2012年01月27日

TNWコレクション:Avan - Ivan

おらもきっとインド映画見ながらこんな顔してるに違いねえ。おかしな男たちと喧しい女たちのお伽話。

AvanIvan01.jpg

このタミル・ニューウェーブのシリーズを始めるにあたって、「バーラー監督作品は取り扱わない。何と言うか新潮流の一員というよりは、独自の作家性の中にいる人のような気がするからだ」なんてことを書いたのだけど、あっという間に自分でそのルールを破ってしまうのだ。理由は、すごく面白かったから。

cvAvanIvan.jpgAvan - Ivan (Tamil - 2011)

Director:Bala
Cast:Vishal, Arya, G M Kumar, Janani Iyer, Madhu Shalini, R K, Surya, Ambika, Jayaprabha, Prabha Ramesh, Ramaraj, Ananth Vaidyanatha, Vimalraj Ganesan

原題:அவன்-இவன்
タイトルの意味:That guy, this guy
タイトルの揺れ:Avan Ivan, Avana Ivan, Veedu Vaadu(テルグ吹き替え版のタイトル)

DVDの版元:Ayngaran, Lotus Five Star
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし(Ayngaran盤)
DVDのランタイム:約2時間11分
DVD 入手先:WebmallIndia など

参考レビュー集成:http://periplosjottings.blogspot.jp/2012/09/avan-ivan-tamil-2011.html

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★★★☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★★☆☆☆
おセンチ度★★★★★☆☆☆☆☆衝撃度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★★★★☆☆シリアス度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★☆☆

【ネタバレ度20%の粗筋】
テーニ地方西ガーツ山麓の小さな村。60歳を迎えた土地のラージャー(作中ではザミンダールという言葉が使われている)・ティールタパティ(G M Kumar)は、屋敷以外の資産の多くを手放してしまっていたが、村人からはハイネスと呼ばれ充分な尊敬を受けて体面を保っていた。しかし、二人の妻と幾人かの愛人に生ませた15、16人もの子供達は誰一人寄り付かず、コソ泥稼業の二人の若者と、太っちょの孤児の少年だけを相手に日々の無聊を慰めていた。

そのコソ泥とは、異母兄弟のワルター・ヴァナンガームディ(Vishal)とクンブダレーン・サーミ(Arya)である。二人はそれぞれの母(Ambika, Jayaprabha)と共に隣り合った家に住み、板挟みになって項垂れるばかりの父親を尻目に、罵り合い、掴み合う毎日を送っていた。父の家系は代々コソ泥を生業として来たため、二人も当然のこととして盗みを行い、警察からも目を付けられている。しかしその営みが犯罪としてはあまりに軽微であるために、曖昧な形で村の暮らしに溶け込んでいる。泥棒の技術では弟のクンブダレーンが勝っていたが、斜視の兄のワルターには女形としての芝居の才能があった。仲の悪い二人ではあったが、ハイネスの前では一緒に子供のように遊び回っていた。ある時、ワルターは盗みに入った先で遭遇した巡査のベイビー(Janani Iyer)に一目惚れし、一方クンブダレーンの方も大学生のテンモリ(Madhu Shalini)に目を付ける。(粗筋了)

AvanIvan02.jpg
テルグ吹き替え版 Vaadu Veedu のポスター。

【寸評】
そもそもなんでバーラー監督作品をこのシリーズから除外しようと考えたかというと、簡単に言って歯が立たない感じがあったからだ。たとえば Pithamagan (Tamil - 2003) なんか、そもそもタイトルの意味すらよく分かんないし(直訳は「祖父」、どうやら野辺送りの際に唱えられる経文の一部らしいのだが)。スリランカからの難民流入という社会現象を背景に、母と息子の関係を描いた Nandha (Tamil - 2001) は、割とすんなり受け入れられたんだけど、それ以外の作品が、観応えはあるのだけれども論じにくい難物に思えてちょっと尻込みしちまったのだ。それら作品は、いずれも境界線上にいる人間を主人公に据え、彼らを各種の極限状態に追い込みながら存在への問いかけを提起するという類のもので、もちろんインドでしか成立し得ないものではあるが、どちらかというと芸術映画に近い感触で、タミルの風土との繋がりは比較的弱いものに思えたのだ。

で、本作なのだが、上に挙げたようなバーラー作品の定番を期待していた観客にはかなり評判が悪かったようだ。でもこれ、バーラー・ブランドのレッテルを外して、一本のタミル映画として見るとかなり楽しい仕上がりになっていると思う。少なくとも筆者は充分に楽しんだ。威信を保つことに腐心しながら実際は寂しがり屋の老人であるハイネス、おちゃっぴぃな婦警さん、獰猛な母親たち(以前のエントリーでは小娘時代の可愛らしい写真を掲載したこともあるアンビカー、それに Nadodigal でオッソロシい女代議士を演じて鮮烈な印象を残したジャヤプラバーが演じている)、といった人々が織りなす、いうなれば現代の古譚なのだ。田舎を舞台にしていながらリアリズムではなく、転倒した、あるいは揺すぶられる権威(ハイネスの遊び友達としての泥棒兄弟、夫を放ったらかして掴み合う妻たち、警官にタメ口で話しかける悪ガキetc.)がコメディの中で語られる。しかし最初から最後まで仙境では映画にならないので、後半から異物が登場する。それが何であるかはここでは書かない。この異物にヒンドゥー教的価値観への挑戦を見るべきなのかどうかは難しいところだ。筆者はむしろ経済原理の万能性の侵食であると受け止めた。その異物との戦いの果てのクライマックスは、残酷でありながらどこかユーモラスで、壮麗な大盤振る舞いでもあり、民俗学的な興味をも掻き立てる見事なものだったと思う。

演技という面で見れば、多くの評者が言うように、ヴィシャールが最大の功労者であり見どころでもある。長身で筋肉質、色黒でなおかつ斜視でありながら、その女装姿には目を釘付けにする何かがあり、冒頭のダンスシーンからその困惑させる色気にタジタジとなった。大いに話題となったその斜視だが、脚本段階ではその設定はなく、撮影の初日に監督が思いついたものだという(TOI記事による)。そもそも意志の力で寄り目となって踊りや乱闘を含む演技をするなどということが想像を絶するものだが、ヴィシャールは撮影中度々の酷い頭痛に悩まされたという。そこまでして何故斜視にしなければならなかったのか、劇的な必然性はどう考えても見当たらないのだが、もし斜視でなかったならば、ゲストで登場するスーリヤが裸足で逃げ出した(←誇張)その劇中演技にはそれほど説得力がなかったかもしれない。ハイネス(ハイネスゥと発音するのがコツ)としてペーソスある芝居を見せてくれたGMクマールは、監督・脚本家として30年以上のキャリアを持った人物だが、本作によって一気に脚光を浴びることになったのは間違いない。テレビコマーシャルのモデルをやっていたというジャナニ・アイヤルはそれまでに端役で何本かの出演作があったようだが、本作のヒロインが事実上のデビューのようだ。ちっこくて可愛い婦警さんには大変好感を持ったが、さてこの先どうなるかね。

最後に、アインガラン盤のDVDにわかりやすい字幕をつけてくれたシュライヤンティさん(象印社は最近字幕担当者のクレジットも付記するようになったのかな)にもお礼を言っておきたい。

AvanIvan03.jpg

投稿者 Periplo : 20:09 : カテゴリー so many cups of chai Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2012年01月11日

TNWコレクション:Mynaa

下のポスター、なんかちょっとピーテル・ブリューゲルのこの絵を思わせるものがあるね。これに限らず、当エントリーに掲載のイメージを見て何か感じるところのある人がいたら、迷わず本作を見ていただきたい。以下の駄レビューは読まなくても全然オッケー。イメージ通りの、清々しくも狂おしい緑の眩惑体験。

Mynaa01.jpg

2008年に旗揚げされた制作・配給会社レッド・ジャイアントは、歴史が浅いながらもヴィジャイ、スーリヤ、カマルハーサンといった 大スターの出演作を扱い、すでにタミル映画界の重要な一角を占めるに到っている。この会社の若きCEOウダヤニディ・スターリンのお祖父様は、言わずと知れた前タミルナードゥ州首相カルナーニディ先生、そして親爺様はチェンナイ市長やTN州政府内閣の要職を歴任したジョンイ…じゃなかった、MKスターリン同志である。それはともかく、錚々たる大スターが名を連ねる同社の制作・配給作品群のなかで、無名俳優をフィーチャーした明らかに低予算な本作だけが異彩を放っているのだ。コンテンツにあれこれと指図されたくないということで制作はプラブ・ソロモン監督自身が担当したのだが、試写を見せられたウダヤニディ君がぞっこん惚れ込んでしまい、レッド・ジャイアントの配給のラインナップに加わったということらしい。

cvMynaa.jpgMynaa (Tamil - 2010)

Director:Prabhu Solomon
Cast:Vidharth, Amala Paul (Anaka), Sethu, Thambi Ramaiah, Susan George, Sevvalai, Manroadu Manickam

原題:மைனா
タイトルの意味:ヒロインの名前
タイトルの揺れ:Mainaa, Myna

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間26分
DVD 入手先:<Bhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/wish-listmyaa

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★★☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★★☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★☆☆☆衝撃度★★★★★★★★★★
ハッピー度★★★★☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★☆☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★★☆

mynaa03.JPGmynaa02.JPG
mynaa04.JPGmynaa05.jpg

【ネタバレ度50%の粗筋】
タミルナードゥ州テーニ地方のペリヤクラム拘置所。ディーパーヴァリの前日。看守長(Sub Jail Officer)のバースカル(Sethu)は落ち着かなかった。彼は結婚して間もない妻のスダーと共にこれからマドゥライに向かい、シヴァガンガ郡のアマランガドゥから来る妻の実家のメンバーと合流することになっている。興奮気味のスダーは電話で親戚にあれこれ指図をしている。彼女は度を超して我が儘なところがあり、バースカルも若干持て余している。

拘置所に収監されている若い男スルリ(Vidhaarth)は、テーニ山地の僻村セッヴァングディの出身。博打うちの息子として荒んだ家庭で育った。幼い頃、彼は街で母子家庭が借金取りによって追い立てを食らっているところに行き会い、その母娘を自分の村に引き取り、自分の祖母と一緒に住まわせる。以後彼はその娘マイナーの守護天使となり、あらゆる事柄に関して世話を焼くようになる。

自身は学業からドロップアウトしてしまったが、美しく成長したマイナー(Amala)の通学に毎日自転車で送り迎えをするスルリは、そのあまりの献身ぶりを村人にからかわれても一向に意に介さなかった。彼女が初潮を迎えた時も、成女儀礼のための費用を日雇い仕事によって調達したのは彼だった。彼は当然のこととしてマイナーと結婚するつもりでいたが、彼女の母クルヴァンマは娘を教育のある隣村の男に嫁がせようと目論む。それを聞いて激嵩したスルリはクルヴァンマに暴力を振るい、村人の通報によって逮捕され14日間の拘置を喰らったのだった。

拘置所内の行事が終わり、当直以外の職員達が休暇に入る準備をしていたところに、スルリが脱獄して逃亡中という報告が舞い込む。この不祥事がマスコミに漏れるのを恐れる上層部は、バースカルに1日以内にスルリを捕捉するよう命じる。彼は看守のラーマイヤー(Thambi Ramaiah)を伴って、急遽セッヴァングディに向かう。ディーパーヴァリの遠出がキャンセルになったことでスダーは怒り狂う。バースカルとラーマイヤーの二人はクランガニまではバスで行ったが、そこから先は漆黒の山中を夜通し歩くしかなかった。

セッヴァングディに帰り着いたスルリは再びクルヴァンマと掴み合っているところを、やっと辿り着いたバースカルに拘束される。興奮したクルヴァンマは娘のマイナーにすら危害を加えようとしたので、成り行きからバースカル達は手錠をかけてスルリを連行するのにあわせて、曖昧な形でマイナーも同行させることになる。ところが予期せぬ椿事が重なり、4人は西ガーツ山中で道を見失い、ケララのムンナールに出てしまう。(粗筋了)

mynaa06.jpg

【寸評】
タミル・ニューウェーブの一つの到達点ではないかという気がする、類型としてのカテゴライズを拒むユニークな作品。到達点ではあってもここで打ち止めになるとは思わないが。しばらく前に紹介した Poo (Tamil - 2008) は、田舎が舞台で純愛がテーマという点で、一見同じ括りに入りそうにも見えるが、Poo が寓話性&文学性を指向したものであったのに対し、こちらはどこまでも映画的リアリズムなんだな(そして純愛というよりは狂恋と言った方がいいかもしれない)。作中に展開する出来事は普通の人間が体験することでは全くない、にもかかわらずリアルさがある。そしてリアリズムであるからといって痩せて枯れたものになるとは限らないということが感動を呼ぶのだ。

撮影は作中の舞台設定とほぼ同じ、テーニ地方の最西端、ケララ州境に近いボーディナーヤッカヌールの僻村で主に行われたという。撮影監督のMスクマーランへのインタビューによれば、屋外ではトロリーやクレーンはほとんど使われなかった(予算がなくて使えなかった)という。他のキャストやスタッフの証言を読んでも、シューティング自体がほとんどロードムービーのようなものだったようだ。

ロードムービーが筆者の好物である(そしてロードムービーには点が甘くなりがちである)ということはこれまでに何度か書いてきた。しかし、言うまでもないことだろうが、旅をするなかで、ただ風景が移り変わり、珍しい景色が立ち現れるだけでは不充分だ。空間を移動することによって主体である人間が変容することにこそロードムービーの存在意義がある。本作でもその道行きの中で、清冽な山の空気が人間を変えていく、脱獄囚と連行する警官という社会的な立場・レッテルが段々に削ぎ落とされ、各人が一個の人間として向き合うようになっていく過程が鮮やかなのだ。一方で、同じ山中、僅かな距離しか隔たっていないにも拘らず、タミルとケララの際立った人気(じんき)の違いというのもまた非常に劇的なものとして迫ってくる。これら構成要素がハーモニーを奏で、これほどの高みに昇りながら、最後の落としはあんまりだろう、というのは多くのレビューワーが苦情を言っているところ。筆者も同意見。

演技者たちのなかで本作の第一の功労者は、何と言ってもアマラちゃん。それほど台詞も多くなく、主要キャラの中では振れ幅の少ない役柄なのだが、取り囲む男達を変容させる触媒であるかのような神秘的な存在感、大きな瞳とアルカイック・スマイルの表現力が多いに活きた。アマちゃんなしでは本作は成立しなかっただろう。そして看守役のタンビ・ラーマイヤー。本業は監督である(しかし端役としての出演も少なくはない)というこの人が、本作のユーモアのパートを一人で受け持って笑わせてくれた。監督のプラブ・ソロモンは、本作の前にすでに6本もの作品を送り出しているというのに不覚にも全くノーチェックだった。これから可能な限り遡って鑑賞してみようと思う。


少女の喉を潤した水の飛沫を浴びて、歓喜する男と呆れる親爺。馬鹿馬鹿しくも芸の細かい演出が本作のユーモアの源。

投稿者 Periplo : 02:14 : カテゴリー so many cups of chai Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年12月23日

TNWコレクション:Renigunta

生は冥く、死もまた冥く。

renigunta01.jpg

タミル初のギャングスタ映画と言っていいのか、ブラジル映画『シティ・オブ・ゴッド』の亜流なのか、あるいはマドゥライ映画のアーンドラ臨時出張所とでも言うべきなのか。ともかくタミル・ニューウェーブの一群のバイオレンス映画のなかでもぶっちぎりのむごたらしさ。これと比べたら ParuthiveeranSubramaniapuram がお上品な文芸作品に見えるほどだ。

cvRenigunta.jpgRenigunta (Tamil - 2009)

Director:R Panneerselvam
Cast:Johnny, Sanusha, Nishanth, Theepetti Ganeshan, Thamizh, Sandeep Ravinder, Bunker, Sanjana Singh

原題:ரேணிகுண்டா
タイトルの意味:アーンドラ・プラデーシュ州南部の町の名前。インド全域から参拝客が訪れるティルマラ・ティルパティ寺院へのゲートウェイとなっている。現在はティルパティ市の一部。タミルナードゥ州境までの距離は40kmほど。
タイトルの揺れ:Renigunda, Reniguntaa

DVDの版元:Moser Baer
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間31分

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/renigunta-tamil-2009

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★★★★★★★★★お笑い度★★★★☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★☆☆☆衝撃度★★★★★★★★★★
ハッピー度★☆☆☆☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★★
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★☆☆

renigunta02.jpg

【ネタバレ度50%の粗筋】
タミルナードゥ州南部、デーヴァコーッタイにすむ10代半ばのシャクティ(Johnny)は、どこにでもいる平凡な少年だった。父は公共事業局の下級役人、母は連続テレビドラマが何よりも好きな主婦。両親はことあるごとにシャクティに、将来よりよい生活を送るためには勉学に励むしかないと叱咤していたが、彼はどうしようもなく勉強が苦手だった。ところがある日、父が裁判で街のドンに不利な証言をする意志を示したために、両親は市場で衆人環視のなか誰からも助けの手を差し伸べられることなく殺されてしまう。絶望したシャクティは刃物を手にドンに立ち向かうが、無謀な試みは成功するはずもなく、殺人未遂でマドゥライの刑務所に収監される。彼はそこで自分よりもやや年嵩の4人の少年囚と同房になる。彼らは未成年ながら札付きのギャングで、これまでに既に殺人に手を染めていた。

4人はかねてからの脱獄計画を実行に移すが、憐憫の気持ちからシャクティも連れて行くことにする。逃亡に成功した5人は大小の犯罪行為を繰り返しながら「ギャングの本場」であるムンバイを目指すが、運命のいたずらによってアーンドラ・プラデーシュ州のレーニグンターに流れ着く。そこで彼らは大人のギャングの下働きとして殺しを請け負うことになる。シャクティは貧しい街の一角で聾唖の少女(Sanusha)に出会い、二人はお互いに淡い恋心を抱く。一方、彼らが後にしてきたティルマンガラムでは、脱獄した少年達に手酷く侮辱された警官ラーダークリシュナンが職務を超えるような執念で5人の行方を追い求めていた。(粗筋了)

renigunta03.jpg

【寸評】
いやー、凄い映画だった。これまで当シリーズで紹介してきたものの多くは、なんのかんの言っても有名作品、ぼや〜んとした興味しかなくとも何かしら情報は入ってきていた。しかし本作は全くのノーマーク、ただ安いからという理由だけで買ってあったDVDを再生機に放り込んだのは、ニューウェーブでも単なる流行に乗っかって作られて何処ともなく消えて行ったB級作品もあるだろう、そういうのを1本ぐらいチェックしておいてもよかろう、などという思い上がった気持ちから。で、実際に観てみて、これはやられた〜ってとこだ。

「何処ともなく消えて行った」などと上に書いたが、調べてみれば実際には興収もそこそこにはなったようで、元来が無名俳優ばかりの低予算映画であることを考えれば大化けと言っていいくらいかもしれない。レビューをあれこれ漁ると、批評家筋からは概ね不評だったことが窺えるが、そういった評価とは無関係に口コミが観客を呼んだということなのだろうか。監督のRパンニールセルヴァムは本作がデビューだが、現在に至っても大変情報が少ない。リングサーミ監督の下でアシスタントをしていた人のようだ。主演のジョニーは主に娯楽作品を手がけてきたプロデューサー、SSチャクラヴァルティの息子でやはり本作がデビューというのだが、まあこれまでの(ヒーロー格の)タミル俳優にはいないタイプだわな。残りの少年達も、本当にストリートからリクルートしてきたんじゃないかと思われるような恐ろしいリアリズム。見ていても演技をしているとはとても思えなかった素のままぶり。ともかく全編を通して、名前までは分からなくとも顔だけは知っているクラスの俳優さえ殆どいなかったというのにも吃驚。

しかし、目新しいのはキャスティングだけで、ストーリー自体は幾度となく語られてきた、ギャングと、警官の無法と、足抜けと、娼婦と、無垢な下町の美少女の物語なのだ。ただその語りのいちいちが舌を巻く程に巧みで目が離せず、奔流のようなバイオレンスに息もつけず最後まで釘付けにされてしまう。そして、カメラ(若くして亡くなったジーヴァ監督の下で仕事をしていたというシャクティが担当)と美術(サンジャイ・カランが担当)が作り出した、泥濘のリアリズムと白昼夢のような非現実の世界とが交互に訪れる、エッジの立ったビジュアルが凄い。たとえば、唯一のロマンチックな劇中歌 ♪Mazhi Peyyum Podhu、狭い路地でのヒーローとヒロインとの追っかけっこというマンネリの極地のような素材が、こうも巧みに繊細にコンポーズされたかと驚嘆せざるを得ない。

中盤以降の物語の舞台がアーンドラに移るというのにも意表をつかれた。といっても登場人物の殆どがタミル人(もしくはタミル語を話す人物)であり、別に他所の土地とその住人を都合良く邪悪なものと決めつける、エスノセントリックなタイプの娯楽映画によくある設定ではない。本当のところ、なぜ本作の舞台がレーニグンターでなければならなかったのか、筆者には今ひとつ理解できないのだが、街のいたる所に貼られたテルグ映画のポスター、テレビで踊るチランジーヴィ、そしてタミルとアーンドラでの殺しの作法の違いを得々と説明するギャングの手下、などなど大変に印象的だったことは書いておきたい。

また、気が滅入る程のリアリズムに支配された男優達に対して、女優達の方は同じくリアリズムに裏打ちされながらも恐ろしく魅力的だったことも付け加えたい。ヒロインのサヌシャーは、マラヤーラム映画への子役出演からキャリアをスタートしたというのだが、なんと1996年生まれ!はっきり言って本作でも子役として扱った方がいいんじゃないかというロリっぷり。演技らしい演技もしていないように見えてるが、役への馴染み方は尋常ではなかった。一方、劇中の台詞で「レーニグンター・スペシャル」と紹介される娼婦役のサンジャナ・シンは、営業用ポートレートの塗りに塗ったオフスクリーン写真では典型的なボリウッド女優。いやぁ〜お願いそばに来ないで〜と言いたくなるよな「おっかない系」なのだが、作中での「幸薄い美人」ぶり、浮世絵の女のような凄みある艶気は、これまた目を見張らされるような驚きだった。この二人の存在感があったからこそ、やりきれない暴力の二時間半に微かな甘さのある余韻が生じたのだと思う。

sanusha.jpgsanjana.jpg

投稿者 Periplo : 05:23 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年12月18日

TNWコレクション:Nadodigal

Nadodigal.jpg

これも広義のマドゥライ映画と言えるだろうか。しかしストーリーは単純なのに、メッセージは非常につかみどころがない、いかような解釈をも許すようなものとなっている。 Subramaniapuram (Tamil - 2008) の監督Mシャシクマールが主演し、同作で悪役を演じたPサムドラカニが監督をつとめて本作で一大ブレイク、この二人の監督の間での出演と監督を交互にやりとりする不思議なキャッチボールはその後も続いている。

cvNadodigal.jpgNadodigal (Tamil - 2009)

Director:P Samuthirakani
Cast:Sasi Kumar, Vijay Vasanth, Bharani, Ananya, Abhinaya, Ganja Karuppu, Jayaprakash, Ranga, Shanthini Deva, Jayaprabha, Lakshmi Ramakrishnan, L Raja, Niveda

原題:நாடோடிகள்
タイトルの意味:Nomads
タイトルの揺れ:Naadodigal

DVDの版元:Ayngaran など
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間48分
DVD 入手先:Bhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/naadodigal-tamil-2009

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★★★☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★☆☆衝撃度★★★★★☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★☆☆
消化不良度★★★★★★★★★☆満足度★★★★★★☆☆☆☆


******************************************************************

本作には以下にあげるリメイクが存在する。クレジットなどから、いずれも公式リメイクであると思われる。なおかつ、プリヤン先生によるヒンディー・リメイクの噂もあり、これが実現すれば Bodyguard (Malayalam - 2010) Dir. Shafi と並んで南印4言語+ヒンディー制覇を果たすことになる。リメイク天国印度でもこれは結構珍しいのだ。

shamboshivashambo.jpg
Shambo Shiva Shambo (Telugu - 2010)

Director:P Samuthirakani
Cast:Ravi Teja, Allari Naresh, Siva Balaji, Priyamani, Abhinaya, Sunil, Roja, Chandramohan, Ahuti Prasad, Sudha, Kota Srinivasa Rao, Mukesh Rishi, Suryatej Mamidi, Rao Ramesh, Krishna Bhagawan, Tanikella Bharani

原題:శంభో శివ శంభో
タイトルの意味:Shiva, the bringer of peace
タイトルの揺れ:Shamboo Shiva Shamboo, Shambu Shiva Shambu, Shambo Siva Shambo, Sambho Shiva Sambho

※現在のところDVD、VCDの発売は確認できず。

IthuNammudeKadha.jpg
Ithu Nammude Katha (Malayalam - 2011)

Director:Rajesh Kannankara
Cast:Asif Ali, Nishan, Abhishek, Ananya, Amala Paul, Nimisha Suresh, Vineeth Kumar, Kaviyoor Ponnamma, Shoba Mohan, Indrans, Lalu Alex, Jagathy Sreekumar, Ambika Mohan, Suraj Venjaramoodu, Kottayam Nazir, Devan, Kalaranjini, Dhanya, Jagadheesh, Lishoy, Balachandra Chullikkad, Manoj Thomas

原題:ഇതു നമ്മുടെ കഥ
タイトルの意味:This is our story
タイトルの揺れ:Ithu Nammude Kadha

DVDの版元:MoserBaer
DVDの字幕:なし
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間11分
DVD 入手先:BhavaniWebmallIndia など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/wish-list-ithu-nammude-katha

※リメイクのなかで筆者が実際にチェックできたのはこれだけ。いずれどこかで感想、というか如何に脱力したかを書きたい。ここでは、筆者の脳内では既に「タミル映画界のトップ女優」扱いになっていたアマラちゃんが、美味しいところのない小さな役で登場していて魂消たことを記録しておく。

Hudugru.jpg
Hudugaru (Kannada - 2011)

Director:Maadesh
Cast:Puneeth Rajkumar, Srinagara Kitty, Yogish, Radhika Pandit, Abhinaya, Rangayana Raghu, Sadhu Kokila, Vishal Hegde, Ramya Barna, Avinash, Vanitha Vasu, Srinivasa Prabhu, Sudha Belawadi, Tabala Nani, Honnavalli Krishna

原題:ಹುಡುಗರು
タイトルの意味:Boys
タイトルの揺れ:Hudugaaru, Hudugru

※ DVDが発売となったらしいのだが、レーベルを特定できず。なお、上に記したデータについてはカーヴェリ川長治さんによるレビューを参考にさせていただいた。

******************************************************************

話をオリジナルに戻す。

【ネタバレ度50%の粗筋】
タミル中南部のラージャパーライヤムに住む3人の若者、カルナ(カルナーカラン、M Sasikumar)、 パーンディ(Bharani)、チャンドラン(Vijay Vasanth)は幼い頃からの友達同士だった。カルナは公務員試験に挑戦を続ける就職浪人。大学では歴史学を専攻し、成績優秀でゴールドメダルを獲得したが、全く金にならないことを学んだとして家族からも責められている。パーンディは外国に出稼ぎに出かけることだけを夢見ている能天気野郎。チャンドランはコンピュータ・スクールの講師をしているが、独立して自分のスクールを持つことを目指している。カルナの妹パヴィトラ(Abhinaya)とチャンドランは密かに心を寄せ合っている。カルナには従姉妹のナッランマー(Ananya)が何かと付きまとい、クールな彼は適当にあしらっているが、内心は愛おしく思っている。しかしナッランマーの父はカルナが公務員としての勤め口を得るまでは娘の許婚とは認めないと釘を刺していた。

ある日、カルナの旧友のサラヴァナン(Ranga)が都会の大学での勉学を終えて戻ってくる。再会を喜ぶカルナに対して浮かぬ顔を見せるばかりのサラヴァナンは問題を抱えていた。彼にはプラバー(Shanthini Deva)という恋人がいたのだが、双方の親に交際を反対されて無理矢理引き離されていたのだ。プラバーの父親は実業家でナーマッカルの町の有力者、一方サラヴァナンの母(Jayaprabha)はカニヤークマリ区選出の元議員で多数のグーンダを抱える女傑。この二人はお互いに自分の子供が相手の子によって誘惑されたとして激しく非難し合っていた。

義に厚いカルナはどんなことをしてでもサラヴァナンとプラバーを結婚させると誓い、パーンディとチャンドランを巻き込んで作戦を練る。三人は双方の親の追跡をかわして恋人達を駆け落ちさせ、シヴァンマライ寺院で挙式させることに成功するが、このことによってそれぞれが取り返しがつかない程の大きな代償を払うことになる。(粗筋了)

【寸評】
冒頭で「非常につかみどころがない」と評したが、くどいようだがストーリー自体はとてもシンプルなのである。観る前は、Chennai 600028 の田舎版、「馬鹿は死んでも直らない」を笑う楽天的なヴァカモノ群像映画だと思っていたのだ。だが実際に観てみるとちょっと違う。それはシャシクマールが演じる第一ヒーローであるカルナの造形によるところが大きいと思う。まず、見かけからして若々しくない。そして時流に沿わない歴史学などというものを学んだ反骨的な面、駆け落ちの作戦行動にあたって采配を振るう智将と言ってもいいような一面もある。また職を得られないことに対する内に籠ったコンプレックス。一方で、行為の報いとしてどれほど深刻な事態が待ち受けているかを予測できない向こう見ずさ、友情と恋愛に対する無条件の信頼という素朴さもある。単なる田舎の馬鹿アンちゃんではなく、複雑な襞を持ったキャラなのだ。そんな彼が、信じるもののために行動を起こし、多大な犠牲を払って成し遂げる。しかし後半になってその達成が根本から揺るがされる。今度はその事態に対して再びの戦いを挑み、裏切り者を打ち負かすのだが、ここですでに観客はその勝利が一時のものでしかないことを知っている。罰を受けた小狡い者達が結局は勝者であるのは動かしがたい。これは挫折と敗北の物語なのだ。まるで『坊ちゃん』のように。それでも彼はラストシーンで再び同じ行動を起こすことが暗示されている。何と言うか、哲学的な匂いすらするストーリーではないか。

もちろんもっと即物的な観点から本作を楽しむことも可能だ。例えば、ニューウェーブ映画ならではの、ワイヤーに頼らないリアルなアクション。誇張のないアクションに基づいた作戦行動の一部始終はスリラーとして満点の出来。また、家族の意に逆らった恋愛および駆け落ち婚は是か非か、というサウス映画の永遠のテーマを掘り下げた作品としても観ることができる。特にカップルの友人達が(時には面白半分で、あるいは大人全般への反抗の気持ちから)駆け落ちに協力することに関しては、賛成派・反対派双方に議論の材料を与えただろう。実際に2007年にテルグ映画界で大騒ぎとなった駆け落ち事件でも新郎新婦の友人達の力はかなり大きかったようだ。余談ながらこの事件は様々なレベルでテルグ映画のストーリーにも影響を与えた。どちらかと言えば若いカップルに同情的だったのが、Parugu (Telugu - 2008) Dir. Bhaskar で、二人の行動を悪意をもって解釈したのが Fitting Master (Telugu - 2009) Dir. EVV Satyanarayana だった。他にも多くの作例があるものと思われる。

音楽についても書いておくと、Anjathey からこっち注目することになったスンダルCバーブによるソングはどれも良い。特に繰り返される ♪Shambo Shiva Shambo は観た後に頭の中で何度も自動再生してしまうような中毒性を持っている。本作のエネルギッシュな本質を凝縮したような曲調が素晴らしい。別々の作曲家を起用したカンナダ、マラヤーラムのリメイクでも、この曲だけはオリジナルを採用しているというのも頷ける。

などとクドクド書いてみたが、ここでの特記事項は何て言っても本作でデビューしたアビナヤちゃんでしょう! 以前に別の女優に関する記事のなかでちょっとだけ紹介した、聴覚障碍にもめげず女優業の道を歩むカワイ子ちゃん。以前の記事ではハイダラーバードの出身と書いたけれども、今ウィキペディアのエントリーを見たらカルナータカ人となっている。しかしこれにも裏付けがない。この先アビナヤちゃんがもっともっと売れっ子になれば、詳しいバイオデータが出て来てくれるだろう。ともかく、本作と同じ役柄でアビナヤちゃんが登場するというテルグ&カンナダ・リメイク、オッちゃんは草の根分けても絶対に観るんじゃと、ここに宣言しておく。

NadodigalAbhi.jpg

投稿者 Periplo : 14:57 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (1)

2011年12月16日

TNWコレクション:Kadhalil Vizhunthen

孤独な若い男女が都会の片隅でひっそりと身を寄せ合う、リアルな恋愛ドラマになるのかと思いきや…。

KadhalilVizhunthen1.jpg

サンTVなどで知られるメディア王、カラーニディ・マーランが立ち上げたサン・ピクチャーズの初配給作品(ちなみに同社の初制作作品が『ラジニカーントのロボット』)。カラーニディ・マーランのお祖母様のお兄(弟?)様というのが、言わずと知れた前タミルナードゥ州首相カルナーニディ先生、親父様がDMKの有力政治家だったムラソリ・マーラン氏(故人)である。ただし、本作公開の頃、マーランとカルナ一族の対立関係は最高潮に達していた。

主演のナクル(ナクランとも)は女優のデーヴァヤーニの弟、Boys (Tamil - 2003) Dir. Shankar の脇役でデビューの後、プレイバックシンガーとして一定のキャリアを積んでいたが、本作のために35kgとも言われる大減量を成し遂げてヒーローとしてカムバックしした。ヒロインのスネーナーは経歴などが今ひとつよくわからないが、北インド出身で、2006年からテルグ映画などに出演しており、本作がタミル映画デビューとなった。監督のPVプラサードも本作がデビューだが、やはり情報が少ない。

cvKadhalil.JPGKadhalil Vizhunthen (Tamil - 2008)

Director:P V Prasath
Cast:Nakul, Sunaina, Livingston, Sampath Raj

原題:காதலில் விழுந்தேன்
タイトルの意味:I Fell in Love
タイトルの揺れ:Kaadhalil Vizhunthen, Kadhalil Vizhundhen

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間26分
DVD 入手先:Bhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/kadhalil-vizhunthen-tamil-2008

都会度★★★★★☆☆☆☆☆田舎度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度★★★★★★★☆☆☆お笑い度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★☆☆☆衝撃度★★★★★★☆☆☆☆
ハッピー度★★★★☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★☆☆
消化不良度★★★★★★★☆☆☆満足度★★★★★☆☆☆☆☆

【ネタバレ度40%の粗筋】
夜のチェンナイの街路。足に怪我を追った女性を車いすで運ぶ若者が数人の男達に追われて逃げまどっている。彼は中央駅に駆け入り、発車しかけているニルギリ・エクスプレスに乗り込む。見咎めた車掌のスブラマニ(Livingston)に、彼は二人が駆落ちしようとしていることを打ち明け、同情を示すスブラマニに彼女との出会いから始まる恋物語の一部始終を語り始める。

サバ(サバパティ、Nakul)は貧しい家に生まれながらも工学系のカレッジに通うサッカー好きの青年。ミーラ(Sunaina)は裕福な家に育った、別のカレッジに通う女学生。どちらも幼い時分に母親を亡くしているという以外には全く共通点のない二人だった。ある日往来で、ミーラの身につけたドゥパッタが風に煽られて吹き飛び、バイクに乗っていたサバの視界を遮ったことから事故となり、サバは瀕死の重傷を負う。半狂乱になったミーラは彼を高級医院に運び込み、費用を全て受け持って入院させる。彼が危機的な容態を脱した後もミーラは看病に通い、二人は2ヶ月の入院期間中毎日顔を会わせることになる。退院した後もミーラのことが忘れられないサバは、しかし自分との階級の違いも充分に分かっており、ひっそりと遠くから彼女を眺めることに満足していた。

車掌を聞き手にした恋物語が続くなか、追っ手の男(Sampath Raj)も諦めておらず、セーラム駅に先回りして二人を捕捉しようと迫っていた。

KadhalilVizhunthen2.jpgKadhalilVizhunthen3.jpg

【寸評】
困った映画だ。とりあえず最初から最後まで飽きずに見させてもらったんだし、アクションシーンの造りの上手さ('action' Prakash という人物が担当しているという)には一定の注目をしていいと思ってるのだが、総体としてみてジャンクな感じが拭えない。筆者はどういう訳だかこのナクル+スネーナーのコンビの次作 Masilamani (Tamil - 2009) Dir. Manohar というのを先に見てしまっていた。こちらは下町人情を背景にした典型的な女高男低の身分差ロマンスもの。で、今時のタミル娯楽映画はここまでオーラのないフツーの兄ちゃん姉ちゃんをフィーチャーするところに来ちまったのかと愕然とした。そしてこの二人は「俺的には追わなくてもいい俳優のリスト」に整然と格納されてしまったのだ。

にも拘らずなぜ高価な象印DVDを取り寄せて本作を見たかというと、一つには我が偏愛のアイテムである鐵成分のある作品であるらしいことと、もう一つには本作の挿入歌 ♪Naaka Mukka の異様なまでの大ヒットに釣られてという、二つの理由があった。

で、本作を見てみて、やっぱり女高男低の身分差ロマンスで、その手のストーリーのお決まりのあれやこれやが次々と展開して、それにしてもやっぱりナクルが一番の問題じゃん、背が高くて色が白めでダンスが上手くても必ずしもヒーローにはなれないっていう見本みたいな俳優だ、ストーカー系悪役がいいとこじゃん、そんなにタミル映画界は人材不足なのかいな…とまた同じことを考えてたら、インターミッション後…。あああ、納得。ネタバレを避けるためにこれ以上細かく書くのは止めるが、200%納得のキャスティングだわ、これ。ただしこの手はもう二度と使えないわな。

KadhalilVizhunthen4.jpgKadhalilVizhunthen5.jpg

問題のクットゥ・ソング ♪Naaka Mukka は男声のもの(ナクルが自分で歌っているらしい)と女声のもの(フォークシンガーのマドゥライ・チンナ・ポンヌが担当)がそれぞれ一回ずつ使われている。片や港湾ビルの建設現場、片やトラック・ターミナルという、どちらも肉体労働の現場で繰り広げられる超高速ダンスビート。踊りの技巧というよりはノリとエネルギーが身上の狂熱の名シーンだと思う。Naaka Mukka とは字義通りには「舌と鼻」、ミュージック・ディレクターのヴィジャイ・アンソニーによれば、とりたてての意味のない言葉遊びだというのだが、様々な解釈が出回った。「雌牛は死んだ/人間が食っちまった/皮を剥いで太鼓を作れ」なんていうアグレッシブでロウワーな含意を感じさせる歌詞にはゾクゾクさせられる。そしてこういう曲が大ヒットするタミルというものに、「またしてもやられたっ」と感じるのだ。

ただしこれ、…ストーリーと全然関係ないんだよね。よく印度映画にあまり関心のない人が「インド映画って意味もなく踊り出すんでしょ?」と馬鹿にして言うレベルよりも、もっと過激にストーリーに無関係なんだ。監督のプラサードさんは、封切り前に大ヒットしてしまったこの曲とこのダンスに合わせて、全然違うストーリーをゼロから作り直した方が良くはなかったかね。争いを好まずヒステリックな物言いを避ける温厚そのものの筆者が「ジャンク」などという言葉をつかってしまったのはこれが原因。まあ、ジャンクにもいい部品がとれる有用なジャンクとそうでないものがある訳で、そういう意味では本作は「価値あるジャンク」ではあるのだが。

ともかく、本来の作中で適切な存在意義を与えられなかったこのソングは、一人歩きを始めた。今ひとつ信じられないのだがクリケット・ワールド・カップの開会式典で演奏されたとか、IPLのシーズン開幕試合で流れたとか。つい先日封切られたシルク・スミターの伝記的映画 The Dirty Picture (Hindi - 2011) Dir. Milan Luthria の作中でも使われたという(ただし筆者は未確認)。そういう一連の一人歩きのなかで一番凄いと思ったのが下の動画。

日刊の英字全国紙 THE TIMES OF INDIA が2009年の同紙のチェンナイ・エディション発足を記念して発表したイメージ広告動画 "A Day In The Life Of Chennai"。一見するとドキュメンタリーだが、400人のエキストラを使って撮影された超短編劇映画。いんや、カッコよ過ぎじゃ!これぞタミル魂ってやつじゃありませんかい。

というわけで、この Kadhalil Vizhunthen は絶対のお勧めではないが一度ぐらい見ても損はしない作品、"A Day In The Life Of Chennai" の方は何度見ても厭きない絶対のお勧めなのであった。

投稿者 Periplo : 04:04 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (3)

2011年12月10日

TNWコレクション:Goa

goa1.jpg

久しぶりに転げ回って笑った。自分大丈夫かと心配になったほど。Michael Madana Kama Rajan (Tamil - 1990) Dir. Singeetam Srinivasa Rao には及ばなかったけど、Kadhala Kadhala (Tamil - 1998) Dir. Singeetam Srinivasa Rao と同じくらいには笑った。凄いじゃん。面白さのツボは、ゴアといやあ都会の人間がヴァカンスに出かけて弾けるところと相場が決まってたのを、田舎者に行かせたとこにあると思う。

cvGoa.jpgGoa (Tamil - 2010)

Director:Venkat Prabhu
Cast:Jay, Vaibhav Reddy, Premji Amaran, Sneha, Piaa Bajpai, Melanie Marie, Aravind Akash, Sampat Raj, Vijayakumar, Chandrashekar, Silambarasan, Nayantara, Prasanna

原題:கோவா または GOA
タイトルの揺れ:Goa - A Venkat Prabhu Holiday

DVDの版元:Lotus Five Star など
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間34分

オフィシャルサイト:http://www.goathemovie.com/
参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/goa-tamil-2010

都会度★★★★★☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★☆☆
暴力度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★★★★★
おセンチ度★★★★★☆☆☆☆☆衝撃度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★★★★★★シリアス度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★☆☆

【ネタバレ度30%の粗筋】
テーニ地方の僻村パンナイプラムでパンチャーヤト集会が開かれていた。村の掟を破った3人の若者を裁くためだ。軍人の息子ヴィナーヤカン(Jai)はアメリカかぶれの穀潰し、ラーマラージャン(Vaibhav Reddy)は村長(Vijayakumar)の息子だがやっていることは村中の女の子に秋波を送るだけという軟派野郎、舞踊家の息子サーミカンニ(Premji Amaran)は女神への願掛けによって授かったという出生から学校にも行かずに寺院での奉仕に明け暮れるべく育てられた朴念仁だった。3人の罪状は、村の掟に逆らって村境を超えテーニに遊びにいこうとしたこと、彼らはそれを14回も繰り返したのだ。

それぞれの家族の厳重な監視のもとに置かれた3人はますますフラストレーションを募らせ、さらに大胆な逃亡を試みる。それはテーニではなくマドゥライに出かけるということ。今回はまんまと脱出に成功し、マドゥライの知り合いアラハルサーミを訪れた3人だったが、そこで彼らが目にしたものは…。(中略)

色々あって3人はゴアを目指す。目的はリッチなガイジンのギャルをゲットして、国外で暮らすこと。そこで彼らはクラブ歌手のローシニ(Piaa Bajpai)、白人ツーリストのジェシカ・アルバ(Melanie Marie)、フローティング・カジノを経営する実業家スハーシニ(Sneha)に巡り会う。(粗筋了)

Goa3.jpg

【寸評】
Chennai 600028ヴェンカト・プラブ監督の第3作目。スッパルスターの次女で、元々はグラフィック・デザイナーをやってたサウンダリヤ・ラジニカーントが興した制作会社オーカー(アーッカルと読むべきか)の初プロデュース作品。前のポストで紹介の Thamizh Padam とほぼ同時の公開で、しかもどちらも映画のパロディが満載の作品ということで大変に話題になった。双方ともヒットを記録したが、本作の方はゲイのモチーフからA指定となり、売り上げの面では Thamizh Padam には及ばなかったようだ。しかし筆者に言わせれば、こっちの方が比べ物にならないくらい面白い。

両作ともタミル映画のパロディに満ち満ちているが、Thamizh Padam は純粋にパロディのためのパロディ、一方この Goa は薄々とはいえ、ストーリーがある。田舎者が都会(というかコスモポリタンな観光地)に出て右往左往する様を笑うヴァカモノ映画。そして濃ゆい、濃すぎるほどのキャラクターがある。そのキャラの配役のいちいちに Casting Coup とでも言うべき意外性があって効果を増幅させている。ヴァイバヴ ‘半端イケメン’ レッディ、‘viをつけたかった’ ジャイあたりはまあ普通だが、監督の実弟であるプレームジ・アマランには度肝を抜かれた。途中までこいつだと分からなかったぐらいだ。アラヴィンド ‘ハムスター’ アーカーシュには初めて演技力を見せつけられた気がした。サンパト ‘チンケなドン’ ラージもまた登場後しばらくは気がつかなかったくらいのブッ飛んだ役作り。一番凄かったのはスネーハかな。「東宝シンデレラ」女優だと思ってたスネーハがあんなことやこんなこと…。まあ、デビューから10年にもなれば作風も変えないと、ということなのか。プリヤン先生の見つけものである可愛いピアー・バジパイだけはいつもの彼女。白人ツーリスト役のメラニー・マリーは、ジェシカ・アルバという役名で登場する。様々な報道によれば、当初この役は実際にハリウッド女優のジェシカ・アルバにオファーされたというのだが、ホントかね。話題作りのために草野球チームが巨人軍に練習試合を申し込んだだけ、という気がしないでもない。ともあれ、このメラニーはタミル人好きのする優しい感じのブルネットで、含羞の演技もきちんとこなし、Madrasapattinam (Tamil - 2010) Dir. A L Vijay のエイミー・ジャクソンに匹敵するくらいの好感度があった。

それから、過去の映画への言及についても分かる範囲内で。とりあえず一番吹くお笑いの部分は Subramaniapuram に依っているので、これは前もって見といた方がより笑えると思う。Manmadhan (Tamil - 2004) Dir. A J Murugan はラストシーンの駄洒落用。Ammoru (Telugu - 1995) Dir. Kodi Ramakrishna は映像そのものが作中で使われちゃってる。 Paruthiveeran は瞬間芸なので見逃さないように。Dil Chahta Hai (Hindi - 2001) Dir. Farhan Akhtar もちょっとだけ出てくる。それから、幾多のヴィレッジ映画&幾多のラジニのアクション映画も。スネーハのキャラは多分ハリウッド映画からなんだと思うけど分からない、誰か教えて。

転げ回ったなどと褒めちぎってみたものの、不満はある。シランバラーサン、プラサンナー、ナヤンターラをゲストに引っ張ってきながら使い方が勿体なさ過ぎ。特にナヤン様はもっと笑わせて下さってもよかったように思う。それと、前半のハイテンションが後半でやや減速してしまったこと。お淑やかなスネーハをあそこまでブチ切れキャラにしたのならもうちょっと暴れてもらえばスカッとしたのに。是非続編を作ってこのへんの不完全燃焼を解消してほしい。

goa2.jpg
もっと言っちゃうと、一番バッカバカだったのはゴアに出かける前の「マドゥライの段」だったんだけどね。

投稿者 Periplo : 01:31 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年12月07日

TNWコレクション:Thamizh Padam

ThamizhPadam1jpg.JPG

前にもことわったように、このタミル・ニューウェーブのコレクションは年代順の紹介ではない。ただし、ずっしり重いものの後には笑える軽めのものという感じで、交互に取り上げていこうとは思っていた。だけんど、ここに来てどっと冷え込んだせいなのか、オイラなんかダウナー系なのよ。なんで、しばらくお笑い系を連投で行こうと思う。却って寒くなってしまったりしないことを祈りながら。

cvThamizhPadam.jpgThamizh Padam (Tamil - 2010)

Director:C S Amuthan
Cast:Shiva, Disha Pandey, Paravai Muniyamma, Manobala, M S Bhaskar, V S Raghavan, Venniradai Murthy, Delhi Ganesh, Shammuga Sundaram, Periardasan, Ponnambalam

原題:தமிழ்ப் படம் または தமிழ்படம்
タイトルの意味:Tamil Cinema
タイトルの揺れ:Tamizh Padam, Tamil Padam, Thamizhpadam, Tamizhpadam

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間20分

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/thamizh-padam-tamil-2010

都会度★★★★★☆☆☆☆☆田舎度★★★★★☆☆☆☆☆
暴力度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★★★★★
おセンチ度★★☆☆☆☆☆☆☆☆衝撃度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆シリアス度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
消化不良度★★★★★★★★☆☆満足度★★★★★☆☆☆☆☆

【ネタバレ度20%の粗筋】
昔ながらのタミルの田舎の村・シニマーパッティには、独自の掟があった。それは誰であれ村人の家に男子が生まれたら、即座に間引きしなければならないという過酷なものだった。こんな掟が出来たのは、過去のある時期村出身の男子から映画スターが続々と輩出したことに原因があった。スターになった彼らはことごとく州首相の地位を狙うと言明し、それが州与党を刺激して、政府が村のライフラインを止めるなどの嫌がらせを行う事態に陥ったのだった。これを憂慮した村のパンチャーヤットは、マドラスに出ていって映画スターになることを目論む男子が二度と出現しないよう厳しい掟を定めたのだった。

そんな村にまたしても男児が生まれてしまった。掟に従うしかない父親は、産婆(Paravai Muniyamma)に息子を殺すことを命じるが、いたたまれない産婆は赤子を連れてマドラスに逃れる。シヴァ(Shiva)と名付けられたその赤子はマドラスの下町ですくすくと育ち、街のヤクザものを懲らしめ、闇の組織と戦い、可愛い女子大生プリヤー(Disha Pandey)を追いかけ回す、立派なタミル男子となった。(粗筋了)

ThamizhPadam2.jpg

【寸評】
これもまた興味深い新顔の揃った異色作。発足からまだ日は浅いものの、今や既にタミル映画界の注目の制作会社となった Cloud Nine Movies の初作品だ。クラウド・ナインのトップである若きダヤーニディ・アラヒリのお祖父様は、言わずと知れた前タミルナードゥ州首相カルナーニディ先生、そして親爺様は「存在自体がマドゥライ暴力映画」の血塗られた無冠の(←かつては)帝王MKアラヒリ氏だ。

監督のCSアムダンは広告業界出身の映像作家で、本作が劇映画としてはデビュー作。主演のシヴァは Chennai 600028 (Tamil - 2007) Dir. Venkat Prabhu でデビューの後、これが初主演。困った一文字名前だが、時々 R J Shiva と表記されることもある。このRJは何かというと、ラジオ・ジョッキーの略らしい。元々はラジオ・ミルチの人気パーソナリティだという。ミュージック・ディレクターのカンナンも、本作でデビューして現在は売れっ子になっている。

しかし、初物として何よりも話題を振りまいたのは、本作がタミル映画始まって以来初めての「全編丸々のタミル映画のパロディ」であるという点だった。本編自体は低予算で作られたが、封切り前からメディア・ミックスの大宣伝が行われ、公開後は主として30代以下の観客層に馬鹿ウケしたという。本作を観ての筆者の正直な感想は、「確かに凄いが最初から最後まで醒めきってるんだけど俺どうしてくれる?」だった。インド映画趣味に棹さす者の端くれとして、引用・パクリ・本歌取りには敏感だし好物でもある(本作に関してもいちいち注釈をするつもりで張り切っていたが、ウィキペディアに詳細な解説があったので省略した)。ただ、パロディだけを延々140分見せられても、通常のタミル映画鑑賞後の満腹感(というか膨満感というか)が全然なくて物足りないんだわ。

コンテンツ的にはここ30年ほどタミル映画のパロディ集成なのでストーリーは殆どない。ここ30年に限定したのは、やはり1980年代以降のタミル映画のスタイルがそれ以前のものとは変わって来ているということなのだと思う。そしてそれは若い観客にアピールするためにも適切な戦略だっただろう。本作が採用したパロディのやり方にはふた通りがある。一つは大スターが演じる映画的マニエリスムをスターじゃないしょぼくれた人物がやること。ふたつ目は娯楽映画の定式・慣用句を極端化して見せること。前者はすなわち主演のシヴァが行う全て、つまり神彩を帯びた大スターによる殺気を放つ見栄切りを、へっぴり腰のシヴァがやる痛さを笑う。後者は、たとえばヒーローのサイドキックをつとめるコメディアンが、しばしば学園ものにしては妙に歳を食ってたりする現象を誇張して笑わせたりするものだ〔上の写真がそれ。主人公の友人達、左からシッダールト(Manobala)、ナクル(M S Bhaskar)、バラト(Venniradai Murthy)だ、トホホ〕。でありながら、巨大ファンクラブ組織をもつ大スターを直接に揶揄することはスレスレでなんとか避けているというクレバーさ。しかし、The Best of Tamil Cinema 1931 to 2010 第2巻の321ページには、これだけのパロディが物議を醸さずすんなりと通ったのは、州首相(当時)の後ろ盾をもつクラウド・ナインの制作だったからこそと多くの人々が感じたことが率直に書かれている。

ということで、辛い一日が終わった後に思い切り笑ってストレス発散したいとか、そういう期待で本作を観ることは日本のファンにはお勧めできないと個人的には思う。しかしポジティブな面ももちろんある。とりあえず予習なしで観てみると、自分のタミル映画に関する知識の蓄積度合いが分かること。それから、より重要なことなのだが、これだけのパロディをやりながらも、制作者がタミル映画の各種の慣用句を恥じて捨て去ろうとしているのではないらしいことが感じられる点だ。何度も観たくなるものではないが、一見の価値はある。テルグ版とかマラヤーラム版とかも誰か作んないかね。

ThamizhPadam4.jpgThamizhPadam3.jpg
封切り前の大プロモーションでは、このような本編とは無関係のパロディ・ポスターも多数ばら撒かれたという。

投稿者 Periplo : 04:12 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年12月04日

TNWコレクション:Chennai 600028

chennai2801.jpg

以前のポストでは、自分が印度映画の学園青春ものにいかに馴染めないかについて愚痴ったりしたのだが、今度は学園外若者群像映画だ。さらにハードルが高くなった気がしないでもない。若者群像というと、これまではたとえば Boys (Tamil - 2003) Dir. Shankar なんかが即座に思い浮かんで来たものだったが、あれは恋愛を主軸に据えてヒーロー・ヒロインがハッキリとした、安定感のあるナラティブだった。しかし今回取り上げるのは、ただもうホントにそこいらのニイちゃん達がグダグダしてるのを撮っただけみたいな烏合の衆ムービー。個人的にはヴァカモノ映画と呼んでいる。そのヴァカモノ映画のトップランナーと言えるのが、本作でデビューのヴェンカット・プラブ監督。プロデュースはSPBチャラン、プレゼンターとして親爺様のSPBもデカイ顔をエンドロールで見せてくれている。例によって無名俳優ばかりを集めて低予算で作られ、雪崩的なヒットになったという。

cvChennai600028.jpgChennai 600028 (Tamil - 2007)

Director:Venkat Prabhu
Cast:Siva, Jai, Nithin Sathya, Aravind Akash, Premji Amaran, Ajai Raj, Vijay Vasanth, Prasanna, Ranjith, Arun, Karthik, Vijayalakshmi, Christine Zedek, Ilavarasu, Sampath Kumar

原題:சென்னை 600028
タイトルの意味:600028とはチェンナイ市のマイラープールの一地区、ラージャ・アンナーマライプラムの郵便番号
タイトルの揺れ:Chennai 28, Chennai-28

DVDの版元:Moser Baer
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間20分

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/chennai-600028-tamil-2007

都会度★★★★★★★★★★田舎度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★★☆☆☆
おセンチ度★★☆☆☆☆☆☆☆☆衝撃度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★★★★★★シリアス度★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
消化不良度★★★★★★★★☆☆満足度★★★★★★☆☆☆☆

chennai2802jpg.jpgchennai2803.jpg

【ネタバレ度20%の粗筋】
チェンナイ市街地の南部、ラージャ・アンナーマライプラム近くにある住宅公団建設の規格住宅街ヴィサーラッチ・トーッタムは、通称ライムストーン・カナルと呼ばれる、いたって雑駁な庶民の集落。ここに住む若者達によるアマチュア・クリケット・チームはシャークスという名前で、北にあるラーヤプラムのロッカーズとはライバルというだけではなく、フィールドの外でも乱闘沙汰を繰り返す大人げない関係にあった。シャークスはカールティック(Siva)、シーヌ(Premji Amaran)、アラヴィンド(Aravind Akash)、パラニ(Nithin Sathya)をはじめとした10人の若者達からなり、遠い昔にキャプテンを務めた床屋の親爺マノーハラン(Ilavarasu)のもとに集っていた。あるとき、敵対するロッカーズの主力メンバーの一人であるラグ(Jay)が、巡査の父親の配置換えに伴って、ラーヤプラムからヴィサーラッチ・トーッタムに引っ越してくる。何度かの小競り合いの後、さる経緯から、ラグはシャークスでプレイをすることになる。(粗筋了)

【寸評】
従来型のジャンル分けならばコメディということになるこの作品、ガイジン観客には二重の障壁がある。ひとつは重要なモチーフが草クリケットであるという点、クリケットのルールを知らないとクライマックスでなかなか盛り上がれない。もうひとつは、本作のユーモアの来るところが、街の兄ちゃん達のダラダラした喋くりにあるという点。英語字幕を一所懸命追っかけてはみるのだが、本当の可笑しさが理解できたという自信はない。にも拘らず、やっぱ見てて爽快感があるんだな。社会階層的には「中の下」ぐらいのところにいる、ハンサムでもなく、身体能力が高い訳でもなく、頭が良さそうでもない若いのが、ただ馴れ合ったり、ドツキ合ったりしてるだけなんだけど、下町のファンキーなビートが感じられる。ストーリーもあってないようなもので、所々マジでベタな展開になるかなと身構えてると、軽くいなされたり、寸止めされたり。ほぼ唯一の映画的な見せ場として、アラヴィンドがセクシーな美女に××されて××っていうシーンがあるんだけど、これがもう都市伝説そのものってくらいの現実感のなさで、却って笑える。タミル映画としては、そしてサウス映画としても空前の、アンチ・カタルシスなストリート・タメぐち映画なんだわ。

サウス映画として空前というのにはかなりの確証があるけど、インド映画としてはどうなんだろう。ともかく都会派若者映画の先進地域っていったらヒンディー映画界だということは知っている。まあそんな沢山は観てないから大口は叩けないけど、若者群像という点ですぐに思い浮かぶのは Dil Chahta Hai (Hindi - 2001) Dir. Farhan Akhtar あたりか。今からちょうど10年前に封切られ、都市の若者の間で大ヒットしてカルト作品の地位を獲得した。「ボリウッド・ニューウェーブ」の嚆矢であるとする評価も少なくない。しかし、先進地域のボリウッドですら、若者映画で若者を演じるのは、この作品でのように、スターとしての地位が確立した30代の俳優であることが少なくないのだ。なおかつ、印度の伝統的規範意識やボリウッド的フォーミュラを脱却した都会的洗練をUSPとしたこの作品が描き出したのは、ムンバイ(とシドニー)の都会ならではのお洒落さと、富によって保証された個人主義的な価値観や自由なライフスタイルだった。観客が憧れを抱くとしたら、それは万国共通の都市の洗練された表象と、自由な生き方を可能にする富そのものに対してでしかありえないような造りになっているのだ。

一方でこの Chennai 600028 はどうかというと、(実はタミル・ニューウェーブ都市ものの多くがそうなのだが)繁栄する州都を舞台にしながら、巨大ショッピングモールとか、ヒップなクラブとか、バブリーな高層フラットとか、田舎もんが憧れるような分かりやすいお洒落な都市の記号が見当たらない。出てくるのはほとんどが貧乏人で、見た目も別に格好良くもなんともないそこいらの若いのなのだ。でも、それが却って都会的だと思いませんかい?なおかつ、本作は観客にある種の憧れを抱かせる力を持っている。それは、地位の高低や富の多寡を問わず、運命によってその地に生まれ、その地の住人を名乗れること(そして固有のスラングを解すること)に対する他所者からの叶わぬ憧れだ。もちろんそういう潜在力をもった場はどこにでもある訳ではない。筆者がハイダラーバード産ウルドゥー語映画に妙に執着したり、フォート・コーチンを舞台にしたマラヤーラム映画をつい収集してしまったりするのは、チェンナイと並んでこの二つが(個人的には)そういう魔力を持った場所であるからなのだと思う。

受け入れられるかどうかは、個々の観客のチェンナイに対する思い入れに依るとは思うのだけれど、格好良さやお洒落さを必死に追求する田舎臭さから自由になった、新タイプの都会映画のサンプルとして、観といて決して損はない一作。

chennai2804.jpg
なんつうか、ともかく絵にならない映画なのだ。ポスターも民主的にキャスト全員が並んで記念撮影みたいなのばっか。

投稿者 Periplo : 14:25 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年11月28日

TNWコレクション:Pokkisham

Pokkisaham01.jpg

Autograph に続いて、チェーランの監督・主演作を取り上げてみようと思う。ただし、2004年の Autograph と本作との間には、2本の監督作がある。このTNWコレクションは必ずしも年代順の紹介ではないのでご了承を。

cvPokkisham.jpgPokkisham (Tamil - 2009)

Director:Cheran
Cast:Cheran, Padmapriya, Vijayakumar, Aryan Rajesh, Anupama Kumar, Mahesh Manoharan, Ilavarasu, Srinivasamurthy, Kalpana, Bindu Madhavi, Debabrato Roy

原題:பொக்கிஷம்
タイトルの意味:Treasure
タイトルの揺れ:Pokkisham - The Words of Love From You

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間54分
DVD 入手先:Bhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/pokkisham-tamil-2009

都会度★★★★★☆☆☆☆☆田舎度★★★★★☆☆☆☆☆
暴力度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★★★衝撃度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★☆☆☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★☆☆☆

【ネタバレ度40%の粗筋】
2009年のチェンナイ。ある青年(Aryan Rajesh)が、地方都市に出かけている母からの依頼で、自宅のどこかのあるという書類を探している。その間中、彼はガールフレンドからのひっきりなしの電話に応対しているが、やがて二人の会話は痴話喧嘩となる。彼は探し物の途中で、古いトランクの中に、5年前に死んだ父の古い日記帳と父宛の手紙の束を見つけ、吸い込まれるように読みふける。

1970年のチェンナイ。貨物船舶の航海技師として働くBレーニン(Cheran)は父ダーモーダラン(Vijaykumar)の手術に付き添うために、勤務地のカルカッタから帰省し、病院に詰めていた。大部屋の病室の隣のベッドには中年のムスリム婦人がおり、もっぱら彼女の世話をしているのはその娘の若いナディラ(Padmapriya)だった。彼女が介護の合間に熱心に本を読む姿にレーニンは目を留める。ナディラの母の症状が急変し緊急手術を受けることになった時に手助けをしたのがきっかけで、レーニンとナディラは親しく会話をするようになる。ナディラは普段はナーガパッティナム郊外の小邑ナーグールに暮らし、その地のカレッジに通う勉強の好きな娘だった。父のジャラルッディーン(Srinivasamurthy)は、東南アジアなどとの取引を生業とする小商人で、ナーグール・アーンダヴァル(Lord of Nagore, 有名なナーグール・ダルガーに祀られている聖人)の信徒会メンバーでもある熱心なムスリムだった。

15 日の病院詰めに費やした休暇の後、レーニンは止むなく任地のカルカッタに戻るが、ナディラのことが忘れられなくなっていた。彼は父から教えられたナディラの住所に手紙をしたためる。未婚のムスリムの娘に対してコミュニティ外の男が信書を送ることのリスクを承知してはいた。しばらくしてナディラからの返信が届き、彼は有頂天になる。それからしばらく、二人の間では頻繁にやり取りが続く。話題となったのは二人の共通の情熱である文学だった。しかしある時、ナディラからの返信が途絶え、レーニンは煩悶する。かなりの間を置いてやっと届いた手紙には、レーニンが彼女宛に送った書籍小包が父の手に渡り叱責されたこと、それ以降監視が厳しくなり手紙が書きにくくなったことが綴られていた。同時に彼女は、大変に控えめな言葉ではありながらはっきりと、彼に対しての愛を打ち明けていた。(粗筋了)

Pokkisham04.jpgPokkisham03.jpgPokkisham09.jpg Pokkisham06.jpgPokkisham08.jpgPokkisham05.jpg Pokkisham10.jpgPokkisham07.jpgPokkisham02.jpg

【寸評】
Autograph の大ヒット後、チェーラン監督は自作には必ず主演するのを倣いとして今日に至っている。そもそも Autograph では、出演を依頼したプロの俳優達にことごとく断られて止むなくの自演だったというが、それ以降のものに関してはおそらく主体的な選択なのだろうと思う。そしてその作品中(Maya Kannadi だけは未見なのだが)では必ず恋に胸を焦がす青年役というのをやるんだな。それは通俗的な映画の、様式化され意外にあっさりもしている恋愛感情の表現とは異なる、妙に生々しいものだから、観る人によっては胸焼けを起こすこともあると思う。筆者もどちらかというとこの傾向が苦手である。にも拘らず、「オラぁ辛党だって言ってるだろ」と喚きながら目の前に最中を出されるとパクッといっちゃう親爺みたいに、チェーランが止められないのだ。困った。この Pokkisham は、批評家やインテリ観客には好評だったが、興行的には失敗したものらしい。チェーランはインタビューの中でその原因をエンターテインメント性の欠如にあったと歯切れ悪く分析している。しかし本当のところは、俳優としてのチェーランの限界、もっと言っちゃうと痛さが、観客を遠ざけたのではないかと疑っている。逆にそういうものがあまり気にならない向きには本作はかなりお勧めできる作品と言える。

まあ、それにしても、チェーランに限らず、現場の全てを見渡して仕切るクールさが要求される監督業と、虚構のエモーションの中に自我を一時的に没入させる俳優業を同時に行うというのは、凄いことだわな。よっぽど腕の立つ助監督に支えられているということなのかな。

本作の筋立てはアメリカ映画『マディソン郡の橋』の影響を受けているとも言われているが、これは導入部が似ているというだけで、本質的な相似では全くない。むしろ、日本でも公開された『ボンベイ』(Tamil - 1995) Dir. Mani Ratnam を嫌でも思い起こさせる設定である。ただ、ヒンドゥー(コミュニストなのだが世間一般からはヒンドゥーとして扱われる)の男とムスリムの女の恋愛を似たような環境のもとに設定しながらも、『ボンベイ』と本作の間には相当の隔たりがある。前者は困難を超えて結ばれた男女が1992年のボンベイ・コミュナル衝突という歴史的大事件に巻き込まれるのをドラマチックに描くのに対して、本作は二人が結局結ばれるのかどうかが最大のミステリーとして進行するのだ。冒頭に登場する若い男は終盤になるまで名前で呼ばれない。これは名前からその家族構成が推し計られるのを避けるためだ。こんな曖昧なヒントも提示されるが、引っ掛けかもしれない。レーニンの息子の母親はナディラなのか別の人物なのか、観客の注意はそこにだけ向けられるように作られている。

それから旧世代の純情と新世代の恋愛の軽薄さの対比という面では、奇しくも同年に公開された Love Aaj Kal (Hindi - 2009) Dir. Imtiaz Ali とも非常に似通っている。ただし、Love Aaj Kal では、両世代の隔たりを強調するあまり、若者の軽佻浮薄ぶりを殆どニヒリズムのレベルにまで極端化してしまったためその後の展開に収拾がつかず説得力のない恋愛遊戯ドラマに終わってしまっている(と筆者は感じた、これを傑作と評価する人も多いようだが)。本作では若者はあくまでも狂言廻しにとどめ、38年前の愛の物語に絞り込んだところが良かったと思う。

そして何より、上に挙げた諸作と比較しての本作のユニークな点は、二人が宗教や境遇の違いを超えて心を通わせる契機が「タミル語と文学への愛」だということ〔文通を通して愛し合うというストーリーとしては Kadhal Kottai (Tamil - 1996) Dir. Agathiyan という作品もあるとういうが、筆者は未見〕。言語的なファンダメンタリズムは南印映画に共通する特質であり、そしてタミル界は制度的な面から最も露骨にそれを推奨している映画界ではあるが、表層的あるいはスローガン的な自言語への執着ではなく、母語への愛そのものを文通という形をとって謳い上げた本作の志の高さにはやはり敬意を払うべきだと思っている。

なお、本作では主人公の息子である若い男の声をプラサンナーが、パドマプリヤーが演じるヒロインの声をミーナーが吹き替えている。

Pokkisham11.jpg Pokkisham12.jpg

ありふれた日常の光景が、ある瞬間この世のものではないような光に満たされる、そんなソングシーンのビジュアルを担った美術監督の
ヴァイラバーランの仕事ぶりも見所のひとつ。

投稿者 Periplo : 01:05 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (1)

2011年11月23日

TNWコレクション:Anjathey

Chithiram Pesuthadi (Tamil - 2006) に続く、ミシュキン監督作品の第二作目。近年のタミル映画の都市型スリラーとしては傑作と評価された。

Anjathey01.jpg
Anjathey02.jpg

この数年、筆者のタミル映画の鑑賞本数が減ってしまったのは、何よりもメディアの値段の相対的な高さによるものだったけれど、二番目の理由としてはガウタム・メーナン的なものにウンザリしてしまったせいもあるのだ。Kaaka Kaaka (Tamil - 2003)といい、Vaaranam Aayiram (Tamil - 2008)といい、大掛かりな割に薄っぺらいヒロイズムをたっぷりのメロドラマと変にマジなメッセージと一緒に見せられて、胸糞悪くなっちまったんだわな(そんなこと言いながら、ロマンス映画 Vinnaithaandi Varuvaayaa は決して嫌いではないのだが)。

筆者は、リアリズムを至上のものとする、インドのある種の映画好きとは立場を同じくしない。神話的な後光の中に仁王立ちするヒーローを常に待望しているのだ。が、作り手の「こうなりたかった格好いい自分」を芸もなく映像化しただけにしか見えない豪華アクション大作はどうしても駄目だ。そんな時に通俗的ヒロイズムとはちょっと違う本作に出会って、情念と運命の絡まりや、極限の悲惨の中の崇高といった、タミル映画を見始めた頃に刮目させられた世界に再び出会ったように感じ、懐かしくまた慰められる思いをしたのだった。

cvAnjathey.jpgAnjathey (Tamil - 2008)

Director:Mysskin
Cast:Narain, Ajmal Ameer, Prasanna, Vijayalakshmi, Pandiarajan, M S Bhaskar, Livingstone, Ponvannan, Bomb Ramesh, Sridhar, Sangeetha Balan, Priya, Snigdha Akolkar

原題:அஞ்சாதே
タイトルの意味:Do not fear
タイトルの揺れ:Anjathe, Anjathae, Anjaathe

DVDの版元:Moser Baer, Ayngaran (カバー写真は Moser Baer 盤)
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約3時間03分
DVD 入手先:Bhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/anjathey-tamil-2008

都会度★★★★★★★★★★田舎度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度★★★★★★☆☆☆☆お笑い度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★☆☆☆☆☆衝撃度★★★★★★★☆☆☆
ハッピー度★★☆☆☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★★☆

【ネタバレ度40%の粗筋】
チェンナイ・テーナームペーットにあるポリス・コロニー。サティヤ(サティヤヴァン、Narain)とキルバ(キルバカラン、Ajmal Ameer)は、どちらも巡査を父に持ち、向かい合った家に住み、同じカレッジで主席を争った仲でもある親友だった。しかし、3年に一度のサブ・インスペクター(SI)採用試験に向けて着々と準備をするキルバに対して、サティヤは目的もなく無頼の生活を送っていた。キルバの妹のウッタラ(Vijayalakshmi)は兄がゴロツキ同然のサティヤと付き合うことに顔を顰めている。サティヤは酒場での喧嘩をきっかけに、怪しげな商売人のローグ(Pandiarajan)と不気味な若い男ダヤー(Prasanna)と顔見知りになる。祭りの夜、ウッタラに目を付けたダヤーは浴室に入った彼女を襲おうとするが、すんでのところでサティヤが助けに入り、ダヤーを殴打する。しかしウッタラの気持ちを思い、彼女が襲われかけたことをサティヤは口に出さない。常々サティヤの素行を苦々しく思っている父のローガナーダン(M S Bhaskar)は、そんな事情も知らず、無用な暴力沙汰を起こしたとして大勢の前で息子を痛罵する。

父の罵りに憤激したサティヤは、周りの人間の鼻をあかすためだけにSIになろうと決心する。彼には大臣の個人秘書を務める伯父がいたが、彼に縋って様々な便宜を図ってもらうことを潔癖な父はこれまで許さなかった。サティヤは一人でこっそりと伯父のもとを訪れ、助力を頼む。不真面目な態度で臨んだにも拘らずサティヤは試験に合格し、1年間の訓練期間の後、地元テーナームペーットの警察署に配属となる。このころチェンナイでは少女をターゲットにした身代金誘拐事件が連続しており、とあるきっかけから覆面の犯人グループの一人の声を聞いて記憶したサティヤは、キールティ・ヴァーサン(Ponvannan)が率いる私服の特別捜査チームに組み込まれる。(粗筋了)

【箇条書きの寸評】
■長尺と長回し
ともかく近年では珍しい3時間超のランタイム、挿入歌はたったの3曲なのに! しかも、ミシュキンは妙に長回しに凝る癖があり、プラン・セカンスまでは行かないものの、1分を超えるようなショットはゴロゴロ出てくる。それに加えて、芸術映画にあるような、遠景・中景での物事の進行だとか、逆に人物の膝から下しか映らない数分間とか、娯楽映画的な発想からしたら盛り上げるというよりは逸らかすような映像のオンパレードなのである。でありながら、ダレるところが全くなく、一気に見られてしまう。おそらくそれは犯罪ドキュメンタリーを見ているようなリアリティの演出によるものなのだと思う。

■語る風景
チェンナイを舞台にしているにも拘らず、華やかな都会らしい風景は一切出てこない。メインの舞台であるテーナームペーットは決して郊外ではなく、有名な繁華街 Tナガルからも遠くない地区なのであるが。夜のシーンも多いが、昼間であってもどの光景も不思議にくぐもっており、タミルが太陽の国であることを忘れてしまいそうだ。最たるものが、クライマックスの砂糖黍畑。チェンナイ市の北端のイェラーヴールという設定だが、大空のもと黍の葉が青々と茂っているありふれた農村地帯のはずなのに、ただもう不吉で彼岸の景色のようなのだ。ちょっとしたボタンの掛け違いから運命の用意した破滅への道を突き進む登場人物と、それを黙って見守る自然との対比が鮮やか。人物が点でしかないロングショットを使って雄弁に語らせるミシュキンの心象表現の好例と言えるだろう。

■妹の力
全体的には男っぽい映画なのだが、一応ヒロインとしてヴィジャヤラクシュミがいる。前年の Chennai 600028 (Tamil - 2007) Dir. Venkat Prabhu でデビューしたばかりでこれが2作目。角度によって可憐だったり小母さんみたいだったりする不思議な女優だが、本作では慎ましい庶民の娘を好演。ただし、ヒロインであるのに通俗的なセックスアピールがあまりない。ヒーローの恋愛対象としてよりもセカンドヒーローの妹としての存在の方が重要だからだ。ミシュキンという人には割と重度の妹コンプレックスがあるのじゃないかと疑ってしまう。前作 Chithiram Pesuthadi では、小学生ぐらいの幼い妹だったが、グサッとくるような洞察力のある台詞を吐いて大変に印象深かった。第三作の Nandalala だけはシスコンよりもマザコンが勝った作品だったが、続く Yudham Sei では、その不在によって大きな影を落とすものとして妹が帰ってきている。ミシュキン映画の妹にはこれからも注目だ。

■悪役
本作では、チョコレートボーイとしてタイプキャストされていたプラサンナーを変質的な犯罪者の役で起用したことが大変に話題になり、賞賛されもした。しかし、プラサンナーの邦人女性ファンを敵にまわすことになるかもしれんが、ホントにすげえのはパーンディヤラージャンの方だと思う。短躯で不格好、時代遅れの印度人民服をまとい、内面の歪みが表に溢れ出てしまっているような面構え。こいつが、大胆で卑劣な犯罪に手を染めながらも、同時に小心で怯懦、その恐怖心から逆に簡単に残虐行為を行なってしまう、かなり危ない奴なのだ。Chithiram Pesuthadi でもそうだったが、ミシュキン映画の悪役はリアリティと突拍子もなさが合わさって怖い。80年代中盤からのユーモア映画のヒーロー格(当網站でも一本紹介している)で、近年は脇に回ったコメディアンとして活動を続けている、いわばチョコレート小父さんのパーンディヤラージャンから愛嬌髭を取り去ったら犯罪者が見えた、この彗眼には唸ったね。

■音楽
デビュー3作目のスンダルCバーブの楽曲は僅か3曲だが、胸キュンおセンチ歌謡 ♪Manasukkul Manasakkul は良い。ソング・ピクチャライゼーションにおける幻想と現実の織り交ぜ方が神懸かっている。お待ちかねの黄色いサリーのお姐さんが登場する ♪Kathala Kannala でアイテムダンスを披露するスニクダ・アコールカル(と読んでいいのだろうか)は、ミシュキンの次回作 Nandalala ではヒロインを演じることになるので注目だ。一方、バックグラウンドスコアの方は、若干古くさく、時々やりすぎな感じがあった。

■南インド映画と警察官
大きく出た見出しだよな。これについてちゃんと書こうと思ったら、超長文のエントリーが別に必要になるくらいだ。ここでは手短かに、一々典拠を示すのを略して書く。

サウス映画で主人公あるいは悪役としての警察官がプレゼンスを増すのは、大雑把に言って1980年代からである。前者はエンカウンター(あるいはフェイク・エンカウンター)をも辞さないスーパーコップ、後者は多くの場合政治家と癒着した汚職警官として現れる。本作のように玉虫色の警察官像を描くのは比較的珍しいものであるはずだ。

それから、前半のメインの舞台となっているポリス・コロニーというのは、インドの都会なら大抵ある、その名の通り警察関係者が集住する地区。英国植民地時代の遺制と古来のカーストによる住み分けとが結びついたものと思われるが、他にも公務員の職名がそのまま地区名となっているレイルウェイ・コロニー、ポスト・コロニー、アーミー・コロニーなどが多くの町に存在する。同じ価値観を持ち、同じような経済状態にある人々が集まって暮らすわけだ。そういう中で、巡査の息子がSIになるということへの切ない憧れは育まれていく。これを強烈なモチーフとしたものに Kireedam (Malayalam - 1989) Dir. Sibi Malayil という有名作(2007年にアジット主演で同じ題名のタミル・リメイクが公開されもした)がある。

Vijayalakshmi.jpgsnigtha.jpg
ヴィジャヤラクシュミとスニクダ。だけど、いっちゃん萌えたのは、誘拐される金持ちの子女でかなり気の毒な役回りだった
プリヤーちゃん(注、役名)だってことは内緒だ。

投稿者 Periplo : 03:12 : カテゴリー so many cups of chai Tamil new wave catalog
| コメント (1)

2011年11月19日

TNWコレクション:Poo

この真っ赤な土には、それだけで心を揺さぶるものがないだろうか。本作の冒頭では張芸謀へのオマージュが表明されている。
Poo01.jpg

2006年の Veyyil、2007年の Paruthiveeran、2008年の Subramaniapuram と立て続けにマドゥライの流血映画が発表されたところに現れた、異色の純愛映画。舞台となっているのは、作中ではっきりと提示はされないものの、マドゥライの南100kmのところにあるコーヴィルパッティ(コーイルパッティとも)であるとも、同じく南西75kmのところにあるラージャパーライヤムであるとも言われている。

cvPoo.jpgPoo (Tamil - 2008)

Director:Sasi
Cast:Parvathy Menon, Srikanth, Inbanila, Inigo, V Ramu, Sattur Janaki, V R Kannan, Varunazhi Kandaswamy, Harika, Divya, Saritha

原題:பூ
タイトルの意味:Flower

DVDの版元:Moser Baer
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間21分

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/poo-tamil-2008-0

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★★★衝撃度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★☆☆☆☆☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★☆☆☆☆

poo02.jpg

【ネタバレ度30%の粗筋】
コーヴィルパッティの郊外の農村。乾物屋を営むカルップサーミ(Inigo)とマーリ(Parvathy Menon)は仲の良い若夫婦で、常に笑いが絶えない生活を送っていた。結婚後初めてのポンガル祭に、マーリは少し離れた実家にバスで帰省する。実家に帰り着いた彼女が真っ先に尋ねたのは、母方の従兄のタンガラス(Srikanth)が息災かどうかということだった。

話は過去に遡る。マーリとタンガラスは幼少の頃からの仲の良い遊び友達で、マーリは小学校に上がる頃にはタンガラスと将来結婚するということしか考えていなかった。タンガラスはハイスクールを卒業後、エンジニアとなるためにチェンナイの高等教育機関に進み、マーリは地元の火薬工場に就職した。遠く離れていても抑えきれない恋心を、マーリは親友のチーニ(Inbanila)に吐露する。チーニはマーリを放っておくことができず、彼女にタンガラスの真意を確かめさせようとあれこれと策を練る。(粗筋了)

【寸評】
テーマはずばり「純愛」。ありそうでなかったジャンルである。序盤のストーリーの流れには一見して「デーヴダース」を思わせるものがあるが、あくまでも主役は女の子。アルコールの誘惑も高級遊女も出てこない。そして、冒頭でいきなりヒロインが他の男と夫婦となっているのが提示されることによって、幼なじみの恋に何が起こったのかというミステリーの風味も加わる。

監督はすでに10年のキャリアを持っていた シャシ。実は本作の構想はデビュー前から暖められていたというのだが、プロデューサーが見つからないまま10年以上そのままで、MoserBaer 社(つまり The Best of Tamil Cinema 1931 to 2010 の著者、GDのオッちゃんだ)が買うことによってやっと日の目を見た、いわばドリーム・プロジェクトであったという。タミル語で書く中堅作家、Sタミルセルヴァンの “Veyyilodu Poi” (Gone with the heat of sun)という短編小説をベースにしている。小説の映画化と言えば、マラヤーラム映画なら珍しくもないことだが、タミル映画ではそれほど盛んではない。地滑り的な大ヒットとはならなかった本作だが、一定数はいる文芸的なものを好む観客には大変にウケたようだ。

本当のところ、当初は『あたいのじっちゃん、象、飼ってたの』の映画化を考えていた。しかし原作を再読してみて、バシールがこの小説の中で描き出した、こうした類の純情はすでに存在していないと感じた(ので映画化を断念した)。 Actually I thought of Entuppuppakkoranendarnnu. But when I read the story again, I felt that the kind of innocence Basheer was talking about in that story no longer existed.(Cinemaofmalayalam に掲載のアドゥール・ゴーパーラクリシュナンへのインタビューより)

過去のエントリーでも引用したことのある一節(ちなみにこのエントリーで予告された『あたいのじっちゃん〜』の映画化は結局頓挫したようだ)。確かに4言語の映画をそこそこ観ていると、いくらサウスといえども、時代設定を現代とした純愛映画というのはなかなか成立しにくいものだろうなとは思われる。なおかつ、唯一それが可能だとしたら、それはタミルの田舎だろうとも。しかしそれだけでは充分ではない。やはり映画まるごと一本を背負って立つヒロインが適役でなければ、どうしようもない出来になっていただろう。ここに登場するのが以前にも紹介したパールヴァティ・メーノーンだから吃驚なのである。トリヴァンドラム育ちの中産階級の子女で、映画デビュー前はテレビの司会者をやっていたというのだから都会的で才気煥発なタイプだろう(只今上映中のインタビューによれば、本作の撮影現場を訪れたパールヴァティの両親は、目の前にいるハーフサリーの色黒の娘が我が子だとしばらく気付かなかったそうだ)。そのパールヴァティが、盲目的に従兄を慕いながらもその前に出るとまともに口もきけないような無知な田舎娘をやるのだ。そしてひとたびその恋が破れた時に彼女が見せる豹変とバクティ的なまでの無私、これこそが、そしてこれだけが本作の見どころと言い切ってしまいたい程だ。

もちろんそれ以外に、村ののどかな暮らしの描写や、暖かみのある人情模様を評価する観客も多い。ただ、筆者にはこの作品のやや作りすぎた感じのある画面が、どうにも窮屈に感じられた。村の風景を描きながら、なにか空気感が足りない感じなのだ。あえて寓話的なものを狙ってそうしたのか、それとも、マドゥライ〜ティルネルヴェーリ間のディープ・サウスには本当にこんな宇宙的な空間が広がっているのか、そのあたりは分からないのだけれど。調べてみると、屋外撮影の多い本作ではあるが、その風景の中にも大道具部隊が出動して作り込んだものもあるようだ(こちらなど参照)。

ということで、渾身のお勧めとまでは言えないのだが、タミル・ニューウェーブの広がりが分かる佳品、観ても決して損はしない一作としてここに挙げておきたい。

poo03.jpg
それにしても、ケララからタミルに出張っていく俳優たちの傾向として、男優はたいてい都市ものに出演(例外はマンムーティ)、女優は田舎ものも都市ものも何でもアリで全方位に展開、というのは面白いと思う。

投稿者 Periplo : 12:16 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0) | トラックバック

2011年11月16日

TNWコレクション:Mozhi

mozhi1.jpg

先日の Azhagiya Theeyae に引き続いて、プラカーシュ・ラージのデュエット・ムービーズと監督ラーダーモーハンとのコンビで送り出された作品の紹介。

筆者には、本作に関しては公開前から異様なまでの期待があった。コンテンツじゃなくてメディアに関するものだったけど。詳しくは2007年3月5日エントリーを参照していただきたいが、つまりそれは、海賊盤への対策として、劇場公開とほぼ同時に正規盤DVD&VCDを廉価(その当時の一般的な正規盤の価格の十分の一程度)で発売するという大胆な試みへの好奇心だった。大手の制作・配給会社が手を拱いているこの問題に、弱小プロがこんな形で切り込んでいこうとは、プラカーシュのとっつぁん、漢じゃねえか! 意気に感じたオイラは、チェンナイのシネコンで上映中だったのを見に行っちまったくらいだ。

ところが本作、蓋を開けてみたら予想外のヒット。なのでディスクリリースは延期します、という製作者発表。おいおいおい! 海賊盤防止という趣旨はどこにいったんじゃ。あー、印度人の言うことを真に受けた俺はやっぱりお人好し。

cvMozhi.jpgMozhi (Tamil - 2007)

Director:Radhamohan
Cast:Prithviraj, Jothika, Prakash Raj, Swarnamalya, Brahmanandam, M S Bhaskar, Neelima Rani, Geetha Ravishankar

原題:மொழி
タイトルの意味:Language、副題の Pesum Padam は直訳すれば「語る映画」、一般的にはトーキーのことを表す
タイトルの揺れ:Mozhi - Pesum Padam

DVDの版元:Moser Baer ほか
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間33分
DVD 入手先:WebMallIndiaAmazon.com など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/mozhi-tamil-2007

都会度★★★★★★★★★★田舎度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★★★★☆
おセンチ度★★★★★★★☆☆☆衝撃度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★★★★★★シリアス度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★☆☆☆

【ネタバレ度30%の粗筋】
映画音楽家ヴィディヤサーガルのもとで働く二人のキーボードプレーヤー、カールティック(Prithviraj)とヴィジ(Prakash Raj)は気楽な独身貴族。二人で部屋をシェアするつもりでチェンナイの高級フラットに引っ越してくる。マンションの自治会長のアナンダクリシュナ(Brahmanandam)は、独身者入居禁止のルールを言い立て、部屋を引き払うことを求める。こんな要求をほとんど意に介さない二人は、ことあるごとにアナンダクリシュナをからかうようになる。ある日カールティックは、街頭で妻に暴力を振るう飲んだくれを腕力でねじ伏せる毅然とした女性(Jothika)を目撃し、一目で恋に落ちる。程なくして、その女性の名がアルチャナということ、二人と同じマンション内に祖母と一緒に暮らしていること、そして彼女が先天的な聾唖であることなどが分かる。彼女の障碍を知ってもカールティックの恋心はつのるばかりだった。何とかアルチャナと近づこうとするカールティックは、彼女の親友のシーラ(Swarnamalya)に頼み込み、ヴィジも交えて4人の男女の友達付き合いが始まる。最初はシーラの通訳によって、やがて学習をはじめた手話によって、カールティックはアルチャナに自分の思いを伝えようとする。しかしそこでは様々な誤解や思いこみが邪魔をして、カールティックの奮闘にもかかわらず二人はなかなか距離を縮めることができない。(粗筋了)

【寸評】
2007年のタミル映画界は、巨艦 Sivaji The Boss Dir. Shankar がバラスト水よろしくガバガバと売り上げを吸い込む一方で、 Paruthiveeran Dir. Ameer Sultan という異色の田舎映画が突如現れ、そして本作のような「まるでトレンディ・ドラマ」までもが健闘するという、随分と賑やかな年だったのだな。

しかし、ギョーカイ人の若いのが高級マンションに住まいながら繰り広げる恋愛沙汰を描きながらも、本作は嘘くさく子供じみたトレンディ・ドラマ臭からは上手く逃れているように思える。それには幾つかの要因がある。まずはストーリーが障碍や痛みというものを繊細に扱っていること。それから、登場するキャラクター全般にタミル映画らしい楽天性とお人好しさがあり、かつ、全編にわたってさざ波のように笑いが満ちていること。そしてさらに、映画(タミル映画)というものへの穏やかなあてこすりが込められていること。

まず、障碍をもった人物の提示の仕方だが、本作でのそれはかなり大胆なものだった。これまでのサウス映画では、障碍を持った女性は、負い目以外の自意識をもつことがない、いじらしい妹で、兄や両親は彼女を嫁として引き取ってくれる男をなんとしてでも探さなければならない、そういう存在だった。が、ここで登場したヒロインは、求婚してくる男がいても気に食わなければ敢然とその手を払いのける、革命的なキャラだった。もちろん心に葛藤がない訳ではない。その揺れ動きを大きな瞳と流暢な手話で表現しきったジョーティカは凄いと思った。Perazhagan (Tamil - 2004) Dir. Sasi Shanker といい、本作といい、この人はハンディキャップをもったキャラクターを演じると空恐ろしいくらいに巧みだ。

そしてユーモアの質の目新しさ。前回 Imsai Arasan 23rd Pulikecei の項ではベテランのお笑いの笑えなさについて文句を垂れたりしたのだが、ここでのユーモアは主として喋くりからくるもので、観ていてなんでだか分からないまま全編にわたってヘラヘラ笑い通しだった。町中の兄ちゃんたちのタメ口よりは脚本家の技が効いてるが、専任コメディアンの鍛え抜かれた芸とくらべるとずっとリアリティがある、そういうさりげない笑い。そこにテルグ界のコメディー・キングであるブラフマーナンダムのベタなギャグもところどころ挟み込まれて、全体としては非常に起伏に富んだものとなっている。まあやっぱり、一番笑ったのはブラフミー先生のこのトラウマ顔だったけどな。

タミル映画への皮肉な言及という点ではどうか。前作 Azhagiya Theeyae に引き続いて、ラーダーモーハンは映画界で働く人物をメイン・キャラとして登場させて、開始早々に「そんな映画みたいに行くかよ」という意味のことを言わせている。そのような批判精神は、ヒロインの初登場シーンに最も良く現れているだろう。フォーミュラ映画でのお約束となっている、路上で暴れる荒くれを易々とぶっ飛ばして成敗するヒーローとそれを見て目が♥♥になるヒロイン、これを完全に逆転させてみたのだから。あるいは二組の男女の恋愛に、両親やカーストなどといったお決まりのハードルが一切登場しないのも結構凄い。これはシネコンでデートするような中産階級の都市生活者にはウケただろうね。

まあしかし、欠点もある。ソングシーンのビジュアルのしょぼさだ。 ♪Kaatrin Mozhi のような名曲がありながらも、絵の方は、若いのが集団でフラフラしてるとこをアフターエフェクト(画面分割とかフィルターワークとか)で色々といじってるだけ。まあ、ダンサーと言えるのはスワルナマーリヤーお姉様ぐらいしかいないから仕方ないのかもしれないが。こういう新機軸はまったく感心しない。

ともかく、クリーンで、都市型で、洒脱ですらある本作を見ていると、タミル映画はどこまでタミル映画でいられるか、タミル映画の「タミル性」の境界線はどこまで広げられるか、なんていうところにまで思いが及んでしまうのである。日本人の観客にとっては、そういう意味で鑑賞後に話が弾む一作であることは間違いないと思う。

mozhi2.jpg
文字要素までをデザイン設計の一部として計算に入れた、なおかつ英語を使わない、洗練されたポスター。しかし実際の町中でドブ板の上にこれがディスプレイされると若干シュールな感じもあった。それから、このデザイン思想はケララでの上映用のものには全く活かされなかったみたいだ(笑)。

投稿者 Periplo : 03:17 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年11月14日

TNWコレクション:Imsai Arasan 23rd Pulikecei

ImsaiArasan1.jpg

どれだけインド映画を見ていても、越えられない壁を感じる経験はなくならない。特に、ソングの歌詞の理解と、コメディシーンで笑えるかどうか、このふたつは最も高々と立ちはだかっているように思える。色々と観察してると、ネイティブの観客にとってはこの二要素はかなり重要なもので、作品全体がショボくてもコメディとソングは別個に評価するという傾向があるようだ。どちらも言語に関わる構成要素。詩については半ば諦め気味だったりもするのだが、お笑いの方は、面白さが分かってくるものと、何回見ても分からないものとがある、不思議なもんだ。

筆者にとって最近のヴァディヴェールは分からないお笑いの筆頭。デビューから90年代後半ぐらいまでのヴァディヴェールは凄かった。漆黒の肌、目つきの悪さ、戯画から抜け出してきたような骨張った体型、どこから見てもロウワー、もう「存在そのものが批判精神」といった趣で、田舎を舞台にした作品で特にインパクトが強かった。が、トップ・コメディアンとして押しも押されぬ存在となってからの近年のものは、たとえば『チャンドラムキ』(Tamil - 2005) Dir. P Vasu にしろ Pokkiri (Tamil - 2007) Dir. Prabhu Deva にしろ、ベッタリとくどくて、やり過ぎで、ダレきった戯けにしか思えなくて、しかし現地のレビューでは概ね好意的に捉えられていて、頭抱えてしまったのだった。

cvImsaiArasan.jpgImsai Arasan 23rd Pulikecei (Tamil - 2006)

Director:Chimbudevan
Cast:Vadivelu, Nasser, Nagesh, Manorama, Monika, Tejasri, Ilavarasu, Seeman, Vennira Aadai Murthi, V S Ragavan, M N Rajan, Manobala, Thyagu

原題:இம்சை அரசன் 23ம் புலிகேசி
タイトルの意味:残酷王プリケーシ23世(ただし、ここでの23というのは、22回の死産の後に生まれた子という意味)、読み方は「いむさい・あらさん・いるばっとぅ・むーんとらーむ・ぷりけーし」
タイトルのゆれ:Imsai Arasan Irupathi Moonam Pulikesi, Imsai Arasan Irubathi Moondram Pulikesi, Imsai Arasan 23-aam Pulikesi, Imsai Arasan 23-m Pulikesi, Imsai Arasan Irubathi Moondram Pulikesi, Imsai Arasan Irupathhu Moondram Pulikesi, Imsai Arasan Irubatthimoonraam Pulikesi, Imsai Arasan 23aam Pulikesi, imsai arasan 23 pulikesi, Imsai Arasan 23rd Pulikesi, Imsai Arasan Irandum Pulikesi

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間22分

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/imsai-arasan-23am-pulikesi-tamil-2006

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★★★★★
おセンチ度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆衝撃度★★★★☆☆☆☆☆☆
ハッピー度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆シリアス度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
消化不良度★★★★★★★★★★満足度★★★★★★☆☆☆☆


******************************************************************

なお、本作には、リメイクの元ネタとまで言ってしまっていいのかどうか迷うが、下敷きとなった作品がある。

cvUthamaPuthiran.jpgUtthama Puthiran (Tamil - 1958)

Director:T Prakash Rao
Cast:Sivaji Ganesan, M N Nambiar, P Kannamba, Padmini, Ragini, Helen, K A Thangavelu, M K Radha, OAK Devar, Stunt Somu, Sadasiva Rao

原題:உத்தம புத்திரன்
タイトルの意味:Virtuous Son
タイトルのゆれ:Utthama Puthran, Uthama Puthiran

DVDの版元:Thangamalar (ジャケットのイメージは Pyramid 盤)
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間45分
DVD 入手先:Cinemovies など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/utthama-puthiran-tamil-1958

******************************************************************

【ネタバレ度40%の粗筋】
1771年のタミル地方。チョーラプラム王国のモッカイヤッパル王(Nagesh)は、これまで世継ぎが生まれないことに悩んでいたが、22回もの死産の後についに王妃(Manorama)が双子の男児を生んだ。王妃の弟で宰相を務めるサンギリマーヤン(Nasser)は、密かに王位簒奪を狙っていたので、双子の誕生に失望する。しかし占星術師は、双子の兄に盲従の性質を、弟の方には自立性を、それぞれ読み取る。そのことから、サンギリマーヤンは弟を殺してしまい、兄を自らの意のままになるように育て上げることを考える。嬰児殺しは不吉であると助言した御典医は、弟をパーンディヤ国の外れのヴァイガイ川のほとりに捨てることを宰相から言いつかる。ところが御典医の妻がその赤子を拾ってしまい、夫婦はウッキラプダンと名付けた赤子とともに難を避けてカーンチープラムに隠棲する。一方兄の方は、プリケーシ23世と名付けられ宮殿で甘やかされ放題に育てられる。

25年後、モッカイヤッパルの後を継いで王となったプリケーシ(Vadivelu)は放埒で残忍かつ強欲で、漁色にも目がない暗愚な王としてチョーラプラムに君臨していた。蒙昧な彼を支える摂政のサンギリマーヤンは親英派で、民の苦しみをよそに、英国人と組んで私腹を肥やすことしか考えていなかった。一方、ウッキラプダン(Vadivelu)は社会正義を追求する高潔な若者に育ち、ナーランダ大学で反体制派の学生組織に属していた。(粗筋了)

【寸評】
これもまたシャンカル監督の S Pictures のプロダクト。ニューウェーブ系作品としては比較的潤沢な予算で作られたというが、どうやらその予算はセットの構築や衣装に費やされたように思われる。そのおかげで、この手の映画にありがちな、ビジュアルの惨めな安っぽさから逃れることができたようだ。監督のシンブデーヴァン(チンブデーヴァンとも)は、もともとはカトゥーン作家、本作で映画監督としてデビューした。

サウス映画にそれなりに馴染んで、スター主義の観点から見始めるようになると、嫌でも気付かされるのが映画界の疑似カースト制度だ。それはつまり、主役、お笑い、悪役、ヒロイン、妹その他の助演、と俳優の格付けがかなりカッチリとなされていて、その枠を超えるような配役が少ないということ(たとえばこの本にもそれはクッキリ現れている)。主役をやる俳優はデビュー作から主役であるということが多く、エキストラから始めて苦節何年でスターの座を掴むというパターンはゼロではないが割と少ない。各カテゴリーの間に流動性があるとしたら、それは下降の方向だけなのである。これは1950〜80年代の大スターの一族が連綿とヒーロー格を継承して、ヤクザみたいに家同士で張り合ってるテルグ映画界では特に顕著なことだ。そんな一般的な状況の中でも、コメディアンを主役にした映画は南印四林で時折は作られてきた。それぞれの言語圏でコメディアン映画の傾向が微妙に違うような気もするのだが、それはもうちょっと材料が集まってから書くことにしよう。

誰もが認めるトップ・コメディアン(ジャナカラージあたりは別格として)であるヴァディヴェールを主役に据えて、しかも一人二役、28年ぶりのコスプレ映画〔MGRのラスト出演作となった Maduraiyai Meetta Sundara Pandian (Tamil - 1977) Dir. M G Ramachandran から数えてのことという〕と喧伝された本作は、幾重にもメタ映画的な仕掛けを予測させる話題作だった。

実見してみて、通常はヒーローのサイドキックとして「ヒーローの間抜けな写し絵(しかも明らかに下層に属する)」をやっているヴァディヴェールが王を演じるということ、しかしその王が作中の一番の笑われ者であるという点、さらにはヴァディヴェールがヒロイズムの芝居をするのが、下層の出身として現れる双子の片割れである、などなど、重層的な騙し絵構造があることが分かる。

分かるけど別にそれが面白い訳じゃない。タミルの観客もそれを楽しんで観た訳じゃないと思うんだが。

ともかく文句なしに面白いのは悪王役のヴァディヴェール(多分それは通常のヴァディヴェールのお間抜けに「イケズ成分」をたっぷりプラスしたことによるのだと思う)で、正義の革命家の方は、ただ古来の類型をなぞってるだけで、生気に欠けてひたすら退屈。「柄にもない」感が痛々しくもある。だからといって一人二役というギミックを廃してしまったら、そもそも何のためにこの映画を作ったのかが分からなくなってしまっていただろう。うーん、だから結局狙いはどこにあったのだろう、馬鹿なガイジンはそこで堂々巡りに嵌って思考停止。タミルの壁はやはり厚いのだった。

なお、本作はカルナータカでは、チャールキヤ朝のプラケーシン王を揶揄したものと受け取られて上映禁止になったという。

また本作の公開にあたっては現地の芸能マスコミの間で、歴史映画(historical)というジャンル名が盛んに用いられた。このジャンルはトーキーの開始と同時ぐらいに始まったもののようだが、この「歴史」というのが、日本人が普通に考えるものとは随分と違う。まず20世紀に入ってからの対英独立闘争などを扱ったものは含まれない。また登場人物のほとんどが、不思議なイタリア・ルネサンス風の、あるいはムガル王朝風の衣装をまとうなど、時代考証もほとんど顧みられていない。設定こそ古い時代になっているが、歴史的な事件が語られることは少なく、双子の出生の秘密などといった民話調のストーリーラインであることが多い。隣接ジャンルとしてのフォークロアなどといったものとどう線引きされるのか、単にテキトーに使ってるだけなのか、色々と考えてしまうのであった。

ImsaiArasan02.jpgImsaiArasan07.jpg
ImsaiArasan04.jpgImsaiArasan05.jpg
ImsaiArasan06.jpgImsaiArasan03.jpg

悪王プリケーシが、止むことのないカースト間紛争をみて考えついたのは、「カースト・コンフリクト競技場」を開設し、そこで「プリケーシ杯」を巡って敵対するカースト成員同士を戦わせること。「名君じゃん」と思ってしまった筆者は悪い子なのだろうか。

投稿者 Periplo : 00:40 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年11月06日

TNWコレクション:Subramaniapuram

subramaniapuram1.jpg

Paruthiveeran と並ぶマドゥライ映画の代表作。やはり低予算で作られ大ヒットとなった。この2作によってタミル・ニューウェーブ映画の固定イメージが作り出されたようにすら思える。

cvSubramaniapuram.jpgSubramaniapuram (Tamil - 2008)

Director:M Sasikumar
Cast:Jay, M Sasikumar, Swathy, Ganja Karuppu, Samuthirakani, Madurai Mani, Visithran, K G Mohan

原題:சுப்ரமணியபுரம்
タイトルの意味:地名。マドゥライの近郊に実際にそういう集落があるようだが、おそらく本作とは無関係。
タイトルのゆれ:Subramaniyapuram

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間24分

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/subramaniapuram-tamil-2008

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★★★★★★★★☆お笑い度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★☆☆☆☆☆衝撃度★★★★★★★★☆☆
ハッピー度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★☆
消化不良度★★★★★★★★★☆満足度★★★★★★☆☆☆☆

【ネタバレ度50%の粗筋】
1980年のマドゥライ近郊の小邑、スブラマニヤプラム。元自治体議員(ex-councillor)である壮年の男ソームは、無冠になったことで自身と家族の威信が損なわれたことにフラストレーションを募らせていた。彼には、遣い走りからちょっとした違法行為まで、時々の雑用をこなす何人かの手下の男達がおり、弟のカナグ(Samuthirakani)が直接の面倒を見ていた。アラハル(Jay)、パラマン(M Sasikumar)、カーシ(Ganja Karuppu)はそうしたそうした非公式な下働きメンバーで、定職に就くこともできず往来で無意味な暴力沙汰を繰り返し、家では肩身の狭い思いをしている若者達だった。アラハルはソームに忠誠を誓いながらも同時にその娘のトゥラシ(Swathy)とは密かに恋仲だった。

ライバルであるパラニサーミが党の地方書記に選出されたことでソームとその一家はますます落ち込む。カナグはアラハル達を言葉巧みに誘導し、自分からパラニサーミを暗殺すると言い出すように仕向ける。作戦は成功し、アラハル達3人は未明に路上でパラニサーミを刺殺する。しかし逃げ切れるものではないことは覚悟しており、カーシを連絡要員として残し、アラハルとパラマンはさっさと自首する。ところが、この働きを評価して早々に保釈の手続きを踏んでくれるだろうと期待されていたカナグは、2人を見捨てて放置する。同じ拘置所に収容されていた有力者の温情によって出所した2人は、カナグへの復讐心に燃えていた。(粗筋了)

Subramaniapuram2.jpg

【寸評】
本作においても、また多くの才能がスポットライトを浴びた。監督・制作・出演のシャシクマールはそれまでバーラーやアミール・スルタンのもとで助監督を務めており、これが監督デビュー。主演のジャイは、群像ドラマ Chennai 600028 (Tamil - 2007) Dir. Venkat Prabhu でデビューの後の初ヒーロー出演。テルグ人女優スワーティ・レッディにとっては初めてのヒロイン役で、なおかつ初めてのタミル映画だった。悪役カナグを演じたのは新進監督のサムドラカニで、やはり本作が本格的な役者としてのデビュー。が、一番の衝撃的登場は、ミュージックディレクターのジェームス・ヴァサンタンだっただろう。テレビ番組のパーソナリティとしてすでに顔が知られていたジェームスだったが、元々の夢だった音楽での活躍の場を与えられ、クリーンヒットを飛ばした。当初シャシクマールはソングシーン抜きの作品にするつもりだったが、撮影中に考えを改めたという(こちら参照)。賢明な決断だったと言えるだろう。

実際のところ、これを書いている筆者は、どう頑張っても本作を完全に咀嚼できずにいるのだが、挿入歌 ♪Kangal Irandal と、その見事なピクチャライゼーションのおかげで、やはり忘れ去ることのできないものとなった。

なにが咀嚼を阻んでいるのかと考えるのだが、あまりにもリアルに再現された出口のない閉塞感だろうか。インド経済の「改革開放」よりもはるかに昔、1980年のタミルの地方の実態を筆者は知らない。ただ、やり場のない鬱屈したパワーが、たとえば Murattu Kalai (Tamil - 1980) Dir. S P Muthuraman のようなドラマチックな暴力映画を生み出し、またそれを熱狂的に受け入れさせたものであることは想像できる(劇中ではラジニカーントのスーパースターダムへの入り口となったこの作品の上映シーンがこってりと描写される)。Murattu Kalai の時代を、ヒロイズムではなくリアリズムで描くことが狙いだったというのは容易に感得される。しかし本作には、Paruthiveeran にはあった、大自然との交感がない。タイトルが端的に示すように、どこまでも小さな田舎町の中での出来事に終始して息が詰まる。惨劇の連続の果てに現実から少しだけ浮揚するような詩的な瞬間がない。そんなものは最初から意図してない、と言われたらそれまでなのだが。それともうひとつ、Paruthiveeran と同じく、南部の暴力的な土壌を背景に持ちながらも、ここで主な動因となっているのはカースト対立ではなく「仁義」であるというのも、嚥下を難しくしているものではないか。

一方で、田舎の暮らしの中での土俗的な要素の描写は、それほど多くはないものの魅力の一つとなっている。特にクライマックスシーンが、町外れの鎮守の森(こちらなど参照)となっているのは、犠牲獣の奉納を類推させるもので大変印象に残った。

シャシクマールの談話によれば、撮影にあたって最も力が注がれたのは、1980年のマドゥライ地方のヴィジュアルを可能な限り克明に再現することだったという。それは男優陣の髪型と服装に最も端的に現れている。本作の大成功には、タミル人観客の過ぎ去った時代への郷愁が後押しをしたのだろうか? それともこれは過去のことではなく、現在まで連続しているものとして受け止められたのだろうか?

なお、本作はタミル・ナードゥだけではなくケララでもバカ受けしたらしい。上映がマラヤーラム語に吹き替えられたものだったのかどうかはよく分からないのだが、なぜかマラヤーラム語訳の脚本が出版されるという現象までもが起きた。劇中歌 ♪Kangal Irandal は以降のマラヤーラム映画で何度も(登場人物が口ずさむ、などの形で)登場した。とことんタミル的なこの作品の何がケララの衆の心の琴線に触れたのかはやっぱりよく分からないのだが。ラルさんまでもが「新しいアイディアを持ったタミル映画人」としてシャシクマールの名を挙げた(こちら参照)のにはやはりちょっと驚いたのだった。

Karuthamma.jpg
Subramaniapuram3.jpg
村の、あるいは町の、こ汚い細い路地で追っかけっこ。この連綿としたセンチメンタリズムの継承にはやっぱりジーンとする。上は Karuthamma (Tami - 1994) Dir. Bharathiraja から。

投稿者 Periplo : 19:19 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年11月04日

TNWコレクション:Veyyil

Veyyil1.jpgVeyyil2.jpg

シャンカル監督の S Pictures からさらにもう一本、タミル映画としては珍しくカンヌ映画祭に出品された作品でもある。だから凄い、というわけでもないが。

cvVeyil.jpgVeyyil (Tamil - 2006)

Director:Vasantha Balan
Cast:Pasupathy, Bharath, Bhavana, Priyanka Nair, Shreya Reddy, T K Kala, G M Kumar, Ravi Maria

原題:வெயில்
タイトルの意味:Torrid Sun
タイトルのゆれ:Veyil

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間41分
DVD 入手先:Bhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/veyyil-tamil-2006

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★★★★★★★☆☆お笑い度★★★★★★☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★☆☆衝撃度★★★★☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★☆☆☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★☆
消化不良度★★★★★☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★☆☆☆


【ネタバレ度40%の粗筋】
マドゥライの南にある小都市ヴィルドゥナガルの近郊で食肉解体業を営むシヴァナンディ・テーヴァル(G M Kumar)の幼い二人の息子はどちらも名うての悪ガキだった。長男のムルゲーサンは大のMGRファンで、ある日学校をサボって一人で映画館に行き、しかも喫煙しているところを父に見つかり、厳罰をくらう。傷心したムルゲーサンは現金と母の宝飾品を持ちだして家出し、マドラスに向かう。しかし途中の小村ティルッカルクンドラムで所持品を全て盗まれてしまったため、村に居着き、映画館で遣い走り仕事をするようになる。成長した彼(Pasupathy)は映写技師となるが、満場のファンが熱狂する Muthu の上映の最中にある事件が起きる。

一方、ヴィルドゥナガルで成長した弟のカディレーサン(Bharath)は若くして広告会社を立ち上げ、ライバルと競り合いながら事業を軌道に乗せようとしていた。仕事で知り合った声優のミーナークシ(Bhavana)とは喧嘩を繰り返しながらも惹かれ合っている。そんななかのある日、20年前に出奔した兄のムルゲーサンが帰郷して来る。(粗筋了)

【寸評】
タミル南部の荒々しい風土を強調したリアリズム系映画としては初期の作品といえるだろうか。適材適所の俳優達、緊密なストーリー、カメラ担当のマディによる斬新な色彩設計、全てにおいて完成度が高いにも拘らず、鑑賞後に何かすっきりしないものが残る。おそらくそれは部分的には主演のパシュパティの(舞台で鍛え上げられた)演技が上手過ぎて観ていて疲れてしまうことにあるのではないかと思う。贅沢を言うのもほどほどにしろと非難されそうだが、実際に観れば分かって貰えるはずだ。そのせいなのかどうなのか、上質の悲劇を観た後の、打ちのめされながらも浄化されるような感覚がない。もう一つの引っ掛かりは、「すべてに失敗した男」である主人公に「有用性」を求めようとするストーリーの方向性だろうか。これは他のインド映画のなかでも時々目にすることがある、能力の低い人間が捨て石となって社会に貢献することを称揚するような発想で、ちょっとゾクリとさせられる。

本作の前半はイタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のプロットとの類似を指摘されているが、そのまんまのパクリではない。また前年に公開されたヴィジャイ主演の Sivakasi (Tamil - 2005) Dir. Perarasu を裏返しにしたストーリーであると見る人もいる。なるほどとも思うのだが、家出息子や兄弟生き別れというのはよくあるパターンではあるし、制作者に何らかの引用の意図があったのかどうかは分からない(ちなみに本作の舞台のヴィルドゥナガルはシヴァカーシの隣町と言ってもいい位置関係にある)。それはともかく、本作前半での映画についての言及には大変に興味深いものがある。MGR映画から始まり、ヴィジャイカーント主演の Chinna Goundar (Tamil - 1992) Dir. R V Udayakumar、そして『 ムトゥ 踊るマハラジャ』(Tamil - 1995) Dir. K S Ravikumar(これらによって、物語の年代設定が大体把握できる)といった作品が映し出されるだけでなく、地方の映画館が時代の波に抗しきれず次々と閉館していく様子までもが語られる。惜しむらくは、これが後半に入ってふっつりと途絶えてしまうことか。

なんだか、不満気なことばかりを書いてしまったが、本作で最も目覚ましかったのはソングシーン。ARラフマーンの甥だというGVプラカーシュ・クマールがミュージック・ディレクターとしてデビュー。楽曲だけではなく、ピクチャライゼーションが素晴らしい。これは低予算で作られることが多いタミル・ニュー・シネマとしては希有なことだ。第一曲目の ♪Veyyilodu Vilayadi は田舎の餓鬼どもが野蛮に遊び回るというだけの、よくあるパターンの映像だが、疾走感が半端じゃない。それから白眉といえるのがバラトとバーヴァナのラブソング ♪Kadhal Neruppen。ヒーロー・ヒロインが「うおぉぉ、好きだ〜」「アタイも好きぃぃぃ」と告白し合った後、夜会服に着替えて真昼のミコノス島の白一色の路地で追っかけっこする、というのは慣れ親しんだ常套手段だが、ここでは違う。どう違うかに冗言を費やすつもりはない、見れば分かる。なんかインド映画ばっか見てると忘れそうになるんだけど、人や物を信じがたいほどに立体的に配置して動かす計算し尽くされた長回しのワンカット撮影や、ありとあらゆる趣向を凝らした秒単位のカットを何十と繋ぎ合わせる超絶のエディティング、これは世界の映像表現の中でも希有なものだと思う。上に挙げた二つはどちらもいわゆるダンスではなく、コラージュなのだが、これを構想したのはダンスマスターと呼ばれる職能の人物なのだろうか、それとも監督なのだろうか、わからないことはまだまだ尽きないのである。

veyyil3.jpg
メインの舞台となるマドゥライ南郊のヴィルドゥナガルという街の名前は覚えておいてもよさそうな気がする。

投稿者 Periplo : 03:12 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年10月31日

TNWコレクション:Chithiram Pesuthadi

ChithiramPesuthadi1.jpg

「アンタいっつも黄色を歌ってるね。シャツも黄色、時計も黄色だ。バンダナも黄色じゃないか、一体なんでなんだい?」答えはインターミッションの後に語られる。貰い泣き必至の切ない物語が。

タミル・ニューウェーブの最重要監督の一人と言っていいと思う、ミシュキンのデビュー作を紹介しておきたい。

cvChithiramPesuthadi.jpgChithiram Pesuthadi (Tamil - 2006)

Director:Mysskin
Cast:Narain, Bhavana, Dhandapani, Mahadevan, Ravi Prakash, Sathyapriya, Vasantha Narayanan, Ajayan Bala, Jaya Madan, Singara Sukumaran, Gana Ulaganathan, Malavika (Guest Appearance)

原題:சித்திரம் பேசுதடி
タイトルの意味:Talking Parrot
タイトルのゆれ:Chithiram Pesudhadi, Chithiram Pesuthady

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間28分
DVD 入手先:BhavaniMyIndiaShopping など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/chithiram-pesuthadi-tamil-2006

なお、本作は、タミル映画としては珍しく(だと思うのだが)脚本が出版された。

都会度★★★★★★★★☆☆田舎度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度★★★★★☆☆☆☆☆お笑い度★★★☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★☆☆☆☆衝撃度★★★★★☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★★☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★☆☆

【ネタバレ度40%の粗筋】
チェンナイのどこか。8年生で学業をドロップアウトしたティル(ティルナーヴッカラス、Narain)は、職もなく無為な生活を送っていたが、ヤクザのドンの息子ヴァサンタを暴漢から助けたことがきっかけで、そのドン、アンナーッチ(Dhandapani)の手下となり、有能な鉄砲玉として重宝されるようになる。ある日彼は、スクーターに乗ったチャール(チャールマティ、Bhavana)とニアミスして諍いを起こす。叔父(Ravi Prakash)の経営する孤児院で働くチャールは、育ちの良い娘だが度を超して勝ち気なところもあり、不正義を見過ごすことができない。境遇が全く違うにも拘らず生活圏の近い二人は、その後もしばしば思わぬところで出会い、その度に衝突していたが、いつしか恋が芽生える。母を遠い昔に亡くしているチャールは、一人娘を溺愛する父(Mahadevan)を説得し、彼女のために更正への道を歩み出したティルとの結婚に同意させる。しかし挙式まで残すところ10日に迫った日に、衝撃的な事件が起きる。(粗筋了)

【寸評】
監督のミシュキン以外にも、本作では以下の人々がデビュー(タミル・デビュー)を果たした。マ映画界での鳴かず飛ばすを打破するため改名して心機一転をはかろうとしたナレン、ちょっと世界征服に行くわよっとケララを出発したバーヴァナ(本作でフィルムフェア・サウスのタミル映画最優秀主演女優賞を獲得)、そして現在では気鋭のミュージックディレクターとしてバリバリ仕事をこなしているスンダルCバーブ。また、ソングシーンに登場するガーナー・ウラガナーダンは、無名のディヴォーショナル・シンガーだったが、本作によって大ブレイクしたという。その一方で脇を固める役者は思わず唸るような渋い芸達者。タイトルロールでこれまでの代表作を冠にして表示されている3人、カーダル・ダーンダパニ、ピターマハン・マハーデーヴァン、アレパーユデー・ラヴィ・プラカーシュ、この親爺達に痺れたね。特に、一度見たら忘れられないダーンダパニのド迫力。ミシュキンは悪役の造形にたいそう凝る監督と見た。

タイトルの「おしゃべりな鸚鵡」の意味が説明される台詞などは見当たらない(あるいはソング中にあるものを見落としているのかもしれないが)。まあ、普通に考えればこれはバーヴァナ演じるヒロインを形容しているものなのだろう。正義感が強く、不正が行われているのを見ると後先考えずに突っかかって行く。訴えが通らないと悔しさのあまり号泣する。父親に対しては専横な暴君として振る舞う。惚れたら一途。空気を読まない。妥協しない。演じ手によっては相当嫌味なキャラになってしまうところだが、さーすがバーちゃん、キュートな、愛すべきヒロイン像になっている。
【追記】いやこの場合「Talking Parrot」はインコの御神籤占いのことを指しているのだろうか?そうなると含意するところはますます分からなくなる。

一方で、ストーリーは全編を通じて破滅へと向かう不吉さに満ちているものの、ミシュキン作品のトレードマークとも言える「暗いどよめき」は、まだ発展途上にある印象だ。特にソングシーンのピクチャライゼーションが足を引っ張っている。マラヴィカがゲストで踊る一曲を除くと見るに耐えない出来。予算はねえし、主演俳優は踊りからっ下手だし、どうしろってんだよ!とヤケクソででっち上げたものとしか思えん。マラヤーラム映画見てんのかと思った。しかし、お馬鹿妄想シーンでこんなイメージとか見せられると、ゴーマン発言で有名なミシュキン監督とも友達になれそうだとも感じた。

ChithiramPesuthadi3.jpg
ChithiramPesuthadi4.jpg
ダーンダパニが演じるヤクザの本拠地は、バナナの卸屋だった!このファンタスティックな緑の魔窟のせいで星が増えたのだ。

投稿者 Periplo : 21:37 : カテゴリー so many cups of chai Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年10月30日

TNWコレクション:Azhagiya Theeyae

出会いはもちろんウーティで。霧の中から現れる白衣のヒロイン。

AzhagiyaTheeye1.jpgAzhagiyaTheeye2.jpg

前回は S Pictures 作品を紹介したので、次はプラカーシュ・ラージがオーナーの Duet Movies から1本。同社の顔とも言えるラーダー・モーハン監督のデビュー作。

タミル映画界で、脇役として活躍しながら、そこで得たギャラをせっせと自前の映画製作にまわしている俳優というと、ナーセルとプラカーシュ・ラージが思い浮かぶが、どちらかと言えば後者の方が成功しているように見える。

デュエット・ムービーズは Anthapuram (Telugu - 1997) Dir. Krishna Vamsi によって旗揚げされたが、それ以降はタミル映画の低予算作品を送り出し続けている。

本音を言うと、これをタミル・ニューウェーブにカウントしていいのかどうか、かなり迷った。そして今でも迷いがある。ただ、コージーでアンティームな等身大のロマンスでこの潮流の一角を占めているラーダー・モーハン監督作として無視できないため、敢えてここで登場させてみた。

cvAzhagiye.JPG

Azhagiya Theeyae (Tamil - 2004)

Director:Radha Mohan
Cast:Prasanna, Navya Nair, Prakash Raj, Elango Kumaravel, M S Bhaskar, Jayavarma, Bala, Pyramid Natarajan, Devadarshin, Jai Varma, Rambha(Guest Appearance), Abbas (Guest Appearance)

原題:அழகிய தீயே
タイトルの意味:The Enchanting Flame
タイトルのゆれ:Azhagiya Theeyae..., Azhagiya Theeye, Azhagiya Theeyey

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間20分
DVD 入手先:MyIndiaShopping など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/azhagiya-theeye-tamil-2004

都会度★★★★★★★★☆☆田舎度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★☆☆衝撃度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★★★★☆☆シリアス度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★☆☆☆☆


******************************************************************

本作には以下にあげるリメイクが存在する。いずれも公式リメイクなのかパクリなのかはよくわからない。

happy.jpgHappy (Telugu - 2006)

Director:A Karunakaran
Cast:Allu Arjun, Genelia D'Souza, Manoj Bajipai, Ranganath, Brahmanandam, Venu Madhav, Kondavalasa, M S Narayana, Tanikella Bharani, Suman Setty, LV Sreeram, GV, Rama Prabha, Seetha, Apoorva, Jahnavi, Lakshmipathy

原題:హ్యాపీ
吹き替え版タイトル:Happy be Happy(マラヤーラム語)

DVDの版元:iDream
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間31分
DVD 入手先:MyIndiaShopping など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/happy-telugu-2006

bolonatumiaamar.jpgBolo Na Tumi Aamar (Bengali - 2009)

Director:Sujit Mondal
Cast:Dev, Koyel Mallick, Tota Roy Chowdhury, Sabyasachi Chakraborty, Mousumi Saha, Supriyo Dutt, Bharat Kaul, Sumit Gangopadhyay,Nitya Ganguly, Mani Shankar Banerjee

原題:বলোনা তুমি আমার
タイトルの意味:Say You are Mine
タイトルのゆれ:Bolo Na Tumi Amar

DVDの版元:Venkatesh
DVDの字幕:あり(らしい)
DVDの障害:未検証
DVDのランタイム:未検証(IMDbによれば160分)
DVD 入手先:flipkart など

参考サイト: http://www.gomolo.in/Movie/Movie.aspx?mid=22062


それから、 Loafer (Oriya - 2011) Dir. Ashok Pati というのもあるそうだ。

******************************************************************

話をオリジナルに戻す。

【ネタバレ度50%の粗筋】
地方出身で映画監督志望のチャンドラン(Prasanna)は同じ夢を追いかける3人の仲間達とともにチェンナイの片隅で暮らし、アシスタント・ディレクターとして働きながらチャンスをうかがっていた。ナンディニ(Navya Nair)は政治家の一人娘で、不自由のない暮らしをしていたが、父(Pyramid Natarajan)とは折り合いが悪く、自立した職業人になることを目指してコンピュータ・スクールに通っていた。しかしこれを快く思わない父は、強引にアメリカ帰りのシステム・エンジニアのアラヴィンド(Prakash Raj)との縁談をまとめてしまう。何としても結婚を避けたいナンディニは友人のつてを頼って、彼女の恋人と偽ってアラヴィンドに会い縁組みを諦めるよう説得する役をチャンドランに頼む。作戦は見事成功したが、義侠心に富むアラヴィンドは、チャンドランとナンディニを引き連れて結婚登記所に行き、半ば無理矢理に二人を結婚させた上で、豪華なフラットまでをもプレゼントする。状況に押し流される形で二人はそのフラットで共同生活を始める。(粗筋了)

【寸評】
上の粗筋で書いた、仮面夫婦が一つ屋根の下で暮らすというのはインド映画で結構好まれている設定で、これまでにも何度も見たことがある。一番古いものだと Missamma (Telugu - 1955) Dir. L V Prasad なんてとこまで行く(もちろんこれが最古だという確証もないが)。インドでは未婚の男女の同居生活というのが現在でもかなりスキャンダラスなものだからなのだろう。

それからチェンナイで生活する若者の群像を描くという点で Boys (Tamil - 2003) Dir. Shankar を思い起こさせるエピソードもいくつかある。つまりドラマの前提を用意する導入部はコテコテなのである。

しかしストーリー自体が仕掛けた罠は冒頭からある。主人公とその仲間は映画人、何かというと「おいおい、映画じゃないんだから」と口にするのである。これは観客に対する諌めでもある。そこから普通に考えれば物語は映画のようにドラマチックには進まないだろう。あるいは「事実は映画よりも奇なり」という展開を持ってくるのだろうか?結論を言ってしまうと答えは前者である。というか、一旦映画的な慣用句でもって広げた風呂敷を、なんとかリアリティのあるかたちでまとめようと制作者が必死にもがくのが、インターミッション後の半分なのである。極めつけは「こーゆーのもかなり珍しい」としか言いようのない、アンチ・ヒロイズムのクライマックス。こればっかりはネタばらしをする気になれない。どうぞ各自ご覧になって下さいとしか言えない。でも見た後での苦情は受け付けんよ。

大ヒットとまでは行かなかった本作だが、レビューの類は好意的なものが割と多い。本作には格闘シーンは一切ない。ソングは4曲あるが、アッバスとランバーがゲストで顔を見せる最初のもの以外は、どれも「これならいっそなかった方が良かったんじゃないか」と思わせるようなショボい出来。もちろん予算の制約が大きかったのだろうが、ラーダー・モーハンという人は、どうも「ソング&ダンスで魅せる」というのが苦手で嫌いなんじゃないだろうかと勘ぐられてしまう。最新作 Payanam/Gaganam (Tamil/Telugu - 2011) ではついにソングゼロの娯楽映画を撮っちまったしね。じゃあ本作の売りは何かというと、コメディ専門俳優に頼ることのない、ストーリーラインにとけ込んだナチュラルなユーモア。これもまた、その後のラーダー・モーハン作品のトレードマークとなっている。

ところで、このシリーズではリメイクの比較であーだこーだ言うのは趣旨ではないということは、初回で断ったが、ここではどうしても触れない訳にはいかない。ベンガル語版とオリヤー語版は見ていないので何もコメントできない。テルグ語版 Happy についてだけ書く。テルグ映画界の有力プロダクションの一つであるギータ・アーツが製作、スターキャスト、ソングは6曲(どの1曲をとっても、オリジナルの全4曲撮影のために費やされた予算の倍程度の額をつぎ込んでいそうだ)、ファイトシーンは全5回、ブラフミーをはじめとする一流コメディアンが5人出演というフル装備の娯楽映画になった。ストーリーラインは基本的には同じなのだが、キャラクターにいちいち映画的誇張が加わった。ヒロインの専横な父は、単なる政治家からカースト・ファナティックな政治家に変わった。「怒らせたら怖い奴」である見合い結婚の相手はSEから警察官に変わった。主人公は映画監督の卵からピザ屋の店員に変わったが、なぜか映画撮影のシーンはリメイクの方が多くなっている。それから新たに悪役警官のキャラが加わった。血まみれのクライマックス以外はストーリーラインは同じ、でも見た目は全然違う映画。こんなに凄いオリジナル・リメイクのペアは見たことないってなものなのだ。で、どっちが楽しいかというと断然テルグ版の方なんだな。楽しいだけでなく、映画的なロジックがきちんと構築されていて無茶なストーリーなのに納得できるんだ。これはつまり監督のカルナーカランと脚本のコナ・ヴェンカットが如何に良心的にリメイクに取り組んだか、ということなのか。シンプルなオリジナルにこってりと増量して却って良くなったという例は珍しいと思う。

タミル・ニューウェーブのカタログ第4弾でいきなり訳のわからない展開になってしまったが、決してベストのお勧めではないが捨て置けないという作品はこれからも挙げて行くつもりだ。でも、単体でのお勧め度は★6つだが、リメイクと併せての鑑賞なら★10個というというのは、そうざらにはないもんかもしれんね。

投稿者 Periplo : 15:47 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年10月28日

TNWコレクション:Kalloori

南インドにおいて、肌の色の違いは多くの場合階級の違いである。英語を喋るかどうかの違いはほぼ間違いなく階級の違いである。階級の違うもの同士の間で友情は成り立つのか。そして友情と恋愛は共存できるのか。

kaloori1.jpg

前回はちょっと長く書きすぎたことを反省中。やっぱブログってメディアにはそれ相応の程よい文章量ってものがあるわな。それに毎回あんなに書いてたら体が保たないし、途中で挫折しちゃいそうだし。なのでなるべくサクサク紹介して点数を増やそうと思う。

cvKalloori.jpgKalloori (Tamil - 2007)

Director:Balaji Shakthivel
Cast:Tamanna, Akhil, Hemalatha, Rajeshwari, Sailatha, Mayareddy, Prakash, Thisaigal Arunkumar, Bharani, Kaamatchinaadhan, Balamurugan, Arunkumar, Alex

原題:கல்லூரி
タイトルの意味:Collage
タイトルのゆれ:Kalluri

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間20分
DVD 入手先:AyngaranMyIndiaShopping など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/kalloori-tamil-2007

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★★☆衝撃度★★★★★☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★★
消化不良度★☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★★☆

【ネタバレ度20%の粗筋】
タミルナードゥ州のどこかの地方都市。タミル語ミディアムのハイスクールを卒業したムットゥ(Akhil)は州立人文カレッジの歴史学科に入学する。ハイスクールの同級生の8人の男女も一緒だった。彼らはその多くが下層の家庭の出身で、様々な問題を抱えながらもなんとか高等教育の場に進んだのだった。初めての授業で彼らは同じクラスの女子生徒ショーバナ(Tamanna)に目を奪われる。地方長官や裁判官などを代々輩出したバラモン家庭出身の彼女は、ぬけるような白い肌と、流暢な英語とで他の生徒達を圧倒する。最初はお高くとまっているように見えたショーバナだが、ムットゥ達との交流の中で打ち解けるようになる。 10人の男女はいつまでも変わらない友情を誓い合うが、彼らの間で恋愛感情が芽生えてくることによって亀裂が生じはじめる。(粗筋了)

【寸評】
個人的な話で恐縮だが、ともかく学園青春ものというのが苦手なのである。言うまでもないが、キャンパスで出会ったハクいお姐さんに一目惚れして追いかけ回してたら怖い親爺が出てきて、トラックに満載の鎌持った手下の皆さんを相手に死闘を繰り広げる、というのは違う。ここで言う学園青春ものとは、多くの場合中産階級の子弟が集うキャンパス生活自体を、甘酸っぱいノスタルジアでコーティングして描く群像ドラマのことである。もちろん恋愛もあるが、メインとなるのは友情である。自分にとっちゃ、日本人のサウス映画ファンの間でも大変評価の高い Happy Days (Telugu - 2007) Dir. Sekhar Kammula も「ケッ」ってなものだったし、 Classmates (Malayalam - 2006) Dir. Lal Jose も、サスペンスの要素がなかったら評価するところゼロだったかもしれない。まあたぶん、これは観るもの自身がいい学生時代を送ったかどうかの差なんだろうけどね。

KallooriTamanna.jpgそれが、本作でだけは違ったのである。自分が実際に経験したことでもないのに、一々のエピソードに引きこまれ、固唾を飲んで見守った。幼くて特に賢くもない学生たちの人間模様という点では上に挙げた2作と同じ、ただ本作では、メインの登場人物の多くが貧困と向き合っているという点が違う。彼らにとって恋愛沙汰などというのは余剰的で贅沢な営為であり、不道徳ですらあり、意図して遠ざけなければならないものであった(妄想のソングシーンにあってすら、恋人たちは手も握らないのだ)。にもかかわらず恋心はジリジリと炙り立てるように追いかけてくる。前半はムットゥの、後半はショーバナの、その心の揺れが非常に丁寧に描かれる。特にショーバナを演じたタマンナーは圧巻。限りなくノーメイクに近いナチュラルメイク(かえってそれでインド人離れした白さが際立つのだ)で、上流家庭の慎ましいお嬢さんの雰囲気を完璧に描写し、恋愛の過程での憧れ、焦燥、嫉妬、喜び、自己嫌悪といった全ての感情を易々と表現していて驚嘆する。今やタミル映画界の女王となったタマンナー・バーティヤー(もちろん北インド出身)だが、大ブレイク(2009年ぐらいからか)以前にこんな見事な芝居をしていたのだ。これだけでも本作は、ニューウェーブに関心のある向きにだけでなく全てのタミル映画ファンにとって観るに値するものだと断言できる。

リアリスティックな田舎の学生生活の描写と同時に、本作ではある重大な社会的事件(ネタバレでも構わない人のみこちら参照)と、その土壌となっている政治的風土についても語られる。クライマックスにこれを持って来たことによって、制作者が何を訴えたいのか若干戸惑ってしまう(DVDの付録として採用されなかった別バージョンのラストシーンが収録されているということは、制作者にも迷いがあったのか、それとも何らかの圧力があったのか)のだが、それではどんな終わり方が良かったのかと考えてみても、これに代わるものは思いつかないのだった。

******************************************************************

本作の制作は S Pictures。『ラジニカーントのロボット(Enthiran)』のあのSシャンカル監督がオーナーのプロダクション会社である。自身は毎回記録を塗り替えるような巨大予算ポトラッチ映画を監督しながらも、一方でこの人は低予算の良質なスモール・シネマを送り出し続けている。プラカーシュ・ラージがオーナーのプロダクション Duet Movies と、この S Pictures、タミル・ニュー・シネマの2つの有力な供給元として今後も注目していきたい。

kalloori2.jpg
「兄ちゃんぶたないで。一所懸命やったんだけど、染みはとれなかったの。ますます濃くなっちゃったみたいなの」ハンカチという古典的な小道具で泣かせる台詞。

投稿者 Periplo : 17:27 : カテゴリー so many cups of chai Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年10月26日

TNWコレクション:Paruthiveeran

本格的なマドゥライ映画の登場だ。「赤い大地に注ぐ雨」という、古代タミルの有名な詩句があるけれど、これはいうなれば「赤い大地に注ぐ鮮血」。リアリズム描写の土台の上に立ち上がるタミル表現主義の最高峰。

Paruthiveeran

タイトルの Paruthiveeran は主人公の名前。パルッティというのは舞台となるマドゥライ近郊の(おそらくは架空の)村の名で、ヴィーランはよくある男子の名前だが元来は勇士を意味する。つまりちょっと嘘くさい名前なのだが、劇中の裁判シーンでも、主人公がパルッティヴィーランと名乗るところがある。

この名前から思い起こされるのは、民話の登場人物で、タミル南部地方では村の守り神として祀られることも多いマドゥライ・ヴィーラン(単にヴィーランとも)。民話の常で曖昧模糊としたところもあるのだが、北インド・ベナレスの王の息子として生まれた赤子が、運命のいたずらで森に捨てられ、樵の夫婦に育てられるという貴種流離譚。勇敢な若者に成長したその拾い子ヴィーランは、トッティヤムの王女ボンミがカーヴェーリ川で溺れかかっているところを助ける。二人は即座に恋に落ちるが、王女の親族はヴィーランの身分の低さから最初は二人の結婚に反対する。やがて武勇を認められてナーヤカ朝の軍司令官に任命されたヴィーランだったが、彼を妬む大臣の讒言によって無実の罪を着せられ、出征先のマドゥライで生きたまま四肢を切断される刑に処せられる。

この話は過去に何度か映画化されており、1956年のMGR主演のものが有名(参考)。元々の民話は本当にぼんやりとした輪郭しかわからないのだが、逆にそこから原初的な信仰形態のひとつである「尋常ではない不運な最期をとげた英雄への鎮魂」が垣間見えるようで興味深い。

もちろん本作は神話・民話では全くないし、この民話を現代に置き換えたものでもない。ただ、このタイトルがそれだけで血腥い往古の世界を微かに連想させるものであるとは言えるのではないか。

cvParuthiveeran.jpgParuthiveeran (Tamil - 2007)

Director:Ameer Sultan
Cast:Karthi Sivakumar, Priyamani, Saravanan, Ganja Kuruppu, Ponvannan, Sujatha, Sampath, Saraswathi

原題:பருத்திவீரன்
タイトルの意味:The Hero of Paruthi
タイトルのゆれ:Paruthi Veeran

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間44分
DVD 入手先:AyngaranBhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/paruthi-veeran-tamil-2007

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★★★★★★★★★お笑い度★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★☆☆☆☆☆☆☆衝撃度★★★★★★★★★★
ハッピー度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★★
消化不良度★★★★★★★★★★満足度★★★★★★★★☆☆

【ネタバレ度100%の粗筋】
マドゥライ地方の小村パルッティユール。ヴィーラン(Karuthi)と叔父のセッヴァーライ(Saravanan)は定職もなく暴力沙汰に明け暮れるヤクザな生活を送っていた。その日その日を刹那的に生きるだけのヴィーランは冗談とも本気ともつかず、地元のケチな警察署ではなくマドラスの監獄で服役するような大犯罪を犯すのが夢だと口走っていた。仲間のトラック運転手が買った売春婦を横取りするなど好き放題に振る舞う彼だが、その腕っ節の強さを恐れて手出しをするものはいなかった。ヴィーランの親戚のカルヴァセルヴァイ(Ponvannan)の娘ムッタラフ(Priyamani)は、幼い頃井戸で溺れかけたところをヴィーランに助けられて以来、彼を結婚相手と心に決め、ヴィーラン当人に疎ましがられても揺らぐことがなかった。

ヴィーランとムッタラフの家は親戚でありながら現在は犬猿の仲だった。ヴィーランの父マルドゥ(Sampath)と、その妹を妻にしたカルヴァセルヴァイは共に有力カーストのテーヴァルに属していたが、家が貧しかったため、かつては不可触カーストの女親分チェッラータの元で違法なアラックの醸造に従事していた。チェッラータが商売敵のテーヴァルを殺したため、村のテーヴァルの男達はチェッラータを亡きものにしようと密談する。カルヴァセルヴァイは謀議の中心となるが、貧困から救ってくれたチェッラータに恩義を感じるマルドゥは耳を貸さなかった。チェッラータが惨殺された後、彼は残された娘のシータンマを引き取り妻にする。アウトカーストとの結婚を激しく非難するカルヴァセルヴァイと決裂して、マルドゥは母、妻、弟のセッヴァーライと共に村はずれに移り住み、やがてヴィーランが生まれる。しかし、マルドゥと妻は不審な交通事故によって、幼いヴィーランを残して死んでしまった。

ムッタラフは思ったことは全て口に出し、気に入らなければ両親にも猛然と突っかかって行く勝ち気な娘だった。彼女は迷惑顔のヴィーランに「私の裸を見ることができるのはあんただけ。誰だろうとそれを変えようとする奴がいたら、私は死んでやる」と言い放つ。乱暴者のヴィーランも彼女に対してだけは手を上げない。ヴィーランが警官相手の暴力沙汰で服役していた間、両親はムッタラフを別の男に嫁がせようと試みるが、彼女は服毒自殺未遂の騒ぎを起こす。戻って来たヴィーランは、ムッタラフの愛の強さを改めて知り、彼女を受け入れる決心をする。ヴィーランはカルヴァセルヴァイの家に結婚の申し込みに訪れるが、結局そこは掴み合いの場と化す。ヴィーランはムッタラフに向かって「お前は俺のものだ。両親のために俺を捨てるようなことがあったら、滅多切りにして殺してやる」と挑発する。ムッタラフは、その夜母親の制止を振り切って家を出てヴィーランの元に身を寄せる。

二人はよその土地で新しい生活を始めようと村を出て歩き始めるが、カルヴァセルヴァイが雇った殺し屋が迫っていることを知る。ヴィーランはムッタラフを荒野の廃屋に残し、叔父と祖母の安否を確かめに村に戻るが、すでに彼らも逃げ出した後だった。ヴィーランを待つムッタラフに、たまたまやって来たヴィーランの仲間のトラック運転手たちが目を付ける。彼女がヴィーランの名前を口にしたことで彼らは嗜虐心を掻き立てられ、抵抗する過程で大怪我を負ったムッタラフを輪姦して去って行く。瀕死のムッタラフは、戻って来たヴィーランに苦しい息の下から「彼らはあんたが犯した罪の代償を私に払わせたのだ」と恨み、「自分が何をされたかが知れることがないようにどこかに埋めてほしい」と言って息絶える。遺体を埋めようとしたヴィーランだったが、そこにカルヴァセルヴァイらがやって来る。彼はとっさに遺体に鉈を振るいながら「お前は娘を他の男に嫁がせるのか、俺は許さない。娘をこま切れにしてやる」と叫ぶ。廃屋に突入した男達によってヴィーランは嬲り殺しにされる。(粗筋了)

ParuthiveeranSong2.jpg

【長い寸評】
なんかここに来るまでにやたらと「血」という単語を連発してしまったが、一応断っておくと、本作の撮影用に小道具さんが用意した血糊の量は、例えばバーラクリシュナの娯楽映画のそれの100分の1ぐらいだと思う。総ランタイムに占める暴力シーンの割合もさほど多くはない。にもかかわらずずっしりと重たい読後感。現地の映倫認証はU/A(認証ランクについてはこちら参照)だったが、実際に見た観客の間では「検査委員は居眠りしてたんじゃないか」の声が上がった。特に女性観客にはショックが大きかったようだ。しかしながら本作は大ヒット、驚くべきは舞台となったマドゥライ地方でもロングランを記録したということ。いわゆる「逃避主義」の娯楽映画では全然ないのに。Cinema Crazy State として全国的に名高いタミルの観衆の「シネマ・リテラシー」というものは時々こちらの想像力を超えている。恐れ入りました、としか言いようがない。これは本作のベルリン国際映画祭NETPAC部門での特別賞の受賞よりもずっと凄いことに思える。

ただし、衝撃的なストーリーラインは一見しただけで夢に出るほどだが、細部は結構わかりにくい所があり、ネット上のレビュー群の間でも結構解釈が食い違っていたりする。上に粗筋を全部書いたのも、整理しないと自分でもわからなくなるからだ。なので、ここでは感想というよりは、わかりにくい部分に若干の注釈を加えたいと思う。

******************************************************************

まず、実話に基づいているという(しかしその実話のソースは見つからず)この物語の年代設定だが、1990年代中盤と推定。理由は、携帯電話が登場しない&今よりもかなり若めのアジットとヴィジャイ(どちらも1992年デビュー)のポスターが映るという2点。

******************************************************************

それから背景となるカーストの問題。

Uppu Kuravar(塩売り)、Karuveppillai Kuravar(カレーリーフ売り)、 Thappai Kuravar(竹切り)、 Pacchaikuthi Kuravar(刺青屋)、Koodaikatti Kuravar(籠作り) は放浪民であるために低ランクと見なされている。彼らの一部は過去に強盗やその他の犯罪行為にたずさわっていたこともある。しかしそれは過去のことである。犯罪者コミュニティとしての位置づけはタミル・ナードゥ南部のクラヴァルには受け入れられていない。(People of India - Tamil Nadu [Volume XL, Part Two], K S Singh [ed.], 1997, Anthropological Survey of India, Affiliated East-West Press Pvt. Ltd., P.797より、勝手訳)

多数のレビューで言及されていることなのだが、イギリス植民地下の1871年に制定された悪名高いクリミナル・トライブ法によって犯罪者集団と指定された不可触カースト、クラヴァル(コラヴァルとも)の末裔たちの問題を描いている、とされるところ。実際にクラヴァルのカースト団体が、本作の上映中止を求める示威行動を繰り広げてもいる。しかしこのコミュニティの名前は映画中のセリフでは示されない(検閲でカットされたのかもしれないが)。おそらくタミル人観客はセリフ以外のビジュアルの面でそれと気づくのだろう。さらに、テーマとしてクラヴァル・コミュニティの今日的問題を描いているとも思えない。メインのモチーフとなっているのは、あくまでもタミル南部の有力カーストであるテーヴァルの閉鎖性と暴力性の問題、その背景としての上位・下位カースト間の緊張。主人公パルッティ・ヴィーランの人格にクリミナル・トライブの影響を読むレビューもある(一例としてこちらなど)が、ちょっと的外れではないか。

しかしながら、MSSパーンディヤンによれば、ドラヴィダ民族主義諸政党が全ての非バラモン階層の団結を希求したにも関わらず、その理念に完全には寄り添うことがなかったカースト集団もあったという。パッラルやパライヤルといったダリト以外にも、南部のテーヴァル、北部のヴァンニヤルといった集団は、ドラヴィダ民族主義政党の「非バラモン=後進カースト」のアイデンティティに完全に同調することはなかった。 (中略)

パーンディヤンが述べるように、タミル・ナードゥ北部ではヴァンニヤルとパラヤルの、南部ではテーヴァルとパッラール(またの名をデーヴェーンドラ・クラ・ヴェーラーラルあるいはデーヴェーンドラル)の対決が見られた。南部での衝突は、北部でのものよりも遥かに激烈で血腥いものだった。
(中略)

1995年から98年にかけて、タミル・ナードゥ南部の諸郡にはテーヴァルとダリトの衝突が広く見られた。(Rajan Krishnan, Imaginary geographies - The makings of the "South" in contemporary Tamil cinema [Tamil Cinema: The Cultural Politics of India's Other Film Industryに所収], P.149より、勝手訳)

上の文中で言及されているMSSパーンディヤンの論文 Dalit Assertion in Tamil Nadu: An Exploratory Note はここで読める。もう戦慄するしかない、果てしない衝突と暴力の連鎖の記録。タミルナードゥ州南部に多いテーヴァル(厳密にはテーヴァルは称号、カースト名はムックラットール)は、古くからの地主・自作農階級ではあるが、現在では貧農または小作農として糊口をしのいでいる者も多い。にもかかわらず、あるいはそれ故に、他と比べても異様なほどにカーストとしてのプライドが高く、社会的な地位の上昇を求めるダリトとの間で最も激しく衝突を繰り返している。また、ダリトが地位上昇のために教育に力を入れている、ただそれだけの理由から、テーヴァルは子弟の教育にさほど重きを置かないという。政治的にもDMKやAIADMKなどとは一線を画し、テーヴァルだけのカースト政党に勢力を結集させている。

テーヴァル・コミュニティの宗教行事には、騒々しい音楽が鳴らされるのが常だった。マドゥライ郡のエドゥマイ村で、映画『テーヴァルの息子(Thevar Magan)』の挿入歌 "Thevar kaaladi manne, potrippaadadi penne [テーヴァルの立つ足下の土の、その栄光を讃えよ]が流れた時、初めての映画館での暴動が発生した。そこには近隣の村々から観客が集まっていたが、劇場主は本編が始まる前にその歌を流すよう強要された。テーヴァルをタミルの土の主として讃えるその歌詞は、ダリトの神経を逆撫でするものだった。当然の結果として彼らは激嵩したのである。 (Cut-outs, Caste and Cine Stars: The World of Tamil Politics [Vaasanthi, Published by Penguin Books India, April 2006] P.202より、勝手訳)

1980年代以降のタミル映画にはテーヴァルにまつわる作品も目立つ。テーヴァルの地主の偉大さを称揚する御館様映画、あるいは暴力的な性向(とされているもの)を批判的に描く作品、あるいは強固に残る保守的な習俗にまつわるもの。以下などが代表的だという。

Murattu Kalai (Tamil - 1980) Dir. S P Muthuraman
Mann Vaasanai (Tamil - 1983) Dir. Bharathiraja
Muthal Mariyathai (Tamil - 1985) Dir. Bharathiraja
Vedham Pudhithu (Tamil - 1987) Dir. Bharathiraja
Thevar Magan (Tamil - 1992) Dir. Bharathan
Kizhakku Cheemayile (Tamil - 1993) Dir. Bharathiraja
Karuththamma (Tamil - 1994) Dir. Bharathiraja
Sivalaperi Paandi (Tamil - 1994) Dir. Pratap K Pothan
Pasumponn (Tamil - 1995) Dir. Bharathiraja
Panchalankurichi (Tamil - 1996) Dir. Seeman
Bharathi Kannamma (Tamil - 1997) Dir. Cheran
Kaadhal (Tamil - 2004) Dir. Balaji Sakthivel
Virumaandi (Tamil - 2004) Dir. Kamal Hasan
Sandakozhi (Tamil - 2005) Dir. Linguswamy
Thimiru (Tamil - 2006) Dir. Tarun Gopi
Veyyil (Tamil - 2006) Dir. Vasanthabalan

******************************************************************

わわっ、幾ら長い寸評って断ってもさすがに長すぎだ。プリヤーマニの衝撃とか、ロケ地話とか、書きたいことはまだまだあるのだけど、ここでは音楽について一言だけ書いて終えよう。

リアリズムに支配された本作、当然のことながら外国ロケのソングシーンなどはない。美しいラブバラードも1曲あるのだが、それ以外は全て、タミル語でクットゥ・パーットゥ(குத்து பாட்டு=kuthu song)と呼ばれる民謡風ソング。クーットゥ(கூத்து=dance, stage play)ではなく、クットゥ(குத்து=beat, punch)である。娯楽作品での威勢の良いヒーロー登場ソングなどもクットゥと呼ばれるが、本作のそれは映画に登場した最も本格的なクットゥであるという。ミュージック・ディレクターはユヴァン・シャンカル・ラージャー。YSRはただ採譜しただけじゃないかとすら思えるが、音楽評を読むと、やはりそれなりのコンポーズがあり、その上で実際にマドゥライ地方で活躍する民謡シンガーたちをフィーチャーして撮られたもののようだ。ヒジュラが歌い、カラガッタム(の一番泥臭いやつ)が乱舞し、クディライが跳躍する、国際交流基金の招聘での日本公演など絶対にありえないパフォーマンス、これだけのために本作を観ても損しない、お勧めです。

ParuthiveeranSong.jpg
西ガーツ颪が吹き渡る暗い予兆を孕んだ風景の中で、カーストも政治も、何もかもが溶けていくかのようだ。

投稿者 Periplo : 20:30 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (2)

2011年10月20日

TNWコレクション:Autograph

全てはここから始まった、のかな? 自信なし。タミル・ニューウェーブ映画のコレクション、第一弾。

autograpoh1.jpg

いや、そう言った時点で、前年のアレはどうだったんじゃとか、色んな反論が出て来ちゃうのは間違いなし。自分にとっては、なんかこれまでと違うらしいタミル映画の第一弾だったのだが。

この作品が公開された当時、とても頼りにしていたタミル人による英語レビューサイトがあった。ネット上のタミル映画情報については暗中模索状態だった頃、映画好きのインテリ青年達によって運営されていたその Teakada という名前の寄り合い所は、本当に貴重な情報の宝庫だったのだ。現在はキャッシュすら覗くことが出来なくなっているこのサイト上のレビューで、「アヴァンギャルド」という風に評言されていたのが本作だった。久しく目にしていなかったアヴァンギャルドなんて用語にも驚いたが、本作を実見してみて、その言葉から予測されるものとの隔たりに二度驚いたのだった。

cvAutograph.JPG

Autograph (Tamil - 2004)

Director:Cheran
Cast:Cheran, Sneha, Gopika, Mallika, Ganesh Babu, Ilavarasu, Krisha, Rajesh, Vijaya Singh, Kaniha, V K Sreeraman

原題:ஆட்டோகிராஃப்

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間46分
DVD 入手先:MyIndiaShoppingBhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/autograph-tamil-2004

シリーズ開始にあたって、昔どっかでやってたパラメータ評価を復活させてみた。暴力度を星で表示するのは、時にはネタバレとなるかもしれないが、流血の多寡によって見る見ないを決める人もいるだろうとの老婆心から。衝撃度とは、色々な意味でのインパクト。あまりの馬鹿馬鹿しさに脱力したり、凄まじい暴力に全身がこわばったり、良いものを見せてもらって飯が旨くなったり、等々の心身への影響。消化不良度は、このシリーズでどうしても必要だと思った尺度。好き嫌いとは別に、ストーリーの要諦がよく分からない、「なんでここでこう展開するのか?」とか「これは一体どういう意味なのか?」なんてことを、できれば専門家に解説してもらいたい作品も結構あったりするのだ。

都会度★★★★★☆☆☆☆☆田舎度★★★★★☆☆☆☆☆
暴力度★☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★★★衝撃度★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★☆☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★☆☆☆☆
消化不良度★★★★★★★★★☆満足度★★★★★★★☆☆☆

なんかこの表だけでも充分な気もして来たが…。

******************************************************************

本作にはテルグ版とカンナダ版のリメイクが存在する。リメイクの見比べであーだこーだ言うのはこのシリーズの趣旨ではないが、リメイクがオリジナルの理解の助けになることもあるので、情報は入手できる限りあげておきたいと思っている。

NaaAutograph.jpgNaa Autograph (Telugu - 2004)

Director:S Gopal Reddy
Cast:Ravi Teja, Bhoomika Chawla, Gopika, Mallika, Sunil, Venu Madhav, Krishna Bhagavan, Dharmavarapu Subrahmanyam, Prakash Raj, Kanika, Paruchuri Venkateswara Rao, Vijaya Singh, Duvvasi Mohan, V K Sreeraman

原題:నా ఆటోగ్రాఫ్
タイトルの意味:My Autograph
タイトルのゆれ:Naa Autograph - Sweet Memories

DVDの版元:Sri Balaji
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間28分
DVD 入手先:MyIndiaShoppingBhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/naa-autograph-telugu-2004

MyAutograph.jpgMy Autograph (Kannada - 2006)

Director:Sudeep
Cast:Sudeep, Meena, Sridevika, Deepa, Srinivasa Murthy, Yethiraj, Rashmi

原題:ಮೈ ಆಟೋಗ್ರಾಫ್

DVDの版元:Sri Nakoda
DVDの字幕:なし
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間53分
DVD 入手先:WebmallIndiaKannadaStore など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/my-autograph-kannada-2006

******************************************************************

話をタミル版に戻す。

【ネタバレ度100%の粗筋】
プロローグ:チェンナイで広告会社に勤めるクリエイターのセンディル(Cheran)は結婚式を間近に控えて、故郷のディンディガル(ティンドゥッカル)に向けて旅立つ。友人たちをはじめとした、今日の彼を作ってくれた人々に再会し、結婚式への招待状を手渡すのが目的である。

第1部:ディンディガルでは、中学の同級生たちや恩師に再会する。初恋の相手であったカマラー(Mallika)は三児の母となっており、暮らし向きも裕福とはほど遠く少しやつれた様子である。幼い恋の相手だった彼女とは手をつなぐことすらできず、卒業と同時になすすべもなく離れ離れになったのだった。

第2部:次に彼はケララのアレッピー(アーラップラ)に向かう。そして甘さと苦さの混じった回想が始まる。12年以上前に、郵便局長として赴任した父と共にやってきた彼は、言葉が全くわからないこの地でカレッジ生活を送ったのだった。カレッジで知り合ったラティカ(Gopika)に一目惚れした彼は、言葉の違いをものともせずに一途に求愛し、やがて二人は相思相愛の仲となる。しかしアレッピーの名家の当主であるラティカの父(V K Sreeraman)はこれを喜ばず、娘を強引に従兄と結婚させてしまう。なおかつ彼はセンディルの家にならず者の一団を差し向けて乱暴をはたらかせ、アレッピーから追い出しにかかる。やむなく一家はコインバトールに移り住むが、初めての真剣な恋に破れたセンディルは自暴自棄となり約二年間を酒浸りで無為に過ごすことになる。両親の必死の諌めでなんとか前向きに生きようという気になった彼はチェンナイを目指す。

第3部:チェンナイに辿り着きはしたものの、勤め口にありつけずに鬱屈していたセンディルは、ある日盲人達によるコンサートを主宰して自らも歌うディヴィヤ(Sneha)という女性を垣間見る。別の日にディヴィヤはバスの中で求職のためのビラを配るセンディルを見かけ、自らが勤務する広告制作会社への就職の世話をする。それだけではなく、何かと落ち込みがちな彼を励まし、上級職を目指すための勉強を勧める。しかし彼女は自身も様々な問題を抱えていた。寝たきりの母を家に一人残して通勤する苦しい生活、失恋で自殺未遂まで追い込まれた過去など。センディルが初めてプロジェクトリーダーとなって取り組むことになったムンバイでの撮影にも彼女は同行したが、実はその日の朝に彼女の母は息を引き取ったばかりで、それを押し殺しての出張だった。しかしこの出来事によって疲弊した彼女は退職し、もともとボランティアとして関わっていた福祉施設に入居することになる。

エピローグ:話は現在のケララに戻る。ラティカに結婚式の招待状を渡そうと訪れたセンディルは、彼女が寡婦となって独りぼっちで寂しく暮らしているのを知って呆然とする。チェンナイに戻った彼は間近に迫った結婚式をキャンセルすると言い出すが、ディヴィヤはそれを強く諌めて思いとどまらせる。見合いによって決まった相手(Kaniha)との式は、友人達、恩師、カマラー、ラティカ、ヴィディヤらが見守る中滞りなく行われる。(粗筋了)

【相当にネタバレを含む寸評】
ともかく色んな意味でビックリな一作だった。

まず、手法的に全然アヴァンギャルドではない、少なくとも日本人の映画好きの目には。が、当時のタミル映画では、フラッシュバックを織り交ぜたナラティブがかなり斬新なものと受け止められたようだ。コンテンツ的にも各種のセンティメントの洪水状態で、前衛とはかけ離れたものだった。それから、価値観において割と保守的(とその頃の自分の目には映った)なこと。大恋愛を成就させるぞぉぉとか、悪徳資本家に天誅じゃぁぁとか、そういうのゼロ。また、ノスタルジーとリアリズム手法がいい具合にブレンドされたしっとり心地よい第1部と第2部に対して、チェンナイ・ドリームみたいな早送りの立身出世物語の第3部がかなり浮いているように思えた。

最大の消化不良の原因は、第3の女性ディヴィヤ(公開時点ではこの役を演じたスネーハがキャストの中で一番のスタバリューを持っていたはずだ)のキャラの不可解。自立したキャリアウーマンとして登場しながら、いつの間にか主人公の忠実な滅私奉公型のアシスタントになってしまう変容に首を捻った。そして、ことあるごとに声高に友情を言い立てて、結果的に主人公とは結ばれないという筋立て。これは観客をミスリードしておいて最後にひっくり返してみせる引っ掛けとして設定されたことは容易に想像できる。ただそこにあまり説得力がない。独りぼっちになって施設に入居した彼女を横目に、主人公は余り互いに良く知り合ってもいない見合い相手と結婚する。友情と愛情は別ものというのがそこでの理屈だが、インド映画世界の中では、熱烈な恋愛感情がなくとも結婚するというのは特に責められる筋合いのものではない。なので、このヴィディヤというキャラクターにそれなりの感情移入をしていた観客は、第3部の終わりでズルっと来てしまうのだ。

この点について幾人かのグルに質問してみた。

インド生活の長いグルその1は、「何寝ぼけたこと言っとるんじゃ、インド都市部のホワイトカラー男女の間では、恋愛感情とは劃別された&それぞれが別の相手と結婚した後も持続する友情なんぞはありふれたものなんじゃ!」とお答え下さった。そうでしたか、不明を恥じます。

インド生活の長いグルその2は、「実際にはディヴィヤはセンディルを好きだったのだけど、色々な事情から愛を打ち明けられなかったのかもしれませんね」と仰った。うーん深い読みですね。

座右のグル The Best of Tamil Cinema 1931 to 2010 さんは、第2巻の257ページで「ディヴィヤは癌におかされており、余命も長くなかった」と解説して下さった。キャンサー・ドラマですかい、読み違いも甚だしいです、グル。

まあ、この点が納得できず、テルグとカンナダのリメイクにまで手を出してしまったのだが。両方ともオリジナルとほとんど同じストーリー、しかし最後に見たカンナダ版でディヴィヤを演じたミーナーに唸った。同じ運び(しかも字幕なし)なのに、ミーナーちゃんが演じるとなんでか分かったような気になれちゃうんだ。さすがの芸歴、ホントに感服しましたわい。それから、テルグ版でアレッピーでの主人公の友人役で登場するスニルがめっちゃ可笑しいとか、そういうのはあるけれど、まずはタミルのオリジナル版がお勧めです。

Autograph2.jpg
幅広い観客に受け入れられて大ヒットした本作、現地の女学生さん達の間では、ソングシーン♪Manasukullae Kadhal でゴーピカさんが身につけたタミル文字プリントのサリーが「素敵よね〜」と大受けしたのだそうだ。

投稿者 Periplo : 04:02 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年10月15日

タミル・ニューウェーブとは何か

Vikadakavi
お蔵で熟成の後やっと今年4月に公開になったアマラちゃんのタミル・デビュー作 Vikadakavi (Tamil - 2011) Dir. G Krishnan、はよ見たい。

時間が経つのは早いもので、1月に新企画の予告として「年頭の抱負:泰米爾新浪潮」というのをあげてから9ヶ月以上もたってしまった。その間、ぽつぽつと新作は見てたんだけど、先行作も含めて参照すべき作品は無尽蔵にあるし、資料も読み出すと結構豊富。いつまでたっても理論武装(大げさ!)はもう充分というところに到れないのだ。紹介の仕方に若干迷いが生じたのもあって遅くなってしまった。

しかし考えすぎるといつになっても始められない。2000年代の中盤以降に作られた、これまでとはちょっと違ったタミル娯楽映画の目録化というぐらいのつもりで始めてみよう。

といっても、これまでにレビューとして紹介した作品群とは違い、必ずしも「感動した!お気に入りだ!お勧め!」というものばかりではないのだ。言い知れぬ衝撃を受けたが好きにはなれないとか、カタルシスが完全燃焼しない感じが気持ち悪いとか、あるいは、コンテンツよりも現地で大ヒットしたという事実の方に感銘したなんていうものもある。この「看過できない感じ」をとりあえずメモしておこうというぐらいのものだ。

メモとはいえ、大まかな括りぐらいは示しておこう。ジャンル的に区分するならだいたい以下の4つ。

1.田舎もの
2.都会もの
3.パスティーシュもの
4.チェーラン

1の田舎ものはタミル・ニューウェーブの代名詞と言っていいかもしれない。多くの場合暗いトーンで、壮絶な流血を描写するものも少なくない。マドゥライをはじめとする南部地方が舞台となるものも多く、マドゥライ・シネマなどと呼ばれることもある。Paruthi Veeran (Tamil - 2007) Dir. Ameer Sultan などが筆頭として挙げられる。有名俳優が主演することは少なく、あくまでも監督が主導する低予算映画。上映時間は短め。ざらついた手触りのリアリズム描写が特徴的だが、ソングシーンには伝統的なリリシズムが顔をのぞかせることもある。そう、これまでのタミル映画が育んで来たセンチメンタルな慣用句を全否定したりはしないのだ。ただし、田舎の暮らしの衝撃的なまでに過酷な現実を描くが、モラル的なカタルシスがない、つまり悪い奴が罰せられずに終わるものも少なくない。

2の都会ものは、ワンテンポ遅れて登場したような感触がある。チェンナイをはじめとした都会を舞台としており、リアリズムをベースにして等身大の若者の青春群像を描くようなものが多い。Chennai 600028 (Tamil - 2007) のヴェンカト・プラブ監督あたりが中心人物。ごく近年になって、猟奇的犯罪をテーマにしたスリラーなども現れて来ている。

3のパスティーシュというのは絶対数としては少ないと思う。腰が抜けそうなほど豊富なタミル映画の過去の遺産を料理して、斜に構えた笑いを創出しようという試み。Imsai Arasan 23am Pulikesi (Tamil - 2006) でデビューしたシンブデーヴァン監督が引っ張っている感じ。

4のチェーランというのは、半分冗談だが半分は本気。監督デビュー作 Bharathi Kannamma (Tamil - 1997) あたりではバーラティラージャーの忠実な(そして有能な)弟子とでも呼びたいような作風だったが、初主演作となった Autograph (Tamil - 2004) から何かが変わった。以降、ほとんどの自作で主演し、かつ他監督の作品にも出演することが増えた。どちらにせよ、この目ぇのショボショボした、滑舌もイマイチなオッちゃんというか兄ちゃんというかが主役を張るということは、ヒーロー礼賛の従来型の娯楽映画ではないということは確実だ。

それから、あくまでも作業上の便宜でしかないのだが、このシリーズではバーラー監督作品は取り扱わない。何と言うか新潮流の一員というよりは、独自の作家性の中にいる人のような気がするからだ。

あと、本来の趣旨からはズレてしまうのだけれど、上でちょっと名前を挙げたバーラティラージャーにも言及しておきたい。以前紹介した The Best of Tamil Cinema 1931 to 2010 だが、上下2巻に分けて刊行された本書の第2巻は1977年から始まる。これは決して恣意的なものではないはずである。この年に公開されたバーラティラージャーの監督デビュー作 16 Vayathinile (Pathinaaru Vayathinile) は、カマル・ハーサン、ラジニカーント、シュリーデーヴィーといった若い演じ手達のスターダムへの入り口であっただけでなく、ほぼ全編が屋外ロケで撮られ、リアリズムを基調に持ったヴィレッジ・シネマの嚆矢でもあったからだ。80年のタミル映画史に大きな転換点があったとしたら、このバーラティラージャーの登場であり、それは2000年代中盤以降のニューウェーブなんかよりずっとインパクトが大きかったのではないかという思念はずっと頭の中を廻っている。 ニューウェーブの収集よりもバーラティラージャーの総括をしたい気持ちは十分にあるのだが、いかんせん実作品のディスクが入手しづらい。こつこつチクチク集めて今やっと1ダースってとこだ。まあこれも今後の課題としよう。

Karthamma.jpg

こんな風に見比べると、変わったものなど何一つない、と言いたくなってしまうが。上:Karuthamma (Tami - 1994) Dir. Bharathiraja/下:Paruthi Veeran (Tami - 2007) Dir. Ameer Sultan

Paruthiveeran.jpg

ゆるゆると来週あたりからリストをあげてまいりやす。

投稿者 Periplo : 22:23 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0) | トラックバック

2011年01月02日

年頭の抱負:泰米爾新浪潮

Paruthiveeran

Paruthiveeran (Tamil - 2007) Dir. Ameer Sultan のポスター。2007年3月マドゥライにて撮影。印度映画ポスターのへたうま感が漂うグラフィックが大好物なのだが、これはかなりクール、かつ熱い。作品内容とも見事にマッチ。マドゥライのホテルのフロントのあんちゃんにもお勧めされた映画。

* * * * * * * * * * * * * * *

昨日は愚痴めいた事を書いたのだけれど、やはりどん底の中でも希望は捨ててはいけない。なんか新しい事始めよう!年頭の抱負を公表して退路を断って自浄自爆…じゃなかった自縄自縛に追い込むのだ!

今年のテーマはタミル・ニューウェーブ映画の探求です。

ともかく本日現在、字幕もついて画質の良いタミル映画DVDが送料別で1枚6~9ポンド。マラヤーラム映画なら同じ金額で7~10枚が買えちゃうというこの格差。なかなかガツガツと見るわけにも行かなくて、近年はタミル映画鑑賞が1年で10数本という程度に落ち込んでいたのだ。ただ、その10数本の中のさらに少ない数本の中に、ちょっとこれまでの定型じゃない、と思えるような流れが感じられるのだ。

それらは総じて有名俳優が出演しない低予算映画で、多くが田舎を舞台にしていて、またやりきれないリアリズムで悲惨なストーリーが展開されるものが目立つ。見終わった後も、通常の印度映画体験とは異なり、どんよりとした重苦しさに下を向いてしまうことが多い。個人的には、衝撃的なのだがお気に入りと言っていいかどうか迷ってしまう、そういう作品群。にもかかわらず、タミルの衆から広範な支持をとりつけている秀作も多いという。この、現地の人々の広い支持(という話だ)ってのがやっぱ聞き捨てならんのだ。

一方で、大スターの大予算映画も相変わらずの盛況。そういう伝統的な作品群と「ニューウェーブ」(しかし、決してケララのアートフィルムのように映画祭での公開だけを想定して作られているものではないらしいのだ)が共存する、やっぱタミルは懐が広いんだわ。「ニューウェーブ」は本当に新しい思潮なのか、昔からあるサブジャンルが装いをちょっいと変えただけなのか、「新たなる流れ」の源流はどこまで遡れるのか、なぜこういう作品群をタミルの人々は必要としているのか。そんなことを考えながら今年はタミル映画に少し力を振り向けてみようと思っている。

まあ、こんな宣言をしてはみたものの、結論が見えているわけではない。しばらくしてから「やっぱりあれは一時的な流行でした」なんて言うこともありえる。まずは地道に実作品を見てくしかないよね。もちろん金なら全然ない。近年のものは少ないながらとてもありがたいrajshri の字幕つき動画(情報提供:ダニーさん多謝)なども活用しよう。庶民の憧れ Ayngaran 貴光盤も時には頑張って買おう。読者の皆様におかれましては、タミル映画DVDを安く買える通販サイト情報、お勧めの作品、読むべき資料などあればご教示いただきたく。もちろん中古ディスクの払い下げや浄財の御喜捨も大大ウエルカム。

などと力瘤を入れて語ってはみたものの、実働は旧正月辺りからになる予定。それまでは、本来2010年中に済ませるはずだった総括特集などを行うつもり。

とりあえず明日からは通常業務に戻ります。

subramaniyapuram.jpg

Subramaniapuram (Tamil - 2008) Dir. Sasikumar より

投稿者 Periplo : 00:56 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0)