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2009年10月25日

注目のバクティ映画2

Vengamamba
2009年9月、ヴィジャヤワーダにて撮影。

いきなり出くわしたんでちょっと吃驚した。今年の6月にティルパティで華燭の典を挙げたっていうミーナーちゃんのポスター。データベースとか見ても、ラスト出演作は Kuselan (Tamil - 2008) Dir. P Vasu となってたからね。

このポスターのタイトルは、Vengamamba、監督は Uday Bhaskar、テルグ語。公開は今年夏だったことはまあ間違いない。なんだかひっそりした封切だったみたいだ。

18世紀のアーンドラの女流バクティ詩人ヴェンガマンバを主人公にすえた伝記的映画らしい。2006年には別の監督・別の女優で制作するがあったが、どうやらこれはお蔵入り。今年公開の本作にしても、いつ頃制作されたのかははっきりしないのだが。ネット上に出回っているレビューの中での評価はかんばしくない(一例)。しかしこれは神話系映画ではよくあることだ。Annamayya (Telugu - 1997) Dir. K Raghavendra Rao あたりのバクティ映画の定式をただなぞっただけだということが難点として挙げられている。

ま、それにしても Sri Ramadasu (Telugu - 2006) Dir. K Raghavendra Rao から3年、久々に飛び込んできたバクティもの、しかも女性が主役となれば、ちょっとは期待したくなるわな。

投稿者 Periplo : 04:18 : カテゴリー バブルねたtelugu
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2009年10月20日

人騒がせな奴ら(6)&傍迷惑な奴ら(4)

Kaveri.jpgpoornitha.jpgshamnakasim.jpg

Kaveri / Kalyani(左)

ケララ州南部のティルヴァッラ出身のケララ人女優。カーヴェーリの名前で子役として Ammanam Kili (Malayalam - 1986) Dir. Rajiv Anchal でデビュー。バックグラウンドについては Galatta のインタビューに詳しい。テルグ(これまでの出演は8本ほど)とカンナダ(同じく3本)ではカリヤーニを名乗る。IMDbの登録ではKalyani (III)として9本、Kaveriとして21本(ただし明らかに別人と思われるものが混入)。おしとやかな良妻賢母候補っていうタイプの役が多いか。マラヤーリーでありながらテルグ映画界で活動する映画監督スーリヤ・キランと2005年に結婚、最近はプロデューサー業にも乗り出そうとしているらしい。

Poornitha / Kalyani(中)

サウス女優さんの中ではかなり異質なバービー顔だね。一度見たら忘れられないキャッツアイ。しかし今のところまだブレイクの兆しはない。出生地や母語は不明、子役として数本のタミル映画に出演、おそらくこの時点では本名のカリヤーニ(Baby Kalyani?)でクレジットされていたものと思われる。その後テルグとマラヤーラムにも顔を出すようになり、プールニタに改名。IMDbでは Poornitha 名義でたったの一本、上の Kalyani (III) の中に紛れ込んでるものがあるのだろうか。維基百科ではフィルモグラフィーに13本がカウントされている。ベビー・フェイスの割りに結構セクシーなアピアランス、なんとか子役イメージからの脱却を図ろうとしているらしい。

それにしてもこの二人がカリヤーニという名前を捨てたのはなぜなのか。ダサい名前ってことなのか、それとも遠慮しなきゃならない別のカリヤーニが存在していたのか。

Shamna Kasim / Poorna(右)

Wカリヤーニとは関係ないけど、なんか紛らわしいんだよね。

ケララ州カンヌールの出身のケララ人。テレビのリアリティ・ショー(ダンス勝ち抜きバトルみたいなの)から芸能界入りしたらしい。シャムナーは本名と思われるが他州の映画ではプールナを名乗るようだ。IMDbの登録はどちらの名前でも見当たらず。維基百科のフィルモグラフィーでは製作中のものも含めて南印4言語むらなく15本。アシンのクローンみたいなイメージ(そういう言及をしているページも多い)で売ってるようだが、今のところははっきり言ってドン臭い。このドン臭さを売りにして名脇役の道を目指すのか、どっかで一皮剥けてヒロインとして花開くか、横目で眺めていこうと思っている。

投稿者 Periplo : 19:59 : カテゴリー brown dwarf galaxy
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2009年10月19日

大部屋以上明星未満★32

悪役二大巨頭のもう一方はこの人、Siddique

siddique1.jpg
Pachakkuthira (Malayalam - 2006) Dir. Kamal より

このシッディクがツイン映画監督シッディク・ラールの片割れと同一人物なのかということで、随分前に一度エントリーしている。結論は別人。しかし今回紹介のシッディクも、維基百科によればプロデューサーをやることがあるという。そのうち監督をおっぱじめてもおかしくなさそうな勢いだ。業界内では混乱を避けるための方策がとられているのか。

1980年代後半のデビュー時にはコミックロールをやっていたらしい。最初に脚光を浴びたのは In Harihar Nagar (Malayalam - 1990) Dir. Siddique-Lal の主演4人衆のひとりとして。本作の監督のシッディクはもちろんツイン監督の片割れの方だ(ああ、ややこしい)。90年代中盤にはなにやら躓きがあったらしくキャリアが一時中断、90年代後半に返り咲いて、この頃から悪役街道を爆走とある。IMDbの登録を見ると、1996年の出演作が僅か1本しかないが、それ以降は出ずっぱりだ。

いわゆる筋肉系悪役ではない。しかしクライマックスでは自分で武器を取り、ピストルとかを突きつけて圧倒的な優位に立ちながらも、そこで得意になって演説始めて、結果的に隙ありってことで成敗されちまう。インド映画はみんなそんなだと言われればそれまでだが、特にこの手の詰めの甘い奴って役柄が多いように思う。

このクドい顔が登場すると、直感的に悪い奴だと分かってしまう、そのくらいのタイプキャスト。しかしテレビの世界では別の一面も持っていて、1998年から始まった大人気連続ドラマ Sthree ではヴィナヤ・プラサードの夫役、正直者の苦労人をやってお茶の間の顔となった。このソープオペラは文字通りにケララの奥様方の紅涙を絞り、2年に渡って続いた後に、TVドラマとしては異例なことながら2005年に続編が制作・放映されることになったという。それにあたっての The Hindu のインタビューはこちらだが、この記事のインパクトはテキストにあるのではない、もちろん冒頭の写真の方だ。

うーん、そういうことだったのかあああああ。念のためだが、これが件のTVドラマのスチルではないことはこちらを見ればわかる。つまりスクリーン外では潔くカミングアウトしちゃってんだな、このオッサンは。

siddique2.jpgsiddique3.jpg

だからなのか、スクリーン上では無闇にバラエティに富んだヘアスタイルなんだよな。時には強引なものもあるが、概してよく馴染んでる。当エントリーのトップに掲げた Pachakkuthira でのフィット感は神業だ。よほど腕の立つ腹心のヘア担当がいるのか、金を惜しまず舶来高級品を買い求めているのか。ともかく、痛いほどの不自然さに正視するのが辛くなる●●さんとか××さんには見習って欲しいもんである。

投稿者 Periplo : 05:19 : カテゴリー brown dwarf galaxy
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2009年10月18日

大部屋以上明星未満★31

Saikumar [Sai Kumar]

ちきしょーっ、年とってくっと涙もろくなっていけねえや。

saikumar1.jpg
Minnaminnikkoottam (Malayalam - 2008) Dir. Kamal より

もう30回を超えたこのシリーズ、いい加減なとこで悪の二大巨頭とお笑い二大巨頭も紹介せなアカンて気になった。

しばらく前に見た Minnaminnikkoottam、お洒落なIT企業に勤める若いのがくっついたり離れたりするトレンディ・ドラマ(爆)、頭抱える男女7人タワケ物語だったのだが、ミーラ・ジャスミンの父役のサイクマールには泣いた。このお父さんてのがいじらしくて、健気で、哀れで、紅涙絞られるとはこのことかってなもんなのよ。あ、紅涙ってのはオバサンの場合か。ともかく、サイクマールで貰い泣きしてるオイラは、もうふつーの日本の小父さんには戻れないこと確定だろうな(哭)。

維基百科によれば1963年生まれ。父は演劇界でも高名だった俳優の Kottarakkara Sreedharan Nair。この人はChemmeen (Malayalam - 1965) Dir. Ramu Kariat でのヒロインの父役が有名。姉の Shoba Mohan も女優。ショーバの息子、つまり甥に当たるVinu Mohan も2007年にヒーローデビューしている。

テルグ映画界にも同名の俳優がいて、お回りアクションなどを得意としているらしいが、ケララのサイクマールもたまにテルグ映画で悪役出演してる(目撃情報はこちらなど)。いい加減にしてくれ。

バイオグラフィーは2006年の The Hindu 記事 Second innings に詳しい。マ映画界に多彩な人材を供給し続けている喀拉拉人民芸術倶楽部(KPAC)に20歳で入団し、演劇人としての第一歩を踏み出す。

映画デビューは Ramji Rao Speaking (Malayalam - 1989) Dir. Siddeique - Lal。いろいろな意味でエポックメーキングだったこの作品、サイクマールは第一ヒーローだったのだ、今となっては信じがたいが。当時は水も滴る男前だった、とかそういうんでは全然なくて、単に今よりも少し細くて情けない感じだったってだけなんだけど。それにこのヒーローが贋の脅迫電話をかけるシーンでは、すでに今日の強面の萌芽が充分に見て取れる。ともかく大ヒットした本作の勢いに後押しされて Chamayam (Malayalam - 1993) Dir. Bharathan の頃までは順風満帆だったらしい。上にリンクした記事によると、なにやら込み入った事情からそれ以降仕事を干され気味になったという。初めて悪役としてキャストされたのは Ayushkalam (Malayalam - 1992) Dir. Kamal で、それ以降はハードコアな悪の道を歩む。

その精進の結果として今日のこういう完成形があるわけなのだ。

saikumar2.jpgsaikumar3.jpg
Roudram (Malayalam - 2008) Dir. Ranji Panicker より

The Hindu 記事によれば、悪役に偏り過ぎないように役を選んできたということだが、それ以外のものは見てるはずなのに不思議と記憶に残ってなかった。ともかく、無闇にベラベラ喋りまくり、充血眼を剥いて見栄を切るってのが固定イメージだったなあ。

しかし Chotta Mumbai (Malayalam - 2007) Dir. Anwar Rasheed で、実年齢では3歳年上のモーハンラールの親爺役をやってるのを見て、芸域の広さに驚倒した。Baba Kalyani (Malayalam - 2006) Dir. Shaji Kailas での無力なインテリ役にも括目させられた。とんでもない数の映画に出演しているはずなのにTVでも活躍中らしい。たとえばこちらの記事によれば、2009年秋の今現在同名映画作品が話題沸騰中の Pazhassi Raja を連続TVドラマで演じたという。こりゃあ凄く見てみたいわ。

付録:日本人によって撮影された生写真

投稿者 Periplo : 01:07 : カテゴリー brown dwarf galaxy
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2009年10月14日

資料系アップデート0910-3

京都大学地域研究統合情報センターによるタミル映画データベース(CIAS Tamil Films Database)

同センターが収蔵する、VCDを中心としたタミル語映画のディスク(非営利目的の個人に限り閲覧可)150本をDB化したもの。全て英語。個別エントリーのパーマリンクは不可。

Ambikapathi (Tamil - 1937) Dir. Ellis R Dungan から Periyaar (Tamil - 2007) Dir. Gnana Rajasekaran まで。

細かく突っ込みたい部分は無数にあるのだが、とりあえず Ambikapathi は見てみたいですね。

実用TIPS:検索ウィンドウに「tamil」と入れれば全件が一覧可能。Ulagam Sutrum Vaaliban と入れてもヒットなし、Ulagam Chutrum Vaaliban で登録されている。結局全件通しで見つけるのが手っ取り早いか。

投稿者 Periplo : 15:44 : カテゴリー バブルねたtamil
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2009年10月12日

Balancing Actor?

nanma.jpg
Nanma (Malayalam - 2007) Dir. Sarathchandran Wayand より。むふー、サリーの女医さんがめっちゃイイー、ってのは措いといて。

Balance シリーズもひとまずこれで最終回。

昨日画像を掲載した Mayookham (Malayalam - 2006) Dir. Hariharan は、特権を失った貧しいナンブーディリ・ブラーミンの家に生まれた主人公が、最上級カーストゆえに採用面接で嫌がらせを受け、結果的に就職に失敗して非行に走る、という話だった。これは商業的マ映画で最も愛される世が世なら系設定の一定型といえる。

ところが一方、Nanma (Malayalam - 2007) Dir. Sarathchandran Wayand では、タミルナードゥからケララに移り住んだムットゥ・チェッティヤール(Kalabhavan Mani)の息子ナクラン(Rahman)が入社試験に臨み、父親の職業を卑しいものとみなす面接担当者のハラスメントを受け結局採用はならず、やくざ者になり果てる。カラーバワン・マニが演じるその親爺ってのが土左衛門引き上げのスペシャリスト、マジかいな!

最高位婆羅門ゆえの嫌がらせと、低位カースト(はっきりとそう言っちゃいないけどね。タミルの商人に多いチェッティヤールって役名はその辺をあまり剥き出しにしないために誤魔化しで採用されたのではないかな)ゆえの門前払い、どっちがホントなんだろ。

ここでもう1本カラーバワン・マニの出演作、Kerala Police (Malayalam - 2008) Dir. Chandrasekharan だ。有能かつ任務に対して常に前向きなサークル・インスペクターのサティヤナート(Kalabhavan Mani)は、同僚からはその後進階級(backward class、実質的にはダリトを示す)の出自に対して常習化したハラスメントを受けている。物語はその彼が、芸能界でおきた殺人事件の捜査に取り組み、数々の妨害を退けながら真犯人を突き止めるまでを描く。まあ、推理ドラマとしての展開は(珍しくはないが)生煮えで、特に記すべきものもない。マニさんの出自の設定だけが異様に目を惹くんだな。

多くのレビューでのこの不可触民モチーフ(映画全体のテーマではない)に対する評価は、概して手厳しいものだった。

One could only be appalled to see the film fervently playing up the caste cards, and driving an unsuspecting crowd up an invented hill. The lineage politics at work here is undeniably disgusting and fails to draw in the much expected applause. The film does display a sneakiness in its attempts to casually generalize and tarnish a societal section while busily commending on the valiant efforts of another. It is provocative and often downright offensive and it's not long before you see through the manipulative ploy and steer way off it.(nowrunning レビューより)

たったの2本、これで何らかの法則が引き出せるわけでは全然ない。が、立て続けに2本、マラヤーラム娯楽映画では好まれない最下層カーストの主人公が出てきたとなるとただならないものを感じる訳よ。

ここで再びシュリーニヴァース先生にご登場願おう。

チランジーヴィとラジニカーント、どちらのキャリアにおいても、先行世代のNTRやMGRとの比較での際立った肌色の黒さが、ある種の「リアリズム」を生み出した。それは、彼らの演じる人物が単に低クラスのヒーローであるだけでなく、低カーストのヒーローであるとも読み取れることを示したのである。(Megastar - Chiranjeevi and Telugu Cinema after N.T. Rama Rao, S. V. Srinivas, P.88より、勝手訳)

一度でもケララあるいは南印に行ったことがある人になら分かってもらえると思うのだが、椰子國明星さん方ってのはあれでもかなり色白が揃ってるのだ。顔グロなのはコメディアンと筋肉系悪役だけ。コメディアンと筋肉系悪役をやりながら、白塗りすることなく主役も張るマニさんてのは、そういう意味でもかなり特異なスターなのだ。上層階級・高位カーストの話が大勢を占めているお上品なマ映画メジャー作品にあきたらない、かといって他言語映画ではエキサイトできない、そんなサイレント・マイノリティ(?)の皆さんのフラストレーションを、マニさんが一手に引き受けてる?ってのは今のところ仮説でしかない。

今取り組んでいるプロジェクト(内緒)が終了したら、次はマニさん映画(主演作という意味)を体系的に潰すのをやってみようか、などと夢想していたりする。

keralapolice.jpg

投稿者 Periplo : 20:35 : カテゴリー バブルねたkerala
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2009年10月11日

Actually unbalanced

mayookham.jpg
Mayookham (Malayalam - 2006) Dir. Hariharan より

いちおう Balancing Act 2 の続き。ここまでは話を単純化するためにヒンドゥー、ムスリム、クリスチャンという大雑把な分け方しかしてこなかったが、もちろん各コミュニティの中にも眩暈がするほどの細かいセクトがあって、一括りにはできない。同じ婆羅門でも、ナンブーディリとパーラッカードのケララ・アイヤル(Vietnam Colony など)では素人目にも明らかに雰囲気が違う。クリスチャンの中でも、歴史あるシリアン・クリスチャンの典型として描かれるナスラーニと、比較的近年に改宗した人たちからなるペンテコステ派(希少な作例として Achanurangatha Veedu がある)とじゃ別世界。

大衆映画(mass film)、特に1980年代から90年代初頭にかけてのそれは、トップスターが大衆の代表者としての一般人を演じるものだった。大衆映画のヒーローは、国家・社会の敵として現れる上流階級・上層カーストの悪役に対して闘いを挑むことになっていた。このジャンルでは、階級・カーストの力学が、さらにジェンダー・ポリティクスとも結びついていた。並外れて男性的な下層階級・低カーストの男が、性的な面で積極的な低層の女と力を合わせて共通の富裕な敵に対して個人レベルでの階級闘争をしかけるのだ(一例として Gangleader)。あるいは、富豪の傲慢な娘を矯めて従順にさせ、ついには嫁とすることにより、社会的経済的な矛盾の解消を確かなものとするのである(一例として Gharana Mogudu)。(先日紹介のS. V. Srinivas, Megastar - Chiranjeevi and Telugu Cinema after N.T. Rama Rao, P.77-78より、勝手訳)

この説明は主にテルグ映画に関してなされたものだが、タミル映画でも御馴染みのプロット展開なのではないかと思う。しかし、この慣れ親しんだ下剋上の黄金パターンがマラヤーラム映画ではなかなか見つからないんだ。前に別のネタで「社会的身分関係の上下に関して割と保守的なマ映画」なんて書いたけど、この傾向は近年一層強まってきているようなのだ。

Recent Malayalam cinema has dwelt for too long in this claustrophobic space of the upper caste milieu, its manners and customs. Once it dares to come out of that pretentious ivory tower that it believes itself to be living in, and out into the open and to the joys of labour and celebration, it would be much more true to its spirit and that of Malayalee life and times. For that, Malayalam cinema desperately needs some fresh air, new thoughts and yes, some joyous abandon.(Upperstall レビュー Nivedyam より)

ここで紹介されているのはローヒタダースの遺作となった Nivedyam (Malayalam - 2007) Dir. Lohithadas。いろいろ訳があって大工見習いなんぞをやっているナンブーディリ・ブラーミンの主人公が、偶然にも著名な音楽家・作詞家カイダプラム・ダーモーダラン・ナンブーディリ(本人が演じている)の目に留まり、同じカーストのよしみ(!)で口利きしてもらいカンヌール地方の廃寺の僧侶となる、というとんでもない話だった。

マラヤーラム映画がなぜ他の言語圏では受け入れられないのかを考えてみる必要がある。大抵のマラヤーラム映画は、平均的なマラヤーリーの共通認識を脅かすことのないある種のストーリーラインに沿っている。成功した映画はどれも主人公がアッパーカーストの出身だ。彼は法や掟に挑戦し、最後には人々の幸福のために自分自身で法と掟を打ち立てる。そこにいたるまでの間に、アッパーカースト出身でなおかつ孤児のヒロインが登場するかもしれない。彼女は敵意ある他カースト出身者、あるいは邪な親戚に悩まされている。最後にはヒーローが彼女を救い出し、彼女は永遠にヒーローを崇拝し続けるしもべとなる。これが長らくの間映画を成功に導く方程式だった。(ケララ州政府文化広報誌 Kerala Calling 2006年3月号、Turn of the audience by Johny M L より、勝手訳)

宗教的コミュニティの描写という観点からは多様性に富んでいるマ映画だが、社会階層のバラエティでみると案外幅が狭いのだ。ここで注意しておきたいのは、上層クラスとアッパーカーストというのは必ずしも一致しないということ(下層クラスとロウワーカーストというのは一致することが多いようなのだが)、それから芸術映画はこの傾向の埒外ということ。

kochirajavu.jpgともかく商業的マ映画の設定は、宗教を問わず中産階級以上の裕福な家庭、あるいはバラモンやナーイルなどのハイカーストになっているものが多い。ストーリーラインとしては、お金持ちでなおかつカーストも高い一族の中での骨肉の争い、なんのもよくあるが、一番愛されてるのは、かつては名門だったが今は零落してしまった家の主人公が、沢山のお荷物(未婚の姉妹とか、病気の母とか、亡父のこさえた借金とか)を抱えて孤軍奮闘するってやつかな、「世が世なら」ってパターンだ。学業を中断してオートの運ちゃんやってるとか、あるいは結構学歴は高いのに失業中とかね。その奮闘の結果、夢みたいな幸運でお金持ちになったり、悪徳資本家を粉砕してその財産を山分けする、みたいな展開はあまりないわな。その辺はリアリティがある。なんかマ映画ワールドそのものみたいだね。

同情するなら金を呉れ、ってやつだわな。続く
イメージ:Kochi Rajavu (Malayalam - 2005) Dir. Johny Antony より

投稿者 Periplo : 23:59 : カテゴリー バブルねたkerala
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2009年10月10日

資料系アップデート0910-2

cvMegastar.jpgcvJeevithams.jpg

読書の秋ってことで。

Megastar - Chiranjeevi and Telugu Cinema after N.T. Rama Rao
Author:S. V. Srinivas
Publisher:Oxford University Press, India
主な販売サイト:アマゾンなど

テルグ界のメガスター、チランジーヴィのキャリアの変遷を追いながら、アーンドラ(あるいはサウス)明星の特異なファンとの関わり方、社会的変動とリンクしたスクリーン上のイメージの変遷(rowdy から reformer へ)、そしてアーンドラの映画をめぐる政治的風土を丹念に分析する。

チランジーヴィ本人へのインタビューを含め豊富な資料に準拠した労作。しかし徹頭徹尾学者による学術書なので、現地でファンクラブ活動に汗を流している皆さんには全く届いていないと思う。そのこと自体がテルグ映画界と一般のファンとの関係について何かを物語っているように思える。

まあそれと、ものすごーく読みづらい英語であることはここに書いとこう。意地でも同じ単語は二度と使わないぞ、考え付く限りで一番難しい言いまわしで書いてやるぞ、っていう姿勢で貫かれてます、はい。冷静に判断すれば、本来オイラ程度の英語力では読んでも仕方ない本だと思う。でも歯を食いしばってでも読みたくなるんだ。

頂点のスターたち-たとえばMGR-は、スクリーン上で死ぬことすら許されないのである。かつてMGRがイエス・キリストの生涯を演じようとした際には、イエスが磔刑となる聖書通りの筋書きを改変し、彼が反撃するクライマックスにすることが試みられた、という有名な話がある。(序章xxiより)

な~んていう興奮のトリヴィア満載、やっぱり読まずにはいられない。

The Hindu による著者プロフィール:Much fan fare
Screen による書評:Matinee ideal

お次はラルさん。

Mohanlal Malayaliyude Jeevitham
Author:A Chandrasekhar, Girish Balakrishnan
Publisher:View Point, Thiruvananthapuram
主な販売サイト:いまのところお手軽通販サイトでは見つからず。そのうちここらあたりで扱うだろう
タイトルの意味:モーハンラール、マラヤーリーの人生
ネタ提供:花隈會舘さん(多謝)

全編マラヤーラム語、こっちは幾ら歯を食いしばっても、逆立ちしてみても読めない本。しかしこれがマラヤーラム語で出版されるということ自体に、また意味を感じてしまう。

Neither is ‘Mohanlal: Oru Malayaliyude Jeevitham’ a fan’s adulation nor is it a regular biography of the superstar. It is much more than all this. The work, jointly written by A. Chandrasekhar and Girish Balakrishnan, focuses on thechange in Malayali sensibility over the past 30 years as reflected through the real and reel life of Mohanlal.(The Hindu 記事 Citizen Mohanlal より)

1980年代初頭からこっちの、ラルさんが演じたキャラクターを通して、ケララ社会の変動を考える、みたいな趣旨らしい。下手に転べば、子供じみた感想文に勝手な注釈をつけただけのトンデモ本、でもそれなりの書き手(共著者の一人、Aチャンドラシェーカルさんはケララ州映画賞・映画評論部門での受賞経験があるという)によるものなら相当なお値打ちものになるはず。確かめる術がないのが残念。

“We feel there has been no Malayalam actor who has used the ‘mundu’ so effectively as a property in films. It is not that others have not appeared on screen in the ‘mundu’ but no one has done it so portrayed this sensibility so well.”(同上)

なんてくだりを目にすると、居ても立ってもいられないほど読みたくなるのだが…。英語版は出ないのか、の悶絶読書の秋。

投稿者 Periplo : 17:50 : カテゴリー バブルねたsouth
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2009年10月08日

名作電影保存会

世界の名作を自主上映する小規模な集まりというのが、サウス(特にケララ)ではけっこう歴史がある、ということは色んなとこで読んで知っていたけど、その実態についてはよくわかっていなかった。

タミルナードゥ州コインバトールで活発な活動を行っている Konangal Film Society さんのラインナップはちょっと面白いですね。

投稿者 Periplo : 23:59 : カテゴリー バブルねたsouth
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2009年10月06日

Balancing Act 2

malankaraPriests.jpg
シリアン・クリスチャン(マランカラ派と推定)の坊さん方、コーチンにて。本文とは無関係。

前回ポストから随分間が空いてしまった。なんか面白画像がないかと探してただけなんだけどさ。

前回は、俳優の所属する宗教コミュニティとスクリーン上での役柄が一致せず、むしろ逆になるようキャスティングされる傾向をマラヤーラム映画の特徴とするのは誤解であると書いた。

なぜそういう誤解が生まれるかというと、
1.マジョリティ(ヒンドゥー)とマイノリティの登場人物が画面をシェアする映画が異様に多い
2.マイノリティを主人公に据えた映画が(圧倒的多数ではないにせよ)結構ある
という二点があるからだと思う。そして、これらのこと自体が「なぜそうなのか」という新たな疑問を呼び起こすのだ。

たとえばアーンドラのラーヤラシーマを舞台にしたテルグ映画、タミルナードゥのマドゥライなど南部を舞台にしたタミル映画には、ヒンドゥー教徒しか出てこないものは珍しくないと思う。一方マラヤーラム娯楽映画で、ちょこっとでもムスリムやクリスチャンが出てこないものはかなり稀ではないだろうか。上の1の理由としては、やはりケララの実情(ヒンドゥー、ムスリム、クリスチャンの人口比率が56:24:19、こちらなど)を反映しているということなのだろうか。それ以外に特に理由が思いつかない。

2の方は遥かに難問。前に紹介した Cycle (Malayalam - 2008) Dir. Johny Antony のように、クリスチャンを主役に据えながらも特にコミュニティ色のない都市型ドラマならばともかくも、ベッタベタなマーピラ映画(全インド的な分類法ではムスリム・ソーシャル、「ソーシャル」という名称についてはこちら参照)やアチャヤン・ムービー(同じくクリスチャン・ソーシャル、「アチャヤン」という呼称についてはこちら参照)が作られる理由はなんなのだろう。

だいたい、クリスチャン・ソーシャルが商業映画としてペイするためには、全人口の19%のクリスチャンだけを当てにしてはいられないはずだ。マジョリティのヒンドゥー大衆を引き寄せることが絶対に必要なはず。なぜこれが成り立つのか。

keralatourisme.jpg

仮説1.識字率100%を誇るケララでは、他宗教への寛容の精神が行きわたり、観客はジャンルの分け隔てなく良質な作品を追い求めるのである。

なんて書いたら椰子國政府観光局からタダの招待取材旅行がオファーされやしないかな。そんなに甘かないか、椰子國役人は。オイラもそんなに甘ちゃんじゃねえや。なのでこれはボツ。

仮説2.都市化が進行しつつあるケララでは、モダンな生活様式を享受する中間層が増大している。モノトーンな生活を送る彼らにとって、隣人たちの色鮮やかな習俗が盛り込まれた映画は、バーチャル異文化観光体験ができるメディアなのである。つまり倭國の知的大衆と似たような志向をもつ観衆が椰子國エスニック映画を支えているのである。

これはちょっとイケそうな感じがした。だけんど、あーでもないこーでもないと調べ物をする途上で以下のような記述に当たってしまったりしたんだ。

Right from the early days, the traditional Malayalam cinema had different genres like socials (Hindu, Muslim and Christian), historicals, wild life films, comedies, political types, crime thrillers, musicals, docu-dramas, fantasies and so on, but the most favoured one was socials. The release of socials particularly Christian and Muslim ones were timed to religious festivals like X-mas and Bakrid and some of them like Kuttikkuppayam proved all time hits. These socials, meant to appeal different communities, were made at regular intervals. The studio-owning producers of Udaya and Neela were very adept at churning out these different genres at regular intervals.(Malayalam Cinema -The Pageant and the Parade by K.V.Ramankutty より、太字強調は引用者による)

都市化云々どころじゃない昔から、ムスリム映画&クリスチャン映画は、祝祭シーズンごとに盛んに公開されて来たというんだわな。

The 1990s saw a spate of films centred on the upper caste milieu; their rituals, costumes, concerns and mannerisms were established as the normative/narrative centre. The Valluvanadan Malayalam (a slang term used by the upper castes in central Keralam and popularised by the highly successful scripts of M. T. Vasudevan Nair), became the mothertongue of popular cinema. The minorities, especially communities such as Muslims and members of the lower castes, were gradually marginalised and forced into stereotypes, tending to appear more as exceptions to the 'norm' and the 'normal'.Contemporary Malayalam Cinema by C S Venkiteswaran より、太字強調は引用者による)

しかも、ケララでも1990年代からは、映画の中のマイノリティはより「マイノリティ化」して来てる、ということのようなんだ。結局ムスリム・ソーシャルやクリスチャン・ソーシャルは古い時代の方が盛んで、今は徐々に下降線を辿りつつあるジャンルということになるか。

pardeshiSong.jpg
イメージ:Paradesi (Malayalam - 2007) Dir. P T Kunhi Muhammad のシュウェちゃん

仮説3.1960年代後半から70年代末ごろまでのプレーム・ナシールサティヤンの二大巨頭時代(マドゥーを加えてトロイカ体制というべきか)、それから若干の空白を経て1980年代中ごろから今日まで続くマンムーティ&モーハンラール時代。マ映画ヒストリーはスーパースターによる寡占とでも言うべき時期をかなり長く経験している。

一般観客のスターに対する(しばしば政治的パワーに転化しうる)カルト的崇拝は、隣接州のそれに比べるとはるかに希薄だが、一方で本来の芸能の分野でのスターに対する要求は相当に高いものがある。これはマラヤーラム映画界が比較的小規模である事実によってさらに増幅される。早い話、A'-B級ヒーロー格スターよりもトップスターのほうが年間あたりのリリース数が多いというのは、他州だったら異常事態な訳だが、それが10年以上も続いたりしちゃってるのだ。確実に投資額を回収できるトップスターを自転車操業させないと映画界が成り立たないという状況。もうずっとだから、芝居する方も見るほうもそれが普通になっちゃってるみたいだ。年中MoMaの新作が掛かってないと我慢できない、スーパースター中毒とでも言うべきか。

これが作品にどう影響するかというと、演じ手が限られてるわけだから差別化するためには、もうともかく、考えられるありとあらゆるシチュエーションを持ってこないと追いつかない、だから物語の背景となる地域やコミュニティにバラエティが生まれる。そして観客の方にもスターさんの「●●ぶり」を味わうコネスール的な性向が涵養されてきたのではないか。

これまでにも何度か引用したことのある Malayali young men and their movie heroes (by Caroline & Filippo Osella) には以下のような記述もある。

Mammootty’s knack of being “totally believable” when playing Hindus and his alleged especial ability to play Christians (Kerala’s ‘other others’) - an ability mentioned by many Christian and well as Hindu fans (see e.g. ‘Kottayam Kunnachan’) - suggests yet another aspect of this star’s special relationship with otherness: that of especial mastery of difference.〈36ページ〉

コーッタヤム出身のムスリムであるマンムーティが演じるコーッタヤム・アチャヤンは定評があるというのだ。近年のものでは、そのアチャヤンの代表的氏族の名をずばりタイトルにした Nasrani (Malayalam - 2007) Dir. Joshiy なんてのがあった。ちなみに本作は、モーハンラールがコーリコードのムスリムの大親分を演じた Alibhai (Malayalam - 2007) Dir. Shaji Kailas とオーナム期に激突させるべく制作されたという(実際の公開はずれ込んだが)。

Acting as a fisherman is a challenging ask for any actor - mainly for the crude accent and also the mannerisms. The late Sathyan had made memorable the character of Palani in Ramu Kariat’s Chemmeen. In Bharathan’s Amaram, Mammotty won a lot of acclaim for his Achootty.

As for Mohan Lal, If there was one role missing in his career, it was that of a fisherman.He got his chance in Dr Janardanan’s Mahasamudram.(Varnachitram 記事 Review: Mahasamudram より)

Mahasamudram (Malayalam - 2006) Dir. S Janardhanan の制作が発表された時には、芸能生活28年のモーハンラール(トリヴァンドラム出身のナーイル)が実はクリスチャンの漁師を演じた経験がなかったことに、驚きかつ大いなる期待を抱いた観客が多かったらしい。実情とは微妙に異なるが、マ映画ワールドで漁師っていったらクリスチャンと相場が決まってるらしい。そして椰子國俳優たるもの、一度はクリスチャンの海の男を演じにゃあ話にならん、ってくらいのもんらしい(拡大解釈)。

なんてことをクドクド書いてみた訳だが、どんなもんだろう。思いついた時には、これぞ積年の疑問を氷解させる天啓だと感じられたのだが、今読み返すと苦し紛れのこじ付け、後から作った理屈みたいだな。

やっぱり仮説1の「ケララ高民度説」にしとこうかな>椰子國政府観光局様。(続く

kuttysrank3.jpg
イメージ:Kutty Shranku (Malayalam - not yet released) Dir. Shaji N Karun より

付記:ヒングリッシュ映画業界では、ムンバイのパールシーコミュニティを題材としたLittle Zizou (Hindi/English - 2008) Dir. Sooni Taraporevala という低予算映画が送り出され、そこそこの好評をもって迎えられたという。本作では通例に反して、可能な限りのオーセンティックな本場の素材(つまりパールシー系俳優)を取り揃えたことを売りにしたようだ。

投稿者 Periplo : 11:13 : カテゴリー バブルねたkerala
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2009年10月04日

資料系アップデート0910

mahanatisavitri.jpg久しぶりに俳優の伝記。

A Legendary Actress: Mahanati Savitri by V R Murthy and V Soma Raju (2009, New York)

テルグ映画人に関する英語の資料というのは非常に貴重。もちろんサーヴィトリはテルグ界だけの人ではなかったが。MGR, シヴァージというタミル界の巨星群と共演し、何よりもジェミニ・ガネーシャンの夫人であった。その豊穣な生涯が640ページに渡って語られていて、お値段500ルピーならば超お得。ただし…。

大抵の本を買う時は、少なくともその時点では完読するつもりでレジに持ってくのだが、これは無理だってことが最初から分かってた。印度人特有のしつこく理屈っぽくい語りが延々と連なって、パラパラめくっただけで駄目だこりゃあってのが分かっちまうんだ。例えばサーヴィトリの感情表現の素晴らしさを説明するに当たって、印度古典演劇論の「9つのラサ」を持ち出して、それぞれのラサを彼女の出演作の数々の中からピックアップして台詞の再現と共に解説したりしてるのだが、著者が独自に考えた10~20番目のラサまで加えて、それだけで約40ページ。こんな調子だからちょっと苦しい。まあ、見る目を持った人が読めば情報の宝の山なのかもしれないが。

巻末のレファレンスはテルグ語・タミル語資料を中心にかなり充実したものだし、本書のためにかなりの関係者インタビューも行われたようで、決して脳内で生み出された妄想系の記述ばかりではないから、資料価値が低い訳ではない。幸いに巻末には索引もあるので、引きながら使う参考図書にはなると思う。それから私生活にまつわる部分はやはり興味深いのでそのうち拾い読みしてみようとは思っている。

参考
The Hindu 記事:Flashback ‘n’ memories

投稿者 Periplo : 04:24 : カテゴリー バブルねたsouth
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2009年10月02日

椰子國娯楽日報

(先日のポストからの続き)どよーんと落ち込んだときにはディリープ、ってことで呑気映画 Pachakkuthira (Malayalam - 2006) Dir. Kamal を観て立ち直りをはかったのだった。それについてちょいと書こうと思っていたのだが、スチルを探してたら凄いお宝を発見。

地方語日刊紙としては印度最大の発行部数を誇るMalayala Manorama紙のサイト上に、ナイスな映画ギャラリーが!

なななんとリシーたんページがっ!!10枚も載ってるう。

このギャラリー、なんだかえらくクセのあるセレクションでハマるわ。タミレカ旧カールティカ新カールティカ、ラーニーの妹ちゃん(いつの間にお色系になってたんだ?)なんていう脇役マニア心をソソる面々。懐かしのアニーちゃんからピチピチのニティヤちゃん、ダニャ・マリーちゃんまで、はたまたサミューちゃんのハッピー結婚生活なんてのもあり。AMMAのギャラリーにも載ってないよなレア画像の宝庫。これからしばらく楽しめそうじゃわい。

悪いねディリープ君、またこの次ってことで…。

投稿者 Periplo : 23:59 : カテゴリー バブルねたkerala
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2009年10月01日

ディスク情報0909-6

cvChenkolMB.jpgううう、重苦しい贖罪の2時間30分。

Mohanlal Discography の Chenkol のディスク情報を差し替え。Surya による字幕なし旧版(下右端)に代えて、字幕付き Moser Baer 版(原版は Saina)を新たに入手したので、内容確認のうえ再紹介。

Chenkol (Malayalam - 1993) Dir. Sibi Malayil

タイトルの意味:王笏

Cast:Mohanlal, Surabhi, Thilakan, Sreenath, Shankaradi, Shanthi Krishna, Kaviyoor Ponnamma, Mamukoya, Maniyan Pillai Raju, Johnny, Cochin Haneefa, Kanakalatha, Usha, Mohan Raj (Keerikadan Jose), Spadikam George, Shammi Thilakan

ディスク版元Moser Baer

字幕:英語

DVDの障害:大あり。再生と同時に画面がモザイク化し、通常のスピードで進まない。しかるべきソフトを使用しデータを吸出ししてデュープを作成したところ、普通に再生できた。最近身につけた技。

リメイク輪廻:本作のリメイクは今のところ存在しない。本作は Kireedam (Malayalam) の続編に当たる。
Kireedam (Malayalam - 1988) Dir. Sibi Marayil は今のところVCD(左端カバー)でしか鑑賞できていない。DVD(左から2番目のカバー)も存在するようなのだが入手できず。
Gardish (Hindi - 1993) Dir. Priyadarshan はその初のリメイク(左から3番目のカバー)。
Thamizh (Tamil - 2002) Dir. Hari は広義のリメイクということだが未確認(左から4番目のカバー)。
Kireedam (Tamil - 2007) Dir. A L Vijay は正真正銘のリメイク、そこそこヒットしたらしい(左から5番目のカバー)。

cvKreedam.jpgcvKireedamDVD.JPGcvGardish.jpgcvTamizh.jpgcvTamilKireedam.JPG1993Chenkol.jpg

寸評
本作に先行する Kireedam (Malayalam - 1988) Dir. Sibi Marayil は、マ映画の歴史に残る傑作と言われている。モーハンラールはこの作品の演技で国家映画賞審査員特別賞を受賞した。ごく平凡で軟弱ですらある若者が、抗いがたい不運の連鎖に流されて、肉親を守るために人殺しをするまでに追い詰められる、という話。篤実な巡査として永年勤続を続けてきた父親の唯一の願いであった、息子の警察官採用試験合格(とキャリアコースへのステップアップ)が打ち壊されてしまう、というのが最も悲劇的なモチーフとなっている。

これ自体、ヒーロー賛美、それから悪を誅することによる巨大なカタルシスという印度映画の黄金パターンからすでに外れているのだが、ロマンチックな歌謡やある種のコメディー、父子・母子の情愛、アクションという慣れ親しんだ要素もあって、充実した内容のある娯楽作となっている。

しかし続編となる本作 Chenkol は、もうなんて言ったらいいんか、ひたすらにダウナー系なんだな。スクリーンを鮮血で染めてならず者を誅した後にも人生は続く。主人公のセードゥマーダヴァン(Mohanlal)は刑務所に行き、8年間の服役の後故郷に帰還する。そこに待っていたのは打ちひしがれて酒に溺れる父(Thilakan)と病に臥せった母(Kaviyoor Ponnamma)、生活のために舞台に立ち男たちの好色な視線の的となっている妹(Kanakalatha)らの肉親、そして殺されたジョース(Mohan Raj)の復讐を誓う遺族たちだった。かつての恋人(Parvathi)は不幸な結婚の後没していた。家計を立て直しなんとか片隅で生きていこうとする主人公を、再び暴力の荒波が襲う、という物語。

神話的と言うべきなのか、はたまた現実を反映しているのか、印度(あるいはサウス)では「やりっぱなし」のストーリーがいまだに多い。司法官でも警察官でもない一市民のヒーローが悪と立ち向かい、その大元締めを打ち負かし息の根を止める(そして以降は家族・ヒロインとともに幸せに暮らす)というのは、娯楽映画の常道。Twenty:20 (Malayalam - 2008) Dir. Joshiy などはそういう意味でもまさに娯楽大作であるわけなのだが、1990年前後のローヒタ・ダース(脚本)とシビ・マライル(監督)にはその常道に対して一石を投じる明確な意思があったようだ。

いかな無法者とはいえ、そして主人公の父に対して暴力を振るっていたとはいえ、公衆の面前で無体に殺されて自業自得だったといえるのか。8年の模範囚としての服役で罪は償えるのか。この映画はそれを超えて、これまでの印度娯楽映画全体の贖罪をするかのごとき陰惨さ。鬱っぽい人にはお勧めできないけど、娯楽映画でどこまで暗い気持ちになれるかの極北としてここに提示しておきたい。

常ながら俳優の演技はどれも申し分ない。まっとうな職業に就くことを阻まれた主人公が、追い詰められて地廻りのヤクザとなり市場で啖呵を切るシーン、2000年以降のラルさんの役者人生と重ねて見てしまった(涙)。

ヒロイン格のスラビはもっさりとしてあまり印象に残らなかったが、その母役のシャーンティ・クリシュナは良かったね。王家といってもいいくらいの名門のヒンドゥーながら、零落して連れ子とともにクリスチャンのヤクザ者であるジョースのもとに身を寄せることとなり、事実上の妾として後ろ指を指される生活を送っている。そしてさらに唯一の後ろ盾であったジョースが殺されてしまう。これだけで一本の映画になりそうな設定だが、底辺の境遇でも毅然として品格を失わないこの初老女性の姿が、本作の一番の華といえるかもしれない。逆に言うとどの位地味な映画かが分かろうというものだが。

ShanthiKrishna.jpgShanthiKrishna2.jpg

このシャーンティさん、偶然にも先日紹介の Kelkkatha Sabdam (Malayalam - 1982) Dir. Balachandra Menon でも目撃していた(上左)。箸が転げるのも可笑しくて堪らないお年頃の妹ちゃん役。それが11年後の本作では、成人に達した娘のいる初老婦人。実際のところはまだ30代だったのではないかと思えるが、なんとも残酷なもんだねえ。

はあああ、次はお気楽莫迦映画観よっと。

投稿者 Periplo : 00:47 : カテゴリー Mohanlal Discography
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