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2008年11月18日

レビュー:Annamayya

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神話&バクティ映画のヌーヴェル・ヴァーグ(勝手に呼んでるだけ)作品群の中の傑作。現地でも広く知られ、日本では非公式な上映会も行われた。でもやっぱり情報は少ないんだよね。

プラーナや聖者伝の絵解きとは全く違ったレベルでバクティの神髄を見せてくれるエポックメイキングな一作。とはいえ、過去の神話映画から完全に断絶している訳でもない。たとえば、深い精神性を包含するにもかかわらず、象徴的な話法をとらず、あくまでも「全てを絵として写し出す」映像作法に貫かれている点など。この徹底ぶりはほとんどディスニー映画の世界。CGも若干使用されているが、むしろ「トリック撮影」と呼ばれるような伝統的技法(カメラのフレームを傾けてみる、などというものも含む)を用いて丁寧に作り込まれている。

本作に登場する神様、ヴェーンカテーシュワラはヴィシュヌ神のまたの姿。主としてテルグ語地域でこの名で呼ばれるが、総本山であるアーンドラ・プラデーシュ州のティルマラ・ティルパティ寺院はインド全域からの信仰を集めており、世界一裕福な寺院ともいわれる。ヴィシュヌ神は千の異名(Vishnu Sahasranama)を持つとされ、作中でもそのうちの幾つか(ケーシャヴァ、ゴーヴィンダ、シュリーニヴァーサ、ナラシンハ etc.)の名がヴェーンカテーシュワラ神を表すものとして登場する。

cvAnnamayya.jpgAnnamayya (Telugu - 1997)
タイトルの意味: 15世紀のテルグ語バクティ詩人の名前※1
他言語への吹き替え:Tirupathi Sri Balaji (Hindi - 2006)

DVD版元: Volga (Sri Balaji 版もあり)
DVDの字幕: 英語(歌詞含む)
DVDの障害: 現在のところ特になし
主な販売サイト: Bhavani (12

Director: K Raghavendra Rao
Music Director: M M Keeravani※2
Playback Singers: S P Balasubramanyam, Mano, K S Chithra, Srilekha, M M Keeravani, Anuradha, Anand, Gangadhar, Sujatha, Renuka, Anand Bhattacharya, S P Sailaja, Poorna Chandar, Sriram, Radhika
Producer: V Doraiswamy Raju
Cinematographer: Vincent

Cast: Nagarjuna, Suman, Mohan Babu, Ramya Krishnan, Katuri, Bhanupriya, Srikanya, Roja, Tanikella Bharani, Kota Srinivasa Rao, M Balaiah, Suthi Velu, Brahmanandam※3

【このくらいなら事前に知ってても問題ないと思う粗筋】
[Song1:Vinaro Bhagyamu] サンスクリット語、タミル語、カンナダ語での祈りが捧げられるのを耳にしながら天上でまどろむヴェーンカテーシュワラ神 (Suman) に二人の神妃※4が問う。テルグの地を統べる我らにテルグ語の讃歌が聴こえないのは何故か。ヴェーンカテーシュワラ神は妻達の望みに応えて、自らの持物である宝剣ナンダカを化身させて最初のテルグ語詩人をこの世に送り出す。[Song2:Telugu Padaniki]

ターッラパーカの有力なバラモン・ナーラヤーナスーリと敬虔なその妻ラッカマーンバーの間に生まれたアンナマイヤ (Nagarjuna) はすくすくと成長する。[Song3:Ele Ele Maradalaa] 若くしてヴェーダの学徒として抜きん出ていたが、土地の男達と腕試しをしたり、美しい双子の従姉妹ティンマッカ (Ramya Krishnan)、アッカランマ (Katuri) と戯れることにも夢中に なっていた。[Song4:Padaharu Kalalaku] ある日、双子を連れて野山で遊んでいた彼の前に一人の行者が現れて、二人の乙女よりもはるかに美しいものがあると言って挑発する。この行者が他ならぬヴェーンカテーシュワラ神の仮の姿であるとも知らず、アンナマイヤは彼に導かれて人里離れた寺院に入り込み、そこでチェンナケーシャヴァ(童形のクリシュナ)神像を目にして啓示に打たれる。[Song5:Kalaganti Kalaganti]

その場に崩折れ意識不明のまま家に連れ戻されたアンナマイヤは、その後も呆然としたまま日々を送っていたが、ある日野山を行く巡礼の人々に出会い、衝動的にその集団に加わる。ティルパティの神域に到るまで断食する誓いを立てた彼は、一行の中の一人の老人に自分の体を苦しめることによって神への奉仕を行うのだと語る。それに対して老人は、神が最も好むのは楽の音であると答える。讃歌を奏でて神に奉仕せよと勧め、彼にタンブーラ※5を与えて去っていったその老人は 実はナーラダ仙だった。

タンブーラを手にした彼がふと目を上げると、彼方にティルパティの堂宇が燦然と輝いている。[Song6:Adivo Alladivo] 法悦のうちに熱烈な讃歌を歌う彼を、しかし暴風雨が襲う。山中で動けなくなった彼を見かねて、老女に扮した神妃パドマーヴァティ (Bhanupriya) が訪れる。何か食べなければと諭す老女に、アンナマイヤはダルシャンを得るまでは一切食を絶つのだと言い募る。そんな彼に老女は、あなたは既に神の領域に足を踏み入れているというのにサンダルを履いたままだからそんなに苦しい思いをしているのですよ、と言い神の遍在を説いて聞かせる。自らの頑なさを恥じたアンナマイヤは老女の差し出すラッドゥー※6を味わう。それはティルパティの内陣で捧げられ、ヴェーンカテーシュワラ神が口にした撤撰だった。

ティルパティで念願の本尊礼拝を果たした※7彼は、そのまま寺院に住み着き勤行三昧の日々を送る。[Song7:Podagantimayya] 一方、行方の知れないアンナマイヤを待ち続ける家族・許嫁の双子は悲嘆にくれていたが、部族民の狩人※8に身をやつしたヴェーンカテーシュワラ神が訪れて彼の無事を聞かせる。一同はティルパティに赴き、そこでアンアマイヤに再会を果たす。[Song8:Vinnapalu Vinavale] 家に連れ戻そうとする家族にアンナマイヤは取り合おうとしない。そこに今度は妻帯したバラモンに姿を変えたヴェーンカテーシュワラ神が現れ、俗世で家庭を築くことの意義を説いたので、やっと彼は帰宅することに同意し、このバラモンが司って結婚式が執り行われる。アンナマイヤと二人の妻※9との間には二人の息子が生まれる。[Song9:Moosina Muthyalake]

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【訳あってどうしても最後まで書きたいネタバレ粗筋】
その頃、ペヌゴンダの王であるサールヴァ・ナラシンハ (Mohan Babu) は隣国の王女 (Roja) を妃として迎え入れる。[Song10:Asmadeeya] 新婚の王と王妃は共にティルパティにやってくる。妻達を連れて参籠中だったアンナマイヤの歌声を耳にした彼は、やはりその歌声に魅せられた王妃の願いを容れて、アンナマイヤを宮廷歌人として迎え入れる。[Song11:Kondalalo Nelakonna] 彼の歌声は宮廷中を魅了し、妻達は名声と富の魔力に溺れる。[Song12:Emoko] しかしある時、神への讃歌だけではなく王を称える歌も歌うように命じられ、それを断固として拒んだアンナマイヤは獄に繋がれ鞭打たれる。終わりないかに見えた拷問のさなか、奇跡が起こり、彼を繋いでいたくびきがひとりでに外れる。[Song13:Palanethralu] それを目撃した王は改心し、以後アンナマイヤの忠実な弟子となる。

二人の妻達は自らの虚栄心が夫を進むべき道から遠ざけたことを悔やみ、全ての財を人々に分け与える。自己犠牲を決意した二人はヴェーンカテーシュワラ神のはからいによって夫の膝元で同時に息絶える。[Song14:Nigama Nigamantha] 全てを失ったアンナマイヤは吟遊詩人となって各地を遊行し、讃歌を歌い続ける。[Song15:Govindaa Sritha] バクティの前にカーストの区別はないとする彼の主張※10は保守的なバラモン達の怒りをかい、貝葉に記された彼の詩は焚書にされかかるが、またしても奇跡が起こり文書は無傷に保たれる。これを見たサールヴァ・ナラシンハ王は彼の3万2千に及ぶ詩を銅板に刻むように命じる。この事業が成ったとき、アンナマイヤは95才になっていた。[Song16:Nanati Bathuku]

自らの死期を悟ったアンナマイヤはティルパティの本殿に赴き、そこで本来の姿のヴェーンカテーシュワラ神と二人の神妃に初めてまみえる。[Song17:Dachuko Nee Padaalaku] ヴェーンカテーシュワラ神はひれ伏すアンナマイヤに対して、膨大な数の讃歌を作った功績をねぎらい、永遠の命を与えようと告げる。そのような甘言をもってまだこの私をお試しになるのかと問うアンナマイヤに、ヴェーンカテーシュワラ神は、これはテストではなく我々は本当にそなたの歌を好むからなのだと答え、神々はアンナマイヤの詩を歌う。[Song18:Antharyami] 感極まったアンナマイヤは、この至福のうちに生を終えることをお許し下さいと懇願し、息を引き取る。※11 残された宝剣ナンダカは静かにヴェーンカテーシュワラ神の懐に戻る。[Song19:Brahma Kadigina Padamu]

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【注釈と疑問点】
※1アンナマーチャリヤ (Annamacharya) とも。テルグ語とサンスクリット語で多数のヴェーンカテーシュワラ讃歌を詩作し、作曲も行った。 Annamayya Sankeertanas と呼ばれる作品群は、現在ではメロディーは失われテキストおよびラーガの指定だけが残っているという点で、他の多くの「楽聖」と同じ。しかし、系譜上の子孫が現在もいて、複数の研究・振興機関が存在するなど、比較的追随者に恵まれた聖者といえる。テルグ語で初めてパダム形式の韻文をものした詩人だとされている。また妻の一人ティンマッカは初の女性テルグ語詩人といわれている。本作の劇中歌も半数以上がアンナマイヤの詩をそのまま使っている。一方音楽はというと、1922年にティルパティ寺院の石室から1200のサンキールターナを刻んだ銅版が発見されて以降、同時代の音楽家がその幾つかにメロディーをつけ、スタンダードナンバー化しているようだ。本作の楽曲も一部はそれに連なるもの。
なお、本作中に見られる、山中でヴェーンカテーシュワラ神の神妃から供え物を授かる場面、サールヴァ・ナラシンハ王の逆鱗に触れて獄に繋がれた後奇跡によって解放される場面などは、実在のアンナマイヤの行跡として伝承される物語を元にしている。
※2 M M Keeravani はアーンドラ・プラデーシュ出身(推定)の作曲家、ヒンディー及び南印4言語で活躍する。ヒンディー作品のクレジットでは M M Kreem を、テルグでは M M Keeravani、タミルでは Maragathamani を使用。多様な作風を誇り、ヒット作・話題作を多く手がける。カンナダ、マラヤーラムでのクレジット名は不明。
※3本作中で親戚のバラモンを演じるブラフマーナンダンともう一人のコメディアン(名前不明)の節をつけた台詞回しが非常に印象に残る。一瞬シュローカなのかと思わせるが、冷静に聞くと別に関連はなさそうだ。このレチタティーヴォ、なにか元ネタがあるのか、それとも本作オリジナルのギャグなのか。
※4作中ヴェーンカテーシュワラ神には Padmavathi と Bhoodevi の二人の神妃が付き従うが、この二人の描写には明らかな濃淡が見られる。バヌプリヤーが演じるパドマーヴァティは台詞の多さでもストーリーへの関わり方でも、シュリカニャーが演じるブーデーヴィを圧倒している。第一夫人にあたるパドマーヴァティはヴィシュヌの神妃ラクシュミーの別の姿。アラメールマンガー (Alamelmanga) と呼ばれることもある。描写の重心がパドマーヴァティに寄っているのは、ひとつにはアンナマイヤの女神讃歌がパドマーヴァティ女神に捧げられたもの以外残っていないことにあるようだ。もう一柱の女神、ブーデーヴィの名は大地母神を意味し、実際にティルパティにこの女神を祀る祠もある。が、ラクシュミー=パドマーヴァティと比べてかなり「非正統」感がつきまとう。この女神のまたの姿が、ムスリムでありながらヴェーンカテーシュワラ神への熱烈な進行を捧げたビビ・ナーンチャーリ(Bibi Nanchari / Nancharamma) であるとする説は、アーンドラでは比較的広く受け入れられているようだが、保守的・原理主義的なヒンドゥー教徒には全く認めない者もいるらしい(こちらなど参照)。本作での二人の女神の非対照性はこのような事情を反映しているのかもしれない。こっちの記事では、ヴェーンカテーシュワラ神とビビ・ナーンチャーリはプラトニックな関係であるとも(笑)。
※5バルカン半島からインド亜大陸にまでいきわたっているこの楽器は、カルナーティック音楽では通奏低音を受け持つ。インド神話ではナーラダ仙の持物として現れるのが定番だが、映画で実際にナーラダ仙が演奏しているシーンは少ない。本作で一瞬だけ現れるナーラダ仙が肩に掛けているタンブーラとアンナマイヤへの贈り物のタンブーラは随分形状が異なるが、ハンディサイズの後者は16 世紀のラージャスターンで活躍したバクティ詩人ミーラー・バーイーが使っていたものと同じスタイルらしい。(Thanks to ラーキン氏)
※6今日に至るまでティルパティ詣での代名詞ともなっているあの巨大ラッドゥーである。こちらなど参照。
※7念願かなってヴェーンカテーシュワラ神像の前で讃歌を歌うアンナマイヤのティラックひとりでに回転する。横長のものから、ヴェーンカテーシュワラ神と同じV字型のものに。全体が意味するところは明瞭だが、一つ一つのパーツの意味を問いだすとお手上げ。どなたかご存知でしたら教えてください。
※8部族民の狩人として現れる、というところには何かの意味があるのだろうか。本作と同じ監督によるもうひとつのバクティ映画の傑作 Sri Manjunatha (Telugu/Kannada - 2001) Dir. K Raghavendra Rao でも、シヴァとパールヴァティが部族民の装束(と言っても映画的なデフォルメがあるのだろうが)で踊る♪Olammo Gowrammo というシーンがあった。ともかく神話映画における部族民モチーフの意味というものについては、もう少し掘り下げて探求する必要を感じているのだが。
※9ピチピチの美人双子姉妹といっぺんに結婚、羨ましい話ではある。しかも二人の妻が互いに大の仲良し、これはもう人徳としか言いようがない。まあ、実在のアンナマイヤに複数の妻がいたらしいことに拠っているのだろう。それから天界のヴェーンカテーシュワラ神がやはり二人の神妃を伴っていることとの対照性も当然意識されているはず。この時代のバラモンにとって、交叉イトコまたは姪と結婚することは半ばノームであっただろう。交叉イトコにあたる相手がたまたま双子だったならば、その両方を娶るというのはむしろ義務だったと言えるかもしれない。イワナガヒメの故事が思い起こされるシーンである。
※10このメドレーの最終曲ではアンナマイヤ不可触民の人々と一緒に歌うシーンが見られる。ここで不可触民の人々が手に持つのはテルグ語で dappu または dappulu とよばれるフレーム・ドラム。タミル、ケララでは tappu、parai と呼ばれ、製造も演奏も不可触民だけに限定されていたという。こちらの記事によれば、いわばダリト差別のシンボルなのだとも。
※11感動的でありながら謎めいたシーンでもある。ヴェーンカテーシュワワラ神とその二人の神妃が一体となり、巨大化して、ヴィシュヌ神に変貌するのだ。ここまでの作中、ヴェーンカテーシュワラ神は常にその特徴的な装束で現れる。この最後のシーンでのみ、青い皮膚をもつヴィシュヌ神の相貌となるのだ。ヴェーンカテーシュワワラの名前で全インドからの崇拝を集めるティルパティの主神だが、最後により本源的な、というよりはメジャーな神格に(ヴィジュアル的に)昇華させる必要があったのか。寛いだ狩衣をまとっていたのが最後だけ束帯姿になった、というようなものか。

アンナマイヤの詩を基にコンポーズされたダンスバレエの筋書きにこんなものがあるそうだ。

[The play] culminates in the statuesque posturing of symbolic union of Alamemlu Manga and Bibi Nanchari with their Lord Venkateswara - that is Mahavishnu.(2007年に行われたダンスバレエを紹介する The Hindu 記事 Mythological drama より)

三柱の神格の合一によって最高神が立ち現れるというのは、ある程度共有された慣用句なのか。それとも単に、この芝居が先行する映画の筋書きをイタダいてきた、というだけなのか。謎である。しかし感動的である。

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【寸評】
いろいろな意味でエポックメイキングな作品だと感じられる。特にそれまで青春アクションスター路線を邁進していたナーガールジュナが、本作で役者として本格的に演技に開眼したという認識は、現地の観客の間でも共有されているようだ。 本作が公開されて一定の成功を収めるまでは、ナーガールジュナが聖者を演じることに対してかなりの批判や懐疑の声が上がっていたことが、彼のインタビューから分かる。

それからヴェーンカテーシュワラ神役のスマンにとっても、同じく本作が転機となったようである。1977年にタミル映画界にデビューしたスマンは、その後80年代に入って活動の中心をテルグに移してからもアクションヒーロー&悪役が基本路線だったが、(確認はできないのだがおそらく本作で初めて)神様役を演じ、NTRとは全くタイプの違う、しかし決定的なアイコンを確立した。スマンを神様役に抜擢した(←繰り返しになるのだが、初なのかどうなのかが確認できない、もどかしいことこの上ないのだが)Kラーガヴェンドラ・ラオ監督の慧眼には唸るしかない。いつでもどこでもパーティーに顔出してるだけの単なるファンクション白髭小父さんじゃないんだよ、この人。ソングシーン ♪Emoko (これがなかなかにエロティックな歌詞なのだ)で、天上のヴェーンカテーシュワラ神が妃とキャッチボールをして戯れる映像によく現れているが、「美男の神様」をこういう風に造形するのかと思わず仰け反ってしまうのだ。しかし一方で、どこか深い部分で納得出来るのだな。ともかく、スマンの神様ぶりが本作成功の要因のひとつとなったことは疑いないだろう。

もちろん、キーラヴァニによる音楽も特筆に価するアトラクション。バクティの熱を直に感じさせてくれる秀作が揃い、しかも変化に富んでいる。ひとつひとつの楽曲について細かに書き記したいところだが、これはそのうち満を持して専門家にやってもらうべき仕事ではないかと考え断念。各楽曲の出典と歌い手についてはこちらなどで。一緒に歌いたい人のためにアルファベット歌詞も。

中盤に半ばコミック・リリーフとして登場する、サールヴァ・ナラシンハ王役のモーハン・バーブについても書いておきたい。遠慮なく言えば、近年の現代劇の主演作ではややもすると「ズレた親父」感が漂うこともあるドクター・モーハンだが、こういう時代劇では映える。歌舞伎風の大見得とフェイシャル・エクスプレッション、それにダイアローグ・キングの面目躍如の台詞回し。相手役で登場するロージャーのあからさまなお色気と相まって、宮廷の世俗的な美と歓楽の世界を巧みに描き出している。

色々と書いたけれど、結局本作でもっとも感動的なのは、アンナマイヤが最後に神様からの御褒美を断るところだろうか。人間として生を享けた己の分を弁えるという謙虚さと、帰依を捧げる神自身からの申し出をきっぱりと断るという主体性、矛盾するかのようなこの二つが本作の持つすぐれて現代的な深みの源であるように思われる。Kラーガヴェンドラ・ラオ監督の次の神話映画 Sri Manjunatha (Telugu/Kannada - 2001) もまたスマッシュヒット、しかし Sri Ramadasu (Telugu - 2006) には、残念ながらそれはあまり感じられなかった。さらにその次、今年公開ですでにディスク化もされている Pandurangadu (Telugu - 2008) ではどうなっているかね。楽しみだ。

【その他参考】
ティルパティ寺院及びヴェーンカテーシュワラ神について
1.http://en.wikipedia.org/wiki/Venkateshwara
2.http://www.tirumala.org/
3.the week 誌 2008年9月14日号、Inside the world's richest temple

歴史上の人物としてのアンナマイヤについて(4はアンナマイヤを含むテルグ語の古典詩の解説)
1.http://www.annamayya.org/
2.http://members.tripod.com/~annamayya/
3.http://en.wikipedia.org/wiki/Annamacharya
4.http://tramesh.tripod.com/kavita/index.html
5.『楽聖達の肖像』 V.ラーガヴァン著、井上貴子・田中多佳子訳、穂高書店、2001年

Darshakendrudu(監督の中の王) K Raghavendra Rao について
1.http://en.wikipedia.org/wiki/K._Raghavendra_Rao
2.http://www.imdb.com/name/nm0706484/
3.http://www.idlebrain.com/celeb/bio-data/index.html

レビュー(3は作品封切り時点でのものの貴重な残存、4は通販サイト上のものであるにもかかわらず、作中のアナクロニズムに対して文句をつけている、5はロケ地について)
1.http://movies.sulekha.com/telugu/annamayya/reviews/pageno-1.htm
2.http://en.wikipedia.org/wiki/Annamayya_(film)
3.http://www.rediff.com/movies/sep/05nag.htm
4.http://www.bhavanidvd.com/product_info.php?products_id=96
5.http://india.jugem.cc/?eid=61

投稿者 Periplo : 03:01 : カテゴリー so many cups of chai

コメント

投稿者 Periplo [TypeKey Profile Page] : 2013年07月25日 22:48

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