においても万全な準備を欠いていたため、ワヤナードの寒さに震え、時に一日一食の薄い粥で飢えをしのぐという窮状に見舞われる。兵用地誌の類も携行していなかったようで、山地の地理に明るい部族出身の同志が去った後は文字通り手探りの進軍となった。アジタらが捕縛されたのも、先発隊の1人が、バスの便もない山間の小集落の茶店で「次のバスはいつ来るのか」などと尋ねて村人の不審を招いたことによるというのだから。これほどにナイーフな兵士達が、理想社会実現への第一歩と信じて地獄を彷徨ったのだ、頁をめくる手が震えたよ、本当に。印度の左翼ゲリラ戦闘員のここまで詳細な回想録というのはかなり珍しいのではないだろうか、是非にもお勧めしたい一冊。

サプリメントとしては、ケララのナクサリスムを「根付く事ができず失敗した運動」ととらえて、距離を置いたところから俯瞰しているラール・ジョンさんによる Naxalism in Kerala、簡潔で大変タメになる。印度全体(というか本場である中東部)の運動に関しては多くの文献があり、また現在進行形でもあるので、ケララ出身のアルンダティ・ロイによる今年3月のレポート Walking With The Comrades をリンクするだけにとどめよう。

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そもそもなんでこの本を読む気になったかというと、2008年に公開されたマラヤーラム映画の中に「ナクサルもの」としか言いようのない作品が3本もあって魂消たからなのだった。そのいずれもが、ソングシーンを含むいわゆる「娯楽映画フォーマット」によって作られていて、しかもそのコンセプトが、完全に「造反有理」というところにあって、引っくり返っちゃったのよ。

cvOfhepeople.jpgOf The People (Malayalam - 2008) Dir. Jayaraj

Cast:Arun, Arjun Bose, Padmakumar, Harshan, Devipriya, Govind, Anoop, Sunil John, Alleppey Sudheer, Nedumpuram Gopi, Sabitha Jayaraj

VCDの版元:Highness
VCDの字幕:なし
VCDの障害:現在のところ特になし
VCD入手先:MaEbag など

2008年1月公開、ランタイムは2時間超(正確な数字は不明)、ソングは5曲。同じ監督による 4 The People (Malayalam - 2004)、By The People (Malayalam - 2005) に続くシリーズ第3作。以前書いたが、このジャヤラージという監督は高尚な芸術映画と「コマーシャルなジャンク」とを交互に発表し続けているマ映画界のジキル&ハイド。

シリーズの端緒となった 4 The People は若手俳優がメインの低予算作品ながら大ヒットとなった。政治家や官僚などエリートの世界にはびこる腐敗を一掃するために、大学生4人が 4 The People という名のウェブサイトを立ち上げて市民からの告発を募り、非があると判断した相手を処刑していくというストーリー。骨格は Ramana (Tamil - 2002) Dir. A R Murugadoss から着想を得たようである。そして Anniyan (Tamil - 2005) Dir. Shankar に影響を与えたようにも思われる。もしかしたら Rang De Basanti (Hindi - 2006) Dir. Rakesh Omprakash Mehra も幾ばくかのインスピレーションをここから得ているかも(こじつけ)。ただ、世直しとウェブサイト、学生の義賊、などという斬新さで喝采を博した 4 The People にも幾つか欠点があった。束になって出てくる4人のヒーローのインパクトが弱すぎて顔が覚えきらんのだ。彼らを追うお回り役のナレンの方が不必要に目立ってしまっていた。そしてストーリー進行の合間に謎のクラブキッズが出てきてラップしたりブレイクダンスしたりするのだが、これが全く浮いてて空回り。都会的スタイリッシュネスを志向しているらしいのだがハッキリ言ってだっさい。そして第2作目の By The People になって雲行きが怪しくなってくる。主演の4学生はますます影が薄く、ダンスシーンはよりチープになり、悪玉処刑のための襲撃手法が完全にゲリラ戦のものになる。
 
で、やーっと Of The People なのだが、やってる事は前2作と同じ。通報を受けては悪徳政治家、悪徳資本家、悪徳警官ect.人民の敵をやっつけに行くというだけ。3人に減った若者(第1作に出てたバラトはスターになっちゃったから引っ張って来れなかったようだ)は全員都市住人だけど、ムンナールの山奥でキャンプ&軍事訓練してて、一般人からの通報も無線LANでネット接続して受信するの(大笑)。チェ・ゲバラのコスプレで(泣/笑)。スリラーとしての展開はそれなりに飽きさせない作りになってはいるのだが、いかんせん全編を通じてあまりに安臭すぎてヘナヘナ。

ラストシーン。外国資本とツルンで甘い汁を吸おうとした悪い奴らを、3人組と有志の若者たち(どこからどう眺めてもドラッグの売人にしか見えないのだが)とが共同で殲滅した後に、荘重な音楽をバックにケララの津々浦々の風景の中でローマ式敬礼をする(何に対して?)不動の人民たちの姿が映し出されるのだ。何なんだこれ~。ジャヤラージが何を意図してたのかは正直なところ分らん、が、『お笑い!椰子國ナクサライト』として記録されるべき稀有な作品であることは間違いない。

OfThePeople.jpg

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cvThalappavu.jpgThalappavu (Malayalam - 2008) Dir. Madhupal

Cast:Lal, Prithviraj, Dhanya Mary Varghese, Rohini, Atul Kulkarni, Jagathy Sreekumar, Maniyan Pillai Raju, Sreejith Ravi, Saranya, Parvathi, Gayathri, Geetha Vijayan

タイトルの意味:Head dress (of police)
タイトルのゆれ:Talappavu

DVDの版元:MoserBaer
DVDの字幕:英語
DVDの障害:現在のところ特になし
DVD入手先:MaEbag など

2008年9月公開、ランタイムは1時間45分、ソングは1曲。上のアジタの自伝にも登場していた、ケララ・ナクサライト運動の中心人物のひとりであるAヴァルギースの1970年の作戦行動(ティルネッリの地主襲撃)とその「エンカウンター」による最期、そして上司の命令で捕縛された彼を至近距離から撃った警察官の以後30年近くにわたっての悔恨と煩悶がテーマ。改めて調べてみたのだが、encounter という語を、「ギャングやテロリストに対して行われる警官による超法規的な処刑」の意味で使用するのは南アジアだけのようだ。インド娯楽映画の中では「エンカウンター・スペシャリスト」が英雄的に描かれる事は少なくない。Kaakha Kaakha (Tamil - 2003) Dir. Gautam Menon なんかが典型だった。さらに、捕縛されて無抵抗の容疑者を銃撃戦に見せかけてその場で射殺する「フェイク・エンカウンター」ってのも結構よく目にする。 A Wednesday ! (Hindi - 2008) Dir. Neeraj Pandey や Anjathey (Tamil - 2008) Dir. Mysskin にも出てきていた。この場合、警官の側も軽傷を負ったのを世間に示すのがお約束のようだ。そしてこのフェイク・エンカウンターも少なくとも映画の文脈の中では100パーセント肯定すべきものとして描かれている。インド映画に馴染みのない人がいきなりこういうシーンを見ちゃったら、やっぱかなり退くだろうなあ。しかし本作はそのインド的通念に真っ向から対決し、1人の武装反政府活動家が裁判を経ずして処刑されたことへの異議申し立てを徹底的に行うのだ。敵も味方も死者累々で最後はあっけらかんとハッピーエンドの娯楽映画一般との何という違いか。

本作の主役である警察官にもまた実在のモデルがいる。Pラーマチャンドラン・ナーイルというのが実名で、28年前のエンカウンターの真相を告白した手紙が 1998年になって公開されて、政界・マスコミに相当な波紋をもたらしたらしい(そのへんの顛末はOutlook誌の Confessions Of A Cop に、また手紙の内容は rediff の'Before I am killed, give me a signal so I can shout a slogan' に詳しい)。本作はさらにその10年後の映画化ということになる。

徹底的な「造反有理」のコンセプト、そこにマ映画伝統のお化け話のギミックを加えるという斬新な手法。これまで性犯罪系のセコい悪役が定位置だと思ってた冴えない奴、マドゥパールがこんなこと考えてたのか! 見てるあいだ中、うぞっ、マジっ?って叫びっぱなし(心の中で)だったよ。

Thalappavu.jpg

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cvGulmohar.jpgGulmohar (Malayalam - 2008) Dir. Jayaraj

Cast:Ranjith, Meenu Mathew, Kollam Thulasi, Rajamani, Siddique, Nishant Sagar, Surabhi, Jagadeesh, Meera Vasudev, Kaviyoor Ponnamma, Augustine, Ambika Mohan, Subair, Zeenath, Jayakrishnan, Sudheesh, I M Vijayan

タイトルの意味:Flamboyant Tree

DVDの版元:MoserBaer
DVDの字幕:英語
DVDの障害:一部の機器で読み取れず
DVD入手先:MaEbag など

2008年10月公開、ランタイムは1時間40分、ソングシーンは2つ。Of The People と同じジャヤラージの監督作品ながら全く作風が異なってアート映画風リアリズムが基調になっており、それだけでも度肝を抜かれる。上に紹介した2作品にあったようなクラブキッズとかお化けだとかの映画的ギミックは全くない。ど真ん中の直球・剛速球、カメラのフレーム内の造反有理度200パーセント。でありながら3本の中で見ていて一番揺さぶられた、体は硬直したが。上述のヴァルギースの処刑と、その他のメンバーの拘束によって、ケララでのナクサライトによる組織的な闘争はほぼ終わったのだが、70年代後半まで孤立した小集団による散発的な騒乱は起こっていたようだ。しかしネット上の情報はごく僅かで、 1976年のカヤンナ警察署襲撃事件(容疑者として拘束された学生が留置場で死亡したラージャン事件映画にもなったーのほうがむしろ有名)、それから1975年のワヤナードの地主襲撃事件ぐらいしか見つからない。本作はどうやら後者に想を得たもののようなのだが、この75年の事件については関与した人物の名前や襲撃の経緯などの詳細がどうしても分らなかった。ヒンディー語地域で Jana Adalat (people's court) と呼ばれている運動がどうもケララにも存在していたようなのだが。

ストーリーは単純。2008年の現在、マラバール地方の田舎の中学校(奇しくもロケ地は先日紹介のこの映画にでてくるものと同じ)の教師をしている、温厚で同僚や生徒からの人望も厚い主人公のもとに旧友が訪れ、それによって彼が1970年代後半に関わっていた過激な武装闘争の思い出が甦る、というもの。そして、その闘争の一部始終が観客の前に提示されるのと同時に、主人公の心の中に埋火として眠っていたかつての社会的不正義への怒りが再び燃えさかり、30年前に未完に終わった作戦の遂行のために初老の男が立ち上がるのだ。粗筋として書いてしまうと、平板で抑揚のない映画との印象を与えかねないが、1シーン1シーンの金縛り感が並ではなかった。

幾つかのレビューでは「やや古臭い」と評された非常に抑えた演出の中でこのテンションが生み出されたのは、ひとえに主演のランジットの芝居力によるところが大きいと思う。当網頁でも何度か監督作を紹介してきた脚本家・監督のランジットが主役を張ってるのだ。ジャヤラージ監督によれば、撮影開始の前日になって、主演することになっていたスレーシュ・ゴーピが突然降りてしまい、急遽代役として立ったのだという(The Hindu 記事 Ode to friendship)。スレーシュ・ゴーピ降板の理由は明らかになっていない。さすがのスーパーコップも本作のテーマにビビっちゃったのかね。しかしいったん出来上がった映画を見てしまえば、もうランジットの演じたもの以外は考えられないというくらいの嵌り方。椰子國映画人のこのジャンルを超えた器用さって何なのだろう。ともかく、将来ランジットが北印度からやって来た娘さんかなんかとイチャイチャするよな役を演ることはないだろうが(でも絶対ないとは言えなかったりして)、非常にハイレベルな性格俳優として仕事をすることは充分にありそうだし、あって欲しいとも思う。本作には畑違いのところから引っ張ってこられたキャストがもう1人いる。マラヤーラムのみならずサウス全域で仕事をしている作曲家(BGMを担当することが多いという)ラージャーマニだ。このオッちゃんが、メインの悪役、ワヤナードの山中で奴隷状態の部族民の上に君臨し、10代の娘たちを手当たり次第に犯しまくる因業大地主をやる。この人の場合は演技力というよりは「顔力」だと思うが、驚くべき、そして成功した抜擢だったと思う。

なお、本作には、ナクサライトという中心テーマのほかに、インディラ・ガンディーによる非常事態宣言のもとでの警察権力の暴走というモチーフも前面に出されている。非常事態期間以外でならフレンドリーな「皆様のポリス」なのか、というのは当然の突っ込みだが、ともかく1975-77の状況は本当に酷いものだったらしい。割と良くできた娯楽作品 Sound of Boot (Malayalam - 2008) Dir. Shaji Kailas に出てくる描写などを見ると、これもまた現代史の中のトラウマ、現在でもあっけらかんと語ることがしにくいものであるように感じられる。

gulmohar.jpg


このテーマについては、これだけ色々書いてみてもやはりスッキリしない。上に挙げた3本のうち、Of The People だけは酷評されて屑箱行きだったらしいが、残りの2本は、興行成績はそこそこでしかなかったものの、インテリ連中から相当に高く評価されたようだ。アジタの自伝の英訳出版、3本のナクサル映画、2008年のケララには何かが起こっていたのか、単なる偶然なのか。遥か遠いネパールでの毛派の躍進と何らかの係わりがあったのか、隣接する3州の映画界には同様な動きがあったのか。それともケララでナクサルが事実上終息してしまったからこそ、この手の作品が出てきたというだけの話なのか。ともかく、こんな画像でいちいち騒いでた頃が懐かしいよ。

投稿者 Periplo : 01:52 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2010年06月06日

レビュー:Paleri Manikyam

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以前のエントリーでは、勝手な予断で「グラマーを卒業」なんて書いたが、実際に見てみると、いやどうして。あいかわらずエッチなシュウェちゃんに劣情、じゃなかった恋情もあらたになったよ。愛してる、シュウェちゃん。

2009年度公開のマラヤーラム映画のトップ作品との呼び声も高い Paleri Manikyam がDVDとして発売になったので検品。

cvPaleriManikyam.jpgPaleri Manikyam : Oru Pathira Kolapathakathinte Katha (Malayalam - 2009) Dir. Ranjith

Cast:Mammootty, Swetha Menon, Mythili, Gouri Munjal, Sreenivasan, Siddique, Sreejith Kaiveli, Vijayan V Nair, Musthafa, Suresh Krishna, Pradeep Mudra, T Damodaran, K P Alikkoya, P Chithrabhanu, Damodaran Vadakara, Giri, Benpal, K Udaya Kumar, P Pradeep, Pankan Thamarassery, P S Vipin, Yatheendran Kavil, Shamsu Mysoor, Sudhi, Sasikumar Eranjikkal, Vijayan Karanthur, C K Gireesh Kumar, Haridasan Master, C Hariharan, Hareendranath Iyyadu, T Narendran, Gopinath, Gireesh Perinchery, Jayaprakash Kuloor, Vikraman Nair, Manchery Sundar Raj, Sasi Kalinga, Vijishambika Antharjanam, Thiruthiyadu Vilasini

タイトルの意味:パーレーリ村のマニキャン、ある真夜中の殺人の物語
タイトルのゆれ:Paleri Manikyam, Palery Manikyam:Oru Pathirakolapathakathinte Katha, PMOPKK, Palerimanikyam

DVDの版元:AP International
DVDの字幕:英語
DVDの障害:現在のところ特になし
DVD入手先:MaEbag など

【インターミッション前までの粗筋】
2009年のマラバール地方パーレーリ村。デリーで探偵業を営むハリダース(Mammootty)は不倫相手のサラユ(Gowri Munjal)を伴い、身分を小説家と偽ってやって来る。彼が52年前にこの村で生を享けたのと同じ日に起きた、迷宮入り殺人事件の謎を解くのが目的である。半世紀前のこの事件については、公式な記録は少ないものの、村人の間で語り継がれ、民謡にまでなっている。

1957年3月30日のパーレーリ村は、夕方から市場で行われる芝居に沸き立っていた。しかし中年の寡婦のチール(Swetha Menon)だけは興味を示さない。その息子で軽度の精神遅滞者であるポッカン(Sreejith)と嫁に来たばかりのマニキャン(Mythili)は芝居に出かけるところだったが、そこに祈祷師がやって来て、隣村での仕事の助手としてポッカンを連れ去る。芝居見物がふいになったマニキャンは落胆を隠せず、うなだれて家に戻る。

その夜、サドゥーのチャンダマンは何かにせきたてられるようにして村外れの庵を後にする。彼はタミル・ナードゥ州のパラニ寺院に向かい、二度と村に戻ることはなかった。

翌朝、村の沐浴場である川辺で寺僧のダルマダータン・ナンブーディリの死体が見つかる。周囲に集まった人々は、僧侶の遺骸を前にして、直前に出回ったマニキャンの縊死の噂を囁く。

同じ頃、チールの家にも人が集まり始めていた。若い共産党員のケーシャヴァン(Musthafa)が登場し、警察への報告の必要性を声高に説く。やがてやってきた警官に、チールは嫁が野良で倒れて死んでいたことを告げ、癲癇の発作が原因に違いないと主張する。しかしマニキャンの体には明らかに暴行を加えられた痕跡が認められた。駆けつけたマニキャンの兄は悲嘆の中で警察に殺人事件としての捜査を請う。検死のために遺体は街に送られ、同時に警察犬を使った捜査が始まる。ダルマダータン・ナンブーディリの死体が見つかった場所の近くで警官が不審なトーチライトを発見する。

急進的な共産党員である床屋のケーシャヴァンは、この事件の影に村一番の有力者であるムスリムの大地主がいるはずだと公言するが、党上層部のKPメーノーンによって諌められる。

警察は川辺で見つかったトーチの持ち主であるクンニカンナン、彼と行動を共にしていた椰子酒造りのヴェラユダン(Vijayan V Nair)を捕縛する。尋問に対して2人が語った物語は以下のようなものだった。ポッカンとマニキャンの結婚の仲立ちをしたヴェラユダンは、マニキャンにかつて恋人がいたことを知っていた。問題の夜、彼女はその男を自宅に引き込んでいるところを祈祷から帰ってきたポッカンに見つかり、激高した夫に絞め殺されたのだ。我に返ったポッカンに呼び出されたヴェラユダンは、首つり自殺に見せかけるよう教唆し、クンニカンナンと共に細工を行う。実はマニキャンはその間しばらくは息があったのだが、やがて絶命する。2人は当初の偽装をとりやめて、癲癇の発作で死んだことにするようチールに言い含めた。

これを受けて警察はポッカンを逮捕する。尋問に対してポッカンが語った物語はまた別のものだった。夜更けに祈祷から帰ってきた彼は、自宅のそばでクンニカンナンとヴェラユダンに出会った。何をしているのかという彼の問いに、芝居帰りにそぞろ歩いているだけだとヴェラユダンは答え、ここで会ったことを誰にも口外するなと付け加えた。2人と別れてすぐに、彼は夜道の木立の中に妻の首つり死体を見つけたのだ。

次いでチールが召喚される。母子揃っての尋問の場でチールが語ったのは以下のような出来事だった。息子が出かけてしまった後、芝居に行けず鬱ぎ込むマニキャンにチールは早く眠るように促した。ところが程なくしてヴェラユダンとクンニカンナンがやって来て扉を開けるように求めた。女だけの家に入れることは出来ないと拒む彼女を無視して、彼らは家に押し入り、マニキャンを攫って行ってしまった。チールは恐怖で後を追うことも出来ず、翌朝まで家の中にとどまり続けた。彼女はヴェラユダンとクンニカンナンの他にもう1人、顔の見えない第三の人物がいたことを証言した。

これを受けて警察は第三の人物としてムトゥヴァン・アフマドという男を逮捕するが、彼を知る村人は1人もおらず、主犯格のヴェラユダンですらが名前を聞いたことのない人物だった。

一方、ダルマダータン・ナンブーティリが誤って川に転落して溺死したという説明に納得できない遺族は、発足したばかりの共産党州政府に請願する。それを受け、彼の死をマニキャンの事件と関連づけて捜査すべく、特別捜査官ラクシュマン・カールティケヤンが州都トリヴァンドラムからやって来る。彼が行った独自の調査の報告書は、しかしなぜかその後法廷に提出されることはなかった。マニキャンに対して行われた司法解剖の報告書もまた同じ運命を辿った。

ヴェラユダンら3人の逮捕によってポッカンは釈放される。野党であるケララ会議派は、彼の帰還をショーアップして、反共産党キャンペーンを繰り広げる。一方ヴェラユダンらは起訴されて法廷に立つが、結局証拠不十分で無罪との判決が下される。

村人の心の中に疑念を残しながらも、哀れなマニキャンの事件は終幕を迎える。そこで、誰もが疑いを持ちながらも口に出そうとはしない大地主のムリッキン・クンナド・アフマド・ハジ(Mammootty)が絵の中に現れる。(粗筋了)

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【長めの寸評】
いや、不思議なセピア色の緑の風景(マノージ・ピッライのカメラが素晴らしい)の中で繰り広げられるストーリーに最後まで釘付けだった、こういうのも珍しい。ただ、この緊張感は通常のサスペンスもののそれとはちょっと異質なものであるとも感じた。全編を支配しているのは謎解きの快感ではなくどこまでも沈痛な空気。

50年前に起きた殺人事件を題材に小説は書けるかもしれんが、それが現在と何の関わりがあるのかね?それを通して社会に訴えるべきこととは?

思い出す、ということが必要なのです。時代が変わっても、人が人に対して残酷であるということに変わりはない。良心の問いかけと言っていいかもしれない、かつてのマラバール地方の社会のあり方に対しての。それを現代の読者に提示するのです、思い出させることが必要なんです。

(後半に登場する50年前の生き証人である老共産党員と作家を装った探偵との会話から)

題名が示すように、本作は一貫して推理ドラマとしての体裁を持ち続けはする。しかしこちらでアビラーシュさんが丹念に追求しているように、ループホールやご都合主義は結構多い。50年前に迷宮入りになった事件なのに、闇に葬られたはずの報告書がいとも簡単に出てきたり、どんな文書によっても記録され得ないはずの細部が完璧に再現されちゃったり。それにラストシーンで真犯人に下される罰もかなり不自然だ。しかしこれは本作に限ったものではなく、マラヤーラム映画でスリラーと分類されているもののほとんどがそうなのだ。どうやらマ映画スリラー部門では、謎を解明する探偵の推理の冴え、犯人との駆け引き、ロジックの綱渡り、証拠をたぐり出す手練手管etc.という、普通は推理ドラマの醍醐味とされる諸要素はあまり重要ではないみたいなのだ。幾重にも張られた舞台上の幕が次々と開いていくように明らかになる、隠されていた驚くべき真相だけが問題なのだ。

さらに言うならば、本作は本質においては推理ドラマではなく、一種のエレジーなのだと思う。オープニングロールに被さるタイトルソングは、封建権力を楯にした有力者によって無体に殺された力ない人びとに対する哀歌として聴くことができるだろう。実際にあった出来事を可能な限り正確に「思い出すこと」、あるいは「忘れずにいること」だけが、既に下手人もこの世にはいないかもしれない歴史上の事件の犠牲者への鎮魂となりうるのではないか。

作中の、特に前半で何度か用いられる、50年前の出来事を叙述する映像の中に2009年のハリダースが佇んで観客に向かって解説を加えるという手法は、欧米の歴史ものドキュメンタリー番組を思わせる。調査の端緒にあって探偵は実は既に事件の隠された全貌を知っているのだとも解釈できそうだ。そしてこの場合、それはストーリーの凝集力を損なってはいないと感じられる。それではこの探偵はいわゆる狂言回しでしかないのだろうか、それに対する答えは本作後半に用意されているのだが、ここでは敢えて触れないでおこう。

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周辺的なチップスについても幾つか。

本作には、主演のマンムーティを含め映画界で名前の知られたスターは5人ぐらいしか登場しない。登場人物が多い群像映画であるが、それ以外のキャストは、監督ランジットがコーリコードで行った舞台俳優(プロ・アマ)を対象としたワークショップでリクルートされたという。馴染みの顔が登場しないというのは、この場合とても効果的に働いたと思う。それにギャラの出費の節減にもなっただろうしね。一番ギャラを喰うマンムーティは、勿体無いので複数の役をやらせた。後半から登場する第二のキャラが批評家の絶賛を浴びている。舞台出身の新人俳優の幾人かも注目されることになったようだ。シュウェちゃんによる、「村中の男の欲望の眼差しを一身に集めた」キャラクターも、他の女優では置き換えられないものだったと思う。

varnachitram 記事によれば、本作は通常のマンムーティ主演作の半分でしかない40センターでの封切りで、なおかつウィキペディアの記述では70日連続上映で終わったという。ただし2010年4月にケララ州映画賞(作品賞・主演男優賞・主演女優賞)の受賞が発表されてから限定的に再上映が行われた。

本作はまた、ケララ人の間ではそれなりに有名らしい文芸作品を基にしている。TPラジーヴァンによる同名の小説は、ケララ州が成立して初めて届出が出された実際のレイプ殺人事件に想を得ているのだという。小説、そして映画中での事件の起きた3月30日という日付には意味がある。それから1週間もしない4月5日に、統一ケララ州の初代州政府内閣が発足するからだ。EMSナンブーディリパッドを首班とする、選挙によって選ばれた世界初の共産党政権である。これは本作の後半で大きな意味を持つ出来事として現れる。

ロケ地についても是非知りたいところだが、極めて断片的な情報としてカルナータカ州コルールのムーカンビカ寺院周辺で撮影が開始されたとの記事が見つかっている。それから、メインの撮影地はコーリコード近郊のマッカムという場所だったという記事、またリゾートホテルのシーンもコーリコードだったという記事もあり。

最後に謎をひとつ。DVDでの本作再生時間は2時間6分なのだが、ネット上ではところどころに2時間27分とか2時間15分とかの数字が上がっている。ソングDBへの登録曲は二曲だけで、これらはDVDにも収録されているから、音楽シーンがカットされたのではなさそうだ。一体何だったんだろね。

【付録:レビュー集】
■nowrunning review
http://www.nowrunning.com/movie/7074/malayalam/paleri-manikyam/review.htm
■Paleri Manikyam is near perfect (Paresh C Palicha in Kochi)
http://movies.rediff.com/report/2009/dec/07/south-review-paleri-manikyam.htm
■Paleri Manikyam – the naked dance of conscience (Ram V @ Passion for Cinema)
http://passionforcinema.com/paleri-manikyam-the-naked-dance-of-conscience/
■Paleri Manikyam: Oru Pathira Kolapathakathinte Katha (Through the Corridors of Uncertainity......)
http://epradeep98.blogspot.com/2009/12/paleri-manikyam-oru-pathira.html
■Paleri Manikyam (Ratheesh KrishnaVadhyar's Journal)
http://ratheesh.livejournal.com/349778.html
http://ratheesh.livejournal.com/346850.html(原作小説)
■Paleri Manikyam - Kerala history, suspense and director's craft (Tom Thomas)
http://www.vyganews.com/entertainment/south/819-paleri-manikyam-kerala-history-suspense-and-directors-craft
■Paleri Manikyam- Oru Pathira Kolapathakathinte Katha – This is what Malayalam Cinema needs!!! (Sethumadhavan @ Passion for Cinema)
http://passionforcinema.com/paleri-manikyam-oru-pathira-kolapathakathinte-katha-%E2%80%93-this-is-what-malayalam-cinema-needs/
■Paleri Manikyam Movie Review (Vibetalkies)
http://vibetalkies.com/palerimanikyam/2009/12/07/paleri-manikyam-movie-review/
■One Movie One Day - Movie Reviews (Binu Baby Kurian)
http://1movieoneday.com/?p=201

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投稿者 Periplo : 20:50 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2010年05月19日

ディスク情報1005-4

蒼穹に向け悪夢のようにどこまでも高度を上げるのだ。

BhramaramCliff.jpg

モーハンラール・ディスコグラフィーにラルさん自画自賛の2009年作品を追加。

cvBhramaram.JPGBhramaram (Malayalam - 2009) Dir. Blessy

Cast:Mohanlal, Suresh Menon, V G Muralikrishnan, Bhoomika, Baby Nivedhitha, Lakshmi Gopalaswamy, KPAC Lalitha, Shoba Mohan, Jayalakshmi, Madan Babu

タイトルの意味:Bee
タイトルのゆれ:Bramaram

DVDの版元:Moser Baer
DVDの字幕:英語
DVDの障害:現在のところ特になし
DVD入手先:MaEbag など

【ネタバレ度30%の粗筋】
妻と一人娘とともにコインバトールに住むウンニ(Suresh Menon)は、証券ブローカーとして満ち足りた中産階級の暮らしを送っていた。市街地で爆弾テロが起きた不穏な夜、彼の家にジョースと名乗る見知らぬ男 (Mohanlal)が訪ねてくる。ケララでジープのドライバーをしているという彼は、ウンニの中学校での同級生だと言い張るが、ウンニには思い出せない。しかしジョースは同級生でなければ知りえない細かな出来事を語りウンニを納得させる。強引かつ巧妙なやりかたでジョースはウンニの家に泊まりこみ、彼の幼い娘はすっかりなついてしまう。しかし妻のラクシュミ(Lakshmi Gopalaswamy)は時折彼が見せる不気味な表情に怯える。

やがてジョースは隠していた本当の名前を明かし、ウンニを無理やりに連れ出して、さらには途中からはウンニの幼馴染のアレックス医師(V G Muralikrishnan)をも伴い、ケララの山岳地帯の彼の家へと向かう。(粗筋了)

無頼のジープ運転手をやるラルさんの芝居の見事さ、屋外ロケの素晴らしさ、この二つの点からは、とてもお勧めしたい逸品なのだ。それでいながら同時に、どうしても飲み下せないストーリーの軋みにうんうん唸る、頭の中で蜂がブンブンいいそうだ。ここで普段クサして書いてるものとは違って、もの凄くハイレベルで贅沢な悩み。

監督ブレッシーによれば、本作は psychological thriller で、なおかつ family suspense thriller でもあるという。言われてみて初めて気がついた、なるほどそういう枠組みの作品として見れば、収まりもさほど悪くない秀作といえるかもしれない。しかし何の予備知識もなしに見ると、スリラーという娯楽的・慣習的なカテゴリーをはるかに超えた、重厚でかつ詩的な人間ドラマが迫ってくる。なぜそれが100パーセント肯えないのかというと、主人公を突き動かす過去のトラウマを提示する二つの時制の回想シーンがちょっとばかしご都合主義的だからなのかな。健全な司法プロセスや警察力の不在というのはある意味ではインド娯楽映画の無条件の前提ではあるのだが、それにしても二つの回想シーンでの「聞く耳持たない(持たれない)」シチュエーションには説得力が欠けていた。それから蜂と子犬という、手垢にまみれたシンボルを使って話をまとめようとしたところにも突っかかりが残る。

一方でブレッシーは本作を the first road movie of Malayalam とも規定している。1時間20分あたりから始まるこの部分は文句なしに素晴らしい。騒々しく物質的なコインバトールの街からウドゥマライペーッタイを経て、ケララ州イドゥッキ郡の荒涼として峻険な高地帯への、路線バス・大型トラック・乗用車・ジープを乗り継いでの道行き。高度が上がるにつれ、携帯電話の電池が切れ、衛生状態は悪化し、行き会う人々は粗野になる。日常の文明世界から神話的な無法状態へ、映画館のシートに腰掛けているはずの観客もまた一緒に連れて行かれるかのような気持ちになる。小集落のバスターミナルのおぞましいトイレの臭気、ダートロードの明け方の冷気、安ホテルの客室に垂れこめる湿気、全てが恐ろしいほどの現実感でドドッと押し寄せてくるのだ、凄いよ。そしてまた、場所の移動によって登場人物の心象も変わっていく張り詰めた描写も素晴らしい。マ映画で最初かどうかは分らないがロード・ムービーとしてのパートは本作の魅力のかなりの割合を占めていると思う。

だからこそ、ストーリーの軋みが残念でたまらないのだ。どうもやっぱりあれじゃないかね、最初の構想の段階からラルさんが念頭にあって、あんなことするラルさん、こんなことするラルさんていうイメージだけが先行してたんじゃないだろか。こんなラルさんが見たい、土台が弱くてもラルさんなら何とかしてくれる、そんな無意識の甘えがあったんじゃないかと思えるんだ。

ブレッシーですら!

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投稿者 Periplo : 23:46 : カテゴリー so many cups of chai Mohanlal Discography
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2010年05月08日

ディスク情報1005-2

Neelathaamara (Malayalam - 2009) Dir. Lal Jose

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リメイクであることを積極的に謳った珍しいパブリシティ。他にこんなのもあり。


これまで主演女優あるいは劇中のBGMについて書いてきたので、ディスク情報としてもあげとこうと思う。

この映画についちゃあ、つい先月に現地の小屋で見ることが出来て、とても感銘を受けたので何らかの形で紹介したいと思っていたのだが、既に川縁先生による素晴らしいレビューがあるので新たに評論めいたものを書く気にはなれない。何だか最近こればっかだが、真の女の子ちゃん好きにしか書けない、か弱い者への思いやりに満ちた文章を前にすると、 隅っこのほうでひねこびた悪口ばっか撒き散らしてる小者は沈黙するしかない。なので、どうやらリメイクの話題を当て込んでリリースされたらしい1979年のオリジナルのVCDとの比較で気づいたことを中心にメモしておきたい。


cvNeelaTMRnew.jpgNeelathaamara (Malayalam - 2009) Dir. Lal Jose

Cast:Archana Kavi, Kailash, Reema Kalingal, Samvritha Sunil, Suresh Nair, Sreedevi Unni, Joy Mathai, Amala Paul, Balachandran, Tony Kattukkaran, Parvathi, Jaya Menon

タイトルの揺れ:Neelathamara, Neela Thamara
タイトルの意味:Blue Lotus

DVDの版元:Central
DVDの字幕:英語
DVDの障害:現在のところ特になし
DVD入手先:MaEBagなど

【ネタバレ度100%の粗筋】
2009年、農村地帯の大きな屋敷に一人住む年老いたマルッティアンマ(Sreedevi Unni)のもとに三人の女性が訪れる。中年のラトナムは、マルッティアンマの早世した一人息子ハリダーサンの未亡人だが、今は別の人物と結婚している。もう一人の中年女性クンニマルはかつてこの屋敷に女中として仕えていた。若いビーナ(Amala Paul)はハリダーサンとラトナムの間に生まれた娘だが、ラトナムの再婚をきっかけに母に反発し、今は疎遠になってしまっている。ラトナムとクンニマルは久々の再会を静かに喜ぶ。ラトナムがハリダーサンの遺品を整理するなかで、かつて夫が若いクンニマルを撮った写真が出てくる。ラトナムは遠慮するクンニマルにその写真を渡し、さらに夫が死の床でクンニマルに宛てて書いた(しかし書き終えたあとには破り捨てるよう命じた)手紙を未開封のまま預かっていると告げる。だがクンニマルはその手紙を受け取ることを拒む。その夜、写真を眺めるクンニマルの脳裏に若い日々の思い出が蘇る。

今から30年前、10代半ばのクンニマル(Archana Kavi)は祖母と従兄アップクッタン(Suresh Nair)に付き添われて、女中として働くためにこの屋敷にやってきた。温和なマルッティアンマのもとで彼女は平穏な日々を過ごす。近所に住む同年代のアンミニ(Reema Kalingal)という友達もできて、寺への参拝や、池での水浴に一緒に行くようになった。しばらくしてマルッティアンマの一人息子で法科学生のハリダーサン(Kailash)が休暇で帰省してくる。まだ会いもしないうちからハリダーサンの写真を見て激しく意識していたクンニマルだったが、やがてハリダーサンの方も瑞々しいクンニマルに目を留め、母の目を盗んで彼女を誘惑する。ハリダーサンの誘いにくすぐったさを感じながらも自制を続けていたクンニマルだったが、ある夜2階の彼の部屋から聞えてくる音楽に誘われ自分から階上に赴き、二人は肉体関係を持つ。周囲の目を気にしながらも戯れあう日々の中で、クンニマルはハリダーサンが卒業試験に合格するようにと近所の寺で願を掛ける。その寺の池では、真心を込めた祈りが成就すると青い蓮が咲くという言い伝えがあった。ハリダーサンの合格通知がもたらされた日に、寺の池では青い蓮が開花し、クンニマルは自分の愛の強さを確信する。

しかしその喜びもつかの間、ハリダーサンに従妹との縁談が持ち上がり、彼はあっさりと結婚してしまう。新妻ラトナム(Samvritha Sunil)を伴って帰ってきたハリダーサンに、クンニマルは沈黙のうちに仕える。屋敷の暮らしにも程なく馴染んだラトナムは、ある日クンニマルの所持品の中に夫との関係を物語る品々を見つける。詰問するラトナムに対してハリダーサンは居直り、なおも激高する彼女をついには殴打する。怒りが収まらないラトナムはクンニマルに暇を申し渡す。その翌朝、寺の池に若い女の水死体があがったというニュースが伝わり、ラトナムは青ざめる。しかし引き揚げられた遺体はアンミニのものだった。やがて迎えにやってきたアップクッタンに連れられてクンニマルは屋敷を去る。見送るマルッティアンマは涙し、ラトナムは気まずさを隠せず、ハリダーサンは姿を現さなかった。

再び2009年、その後アップクッタンと結婚したクンニマルは、子供もひとり立ちして親としての荷を降ろしている。ビーナは自分の意思で決めた婚約の相手を祖母に紹介する。寺に詣でたクンニマルは久しぶりに開花した青い蓮を僧から下げ渡される。マルッティアンマは30年前の別れの際にクンニマルの人生に幸あれと祈った、その願いが遅咲きの青い蓮となったのだと言う。(粗筋了)

ArchanaKavi.jpgReema.jpg
Samchan.jpgAmalaPaul.jpg


cvNeelaTMRold.jpgNeelathaamara (Malayalam - 1979) Dir. Yusf Ali Kecheri

Cast:Ambika, Ravikumar, Sattar, Kuthiravattam Pappu

タイトルの揺れ: Neelathamara, Neela Thamara
タイトルの意味: Blue Lotus

VCDの版元:Harmony
VCDの字幕:なし
VCDの障害:現在のところ特になし
VCD入手先:MaEBagなど


【ネタバレ度100%の粗筋】
1979年、農村地帯の裕福な屋敷に住むマルッティアンマのもとに、10代半ばのクンニマル(Ambika)が祖母に付き添われて、女中として働くためにやってくる。温和なマルッティアンマのもとで彼女は平穏な日々を過ごす。近所に住む同年代のアンミニという友達もできて、寺への参拝や、池での水浴に一緒に行くようになった。しばらくしてマルッティアンマの一人息子で法科学生のハリダーサン(Ravikumar)が休暇で帰省してくる。まだ会いもしないうちからハリダーサンの写真を見て好奇心を掻き立てられていたクンニマルだったが、やがてハリダーサンの方も瑞々しいクンニマルに目を留める。ある夜ハリダーサンは2階の自室に来るようクンニマルに言い渡し、躊躇いながらもクンニマルはそれに従い、二人は肉体関係を持つ。周囲の目を気にしながらも戯れあう日々の中で、クンニマルはハリダーサンが卒業試験に合格するようにと近所の寺で願を掛ける。その寺の池では、真心を込めた祈りが成就すると青い蓮が咲くという言い伝えがあった。ハリダーサンの合格通知がもたらされた日に、寺の池では青い蓮が開花し、クンニマルは自分の愛の強さを確信する。

しかしその喜びもつかの間、ハリダーサンに従妹との縁談が持ち上がり、彼はあっさりと結婚してしまう。新妻ラトナムを伴って帰ってきたハリダーサンに、クンニマルは沈黙のうちに仕える。屋敷の暮らしにも程なく馴染んだラトナムは、ある日クンニマルの所持品の中に夫との関係を物語る品々を見つける。詰問するラトナムに対してハリダーサンは居直り、なおも激高する彼女をついには殴打する。ことの成り行きに憤慨したマルッティアンマはクンニマルに暇を申し渡す。その翌朝、寺の池に若い女の水死体があがったというニュースが伝わり、ラトナムは青ざめる。しかし引き揚げられた遺体はアンミニのものだった。やがて迎えにやってきた従兄アップクッタン(Sattar) に連れられてクンニマルは屋敷を去る。立ち去り際にアップクッタンは屋敷に向けて唾を吐く。元来が粗野な性格のアップクッタンだが、この顛末に激怒しながらもクンニマルを守りいたわるジェスチャーを示すのだった。(粗筋了)

OldNeelathamara1.jpgOldNeelathamara2.jpg


以前に書いたこととも重複するが、2009年作品(以下09版)は1979年のオリジナル(以下79版)からちょうど30年後に封切られた同一言語のリメイク、オリジナルの脚本家MTヴァースデーヴァン・ナーイルが再び脚本を担当し、当代のトップ監督の一人であるラール・ジョースの手によって、新人・新進俳優をメインにフィーチャーして制作されたということで大変に話題になっていた。ただし、79版は歴史的な傑作という扱いを受けていたわけでもないらしく、知る人ぞ知る埋もれた名品とでも言うべきものだったらしい。だからなのか、ネット上で情報はほとんど見つからない。

■まず一番大きな違いは時代設定。 79版が同時代の出来事として叙述するストーリーを、09版では現在からの回想という形式にして、後日談までを付加して額縁をはめた形になっている。
■ 登場人物のキャラクター造形にも改変が加わっている。09版でヒロインはほんのちょっぴり賢い娘になったようだ。しかしそれで彼女の運命が変わるわけではない。お屋敷の坊ちゃんは09版ではよりマイルドな人格になって、ヒロインとの間に一種の恋愛感情があったことが示される。一方79版の方では情欲に突き動かされてヒロインと関係を持ったという描かれ方をしている。雇い主であるマルッティアンマも、09版の方では屋敷を去っていくヒロインに同情を示すが、 79版では怒りをむき出しにしている。79版の結末で重要な役割を演じるヒロインの従兄アップクッタンは、09版では背景に退いて、ストーリーを牽引することがない。総じて79版では階級の対立が強調されたつくりになっており、片や09版の方は細かな感情の機微が繊細に描かれる。
■ ヒロインと雇い主一家との間の和解の有無も大きい。79版ではヒロインを放逐する一家に対する怒りが表出されて終わるが、09版ではマルッティアンマもラトナムも冒頭部分で既にヒロインと和解しており、ハリダーサンですらが死の直前に自分の行いを悔いていたことが暗示される。クンニマルの方でも、思い出となった過去に対して激烈な感情は持っていない。時が癒す、というのは現実的だが、微温的でもあり、加害者に都合のいい結末とも言える。
■映像やサウンドのデザインもかなり違っている。79版の方では同時代の出来事として、田舎の旧家という設定を損なわない程度に最新風俗(ヒーローのベルボトムのパンツなど)が取り入れられている。周りを取り囲むのは緑豊な自然だが、美しさよりは田舎の退屈さの方が印象に残るようになっている。それに対して09版の方は、全てが圧倒するようなノスタルジーの醸成装置としてデザインされているのだ、現代の洗練された技術の粋を凝らして。

これが30年の隔たりというものなのか、それとも単にクリエーターの芸術的志向の違いなのか、ともかくこの2作品は単なるカーボンコピーのオリジナル-リメイクとしては扱えない、全然違うワンセットなんだな。どちらが優れているかということについては、現地の観客の間でも評価は分かれているようだ。より直截に(そして非常に効果的に)打ち捨てられた者の声を代弁する79版は胸に響くが、09版のうっとりと官能的な後ろ向き加減も捨てきれない。つまりどっちも見て損はないというのがとりあえずの結論かなあ。


そんなとりとめもつかないことを、数日間頭の中でたぷたぷさせてたんだけど、ふと気がついた。79版のストーリー、なんかに似てないか?思い出した!

cvAnkur.jpgAnkur (Hindi - 1974) Dir. Shyam Benegal

Cast:Shabana Azmi, Anant Nag, Sadhu Meher, Priya Tendilkar, Kader Ali Beg, Dalip Tahil

タイトルの意味: The Seedling、邦題『芽ばえ』

DVDの版元:Video Sound (Shemaroo版、Eagle版もあり)
DVDの字幕:英語
DVDの障害:2000年製造のディスクが経年劣化により一部機器で読み込み困難に
DVD入手先:Induna ほか


【かなり荒っぽい50パーセント粗筋】
1950年代のアーンドラ・プラデーシュ州の農村地帯(テランガーナ地方と推測される)。それまでハイダラーバードの大学で学んでいたスーリヤ(Anant Nag)は、学業を中断して、大地主である父の農地を管理するため単身移り住むことを余儀なくされる。彼は雑役婦のラクシュミ(Shabana Azmi)に目を留める。彼女はダリトで、聾唖の夫キシュタイヤ(Sadhu Meher)には飲酒癖があるため極貧の生活を送っていた。ある日キシュタイヤは椰子酒を盗んだ咎で公衆の面前で断罪され、恥辱に耐えられず出奔してしまう。スーリヤは一人ぼっちになったラクシュミと肉体関係を持つ。しかし程なくして、スーリヤがハイダラーバードを立つ直前に挙式していた若妻サル(Priya Tendulkar)が、実質的な結婚生活を始めるためにやってくる。それと同時に、ラクシュミは自分がスーリヤの子供を宿している事を悟る。(粗筋了)

有名作品だし、日本でも公開されているから、あんましクドクド書く必要もないか。ともかく、細かいモチーフを別にすると、ストーリーの枠組みは79版とそっくりなんだよね。別に「パクリのネタ元見っけ!」と得意になってるわけじゃない、骨格が同じでも肉付けが違うから完成品は全く別の作品。

この Ankur (1974) と Neelathaamara (1979版) との間の影響関係を裏付ける資料は今のところ見つかっていない。しかし、パラレルシネマの幕開けを飾った有名作品 Ankur を、いかな田舎とはいえケララの映画人が知らなかったはずはないのだ。 79版は Ankur へのケララからの回答だったのではないか?そう仮定すると、この79版はより一層に愛らしいものに思えてくるのだった。


09版と79版の Neelathaamara に加えて、Ankur を併せてリメイク輪廻セットとして見てみるのも、この際悪くないかもよ。ただし、Ankur に「時が癒す」というコンセプトでリメイクが作られることはなさそうではあるが。

投稿者 Periplo : 01:21 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2010年05月05日

ディスク情報1005-1

ラルさんディスコグラフィーに追加すべき作品は多々あるのだけど、滞ってるものを差し置いてもこれは真っ先に記録しておきたい。

bhoomiyile01.jpg

cvBhoomiyile.jpgBhoomiyile Rajakkanmar (Malayalam - 1987) Dir. Thampi Kannamthanam

Cast : Mohanlal, Suresh Gopi, Nalini, Balan K Nair, KPAC Sunny, Pratapchandran, Azeez, Jagathy Sreekumar, Adoor Bhasi, Jagadeesh, Ganesh Kumar, Siddique, Oduvil Unnikrishnan, Mohan Jose, Kollam Thulasi

タイトルの揺れ: Bhoomiyile Rajakanmar
タイトルの意味: Kings On Earth
DVDの版元: Moser Baer
DVDの字幕: 英語
DVDの障害: 現在のところ特になし
DVD入手先: 現地ビデオショップ

あまり検証を経ずに世間にまかり通っている俗説の一つに、インド娯楽映画はハッピーエンドばかり、というのがある。「全て」といわず「かなりの割合で」とすれば正しいのかもしれないが、他の地域のものに比べて格段に多いと言えるのだろうか。まあただ、実感として、アンハッピーなエンディングの映画はヒットしにくい、というのはあるかなあとは思っている。

それから、ヒーローが正しいモラルの保持者として描かれ、悪と戦い正義をもたらすストーリーがほとんどである、というのはどうか。ヒーロー格スターへの熱狂がカルト的様相を帯びることもあるサウスでは、これはまあ妥当な話である。なおかつ、家族連れで映画を楽しむのが一般的な風土がこれをさらに補強している。変種として、ヒーローが各種の状況の犠牲者として悪の道に誘い込まれるが最後に懲罰を受け改心する、あるいは高潔なモラルの保持者が主義に殉じて斃れる悲劇によって道を示す、というのも多少はある。ともかく、ヒーローが共感を呼ぶロールモデルとして描かれ、感情移入を誘うものとしてストーリーが組み立てられるのが少なくともサウスでは常道か。

ところが、80年代のマラヤーラム娯楽映画では、上に書いたような黄金パターンではないものが見つかるんだな。以前には「暗黒メロドラマ」なんて勝手に名付けて書いたこともあったっけ。それもアート系異色作品ではなく、すでに当代の人気スターとなっていたマンムーティやモーハンラールをフィーチャーしたメインストリームものにアンハッピーエンド&アンチ・ヒーロー系が結構あるのだ(もっとも80年代マラヤーラム映画の全貌は、ディスクで見てる外国人には掴みがたいものがあるので断言は控えたいが)。両人とも当時は色んな意味で身軽だったんだな。重々しいメガスターとなった現在の両巨頭の出演作は、それらと比べると遙かに保守的なものとなっている。

そういう一連の作品群中に「ポリティカル・スリラー」と呼ぶべきものがあって、細々と現在まで続いてるようなのだ。念のため断っておくと、これは政治の世界を舞台にした推理ドラマとは違う。スレーシュ・ゴーピ主演で量産され続けているポリス・アクション推理ものはかなりの確率で腐敗した政界を背景にしているが、これは一応別物と考えたい。ここでいうポリティカル・スリラーは、ずばりケララ州政界での足の引っ張り合いをテーマにしてるもの。アンチ・ヒーローが登場して権謀術数の限りを尽くして政界を渡り歩く。人殺しやアクションも出てはくるが、本質的なものではない。で、これが良くできたものになると痛快極まりない地獄巡りで、見てて異様なくらい興奮するんだ。印度映画に通俗的な道徳の教示を特に求めない(拒みもしないが)筆者にとってはツボに入りまくり。

政治をテーマにした映画はもちろん他地域にもあるが、マ政治映画の特徴は、上に書いたようなアンチ・ヒーロー的ナラティヴと、映画的誇張はありながらも、細部においてリアリズムがあるという点かな。そいから、一癖二癖もある人相の悪いマ映画脇役軍団の皆さんも大活躍で堪えられん。

頻出するモチーフとして、州外・外国資本への土地供与のために山地部の少数部族民に対して加えられる抑圧、それから政治家の御用聞きとして汚れ仕事を引き受けるグーンダというのがある。どちらもケララの政治的トラウマともいえる現象で、映画中のエピソードも現実を反映したものと考えて良さそうだ。


【ネタバレ度30%の粗筋】
トラヴァンコール地方の旧藩王家の末裔マヒンドラン・ヴァルマ(Mohanlal)は、女好きでだらしのない性格で、学業も満足に終えることが出来ないまま毎日を遊び暮らしていた。莫大な資産を保持しながらも、かつての王家としての権力が失われてしまったことを嘆く父王(Adoor Bhasi)は、息子を州会議員・州政府大臣に仕立て上げて威信の回復を図ろうとする。山間部の広大なエステートを手土産に、王は息子の州政府与党からの立候補者としての公認と、当選の暁の大臣就任の約束を州首相(Balan K Nair)から取り付ける。不良息子は意外にも器用に選挙戦を乗り切り、見事に当選する。内務大臣に就任後、幾つかの失敗を経験しながらも、マヒンドランは政界で自在に泳ぎ回るようになり、老獪な州首相や他の閣僚を手玉に取る。しかし学生時代の友人で、今は先住民の権利保護に取り組む運動家となっているジャヤン(Suresh Gopi)とラクシュミ(Nalini)と再会したところから彼の運命は思わぬ方向に転回する。(粗筋了)

Bhoomiyile02.jpgBhoomiyile03.jpgBhoomiyile04.jpg

本作をまったく予備知識無しに見始めて、最初の20分ぐらいはお気楽コメディーだと思ってたんだよね。お父様はベンツ持ってるのに神様映画の大道具みたいな馬車に乗ってるし、親戚役のジャガティ先生は時代離れした髷結ってるし、立候補を決めたラルさんがみる白昼夢のシーンではいきなりネルー帽かぶってるし。

Bhoomiyile05.jpgBhoomiyile06.jpgBhoomiyile07.jpg

最初の20分で示されるヒーローの極楽トンボ的キャラクターがあまりに見事なんで、その後議員・大臣となったこの人物がまともに政治に取り組むことになるとはとても思えないのだが、そこから彼は急激に変貌する。潤沢な資金と狡猾な戦術によって選挙戦を難なくクリアし、父にも助けられて前言を翻しかねない州首相から大臣のポストをもぎ取り、多数派工作によって党内の地位を盤石なものとする。政治の仕組みそのものが自己目的的に主人公を律するものとなるのだ。この変貌ぶりがそれはもう鮮やかで、思わず「音羽屋っ!」って叫んじまうくらいのものなのだ。もうこれはラルさんにしかできない、ラルさんファンでよかったあああ、というのが実感できる快作。ただし、ラストの三分の一でストーリーはとんでもなくシュールでブラックな方向に進み始め、最後は監督も舵を手放しちゃったんじゃないかと思えるような終わり方になるんだけどね。それも含め、80年代マ映画の物凄いパワーが感じられる本作、出会えたことは本当に僥倖だ。

Bhoomiyile08.jpgBhoomiyile09.jpgBhoomiyile10.jpg

このようなポリティカル・スリラーは決して途絶えてしまったジャンルというのでもないらしく、2006年には以下の2つのような佳作も送り出されている。

cvLion.jpgLion (Malayalam - 2006) Dir. Joshiy

Cast : Dileep, Kavya Madhavan, Kalsala Babu, Saiju Kurup, Karthika, Shoba Mohan, Vijaya Raghavan, P Sreekumar, Innocent, Cochin Haneefa, Bheeman Raghu, Madhupal, Saji Soman, Binish Kodieri, Sreejith Ravi, Jagathi Sreekumar, Suvarna, Bindu Panickar, T P Madhavan, Kollam Thulasi, Saikumar, Riyaz Khan, Shammi Thilakan, Baburaj, Anil Murali, Harishree Ashokan, Salim Kumar, Santhosh, Edavela Babu, Jagannatha Varma, Ponnamma Babu, Narayanan Nair

DVDの版元: Empire
DVDの字幕: 英語
DVDの障害: 現在のところ特になし
DVD入手先: Bhavani DVD など

【ネタバレ度30%の粗筋】
クリシュナン・クマール(Dileep)は州教育大臣を父(Kalsala Babu) にもち、その父が属する州与党のユース・ウィングの活動家である。一族は高級官僚や金融事業家などで占められ、父の権力に寄生しながらもその政治活動を側面から補完していた。そんな中、彼は父の政治手法に公然と異を唱え、逮捕すら恐れずに抗議活動を行っていた。しかしある時点で、実権を持たずに道義的追求を続けることに限界を感じた彼は、父の選挙区から無所属候補として出馬する。巧みな戦術で父を打ち負かして州会議員に当選した彼は、州政府の組閣に当たってキャスティング・ボートを握ることになる。政権党への協力の見返りに彼が州首相に要求したのは、内務相の地位だった。(粗筋了)

本項で紹介しているもののうち、これだけがピカレスク・ロマンではない。主人公は社会正義を実現する政治家として理想を貫き通すのだ。そういう意味で見ていて若干鼻白む部分もあるのだが、政界での寝技の数々、ひとたび大臣の座に着いた主人公による、かつて自分を蔑ろにした親戚連中への報復等々の描写はやっぱり凄い。まさにバガヴァッド・ギーターの教えそのもの(曲解?)。親父の個人秘書だったはずなのに、しれっと息子の取り巻きにシフトするジャガティ先生が見もの。それから、通常は政治の犠牲者として描かれる部族民だが、ここではサリム・クマールが演じる部族出身の代議士が笑いの種にされているのが、非常に印象に残る。

cvVaasthavam.jpgVaasthavam (Malayalam - 2006) Dir. M Padmakumar

Cast : Prithviraj, Kavya Madhavan, Sindhu Menon, Samvrutha Sunil, V K Sreeraman, T P Madhavan, Manga Mahesh, Salim Kumar, Jagathy Sreekumar, Madhupal, T G Ravi, Murali, Sona Nair, Jagadeesh, Sadiq, Sudheer Karamana

タイトルの揺れ: Vasthavam
タイトルの意味: Truth
DVDの版元: Moser Baer
DVDの字幕: 英語
DVDの障害: 現在のところ特になし
DVD入手先: 現地ビデオショップ

【ネタバレ度30%の粗筋】
ケララ最北端のカサルゴードに住むバーラチャンドラン(Prithviraj)は、名門のバラモンの一人息子だが、父(V K Sreeraman)が理想主義的な政治改革運動に入れあげた挙げ句に財産をほとんど失ってしまったため、職もなく逼迫した暮らしを送っていた。彼には幼馴染みの許婚スミトラ(Kavya Madhavan)がいたが、周囲の圧力によって、トリヴァンドラムの州政府庁舎内の事務職のポストと引き替えに遠縁の娘(Samvrutha Sunil)と結婚することになる。偶然の成り行きから、彼は大臣(Murali)の個人秘書に取り立てられ、その後政界内の対立構造を梃子にして、身分は一介の秘書のまま権力を掌握し、州首相の人事すらコントロールするようになる。(粗筋了)

ここに挙げた3作のうちではこれが一番リアリスティック。主人公を政治家ではなく、裏で実権を握るキングメーカーとして描いたところに凄みがある。ストーリーも実に緻密に構築されていて荒唐無稽さは全くない。そうはいっても、ある種のハッピーエンドとも取れる本作の結末を受け入れられる日本人はどれだけいるだろうか。たぶん大概の人は「しみじみしてる場合かよ、警察を呼べっ!」となるだろうな。インド映画見続けてると実にすんなり諾える終わり方なんだが。自身は州政府の一事務員にとどまりながら、主人公に政界での身の処し方を指南するジャガティ先生が見もの。

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ここに挙げた3作は、いずれもトリヴァンドラムにある本物の州政府庁舎(エントランスのポーチ部分だけではあるが)でロケしてるというのも考えてみると結構凄い。こーゆー映画見たうえで白亜のセクレタリアットを実際に訪れると感動も100倍じゃ。

投稿者 Periplo : 02:30 : カテゴリー so many cups of chai Mohanlal Discography
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2010年03月14日

レビュー:Kerala Cafe

Photobucket

Kerala Cafe (Malayalam - 2009) 企画:Ranjith

ディスク版元: AP International
DVDの字幕: 英語
DVD の障害: 現在のところ特になし
主な販売サイト: MaEBag など

オフィシャルサイト:http://www.keralacafe.in/
第二オフィシャルサイト?:http://keralacafe.moviebuzz.org/

cvKeralaCafe.jpg以前に予告的に紹介したオムニバス映画がついにディスク化。これはホントに待ち焦がれていた。好奇心をそそられて印度まで見に行っちまった程だが、見たら見たで分かんないことが多くて悶絶してたのだ。現地で見た時にはある箇所で引っくり返りそうになったのだが、それは別のところで書く予定。今回字幕付きで見ることによって、溜飲が下がったし、評価が高まった。

10~15分程度の短編映画が全部で10篇、全体のランライムは約2時間20分。まあね、オムニバスってやつに大感動したことはこれまでにないわな。だいたいソング&ダンスや格闘シーンもないしね、どっちかっていうとパラレル映画に近い作風のものが主体。短編という形式の制約上、一筆書きのスケッチ、あるいは象徴的&寓話的なストーリーとなるわけだし、カタルシスを得られるものじゃないね。印度映画特有の満腹感は期待できない、なんていう紹介になるだろうと思ってた。でも再見して見ると、やっぱり各篇が味わい深いのよ。

10人の監督が「旅」をキーワードに描く今日のケララ。もちろん、そうはいっても観光振興のプロモーション映像とは訳が違う。聞くところによれば、Tickets (Italy/UK - 2005)、Paris, je t'aime (France - 2006) というヨーロッパの二つのオムニバス映画に刺激されたものらしい。また Mumbai Cutting (Hindi - 2009) との関係も気になる。根拠は全くないけれど、個人的には2008年度の大ヒット Twenty:20 (Malayalam - 2008) Dir. Joshiy もまたこの作品を世に送り出すきっかけになったんじゃないかと思ってる。Twenty:20 は、60人を超えるマラヤーラム・スターが総出演の壮大なイロモノ企画。ランジット監督はこれ見て、「確かに凄いが、ちょっとちゃうやろ」って思ったんじゃないのかな。こちらの喀拉拉茶館もまたマルチ・スター映画(不在が気になるのはモーハンラールとジャヤラームぐらいだ)、しかし嬉しいことに Twenty:20 では蔑ろにされていた女の子ちゃんたちが華やかに咲き競っている。超新星ニティヤ・メーノーン、モデル出身のダニャ・マリー・ヴァルギース、隈取り萌えを刺激するリマ・カッリンガル、年季の入ったお色気女優ジョティルマイ、そしてもちろんシュウェちゃんも。デカン・ヘラルド紙の記事によれば、どの役者・技術者を使うかは完全に各監督の裁量に任されたらしい。また、samaylive 記事によれば、八割がたの役者はノーギャラ出演、したがって低予算で成立した映画だという。10人の監督の人選もまた心憎い。本作でデビューした新人も混じってるようだが、間違いなくこの先のマラヤーラム映画界をリードすることになるはず。

一般的なレビューとしては川縁先生が見事にまとめてくれていて、新しく別に自分で書く必要をあまり感じないのだが、せっかくの「旅」映画だし、字幕付きディスクで見て確認できた地名にまつわる情報などを脚注として若干記録しておきたい。

1.Nostalgia
監督 : M Padmakumar
出演 : Dileep, Navya Nair, Babu Namboothiri, Sudheesh
場所 : ドバイ、ケララ州のどこかの街、マール・トンマー派クリスチャンが多いトラヴァンコール地方中部のパッタナンディッタ県かその周辺ではないかと勝手に推測している。作中ではドバイから一時帰国したジョニー(Dileep)が、老父母の住む豪壮な邸宅を売ってリゾートホテルにしようと目論むくだりがある。

2.Island Express
監督 : Shankar Ramakrishnan
出演 : Prithviraj, Rahman, Manianpillai Raju, Jayasurya, Sukumari, Geethu Christie
場所 : やはりトラヴァンコール地方のコッラム(クイロン)県アシュタムディ湖に架かるペルマン鉄道橋。1988年にここで起きた6526バンガロール・カニャークマリ急行(別名 Island Express)の脱線事故(107名が死亡)の原因は未だに謎だとされている。CGによる再現映像を見ても何でこんな大惨事が起きたのかさっぱり分からない、
 
3.Lalitham Hiran Mayam [The Story of Two Women]
監督 : Shaji Kailas
出演 : Suresh Gopi, Jyothirmayi, Dhanya Mary Varghese, R Jayan
場所 : 不特定

4.Mrithyunjayam [Victory over Death]
監督 : Uday Ananthan
出演 : Thilakan, Fahad Fazil (Shanu), Reema Kallingal, Meera Nandan, Anoop Menon
場所 : ケララ中北部パーラッカード県オッタッパーラムのどこか、老バラモンの住まう歳を経た邸宅。この周辺にはこれなどに代表される味のある館が残ってるらしい。

5.Happy Journey
監督 : Anjali Menon
出演 : Jagathy Sreekumar, Nithya Menon, Mukundan
場所 : エルナクラム~コーリコード(カリカット)の急行バス。両都市間は直線距離で約180km、バスだと5~6.5時間の道のり。

6.Aviramam [Endless]
監督 : B. Unnikrishnan
出演 : Siddique, Shweta Menon
場所 : 不特定

7.Off Season
監督 : Shyamaprasad
出演 : Suraj Venjaramoodu, Frank Pietropinto, Marie Muscroft, Vindhyan
場所 : 州都トリヴァンドラムから13kmほどのところにある、コーヴァラム・ビーチ。ウィキペディアの解説によれば、トラヴァンコール藩王国時代にすでに高級保養地だったらしいが、1970年代頃から西欧人ヒッピーの溜まり場となり、「ケララのゴア」として今日に至っている。観光業に携わる連中のほとんどが外国人相手、UP州出身の作家パンカジ・ミシュラによるエッセイ ‘Whiter than white in God's own country...’ (Butter Chicken in Ludhiana: Travels in small town India に所収)によれば、印度人お断りの人種差別ゲストハウスもあるという。

8.Bridge
監督 : Anwar Rasheed
出演 : Salim Kumar, Kozhikode Shanthadevi, Kalpana, Jinu Joseph, Molly Master Akash, Baby Karthu
フォートコーチン、エルナクラム、バックウォーターのどこか。冒頭に登場する少年の父親は、フォート・コーチンで観光客相手のレストランを営む人物として描かれる。一方、マニカンタン(Salim Kumar)の貧しい一家は、おそらくコーチンの南、バックウォーター地帯に住んでいる。彼は老母を連れて船でエルナクラムにやってくる。作中に出てくる映画館はバネルジー・ロードにあるサンギータ。なぜかタミル映画 Nadodigal (Tamil - 2009) Dir. Samuthirakani をやっているのだ。この選択は何なのか。単に撮影の時点で実際に上映中だったってだけなのかな。

9.Makal [Daughter]
監督 : Revathy
出演 : Sona Nair, Srinath, Augustine, Sreelakshmi, Archana, Jayarao, Sasi,
Master Arun, Sai Shree
場所 : ナーガルコーイル。インド本土では最南端の都市であるこのナーガルコーイルは、かつてはトラヴァンコール藩王国の支配下にあったが、1956年の州界線再編によってタミル・ナードゥ州に組み込まれた。いわばタミルとマラヤーラムの汽水域のような場所。カニャークマリ岬へのゲートウェイ・シティとして有名だが、作中に登場するのは巨大な採石場。こちらの記事中にも解説があるが、この街の近郊の有力産業は花崗岩採石であるようだ。その現場で働く貧しいタミル人一家のもとに、裕福なケララ人の夫婦が訪れるという筋立てに、タミルとケララの微妙な関係の一端が読み取れるように思える。

10.Puram Kazhchakal [Passing Views]
監督 : Lal Jose
出演 : Mammootty, Sreenivasan, Manikandan, Sreelekha, Suresh Nair
場所 : タミルナードゥ州ポッラーッチ周辺からケララ州チャーラクディに向かう路線バスの中。西ガーツ山脈アナマライ山塊の高地を走るバスは途中マラックッパラ・ダム(Malakkuppara Dam)のそばに停車する。しかし検索してみてもこの名前はどうもヒットがない。どうやら実際にはパランビクラム・ダムで撮影されているようなのだが(ここでは過去に数多のマラヤーラム映画の撮影が行われている)、確証はない。周辺はパランビクラム野生動物保護区となっているネイチャー系のデスティネーション。ラストの場面は Vettulapara という小集落となっているがこれは架空の地名か。

エピローグとして、これまでのストーリーに登場した人物のうちの幾人かが、列車で出発するためにケララ・カフェを出て行くシーンがある。アナウンスは6825カニャークマリ・バンガロール急行の出発を告げている。こういう列車は存在していないようだが、上の挿話で登場したアイランド急行の戻りの便が相当するんだろうね。あ、それから、ケララ・カフェというのも、もちろん架空の場所だ。こんなお洒落な茶店がホントにあったらいいのにね。

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投稿者 Periplo : 03:01 : カテゴリー バブルねたkerala so many cups of chai
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2009年06月28日

投げ遣りはいけない

yarinage.jpg

Twenty:20 (Malayalam - 2008) Dir. Joshiy ネタの続き。

ふたつほど訂正。

ひとつは、本作のランタイムがDVDでは2時間45分であったということ。ウィキペディアでは確かに3時間15分とあるが、これはDVD化にあたってトリミングが加えられたということなのか、どうなのか。30分の違いは結構大きいよねえ。

ふたつめは、何となくネット上で流通していた「67大スター」という釣り書きについて。本作は珍しくエンディングロールで出演者全員の名前が表示される(ただしマラヤーラム語)のだが、縫い針の先っぽを使って数えてみたところ、71の人名が確認できた。日頃から脇役マニアックスとして騒いでいるのだからここで横着をこいちゃいけねえ、前ポストでの投げ遣りを改め、心を入れ替えてキャスト完全版を以下につくってみました。エンディングの一覧を見ると、ほんの数カットしか出てこない奴にも実はそれっぽい役名が振られてたりするんだけど、さすがにそこまでは記録しきれず。若干ネタバレ注意報。

追加の感想:

2004年に最高潮だったAMMAの内ゲバの負け組の皆さんはやっぱり登場率が低かった。

他所でも指摘されていることだけど、3番手のスター、スレーシュ・ゴーピが演じる警官アントニーは本作中で一番よく練られた良いキャラだったね。スレーシュさんが日頃演じてるお巡りのパロディ。でありながら、共感と同情を呼ぶ魅力があり、ストーリーを牽引していく役割も果たしている。で、この人がクライマックスの仇討殺人の現場に到着する場面というのが凄い。正義は復讐者の方にあると見た警官が大胆な目こぼしをするというのは、インド映画では結構あるプロットなんだけどさ。ここでのスレーシュさんは、仏心を見せるというよりは、ブチ切れて投げ遣りになっちまうんだな。ここで展開される屁理屈っていうか落としっていうのが、笑えて、しかも唸らされる、マ映画らしい一面なのではないかと思ったりしたのだ。

2020boys.jpg
それにしても、ノンケの人がこのポスター見たとして、スターさん群像だと認識できるだろうか。

キャスト一覧。数字は本作エンディングロールでの登場順位を表す。1~53番が男優、54番以降が女優。本リスト末尾の4つは劇中の役柄が分からなかった人名。

Ramesh Nambiyar and his gang
02.Mammootty:Advocate Ramesh Nambiyar
45.Suraj Venjaramoodu:Ramu, a servant of Ramesh Nambiyar
47.Kunchan:an assisitant of Ramesh Nambiyar
46.Vijayakumar:an assisitant of Ramesh Nambiyar
49.Babu Antony:Vikram Bhai, friend of Ramesh Nambiyar
58.Gopika:wife of Ramesh Nambiyar
65.Kulappulli Leela:Nani, a maid servant

Devan and his gang
03.Mohanlal:Devan aka Devaraja Prathapa Varma
25.Jagathy Sreekumar:Sankar, an assistant of Devan
41.Anil Murali:an assistant of Devan
44.Madhu Warrier:an assistant of Devan
42.Edavela Babu:Jose, an assistant of Devan
43.Baiju:an assistant of Devan
60.Sukumari:Leelamma, a drama artist
59.Kavya Madhavan:Ancy, a drama artist

Antony and police officers and his family
04.Suresh Gopi:SP Antony Punnekkadan
29.Sadiq:Harish, Antony's lieutenant
07.Mukesh:CI Jayachandran Nair
16.Jagadish:Nakulan, a constable
20.Lalu Alex:DIG Krishna Das
21.Manianpillai Raju:a constable
28.Salim Kumar:Indhuchudan aka Kabish Balamasi Narasimham
14.Biju Menon:Traffic control ASP Jacob Eerali
08.Sreenivasan:Kunjappan, a constable
50.Subair:a sub jail officer
51.Chali Pala:a sub jail officer
63.Karthika:Alice, wife of Antony Punnekkadan
66.Baby Nayanthara:daughter of Antony Punnekkadan

The Menon family
01.Madhu:Retired Justice Vishwanatha Menon
55.Kaviyoor Ponnamma:Bharathi Amma, wife of Vishwanatha Menon
15.Siddique:Madhavan aka Thiruvambadi Madhava Menon, son of Vishwanatha
56.Bindu Panickar:wife of Madhavan
31.Indrajith:Arun Kumar, son of Madhavan
22.Vijayaraghavan:Balan, son of Vishwanatha
62.Ponnamma Babu:wife of Balan
61.Sindhu Menon:Padmini, daughter of Vishwanatha
13.Manoj K Jayan:Mahi aka Mahendran, husband of Padmini
32.Shammi Thilakan:Ganesh, grandson of Vishwanatha
34.Madhupal:Sekhar, brother-in-law of Balan
19.Janardhanan:a friend of Vishwanatha in Delhi
18.Innocent:Kuttikrishnan, a servant
35.Indrans:a watchman

Thieves and rowdys
12.Kalabhavan Mani:Karingal Pappachan, a rowdy
33.Biju Kuttan:Ottu Murali, a thief
27.Harisree Ashokan:Puttu Varghese, a thief
26.Cochin Haneefa:Rat Vasu, a thief
69.Kalpana:Para Mary, a thief
39.Mohanraj:a rowdy
40.Baburaj:Stephen, a rowdy

Trivandrum politicians
17.Sai Kumar:PWD Minister Mathaichan, Madhavan's associate
38.T P Madhavan:Mathaichan's personal assistant

People at law courts
11.Lal:Radhakrishnan, a public prosecutor
23.Mamukkoya:Valakkaram Khadar, a witness
24.Jagannatha Varma:a judge
30.Babu Namboothiri:a judge

People of Bangalore Medical Collage
06.Dileep:Karthik Varma
57.Bhavana:Ashwathy
05.Jayaram:Dr. Vinod Bhaskar
67.Radhika:a friend of Ashwathy, Vinod Bhaskar's lover
70.Jyothirmayi:Jyothi, presenter of the beauty pagent

Others
36.Mala Aravindan:Kurup, tea shop owner
37.Ajay Kumar (Unda Pakru) :a worker in the tea shop
54.Nayantara:Disco Queen
09.Prithviraj:Disco dancer
10.Jayasurya:Disco dancer
52.Kunchacko Boban:Disco dancer
53.Manikuttan:Disco dancer

48.Kalasala Babu:???
68.Shoba Mohan:a member of Menon family?
64.Usha:a member of Menon family?
71.Chatrikasa:Collage principal?

petitnayan.jpg
次世代女王の座を狙うベイビー・ナヤンちゃん。

投稿者 Periplo : 23:00 : カテゴリー so many cups of chai brown dwarf galaxy
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2009年02月11日

ディスク情報0902

めでたきミーナークシ女神よ、その名はカーンチーではカーマークシ
力あるミーナークシ女神よ、その名はヴァーラーナシーではヴィシャーラークシ

arjunSP1.jpgarjunSP2.jpg

衝撃の一作とまで言って紹介したからには、その後の動きもフォローしなければ。

Arjun のディスクについて、

1.字幕がないと騒いでいた従来版(下左)に字幕セクタが存在することが判明した。
2.スペシャル・エディションを銘打ったDVD(下右)が同じ版元から新たに発売された。

まず、1について。いわゆる民生機、およびウィンドウズ、マックに対応した何種類かの再生ソフトで試して字幕が出なかった。しかし海外在住の複数の知り合いによる「字幕は出る」という証言を聞いて訝しく思っていたのだった。しばらく前に、破廉恥ディスクに強いと評判の再生機 EG-DVDP2200Cエバーグリーン社製、現在は生産終了)を入手したので改めて試したところ、日本製のTVモニターでもちゃんと字幕がでますた。これまでに、再生出来んとか字幕が出んとか文句たれてきた各種ディスクも、エバグリ君で再検証してみる必要ありだわな。

2のスペシャル・エディションについて。現在取り扱いをしている通販サイトはKADのみのようだ。なにがスペシャルかというと、「Widescreen with DD/dts sound tracks」なんだそうだ。字幕は普通に出ます。通販サイトでは下中のジャケイメージがアップされているが、実際には下右のもの。しかし筆者が注文して最初に届いたものはジャケのみ新盤で中身は旧盤という杜撰さだった、全くもう、どこまでも飽きさせない仕組みになってるぜ。それにしてもこういう改訂盤のリリースとは珍しい。裏にどういう事情があったのか?

ひとまず、これから本作を買おうという人には、スペシャル・エディションが断然お勧め。

cvArjun.jpgcvArjunSP1.jpgcvArjunSP2.jpg

以前に書いた粗筋に加わった訂正は以下の通り。

■ストーリーの大枠
ハイダラーバードの平凡な中流家庭に暮らす双子の兄妹( 姉弟 ?) のミーナークシ (Keerthi Reddy) は大学の同級生ウダイ (Raja) に恋心を抱いているが、告白できずにいる。卒業によって別れ別れになる間際になって、ウダイはミーナークシへの愛を打ち明け、それにもかかわらず両親のいるマドゥライ(タミル・ナードゥ州南部)に戻り見合い結婚をするつもりであることをさせられる前に2人で駆け落ちをしようと手紙で告げる。 (Mahesh Babu) は の懊悩を知り、両親と を伴ってマドゥライに赴き、優柔不断なウダイに決断をせまり 姑息な手段に訴えようとするウダイを叱責し、双方の両親の臨席のもとで、ついに両人を結婚させる。ウダイの両親、バーラー・ナヤガル (Prakash Raj) とアンダル (Saritha) の夫婦は、マドゥライの名家の当主ながら利権のためなら殺人にも手を染める冷血な守銭奴。表向きは新婚カップルを祝福しながらも、ウダイと資産家の娘との縁談が破棄されたことに深く失望し、折りをみてミーナークシを謀殺しようと試みる。

ストーリーの理解度からすると字幕無しで見てた時とあんまし変わらないや。こういう映画も珍しいと思う。一番知りたかった、ラストシーンで初めて主人公の名前が明かされるというくだり、これは今ひとつ効果的とは思えなかった。マハーバーラタのメインキャラクターの一人であるアルジュナと、ミーナークシ女神との間に何か神話的連関があるものかと思って随分と調べたりしていたんだけどね。

それから、字幕とは関係ないけど、冒頭およびクライマックスのアクションシーンの舞台設定がタミルナードゥ州最西端のカンバンという村の近くであることが、作中に現れる里程標からわかった。ロケ地マニアとしてはここも行ってみたいもんだ。

ともかく、サウスには「美しく楽しい暴力」というものが存在するのだ、ということを知らしめてくれた本作、改めてここで推薦。
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再生機に関する情報は、むんむんさんのご示唆に助けられました。作品そのものに関しては、魚の目をもつ女神さんに多くを負っています。お二方に多謝。

投稿者 Periplo : 23:29 : カテゴリー so many cups of chai
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2009年02月01日

レビュー:Veeralipattu

こーんなポスターを見せられたら、普通は弱っちい恋愛ものだと思っちまうわな。
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だけど全然違うんだ。実際はこーゆー映画。
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ってこれじゃ分からんか。

民俗学あり、ファミリーセンチメントあり、伝統と近代の対立あり、共同体の絆と個人の幸福の相克あり、若干図式的(それにややインテリ臭あり)という謗りはあるかもしれないが近年にない傑作だと思う。

cvVeeralipattu1.jpgVeeralipattu (Malayalam - 2007) Dir. Kukku Surendran
Cast : Prithviraj, Padmapriya, Jagathi Sreekumar, Murali, Jaffer Idukki, Rekha, Anoop Chandran, Suraj Venjaramoodu, Indrans

タイトルの揺れ: Veeraalipattu, Anantham(公開前のタイトル、この名称でのレビューも幾つかあり)
タイトルの意味: silk cloth
ディスク版元: Speed(字幕なし・左)、Moser Baer(歌詞を除き英語字幕あり・右)
DVDの障害: 現在のところ特になし
主な販売サイト: MaEBagなど

Speed 版の字幕なしDVDで見ただけでも只ならない一作だということは分かったので、レビューしたかった。しかしやはり完全に理解しきっていないのではと思い悩んで悶々としていたのだ。そしたらつい先月 Moser Baer から字幕付きがリリース。女神への祈りが通じたのか。御難続きのマ映画人生でもたまにはこういうこともあるんだわな。

しかしこの映画、楽しむためにはやっぱり少しは予習が要る。タイトルの veeralipattu というのは「絹の布」の意味だが、ここではケララ特有の祭司ヴェリッチャパード velichappadu が身にまとう儀礼用の赤い布のことを指しているようだ。

 一方、ヴェリッチャパード、または、コーマランと呼ばれるバラモンではない祭官が、時には、テイヤムなどのシャーマンとともに、あるいは単独で祀りの場に現れ祭祀を司り、時には彼自らも神がかりになり予言をすることがある。テイヤムは神そのものと信じられるが、ヴェリッチャパードの場合は、神の代理、お使いとして現れるという違いがある。神でないゆえに、特別なメイクをしないということになるのだろうか。コーラム・トゥッラルは、それぞれの地域の特定のジャーティ(たいていの場合儀礼的に低い地位に甘んじる)の者のみがシャーマンとなり、先祖代々務めているというインド的特色を示すのに対し、ヴェリッチャパードはナイルからでもどの階層からでも出るシャーマン・プリーストだ。
 ヴェリッチャパードは白い着物(昔のナイル女性の儀式を行うときの正装)を着る。その上にさらに赤い着物を重ねて着て、首の回りをチェッティの花で飾り、長い髪を腰まで伸ばす。さらに、ベルを腰に着けて、右手には剣、左手にはアンクレットを握る。ヴェリッチャパードは、実は、カンナギというタミル古典叙事詩のヒロインの化身なのだ。これは、金細工師の策略に陥れられ、王によって女王のアンクレットを盗んだ罪で処刑された夫コバラムの恨みを晴らすため、怒り狂ってマドゥライの町を火に包んだカンナギの姿そのものなのだ。(『カタカリ万華鏡』、河野亮仙、平河出版社、1988年、P.86より)

神降ろしのシャーマンというのはどちらかといえば低カースト出身者が従事するものかと思っていたけど、そうじゃないこともあるんだね。

Komaramthullal
The oracle dance performed in temples, especially Devi temples during festivals to inform the presence of Devi is known as Komaramthullal. It is also known as Velichappad thullal. There will be identified persons in each temple to perform this act. They tie bells around their waist, takes out sword in hand, wear chilambu in legs and dance with divine sword in hand and announce the desire of the presiding deity.(Nairs Academy of Information Reserch and Services サイト中の用語解説 Komaramthullal の項)

上の文中の chilambu とはアンクレットのこと。

Veeralipattu04.jpg

【ネタバレ度40%の安心粗筋】
中部ケララ内陸部の農村。70歳になるナーラーヤナン・ナーイル(Jagathi Sreekumar) は村人から尊敬を受ける巫覡(ヴェリッチャパード)だった。先祖は代々この村の巫覡を務め、彼もまた18歳のときにバガヴァティ女神に選ばれてその任に就き、以降50年以上を女神への奉仕に明け暮れてきた。妻帯し家庭を構えはしたが、村人たちと気安く交わることはなく、自らを厳しく律した祈りの生活を送っている。壮年の息子マーダヴァン(Murali)は篤実な農業家で、父・妻ガーヤートリー(Rekha)・2人の子供達からなる決して豊かではない所帯を維持するために、休みなく野良で働いている。若い頃に貧困ゆえに勉学を諦めなければならなかった彼は、息子のハリ(Prithviraj)が高等教育を受けてビジネス界で成功者になることを夢見ている。

老境に入ったナーラーヤナンは、息子を相手に巫覡の後継者の問題を口にするようになる。代々受け継がれてきたこの務めを彼の代で絶やすことだけは許せないのだ。しかし常識的な生活者であるマーダヴァンは、自分は適格ではないと応える。幼少時から神憑りになる祖父を恐怖し続けてきたハリは、父と2人きりの場で、巫覡を継がないで欲しいと懇願する。自分にはそんなつもりは全くないし、相応しい資質を備えた後継者を決めるのはバガヴァティ女神に他ならないのだから安心するように、父はそう言ってハリを宥める。

村で初めての快挙としてハリが工科大学の入試に合格したという知らせが入った日、祖父は孫息子を抱きしめて祝福する。子供時代からずっと祖父を避け続けてきたハリは、その真心に触れて初めて親しみを抱くようになる。しかしその後しばらくして、祖父は眠りの中で静かに絶命してしまう。そして、服喪が終わったある日、ハリは父がバガヴァティ寺院で憑依の舞を繰り広げているのを目撃する。

Veeralipattu05.jpgVeeralipattu07.jpgVeeralipattu06.jpgVeeralipattu08.jpgVeeralipattu09.jpg

【かなり長い寸評】
キャストはそれぞれに適役で、これ以外考えられないという嵌り方。

中でもやはり感動的なのは、ジャガティ先生だわな。普通に考えればムラリの父親役なんて無茶もいいとこなのだが、女神一筋に生きてきた老巫覡のイメージは完璧だった。自らが選んだ、というより女神に選ばれた己が人生には全く疑いを差し挟んだことがない。一方で新時代のエリートへの道を歩もうとしている孫には気後れを持っていて、浅薄な恐怖心から自分を避けようとすることも強く諫めることができない。そういう内面の葛藤を、さほど多くない登場シーンで、くっきりと描写する表現力には圧倒される。Mazha とかを見ても思うのだが、ジャガティ先生のシリアスものでの芝居は、鑑賞してる最中に普段のお馬鹿を全く思い出させない迫真性があるんだよね。これは永年勤続コメディアンとしては凄いことではないだろうか。そして過去の多数の出演作でのインチキ霊能者役の名演を思い起こすと感慨もひとしおなのだ。

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例えば Ponn Muttyidunna Tharavu (Malayalam - 1988) Dir. Sathyan Anthikad でのヴェリッチャパード。神憑りダンスの最中に粋な年増とアイコンタクトして逢い引きの約束しちゃったりするナイスな奴。

プリトヴィラージも凄い。一部の日本人印映愛好家からは「オーラのない奴」などと心ない言われようをしているが、本作ではその普通の兄ちゃんぷりが最大限に活きている。特にラスト、P君のオーラのなさが炸裂してる衝撃のクライマックスにあなたは耐えられるか、ってくらいのものなのだ、金縛りになるよ。P君を採用したことで、このストーリーが持つ、残酷なユーモアが鮮明に浮かび上がる形となった。

タミレカも良かった。ストーリー上は大して活躍することのない、いつものメソメソ・キャラだけど、家族思いの平凡な母親役が何故か非常に印象に残った。「専業お母さん女優」として円熟期に入ってきたのではないか。

Veeralipattu10.jpgVeeralipattu11.jpg

アトラクションはまだある。上に書いたことだけなら、アート寄りの一風変わった秀作というだけで終わってしまったかもしれない。しかし本作には主筋とほとんど無関係なコメディトラックがあって、それがもう転げ回るくらいのおかしさ。

星の巡り合わせが悪くお見合いに失敗し続けているコソ泥稼業のラーム(Indrans)は、ナーラーヤナン・ナーイルのあとを襲って村のヴェリッチャパードになる野心を抱く自称修験者のパヴィトラン(Suraj Venjaramoodu)のカモとなり、厄落としのためにバナナの木との儀礼的な結婚をお膳立てされる。

プロットはこれだけ。screen chemistry という言い方がよくあるが、本作でのスラージインドランスがまさにそれ。木婚(樹木との結婚)は、日本では、南インドのバラモンの長男が行うことのある奇習として紹介されてトリビアネタになっているが、インド国内ではむしろ北部印度で女性が主体となる事例がよく知られているようだ。星回りに問題があって結婚相手を不幸にすると判定された女性が、樹木と結婚した後にその木を切り倒し、悪い運気を祓った上で人間の男性と結婚するという慣習。これをモチーフにしたものでは Sati (Bengali - 1989) Dir. Aparna Sen という有名作品もあり。それから日本でも翻訳が出版されたことがあるベンガル系英語作家バーラティ・ムーカジの2004年発表の小説にも The Tree Bride というのがあった(読んでないけどさ)。またこちらも在外作家であるギータ・メヘターのエッセイだか小説だかでこの習俗を扱ったものがあるらしい。そのタイトルは特定できなかったが、おおよその内容はこちらさんが紹介してくれている。

しかし現地人のレビューではこのコメディ、あまり評判は良くないみたいなのだ。ともかく劇場が笑いの渦に包まれるという感じじゃなかったらしい。やっぱネタとしてちょっとインテリ臭が過ぎたのかね。でもオイラは字幕なしで見てた時から笑い転げてたけどな。ジャガティ先生の跡目を継いで(ってまだ生きてるけどさ)スラージ君がインチキ祈祷師を十八番にしてくれるなら大歓迎だ。断言しちまうが、しょーもないソングシーンは早送りで逝ってよしだが、コメディシーンは繰り返し味読すべし、だ。

【付記】
cvOraal.jpg監督のクック・スレンドランは本作が第2作目となる新進。デビュー作の Oraal [Oral] (Malayalam - 2005) は、現地映画祭で上映されたものの劇場公開されたかどうかもわからない低予算映画だが、一応VCDにはなっている。恋人と共に森のログハウスで暮らしながら次作の構想を練ることを目論んだ映像作家が、どこからともなくやって来た若い男の影に怯えて強迫神経症になり、最後には自我が崩壊してしまう、というストーリー。典型的なアートのためのアート映画だわな。これを観たという証言はホントに少なくて、The Hindu 記事、個人ブログであるこちらさんぐらい。よくわからない盗作騒ぎもあったようだ。

しかしまあ、ラルさん主演ジャパン関連大作を撮影中のアルバート監督の前作を見ても分かるように、デビュー作ってのは一種の卒業制作のようなものなのかもしれん。第一作目からその監督の指向を占うことは難しいように思う。スレンドランに話を戻すと、2005年のデビュー、2007年の本作ときて、その後の動向は一切把握できず。今年あたり何らかのアクションがあるだろうか。



それと、ヴェリッチャパードとその他のインドのシャーマンとの違いとかも気になるな。タミルやテルグでよく目にするのはトゥラシの枝を持ち髪振り乱して踊りながらトランスに入る女性の姿。これは何という名前で呼ばれているのか。そして不思議とマラヤーラム映画ではお目にかかったことがない。出てくるのはいつも男性のヴェリッチャパード、下のリンク集の中の写真を見ても分かるとおり実際には女性もいるようなんだけどね。

sivakasi.jpgthenali.jpg
左:Sivakasi (Tamil - 2005) Dir. Perarasu 右:Thenali (Tamil - 2000) Dir. K S Ravikumar より

まあ、そんなこんなで楽しく見た後も湧き上がる疑問etc.が押し寄せて、例によって物好きガイジンの暇潰しが始まってしまう作品なのだった。

【資料集】
■レビュー
http://filmysouth.com/admin/Malayalam/News/202X140/MaNe_06092007_040735.htm
http://www.hindu.com/fr/2006/12/01/stories/2006120100410200.htm
http://www.indiaglitz.com/channels/malayalam/review/9333.html
ttp://www.nowrunning.com/Movie/Reviews/MovieReview.aspx?movie=3617
http://sify.com/movies/malayalam/review.php?id=14505437&ctid=5&cid=2428
http://www.bharatstudent.com/cafebharat/review.php?rid=4&cat=4&id=203
http://movies.bizhat.com/review_veeralipattu.php
http://www.keralapals.com/previews/Anantham-preview-p-301/

■ギャラリー
http://www.keralapals.com/gallery/anantham-1.html

■神降ろし Velichappadu と、ケララ中から神降ろしが集まる Kodungalloor Bharani Festival について
http://www.india9.com/i9show/Velichappadu-65054.htm
Velichappadu - the revealer of light
'Kavu Theendal' held at Kodugalloor Temple
Kodungallur Bharani Festival
Scandalizing the Goddess at Kodungallur
flikr の検索結果

Veeralipattu12.jpgVeeralipattu13.jpg

投稿者 Periplo : 03:45 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年11月23日

レビュー:Maya Bazaar

最初に言っとくと、個人的な意見では、テルグ映画なのにダンスとアクションには全く見るとこなし。それから画質がえらく悪い(DVDの画質ではなくオリジナルプリントに問題があるようなのだ)。それでもこれは強力に推したい。Annamayya (Telugu - 1997) Dir. K Raghavendra Rao のような直球のバクティ映画の後に見ると殊更に、テルグ神様映画の間口の広さに感動する。

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アート映画 Grahanam (Telugu - 2004) でデビューしていきなり国家映画賞新人監督賞を受賞した Indraganti Mohana Krishna の第二作目。ウルトラ低予算芸術映画(←自身の証言による)だった前作と打って変わって、今度は普通の低予算娯楽映画。真面目な道徳的メッセージを含んでいるというのに、全編にわたって妙なユーモアが横溢し、肩の力が抜ける。洒落た社会派神様映画。

神話的映画とはいえ、登場するのが比較的マイナーな神格であるため、ストーリーはプラーナから離れて自由に展開している。ウィットに富んだ台詞とクライマックスでのサプライズによって、「神話の本歌取り(神話をそのまま現代の登場人物に置き換えたものとは異なる)」的な喜びを見る者に与える。

そして、真心ある清廉な人間によってしか、利己に走る神を呪いから救うことができないという転倒した設定に、TTD(Tirumala Tirupati Devasthanams)への穏やかな批判を読み取る観客もいるようだ。 

cvMayaBazaar1.jpgcvMayabazaar2.JPG

Maya Bazaar (Telugu - 2006)
タイトルのゆれ:Maya Bazar, Mayabazaar, Mayabazar
タイトルの意味: Market of illusion※1

DVD版元: Tolly2Holly 版(左)とSri Balaji 版(右)の二種あり、特に大きな違いはなし
DVDの字幕: 英語(歌詞含む)
DVDの障害: 現在のところ特になし
主な販売サイト: BhavaniKAD

Director: Indraganti Mohana Krishna
Music Director: K M Radhakrishnan
Playback Singers: S P Balasubrahmanyam, K S Chithra, Shankar Mahadevan, Gayathri, Hariharan, Shreya Ghoshal, K M Radhakrishnan, Vasundhara Das
Producers: B Satyanarayana & Rajkishore Khaware
Cinematographer: Jawahar Reddy

Cast: Raja, Bhoomika Chawla,S P Balasubrahmanyam, Tanikella Bharani, Ali, Baby Harshitha, L B Sriram, Dharmavarapu Subramaniam, Jayalalitha, Duvvasi Mohan, Surya, Gundu Sudharshan

【ネタバレ度30パーセントの粗筋】
富の神・クベーラ (S P Balasubrahmanyam) は疲れきっていた。遙かな昔、シュリーニヴァーサという名の貧しい男として人間界に降りたヴェーンカテーシュワラ神が王の娘パドマーヴァティと結婚する際に、婚礼費用として金貨の雨を降らせたのは彼だった。※2 ヴェーンカテーシュワラ神はその費用を返済した後も、ティルパティ寺院で信者によって寄進されれる財宝の一部を利息としてクベーラに払い続けることを誓ったのだった。※3 毎週土曜日ティルパティへの集金から戻るクベーラの肩に、寺への寄進物を詰めた袋がずっしりと食い込む。それは浄財とは名ばかりの、人間の強欲と罪によってもたらされた財宝だったからだ。この苦役を続けなければならないのは、以前に彼が酒に酔った勢いでガウタム仙に暴言を吐いたことが原因だった。激怒した仙人は、供物の形をとった人間の罪を永遠に運び続けるべしとの呪いを彼にかけたのである。酔いから醒めて謝罪するクベーラに対して仙人は、穢れない無私の心を持った人間を探し出し、財を捧げ、汗を流して奉仕することによってのみ、この呪いから解放されるであろうと告げるのだった。

舞台は人間界に転じる。ハイダラーバードにシュリーニ (Raja) という貧乏な若者がいる。彼の父は綿作に従事する貧農だったが、不作と借金苦から家族心中を図り、シュリーニだけが生き残って孤児として成長したのだった。※4 幼時にトラウマを体験しながらも弱者に手を差し伸べることを忘れない彼は、ある日空港で父親 (Surya) に置き去りにされた少女・シリ (Baby Harshita) に出会い、見捨てることができずに引き取り育てることになる。程なく彼女が難病に侵されていることがわかり、手術費用の捻出に奔走するが実を結ばない。シリの望みで彼女を連れてティルパティに詣でたシュリーニは、しかし自身は内陣には入らず外庭に佇みながら、無垢な少女の苦境に手を差し伸べもしない神に罵詈雑言を浴びせかける。集金のためにティルパティに来ていたクベーラはこれを見て、彼こそが自分が呪いから逃れるために奉仕すべき相手だと悟る。

彼はシュリーニに手術費用を上回る大金を差し出す。訝しがるシュリーニに対してクベーラは自分の身分を明かして、この援助にあたっての二つの条件を示す。それは彼がこのやりとりを誰にも漏らさないこと、そして何時であれクベーラが望む時に、何であれ望むもので返済をしなければならないということだった。条件を快諾したシュリーニは、シリに手術を受けさせ、余った金でささやかな食堂を開業する。クベーラの恩寵のもと彼の食堂は数年を経ずして巨大食品産業に成長する。

シュリーニがシリを引き取ったのと同じ頃から、彼はアヌパマ (Bhoomika) という若い女性に付きまとわれるようになる。彼女はいつも思いもよらない時と場所に現れて、何のためにか彼をビデオに撮影している。不気味に思って彼女を遠ざけようとするシュリーニだったが、大企業に成長した彼の会社が農民への慈善活動を始めようとした際に、アヌパマを個人秘書として雇うことになる。

シュリーニの善意の活動は実を結ぶのか。アヌパマの目的は何なのか。そしてクベーラ神は呪いから逃れることができるのか?

【注釈と疑問点】
※1 もちろん本作は、テルグ映画史上の不朽の名作といわれている Maya Bazar (Telugu - 1957) Dir. K V Reddy のリメイクではない。マーヤー・バザールとは、マハーバーラタの登場人物であるガトットカチャが、敵の目を欺くためにこしらえる「幻の迎賓館」のようなものを指す言葉。ただしこのエピソード Sasirekha Parinayam は、マハーバーラタの正本には登場しない口承伝説で、特にテルグ語地域で愛されているものだという。詳しくは A Study In Folk "Mahabharata": How Balarama Became Abhimanyu's Father-in-law (by Indrajit Bandyopadhyay) を参照。ちなみに、2009年頭にはそのものズバリのタイトルの Sasirekha Parinayam (Telugu) Dir. Krishna Vamsi が公開の予定だが、これも神話とは無関係。このヒンディー映画のリメイクだということだ。
※2 この情景を描写したNTR主演の古い映画のシーンが挿入される。これはどうやら Sri Venkateswara Mahatyam (Telugu - 1960) Dir. P Pullaiah の一場面らしい。DVDも発売済。神話のストーリーはこちらなどにまとめられている。
※3「寄進には神話との関連がある。カリ・ユガにおいて、アーカーシャ・ラージャはトンダマンダラムを統治していた。ヴェーンカテーシュワラ神はラージャの娘パドマーヴァティに恋をしたが、彼女を娶るためには巨額の婚資が必要だったため、財神クベーラから借金をしなければならなかった。ブラフマー神が取り仕切り、華燭の典が行われたが、借金の額はあまりに大きく、今日に至るまで完済されていないという。このようなわけで、信者達による奉納は神様の借金返済の手助けとみなされているのである。ここで受領された金は全額が複数の銀行の神様名義の口座に振り込まれる。」(the week 誌 2008年9月14日号、Inside the world's richest temple 記事より)
※4 綿作農民の自殺はマハーラーシュトラ州をはじめとした中部インドで社会問題化しているが、アーンドラ・プラデーシュではそれほど一般的ではないという。
※番外 本作終盤で結婚式のシーンがあるのだが、そこで描かれる儀礼が凄い。まず式の前に花嫁の父が跪いて花婿の足を清める。これもシュリーニヴァーサの神話に起源を持つものらしい(こちらこちらなど参照)。それから式を終えた後に、寝所に入った花婿が、花嫁の父に対して儀礼的に難癖をつけて花嫁の受け入れを拒む、というシーンがある。花嫁の両親は花婿を宥めすかしてなんとかその場を丸く収めるのだが、現実の力関係を身も蓋もなく反映した凄い慣習だ。これはテルグ地域だけのものなのか。そして何か由来があるのだろうか。

【寸評】
印度の神は全知全能ではない(もちろん世界中を見渡せば全知全能を謳ってる神の方が珍しいのだが)。それがある種の知的興奮と感動を呼ぶんだな。だから Annamayya (Telugu - 1997) Dir. K Raghavendra Rao に出てくるヴェーンカテーシュワラ神は、自分をヨイショするアンナマイヤの歌に感激して彼が乗る婚礼の輿を担いじゃったりするんだ。そしてこの映画のメインの神クベーラ。言っちゃ悪いが天界でもかなり「ステージが低い」みたいだ。こういう神さんはいくらコケにしてもいいらしい。そういや Yamadonga (Telugu - 2007) Dir. S S Rajamouli の閻魔大王なんかもいいようにオモチャにされてたな。

おまけにこういう神々は、リシと呼ばれる聖仙と比べても、時に劣勢にたたされることがある。リシにもまた色々とランク付けがあるようなのだが、最高位にはデーヴァリシと呼ばれる、天界と人間界とを自由に行き来する半神がいる。代表的なのは本作にも登場するナーラダ仙。それから地上に住まう普通のリシも。この連中は実質的には人間で、時に家族と暮らしていたりもするのだが、求道の果てに超能力や強い呪力を持つようになっていて、へたに怒らせたりすると神でも手のつけようがないらしい。本作ではガウタム仙がこれにあたるようだ。

自分の意のままにならない問題を抱えている、かなり子供っぽい神様が、聖仙や人間たちの間で救いを求めて右往左往するのを笑う。現代的な批評意識とファンタジーのブレンド具合が心地よい。

演技陣では、リードペアのラージャとブーミカは普通。悪くないけど他の役者でも置き換えはききそうだ。インドラガンティ監督の前作で主役級だったタニケッラ・バラニ、スーリヤ、ジャヤラリタの3人が本作でも顔を出す。ジャヤラリタの短い登場シーンには爆笑。ダルマヴァラプ・スブラマニヤムのナーラダ仙はイケズぶりがたまらない。近年のナーラダ仙ではベスト3には軽く入るね。だけど、なんだかんだいっても結局この映画が成り立ったのはクベーラ神役にSPBを持ってきた、それに尽きるでしょう。

だって、安っぽい金メッキ装身具と肌襦袢つけたSPB、とても人間には見えんもん。
MayaBazaar5.jpg

いんや、これまでもSPBの俳優としての仕事を何本かは見ているのだが、成功してると思ったことは一度もなかった。その一方で吹き替え声優としてのSPBでは、もう神懸かっちゃってるようなものを何度か鑑賞している。ようするに台詞以外の演技がぎこちなくて素人臭かったんだな。それがリアリズムから距離を置いた本作では見事に克服されて、外見のインパクトが最大限に活かされている。SPBを抜擢したインドラガンティ監督のセンスに脱帽(単に予算が少なくてプロの俳優を使えなかっただけなのかもしんないけど)。第3作の Ashta Chamma (Telugu - 2008) にも大いに注目したい。

【参考資料】
わわっ、信じられん、オフィシャルサイトがあって、しかもまだ残ってる! オフィシャルサイト中のリンク集を見れば主要なレビューがほとんど把握できる。画像系リンク集はこちら

投稿者 Periplo : 03:06 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年11月18日

レビュー:Annamayya

Annamayya01.jpgAnnamayya02.jpg

神話&バクティ映画のヌーヴェル・ヴァーグ(勝手に呼んでるだけ)作品群の中の傑作。現地でも広く知られ、日本では非公式な上映会も行われた。でもやっぱり情報は少ないんだよね。

プラーナや聖者伝の絵解きとは全く違ったレベルでバクティの神髄を見せてくれるエポックメイキングな一作。とはいえ、過去の神話映画から完全に断絶している訳でもない。たとえば、深い精神性を包含するにもかかわらず、象徴的な話法をとらず、あくまでも「全てを絵として写し出す」映像作法に貫かれている点など。この徹底ぶりはほとんどディスニー映画の世界。CGも若干使用されているが、むしろ「トリック撮影」と呼ばれるような伝統的技法(カメラのフレームを傾けてみる、などというものも含む)を用いて丁寧に作り込まれている。

本作に登場する神様、ヴェーンカテーシュワラはヴィシュヌ神のまたの姿。主としてテルグ語地域でこの名で呼ばれるが、総本山であるアーンドラ・プラデーシュ州のティルマラ・ティルパティ寺院はインド全域からの信仰を集めており、世界一裕福な寺院ともいわれる。ヴィシュヌ神は千の異名(Vishnu Sahasranama)を持つとされ、作中でもそのうちの幾つか(ケーシャヴァ、ゴーヴィンダ、シュリーニヴァーサ、ナラシンハ etc.)の名がヴェーンカテーシュワラ神を表すものとして登場する。

cvAnnamayya.jpgAnnamayya (Telugu - 1997)
タイトルの意味: 15世紀のテルグ語バクティ詩人の名前※1
他言語への吹き替え:Tirupathi Sri Balaji (Hindi - 2006)

DVD版元: Volga (Sri Balaji 版もあり)
DVDの字幕: 英語(歌詞含む)
DVDの障害: 現在のところ特になし
主な販売サイト: Bhavani (12

Director: K Raghavendra Rao
Music Director: M M Keeravani※2
Playback Singers: S P Balasubramanyam, Mano, K S Chithra, Srilekha, M M Keeravani, Anuradha, Anand, Gangadhar, Sujatha, Renuka, Anand Bhattacharya, S P Sailaja, Poorna Chandar, Sriram, Radhika
Producer: V Doraiswamy Raju
Cinematographer: Vincent

Cast: Nagarjuna, Suman, Mohan Babu, Ramya Krishnan, Katuri, Bhanupriya, Srikanya, Roja, Tanikella Bharani, Kota Srinivasa Rao, M Balaiah, Suthi Velu, Brahmanandam※3

【このくらいなら事前に知ってても問題ないと思う粗筋】
[Song1:Vinaro Bhagyamu] サンスクリット語、タミル語、カンナダ語での祈りが捧げられるのを耳にしながら天上でまどろむヴェーンカテーシュワラ神 (Suman) に二人の神妃※4が問う。テルグの地を統べる我らにテルグ語の讃歌が聴こえないのは何故か。ヴェーンカテーシュワラ神は妻達の望みに応えて、自らの持物である宝剣ナンダカを化身させて最初のテルグ語詩人をこの世に送り出す。[Song2:Telugu Padaniki]

ターッラパーカの有力なバラモン・ナーラヤーナスーリと敬虔なその妻ラッカマーンバーの間に生まれたアンナマイヤ (Nagarjuna) はすくすくと成長する。[Song3:Ele Ele Maradalaa] 若くしてヴェーダの学徒として抜きん出ていたが、土地の男達と腕試しをしたり、美しい双子の従姉妹ティンマッカ (Ramya Krishnan)、アッカランマ (Katuri) と戯れることにも夢中に なっていた。[Song4:Padaharu Kalalaku] ある日、双子を連れて野山で遊んでいた彼の前に一人の行者が現れて、二人の乙女よりもはるかに美しいものがあると言って挑発する。この行者が他ならぬヴェーンカテーシュワラ神の仮の姿であるとも知らず、アンナマイヤは彼に導かれて人里離れた寺院に入り込み、そこでチェンナケーシャヴァ(童形のクリシュナ)神像を目にして啓示に打たれる。[Song5:Kalaganti Kalaganti]

その場に崩折れ意識不明のまま家に連れ戻されたアンナマイヤは、その後も呆然としたまま日々を送っていたが、ある日野山を行く巡礼の人々に出会い、衝動的にその集団に加わる。ティルパティの神域に到るまで断食する誓いを立てた彼は、一行の中の一人の老人に自分の体を苦しめることによって神への奉仕を行うのだと語る。それに対して老人は、神が最も好むのは楽の音であると答える。讃歌を奏でて神に奉仕せよと勧め、彼にタンブーラ※5を与えて去っていったその老人は 実はナーラダ仙だった。

タンブーラを手にした彼がふと目を上げると、彼方にティルパティの堂宇が燦然と輝いている。[Song6:Adivo Alladivo] 法悦のうちに熱烈な讃歌を歌う彼を、しかし暴風雨が襲う。山中で動けなくなった彼を見かねて、老女に扮した神妃パドマーヴァティ (Bhanupriya) が訪れる。何か食べなければと諭す老女に、アンナマイヤはダルシャンを得るまでは一切食を絶つのだと言い募る。そんな彼に老女は、あなたは既に神の領域に足を踏み入れているというのにサンダルを履いたままだからそんなに苦しい思いをしているのですよ、と言い神の遍在を説いて聞かせる。自らの頑なさを恥じたアンナマイヤは老女の差し出すラッドゥー※6を味わう。それはティルパティの内陣で捧げられ、ヴェーンカテーシュワラ神が口にした撤撰だった。

ティルパティで念願の本尊礼拝を果たした※7彼は、そのまま寺院に住み着き勤行三昧の日々を送る。[Song7:Podagantimayya] 一方、行方の知れないアンナマイヤを待ち続ける家族・許嫁の双子は悲嘆にくれていたが、部族民の狩人※8に身をやつしたヴェーンカテーシュワラ神が訪れて彼の無事を聞かせる。一同はティルパティに赴き、そこでアンアマイヤに再会を果たす。[Song8:Vinnapalu Vinavale] 家に連れ戻そうとする家族にアンナマイヤは取り合おうとしない。そこに今度は妻帯したバラモンに姿を変えたヴェーンカテーシュワラ神が現れ、俗世で家庭を築くことの意義を説いたので、やっと彼は帰宅することに同意し、このバラモンが司って結婚式が執り行われる。アンナマイヤと二人の妻※9との間には二人の息子が生まれる。[Song9:Moosina Muthyalake]

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【訳あってどうしても最後まで書きたいネタバレ粗筋】
その頃、ペヌゴンダの王であるサールヴァ・ナラシンハ (Mohan Babu) は隣国の王女 (Roja) を妃として迎え入れる。[Song10:Asmadeeya] 新婚の王と王妃は共にティルパティにやってくる。妻達を連れて参籠中だったアンナマイヤの歌声を耳にした彼は、やはりその歌声に魅せられた王妃の願いを容れて、アンナマイヤを宮廷歌人として迎え入れる。[Song11:Kondalalo Nelakonna] 彼の歌声は宮廷中を魅了し、妻達は名声と富の魔力に溺れる。[Song12:Emoko] しかしある時、神への讃歌だけではなく王を称える歌も歌うように命じられ、それを断固として拒んだアンナマイヤは獄に繋がれ鞭打たれる。終わりないかに見えた拷問のさなか、奇跡が起こり、彼を繋いでいたくびきがひとりでに外れる。[Song13:Palanethralu] それを目撃した王は改心し、以後アンナマイヤの忠実な弟子となる。

二人の妻達は自らの虚栄心が夫を進むべき道から遠ざけたことを悔やみ、全ての財を人々に分け与える。自己犠牲を決意した二人はヴェーンカテーシュワラ神のはからいによって夫の膝元で同時に息絶える。[Song14:Nigama Nigamantha] 全てを失ったアンナマイヤは吟遊詩人となって各地を遊行し、讃歌を歌い続ける。[Song15:Govindaa Sritha] バクティの前にカーストの区別はないとする彼の主張※10は保守的なバラモン達の怒りをかい、貝葉に記された彼の詩は焚書にされかかるが、またしても奇跡が起こり文書は無傷に保たれる。これを見たサールヴァ・ナラシンハ王は彼の3万2千に及ぶ詩を銅板に刻むように命じる。この事業が成ったとき、アンナマイヤは95才になっていた。[Song16:Nanati Bathuku]

自らの死期を悟ったアンナマイヤはティルパティの本殿に赴き、そこで本来の姿のヴェーンカテーシュワラ神と二人の神妃に初めてまみえる。[Song17:Dachuko Nee Padaalaku] ヴェーンカテーシュワラ神はひれ伏すアンナマイヤに対して、膨大な数の讃歌を作った功績をねぎらい、永遠の命を与えようと告げる。そのような甘言をもってまだこの私をお試しになるのかと問うアンナマイヤに、ヴェーンカテーシュワラ神は、これはテストではなく我々は本当にそなたの歌を好むからなのだと答え、神々はアンナマイヤの詩を歌う。[Song18:Antharyami] 感極まったアンナマイヤは、この至福のうちに生を終えることをお許し下さいと懇願し、息を引き取る。※11 残された宝剣ナンダカは静かにヴェーンカテーシュワラ神の懐に戻る。[Song19:Brahma Kadigina Padamu]

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【注釈と疑問点】
※1アンナマーチャリヤ (Annamacharya) とも。テルグ語とサンスクリット語で多数のヴェーンカテーシュワラ讃歌を詩作し、作曲も行った。 Annamayya Sankeertanas と呼ばれる作品群は、現在ではメロディーは失われテキストおよびラーガの指定だけが残っているという点で、他の多くの「楽聖」と同じ。しかし、系譜上の子孫が現在もいて、複数の研究・振興機関が存在するなど、比較的追随者に恵まれた聖者といえる。テルグ語で初めてパダム形式の韻文をものした詩人だとされている。また妻の一人ティンマッカは初の女性テルグ語詩人といわれている。本作の劇中歌も半数以上がアンナマイヤの詩をそのまま使っている。一方音楽はというと、1922年にティルパティ寺院の石室から1200のサンキールターナを刻んだ銅版が発見されて以降、同時代の音楽家がその幾つかにメロディーをつけ、スタンダードナンバー化しているようだ。本作の楽曲も一部はそれに連なるもの。
なお、本作中に見られる、山中でヴェーンカテーシュワラ神の神妃から供え物を授かる場面、サールヴァ・ナラシンハ王の逆鱗に触れて獄に繋がれた後奇跡によって解放される場面などは、実在のアンナマイヤの行跡として伝承される物語を元にしている。
※2 M M Keeravani はアーンドラ・プラデーシュ出身(推定)の作曲家、ヒンディー及び南印4言語で活躍する。ヒンディー作品のクレジットでは M M Kreem を、テルグでは M M Keeravani、タミルでは Maragathamani を使用。多様な作風を誇り、ヒット作・話題作を多く手がける。カンナダ、マラヤーラムでのクレジット名は不明。
※3本作中で親戚のバラモンを演じるブラフマーナンダンともう一人のコメディアン(名前不明)の節をつけた台詞回しが非常に印象に残る。一瞬シュローカなのかと思わせるが、冷静に聞くと別に関連はなさそうだ。このレチタティーヴォ、なにか元ネタがあるのか、それとも本作オリジナルのギャグなのか。
※4作中ヴェーンカテーシュワラ神には Padmavathi と Bhoodevi の二人の神妃が付き従うが、この二人の描写には明らかな濃淡が見られる。バヌプリヤーが演じるパドマーヴァティは台詞の多さでもストーリーへの関わり方でも、シュリカニャーが演じるブーデーヴィを圧倒している。第一夫人にあたるパドマーヴァティはヴィシュヌの神妃ラクシュミーの別の姿。アラメールマンガー (Alamelmanga) と呼ばれることもある。描写の重心がパドマーヴァティに寄っているのは、ひとつにはアンナマイヤの女神讃歌がパドマーヴァティ女神に捧げられたもの以外残っていないことにあるようだ。もう一柱の女神、ブーデーヴィの名は大地母神を意味し、実際にティルパティにこの女神を祀る祠もある。が、ラクシュミー=パドマーヴァティと比べてかなり「非正統」感がつきまとう。この女神のまたの姿が、ムスリムでありながらヴェーンカテーシュワラ神への熱烈な進行を捧げたビビ・ナーンチャーリ(Bibi Nanchari / Nancharamma) であるとする説は、アーンドラでは比較的広く受け入れられているようだが、保守的・原理主義的なヒンドゥー教徒には全く認めない者もいるらしい(こちらなど参照)。本作での二人の女神の非対照性はこのような事情を反映しているのかもしれない。こっちの記事では、ヴェーンカテーシュワラ神とビビ・ナーンチャーリはプラトニックな関係であるとも(笑)。
※5バルカン半島からインド亜大陸にまでいきわたっているこの楽器は、カルナーティック音楽では通奏低音を受け持つ。インド神話ではナーラダ仙の持物として現れるのが定番だが、映画で実際にナーラダ仙が演奏しているシーンは少ない。本作で一瞬だけ現れるナーラダ仙が肩に掛けているタンブーラとアンナマイヤへの贈り物のタンブーラは随分形状が異なるが、ハンディサイズの後者は16 世紀のラージャスターンで活躍したバクティ詩人ミーラー・バーイーが使っていたものと同じスタイルらしい。(Thanks to ラーキン氏)
※6今日に至るまでティルパティ詣での代名詞ともなっているあの巨大ラッドゥーである。こちらなど参照。
※7念願かなってヴェーンカテーシュワラ神像の前で讃歌を歌うアンナマイヤのティラックひとりでに回転する。横長のものから、ヴェーンカテーシュワラ神と同じV字型のものに。全体が意味するところは明瞭だが、一つ一つのパーツの意味を問いだすとお手上げ。どなたかご存知でしたら教えてください。
※8部族民の狩人として現れる、というところには何かの意味があるのだろうか。本作と同じ監督によるもうひとつのバクティ映画の傑作 Sri Manjunatha (Telugu/Kannada - 2001) Dir. K Raghavendra Rao でも、シヴァとパールヴァティが部族民の装束(と言っても映画的なデフォルメがあるのだろうが)で踊る♪Olammo Gowrammo というシーンがあった。ともかく神話映画における部族民モチーフの意味というものについては、もう少し掘り下げて探求する必要を感じているのだが。
※9ピチピチの美人双子姉妹といっぺんに結婚、羨ましい話ではある。しかも二人の妻が互いに大の仲良し、これはもう人徳としか言いようがない。まあ、実在のアンナマイヤに複数の妻がいたらしいことに拠っているのだろう。それから天界のヴェーンカテーシュワラ神がやはり二人の神妃を伴っていることとの対照性も当然意識されているはず。この時代のバラモンにとって、交叉イトコまたは姪と結婚することは半ばノームであっただろう。交叉イトコにあたる相手がたまたま双子だったならば、その両方を娶るというのはむしろ義務だったと言えるかもしれない。イワナガヒメの故事が思い起こされるシーンである。
※10このメドレーの最終曲ではアンナマイヤ不可触民の人々と一緒に歌うシーンが見られる。ここで不可触民の人々が手に持つのはテルグ語で dappu または dappulu とよばれるフレーム・ドラム。タミル、ケララでは tappu、parai と呼ばれ、製造も演奏も不可触民だけに限定されていたという。こちらの記事によれば、いわばダリト差別のシンボルなのだとも。
※11感動的でありながら謎めいたシーンでもある。ヴェーンカテーシュワワラ神とその二人の神妃が一体となり、巨大化して、ヴィシュヌ神に変貌するのだ。ここまでの作中、ヴェーンカテーシュワラ神は常にその特徴的な装束で現れる。この最後のシーンでのみ、青い皮膚をもつヴィシュヌ神の相貌となるのだ。ヴェーンカテーシュワワラの名前で全インドからの崇拝を集めるティルパティの主神だが、最後により本源的な、というよりはメジャーな神格に(ヴィジュアル的に)昇華させる必要があったのか。寛いだ狩衣をまとっていたのが最後だけ束帯姿になった、というようなものか。

アンナマイヤの詩を基にコンポーズされたダンスバレエの筋書きにこんなものがあるそうだ。

[The play] culminates in the statuesque posturing of symbolic union of Alamemlu Manga and Bibi Nanchari with their Lord Venkateswara - that is Mahavishnu.(2007年に行われたダンスバレエを紹介する The Hindu 記事 Mythological drama より)

三柱の神格の合一によって最高神が立ち現れるというのは、ある程度共有された慣用句なのか。それとも単に、この芝居が先行する映画の筋書きをイタダいてきた、というだけなのか。謎である。しかし感動的である。

Annamayya13.jpg

【寸評】
いろいろな意味でエポックメイキングな作品だと感じられる。特にそれまで青春アクションスター路線を邁進していたナーガールジュナが、本作で役者として本格的に演技に開眼したという認識は、現地の観客の間でも共有されているようだ。 本作が公開されて一定の成功を収めるまでは、ナーガールジュナが聖者を演じることに対してかなりの批判や懐疑の声が上がっていたことが、彼のインタビューから分かる。

それからヴェーンカテーシュワラ神役のスマンにとっても、同じく本作が転機となったようである。1977年にタミル映画界にデビューしたスマンは、その後80年代に入って活動の中心をテルグに移してからもアクションヒーロー&悪役が基本路線だったが、(確認はできないのだがおそらく本作で初めて)神様役を演じ、NTRとは全くタイプの違う、しかし決定的なアイコンを確立した。スマンを神様役に抜擢した(←繰り返しになるのだが、初なのかどうなのかが確認できない、もどかしいことこの上ないのだが)Kラーガヴェンドラ・ラオ監督の慧眼には唸るしかない。いつでもどこでもパーティーに顔出してるだけの単なるファンクション白髭小父さんじゃないんだよ、この人。ソングシーン ♪Emoko (これがなかなかにエロティックな歌詞なのだ)で、天上のヴェーンカテーシュワラ神が妃とキャッチボールをして戯れる映像によく現れているが、「美男の神様」をこういう風に造形するのかと思わず仰け反ってしまうのだ。しかし一方で、どこか深い部分で納得出来るのだな。ともかく、スマンの神様ぶりが本作成功の要因のひとつとなったことは疑いないだろう。

もちろん、キーラヴァニによる音楽も特筆に価するアトラクション。バクティの熱を直に感じさせてくれる秀作が揃い、しかも変化に富んでいる。ひとつひとつの楽曲について細かに書き記したいところだが、これはそのうち満を持して専門家にやってもらうべき仕事ではないかと考え断念。各楽曲の出典と歌い手についてはこちらなどで。一緒に歌いたい人のためにアルファベット歌詞も。

中盤に半ばコミック・リリーフとして登場する、サールヴァ・ナラシンハ王役のモーハン・バーブについても書いておきたい。遠慮なく言えば、近年の現代劇の主演作ではややもすると「ズレた親父」感が漂うこともあるドクター・モーハンだが、こういう時代劇では映える。歌舞伎風の大見得とフェイシャル・エクスプレッション、それにダイアローグ・キングの面目躍如の台詞回し。相手役で登場するロージャーのあからさまなお色気と相まって、宮廷の世俗的な美と歓楽の世界を巧みに描き出している。

色々と書いたけれど、結局本作でもっとも感動的なのは、アンナマイヤが最後に神様からの御褒美を断るところだろうか。人間として生を享けた己の分を弁えるという謙虚さと、帰依を捧げる神自身からの申し出をきっぱりと断るという主体性、矛盾するかのようなこの二つが本作の持つすぐれて現代的な深みの源であるように思われる。Kラーガヴェンドラ・ラオ監督の次の神話映画 Sri Manjunatha (Telugu/Kannada - 2001) もまたスマッシュヒット、しかし Sri Ramadasu (Telugu - 2006) には、残念ながらそれはあまり感じられなかった。さらにその次、今年公開ですでにディスク化もされている Pandurangadu (Telugu - 2008) ではどうなっているかね。楽しみだ。

【その他参考】
ティルパティ寺院及びヴェーンカテーシュワラ神について
1.http://en.wikipedia.org/wiki/Venkateshwara
2.http://www.tirumala.org/
3.the week 誌 2008年9月14日号、Inside the world's richest temple

歴史上の人物としてのアンナマイヤについて(4はアンナマイヤを含むテルグ語の古典詩の解説)
1.http://www.annamayya.org/
2.http://members.tripod.com/~annamayya/
3.http://en.wikipedia.org/wiki/Annamacharya
4.http://tramesh.tripod.com/kavita/index.html
5.『楽聖達の肖像』 V.ラーガヴァン著、井上貴子・田中多佳子訳、穂高書店、2001年

Darshakendrudu(監督の中の王) K Raghavendra Rao について
1.http://en.wikipedia.org/wiki/K._Raghavendra_Rao
2.http://www.imdb.com/name/nm0706484/
3.http://www.idlebrain.com/celeb/bio-data/index.html

レビュー(3は作品封切り時点でのものの貴重な残存、4は通販サイト上のものであるにもかかわらず、作中のアナクロニズムに対して文句をつけている、5はロケ地について)
1.http://movies.sulekha.com/telugu/annamayya/reviews/pageno-1.htm
2.http://en.wikipedia.org/wiki/Annamayya_(film)
3.http://www.rediff.com/movies/sep/05nag.htm
4.http://www.bhavanidvd.com/product_info.php?products_id=96
5.http://india.jugem.cc/?eid=61

投稿者 Periplo : 03:01 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年11月15日

レビュー:Nandhanam

Nandhanam01.jpgNandhanam02.jpg

これに関しちゃ、クドクド長文を書く必要は感じないな。ジャンルを一言でいうと「シンデレラ物語」。もひとつ別のキーワードもあるんだけど、それは言わぬが花。

cvNandhanam.jpgNandhanam (Malayalam - 2002)
タイトルのゆれ: Nandanam
タイトルの意味: Garden of Lord Krishna

DVD版元: AP International
DVDの字幕: 英語(歌詞含む)
DVDの障害: 現在のところ特になし
主な販売サイト: MaEbag

Director: Ranjith
Music Director: Raveendran
Playback Singers: K J Yesudas, K S Chithra, M G Sreekumar, Radika Thilak, P Jayachandran, Sujatha

Cast: Navya Nair, Prithviraj, Kaviyoor Ponnamma, Revathy, Siddique, Innocent, Aravinder Singh, N F Varghese, V K Sreeraman, Saikumar, Jyothirmayi, Sudheesh, Kalaranjini, Jagannatha Varma, Sadiq, Narayanan Nair, K J Yesudas, Augustine, Jagathi Sreekumar, Mala Aravindan, Jagadesh, Kalabhavan Mani

【ネタバレなし、出だしのみの粗筋】
グルヴァイユール寺院から程近いところにある、大きなタラヴァッド。ここに女中として住みこんでいるバーラーマニ (Navya Nair) は大層な働き者だ。古くからいる3人の年嵩の女中達は何かと理由をつけては仕事をさぼってばかりいる。大奥様 (Kaviyoor Ponnamma) のお世話から炊事・洗濯まで、全てが彼女の肩に掛かっているので、グルヴァイユール寺院のそばに住んでいながらバーラーマニは忙しすぎてお参りすらしたことがない。同年代の友達がいないバーラーマニは、しかし快活で、自室のクリシュナ神像から家畜の牛たち、果ては植木にいたるまでを相手に、いつも何かしらを語りかけている。ある日、大奥様のもとに孫息子のマノ (Prithviraj) がやってくる。彼はこれからアメリカに働きに出かけるのだが、出発までの2週間を祖母と過ごそうというのだ。屋敷で唯一の女の子であるバーラーマニに目を留めるマノ。その先は言わずもがなである訳だが、一つだけ問題があった。それはもちろん、マノがマザコンであるということだった。

【若干のコメント】
本作でプリットヴィラージがデビュー。しかしクレジットこそトップにきているものの、ここでは明らかに脇役。主役は Ishtam [Eshtam] (Malayalam - 2001) Dir. Sibi Malayil でデビューしてからまだ間もないナヴィヤ・ナーイル。いや正直なとこね、ナヴィヤさんの過度にとろ〜んとした面立ちには若干苦手意識があったんだけど。でも、本作での15歳かそこら(1986年というのが発表されている生年)のナヴィヤさんには、きゅーんとなりましたね。熟女好みを公言しているこのワタクシが。

Nandhanam03.jpgNandhanam04.jpg

ともかく灰かぶり物語だから、ヒロインの境遇は悲惨。こういう設定にしたら普通は馬鹿馬鹿しくなって途中で見るの止めるかも、というくらいの。それを最後まで引っ張るのは、ナヴィヤさんの「泣き」の演技の異様なまでの巧さ。それに加えて、最近では南印でも田舎以外では廃れつつあるという Pavada と呼ばれるツーピース 、あるいは Dhavani と呼ばれるハーフサリーをまとって踊る姿。ロリに目覚めちゃいそう。

ナヴィヤさん以外では、人情味のある口入れ屋を演じるイノセント先生、それから当たり役の一つであるインチキ祈祷師のジャガティ先生のコメディアン二大巨頭が見ものです。

監督のランジットは脚本家としても名高い人物。本作も自らストーリー・脚本を担当している。これまでのホン屋としての作風は、どちらかというとマッチョマッチョなものが多かったように思えるが(例えばNarasimham (Malayalam - 2000) Dir. Shaji Kailas など)、一方で Summer in Bethlehem (Malayalam - 1997) Dir. Sibi Malayil やThirakkatha (malayalam - 2008) Dir. Ranjith みたいなファンシー系やオフビート系も手がけることがあるんだな。不思議な奴だ。

投稿者 Periplo : 08:00 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年11月03日

レビュー:Thoovanathumbikal

むぅ〜ん、何と言ったらいいか、大人の愛の物語なのだ。

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Thoovana03.jpgThoovana04.jpg

先日に引き続き文芸路線ものを紹介。本作に関してはこの時代の印度ではマラヤーラムでしか成立し得なかったと言えるかもしれない。

パドマラージャンがこの世を去ると、MTはしばらく脚本を書くことを止めてしまった。プリヤダルシャンはハリウッドを(ねたパクリ元として)発見し、サティヤン・アンティッカードはクリシェの巨匠となった。そして映画界はシャージ・カイラースやシャフィ、ラーフィ&メカーティンという類の連中のものとなった。彼らの作品は特定の見地からすれば楽しいものだが、マンネリで予測可能である。(マラヤーラム映画に特化したブログ、varnachitram の A Creativity Drought より、勝手訳)

ふーん、そうなのか。ケララの映画好きがいうところのマ映画黄金時代というのは、1991年のPパドマラージャンの死によって終止符が打たれたということなんだ。個人的にはね、プリヤン先生の Thenmavin Kombath (Malayalam - 1994) のあたりまでは黄金時代に入れたいところだけどね。

小説家であり映画脚本家でもあったPパドマラージャンのプロフィールに関しては割と情報があるほう(末尾参照)だと思うが、実作品となるとかなり厳しい。監督作ではここで紹介する ThoovanathumbikalKariyilakkattupole (Malayalam - 1986) の二つしか今のところ字幕つきディスクになっていない。VCDのディスコグラフィーはこんなとこだと思うが、おそらく現在では入手困難なものが多いのではないか。文学作品の英訳本は見つからない。本作は監督自身の小説 Udakappola を元にしている。

thoovanathumbikal.jpgThoovanathumbikal (Malayalam - 1987)
タイトルのゆれ : Thoovana Thumbikal
タイトルの意味 : Butterflies in the spraying rain

DVDの版元 : Sandhya Films
DVDの字幕 : 英語(歌詞含む)
DVDの障害 : 今のところなし

Director : P Padmarajan
Producer : P Stanley
Music Director : Perumbavoor G Raveendranath
Background Score Composer : Johnson
Cinematographer : Ajayan Vincent

Cast : Mohanlal, Parvathi, Sumalatha, Ashokan, Babu Namboothiri, Srinath, Sukumari, Jagathi Sreekumar, Shankaradi, M G Soman

【ネタバレ度35%の粗筋】
トリシュール近郊の農村。広大な農園の年若い当主ジャヤクリシュナン・メーノーン (Mohanlal) は小作人達と共に身を粉にして働いていた。亡くなった彼の父は Justice Thamburan と呼ばれた名士だったが、一連の農地改革などを経た現在、生活は楽ではない。巨大な屋敷 Mannarthodi と大家族を維持する責任が、未婚のジャヤクリシュナンの肩に掛かっている。反抗的な小作人と言い争い、作物の値づけで仲買人とタフな交渉をする日常には地主階級の優雅さはない。その彼は、時折所用でトリシュールに出かけると、別人のように変貌する。粗野で高圧的な態度に変わりはないものの、街の不良達とつるんで派手に遊ぶ姿は、日頃のジャヤクリシュナンからは想像もできないものだった。

学生時代の4年以上をトリシュールで過ごした彼は、その間に亡父の財産のほとんどを蕩尽するほどに遊びまくったのだ。そのお陰で今でも街の悪所では顔が利く。しかし家族や村の人々は若い当主のそんな一面を全く知らない。

ある日、遠い親戚に当たる若い娘ラーダー (Parvathi) が彼の家を訪問する。気の強い彼女を一目で気に入ったジャヤクリシュナンは、彼女の通うカレッジに押しかけていき、クラスメート達の面前でいきなり結婚を申し込む。その不作法さに憤慨したラーダーは、その場でにべもなく断る。自分の意のままにならない相手にはじめて出会い呆然とするジャヤクリシュナン。

そんな彼のもとに、学生時代からの知り合いである女衒のタンガル (Babu Namboothiri) から頼みごとがもたらされる。タンガルはあるクリスチャンの娘を売春の道に引き込もうとしているのだが、家族を納得させて彼女を家から送り出させるためには、女子修道院への入門と偽らなければならない。女子修道院長から娘に宛てた入門許可の手紙を文盲である自分に代わって書いて欲しいというのだ。風変わりな依頼を引き受けたジャヤクリシュナンは、雷雨の夜、自室で女子修道院長の手紙を捏造する。クララという差出し相手の名前を口にした彼はなぜか陶然とする。

しばらくして、タンガルが再び頼みごとを抱えてジャヤクリシュナンを訪ねる。件の娘がいよいよ彼のもとにやってくるのだが、そのあまりの「上玉」ぶりに不安が抑えられないというのだ。タンガルはジャヤクリシュナンに最初の客となってクララを「検分」し、その真意を探って欲しいと頼む。放蕩の限りを尽くした遊び人であるにもかかわらずジャヤクリシュナンは異性に対しては奥手だった。しかしラーダーに手酷く拒絶されて自棄気味だったためにその頼みを聞き容れ、羽振りのいい土建会社社長と身分を偽ってクララ (Sumalatha) と一夜を過ごす。

結局、真意を探るどころか、すっかりクララの虜になってしまったジャヤクリシュナンは、宗教の違いすら一顧だにせず、彼女を身請けして結婚しようと急き込んでタンガルを説得する。しかし二人が話をしていた短い間に、クララはホテルを出て失踪してしまう。一方ラーダーは周囲の人々からジャヤクリシュナンについて話を聞き、態度を軟化させていた。一族は適齢期の二人を結婚させようと動き出す。

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【寸評】
これは難しい作品だ。映画的な慣用句、つまり分かりやすいエモーションとリアクションの連鎖が見えてこなくてストーリーがシュールに感じられる。それから、多くの印度映画で無条件の前提とされているモラルからの逸脱も目立つ。筆者が最初に見たのはテルグ・バイオレンス映画漬けの最中だったんで、あまりの落差に目を廻して知恵熱でぶっ倒れそうになった。本作に対しては、全く評価しないか、とてつもなく入れ揚げるか、どちらかに分かれるのではないかと思う。

ネット上でのレビューはあまり多くないが、ほとんどが熱烈な支持を表明しているもの。ユーミンのバラード聴いたOLがこれってアタシのこと歌ってるぅと大騒ぎするのよろしく、ケララ人評者の多くが主人公ジャヤクリシュナンの二重生活に共感を寄せている。たぶん全員♂だね。しかし田舎の勤勉な農民がたまに都会(って言ったってトリシュールだけど)に出てきて羽目を外すというのはそんなに意外な二面性なのだろうか。むしろ倣岸不遜で声の大きい男が、クララとラーダーという2人の女性の間で揺れて戸惑い・懊悩する、という部分での対照性が突出して見える。キャラクター造形の失敗かと思えるほどに。これが極東オーディエンスの前に立ちはだかる第一の断絶。が、ともかくケララの衆にとってはこの主人公が恐ろしくリアリティを持った存在として映るらしい。

ツイン・ヒロインの一人クララは、家族のしがらみから「自由になるために」、娼婦となることを選ぶという、これまた空前のキャラクター。しかも、家族のしがらみと娼婦という職業からの解放を一度にもたらしてくれるはずの主人公の求愛さえ拒絶して逃げ出してしまうのだ。常にアンニュイで、自分をさらけ出すことをしない、神秘的で謎に包まれた存在。これも共感を呼ぶというよりは断絶的な登場人物。

さらにもう一人のヒロインである勝気なラーダー、最初のほうの登場シーンでは完膚なきまでに主人公の鼻っ柱をへし折るのに、途中からよくわからないプロセスを経て「事実上許婚」となってしまうんだな。これがまたすんなり納得できない。

登場人物の心理が常識的な力学から外れて予測のつかない軌道をとる、それをもってして文芸的というのなら文芸映画などつまらないものだと思う。しかし本作の魅力は、登場人物の自分でも制御することのできない心の揺らぎ、そして「あるべき姿」からは隔たった現実の曖昧さ、といったものを詩的なアングルから切り取ったところにあるように思う。批判的な評者の目には思わせぶりと映るかもしれないが。実際のところ、経年劣化なのか元々なのか画質は良くないし、時代を感じさせる(特に女優陣の)衣装とメイクはパッとしないし、主人公のモーハンラールは常ながら小太りの童顔で別に二枚目じゃないし、ビジュアル上プラスに働く要素はさほど多くはない。にも拘わらずなんともいえずロマンチックなシーンが多いんだ。主人公が女子修道院長の贋手紙を書く雷雨の夜の予兆に満ちた高揚(普通の映画ならBGMなどで邪さが演出されるところだろうがここでは全然違う)、娼婦となったクララと主人公が再会して真夜中のトリシュールの街を軽口をたたきながらそぞろ歩きする(印度でホントにこんなことが可能なのか!)シーンの浮遊感、ラストのオーッタパラム駅の雨上がりを感じさせる清々しさ。マラヤーラム映画でロマンチックなどというのは形容矛盾としか思えなかったのが、この映画を見て少し認識が変わったのだった。

俳優は皆素晴らしい。本作をモーハンラールの最高傑作に数える意見も見受けられる。娼婦クララを演じたスマラターもこれが代表作の一つであると見なされているようだ。実際、一つ間違えたらただのポンチ絵になってしまうこの難しい役がスマラターによってさらりと演じられたからこそ、芸術的な香気が保たれたのだと思う。堅気の娘ラーダーを演じるパールヴァティは、デビューしたてで後年の円熟した気品と美貌はまだないのだが、こぼれおちそうな巨大な瞳とおちょぼ口のインパクトが大きい。無学な女衒役のバーブ・ナンブーディリもまた大変に印象的だ。あくまでも脇役でストーリーに関与する場面は限られているというのに、もう無駄なくらい深みがある。何か哲学的な意味を担ったキャラクターなのかと訝しく思えて気が散って迷惑なのだった(笑)。

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【参考レビュー】
http://movies.bizhat.com/review_thoovanathumbikal.php
http://parallelcinema.blogspot.com/2006/10/thoovana-thumbigal-dragonflies-of.html
http://occupiedspace.blogspot.com/2006/05/repertoire-of-padmarajan.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Thoovanathumbikal
http://www.mouthshut.com/review/Thoovanathumbikal-110089-1.html
http://ddjunction.blogspot.com/2008/07/thoovanathumbikal-1987-padmarajan-movie.html

【パドマラージャンについて】
http://padmarajan.8k.com/
http://www.cinemaofmalayalam.net/padmarajan.html
http://indulekha.com/moviegallery/2006/02/padmarajan.html
http://rajamohan.blogspot.com/2005/09/padmarajan-loss-in-january.html

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投稿者 Periplo : 18:02 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年10月31日

レビュー:Mazha(追記)

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そこで先日のレビューの続きである。主演のサミュークタ・ヴァルマー以外にこの映画のキャストでもう一人目を惹いたのが、無垢なバラモンの少女ニャーナムだった。様々な不幸に見舞われながらも自分で道を切り開いていくヒロインのバドラーとは対照的な存在として描かれている。何も考えることなくひたすらに幼馴染の後を追いかける一途さ、小さな世界の中での平穏が失われたためにポキリと折れてしまう哀れさ。そして、許婚に恋人がいたことを知った時、その相手を憎むのではなく、二人の間に割って入った自分自身を責めてしまう無私の純粋さ。このキャラクターがあればこそ、ラストシーンでの運命の無情が観客の胸に突き刺さるのである。そしてこの役を演じる少女が、どこから探してきたんだというくらいの、天性を感じさせるはまり役。

マ映画の脇役には結構詳しいつもりだったけど、この長身で丸顔の女優には2000年公開の本作で初めて遭遇した。そしてこの映画についてのもともとそう多くもないレビューには、ニャーナム役についての言及が(役者の名前すら)見当たらないのだ。これは何か深いわけがあって、というよりはレビューワーにも情報がなかっただけなんじゃないかと思われる。本作DVDは(VCDも)エンディングロールが完全にカットされた状態で終わってしまうので、画面からは知りようがない。ともかく忘れがたい演技、この女優さんについて知りたいと思っていたところ、なんと同年公開の Swayamvarapanthal (Malayalam - 2000) Dir. Harikumar にも出演していたことが分かった。これもサミューちゃん主演映画、ただしこっちではニャーナムちゃんは大したことのない端役、レビューから名前を知るのはますます難しそう。

ところが諦め悪く検索を続けていた最中に微かな手掛かりが見つかったのである。

Sindhu who played as Gnanam, wife of Ramanujam was competent and convincing 100% as a Tamil Brahmin girl. (チェンナイ在住のタミル人らしい Maheshwaran. I さんによるレビュー Mazha - Classical Rain より)

たったこれだけ。なんでこの人が知ってるのか、そしてどこまで信用していいのかもわからない。でもひとまずニャーナム役の女優さんはシンドゥという名前なのだと仮定しよう。

現在サウス映画界で活躍してる女優でシンドゥを名乗っているのは筆者が知る限りで2人だけ。生まれも育ちもバンガロールのケララ人シンドゥ・メーノーンと、先日紹介の出身地不明シンドゥ・トラーニだ。前者(ギャラリー)は一目で分かる別人、後者だってケバ系一筋の問題外。

と、思ったが、待てよ。

シンドゥ・トラーニのこの画像(左)、微かにニャーナムちゃん(右)の面影がないか?
sindhu5.jpgmazhaSindhu03.jpg

慌ててDVDからキャプチャした画像をギャラリーにあげて鑑識にまわしたのだ。で、鑑識課のラル博士の所見はというと、「鼻および耳の形状から判断して同一人物の可能性が高い」ということだった(その後追加で Swayamvarapanthalギャラリーも作成)。

うーん、ネット上では Aithe (Telugu - 2003) Dir. Eleti Chandra Sekhar がデビュー作とされているシンドゥ・トラーニが、実は2000年のマラヤーラム映画2本に出演して渋い演技をしていた?そして例によってというかなんというかオフィシャル・ファンサイトでもそれが全く無かったことにされている。なんでだ?2~3年のブランク(若い娘さんにとっちゃ結構長い時間だ)には何があったのだ?この謎の探求には男のロマンてやつが感じられませんかい? え、そんなもんありゃしない? あ、そう。

とりあえず、長身・なで肩・ぽっちゃり頬っぺ・どんぐり眼のシンドゥちゃんがその後公開のマラヤーラム映画に出てるのを見つけでもしない限り、筆者はニャーナム=シンドゥ・トラーニ説をとって、これからもヲチを続けていくつもりだす。たれ込み大歓迎。

■追記の追記
先日の紹介ではチョイ役が定位置なんてことを書いたシンドゥ(・トラーニ)ちゃん、今年になって主演した低予算映画 Bathukamma (Telugu - 2008) Dir. T Prabhakar が予想外にヒットして連続上映100日超となったという。テーランガナ地方の伝統的な花祭りをモチーフにした映画、久しぶりにカントリー・ガールを演じるシンドゥちゃんだ。しかし、ナチュラルメイクだってのに、Mazha のシンドゥちゃんとあんまし似てないのが気になる。やっぱりちょっと自信がなくなってきたなあ。

Bathukamma01.jpgBathukamma02.jpgBathukamma03.jpg

DVDも発売中。ギャラリーはこちら

■追記の追記の追記 2009.03.21:結局この二人は別人であることが判明。こちら参照。

投稿者 Periplo : 00:30 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年10月29日

レビュー:Mazha

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マラヤーラム映画でしかありえない、とまでは言わないが、とてもマラヤーラムらしい文芸系の佳作を紹介したい。

何をもって文芸系かというと、文学作品が元になっているという以上に、分かりやすいモラルを前面に押し出しそれに向けてストーリーの全てを収斂させていくという作り方をしていない点が大きい。そして、ところどころにリアリティから遊離した詩的な飛躍がある。かといって晦渋さと象徴性を売り物にした芸術のための芸術でもない。話の流れはメロドラマチックだし、ソングシーンはマ映画に珍しく7つもある。良い意味でのパラレル映画といえるだろうか。登場人物が全員不幸になる類のストーリーだが、メソメソぐずぐずの落涙シーンは少ない。いわば鮮やかな悲劇、カタルシスが感じられます。

cvMazha.jpgMazha (Malayalam- 2000)
タイトルの意味:

DVD版元: Nagan Pictures
DVDの字幕: 英語(歌詞含む)
DVDの障害: 現在のところ特になし
主な販売サイト: Any Tamil

Director: Lenin Rajendran
Music Director: Raveendran
Background Score Composer: Baiju P
Playback Singers: K J Yesudas, K S Chithra, Asha G Menon, Neyyattinkara Vasudevan, Arundhathi
Story Writer: Madhavikutty※1
Producer: G Harikumar
Cinematographer: S Kumar

Cast: Samyuktha Varma, Biju Menon, Lal, Sindhu※2, Charu Haasan, Urmila Unni, Jagathi Sreekumar, Thilakan

【前半部の粗筋 - 完全ネタバレ仕様】
タミル・ナードゥ州南部、ケララとの州境に近いシヴァプラム村※3。ケララ人の医師マーダヴァン・ナーイル (Charu Haasan) は妻 (Urmila Unni) と一人娘のバドラー(スバドラー、Samyuktha Varma)を伴ってバンガロールから帰郷した。ナーイル医師は親の意志に反した恋愛結婚をしたため、長らく故郷に戻れなかったが、これからは先祖伝来の屋敷に落ち着き、村の診療所で住人達を診ながら静かに暮らすつもりでいる。都会での生活に未練がある高校生のバドラーは、村に馴染めず不平たらたらだ。この地では習慣の違いから菜食中心の食事になることにも10代の彼女は我慢ができない。

ある日彼女は村の寺院で同年代のバラモンの少女ニャーナム(ニャーナンバル、Sindhu) と出会う。そしてさらに構内で僧侶ラーマヌージャ・シャーストリ (Biju Menon)に遭遇し、彼の歌うニーランバリ※4とその美声に魅了される。一方、マーダヴァン・ナーイルはラーマヌージャの伯父で育ての親でもあるヴァイクンダ・シャーストリ (Jagathi Sreekumar) を近所のよしみから家に招き、プライベートの場でその歌を披露して貰う。 [Song 1:Parukkulle/Raga:Jonpuri] 見事な歌唱に賞賛を惜しまないナーイルに対してヴァイクンダは、自分と家族が不遇であること、歌の才能が世間的成功をもたらしはしなかったことなどを訴える。その彼はアルコール漬けの生活不能者である。ナーイル医師は娘の希望に応えて、彼女がヴァイクンダから声楽のレッスンを受けられるように取りはからう。ところが昼間から酒に溺れるヴァイクンダは役に立たず、若いラーマヌージャが先生役を引き受けることになった。

バドラーはニャーナムと友達付き合いを始め、彼女を通してラーマヌージャの生い立ちについて詳しく知ることになる。 [Song 2:Geyam Harinamadheyam/Raga:Charukesi] 彼の母はケララのトリヴァンドラムで結婚し、彼自身もそこで学生時代を過ごしたので、一族の中ではマラヤーリーと見なされている※5。父が早逝したために、伯父のヴァイクンダの元で養育されることになった。声楽の訓練もまた伯父によって施されたものだ。伝統に従って母方伯父の娘であるニャーナムを妻として娶ることになるだろうとも。

ラーマヌージャの教室に通い、音楽だけでなく文学についても彼と多くを語り合うようになったバドラーに変化が訪れる。菜食を専らとするようになり、サリーをまとい、村の小川で近所の少女達と一緒に沐浴をするようになったのだ。また彼女は詩作にも多くの時間を費やすようになる。そんな詩の中の一つを父は出版社に送り、彼女の知らぬ間にそれは雑誌に掲載されることになった。ある朝、彼女がラーマヌージャの元を訪れると、彼はそのにメロディーをつけて教室の子供達を前に歌って聞かせていた。  [Song 3:Ithra mel manamulla/Raga:Mohanam]  感激したバドラーはさらに詩作に励むようになり、ラーマヌージャを追い回しては新作の詩にメロディーをつけてくれるよう、そして最初の出会いに彼が口にしたニーランバリのラーガを再び歌ってくれるようせがむのだった。 [Song 4:Aaradyam/Raga:Mohanam]

現代っ子でありながら同時に夢見がちな文学少女のバドラーと、シニカルで寡黙な世捨て人ラーマヌージャは、お互いに惹かれ合っていることに気づいていた。ただし、あくまでも積極的なバドラーに対して、ラーマヌージャは自分の背負った義務を忘れることはなかった。ある日、バドラーは歌によって雨を降らせることができるかとラーマヌージャを挑発し、彼はアムリタヴァルシニのラーガで歌う。 [Song 5:Ashadam/Raga:Amrithavarshini]

やがてバドラーの恋は両親の知るところとなり、医師夫妻は娘を詰問する。将来のない貧乏祭司との恋愛は絶対に許すことができない父親は、ヴァイクンダに金銭的な援助をしてラーマヌージャとニャーナムの結婚式を執り行わせる。その上でナーイル一家はケララの沿海地方に引っ越をすることになり、バドラーの初恋はあっけなく幕引きとなる。

【後半部の粗筋 - 完全ネタバレ仕様】
数年後。コーチンの病院に医師として勤務するバドラー。見合い結婚した夫のチャンドラン(チャンドラシェーカル・メーノーン、Lal)はIT企業の経営者で何不自由のない身分だが、彼女は専業主婦になるつもりはない。しばらく前に父は他界しており、チャンドランと折り合いのよくない母はトラヴァンコール地方の老人ホーム※6に入居している。ことあるごとに小さな波風の立つ結婚生活の中で、それでも良き妻たらんと努めている彼女は、ある日一人で母親の元を訪れる。娘の結婚に乗り気でなかった母は、晩年の父がバドラーとラーマヌージャとの仲を引き裂いたことを後悔し、良心の呵責に苛まれていたことを語る。バドラーは初恋に破れて以来止めていた詩作を母親に促されて再開する。 [Song 6:Manjinte] 傍目には円満に見える家庭生活の中で妻との距離が縮められないことに苛立つチャンドランは、バドラーが詩を書き溜めている日記帳を盗み見し、行間に妻の過去の恋愛を嗅ぎ取る。それを知り激怒するバドラーに対して、チャンドランは昔の恋愛沙汰を知ることも夫の権利だと言い張る。二人の間の溝は深まり、チャンドランは元々多かった飲酒量がさらに増える。インターン時代の恩師 (Thilakan) はバドラーの悩みを聞き助言する。

過度の飲酒が原因で体調を崩したチャンドランの療養も兼ねて、夫婦はアシュタムディ湖のリゾート※7に休暇に出かける。 [Song 7:Varmukile/Raga:Jog] しかしそこでも猜疑心に苛まれるチャンドランと、過去の思い出を守ろうとするバドラーとの間の諍いは絶えず、激昂した夫は彼女に暴力を振るうにいたる。

恩師は彼女に子供を持つことを勧める。その恩師自身、かつて夫婦間の行き違いから妻を自殺に追い込んだという苦い過去を持っていた。芸術家となった一人娘は勝手気ままに生きていたが、精神のバランスを崩して不安定な状態にある。

チャンドランの病的な嫉妬は収まらず、ついには恩師との仲まで疑い始める。もはや関係の修復も不可能とバドラーが感じた時、チャンドランは大量に吐血し床に伏せる。病床に寄り添い献身的に看護するバドラーに夫は許しを請い、一緒に彼女の思い出のシヴァプラムを訪れようと言う。二人が和解したのも束の間、チャンドランはそのまま不帰の人となる。

40日後、一人シヴァプラムに帰還するバドラー。ラーマヌージャの家を訪れたバドラーが目にしたのは、荒廃した屋内でぼんやりと佇むニャーナムの姿だった。突然現れたバドラーを見て驚くこともなく、ニャーナムは語る。ラーマヌージャとの間に生まれた娘は乳児のうちに死んでしまった。そして夫も喉頭癌でこの世を去ったと。そしてラーマヌージャとバドラーの仲を知らず二人の間に割って入った自分を許して欲しいとも。

呆然として寺にさまよい込んだバドラーはそこで目を疑う。死んだと聞いたラーマヌージャの姿がそこにあったのだ。ニャーナムは嫉妬のあまり二人を逢わせまいと嘘をついたのか。寄り添うバドラーにラーマヌージャは彼の家に起きた悲劇を語る。婚礼の夜、妻に誠実たらんとした彼は、バドラーとの間に存在した恋愛感情をありのままに告白した。自分が二人の仲を裂いたことなど考えてもいなかったニャーナムは激しいショックを受け、心を閉ざしてしまう。やがて彼女は深刻に精神を病み始める。後に生まれた娘が2歳の時に頭部に外傷を負って死んだのも、発作を起こしたニャーナムの暴力が原因ではないかと疑われている。

バドラーは訴える。ここにやって来たのは、何ものかを所有したいと思ってのことではない、もう一度だけ懐かしいニーランバリの調べを聴かせては貰えないだろうか。彼女の望みに応えて歌い出したラーマヌージャの歌声は、しかし突然途絶える。彼が走り書きしてバドラーに渡した紙片には、彼が喉頭癌を患って治療中であることが記されていた。

【注釈と疑問点】
※1 本作はマーダヴィクッティの短編小説、Nashtappetta Neelambari(消えたニーランバリ)を元にしている。マーダヴィクッティはマラヤーラム語で執筆する際のペンネーム、カマラー・ダース名義で英語で執筆された自伝 My Story は『解放の女神—女流詩人カマラーの告白』として日本語訳が出版された。イスラームに改宗したため、Kamala Suraiya を名乗ることある。バイオグラフィーはこちらなどを参照。
※2これに関しては後日別にポストを設ける予定。
※3本作前半の舞台。かつて別の所で、本作の舞台をケララ州パーラッカードと書いたが、再度の検証を経てこれは恐らく誤りだったという結論に到った。まず、作中に登場するシヴァプラムの道標がタミル語のみで書かれていること。たとえバイリンガル地域であっても、ケララ州内ではこれはあり得ない。そしてラスト近く、里帰りしたヒロインが列車から降りるシーンで Azhwarkurich の駅名が見られること。アルワルクリチはタミル・ナードゥ州ティルネルヴェーリ郡の小村。ケララ州との州境に近い西ガーツ山脈の麓に位置する。駅は Tirunelveli - Tenkasi 間の路線上にある。また、劇中でのバドラーとニャーナムのやりとりに以下のような興味深いフレーズが見られる。

G:アルワモリ(Aruvamozhi)の向こう側の人間を信用しちゃ駄目。
B:アルワモリって?
G:ここから少し北にあるの。
B:私たちのところではアルワ川(Aluvapuzha)の向こう側の人間を信用するなというのよ。
G:アルワ川って?
B:私の母はアルワ川のもう片方の側の出身なのよ。

とはいえ、ロケ地自体はパーラッカードに非常に良く似たものに見える。この舞台の特定は今後の課題として残る。

[11.06付記]別の場所で祭司の一家をアイヤルとしたのもおそらく誤り。ラーマヌージャ、ヴァイクンタ(ヴィシュヌ神の棲家)というのは明らかにヴィシュヌ派(アイエンガル)の名前。
※4ラーガの名前。明るく穏和で、睡眠に誘う効果があると言われている。語としての意味は「青衣」「青空」「青い蓮」など。実のところ、作中フルコーラスで歌われる楽曲にニーランバリ・ラーガを用いたものはひとつもない。冒頭とラストでラーマヌージャが口ずさむ数フレーズだけなのだ。サントラCDを聴くと、これが長大で華やかな[Himashaila/Raga=Raagamalika:Neelambari, Karahara Priya, Kalyana Vasantham]のほんの出だし部分であることが分かる。随分と贅沢な使い方をしているのである。現状でサントラCDはネットショップ上に見当たらないので、試聴はこちらなどで。
※5本作前半部では、バドラーの家族内の会話、およびバドラーに話しかけるラーマヌージャとニャーナムの台詞以外は全てタミル語。このバイリンガル性もまたマラヤーラム映画州境ものの際立った特徴のひとつ。
※6コーヴァラム・ビーチにある老舗のリゾート Somatheeram Ayurvedic Health Resort がロケ地となっている。このホテルは他のマラヤーラム映画でも時々舞台として使われていることがある。
※7こちらはコッラム郡にあるアシュタムディ湖の高級リゾート Ashtamudi Resort が舞台。

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【寸評】
-歌の力で雨を降らせることができる? -できるさ、君の心の中になら。
(Song 5:Ashadam/Raga:Amrithavarshini の導入部分)

この台詞だけ切り取ると、イイ歳した大人が見るに堪える映画とはとても思えないのだが、主演のサミュークタ・ヴァルマーのたぐい稀な清新さと瑞々しさが、こんな少女の夢のシーンを描き切って少しも嫌味がない。その一方で後半の、様々な苦い現実に直面した既婚女性としての部分では、別人かと思えるほどの落ち着きと色香が立ち上り、圧倒される。1999年にデビューして2002年に結婚引退(本作で共演のビジュ・メーノーンと)するまでの短い期間、サミュークタはまさに大輪の花として咲き誇っていたのだが、いわゆるメジャー系作品は少なく、字幕つきディスクで見られるのは現在のところ本作と Thenkasipattanam (Tamil - 2002) Dir. Rafi ぐらいなのが残念。Udayananu Tharam (Malayalam - 2005) Dir. Rosshan Andrrews の中で、「いい具合にキャリアを伸ばしてる女優がいると、必ずどこかのウマの骨がその娘をさらっていきよる」という台詞が出てくるのは、このサミューちゃんとマンジュ・ウォリア(活動期間1996~1999年、ディリープと結婚して引退)のことを言ってる訳だ。サミューちゃんをサポートするウマの骨、じゃなかったビジュ・メーノーン、ジャガティ・シュリークマールも、通常の決まりきった役どころとは違うキャラクターを見事に演じていたと思う。

女性が主人公、ハッピー・エンディングにならない、などの点で一般的な娯楽映画とは一線を画する。しかし音楽シーンの充実では、逆に通常のマラヤーラム娯楽映画の水準を遥かに超えており、インド人が言うところの「ミュージカル映画」のカテゴリーに入れるべきものと考えられる。 2005年に死去した作曲家ラヴィーンドランは、1970年代末から活動していたマラヤーラム映画音楽界の巨匠。その作風をここで一言で述べるにはあまりに巨大な存在だが、古典に傾斜した本作サントラも高く評価されてしかるべきものだと思う。バックグラウンド・スコアを担当したバイジュPについてはプロフィール不明だが本作で州映画賞を受賞している。時にラヴィーンドランの楽曲に被さって使われることもあるBGMが素晴らしい。詩的なシーンを詩的たらしめたのにはカメラのSクマールの力も大きい。27年ものキャリアをもつこのベテランはケララ時代のプリヤン組の常連でもあった。Kilukkam (Malayalam - 1988) Dir. Priyadarshan でラルさんをウーティ登山電車の上で踊らせた(といったら言い過ぎか)のもこのクマールさん。ややこしい話だが、デリーベースのこの人は同名の別人。

【参考資料】
レビュー(最後のひとつを除きいずれも一般観客によるもの)
http://www.mouthshut.com/review/Mazha-26736-1.html
http://www.maheshwaran.com/index.php/Movies/Malayalam/Mazha-Classical-Rain.htm
http://aprilslady.blogspot.com/2006/10/mazha.html
http://movies.indiainfo.com/malayalam/reviews/mazha.html
監督のレーニン・ラージェンドランのインタビュー(以下の二つはほぼ同内容)
http://www.screenindia.com/old/20010112/recover.htm
http://movies.indiainfo.com/malayalam/interviews/lenin.html
マラヤーラム映画界の「アメフラシ」に関する興味深い記事
http://www.hinduonnet.com/thehindu/fr/2008/06/20/stories/2008062050310200.htm

投稿者 Periplo : 00:23 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年10月14日

ディスク情報0810-2

Mohanlal Discography の中の Vietnam Colony について、版元の違うディスクの情報に差し替え。

1993VietnamColony.jpgcvVietnamColony.jpg

Vietnam Colony (Malayalam - 1993) Dir. Siddique & Lal
Cast : Mohanlal, Innocent, Kanaka, Devan, Jagannatha Varma, KPAC Lalitha, Nedumudi Venu, Pappu, Vijayraghavan, Beeman Raghu, Philomina, Kaviyoor Ponnamma, TP Madhavan, Kunchan, Shankaradi, Santhakumari, Priyanka

こないだはカンナダ映画の情報やディスク流通に関しての環境の変化についてちょいと書いたけど、マ映画に関してもやっぱり変わってきてるんだよね。

ほんの2・3年前までのマ映画DVDは、ネットショップと現地ショップとで流通してるものが共通、数は多めに見積もってせいぜい150本ぐらいだった(ここなんかで全容が捕捉できた)。毎月4・5本づつ、新作がリリースされるスピードよりも若干速めに潰していけば、別に田舎の山を売らなくともDVD全点制覇できるんじゃないか、そんな幻想を抱かせるものがあったのだ、マラヤーラムとカンナダに関しては。それが今じゃ状況激変。ネットショップと現地ショップの品揃えが食い違いはじめてる、リリース点数が雪崩的に増えた。まあ、嬉しい悲鳴ではあるのだが、廃盤化も早まってるようで油断ならない状況でもある。何が言いたいのかというと、ライフワーク宣言までしたラルさんDVD完全ディスコグラフィーも挫折しかかってる、という泣き言なのだった。

ダラダラ前置きはさておいて、今回のDVDリリースは Moser Bear から(右のジャケ、ただしこれはVCDのもの)。以前の Sangam 版(字幕無し、左のジャケ)の焼き直しだろうと決めてかかっていたのだが、さにあらず。メニューに選択肢こそないものの、歌詞以外にはちゃんと字幕が出るのだった。

字幕無しで見ていた時分から、どたばたコメディーが楽しくて結構評価の高い作品だったのだが、今回字幕付きで改めて見直してみて、疑いなく名作、という確信に到った。

【導入部の粗筋】
パーラッカードに住むタミル・ブラーミンの若者クリシュナムールティ (Mohanlal) は大学を出たものの就職口がなく、母と共に親戚の家に間借りして肩身の狭い暮らしをしていた。ある日、彼の元にコーチンの建設会社からの採用通知が届く。彼に与えられた肩書きはコーチン郊外の大規模再開発事業のサイト・オフィサー。その内実は、会社の取得した事業用地の中に孤島のように残る「ヴェトナム・コロニー」と呼ばれる低所得者集住地域の住人を立ち退かせる交渉役だった。ジョセフ (Innocent) という名の助手を与えられたクリシュナムールティは、作家と身分を偽ってヴェトナム・コロニーに移り住み、平和的に住人を立ち退かせるために策を練る。


そうなんだ、ぼんやり字幕無しで見ていたときは気づかなかったんだけど、これは「タミル・ブラーミン@ケララのアイデンティティ格闘もの」でもあったんだな。作中、主人公は周囲の人々から一貫して「スワミ」と呼ばれている、お坊さんでもないのに。そして彼が周りに対してやや自嘲的に自らを語る場面では、ケララ・アイヤルを意味する「pattar」という語が使われている。一般的にはマラヤーラム世界の中でタミル人を指す言葉としては「pandi」というのがあって、これにはかなり差別的なニュアンスがあるらしいのだが、さらに限定されたタミル系を指すパッタルも状況によっては同様の含みを持つらしい(こちら参照)。それから枕詞として「オクラとドラムスティックとサンバルばっか食べてる奴」っていう台詞が何度も出てきた。

婆羅門ものとはいえやはり娯楽映画だから、人権学習の教材みたいな極端さはない。主人公はクリスチャンの助手とともに起居するし、ムスリムの葬儀では棺を担いだりもする。一方でその助手が同じ部屋でチキンカレーを食そうとする時には激しい拒絶反応を示し、またムスリムの葬儀に参加しているのを見た彼の親族は縁を切ろうとしたりするのだ。まあそのあたり、あくまでも目的は笑いとストーリー進行にあるので、リアリティからは一定の距離を置いているものと思われるが、婆羅門コメディの定型パターンみたいなものが窺い知れて面白い。

他コミュニティに対する寛容というメッセージを滲ませながらも、建前ばかりに傾くことなく適当にエキゾチズムをちりばめた、あくまでも下世話などたばたコメディー。シッディク&ラール監督の真骨頂といっていいマジカル・ストーリーと演出が楽しめる本作DVD、ハッキリ申し上げて「買い」です。

投稿者 Periplo : 00:24 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年10月13日

レビュー:Big B

凄いものを見てしまった、まさかのマ映画で。いんや、ともかく格好エエ。これについちゃクドクド粗筋を書いたりする必要は感じない。ポスターのイメージ通りの内容ですた。

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BigBposter2.jpgBigBposter3.jpg

Big B (Malayalam - 2007)

DVD版元:Moser Baer
DVDの字幕:英語(歌詞含む)
DVDの障害:現在のところ特になし
主な販売サイト:MaEBag.com

Director:Amal Neerad
Music Director:Alphons Joseph
Cinematographer:Samir Thahir
Producer:Shahul Hameed Marikar, Anto Joseph

Cast:Mammootty, Manoj K Jayan, Nafisa Ali, Bala, Sumit Naval, Mamta Mohandas, Vijaya Raghavan, Manianpillai Raju, Pasupathy, Lena, Mansa, V K Sreeraman, Vinayakan, Jaffer Idukki, Sherveer Vakil, Ramesh Varma, Innocent, Sreejith Ravi

芸能生活30周年に近づこうとしているマンムーティの出演作の中で、ここまでスタイリッシュなアクションは無かったんじゃないか。50を超したマ様をスタイリッシュに撮るのに必要なのはアルマーニのスーツじゃない、ってことを本作でデビューのニーラド監督は充分に分かってた訳なんだわ。

ストーリーは平凡なスリラー。アクションシーンでもロープワークなどはほとんど使われていない。空中三回転回し蹴りとかはしないのだ。基本的にマ様はのっしのっしと歩いてるか、どーんと立ってるかだけの省エネ仕様。RGVスクールの撮影監督だったニーラドさんは、カメラに多くを語らせるんだな。テクニックに淫して中身がない、という批判は当然起こってくるだろうが、バックウォーターのカタカリ群舞だけがマ映画じゃないぜ、というマニフェストとしては充分にインパクトのあるものだったと思う。第2作以降にも注目したい。

資料
Rediff 特集 Now, call Mammootty the Big B
Rediff 特集 Neerad directs Mammootty in Big B

■オマケ

カメラ以外で感心したのは、脇役の絶妙なキャスティング&役作り。一例として「子犬を連れた小父さん」Jaffer Idukki のシーン。場末の酒場で繰り広げられる大運動会を、美味そうな子犬を両手に抱えたこの小父さんがうひゃあとかいいながら観戦するのだ。犬を連れてる訳は一応セリフで示されるのだが、あって無いようなもの。酒瓶割れまくりの大乱闘の中での能天気な親爺と怯えるパピー、一種独特なビジュアル上のユーモアなのだ。

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ジェッフェル・イドゥッキについては情報が少ない(たったのこれだけ)のだが、Sooraj Venjaramoodu に次いでメキメキ頭角を現しつつあるコメディアンらしい。確かに忘れられない顔。この先情報が集まったらまたフォローしていきたい。

あと、ロケ地マニア的にも堪らないものがあったな。狭いコーチンを舞台にしてるから、知ってる場所が出てくるのは当たり前なんだけど、このホテルが遠くに見える岸辺でカツアゲやってるシーンなんて涙出そうだったわい(泣)。

投稿者 Periplo : 04:59 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年10月08日

レビュー:Malaya Marutha

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変則的な芸道ものであり、風変わりなバクティ映画でもあり、地上の愛と天上の愛が交錯する独特な三角関係ロマンスでもある。時に「教養小説」的な要素もあり、ぬけぬけと都合のいい超常現象の出てくるお伽噺であり、さらに素朴な観光映画でもある。そしてコンサートに行った気になれるミュージカル。ブキッシュなところもあるけれど、おっとりとして品がある。

そんな不思議な古い作品を見て大層気に入ったので粗筋とよく分からない点などを記録しておきたい。


cvMalayamarutha.jpgMalaya Marutha (Kannada - 1986)
タイトルのゆれ:Malayamarutha, Malaya Maarutha
タイトルの意味:山から吹く爽やかな風、カルナーティック音楽のラーガの名前

DVD版元:Sri Sri
DVDの字幕:英語(歌詞含む)
DVDの障害:現在のところ特になし
主な販売サイト:Kannada Store

Director:K S L Swamy a.k.a. Lalitha Ravi※1
Music Director:Vijayabhaskar
Playback Singers:K J Yesudas, S P Balasubramaniam, S Janaki, Vani Jayaram, Ravi
Story Writer:Lalitha Ravi
Producer:C V L Sastry

Cast:Vishnuvardhan, Saritha, Madhavi, N Shivaram, Dinesh, Umesh Kulkarni, Kodai Lakshminarayana, Jari Venkatram, Gopalakrishnan, Jayamalini, Aswathnarayana, R K Suryanarayana, Veenavaruni


【事前に分かっても問題ない程度のストーリー前半部】

1.マイソール
壮年の古典声楽家ヴィダン・シュリカンタイア(R K Suryanarayana)は大勢の門弟を従えて一家を成し、音楽家として栄光の絶頂に近づきつつあった。内弟子の中で最も献身的に彼に仕えているのがヴィシュワ [ヴィシュワナーダ](Vishnuvardhan)で、常に師の側に寄り添い、細々とした雑用を言い付かっていた。しかしながらこのヴィシュワには音楽的才能が皆無で、入門してかれこれ7・8年も経つというのに子供達の教室にすら加わることができずにいた。音楽に対する憧れは他の誰よりも強いのに、いっこうに芽が出ない彼に対して、師は音楽の道を諦め他の仕事に就くように忠告する。そんなヴィシュワを何かと庇うのがシュリカンタイアの娘シャーラダ(Saritha)だった。♪Ee Sneha Ninade♪ 感謝するヴィシュワに対してシャーラダは愛を告白するが、師の娘との恋愛沙汰は裏切りになるとして彼は取り合わない。そんなことも知らず、シュリカンタイアはヴィシュワを霊験あらたかなシュリンゲーリのシャーラダ寺院※2に詣でさせてみてはどうかと思いつく。しかしシャーラダは自己に対する確信が欠けている彼にはそれも効かないだろうと考える。シャーラダの愛に後ろめたさを感じたヴィシュワは結局師の元を離れ、バンガロールに向かう。

2.バンガロール、マイソール
苦労を重ねながらもタクシーの運転手として生計を立てていたヴィシュワは、ある日新聞でシュリカンタイアが交通事故で身罷ったことを知る。生涯の夢であった、大規模な音楽学校の建設も叶えることなく、道半ばでの死であった。急ぎマイソールに戻ったヴィシュワは、雷雨の晩、一人師の墓前に額ずき、むせび泣く。するとそこに師の霊が現れ、自分のやり残した仕事を達成するために、持てる知識と音楽的才能の全てをヴィシュワに与えようと言う。

翌朝病院のベッドで目覚めたヴィシュワは、何が起こったのか分からぬままカーヴェーリ河畔にさまよい出て、呆然としながら歌を口ずさむ。  ♪Ellellu Sangeethave♪ その見事な歌唱を耳にして、古典舞踊家の伴奏をつとめる音楽家達が近寄ってくる。彼らはリードボーカルを病気で欠いてその補欠を必死で探し求めていたところだった。

3.マイソール
リサイタル会場で、まだ何が起こったか分からずにいるヴィシュワは楽団の伴奏者に促され、追い立てられるように歌い出す。 ♪Natanavi Sharada Nata Sekhara♪ その神懸かり的な歌唱には場内から讃賞の声が上がる。舞台ではじめて彼を見た踊り手ギリージャ(Madhavi)もまたその卓越に打ちのめされる。コンサートの後、やっと自分の実力を悟ったヴィシュワは再び一人でさまよい出して寺院※3 に赴き、シャーラダ女神に讃歌を捧げる。 ♪Sharade Dayathoride♪ 偶然その場に居合わせたギリージャは彼を家に招き、自分の専属の音楽団に加わるように懇願する。それを受け入れた彼は他の楽士と共に彼女の家に起居するようになり、ギリージャとヴィシュワのステージは大評判となる。マネージャーをつとめるギリージャの父クリシュナ(Dinesh)はこのコンビを派手に売り出して富を得ることを目論むが、一方でギリージャは彼の才能の前での自分の踊りの卑小さを知り、ステージから退くことを決意する。全てがヴィシュワの音楽を中心に回り始めるなか、ヴィシュワとギリージャは、二人の間の芸術家としての交感が男女の愛に変わっていることに気づく。ギリージャはこれからの人生をヴィシュワの幸福と成功のためだけに捧げることを、ヴィシュワは師から引き継いだ音楽学校設立の事業が成ったら彼女と結婚することをムーカンビカ女神※4に誓う。

4.ドリーム・シークエンス
果てのない芸術談義のなかで、ギリージャは朝に歌われるべきラーガの種類について問う。ヴィシュワは Bhupali, Bilahari, Mayamalava Gowla などとともに、「山から吹く爽やかな風」を意味する Malaya Marutha を挙げて歌ってみせる。 ♪Malaya Marutha Gana♪Sangheeta Gnyana♪Olavina Baleyali Sereyaagiralu♪※5

Malayamarutha09.jpgMalayamarutha10.jpg

【続き - エンディングまでの完全スポイラー】

5.バンガロール
古典音楽学会に出席するためにバンガロールを訪れたヴィシュワは、会場でシャーラダと再会する。父の死後、家を売り払いテレビ局に勤めるようになっていたシャーラダは、大家として遇されるヴィシュワを信じられない目で眺めたが、亡父のそれと寸分違わぬ歌唱と音楽学校設立に向けた演説とを聞いて涙する。

6.マイソール、バンガロール
ヴィシュワの芸術を守ろうとするギリージャと金儲けに拘る父クリシュナとの対立はますます深まっていく。演奏活動で得られた金を全て我が物にしようとするクリシュナに業を煮やして、ヴィシュワは家を出て、バンガロールのシャーラダの元に身を寄せる。 ♪Hindanagali Hidivadeda♪ 一人暮らしの家に自分を迎え入れてくれたシャーラダに対して、無邪気にもなぜ結婚しないのかと問うヴィシュワ。逆に自身が未婚の訳を尋ねられて、目標を達成した後に結婚するつもりだと語るが、相手の名前を口にすることはなかった。

7.バンガロール
シャーラダはヴィシュワのマネージャーとなって資金集めに尽力するが、目標は遠かった。ヴィシュワはキャバレーダンサーの伴唱までを引き受ける。その話を伝え聞いたギリージャは再びステージに立ち、その収益を寄付することを思い立つ。ヴィシュワが今はシャーラダという女性の家に暮らしていることを知ってもその意志は揺るがなかった。バンガロールに赴いたギリージャは、女主人として振る舞うシャーラダを見て心を乱しながらも高額の小切手を渡して去る。後から話を聞いてギリージャのもとを訪れたヴィシュワは短いやりとりのなかで、改めて将来の結婚を誓い合う。

8.バンガロール
ついに念願の音楽学校が完成する時がきた。記念式典でヴィシュワは、音楽の国境を越える力について、Mayamalava Gowla のフレーズを世界の音楽スタイルで実演しながら説く。ギリージャは最大の功労者として表彰される。こけら落としのコンサートで堂々と歌うヴィシュワ。ところがその最中、壇上のシュリカンタイア師の肖像画に掛けられた花輪が滑り落ち、突然ヴィシュワは歌うことができなくなりステージは中断する。師から授かった音楽の技能・知識の全てが彼から去った瞬間だった。

9.バンガロール、マイソール
シャーラダとギリージャの献身的な介護を受けながらもヴィシュワは声を回復することはなかった。※6  師の墓前に赴き、絶望のあまり命を絶とうとする彼をシャーラダが止める。ここで彼ははじめてシャーラダに数年前この同じ場所で起きたことを筆談で告白する。労することなく得られたものは長続きしない、神に与えられたもの、努力の末に勝ちとったものだけが永続するのである。そう言って彼女は再び修行を始めるよう彼を励ます。そのころギリージャは父に呼び戻され、無理矢理に見合い結婚をさせられそうになる。追いつめられて毒をあおるギリージャ。

10.亜大陸各地の巡礼地、シュリンゲーリ
シャーラダはヴィシュワを伴い巡礼の旅に出かける。そして道すがら、音階練習から始まる最初歩の訓練を辛抱強く繰り返す。 ♪Adharam Madhuram Vadhanam Madhuram♪※7  シュリンゲーリ寺院での行の最中に昏倒したヴィシュワは夢のなかでシャーラダ女神のダルシャンを得る。女神の祝福を受けて意識を回復した彼は完全に声を取り戻したことを悟り、むせびながら女神への讃歌を歌う。 ♪Sharade Dayathoride♪ 寺の僧は彼にムーカンビカ女神への参拝を終えてから音楽活動を再開するように忠告し、二人はコッルールへ向かう。※8

11.コッルール
ムーカンビカ寺院の手前で立ち止まりシャーラダを見つめるヴィシュワ。※9 訳を尋ねる彼女に、彼はシャーラダを女神として崇めると答える。師の娘として現れ、友として導き、母として再生を与えてくれたシャーラダよ。それを聞いたシャーラダは、自分は別の存在でありたかったと言って涙し、密かに持ち歩いていたターリーを自分で自分の首に掛ける。同じ頃、病院を抜け出したギリージャはよろめきながらコッルールに向かう。 ♪Amma Ninna Nodidare♪  ムーカンビカ女神の前で讃歌を歌うヴィシュワのもとに瀕死の状態で辿り着いたギリージャは彼の足下に倒れ込む。それを見たシャーラダは首に巻いたターリーを外してヴィシュワに手渡し、ギリージャの首に掛けるようにうながす。シャーラダの見守るなか、ムーカンビカ女神の神前で二人が結ばれるシーンによって物語は幕を閉じる。

注)サントラは上の文中に挙げた以外にもあり、全16曲。一部はこちらで試聴可能。クレジットはこちらのリストで確認できる。CDも通販サイトで入手可能。動画もほとんどを YouTube で見ることができるが、敢えてここではリンクしない。

Malayamarutha08.jpg


【注釈と疑問点】

※1監督問題
本作のオープニングエンディングどちらのクレジットを見ても監督名として Lalitha Ravee という女性の名前が表示されている。しかしながらDVDのカバーには、カンナダ語で K S L Swamy (Ravee) なる男性のものらしい名前。通販サイトを含む、あまり多くは見つからないネット上のレビューなどでも K S L Swamy を監督として挙げているものが幾つかある。この二つの名前の関係は何なのか。

Lalitha Ravee の他の監督作を調べてみるのだが、Mithileya Seetheyaru (Kannada - 1988) とパラレル映画らしいHarakeya Kuri (Kannada - 1992) の2本しか見つからない。IMDb での登録は本作1本のみ。

一方 K S L Swamy (Ravee) のほうはというと、IMDb での登録はゼロながら、1960年代から監督・プロデューサー業を始めている[Bhagyada Bhaagilu (Kannada - 1968) がネットでたどれる最古のもの]大ベテランで、ラージクマールのフィルモグラフィーでも名前が頻繁に登場する。俳優としての顔ももち、2000年以降の作品でも脇役として時に顔を出している。映画界の古老として各種行事にも出席し、活発に発言もしている模様。このイメージMalla (Kannada - 2004) Dir. Ravichandran 中のもの。

結局ネット検索はここで行き詰ってしまったのだが、現地情報によれば、スワミ氏とラリタ女史は夫婦、ラリタ女史は女優ということらしい。そして映画監督ラリタ・ラヴィは実質的にはKSLスワミであるとも。どうやらある種の雅号としてスワミ氏は Lalitha Ravee を名乗ってるらしいのだ(この人と同じか)。しかし K S L Swamy 名義の監督作も多数あるというのはどういうことなのか、何らかの使い分けの法則があるのか。そのへんは上にあげたラリタ名義作品あたりからぼちぼち観ていくしか探りようがないか。現地情報提供のラーキン氏に感謝。

※2シュリンゲーリのシャーラダ寺院
本作で最も重要な意味を持つ寺院。カルナータカ州チクマガルール郡の山中にあり、巡礼スポットとして名高い。主神はシャーラダ女神、学芸の女神サラスワティーの別名。サラスワティー寺院は全インドに無数にあるが、シュリンゲーリがこの女神信仰の中心地のひとつであることは疑いない。寺院に隣接して、中世の宗教哲学者アーディ・シャンカラの創建になる大僧院もあり、シャンカラの四大マタのひとつとして現在も繁栄している。バンガロールから約340km、マイソールからは280km。本作のクライマックスの一部は実際にこのシュリンゲーリ・シャーラダ寺院で撮影されている。

※3寺院に赴き、シャーラダ女神に讃歌を捧げる
ストーリーの流れからすると、この寺院はマイソールになければおかしいのだが、マイソールにこのようなシャーラダ=サラスワティー寺院が存在するかどうかは不明。なおかつここで画面に現れる本尊の女神(下左画像)はクライマックスに登場するシュリンゲーリのシャーラダ女神と同一のもの。これは予算の制約上の手抜きなのか、もっと深い意味を持つ作劇上のキャラクター統合なのか、判別がつけられず。またこの建築()が実際にはどこの寺院のものなのかも不明。

劇中でシャーラダ女神として映し出される愛らしい神像は、黒々としたムーカンビカ女神(後述、下右画像)のそれとともに、映画用に製作された大道具と推測される。寺院内でのロケが許可されてもさすがにご本尊の撮影までは許されないことがほとんどみたいだ。
Malayamarutha04.jpgMalayamarutha05.jpg

※4ムーカンビカ女神
この場面でいきなりこの女神の名が言及される理由も不明。シャーラダとは異なり、ムーカンビカ女神はカルナータカ州ウドゥピ郡コッルールにある寺院の主神にほぼ限定されている。その実質はカーリー、サラスワティー、ラクシュミーの三柱の女神と同一ということなのだが、特定の伝承に基づきここコッルールの本尊だけがムーカンビカの名で呼ばれる。この寺院もまたアーディ・シャンカラ創建の伝承を持つ大巡礼センター。シュリンゲーリとともに解脱に至るためのカルナータカ7大巡礼地のひとつに数えられている。バンガロールから約410km、マイソールからは370km。またシュリンゲーリとの間の距離は約90km。

※5♪Malaya Marutha Gana♪(マラヤ・マールタの調べ)
観光映画のとしての側面もある見せ場。絵としての構成はこの時代のものらしく垢抜けないのだが。しかしタイトルソングであるテーマ曲はすばらしい。歌に入る前に Malaya Marutha ラーガの音階(Aa: S R1 G3 P D2 N2 S / Av: S N2 D2 P G3 R1 S)をおさらいしてくれる親切さもいい。盛期ボリウッド様式(と勝手に呼んでいる)を思わせるきゅるきゅる煽るバイオリン、「るるる~」とトロけるバックコーラス、時代を感じさせる要素も多いが、キャッチーなメロディー、堂々たる構成には聴くものを圧倒する魅力がある。フィルミー・クラシックの名作と呼んで差し支えないのではないか。

主なロケ地はハレビードのホイサレーシュワラ寺院、ベルールのチェンナ・ケーシャヴァ寺院ケンマナグンディカッラハティの滝、マイソールのチャンムデーシュワリ寺院の巨大ナンディン像前、メルコートの巨大沐浴池 Pushkarni [Kalyani Theertam] など。

※6声を回復することはなかった。
楽器は演奏できるのである(わざわざ楽器を演奏するシーンが挿入されている)。あらゆる楽器の王である声楽の巨匠にとって器楽家になることなど問題外、という序列の価値観の現れだろうか。

※7♪Adharam Madhuram Vadhanam Madhuram♪
ネパール・カトマンドゥのランドマーク、スワヤンブナート寺院のマニ車をまわすシーンから始まり、意表をつかれる。これには何か象徴的な意味があるものなのか、純粋にビジュアル的効果を狙ったものなのか不明。全ての知識と技巧を失った元歌い手にゼロからレッスンをつける、これをリアリズムで映像化されたら観客には付き合いきれない。ここでジャンタイ・ワリサイに被って立ち上がるのは Madhurastakam と呼ばれる8連詩(astakam)。16世紀、ヴィジャヤナガル朝に仕えた学僧 Vallabha Acharya の手になるクリシュナ讃歌は、神の名を madhura(甘露)という単語に置き換えて繰り返すことによって瞑想に誘うような効果をあげている。もちろん 16世紀のオリジナルメロディーは残存していないが、MSシュブラクシュミーによる詠唱からテルグ映画のラブラブソングまで無数のヴァリアントが存在する。本作でのそれは音階練習と絡めたユニークなコンポジション。

映像も、あるもの全てを大放出してゴージャスな世界を作ろうとしがちなインド映画には珍しく、抑え目な演出で幻想的な効果を上げることに成功している。カンナダに限らずこの時代のサウス映画のソングシーンとしてもかなりハイレベルなものと言えるのではないか。

なお、この曲より前の、師匠の声を借りて主人公が歌うシーンのプレイバックは一貫してイエースダースが担当している(例外はヒロインの妄想ソングである♪Ee Sneha Ninade で、これはSPBが歌っている)。主人公が自分の声で歌い出すという設定のこの曲以降はSPBにスイッチ。何でもアリの吹き替えワールドでこれは結構珍しい律儀さである。したがって劇中で2回登場する♪Sharade Dayathoride では、同じ曲でイエースダースとSPBの聴き比べができるという贅沢さ。

※8ムーカンビカ女神への参拝
シュリンゲーリの僧がコッルールへのお礼参りを勧めるのはなぜなのか。アーディ・シャンカラの縁や西ガーツ山中という環境など、たしかに共通点も多い二つの寺院だが、どのような劇的必然によって繋がっているのか。

※9ムーカンビカ寺院の手前
以下の二つの風景がムーカンビカ寺院の門前として現れるのだが、実際の寺院とは別物。一体どこで撮影されたものなのか。ラストの神前のシーンも明らかにセット。本物のムーカンビカ寺院は門前がかなり手狭な上に、回廊と本殿の間の元来は露天だったスペースにトタン屋根を被せているために、絵になりにくいものになってしまっている。下左の画像の寺は、「6」のバンガロール近郊のシーンにも使われていた。
Malayamarutha06.jpgMalayamarutha07.jpg


【参考レビュー】
●フランスで行われている映画祭 Festival des 3 Continents オフィシャルサイト中の紹介
http://www.3continents.com/3continents/fiche_films_eng.jsp?mnuCountry=IN&filmid=1496
●indianetzone 中の筆者不明のレビュー
http://www.indianetzone.com/2/kannada_films.htm
●The Music Magazine のエッセイ The unreal classical musician にも若干八つ当たり気味の言及あり
Encyclopaedia of Indian Cinema P.475-476

投稿者 Periplo : 16:28 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年10月06日

掌中の玉石

若干の編集方針の変更。

ある種の韜晦癖から、プリヤン関連作品以外のお勧めの映画について書くのを極力抑えるようにしてきたのでした(断るまでもないけどプリヤン映画が全てお勧め作品というわけじゃ全然ない)。うっとり陶酔的なレビューを書くことによって、かえって読者をその映画から遠ざけやしないだろうか、という危惧もあって。しかし、そんなことも言ってられないような状況をここのところ感じている。

ちょっと昔の映画について調べようとして検索すると、無料で見られるサンプル動画と劇中歌mp3の頁が山ほどヒットする、数年前には考えられなかった夢のような環境。一方でその同じ映画に関して、文字で書かれたデータがほとんど見当たらないというのもごくありふれた現象。百聞は一見にしかずとは言うけれど、これはこれで問題だと思う。

少なくとも、自分が気に入った作品に関しては可能な限りデータを集め、他の場所で言及するときにも引用できるようにしたい。また不明な点などについて問題提起しておきたい。そのためには必要とあればネタバレの粗筋表示もありとするが、レビューの形式的統一にはこだわらない。だいたいこんな趣旨・方針で、新カテゴリー so many cups of chai を設け、過去に遡って一部エントリーに適用しました。

投稿者 Periplo : 03:29 : カテゴリー so many cups of chai
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2007年09月19日

ディスク情報0709

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Lal Salam [Lal Salaam] (Malayalam - 1990) Dir. Venu Nagavalli のDVDが発売となったので Mohanlal Discography に追加(リンク先のカバーイメージは一時的にVCDのもの)。ただし残念ながら字幕なし。版元として Saina、発売元はこれまでにも何度か話題にしたことがある Moser Baer(過去記事)。この組み合わせについては色々考えるところがあるんだけど、そのうち別んとこで書こうかと思う。

dvdLalSalam2.jpg

以前に字幕なしVCDで見て鮮烈な印象を受けたので、DVD化発売を知ったときは期待したんだ、買いかぶりなのかもしれないけども。ちゃんと字幕付きで見られたら詳細レビューを書きたいとまで思ってたんだ。

ケララの共産主義者群像を描く歴史もの。せめてストーリーの背景だけでも知りたいと思ってそれなりに調べたのだけれど、案外見あたらないもんなのよ、EMSのバイオグラフィ以外に流れを俯瞰できるケララ共産主義運動史ってのが。

だから結局この映画に関しては印象以上のことは何一つ言えないのだけれど、ベテランの Venu Nagavalli 監督(役者としても活躍しているこの人の情報もまた乏しい)の描くケララ現代史にはなんとも品があり、微かな諦観すらも感じられて、単なるイデオロギー映画の紙芝居では全くない。そして不必要なくらいに美しいロケ地。ケララ南部の水郷地帯で撮影されたものと思われる。

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そしてマ映画スターの9割方総攫えのキャスティング。それぞれがホントに嵌り役。なかでもタミレカが凄い。タミレカ以外に誰がこの役をできるか、というぐらいの、まさにタミレカのために創造されたキャラ。ヒロイン時代を別にすれば生涯の当たり役といってイイのじゃないかと思う。多分当人はとっても厭がるだろうけどね。

ともかく大プッシュしたかった映画、かなり残念だす。

投稿者 Periplo : 04:23 : カテゴリー so many cups of chai
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2007年04月22日

旅芸人の記録

いや、これはホントに記録としての価値大アリだと思う。

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Sri Kanaka Mahalaxmi Recording Dance Troop (Telugu - 1987) Dir. Vamshi
Cast : Naresh, Madhuri, Kota Srinivasa Rao, Tanikella Bharani, Mallikharjunarao, Nirmalamma, Vijaya Y., Rallapalli, Sandhya, Bheema Raju, Viswanatham, Venkatesh, Rambabu, Veerraju
タイトル表記の揺れ:Sri Kanaka Mahalakshmi Recording Dance Troupe
DVD版元:KAD
字幕:英語(歌詞除く)

テルグ映画ディスクは結構な名作でも一度品切れになってしまうと再プレスがない、という不吉な噂を耳にしたんで、メガスターの若い頃のものを買いだめしとこうと思ってカートに放り込んだ一枚。実はチル出演作ではなかったんだけれども。

ネットのレビューは見当たらない、通販サイト上のこれぐらい。あー、それと監督のヴァムシという人はクリシュナ・ヴァムシとは別人で、カルナータカの出身らしい。

■ネタバレ度の低い粗筋
舞台はアーンドラの沿海地方。叔父の営む食堂の手伝いをしているゴーパーラン (Naresh) は巡回舞踊団の花形ダンサーでもある。彼に思いを寄せる幼なじみのシーター (Madhuri) は舞踊団に欠員が出たのを幸いと、強引に入団し、まんまとプリマの座におさまる。シーターの果敢なアタックで二人は相思相愛の仲となるが、彼女に懸想する照明係のドラバブー (Tanikella Bharani) は座長 (Kota Srinivasa Rao) を巻き込んで、恋路の邪魔を企てる。

いんや、何が凄いって…

■この舞踊団というのが、映画タイトルからも推察できるように、レコードプレーヤーの音楽に合わせて踊る、クチパク舞踊団だってこと。
■でもって、そのことからも推察できるように、レパートリーは100%テルグ映画ダンス。
■劇中の設定では座長以外のメンバーはすべてタミル人だということになっている、これは現実の移動舞踊団の何らかの傾向の反映なのか。
■本作が成立した1987年当時、テルグ映画のダンスは今日見られるような高度なテクニックや洗練された映像設計を備えたものではまだなかった。したがって本作中のフィルミー・ダンスもチープなエレキギター伴奏付き盆踊り+ラジオ体操といったところ。
■にもかかわらず、この連中の公演が劇中ではどえらい人気を博しているのだ。もちろんフィルムダンス公演が人を集めるためには映画上映自体も盛んに行われていなければならない筈だが、映画興行と並立してこういう古拙な味わいのショーが成り立っているということに眩暈。
■ダンサーは男性4人、女性3人からなる。女性ダンサーが曲目に応じてどんな女優の役でもこなすのに対して、男性ダンサーは役が固定していて、実在の映画スターの名前にジュニアをつけて呼ばれる。つまりソックリさんショー(全然似てないのに)でもあるわけ。
SKMRDP01.jpgSKMRDP02.jpg
これがジュニア NTR。いっとくけどこの子はまだ小学校にも上がってないよ、この頃。
SKMRDP03.jpgSKMRDP04.jpg
これがジュニア ANR。
SKMRDP05.jpgSKMRDP06.jpg
これがジュニア・クリシュナ。
SKMRDP07.jpgSKMRDP08.jpg
そしてこれがジュニア・チランジーヴィ(出番少ない)。

うーん、今からきっかり20年前のアーンドラには本当にこういう世界があったのか、それともノスタルジックな虚構として組み立てられた映画なのか。ともかく、田舎が舞台のおトボケ人間喜劇はマラヤーラム映画の独壇場かとも思っていたのだけれど、テルグ映画だって捨てたもんじゃない、ってことがよく分かった棚ボタの一作なのでした。

投稿者 Periplo : 03:10 : カテゴリー so many cups of chai
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2007年04月14日

衝撃の一作 その2

マドゥライの北東約85km、カーライクディ Karaikudi を中心とした70余の村々(シヴァガンガ県北部にあたる)は非公式にチェッティナード(Chettinad/Chettinadu)とよばれ、タミル文化史において特異な地位を占めている。この地の有力な商人カーストであるチェッティヤール(シェッティヤールとも)は19世紀から20世紀にかけて東南アジアを中心とした国外に進出、緊密なネットワークを構築して、莫大な富を築き上げた。その富の一部はタミル・ナードゥ州南部のこのチェッティナードに還流し、チェッティナード・マンションと呼ばれる豪壮な邸宅群として結実した。また肉食を忌避しない彼らの贅沢な食文化も広く受容され、今日ではタミル・ナードゥ州全域に「チェッティナード料理」を看板に掲げるレストランが見られるまでになっている。

ここ10年ほどの間にチェッティナード文化リバイバルはある種の流行となり、タミル映画のなかでもカーライクディ周辺をロケ地にしたものが出てくるようになった。たとえば Kandukondain Kandukondain (Tamil - 2000) Dir. Rajiv Menon、Ji (Tamil - 2004) Dir. Lingusamy、Sivakasi (Tamil - 2005) Dir.Perarasu などなど。

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(前回よりの続き)この Arjun でも、邪なバーラー・ナヤガル、アンダル夫妻の住むマドゥライ市内の邸宅の内部として実在のチェッティナード・マンションが使われている。このホール(名称は調査中)だ。これは合成画像なのかもしれない。

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凄いのはこの建物の外観。ミーナークシ寺院をすぐ隣に見下ろす位置に(!)あるという設定。ミュージカルシーンには寺院と邸宅がいっぺんに映る超ロングショットがある。つまり80キロ離れたカーライクディでロケしたんじゃなくて、これも寺院と一緒におっ建てたセットってことになるわな。ちなみにこの建物はこちらに掲載されている Kanadukathan Palace を明らかに模している(別の資料も)。 

さらにはミーナークシ寺院の四方を取り囲む外壁部分を舞台にしたミュージカルシーンもあり。これも明らかにセット。

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紅白のダンダラが寺院の外壁。ご丁寧に政治家のカットアウトや政党旗まであしらって。

陀羅尼先生の大盤振る舞いでもう充分にモトはとれたような気分になるのだが、それだけでは終わらない。

この映画のラスト30分のアクションシーンについて書こうと思いはしたものの、やはり文章で中途半端にネタばらしをしてしまうのは気が引ける。これでもかこれでもかと畳み掛ける執念のスタント、主人公をどこまでも絶体絶命の危機的状況に追い込んでいく、ほとんど劇画的なチェイスにアドレナリン大放出。これを実写(部分的にCGを使用しているとはいえ)で撮ろうなどと考える奴はいないよ、普通。そしてこれらを貫くのが、夫婦の愛以上に濃密な、血によって運命づけられた兄妹の絆という、まことに古風なテルグ映画のテーマであることも興味深い。

ともかく、エクストラヴァガンザとかポトラッチとか、インド映画の原点の興奮を味わいたいという人には大推奨の一作なのでした。

saritha.jpg追記1:本作の最優秀演技賞は、極悪チェッティヤール妻役のサリターさんに授与したいと思います。冷血という言葉を使うにはそぐわない、生暖かい邪悪の息吹。内面の狂気が堰を超えて外面にまで滲みだしてきたかのような人間獣ぶり。共演者を喰っちまう癖のあるプラカーシュ・ラージを顎で使って完全に三下扱いする分厚い存在感。タミル出身のサリターは、Kバーラチャンデル監督に見いだされ、Maro Charitra (Telugu - 1978) Dir. K Balachander のヒロイン役でデビュー。…って、サリター様についてこんな隅っこでチョコチョコ書いちまうのは畏れ多いな。これはまた項を改めて(例のシリーズで)書くことにしよう。とりあえずここでは2005年のインタビューをリンク。

追記2:久々に筆者が異様な興奮に巻き込まれた本作、しかし現地での興行成績は、「フロップではないけどスーパーヒットでもない」というものだったらしい。え”ー、どーしてさ? 既に過去のものとなっていたこの映画、ところがひょんなことから2007年2月になってタミル語の吹き替え版が公開されることになった。理由はヒロインとして(といっても実はストーリーにはほとんど絡まないアイテムガールに限りなく近いヒロイン)シュレーヤーちゃんが出演してるから。これもひとつの Sivaji 効果。タミル語吹き替え版のタイトルは Varenda Maduraikku

(この項、またどっか別んとこで続くかも)

投稿者 Periplo : 01:33 : カテゴリー so many cups of chai
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2007年04月13日

衝撃の一作

何年もインド映画を見続けてると、それなりにスレてきて、生半可な刺激には動じなくなってくるのだが、これには度肝を抜かれた。

cvArjun.jpg Arjun (Telugu - 2004) Dir. Guna Sekhar
Cast : Mahesh Babu, Shriya, Keerthi Reddy, Prakash Raj, Saritha, Kalabhavan Mani, Raja, Murali Mohan, Kalabhavan Mani, Rajan P Dev, Nassar, Veerendra Chouhan, Kamala Krishna Murthy, Jyothy, Ganesh, Tanikella Bharani
Music : Mani Sharma
Camera : Sekhar V Joseph
Art : Thota Tharani
Stunts : Vijayan
Choreography : Raju Sundaram, Lawrence
DVD版元 : Movie Time Video
字幕 : なし(ジャケに英語字幕付きとの表示があるが大嘘)

そう、このディスクには字幕がついてないのだ(それに画質もイマイチ)。だけどこれまでのインド映画人生中で、字幕なしの痛痒をほとんど意識することもなく、これほどに惹き込まれた作品は無かったと断言できる。他に類を見ない異様なほどの熱気の横溢。

■ストーリーの大枠
ハイダラーバードの平凡な中流家庭に暮らす双子の兄妹(姉弟?)。妹のミーナークシ (Keerthi Reddy) は大学の同級生ウダイ (Raja) に恋心を抱いているが、告白できずにいる。卒業によって別れ別れになる間際になって、ウダイはミーナークシへの愛を打ち明け、それにもかかわらず両親のいるマドゥライ(タミル・ナードゥ州南部)に戻り見合い結婚をするつもりであることを手紙で告げる。兄 (Mahesh Babu) は妹の懊悩を知り、両親と妹を伴ってマドゥライに赴き、優柔不断なウダイに決断をせまり、ついに両人を結婚させる。ウダイの両親、バーラー・ナヤガル (Prakash Raj) とアンダル (Saritha) の夫婦は、マドゥライの名家の当主ながら利権のためなら殺人にも手を染める冷血な守銭奴。表向きは新婚カップルを祝福しながらも、ウダイと資産家の娘との縁談が破棄されたことに深く失望し、折りをみてミーナークシを謀殺しようと試みる。

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まず驚かされるのは南印きっての名刹のひとつ、マドゥライ・ミーナークシ寺院内で繰り広げられる歌舞シーン&アクションシーン。テルグ名物被り物軍団が堂宇狭しと踊りまくるは、聖なる黄金の蓮が鎮座する Potramaraikulam で水中アクションをおっ始めるはで、口あんぐり。いくら何でもありの南印だからってこんなことやっちゃってエエんかいな?

で、例によってムキになって調べてみたところ、これが美術担当 Thota Tharani によって、ハイダラーバードの郊外に設営された「ほぼ実物大」のセットだったことを知り、再び呆然。

WALK INTO the `Meenakshi temple' and you will find it replete with a gopuram, the sacred tank, the sanctum sanctorum. The mammoth film set recreated for the Telugu film Arjun at Gandipet is the handiwork of well-known art director Thota Tharani. According to the film's director Gunasekhar (who also directed Okkadu) it is the second largest set after the palace set of Bollywood's Devdas. The Madurai temple set has created ripples of excitement and curiosity ever since it came to limelight. "It is almost the same size as the original temple - perhaps just about 25 feet less to make it suitable for the film. It measures approximately 350 feet by 200 feet," says Tharani. While the construction of the temple at Madurai spanned hundreds of years, the set was constructed in six months and cost about Rs. four crore.

It took Tharani (the only art director awarded with a Padma Shri) about a fortnight to work on the drawing plan. "I was not given permission to photograph but I made several sketches," says Tharani. The art maestro crafted this set , a labour of love, after considerable research. "It's by the grace of God that I could do it," says Tharani who relates an interesting anecdote. "About a year and a half ago somebody predicted I would build a temple and I didn't believe it. I was perhaps destined to build this temple." And Tharani's conceptualisation is authentic with every inch being built with great care. (The Hindu 記事 Setting new highs より)

Chandramukhi なども手がけた高名な陀羅尼先生については、もちろん以前から知ってはいたが、サブちゃんと比べて、いまひとつ作家性が判別できず、どちらかというと悪趣味ゴテゴテ系のものばかり見せられてるような気がしてた。だけどやっと分かった、この人の真骨頂はテルグの巨大セットで開花してるんだあ。

Arjun の衝撃はまだまだ続くのだった…。(次回に続く)

投稿者 Periplo : 02:12 : カテゴリー so many cups of chai
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2007年01月29日

藍こそすべて

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Nuvvostanante Nenoddantana [if you say you're going to come, do you think I'm going to say no] (Telugu - 2005) Dir. Prabhu Deva
Cast : Siddarth, Trisha, Prakash Raj, Sunil, Srihari, Veda, Santoshini, Nandita, Tanikella Bharani, Giri Babu, Parachuri Venkateswara Rao, Geetha, Jayaprakash Reddy, Chandra Mohan, Narsing Yadav, Narra Venkateswara Rao, Abhishek, Raghubabu, Sana, Pavala Syamala, Master Nandu, Gundu Hanmantha Rao
Story : Veeru Potla, Screenplay : M.S. Raju, Dialogue : Gopalakrishna Paruchuri, Venkateswara Rao Paruchuri, Cinematographer : Venu Gopal, Art Director : Vivek, Music Director : Devi Sri Prasad, Choreographer : Prabhu Deva
※タイトルについては、略記になっていないにもかかわらずNVNVの呼称もよく見かける。

いやあやられましたね。テルグといやあ、巨岩巨石がゴロゴロするデカン高原のイメージに相応しい荒々しい作風のものばっかだと思いこんでいたアタシの頭こそが石でした。バイオレンスアクション、神様映画に加えて、最近じゃラブコメもあるんすよ、ラブコメ。より正確に言うならば本作はラブコメ95%、スポコン4%、バイオレンス1%(とはいえ、このバイオレンスは通常のテルグのレベルと比較すると準備体操にもなってないのだが)。

人も中年に到ると、ティーンエイジャーの恋愛遊戯なんぞに感情移入するのもいい加減馬鹿馬鹿しくなってきて、勢い熟年オッさん俳優の大立ち回りものに傾きがちになるんだけれど、本作に関しては全編余すところなくひゃらひゃら楽しめたのでした。

■事前に分かっても問題ない程度の粗筋
ロンドン在住の大富豪NRIのドラ息子サントーシュ (Siddarth) は親戚の結婚式に列席するためにインドにやってくる。親戚の家で巡り会った花嫁の友達シュリ (Trisha) と喧嘩しながらも惹かれあっていくが、彼女は両親を早くになくした農家の娘。不釣り合いなカップルはサントーシュの母をはじめとした親族一同によって無理矢理引き離されてしまう。あきらめきれないサントーシュは単身シュリの住む村にやってくるが、そこに立ちはだかっていたのは彼女の親代わりの兄シヴァラーマクリシュナ (Srihari) だった。都会の軟弱人種を忌み嫌う兄はサントーシュに厳しい農作業の試練を課す。

農村が舞台とはいっても、もちろんリアリズムではない。要約してしまえば他愛ないフワフワした話なのだけれど、脚本・撮影・美術・演出が見事なんだな。

マ映画界出身のヴェヌゴーパール・ナーイルのカメラは全編にわたって様々な階調の青を捉えて美しい。とはいってもアート臭が鼻につくほどムキになってはいないのが好もしい。本作のテーマカラーが青だということはDVDジャケ(数種あるのだが)のデザイン部門にも伝わったようだ、インド映画ジャケでこんなエディトリアルデザインを見たのは初めてかもしれない(笑。

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映像のチョコマカしたお遊びも多数。一例を挙げるならば、主人公が農村で働いていることを知って仰天した父 (Prakash Raj) がロンドンから駆けつけるシーン。稲穂の上を涼しげに漂う蜻蛉の映像に飛行機の轟音が被さったりするのだ。

脚本・演出の巧みさも。息子を連れ戻そうと試みる父が農村のカルチャーショックを全身で受け止める場面。ここでのプラカーシュ・ラージは何度見ても笑える(一方ではスニールによるベタベタのコメディもあるのだが)。さらに今時のラブコメだからキスシーンもばっちりあるのだが、この挿入のされ方が絶妙。お堅いサウスの観客でも100%納得できるものだったのではないか。ススんでるはずのボリウッドで最近あったこんなこととは無縁だったろうな。

例によって元ネタも暴露済み。Pyar Kiya To Darna Kya (Hindi - 1998)Dir. Sohail Khan と Maine Pyar Kiya (Hindi - 1989) Dir. Sooraj R Barjatya だそうだ。しかしパクリだろうとなんだろうと、これをまとめ上げた監督のプラブデーヴァは偉い。注目の新進監督と言っていいのじゃないだろうか。

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それにしてもファンキーなお百姓やらせたらPDの右にでる奴ぁいないね。

投稿者 Periplo : 05:12 : カテゴリー so many cups of chai
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2007年01月21日

Thevar Magal

不毛なTV茶番劇には飽き飽きしたので本業に戻ろう。気になるタイトルのエッセイに気になる一節を見つけた。

Kaadhal does not explicitly state the caste background of either the boy (Murugan, a two-wheeler mechanic) or the girl (Iswarya, a class X student). However, it is made amply clear that director Balaji Sakthivel, a Thevar, is 'authentically' portraying a Thevar subculture in representing Iswarya and her family. All we know of Murugan is that he lives in a dirty slum--the door of his house painted an Ambedkarite blue--with his mother.(Outlook オンライン版2005年5月30日号、特集Indian Cinema 1995-2005 中の Politics, Tamil Cinema Eshtyle by S. Anand より)

cvKaadhal.jpgおかげで糞がつくほど忙しいってのに、Kaadhal (Tamil - 2004) Dir. Balaji Sakthivel をもう一回見てしまった。やっぱり傑作だ。低予算映画だったにもかかわらず、大ヒットしたという。助監督の温めていた脚本をバックアップして世に送り出したシャンカル先生はやっぱりたいしたもんだ。

徹底的なリアリズムで描かれた貧乏ヒーローと中産階級ヒロインの逃避行。マドゥライからチェンナイへ、そしてチェンナイの町中を彷徨う未成年カップルの、それはもう見てるこっちまで目に隈ができそうなシンドい旅路。万国共通の深夜の高速バスの寂寥感。ほんのちょい役に至までの、あまりにハマったキャスティング、名前の知られた俳優の登場によってストーリーの先を読まれることを避けたかったのだという。間接的に語られるメインストリーム映画への批判(たとえばプリヤン関連作のこの映画が恐ろしく適切に挿入されたりするのだ)、自嘲(トリプリケーンのむさ苦しい男子寮に住む40がらみの万年助監督が登場するのだがこれは監督自身がモデルかもしれない)。しかし一方でコメディトラックがあり、加えて歌舞シーンは7つも入っていて(嫌々入れたのかもしれないが)、そのうちのひとつ♪Puraa Goondu はお決まりのウェディングソングのパロディとしてよくできてる。

まあ、最も前面に打ち出されたモチーフは、タミル地方都市の中産階級の抑圧性と暴力性というところなんだろうけれど、その中産階級(といってもこの作品中ではかなり特殊で、酒造販売の元締めを行いながらも、街の顔役として非公式な警察機能までもっちゃってる金持ち一家)に具体的なカースト名までが読み取れるとは思っていなかった。

テーヴァルというのは俗に呼び慣わされているカースト名だけど、憂記百科によればこれは名字で正しくは Mukkulathor なんだそうだ。そして舞台となるマドゥライはいわゆる Thevar Belt の中心地。しかし映画中でこのくらい暴力と結びつけて語られるコミュニティも他にない、これは現実を反映しているだけなのか。それともタミル南部を題材にすれば必然的にテーヴァルが登場する、というくらいに有力な集団だということなのか。

マドゥライにあるイングリッシュ・ミディアムのミッション系女学校に通うヒロインが初潮を迎えたことで催される、驚倒するほどに盛大な祝いの宴にやってくる客達。
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食卓にを持って現れるのがしきたりなのか?こういう部分でタミル人の観客はピンと来るのかもしれない。

一方でスラムにあるヒーローの家。
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これがアンベドカル・ブルーってやつなのかいな?ちょいと深読みしすぎの気もするんだが、アーナンドさん。

幼い恋が出口なく追いつめられた果ての駆け落ち逃避行、これをリアリズムで描くとなれば当然結末は明るいものにはなりはしないのだが、ラストシーンでヒーロー・ヒロインに救いの手を差し伸べる人物(この役を演じる俳優も全くノークレジット)が実は一番シブい奴、というのがやっぱり少しだけ重苦しい後味を残したのでした。

本日時点での感想まとめ:マサラあってこそのオルタナ系。

資料:The Hindu による監督Balaji Sakthivelインタビュー

投稿者 Periplo : 21:46 : カテゴリー so many cups of chai
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2006年12月17日

ディスク情報0612-2

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ついにDVD発売、注目の黒魔術映画 Anandabhadram (Malayalam - 2005) Dir. Santosh Sivan。公開間近ということでポストしたのは1年以上も前だったんだけど、マ映画としては異例の早さでのディスク化。当初は天才アートディレクターサブ・シリルの初監督作品という部分でのみ注目していたのだが、シリルが途中で降板、サントーシュ・シヴァンがメガホンをとることになった。意外にも本作がシヴァンのマラヤーラム映画初監督作。もちろん俄かサントーシュ・ファンとしても大いに期待が高まっていたのですた。

Cast : Prithviraj, Manoj K Jayan, Kavya Madhavan, Kalabhavan Mani, Revathy, Riya Sen, Biju Menon, Nedumudi Venu, Cochin Haneefa, Maniyan Pillai Raju, Kunchan, Indira Thambi, Lakshmi Krishnamurthy, T P Madhavan, Akhila, Neethu, Kalashala Babu, Parameshwaran Nair, Kannan Pattambi, Padmanaban Thambi, Rajkumar Haripad, Govindan Kutty, Janaki, Tejas

Director : Santosh Sivan
Cinematographer : Santosh Sivan
Producers : Maniyan Pillai Raju, Ajaya Chandran Nair, Raghu Chandran Nair
Music Director : M G Radhakrishnan
Art Director : Sunil Babu
Story, Screenplay, Dialogues Writer : Sunil Parameshwaran
Choreographer : Aparna Sindoor, Anil Natyaveda
Costume Designer : S B Satheesan

でもって感想はというと、快作も怪作、マラヤーラム・ホラー映画ファンの方(そんなのいるか)には是非おすすめしたいスマッシュヒットです。

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■導入部のあらすじ
長らく米国に居住してサンフランシスコで息を引き取った母 (Gayatri Devi / Revathy) の遺灰を手に、故郷であるケララ村に帰還する青年アーナンダン (Anandan / Prithviraj)。母の遺志に従い遺灰を故地に埋葬し、村の聖所に灯明をともすためだ。母は神秘的な力をもつ有力なマーダンビ家の出だった。一族では代々20歳になった総領娘が儀式を経て半神となり、家と村の安寧を支えるのがしきたりだった。しかし母は儀式の前に恋に落ち、駆け落ちして米国に逃れてしまったのだった。

アーナンダンがたどり着いた故郷の村は様子がおかしい。強力な黒魔術師ディガンバラン (Digambaran / Manoj K Jyan) が人々を恐怖に陥れていたのだった。彼の父は村はずれの滝壺の奥の洞窟内の至聖所に安置されている三種の神器−足指輪・奥義書・ダイヤモンド−のうちの足指輪を盗み出すことに成功し、それを息子に伝えた。それによってディガンバランは他人の体に憑依して意のままに操ることができるようになったのだった。ディガンバランのもくろみは、マーダンビ家の娘を伴って訪れなければ手に入れることができないという残りの二種の神器を奪取して宇宙を支配する呪力を得ることだった。彼はマーダンビ家の長女スバドラを誤って殺してしまったが、村娘のバーマ (Bhama / Riya Sen) を呪術によって操り、彼女の生霊をつかってスバドラを甦らせようと試みている。一方でマーダンビ家の次女バドラ (Bhadra / Kavya Madhavan) が神となる儀礼が近づいていた。

■いつものランダムな感想

演技陣についていえば、何といってもマノージKジャヤンが素晴らしい。悪役冥利に尽きる役といっていいかも。カタカリの悪役のマニエリズムを意識的に取り入れた芝居は完全にヒーローのプリットヴィラージを喰ってる。もちろんその辺にいるただ人相が悪いというだけの人たちにはつとまらない。独演ショー状態のミュージカルシーンも本作の白眉でしょう。
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対する盲目の剣術師を演じるカラーバワン・マニもド迫力。やっぱり独演ショーの別のミュージカルシーンでは自分で歌ってるらしい。
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今やただ独りマラヤーラム映画界にとどまっているヤングヒロインのカーヴィヤ・マーダヴァンさん。あまりにもガタイがよすぎてどんなものかと思ってたけど、カタカリ女形風のくっきりメイクをすると映えるね。結構かわゆい。バラタナティヤムのビデオを出すくらいなんだから踊りも上手いんだろうけど、本作ではあまり活かされていない。

前から気になってていたんだけど、魔術師にも色んな種類があるみたいなんだ。本作には黒魔術師、白魔術師、占星術師、霊媒師というのが登場している。占星術師だけはナーイルだということがわかる。白魔術師はブラーミンか。霊媒師はおそらく低位カーストなのではないかと推測。役割的にもきっちりと棲み分けがあるのだと思う。

サントーシュ・シヴァン作品というと、芸術寄りのメッセージ性の強いものという先入観があったのだが、本作は例外。もちろん洗練されてはいるのだが、マラヤーラム・ホラー映画に連綿たる馬鹿馬鹿しさ、怪異やしきたりが「なぜそうなのか」が全く説明されない(科学的にはもちろん神話的にも)ユルい脚本、おどろおどろしい効果音、使い古された小道具の数々、屍累々なのに能天気なエンディングなど、クリシェが満載。入門編に是非お勧めしたい一本です(初心者の人は間違ってもこれとかには手を出さないように。インド映画人生がイヤになるかも)。

サブ・シリルは美術監督としても参加はしなかったようだが、アソシエート・アート・ディレクターの一人に Bawa Cyril という名前が見られる。息子だろうか? 美術担当は Sunil Babu、そしてS B Satheesan による衣装、サントーシュ自身による撮影のコンビネーション(ちなみに特撮はほとんど使われていない)によって圧倒的なビジュアルに仕上がっている。考えてもみてくだせえ、サントーシュのアート映画では90分しか持続しない陶酔の映像美が、ここでは135分も続くんでっせ!

投稿者 Periplo : 02:00 : カテゴリー so many cups of chai
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2006年07月18日

卑小なものたちの機械じかけの神

お気に入り映画のことを直球で語りたくなることもたまにはある(普段は暑苦しくなるのを警戒してなるべく避けるようにしてんだけど)。ここを見にきてくれている皆様になら自信をもってお勧めできる、万一面白くなかったらDVD買い取ってもいいよというくらいにプッシュしたい名作のことを。

文芸批評の基準というものは、すでに古典古代のギリシャでアリストテレスによって言い尽くされているのだが、それによれば悲劇的カタルシスとは偉大なる悪の破滅を描写してはじめて成立するのに対して、喜劇では卑小なる愚かさが罰せられて終わることでカタルシスが味わえるのだという。メニュー画面でこんなのが出てくるので、はじめはいつものラル=シュリニヴァーサン・コンビのお気楽コメディかと高を括っていると、いやいやどうして、阿氏の『詩学』で展開される古典的基準にのっとった実に良質の喜劇で、改めてマラヤーラム語映画の底力を見せつけられる。現地で大ヒット作となったのもよく分かる。ではここで描かれる愚かさとは何かというと、例によって失業者のラルさんが食うにこまってシュリニヴァーサンと一芝居うち、グルカ人に化けてガンディ・ナガール2番町の警備員に雇われる。どこからどう眺めてもナーヤル・カースト出身のぼんぼんにしか見えんラルさんが獰猛なグルカ人というのも無茶だが、そのラルさんが嘘くさいヒンディー語をたどたどしく喋る光景はそれだけで爆笑ものである。失職を恐れて嘘の上塗りを重ねることから生じるどたばたが喜劇の主筋で、最終的には正体が暴露して職だけでなく恋人カルティカまで失う羽目に陥るのであるが、古典劇ではこうした愚かさへの懲罰は芝居のクライマックスに登場する神様に委ねられることが多く、それを指して専門用語でデウス・エクス・マキーナと呼ぶ。本作でその機械じかけの神の役割を果たすのが他ならぬマンムーティであって、これがまたやたらに高貴でカッコイイ。マンムーティ・ファンならずとも惚れぼれすること必至であると同時に、最初から最後まで情けないラルさんとの対比が鮮やかである。(慕夏堂さんによる Gandhi Nagar 2nd Street (Malayalam - 1986) Dir. Sathyan Anthikad のレビューより、太字は引用者による)

いや、学のある人とお近づきになるといいことあるね。当襤褸愚に引用とはいえ「アリストテレス」なんて単語が載ることになろうとは。これで少し迫力が出るかな。

転じて、演劇に限らず、いきなり都合のいいものを持ち出して安易に解決するという御都合主義や、大風呂敷を広げて収拾がつかなくなった挙句、問題の解決を放棄した無理な結末などを意味するようになった。今日の小説・漫画・映画・テレビドラマなどでもしばしばデウス・エクス・マキナの手法は用いられる。(Wikipedia Japan のエントリー、デウス・エクス・マキナの項より)

そう、デウス・エクス・マキナの手法は近代的なリアリズムには馴染まない。だからネオ・リアリズム的方向性を持つ事が多いマラヤーラム映画には、それほどしばしば見受けられるものではないのだが、これが上手く嵌まった以下の2つのコメディは魔法のような傑作。これまでにマラヤーラム・コメディの歯が立たなさについて泣き言を書いたりしてきたけど、この2つに関しちゃそういう掻痒を全く感じずに楽しめるんだ。

cvMutharamKunnu.jpgMutharam Kunnu PO (Malayalam - 1985) Dir. Sibi Malayil
タイトル表記のゆれ:Mutharamkunnu PO
タイトルの意味:Mutharam Kunnu 郵便局
Cast:Mukesh, Nedumudi Venu, Lissy, Pappu, Jagathi Sreekumar, Sreenivasan, Dara Singh, Pujappura Ravi, VD Rajappan, Jagadeesh, Bobby Kottarakkara, Rashid, Sukumari

Mutharam Kunnu という僻村に郵便局長として(自動的に村一番のインテリということになる)やってきた主人公 (Mukesh) が、そこに住む武道家 (Nedumudi Venu) の娘 (Lissy) に萌え〜になったあまりプチ犯罪に手を染めて、嘘を取り繕っているうちに収拾つかなくなり、退路を塞がれ立ち往生する。登場人物全員がコメディアンといったらニュアンスが伝わるか。とことん呑気で脱力系だが最後の「許し」のシーンが泣かせる。いがみ合う村人たちの人間模様に爆笑。

ここでのデウス・エクス・マキナはこの人

ネット上にまとまったレビューは見つからず。

MUTHARAM KUNNU P O was a comparatively a short length humorous film. But later there were no humor but only family subjects. I like family subjects. MUTHARAM KUNNU was a result of the demand from the producer. He wanted a very low budget film. Then that was possible. (IndiaInfo によるシビ・マライル監督へのインタビューより)

cvPonmuttayidunna.jpgPonn Muttyidunna Tharavu (Malayalam - 1988) Dir. Sathyan Anthikad
タイトル表記のゆれ:Pon Mutta Idunna Tharavu, Ponmuttayidunna Tharavu
タイトルの意味:The goose that lays golden eggs
Cast:Sreenivasan, Jayaram, Urvashi, Innocent, Jagathi Sreekumar, KPAC Lalitha, Oduvil Unnikrishnan, Shankaradi, Karamana Janardhanan Nair, Mamukoya, Philomina, Krishnankutty Nair, Parvathi

隣家の娘 (Urvasi) に思いを寄せる金細工師の主人公 (Sreenivasan) は、愛の証として高価な金のネックレスを造って贈る。しかし娘は口約束をいいことに、あろうことかそのネックレスを婚資として、湾岸帰りの好青年 (Jayaram) に嫁いでしまう。愛と体面を同時に失った主人公の復讐。前面に登場する3人よりも脇役の存在感に目を奪われる。特に Karamana Janardhanan NairOduvil Unnikrishnan が素晴らしい。レビューはやはり見当たらない。

こっちではデウス・エクス・マキナはこの女神様

どっちも大スターの出てこない低予算映画、そのせいか脇役に味がある。超人ヒーローの活躍に拍手喝采するなんてシチュエーションは全くなく、どの人物も好き勝手やってる。童話に出てくるような小さな村が舞台となっている事も共通か。歌舞シーンを別にすれば80年代マラヤーラム娯楽映画のコメディ部門最高峰と言っていいと思う。もしもこの2作を御覧になって全然面白くなかったら、下のコメント欄に書き込み下さい、DVDは買い取りますぜ(有言実行)。

投稿者 Periplo : 03:58 : カテゴリー so many cups of chai
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2006年06月26日

久々にヤラれた

以前調べものをしていたときに、どっかで「バギヤラージもまっ青のコスチューム」というフレーズを目にして気になっていたのだ。

だもんでちょっくら見てみるべ、と軽い気持ちで手にした1本、Munthanai Mudichu [The Knot of the Sari] (Tamil - 1983) Dir. K Bhagyaraj。

凄い世界が展開してますた…。
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こんなカッコしてこんなセットで、やってるのはラジオ体操だったりする……

MGRの後継者候補だったなどという話を先に聞いていたので、ウルトラマッチョな正義漢役ばっかやってたんだろうなどと勝手に思い込んでたけど、全然違う…(;・∀・)

お馬鹿もここに極まれりの歌舞シーンといい、児童福祉法違反&未成年者への淫行罪の適用が確実なエロ(本作でデビューの麗しさんは14歳だったというがホンマか)といい、弾けまくり。が、一方でタミル的で田舎的な価値観もちゃんと盛り込んで落としどころも抜かりない。久々に、やっ、やられたかも。

どーしてこう、糞忙しい時に限って死ぬほどオモロイ映画に当たってしまうのか。(;´Д`)

投稿者 Periplo : 04:59 : カテゴリー so many cups of chai
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2006年03月06日

晴れやかな敗北宣言

幽霊が出てくるけどホラーじゃない、神様が出てくるけどミソロジーじゃない、という不思議なユーモア映画を見た。Pappan Priyapetta Pappan (Malayalam - 1986) Dir. Sathyan Anthikad です。

四コマ漫画風なストーリー紹介。
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ポップシンガーでモテモテのパッパン君、バンド仲間の嫉妬をかってあっさり謀殺されてしまうのだ。パッパン君はニイちゃん時代のこの人がやってる、隔世の感があるな。20年前なんだから隔世してる訳だが。
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あまりにも早すぎる非業の死、しかしどうもこれ閻魔帳のイージーな記載ミスだったらしいのだ(インドじゃよくあるよくある)。閻魔様にそりゃないよと直訴して、次に地獄行きになる人間のほやほやの死体に再生させてもらえるように掛け合うのだ。閻魔様役は今やマ映画界の長老となった硬骨漢のこの人がやっててイイ味出してる。
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二人ほど試したけど、どうもうまく行かなくて次にリストに挙がって来たのがこのデーヴァダース警部。凶悪犯逮捕が生き甲斐という仕事の鬼。今時珍しいゴリゴリ保守派のトラッド野郎なので制服以外では洋服なんて着たこともない。そのデーヴァダース警部がマフィアのアジト急襲の乱闘中に殉職。すかさず警部の躯に入り込むパッパン君。

蘇生した警部(中身はパッパン君)が自宅に戻ってまずしたことはというと…

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風呂場に駆け込んでヒゲを落飾しちゃうのだ(爆

わはは、かつて学会発表の折には各方面から絶賛の嵐だったこの理論が一瞬で崩壊。まあ、いいさ、理論を打ち立てさらにそれを乗り越える、この永久運動が人類の進歩なんじゃ。

しかしこのジャケが謳っている「モーハンラール一人二役」というのはちょっとズルなんじゃないかという気もするが…。それはともかく、例によって細かい機微の部分がわからなくてもどかしいのだが、ほろ苦いペーソスのあるラストシーンが印象的な良い映画でした。次はこれを見てみようと思いますです。

余録としてこんな発見も。

投稿者 Periplo : 01:28 : カテゴリー so many cups of chai
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