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2008年11月23日

レビュー:Maya Bazaar

最初に言っとくと、個人的な意見では、テルグ映画なのにダンスとアクションには全く見るとこなし。それから画質がえらく悪い(DVDの画質ではなくオリジナルプリントに問題があるようなのだ)。それでもこれは強力に推したい。Annamayya (Telugu - 1997) Dir. K Raghavendra Rao のような直球のバクティ映画の後に見ると殊更に、テルグ神様映画の間口の広さに感動する。

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アート映画 Grahanam (Telugu - 2004) でデビューしていきなり国家映画賞新人監督賞を受賞した Indraganti Mohana Krishna の第二作目。ウルトラ低予算芸術映画(←自身の証言による)だった前作と打って変わって、今度は普通の低予算娯楽映画。真面目な道徳的メッセージを含んでいるというのに、全編にわたって妙なユーモアが横溢し、肩の力が抜ける。洒落た社会派神様映画。

神話的映画とはいえ、登場するのが比較的マイナーな神格であるため、ストーリーはプラーナから離れて自由に展開している。ウィットに富んだ台詞とクライマックスでのサプライズによって、「神話の本歌取り(神話をそのまま現代の登場人物に置き換えたものとは異なる)」的な喜びを見る者に与える。

そして、真心ある清廉な人間によってしか、利己に走る神を呪いから救うことができないという転倒した設定に、TTD(Tirumala Tirupati Devasthanams)への穏やかな批判を読み取る観客もいるようだ。 

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Maya Bazaar (Telugu - 2006)
タイトルのゆれ:Maya Bazar, Mayabazaar, Mayabazar
タイトルの意味: Market of illusion※1

DVD版元: Tolly2Holly 版(左)とSri Balaji 版(右)の二種あり、特に大きな違いはなし
DVDの字幕: 英語(歌詞含む)
DVDの障害: 現在のところ特になし
主な販売サイト: BhavaniKAD

Director: Indraganti Mohana Krishna
Music Director: K M Radhakrishnan
Playback Singers: S P Balasubrahmanyam, K S Chithra, Shankar Mahadevan, Gayathri, Hariharan, Shreya Ghoshal, K M Radhakrishnan, Vasundhara Das
Producers: B Satyanarayana & Rajkishore Khaware
Cinematographer: Jawahar Reddy

Cast: Raja, Bhoomika Chawla,S P Balasubrahmanyam, Tanikella Bharani, Ali, Baby Harshitha, L B Sriram, Dharmavarapu Subramaniam, Jayalalitha, Duvvasi Mohan, Surya, Gundu Sudharshan

【ネタバレ度30パーセントの粗筋】
富の神・クベーラ (S P Balasubrahmanyam) は疲れきっていた。遙かな昔、シュリーニヴァーサという名の貧しい男として人間界に降りたヴェーンカテーシュワラ神が王の娘パドマーヴァティと結婚する際に、婚礼費用として金貨の雨を降らせたのは彼だった。※2 ヴェーンカテーシュワラ神はその費用を返済した後も、ティルパティ寺院で信者によって寄進されれる財宝の一部を利息としてクベーラに払い続けることを誓ったのだった。※3 毎週土曜日ティルパティへの集金から戻るクベーラの肩に、寺への寄進物を詰めた袋がずっしりと食い込む。それは浄財とは名ばかりの、人間の強欲と罪によってもたらされた財宝だったからだ。この苦役を続けなければならないのは、以前に彼が酒に酔った勢いでガウタム仙に暴言を吐いたことが原因だった。激怒した仙人は、供物の形をとった人間の罪を永遠に運び続けるべしとの呪いを彼にかけたのである。酔いから醒めて謝罪するクベーラに対して仙人は、穢れない無私の心を持った人間を探し出し、財を捧げ、汗を流して奉仕することによってのみ、この呪いから解放されるであろうと告げるのだった。

舞台は人間界に転じる。ハイダラーバードにシュリーニ (Raja) という貧乏な若者がいる。彼の父は綿作に従事する貧農だったが、不作と借金苦から家族心中を図り、シュリーニだけが生き残って孤児として成長したのだった。※4 幼時にトラウマを体験しながらも弱者に手を差し伸べることを忘れない彼は、ある日空港で父親 (Surya) に置き去りにされた少女・シリ (Baby Harshita) に出会い、見捨てることができずに引き取り育てることになる。程なく彼女が難病に侵されていることがわかり、手術費用の捻出に奔走するが実を結ばない。シリの望みで彼女を連れてティルパティに詣でたシュリーニは、しかし自身は内陣には入らず外庭に佇みながら、無垢な少女の苦境に手を差し伸べもしない神に罵詈雑言を浴びせかける。集金のためにティルパティに来ていたクベーラはこれを見て、彼こそが自分が呪いから逃れるために奉仕すべき相手だと悟る。

彼はシュリーニに手術費用を上回る大金を差し出す。訝しがるシュリーニに対してクベーラは自分の身分を明かして、この援助にあたっての二つの条件を示す。それは彼がこのやりとりを誰にも漏らさないこと、そして何時であれクベーラが望む時に、何であれ望むもので返済をしなければならないということだった。条件を快諾したシュリーニは、シリに手術を受けさせ、余った金でささやかな食堂を開業する。クベーラの恩寵のもと彼の食堂は数年を経ずして巨大食品産業に成長する。

シュリーニがシリを引き取ったのと同じ頃から、彼はアヌパマ (Bhoomika) という若い女性に付きまとわれるようになる。彼女はいつも思いもよらない時と場所に現れて、何のためにか彼をビデオに撮影している。不気味に思って彼女を遠ざけようとするシュリーニだったが、大企業に成長した彼の会社が農民への慈善活動を始めようとした際に、アヌパマを個人秘書として雇うことになる。

シュリーニの善意の活動は実を結ぶのか。アヌパマの目的は何なのか。そしてクベーラ神は呪いから逃れることができるのか?

【注釈と疑問点】
※1 もちろん本作は、テルグ映画史上の不朽の名作といわれている Maya Bazar (Telugu - 1957) Dir. K V Reddy のリメイクではない。マーヤー・バザールとは、マハーバーラタの登場人物であるガトットカチャが、敵の目を欺くためにこしらえる「幻の迎賓館」のようなものを指す言葉。ただしこのエピソード Sasirekha Parinayam は、マハーバーラタの正本には登場しない口承伝説で、特にテルグ語地域で愛されているものだという。詳しくは A Study In Folk "Mahabharata": How Balarama Became Abhimanyu's Father-in-law (by Indrajit Bandyopadhyay) を参照。ちなみに、2009年頭にはそのものズバリのタイトルの Sasirekha Parinayam (Telugu) Dir. Krishna Vamsi が公開の予定だが、これも神話とは無関係。このヒンディー映画のリメイクだということだ。
※2 この情景を描写したNTR主演の古い映画のシーンが挿入される。これはどうやら Sri Venkateswara Mahatyam (Telugu - 1960) Dir. P Pullaiah の一場面らしい。DVDも発売済。神話のストーリーはこちらなどにまとめられている。
※3「寄進には神話との関連がある。カリ・ユガにおいて、アーカーシャ・ラージャはトンダマンダラムを統治していた。ヴェーンカテーシュワラ神はラージャの娘パドマーヴァティに恋をしたが、彼女を娶るためには巨額の婚資が必要だったため、財神クベーラから借金をしなければならなかった。ブラフマー神が取り仕切り、華燭の典が行われたが、借金の額はあまりに大きく、今日に至るまで完済されていないという。このようなわけで、信者達による奉納は神様の借金返済の手助けとみなされているのである。ここで受領された金は全額が複数の銀行の神様名義の口座に振り込まれる。」(the week 誌 2008年9月14日号、Inside the world's richest temple 記事より)
※4 綿作農民の自殺はマハーラーシュトラ州をはじめとした中部インドで社会問題化しているが、アーンドラ・プラデーシュではそれほど一般的ではないという。
※番外 本作終盤で結婚式のシーンがあるのだが、そこで描かれる儀礼が凄い。まず式の前に花嫁の父が跪いて花婿の足を清める。これもシュリーニヴァーサの神話に起源を持つものらしい(こちらこちらなど参照)。それから式を終えた後に、寝所に入った花婿が、花嫁の父に対して儀礼的に難癖をつけて花嫁の受け入れを拒む、というシーンがある。花嫁の両親は花婿を宥めすかしてなんとかその場を丸く収めるのだが、現実の力関係を身も蓋もなく反映した凄い慣習だ。これはテルグ地域だけのものなのか。そして何か由来があるのだろうか。

【寸評】
印度の神は全知全能ではない(もちろん世界中を見渡せば全知全能を謳ってる神の方が珍しいのだが)。それがある種の知的興奮と感動を呼ぶんだな。だから Annamayya (Telugu - 1997) Dir. K Raghavendra Rao に出てくるヴェーンカテーシュワラ神は、自分をヨイショするアンナマイヤの歌に感激して彼が乗る婚礼の輿を担いじゃったりするんだ。そしてこの映画のメインの神クベーラ。言っちゃ悪いが天界でもかなり「ステージが低い」みたいだ。こういう神さんはいくらコケにしてもいいらしい。そういや Yamadonga (Telugu - 2007) Dir. S S Rajamouli の閻魔大王なんかもいいようにオモチャにされてたな。

おまけにこういう神々は、リシと呼ばれる聖仙と比べても、時に劣勢にたたされることがある。リシにもまた色々とランク付けがあるようなのだが、最高位にはデーヴァリシと呼ばれる、天界と人間界とを自由に行き来する半神がいる。代表的なのは本作にも登場するナーラダ仙。それから地上に住まう普通のリシも。この連中は実質的には人間で、時に家族と暮らしていたりもするのだが、求道の果てに超能力や強い呪力を持つようになっていて、へたに怒らせたりすると神でも手のつけようがないらしい。本作ではガウタム仙がこれにあたるようだ。

自分の意のままにならない問題を抱えている、かなり子供っぽい神様が、聖仙や人間たちの間で救いを求めて右往左往するのを笑う。現代的な批評意識とファンタジーのブレンド具合が心地よい。

演技陣では、リードペアのラージャとブーミカは普通。悪くないけど他の役者でも置き換えはききそうだ。インドラガンティ監督の前作で主役級だったタニケッラ・バラニ、スーリヤ、ジャヤラリタの3人が本作でも顔を出す。ジャヤラリタの短い登場シーンには爆笑。ダルマヴァラプ・スブラマニヤムのナーラダ仙はイケズぶりがたまらない。近年のナーラダ仙ではベスト3には軽く入るね。だけど、なんだかんだいっても結局この映画が成り立ったのはクベーラ神役にSPBを持ってきた、それに尽きるでしょう。

だって、安っぽい金メッキ装身具と肌襦袢つけたSPB、とても人間には見えんもん。
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いんや、これまでもSPBの俳優としての仕事を何本かは見ているのだが、成功してると思ったことは一度もなかった。その一方で吹き替え声優としてのSPBでは、もう神懸かっちゃってるようなものを何度か鑑賞している。ようするに台詞以外の演技がぎこちなくて素人臭かったんだな。それがリアリズムから距離を置いた本作では見事に克服されて、外見のインパクトが最大限に活かされている。SPBを抜擢したインドラガンティ監督のセンスに脱帽(単に予算が少なくてプロの俳優を使えなかっただけなのかもしんないけど)。第3作の Ashta Chamma (Telugu - 2008) にも大いに注目したい。

【参考資料】
わわっ、信じられん、オフィシャルサイトがあって、しかもまだ残ってる! オフィシャルサイト中のリンク集を見れば主要なレビューがほとんど把握できる。画像系リンク集はこちら

投稿者 Periplo : 03:06 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年11月22日

注目のヒンディー語映画

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ついに発売、Dr. Babasaheb Ambedkar (Hindi - 2000) Dir. Jabbar Pattel のVCD。お求めは MaEbag などで。ヒンディー映画専門ショップなどでの扱いもある模様。

2000年に何らかのかたちで上映されたらしいこの映画、結局劇場で一般公開されたのかどうなのかがさっぱり分からなかった。タイトルロールを演じたマンムーティは1999年度の国家映画賞を受賞。そう、前年の国家映画賞の候補作品として提出されていたからには、実際にはさらに前に完成していたようなのだ。

言語もヒンディー語映画だとか、いや完全に英語だけの作品なのだとか、情報が錯綜して結論出ず仕舞い。今回のVCDはカバーから判断してヒンディー語版だろうか。

現タミルナードゥ州首相の選挙時の公約のひとつには、本作のタミル語版の制作・公開というのも含まれていたはずなのだが、どうなったのかね。

ともかく、アンベードカル博士と「国父」マハトマ・ガンジーとの衝突の部分をどのように描いたのか、そのあたりに大いに注目したい新譜だす。

投稿者 Periplo : 23:55 : カテゴリー バブルねたallIndia
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2008年11月18日

レビュー:Annamayya

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神話&バクティ映画のヌーヴェル・ヴァーグ(勝手に呼んでるだけ)作品群の中の傑作。現地でも広く知られ、日本では非公式な上映会も行われた。でもやっぱり情報は少ないんだよね。

プラーナや聖者伝の絵解きとは全く違ったレベルでバクティの神髄を見せてくれるエポックメイキングな一作。とはいえ、過去の神話映画から完全に断絶している訳でもない。たとえば、深い精神性を包含するにもかかわらず、象徴的な話法をとらず、あくまでも「全てを絵として写し出す」映像作法に貫かれている点など。この徹底ぶりはほとんどディスニー映画の世界。CGも若干使用されているが、むしろ「トリック撮影」と呼ばれるような伝統的技法(カメラのフレームを傾けてみる、などというものも含む)を用いて丁寧に作り込まれている。

本作に登場する神様、ヴェーンカテーシュワラはヴィシュヌ神のまたの姿。主としてテルグ語地域でこの名で呼ばれるが、総本山であるアーンドラ・プラデーシュ州のティルマラ・ティルパティ寺院はインド全域からの信仰を集めており、世界一裕福な寺院ともいわれる。ヴィシュヌ神は千の異名(Vishnu Sahasranama)を持つとされ、作中でもそのうちの幾つか(ケーシャヴァ、ゴーヴィンダ、シュリーニヴァーサ、ナラシンハ etc.)の名がヴェーンカテーシュワラ神を表すものとして登場する。

cvAnnamayya.jpgAnnamayya (Telugu - 1997)
タイトルの意味: 15世紀のテルグ語バクティ詩人の名前※1
他言語への吹き替え:Tirupathi Sri Balaji (Hindi - 2006)

DVD版元: Volga (Sri Balaji 版もあり)
DVDの字幕: 英語(歌詞含む)
DVDの障害: 現在のところ特になし
主な販売サイト: Bhavani (12

Director: K Raghavendra Rao
Music Director: M M Keeravani※2
Playback Singers: S P Balasubramanyam, Mano, K S Chithra, Srilekha, M M Keeravani, Anuradha, Anand, Gangadhar, Sujatha, Renuka, Anand Bhattacharya, S P Sailaja, Poorna Chandar, Sriram, Radhika
Producer: V Doraiswamy Raju
Cinematographer: Vincent

Cast: Nagarjuna, Suman, Mohan Babu, Ramya Krishnan, Katuri, Bhanupriya, Srikanya, Roja, Tanikella Bharani, Kota Srinivasa Rao, M Balaiah, Suthi Velu, Brahmanandam※3

【このくらいなら事前に知ってても問題ないと思う粗筋】
[Song1:Vinaro Bhagyamu] サンスクリット語、タミル語、カンナダ語での祈りが捧げられるのを耳にしながら天上でまどろむヴェーンカテーシュワラ神 (Suman) に二人の神妃※4が問う。テルグの地を統べる我らにテルグ語の讃歌が聴こえないのは何故か。ヴェーンカテーシュワラ神は妻達の望みに応えて、自らの持物である宝剣ナンダカを化身させて最初のテルグ語詩人をこの世に送り出す。[Song2:Telugu Padaniki]

ターッラパーカの有力なバラモン・ナーラヤーナスーリと敬虔なその妻ラッカマーンバーの間に生まれたアンナマイヤ (Nagarjuna) はすくすくと成長する。[Song3:Ele Ele Maradalaa] 若くしてヴェーダの学徒として抜きん出ていたが、土地の男達と腕試しをしたり、美しい双子の従姉妹ティンマッカ (Ramya Krishnan)、アッカランマ (Katuri) と戯れることにも夢中に なっていた。[Song4:Padaharu Kalalaku] ある日、双子を連れて野山で遊んでいた彼の前に一人の行者が現れて、二人の乙女よりもはるかに美しいものがあると言って挑発する。この行者が他ならぬヴェーンカテーシュワラ神の仮の姿であるとも知らず、アンナマイヤは彼に導かれて人里離れた寺院に入り込み、そこでチェンナケーシャヴァ(童形のクリシュナ)神像を目にして啓示に打たれる。[Song5:Kalaganti Kalaganti]

その場に崩折れ意識不明のまま家に連れ戻されたアンナマイヤは、その後も呆然としたまま日々を送っていたが、ある日野山を行く巡礼の人々に出会い、衝動的にその集団に加わる。ティルパティの神域に到るまで断食する誓いを立てた彼は、一行の中の一人の老人に自分の体を苦しめることによって神への奉仕を行うのだと語る。それに対して老人は、神が最も好むのは楽の音であると答える。讃歌を奏でて神に奉仕せよと勧め、彼にタンブーラ※5を与えて去っていったその老人は 実はナーラダ仙だった。

タンブーラを手にした彼がふと目を上げると、彼方にティルパティの堂宇が燦然と輝いている。[Song6:Adivo Alladivo] 法悦のうちに熱烈な讃歌を歌う彼を、しかし暴風雨が襲う。山中で動けなくなった彼を見かねて、老女に扮した神妃パドマーヴァティ (Bhanupriya) が訪れる。何か食べなければと諭す老女に、アンナマイヤはダルシャンを得るまでは一切食を絶つのだと言い募る。そんな彼に老女は、あなたは既に神の領域に足を踏み入れているというのにサンダルを履いたままだからそんなに苦しい思いをしているのですよ、と言い神の遍在を説いて聞かせる。自らの頑なさを恥じたアンナマイヤは老女の差し出すラッドゥー※6を味わう。それはティルパティの内陣で捧げられ、ヴェーンカテーシュワラ神が口にした撤撰だった。

ティルパティで念願の本尊礼拝を果たした※7彼は、そのまま寺院に住み着き勤行三昧の日々を送る。[Song7:Podagantimayya] 一方、行方の知れないアンナマイヤを待ち続ける家族・許嫁の双子は悲嘆にくれていたが、部族民の狩人※8に身をやつしたヴェーンカテーシュワラ神が訪れて彼の無事を聞かせる。一同はティルパティに赴き、そこでアンアマイヤに再会を果たす。[Song8:Vinnapalu Vinavale] 家に連れ戻そうとする家族にアンナマイヤは取り合おうとしない。そこに今度は妻帯したバラモンに姿を変えたヴェーンカテーシュワラ神が現れ、俗世で家庭を築くことの意義を説いたので、やっと彼は帰宅することに同意し、このバラモンが司って結婚式が執り行われる。アンナマイヤと二人の妻※9との間には二人の息子が生まれる。[Song9:Moosina Muthyalake]

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【訳あってどうしても最後まで書きたいネタバレ粗筋】
その頃、ペヌゴンダの王であるサールヴァ・ナラシンハ (Mohan Babu) は隣国の王女 (Roja) を妃として迎え入れる。[Song10:Asmadeeya] 新婚の王と王妃は共にティルパティにやってくる。妻達を連れて参籠中だったアンナマイヤの歌声を耳にした彼は、やはりその歌声に魅せられた王妃の願いを容れて、アンナマイヤを宮廷歌人として迎え入れる。[Song11:Kondalalo Nelakonna] 彼の歌声は宮廷中を魅了し、妻達は名声と富の魔力に溺れる。[Song12:Emoko] しかしある時、神への讃歌だけではなく王を称える歌も歌うように命じられ、それを断固として拒んだアンナマイヤは獄に繋がれ鞭打たれる。終わりないかに見えた拷問のさなか、奇跡が起こり、彼を繋いでいたくびきがひとりでに外れる。[Song13:Palanethralu] それを目撃した王は改心し、以後アンナマイヤの忠実な弟子となる。

二人の妻達は自らの虚栄心が夫を進むべき道から遠ざけたことを悔やみ、全ての財を人々に分け与える。自己犠牲を決意した二人はヴェーンカテーシュワラ神のはからいによって夫の膝元で同時に息絶える。[Song14:Nigama Nigamantha] 全てを失ったアンナマイヤは吟遊詩人となって各地を遊行し、讃歌を歌い続ける。[Song15:Govindaa Sritha] バクティの前にカーストの区別はないとする彼の主張※10は保守的なバラモン達の怒りをかい、貝葉に記された彼の詩は焚書にされかかるが、またしても奇跡が起こり文書は無傷に保たれる。これを見たサールヴァ・ナラシンハ王は彼の3万2千に及ぶ詩を銅板に刻むように命じる。この事業が成ったとき、アンナマイヤは95才になっていた。[Song16:Nanati Bathuku]

自らの死期を悟ったアンナマイヤはティルパティの本殿に赴き、そこで本来の姿のヴェーンカテーシュワラ神と二人の神妃に初めてまみえる。[Song17:Dachuko Nee Padaalaku] ヴェーンカテーシュワラ神はひれ伏すアンナマイヤに対して、膨大な数の讃歌を作った功績をねぎらい、永遠の命を与えようと告げる。そのような甘言をもってまだこの私をお試しになるのかと問うアンナマイヤに、ヴェーンカテーシュワラ神は、これはテストではなく我々は本当にそなたの歌を好むからなのだと答え、神々はアンナマイヤの詩を歌う。[Song18:Antharyami] 感極まったアンナマイヤは、この至福のうちに生を終えることをお許し下さいと懇願し、息を引き取る。※11 残された宝剣ナンダカは静かにヴェーンカテーシュワラ神の懐に戻る。[Song19:Brahma Kadigina Padamu]

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【注釈と疑問点】
※1アンナマーチャリヤ (Annamacharya) とも。テルグ語とサンスクリット語で多数のヴェーンカテーシュワラ讃歌を詩作し、作曲も行った。 Annamayya Sankeertanas と呼ばれる作品群は、現在ではメロディーは失われテキストおよびラーガの指定だけが残っているという点で、他の多くの「楽聖」と同じ。しかし、系譜上の子孫が現在もいて、複数の研究・振興機関が存在するなど、比較的追随者に恵まれた聖者といえる。テルグ語で初めてパダム形式の韻文をものした詩人だとされている。また妻の一人ティンマッカは初の女性テルグ語詩人といわれている。本作の劇中歌も半数以上がアンナマイヤの詩をそのまま使っている。一方音楽はというと、1922年にティルパティ寺院の石室から1200のサンキールターナを刻んだ銅版が発見されて以降、同時代の音楽家がその幾つかにメロディーをつけ、スタンダードナンバー化しているようだ。本作の楽曲も一部はそれに連なるもの。
なお、本作中に見られる、山中でヴェーンカテーシュワラ神の神妃から供え物を授かる場面、サールヴァ・ナラシンハ王の逆鱗に触れて獄に繋がれた後奇跡によって解放される場面などは、実在のアンナマイヤの行跡として伝承される物語を元にしている。
※2 M M Keeravani はアーンドラ・プラデーシュ出身(推定)の作曲家、ヒンディー及び南印4言語で活躍する。ヒンディー作品のクレジットでは M M Kreem を、テルグでは M M Keeravani、タミルでは Maragathamani を使用。多様な作風を誇り、ヒット作・話題作を多く手がける。カンナダ、マラヤーラムでのクレジット名は不明。
※3本作中で親戚のバラモンを演じるブラフマーナンダンともう一人のコメディアン(名前不明)の節をつけた台詞回しが非常に印象に残る。一瞬シュローカなのかと思わせるが、冷静に聞くと別に関連はなさそうだ。このレチタティーヴォ、なにか元ネタがあるのか、それとも本作オリジナルのギャグなのか。
※4作中ヴェーンカテーシュワラ神には Padmavathi と Bhoodevi の二人の神妃が付き従うが、この二人の描写には明らかな濃淡が見られる。バヌプリヤーが演じるパドマーヴァティは台詞の多さでもストーリーへの関わり方でも、シュリカニャーが演じるブーデーヴィを圧倒している。第一夫人にあたるパドマーヴァティはヴィシュヌの神妃ラクシュミーの別の姿。アラメールマンガー (Alamelmanga) と呼ばれることもある。描写の重心がパドマーヴァティに寄っているのは、ひとつにはアンナマイヤの女神讃歌がパドマーヴァティ女神に捧げられたもの以外残っていないことにあるようだ。もう一柱の女神、ブーデーヴィの名は大地母神を意味し、実際にティルパティにこの女神を祀る祠もある。が、ラクシュミー=パドマーヴァティと比べてかなり「非正統」感がつきまとう。この女神のまたの姿が、ムスリムでありながらヴェーンカテーシュワラ神への熱烈な進行を捧げたビビ・ナーンチャーリ(Bibi Nanchari / Nancharamma) であるとする説は、アーンドラでは比較的広く受け入れられているようだが、保守的・原理主義的なヒンドゥー教徒には全く認めない者もいるらしい(こちらなど参照)。本作での二人の女神の非対照性はこのような事情を反映しているのかもしれない。こっちの記事では、ヴェーンカテーシュワラ神とビビ・ナーンチャーリはプラトニックな関係であるとも(笑)。
※5バルカン半島からインド亜大陸にまでいきわたっているこの楽器は、カルナーティック音楽では通奏低音を受け持つ。インド神話ではナーラダ仙の持物として現れるのが定番だが、映画で実際にナーラダ仙が演奏しているシーンは少ない。本作で一瞬だけ現れるナーラダ仙が肩に掛けているタンブーラとアンナマイヤへの贈り物のタンブーラは随分形状が異なるが、ハンディサイズの後者は16 世紀のラージャスターンで活躍したバクティ詩人ミーラー・バーイーが使っていたものと同じスタイルらしい。(Thanks to ラーキン氏)
※6今日に至るまでティルパティ詣での代名詞ともなっているあの巨大ラッドゥーである。こちらなど参照。
※7念願かなってヴェーンカテーシュワラ神像の前で讃歌を歌うアンナマイヤのティラックひとりでに回転する。横長のものから、ヴェーンカテーシュワラ神と同じV字型のものに。全体が意味するところは明瞭だが、一つ一つのパーツの意味を問いだすとお手上げ。どなたかご存知でしたら教えてください。
※8部族民の狩人として現れる、というところには何かの意味があるのだろうか。本作と同じ監督によるもうひとつのバクティ映画の傑作 Sri Manjunatha (Telugu/Kannada - 2001) Dir. K Raghavendra Rao でも、シヴァとパールヴァティが部族民の装束(と言っても映画的なデフォルメがあるのだろうが)で踊る♪Olammo Gowrammo というシーンがあった。ともかく神話映画における部族民モチーフの意味というものについては、もう少し掘り下げて探求する必要を感じているのだが。
※9ピチピチの美人双子姉妹といっぺんに結婚、羨ましい話ではある。しかも二人の妻が互いに大の仲良し、これはもう人徳としか言いようがない。まあ、実在のアンナマイヤに複数の妻がいたらしいことに拠っているのだろう。それから天界のヴェーンカテーシュワラ神がやはり二人の神妃を伴っていることとの対照性も当然意識されているはず。この時代のバラモンにとって、交叉イトコまたは姪と結婚することは半ばノームであっただろう。交叉イトコにあたる相手がたまたま双子だったならば、その両方を娶るというのはむしろ義務だったと言えるかもしれない。イワナガヒメの故事が思い起こされるシーンである。
※10このメドレーの最終曲ではアンナマイヤ不可触民の人々と一緒に歌うシーンが見られる。ここで不可触民の人々が手に持つのはテルグ語で dappu または dappulu とよばれるフレーム・ドラム。タミル、ケララでは tappu、parai と呼ばれ、製造も演奏も不可触民だけに限定されていたという。こちらの記事によれば、いわばダリト差別のシンボルなのだとも。
※11感動的でありながら謎めいたシーンでもある。ヴェーンカテーシュワワラ神とその二人の神妃が一体となり、巨大化して、ヴィシュヌ神に変貌するのだ。ここまでの作中、ヴェーンカテーシュワラ神は常にその特徴的な装束で現れる。この最後のシーンでのみ、青い皮膚をもつヴィシュヌ神の相貌となるのだ。ヴェーンカテーシュワワラの名前で全インドからの崇拝を集めるティルパティの主神だが、最後により本源的な、というよりはメジャーな神格に(ヴィジュアル的に)昇華させる必要があったのか。寛いだ狩衣をまとっていたのが最後だけ束帯姿になった、というようなものか。

アンナマイヤの詩を基にコンポーズされたダンスバレエの筋書きにこんなものがあるそうだ。

[The play] culminates in the statuesque posturing of symbolic union of Alamemlu Manga and Bibi Nanchari with their Lord Venkateswara - that is Mahavishnu.(2007年に行われたダンスバレエを紹介する The Hindu 記事 Mythological drama より)

三柱の神格の合一によって最高神が立ち現れるというのは、ある程度共有された慣用句なのか。それとも単に、この芝居が先行する映画の筋書きをイタダいてきた、というだけなのか。謎である。しかし感動的である。

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【寸評】
いろいろな意味でエポックメイキングな作品だと感じられる。特にそれまで青春アクションスター路線を邁進していたナーガールジュナが、本作で役者として本格的に演技に開眼したという認識は、現地の観客の間でも共有されているようだ。 本作が公開されて一定の成功を収めるまでは、ナーガールジュナが聖者を演じることに対してかなりの批判や懐疑の声が上がっていたことが、彼のインタビューから分かる。

それからヴェーンカテーシュワラ神役のスマンにとっても、同じく本作が転機となったようである。1977年にタミル映画界にデビューしたスマンは、その後80年代に入って活動の中心をテルグに移してからもアクションヒーロー&悪役が基本路線だったが、(確認はできないのだがおそらく本作で初めて)神様役を演じ、NTRとは全くタイプの違う、しかし決定的なアイコンを確立した。スマンを神様役に抜擢した(←繰り返しになるのだが、初なのかどうなのかが確認できない、もどかしいことこの上ないのだが)Kラーガヴェンドラ・ラオ監督の慧眼には唸るしかない。いつでもどこでもパーティーに顔出してるだけの単なるファンクション白髭小父さんじゃないんだよ、この人。ソングシーン ♪Emoko (これがなかなかにエロティックな歌詞なのだ)で、天上のヴェーンカテーシュワラ神が妃とキャッチボールをして戯れる映像によく現れているが、「美男の神様」をこういう風に造形するのかと思わず仰け反ってしまうのだ。しかし一方で、どこか深い部分で納得出来るのだな。ともかく、スマンの神様ぶりが本作成功の要因のひとつとなったことは疑いないだろう。

もちろん、キーラヴァニによる音楽も特筆に価するアトラクション。バクティの熱を直に感じさせてくれる秀作が揃い、しかも変化に富んでいる。ひとつひとつの楽曲について細かに書き記したいところだが、これはそのうち満を持して専門家にやってもらうべき仕事ではないかと考え断念。各楽曲の出典と歌い手についてはこちらなどで。一緒に歌いたい人のためにアルファベット歌詞も。

中盤に半ばコミック・リリーフとして登場する、サールヴァ・ナラシンハ王役のモーハン・バーブについても書いておきたい。遠慮なく言えば、近年の現代劇の主演作ではややもすると「ズレた親父」感が漂うこともあるドクター・モーハンだが、こういう時代劇では映える。歌舞伎風の大見得とフェイシャル・エクスプレッション、それにダイアローグ・キングの面目躍如の台詞回し。相手役で登場するロージャーのあからさまなお色気と相まって、宮廷の世俗的な美と歓楽の世界を巧みに描き出している。

色々と書いたけれど、結局本作でもっとも感動的なのは、アンナマイヤが最後に神様からの御褒美を断るところだろうか。人間として生を享けた己の分を弁えるという謙虚さと、帰依を捧げる神自身からの申し出をきっぱりと断るという主体性、矛盾するかのようなこの二つが本作の持つすぐれて現代的な深みの源であるように思われる。Kラーガヴェンドラ・ラオ監督の次の神話映画 Sri Manjunatha (Telugu/Kannada - 2001) もまたスマッシュヒット、しかし Sri Ramadasu (Telugu - 2006) には、残念ながらそれはあまり感じられなかった。さらにその次、今年公開ですでにディスク化もされている Pandurangadu (Telugu - 2008) ではどうなっているかね。楽しみだ。

【その他参考】
ティルパティ寺院及びヴェーンカテーシュワラ神について
1.http://en.wikipedia.org/wiki/Venkateshwara
2.http://www.tirumala.org/
3.the week 誌 2008年9月14日号、Inside the world's richest temple

歴史上の人物としてのアンナマイヤについて(4はアンナマイヤを含むテルグ語の古典詩の解説)
1.http://www.annamayya.org/
2.http://members.tripod.com/~annamayya/
3.http://en.wikipedia.org/wiki/Annamacharya
4.http://tramesh.tripod.com/kavita/index.html
5.『楽聖達の肖像』 V.ラーガヴァン著、井上貴子・田中多佳子訳、穂高書店、2001年

Darshakendrudu(監督の中の王) K Raghavendra Rao について
1.http://en.wikipedia.org/wiki/K._Raghavendra_Rao
2.http://www.imdb.com/name/nm0706484/
3.http://www.idlebrain.com/celeb/bio-data/index.html

レビュー(3は作品封切り時点でのものの貴重な残存、4は通販サイト上のものであるにもかかわらず、作中のアナクロニズムに対して文句をつけている、5はロケ地について)
1.http://movies.sulekha.com/telugu/annamayya/reviews/pageno-1.htm
2.http://en.wikipedia.org/wiki/Annamayya_(film)
3.http://www.rediff.com/movies/sep/05nag.htm
4.http://www.bhavanidvd.com/product_info.php?products_id=96
5.http://india.jugem.cc/?eid=61

投稿者 Periplo : 03:01 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年11月15日

レビュー:Nandhanam

Nandhanam01.jpgNandhanam02.jpg

これに関しちゃ、クドクド長文を書く必要は感じないな。ジャンルを一言でいうと「シンデレラ物語」。もひとつ別のキーワードもあるんだけど、それは言わぬが花。

cvNandhanam.jpgNandhanam (Malayalam - 2002)
タイトルのゆれ: Nandanam
タイトルの意味: Garden of Lord Krishna

DVD版元: AP International
DVDの字幕: 英語(歌詞含む)
DVDの障害: 現在のところ特になし
主な販売サイト: MaEbag

Director: Ranjith
Music Director: Raveendran
Playback Singers: K J Yesudas, K S Chithra, M G Sreekumar, Radika Thilak, P Jayachandran, Sujatha

Cast: Navya Nair, Prithviraj, Kaviyoor Ponnamma, Revathy, Siddique, Innocent, Aravinder Singh, N F Varghese, V K Sreeraman, Saikumar, Jyothirmayi, Sudheesh, Kalaranjini, Jagannatha Varma, Sadiq, Narayanan Nair, K J Yesudas, Augustine, Jagathi Sreekumar, Mala Aravindan, Jagadesh, Kalabhavan Mani

【ネタバレなし、出だしのみの粗筋】
グルヴァイユール寺院から程近いところにある、大きなタラヴァッド。ここに女中として住みこんでいるバーラーマニ (Navya Nair) は大層な働き者だ。古くからいる3人の年嵩の女中達は何かと理由をつけては仕事をさぼってばかりいる。大奥様 (Kaviyoor Ponnamma) のお世話から炊事・洗濯まで、全てが彼女の肩に掛かっているので、グルヴァイユール寺院のそばに住んでいながらバーラーマニは忙しすぎてお参りすらしたことがない。同年代の友達がいないバーラーマニは、しかし快活で、自室のクリシュナ神像から家畜の牛たち、果ては植木にいたるまでを相手に、いつも何かしらを語りかけている。ある日、大奥様のもとに孫息子のマノ (Prithviraj) がやってくる。彼はこれからアメリカに働きに出かけるのだが、出発までの2週間を祖母と過ごそうというのだ。屋敷で唯一の女の子であるバーラーマニに目を留めるマノ。その先は言わずもがなである訳だが、一つだけ問題があった。それはもちろん、マノがマザコンであるということだった。

【若干のコメント】
本作でプリットヴィラージがデビュー。しかしクレジットこそトップにきているものの、ここでは明らかに脇役。主役は Ishtam [Eshtam] (Malayalam - 2001) Dir. Sibi Malayil でデビューしてからまだ間もないナヴィヤ・ナーイル。いや正直なとこね、ナヴィヤさんの過度にとろ〜んとした面立ちには若干苦手意識があったんだけど。でも、本作での15歳かそこら(1986年というのが発表されている生年)のナヴィヤさんには、きゅーんとなりましたね。熟女好みを公言しているこのワタクシが。

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ともかく灰かぶり物語だから、ヒロインの境遇は悲惨。こういう設定にしたら普通は馬鹿馬鹿しくなって途中で見るの止めるかも、というくらいの。それを最後まで引っ張るのは、ナヴィヤさんの「泣き」の演技の異様なまでの巧さ。それに加えて、最近では南印でも田舎以外では廃れつつあるという Pavada と呼ばれるツーピース 、あるいは Dhavani と呼ばれるハーフサリーをまとって踊る姿。ロリに目覚めちゃいそう。

ナヴィヤさん以外では、人情味のある口入れ屋を演じるイノセント先生、それから当たり役の一つであるインチキ祈祷師のジャガティ先生のコメディアン二大巨頭が見ものです。

監督のランジットは脚本家としても名高い人物。本作も自らストーリー・脚本を担当している。これまでのホン屋としての作風は、どちらかというとマッチョマッチョなものが多かったように思えるが(例えばNarasimham (Malayalam - 2000) Dir. Shaji Kailas など)、一方で Summer in Bethlehem (Malayalam - 1997) Dir. Sibi Malayil やThirakkatha (malayalam - 2008) Dir. Ranjith みたいなファンシー系やオフビート系も手がけることがあるんだな。不思議な奴だ。

投稿者 Periplo : 08:00 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年11月10日

痛み分け

なにやら賑やかなことになってる Twenty:20 (Malayalam - 2008) Dir. Joshi に追加情報。

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モーハンラール・ファンクラブ会長がボイコットをちらつかせてプロデューサーのディリープを恫喝したのが功を奏したのかどうなのか。ラルさんをセンターに据えたものを含む別バージョンのポスターがネット上に流通。こちらで見られます。

ちなみにトリヴァンドラムやコーチンなどの大都市では、騒乱を避けるために各明星のファンクラブが劇場ごとに「棲み分け」することで合意が成ったという(Sify 記事 Mohanlal fans to boycott T:20? より)。

しかしこの映画、どう考えてもお莫迦大作でしかないだろうと思っていたのに、各ポータルサイトのレビュー見ると妙に評判がいいんだよね。AMMAによる高齢会員への扶助という高潔なる志によって底上げされた評価なのかなんなのか。その好評レビューについてはこちらに集積予定。

もちろん一日も早いDVD化に期待してるわけだすが、我慢できないというマニアなお方にはこれなんかがお勧め。メイキングが見られるそうです。

ポスターに話を戻すと、個人的にはこれが一番好きだけどね。

投稿者 Periplo : 17:39 : カテゴリー バブルねたkerala
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2008年11月06日

ディスク情報0811

cvRathriMazha.jpg

Rathri Mazha (Malayalam - 2006) Dir. Lenin Rajendran
Cast : Vineeth, Meera Jasmine, Manoj K Jayan, Biju Menon, Lalu Alex, Cochin Haneefa

先日のレビュー:Mazha で紹介したレーニン・ラージェンドラン監督の最新作がDVD化。タイトルの意味は「夜の雨」。つくづく雨が好きなんだね。

しばらく前にニュースねたとして取り上げたけれど、2006年度の国家映画賞振り付け部門を受賞。この受賞がなかったらDVD化はなかったかもしれない。

通販屋さんを信じるなら字幕付き。個人的な注目監督であるのでなるべく早くチェックしてみたいと思います。

投稿者 Periplo : 02:22 : カテゴリー バブルねたkerala
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2008年11月03日

レビュー:Thoovanathumbikal

むぅ〜ん、何と言ったらいいか、大人の愛の物語なのだ。

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Thoovana03.jpgThoovana04.jpg

先日に引き続き文芸路線ものを紹介。本作に関してはこの時代の印度ではマラヤーラムでしか成立し得なかったと言えるかもしれない。

パドマラージャンがこの世を去ると、MTはしばらく脚本を書くことを止めてしまった。プリヤダルシャンはハリウッドを(ねたパクリ元として)発見し、サティヤン・アンティッカードはクリシェの巨匠となった。そして映画界はシャージ・カイラースやシャフィ、ラーフィ&メカーティンという類の連中のものとなった。彼らの作品は特定の見地からすれば楽しいものだが、マンネリで予測可能である。(マラヤーラム映画に特化したブログ、varnachitram の A Creativity Drought より、勝手訳)

ふーん、そうなのか。ケララの映画好きがいうところのマ映画黄金時代というのは、1991年のPパドマラージャンの死によって終止符が打たれたということなんだ。個人的にはね、プリヤン先生の Thenmavin Kombath (Malayalam - 1994) のあたりまでは黄金時代に入れたいところだけどね。

小説家であり映画脚本家でもあったPパドマラージャンのプロフィールに関しては割と情報があるほう(末尾参照)だと思うが、実作品となるとかなり厳しい。監督作ではここで紹介する ThoovanathumbikalKariyilakkattupole (Malayalam - 1986) の二つしか今のところ字幕つきディスクになっていない。VCDのディスコグラフィーはこんなとこだと思うが、おそらく現在では入手困難なものが多いのではないか。文学作品の英訳本は見つからない。本作は監督自身の小説 Udakappola を元にしている。

thoovanathumbikal.jpgThoovanathumbikal (Malayalam - 1987)
タイトルのゆれ : Thoovana Thumbikal
タイトルの意味 : Butterflies in the spraying rain

DVDの版元 : Sandhya Films
DVDの字幕 : 英語(歌詞含む)
DVDの障害 : 今のところなし

Director : P Padmarajan
Producer : P Stanley
Music Director : Perumbavoor G Raveendranath
Background Score Composer : Johnson
Cinematographer : Ajayan Vincent

Cast : Mohanlal, Parvathi, Sumalatha, Ashokan, Babu Namboothiri, Srinath, Sukumari, Jagathi Sreekumar, Shankaradi, M G Soman

【ネタバレ度35%の粗筋】
トリシュール近郊の農村。広大な農園の年若い当主ジャヤクリシュナン・メーノーン (Mohanlal) は小作人達と共に身を粉にして働いていた。亡くなった彼の父は Justice Thamburan と呼ばれた名士だったが、一連の農地改革などを経た現在、生活は楽ではない。巨大な屋敷 Mannarthodi と大家族を維持する責任が、未婚のジャヤクリシュナンの肩に掛かっている。反抗的な小作人と言い争い、作物の値づけで仲買人とタフな交渉をする日常には地主階級の優雅さはない。その彼は、時折所用でトリシュールに出かけると、別人のように変貌する。粗野で高圧的な態度に変わりはないものの、街の不良達とつるんで派手に遊ぶ姿は、日頃のジャヤクリシュナンからは想像もできないものだった。

学生時代の4年以上をトリシュールで過ごした彼は、その間に亡父の財産のほとんどを蕩尽するほどに遊びまくったのだ。そのお陰で今でも街の悪所では顔が利く。しかし家族や村の人々は若い当主のそんな一面を全く知らない。

ある日、遠い親戚に当たる若い娘ラーダー (Parvathi) が彼の家を訪問する。気の強い彼女を一目で気に入ったジャヤクリシュナンは、彼女の通うカレッジに押しかけていき、クラスメート達の面前でいきなり結婚を申し込む。その不作法さに憤慨したラーダーは、その場でにべもなく断る。自分の意のままにならない相手にはじめて出会い呆然とするジャヤクリシュナン。

そんな彼のもとに、学生時代からの知り合いである女衒のタンガル (Babu Namboothiri) から頼みごとがもたらされる。タンガルはあるクリスチャンの娘を売春の道に引き込もうとしているのだが、家族を納得させて彼女を家から送り出させるためには、女子修道院への入門と偽らなければならない。女子修道院長から娘に宛てた入門許可の手紙を文盲である自分に代わって書いて欲しいというのだ。風変わりな依頼を引き受けたジャヤクリシュナンは、雷雨の夜、自室で女子修道院長の手紙を捏造する。クララという差出し相手の名前を口にした彼はなぜか陶然とする。

しばらくして、タンガルが再び頼みごとを抱えてジャヤクリシュナンを訪ねる。件の娘がいよいよ彼のもとにやってくるのだが、そのあまりの「上玉」ぶりに不安が抑えられないというのだ。タンガルはジャヤクリシュナンに最初の客となってクララを「検分」し、その真意を探って欲しいと頼む。放蕩の限りを尽くした遊び人であるにもかかわらずジャヤクリシュナンは異性に対しては奥手だった。しかしラーダーに手酷く拒絶されて自棄気味だったためにその頼みを聞き容れ、羽振りのいい土建会社社長と身分を偽ってクララ (Sumalatha) と一夜を過ごす。

結局、真意を探るどころか、すっかりクララの虜になってしまったジャヤクリシュナンは、宗教の違いすら一顧だにせず、彼女を身請けして結婚しようと急き込んでタンガルを説得する。しかし二人が話をしていた短い間に、クララはホテルを出て失踪してしまう。一方ラーダーは周囲の人々からジャヤクリシュナンについて話を聞き、態度を軟化させていた。一族は適齢期の二人を結婚させようと動き出す。

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【寸評】
これは難しい作品だ。映画的な慣用句、つまり分かりやすいエモーションとリアクションの連鎖が見えてこなくてストーリーがシュールに感じられる。それから、多くの印度映画で無条件の前提とされているモラルからの逸脱も目立つ。筆者が最初に見たのはテルグ・バイオレンス映画漬けの最中だったんで、あまりの落差に目を廻して知恵熱でぶっ倒れそうになった。本作に対しては、全く評価しないか、とてつもなく入れ揚げるか、どちらかに分かれるのではないかと思う。

ネット上でのレビューはあまり多くないが、ほとんどが熱烈な支持を表明しているもの。ユーミンのバラード聴いたOLがこれってアタシのこと歌ってるぅと大騒ぎするのよろしく、ケララ人評者の多くが主人公ジャヤクリシュナンの二重生活に共感を寄せている。たぶん全員♂だね。しかし田舎の勤勉な農民がたまに都会(って言ったってトリシュールだけど)に出てきて羽目を外すというのはそんなに意外な二面性なのだろうか。むしろ倣岸不遜で声の大きい男が、クララとラーダーという2人の女性の間で揺れて戸惑い・懊悩する、という部分での対照性が突出して見える。キャラクター造形の失敗かと思えるほどに。これが極東オーディエンスの前に立ちはだかる第一の断絶。が、ともかくケララの衆にとってはこの主人公が恐ろしくリアリティを持った存在として映るらしい。

ツイン・ヒロインの一人クララは、家族のしがらみから「自由になるために」、娼婦となることを選ぶという、これまた空前のキャラクター。しかも、家族のしがらみと娼婦という職業からの解放を一度にもたらしてくれるはずの主人公の求愛さえ拒絶して逃げ出してしまうのだ。常にアンニュイで、自分をさらけ出すことをしない、神秘的で謎に包まれた存在。これも共感を呼ぶというよりは断絶的な登場人物。

さらにもう一人のヒロインである勝気なラーダー、最初のほうの登場シーンでは完膚なきまでに主人公の鼻っ柱をへし折るのに、途中からよくわからないプロセスを経て「事実上許婚」となってしまうんだな。これがまたすんなり納得できない。

登場人物の心理が常識的な力学から外れて予測のつかない軌道をとる、それをもってして文芸的というのなら文芸映画などつまらないものだと思う。しかし本作の魅力は、登場人物の自分でも制御することのできない心の揺らぎ、そして「あるべき姿」からは隔たった現実の曖昧さ、といったものを詩的なアングルから切り取ったところにあるように思う。批判的な評者の目には思わせぶりと映るかもしれないが。実際のところ、経年劣化なのか元々なのか画質は良くないし、時代を感じさせる(特に女優陣の)衣装とメイクはパッとしないし、主人公のモーハンラールは常ながら小太りの童顔で別に二枚目じゃないし、ビジュアル上プラスに働く要素はさほど多くはない。にも拘わらずなんともいえずロマンチックなシーンが多いんだ。主人公が女子修道院長の贋手紙を書く雷雨の夜の予兆に満ちた高揚(普通の映画ならBGMなどで邪さが演出されるところだろうがここでは全然違う)、娼婦となったクララと主人公が再会して真夜中のトリシュールの街を軽口をたたきながらそぞろ歩きする(印度でホントにこんなことが可能なのか!)シーンの浮遊感、ラストのオーッタパラム駅の雨上がりを感じさせる清々しさ。マラヤーラム映画でロマンチックなどというのは形容矛盾としか思えなかったのが、この映画を見て少し認識が変わったのだった。

俳優は皆素晴らしい。本作をモーハンラールの最高傑作に数える意見も見受けられる。娼婦クララを演じたスマラターもこれが代表作の一つであると見なされているようだ。実際、一つ間違えたらただのポンチ絵になってしまうこの難しい役がスマラターによってさらりと演じられたからこそ、芸術的な香気が保たれたのだと思う。堅気の娘ラーダーを演じるパールヴァティは、デビューしたてで後年の円熟した気品と美貌はまだないのだが、こぼれおちそうな巨大な瞳とおちょぼ口のインパクトが大きい。無学な女衒役のバーブ・ナンブーディリもまた大変に印象的だ。あくまでも脇役でストーリーに関与する場面は限られているというのに、もう無駄なくらい深みがある。何か哲学的な意味を担ったキャラクターなのかと訝しく思えて気が散って迷惑なのだった(笑)。

Thoovana09.jpgThoovana10.jpgThoovana07.jpg

【参考レビュー】
http://movies.bizhat.com/review_thoovanathumbikal.php
http://parallelcinema.blogspot.com/2006/10/thoovana-thumbigal-dragonflies-of.html
http://occupiedspace.blogspot.com/2006/05/repertoire-of-padmarajan.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Thoovanathumbikal
http://www.mouthshut.com/review/Thoovanathumbikal-110089-1.html
http://ddjunction.blogspot.com/2008/07/thoovanathumbikal-1987-padmarajan-movie.html

【パドマラージャンについて】
http://padmarajan.8k.com/
http://www.cinemaofmalayalam.net/padmarajan.html
http://indulekha.com/moviegallery/2006/02/padmarajan.html
http://rajamohan.blogspot.com/2005/09/padmarajan-loss-in-january.html

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投稿者 Periplo : 18:02 : カテゴリー so many cups of chai
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2008年11月02日

どっこい生きてる

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凄く昔にちょこっと書いたことの続報が、ある日ふっと飛び込んで来るというのは嬉しいもんだ。

今からちょうど三年前に別のとこに書いたネタにまさかの続報。

最初のテルグ映画も神様ものだった。Bhakta Prahlada (Telugu - 1931) Dir. H.M. Reddy がそれ。主な出演者はL.V. Prasad, Surabhi Kamalabai, Munipalle Subbaiah, B.V. Subba Rao。検索してもスチルなどは見つからず。

この映画のヒロイン役のSurabhi Kamala Bai (1907-1977) は当時テルグ語地域で人気を博していた(そしてどうやら現在も存続しているらしい!)家族経営の巡回劇団、Surabhi Thatre の一員、母親の Venku Bai も同劇団の女優だった。

三年経って改めて検索してみると、おお劇団のオフィシャル・ブログ(?)まであるではないか! なんか感激だあ。結構上手く商売をしてサバイバルしてるのかしらん。アーンドラの田舎ではまだこの手の移動劇団が引く手あまたなのだろうか。

この Surabhi Theatre に関するドキュメンタリー Maya Bazaar - The Survival of a 120-year-old Theatre Family (Telugu - 2007) Dir. K Madhusudhanan が、バンガロールで催されるミニ映画祭 Ranga Chitra, a day of film screenings on travelling theatre で上映されるのだそうだ。この上映は Ranga Shankara という演劇祭(ディレクターはシャンカル・ナーグの夫人アルンダティ)の一環ということだ。そして Surabhi Thatre は実際に舞台でも Maya Bazaar を上演するらしい(今年の演劇祭自体が巡回演劇をテーマに掲げているというのだ)。

舞台を見に行くのは叶わないとしても、このドキュメンタリー映画はディスク化に期待したい。今年のMIFFにもコンペ出品されたという。

記録映画および劇団に関する記事
The Week:Spectacular action
Citizen Matters:Ranga Chitra at Ranga Shankara
The Hindu:Theatre is their lifeline
v ramchandra rao:The Surabhi theatre company

投稿者 Periplo : 19:31 : カテゴリー バブルねたtelugu
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