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2010年07月28日

スターリン主義とは何か

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兄貴、見てくれよう。政界入りしてくれとこんだけの衆が集まったんだぜよ。
う~っ、やっぱ政党おっぱじめないと勘弁して貰えんのかしら(ぷるぷる)。


なんというか、テルグファンとして原点に戻ってみようという殊勝な気持ちになったのだった。原点というのはおいらにとってはメガスター・チランジーヴィなので、買っただけで放ってあった旧作ディスクを少し潰そうと。本格的ファンに倣って、ライバルスターのカットアウトに牛糞を投げつけたりとかそういうのも実践したかったんだけど、牛糞は手に入りにくいしライバルスターのカットアウトも徒歩圏内にはないしねえ。

で、連日のようにディスクをまわしてまわして、一息ついて数えてみたのだが、以前に見たものを含めてやっと30本。IMDbの登録ではゲスト出演などもカウントして全150本(それでも漏れがあるのが分かる)。印度のスターさんを追っかけて入手可能な出演作を全部潰すのには幾転生が必要なのだろう。途中ミジンコだのゾウリムシだのに生まれ変わったりすると効率が悪いんで日頃の行いには気をつけんと(手遅れ)。

そんなこんなで、ずっと前に買ってちょっと見ただけで挫折中だった Stalin (Telugu - 2006) Dir. A R Murugadoss をこないだやっと最後まで見たのだ。なんで挫折したかというと、最初の30分ほどの弱者救済と相互扶助の説教部分がなんかカッたるくて見続けられなかったせい。あの Ghajiniムルガダースとも思えないような垢抜けなさにちょっと退いちゃったの。再チャレンジで最後まで見通してみれば、アクションは大掛かりだし、クライマックスに向けた盛り上げかたは巧みだし、決して駄作ではないことが分かりはした。にしても、このあからさまぶりにはかなり魂消た。チランジーヴィが政界入りをうかがわせるような政治的メッセージを出演作に込めるようになったのは Muta Mesthri (Telugu - 1993) Dir. A. Kodandarami Reddy からだと言われている。今回ある程度の本数をまとめ見してみて感じたのは、いわゆるプロパガンダ性では本作が突出しているということ。これを公開後すぐに見てたら、「果たしてチランジーヴィは本当に政界入りするのか」なんて愚問をギリギリの2008年まで引きずる事にはならかなったはず。本作の後には Shankar Dada Zindabad (Telugu - 2007) Dir. Prabhu Deva が1本あるきりなのだが、こちらはボリウッドのよく出来たコメディを概ねそのまま踏襲しただけのマイルドな作品で、生臭さ感はゼロだった。本作の凄さは、政治家として立つチランジーヴィの予想図(つまり冒頭に掲げたイメージ)をとてつもない臨場感で描いてみせるがそれ以上のことは何も言わない、というところにあると思う。つまりチル首相が誕生したらAPはこう変わるとか、そういうのはゼロ。シャンカル映画に出てくる「シンガポールみたいになっちゃった印度の街路」なんていう程度のものさえ見られないのだ。

粗筋はそれほど複雑ではない。ハイダラーバードの下町で何をやって暮らしてるのかわからない主人公が、実は有能で高潔で無私で博愛主義の人物であることがわかり、巨悪と独り闘って勝利した後に力尽きて倒れた彼の元に民衆があつまる、というもの。その男の名はスターリン。

名前の由来は作中で実に簡潔に説明される。

ヒロイン:なんでスターリンなんて名前なの?
ヒーロー:親父がコミュニストだったんじゃ!

以上だ。ここで注意したいのは、親父はコミュニストだったが主人公はそうではない、というところ。じゃあなぜにスターリンなのかというと、結局のところ、カースト・宗教、そして場合によっては出身地域といったバックグラウンドを一切払拭した名前が欲しかったということに尽きるのではないかと思う。特に特定カーストへの利益誘導を臭わせるような、そういうキャラクター造形は絶対に避けたかったんだわな。

以前にも紹介したけど、ボルシェビキ指導者に由来する名前の本場っていったらなんといってもケララ。「レーニンなんてのはね、ごくふつーよ」と知り合いのケララのおっちゃんも言ってたっけ。しかしスターリンとなると、実例は隣の州のこの人しか知らん。それにしてもねえ、政界入り志望者がスターリンの名前を持ち出してキャンペーン映画作るなんての、いまどき世界の他の地域であるだろうか。神秘の国印度の名前の神秘にまたしても絶句。

付記
ヒトラーという名前も、印度(少なくとも南印)では独特な使われ方をしている。こちらは名前ではなく綽名。ガミガミと口うるさく高圧的で若者の自由を拘束するような年長者に対しての陰口で使われる。これまで何本の映画でこの綽名を聞いただろうか。極めつけは Hitler (Malayalam - 1996) Dir. Siddique と Hitler (Telugu - 1997) Dir. Muthyala Subbayya の2本(オリジナル・リメイク関係にあり、後者はチランジーヴィが主演)。ここでのヒトラーは、4人の年頃の妹の貞操を守ろうと過保護化・厳格化してしまった長兄を揶揄して使われているのだ。いやまったく。

投稿者 Periplo : 00:52 : カテゴリー バブルねたtelugu
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2010年07月24日

楽しいイコノロジー

みっ、美輪先生、こんなとこで何を!?

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他愛のないことなんだけど、こう綺麗に符合してると嬉しくなる。

 ダーラースラム、ダイヴァナーヤキー・アンマン寺院の正面にあたるムカ・マングバの最東部は張り出しを持ち、その基壇部には3つのパネルがはめ込まれている。いずれも奏楽者をともなう踊り子を描いた舞踊図で、その中央に位置するパネルには大きく腰をひねって夥部を正面に向ける踊り子の姿が表わされている。このような踊りの型は、無数の踊り子像を残すチョーラ朝後期の寺院でも異例である。何よりもこの舞踊像で特異なのは、このグンサーが口髭と同時に豊かな胸をもっている、つまり両性具有だということである。そして、この踊り子像もまた『マハーバーラタ』に登場する人物、それもアルジュナに同定できる。かつて神々の武器を手に入れるため天上界で時を過ごしたアルジュナは、天上の楽士ガンダルヴァの長チットラセーナから踊りと音楽を習った。アルジュナが地上に帰ろうとしたとき、チットラセーナは魅惑的な天女ウルヴァシーを使い、かれを天上界に留めようと試みた。ある夜、その豊満な体でウルヴァシーはアルジュナを誘惑したが、アルジュナはウルヴァシーを相手にしなかった。それに立腹したウルヴァシーはアルジュナに対し、男としての性を失い、女たちの間で踊りをみせる者になるよう呪った。はたしてウルヴァシーの呪い通りアルジュナはある期間、男性としての性的能力を失い、折しもその時、ヴィラータ王の宮殿でアルジュナは踊りと歌の教師となった。口髭と豊かな胸を携えて踊るアルジュナ像が、腰をひねり脊部を正面にみせるのと同様、ヴィラータ王に謁見するアルジュナを描いた浮彫彫刻の中に、合掌するアルジュナが下半身の裏側をみせるという異様な身体表現をみることができる。これらの姿に共通する捻れた腰と下半身の裏面、それは不能の生殖器を隠す、つまり性的能力が喪失したことを暗示すると考えられよう。
 両性具有の踊り手として描かれるアルジュナは上にみた例に限らず、チョーラ朝後期の多くの寺院、時に寺院内の重要な箇所にその要をみせている。『マハーバーラタ』でもとくに重要な人物として登場し、さらにその勇姿が称えられるアルジュナが寺院のあちらこちらで姿をみせるのは不思議なことではない。しかしここで問題となるのは、男性性を失った人物としてアルジュナが頻繁に表現されることである。(袋井由布子著 『インド、チョーラ朝の美術』 [2007年、東信堂]P.91-92より、掲載図版への参照を示す注釈のみ割愛。なお、文中で述べられている彫刻作品のイメージは同じ著者によるネット上の別の小論文を掲載したページで見ることができる。)

タミル・ナードゥ州中部タンジャーヴール郡の有名寺院遺跡、そのなかの特定の彫刻に関する詳細な解説。チョーラ朝は、9世紀半ばから13世紀後半まで、タンジャーヴール地方を中心として、今日のタミル・ナードゥ州・ケララ州全域、アーンドラ・プラデーシュ州沿海地方までを版図として栄えた王朝。

cvNartansala.JPGNTR出演作ソングシーンの中で最も耽美的な逸品♪Salalitha Raaga Sudhaa については以前から YouTube 上で愛好していたのだが、何となくそれ以上追求せずに放ってあったのだった。だけんど気が付いたらDVDを既に持ってたので再生機に放り込んでみたら、左のKAD製のディスクは吉例によりコトリともせず。いまどき最高にベタなテルグ・コメディ映画だってここまでしつこく同じパターン繰り返しゃしないぜ!そうなったら却って意地になっちゃって、新しく取り寄せ。同じものを再度注文したつもりだったのに今回手元に届いたのは右のShalimar製(Manisha レーベル)。あまり信頼感が持てる版元じゃないよな。予感は半分ぐらい当たって、途中何度か停まったりモザイク状になったりしたものの、何とか最後まで見通すことが出来た。

あ、それと上にリンクした動画中で「普通に見ればこの人のほうがダンスの先生でしょう」という女性ダンサーは、「ヘレン・オブ・ザ・サウス」のLヴィジャヤラクシュミ

Narthanasala (Telugu - 1963) Dir. Kamalakara Kameshwara Rao

Cast:N T Rama Rao, Savitri, S V Ranga Rao, Mikkilineni, Mukkamala, Rajanala, Prabhakar Reddy, Kaikala Satyanarayana, L Vijayalakshmi, Shoban Babu, Dandamudi Rajagopal, Sandhya, Dhulipala, Suryakantham, Kanchanamala, Kanta Rao, Vangara, Sitaram, C Lakshmi Rajyam, Relangi Venkatramaiah, Allu Ramalingaiah

タイトルの意味:The dance pavilion
タイトルのゆれ:Nartansala, Narthansala, Narthanshala, Nartanshala

DVDの版元:Shalimar
DVDの字幕:英語
DVDの障害:一部再生困難
DVD入手先:Bhavani など

【テキトーな粗筋】
パーンダヴァ5兄弟の三男アルジュナ(N T Rama Rao)は、誰もが認める勇士・男の中の男だった。あるとき、富み栄えるインドラプラスタの王である長兄ユディシュティラは、カウラヴァ族の姦計にひっかかり、いかさまサイコロ賭博で全てを失ってしまう。彼に課せられた罰は、妻・兄弟とともに12年間を森で隠棲し、続く1年間は人中にありながらその正体を誰にも悟られることなく過ごすというものだった。最後の1年の間にもし正体が明かされてしまえば、彼らは再び12年の森の暮らしを始めなければならなくなる。

12年間の隠遁期間中、アルジュナは天界のインドラ神の宮廷に赴き、神々から武器を授かり、また各種の技芸を習得する。その際に天女ウルヴァシーはアルジュナを誘惑するが、アルジュナが取り合わなかったために、去勢された男として女たちの間で歌い踊りながら生涯を過ごすことになるべしと呪いをかけた。インドラ神のとりなしによって、この呪いは1年間に短縮され、しかもその時期はアルジュナが自分の意思で選べるものとなった。

12 年の歳月が過ぎたのち、パーンダヴァ兄弟は再び集まり、最後の1年間の身の処し方を相談する。彼らは揃って身分を偽りマツヤ国のヴィラータ王のもとに赴くことにする。ユディシュティラは王の顧問役、ビーマは料理人、アルジュナは王女ウッタラ(L Vijayalakshmi)のダンス教師、ナクラは馬丁、サハデーヴァは牛飼い、そして5王子の共通の妻であるドラウパディー(Savitri)は王妃の侍女として仕えることになる。

パーンダヴァを永久に追放状態にしておきたいカウラヴァは5兄弟を探し出して身分を暴こうと試みるが、彼らはなんとかやり過ごす。しかし王妃の弟で実力者のキーチャカ(S V Ranga Rao)がドラウパディーに懸想し、しつこく言い寄ってくるようになる。一方アルジュナとスバドラーの間に生まれたアビマニユ(Shoban Babu)は父を探してヴィラータ王の宮廷に迷い込み、そこで出会った王女ウッタラに一目惚れする。(粗筋了)

【テキトーなコメント】
えーと、このストーリーは『マハーバーラタ』のいわゆる正伝にあるものそのまま。5人兄弟が1人の妻を共有したり(でもそれぞれ別々に副妻を持ったりもしてる)、武人がオカマ(英文の eunuch をどう訳すべきか。個人的には「宦官」がしっくり来るのだが、あるいは両性具有者だろうか。参照すべきこの本は品切れ絶版状態で古本もプレミアが付いてしまって手が届かない泣)になったり、楽しすぎ。神話の常ではあるが、根本聖典のひとつの中に今日の父権主義的・ピューリタン的な宗教的慣行とは相容れない要素が神々や英雄の事跡として続々と出てきて、しかもそれが大衆に向けた映画の中でも丁寧になぞられているというのが感動的。

ちなみにこのストーリーはケララでは若干の改変が加えられてUttara Swayamvaram (ウッタラの婿選び)というタイトルでカタカリの演目になっているようだ。で、それが内容的には全く無関係のソーシャル映画の題名に使われてたりするんだあ。

脱線から戻って。12年の隠棲期の終わりに5兄弟+ドラウパディーがヴィラータ王の宮廷での身の処し方を決める場面、各人がこれまでの王族としてのきらびやかな衣装から一瞬にして下僕の身なりに変身するのだが、アルジュナを演じるNTRが、衣装が変わった瞬間にきゅいっと腰を捻る。そしてその後捻った姿勢であり続ける、これがあまりにも鮮やかに面白いんだ。

印度神話映画のセットや衣装のヴィジュアルなソースには非常に難しいものがある。西欧人がギリシア神話だの古典悲劇だのを映画化するなら、豊富な古代ギリシアの遺物が参照できる。しかし印度四千年となるとそうはいかない。印度映画の通史を読むと、第一のソースとして必ず挙げられるのがケララ出身のラージャー・ラヴィ・ヴァルマーの手になる神話画。しかしそれじゃあ画伯のイメージの源泉はどこにあったのだろう?サイレントの初期には、インド各地の藩王国で映画に関心を示した貴紳たち(特にジャイプルのマハラジャやハイダラーバードのニザームなど)が、自領地や時には自分の住まう宮殿での撮影を許可した事もあったという(この本のP.47にあり)。それら宮殿はおそらく印度・西欧のスタイルがごった煮になったものだったろうと想像される。それから当然ながらハリウッドのオリエンタリズム映画やパールシー劇団の衣装・大道具なんかからも影響があったろうね。そういう混沌の中にありながら一方で、既にサイレント期から着衣による地域性は意識されていて、同じ映画のヒンディー語地域向けとマラーティー語地域向けとでは衣装を変えて撮影されていたという(この本のP.30にあり)。

不安定な柳腰が去勢を象徴する。このイマジネーションはチョーラ朝彫刻からダイレクトに来たものなのか、それとも同時代の世間一般に広まっていたなんらかの視覚的慣用句をなぞったものなのか。そしてこれが監督の演出だったのか、NTR自身の創意による役作りだったのか、あるいは先行する演劇などで既に確立された「マニエリスム」だったのか、知る術もないのだが。

まあ、結局言いたいのは、こんなヤオイやっときながら州首相って凄杉NTR、ってことだったりして。

投稿者 Periplo : 02:50 : カテゴリー バブルねたtelugu
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2010年07月20日

資料系アップデート1007

cvHistoryLens.jpgHistory through the lens - Perspectives on South Indian Cinema

編者:S Theodore Baskaran
版元:Orient BlackSwan
発行:2009年(初版)
版型:A5版
頁数:140
定価:Rs.265

タミル映画史の研究家として有名なセオドア・バスカラン(テヤドールって書いたほうがタミルっぽいかな)のエッセイ集。通史とかそういったものではなく、初期のタミル映画の研究を巡る問題点が8つのトピックに分けて書かれている。比較的平易な英語、助かる。

タミル映画史とは言うけれど、最初のタミル映画から100年も経っていない(タミル俳優組合の公式見解では1931年のトーキー Kalidas が初のタミル映画、したがって2007年がタミル映画75周年ということだった。しかしここなどにあるように、サイレント時代にも「タミル映画」は存在していたという説もある)。にもかかわらず、最初期のタミル映画に関するリサーチはさながら考古学の様相を呈しているのだという。タミル映画でそれじゃあ、他の南印3言語圏はどうなっちゃうんじゃああ、といささか暗澹たる気分。

実際のところ、英語のネット情報と書籍を主な情報源としている者にとって、それなりに信頼できるサウス映画情報を提供してくれるのは、タミル語圏の民間リサーチャーが中心、というのが現状。このバスカラン氏、それにランドール・ガイ氏(この人はブログもやってる、しかしこの読みにくさ、なんとかならないか)なんてあたりが筆頭か。アカデミズムの人たちもぼつぼつ出てきてはいるようだけれども、学術研究としてのタミル/サウス映画史はまだ端緒についたばかり、というのは本書でも述べられているところ。他の3地域では、現地語で活発な評論・研究活動を行ってる人がもしかしたらいるのかもしれないけれど、見えてこない。文責を明らかにした個人愛好家による同時代映画レビューですらそう多くは見つからないもんね。そういう状況の中で、極東の印映ファンが手探りであーでもないこーでもないと書き連ねることの意義にすら考えが及んでしまうのだ。

そんなもやもやした想念を掻き立てるこの本、お勧め作品とかを示唆してくれるものでは全くないけれど、始まったばかりの南インド映画史研究の現状を知るためのものとして貴重。

投稿者 Periplo : 02:13 : カテゴリー バブルねたtamil
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2010年07月19日

レビュー:Maro Charithra

不滅の愛の名作、とされている。しかし色々な意味で謎も多い。

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本作でデビューしたサリターのなんともいじらしい逸話。

I cannot forget my first shot before the camera. It was in `Maro Charithra' and I was in the company of K. Balachander and Kamal Hassan at Vizag. I was to take Kamal Haasan's hand and kiss it and say `Emi thappa' and he would say `No.' The first shot did not click at all. Even after several `takes' it did not work out and some people wanted the actress changed. But director K. Balachander insisted that I do it. He cancelled the shooting and asked us to come the next day. He sent director Ananthu to my room in the evening and told me the full story. Ananthu said it was a love story and suddenly asked me "Do you like Kamal Haasan?"

"Yes, I like him very much," I said. "Then it should be seen on your face. That is acting," Ananthu told me.

The next day I did an emotive scene, just before the climax. I did it very well and later in the day K. Balachander came to my room and gave me five 5 star chocolates. Only then did I realise that I had passed a crucial test.(サリターによる回顧、2006年の The Hindu 記事 Saritha back with a bang on small screen より)

タミルTVソープの女王、そして巨体を生かした怪演で多くの映画を彩る性格俳優でもあるサリター、おそらくこの時はまだ10代だったのではないか。日本では Thanneer Thanneer 邦題『お水よお水』 (Tamil - 1981) Dir. K Balachander が映画祭公開されている。

Slipping into reminiscent mode, she continues, "I was the 162nd girl he had auditioned for a film. I did not even look nice in the black-and-white pictures that were sent to him. But I was informed that I had done well in the interview."

Remembering the first day of the shoot, Saritha says, "It was a harrowing experience. I kept on giggling. In fact, they even wanted to pack me off. But later, I was briefed about my role, and promised chocolates. Luckily, I performed well and earned my chocolates too." (The Hindu による2005年の別のインタビュー Second time also lucky より)

長らくSEAの字幕なしDVD(下左)しかなかったものが、最近になって Moser Baer から Platinum Series と銘打って再発売(下右)され、字幕が新たに加えられたので紹介しておきたい。

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Maro Charithra (Telugu - 1979) Dir. K Balachander

Cast:Kamal Haasan, Saritha, Madhavi, Jayavijaya, Shyamala, Saroja, Ramana Murthy, P L Narayana, Adams, Krishna Chaitanya, Bhaskara Raju, Janardhana Rao, Meera Rani

タイトルの意味:another life, another history
タイトルのゆれ:Marocharithra, Maro Charitra

DVDの版元:Moser Baer
DVDの字幕:英語
DVDの障害:現在のところ特になし
DVD入手先:Bhavani など。

【ネタバレ度30%の粗筋】
アーンドラ・プラデーシュ州沿海地方の都市ヴァイザグの郊外、隣り合っていながら仲の悪い二軒の家があった。片方のヴェーンカテーシュワラ・ラオの家には年頃の娘スワプナ(Saritha)がおり、地元のカレッジに通っていた。もう片方には数年前に転居してきたタミル・ブラーミンのカンナッパの一家が住まい、隣家との間で主として習慣の違いから来る揉め事を繰り返していた。ある日カンナッパのもとに長男のバール(Kamal Haasan)がマドラスから戻ってくる。職場での諍いで衝動的に離職してしまった彼は、テルグ語がわからないためヴァイザグでは無為の日々を過ごさざる得ない。バールとスワプナは顔見知りになるが、片言の英語でしか意思疎通できない。しかし付き合いが深まるにつれ、お互いの言葉を学びあうようになり、やがて二人は離れては生きられないことを悟る。それを知った両家の親達はカップルを引き離しにかかる。果てしない言い争いの末に、二人が一年間お互いに会わず音信も絶つことを耐え抜いたなら結婚を認める、という条件が課される。(粗筋了)

色々な意味で謎、と上に書いたけど、やっぱりね、基本的にはタミル映画人であるKバーラチャンダルが、タミル人俳優をヒーロー&ヒロインに据えてテルグ映画を作ったというところに驚くわけよ。このストーリーはタミルを舞台にしては成立し得なかったということなのかな。これは色々調べてみても謎のまま。ちなみに本作は吹き替えなしでそのままマドラスでも封切られ、好評を博したという。さらにキャストを入れ替えて Ek Duje Ke Liye (Hindi - 1981) Dir. K Balachander としてリメイクもされた。

それから1979年封切作品である本作がモノクロであるという点。カラー化という観点からすると、ヒンディー映画(1937年の Kisan Kanya が初、ただし一般化したのは1950年代末から)、タミル映画(1955年の Alibabhavum Narpathu Thirudargalum が初)と比べてテルグ映画は随分遅れていた。初のカラー作品はNTR主演の神話もの Lavakusa (Telugu - 1963) Dir. C Pullaiah & C S Rao、ソーシャル映画での初カラーは Tene Manasulu (Telugu - 1965) Dir. Adurthi Subba Rao だったという。そうは言っても本作は70年代末のもの。モノクロ撮影は意識的な選択だったと思えるのだが、この選択はなぜなのか。

急いで付け加えておくと、今日の目で実際に観てみると、本作がモノクロで撮影されたことには、いかなる意味でもハンディキャップは感じられない。予算が足りず已む無くモノクロ作品になったとは決して思えないのだ。ヴァイザグで初めて本格的なロケが行われた本作、その風景がモノクロ画面の中で非常に表現主義的な力強さを持っている。いくら郊外とはいえ沿海アーンドラ地方第一の都市であるとはとても信じられない、寂しさと荒々しさが同居する景観はその後の映画史の中でのこの街のイメージを決定づけたもののようにも思える。

一般にサウス映画で、カメラを屋外に出してのフル外光撮影のパイオニアはバーラティラージャー監督とされている。16 Vayathinile (Tamil - 1977) Dir. Bharatiraja に始まる一連のヴィレッジ・フィルムの流れだ。しかしそれとほぼ時を同じくして同じタミル映画人がオール屋外ロケで、しかし「田舎映画」とは違うテイストの作品を、ヴァイザグという特徴的なロケールを背景に制作したということの意義は大きいように思う。1950-60年代の作品では、屋外シーンですら書き割りのセットを作成して撮影される事が少なくなかった。理由は幾つか考えられるが、一つには屋外での撮影時に露出を適正にコントロールする技術が未熟だったということにあるのではないかと思っている。しかし本作の屋外景観の描写では、完璧といっていい程に光の配分が計算されている。まあこの屋外撮影に関してはそのうち別にエントリーを立てて書くことにしよう。

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なんのかんのと理屈を捏ねてみたけれど、結局本作の最大のアトラクションは初々しいサリターに尽きる。どこかのインタビューで「美人に生まれつかなかったことが却って幸いしたと思う」などと哲学的なことを口走っていたサリターだが、どうして、この愛らしさを見よ!そして♪Bhale Bhale Mogadi♪Kalisi Unte といったカッ飛んだラテン歌謡とハイパーモダンなファッションの数々も凄いよ。

有名な「バーラチャンダルの入り江」ってのはヴァイザグにあったのかね。
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投稿者 Periplo : 00:29 : カテゴリー バブルねたtelugu so many cups of chai
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2010年07月17日

ディスク情報1007-1

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やっぱりどうしても気になって、またしても二重買い。

Mayabazar (Telugu - 1957) Dir. K V Reddy

DVDの版元:Universal
DVDの字幕:なし
DVDの障害:部分的に再生できず
DVD入手先:Bhavani など

前回のポストで紹介したカラー版がそれは見事なものだったので、やっぱりモノクロのオリジナル版も見たくて堪らなくなってしまったのだった。しかし前回書いたように、Shalimar 社から出てる従来版DVD(上左カバー)は全く使いものにならない腐れディスク。ところがカラー版をゲットした後しばらくして新旧二枚組セットというのが出回り始めたのだ。これはもうダブりとか外国向け価格設定とか言ってる場合じゃないね、ってんで早速発注。

で、届いたのが上右の Universal 版二枚組セット。カラー版のディスクはシングルで売られているものと全く同じ。ただし、実際に同じ再生機で試してみたら、若干の障害あり。やはり同じ版元の同じロットの製品でも個体差があるようなのだ。なんてこったい!

問題のモノクロ版はと言うと、ディスク盤面に印刷されているイラストが、かつてのシャリマー版の装丁に使われてたのと同じもの。凄く嫌な予感。しかし再生機はひとまず読み取りしてくれて一安心。と思いきや、1時間20分過ぎになって、突然「ぐぎぎ」という音と共に停止。「ぐぎぎ」って、デジタル機器の出す音じゃねえよな。

一旦止まってしまったら、再度セットし直しても、もうディスクとしての認識が不能な状態になってたのだった(泣)。しかしここで諦めてはいけない。慌てず騒がずPCでディスクのデータを吸い上げにかかる。PCのディスクドライバはなんとかこれを認識してくれた。非科学的かもしれないが、この作業は早ければ早いほど成功率が高い。1年間放置した後にやるよりも、すぐにサルベージした方が良い、というのが経験から導き出された法則。

言うまでもないが、焼きの甘いディスクを鑑賞するためにデータを吸い出して複製するのは合法。これ自体非常に奥の深い世界に入ってしまうことになるようなのだが、良い機会なのでここで信頼できるリッピング基本情報を提供してくれている BackupStreet さん、それから各種ソフトの玄関口としてお手軽なリッピング天国さんを紹介しておく。

で、肝心のコンテンツであるが、DVDのランタイムは176分だった。162分のカラー版よりも14分長いが、公開当初のものは192分だったというから、それでも16分ほどカットされていることになる。その異同をムキになって調べるつもりでいたが、ウィキペディアのエントリーに詳細な一覧があることがわかり省略。この12個にのぼる削除項目の中には、モノクロ版DVDでも既に失われているものがいくつかあるようだ。

カットされたシーン中で最も魅力的なのは、スバドラーとアビマンニュを迎え入れたガトートカチャが催す宴でのダンスシーン、♪Mohini Bhasmasura Natakamu。ここで見ることができる。シヴァ神が不用意に恩寵を与えたために手がつけられなくなった羅刹のバスマスラを、美女モーヒニに化身したヴィシュヌ神が退治するというエピソードを舞踊劇化したもの。本筋には全く関係しない独立性の高いシーンなので、カットされた訳もわかるが、やはり勿体ない。モーヒニ役で華麗に舞う踊り手の名前は不明。

他に幾つか書いておきたいネタ。

Encyclopaedia of Indian Cinema (P.350) によれば、NTRがそのキャリアの前期における最大の当たり役となったクリシュナ神を初めて演じたのが本作であるという。これは意外だった。
■前のポストで「レチタティーヴォ的なもの」と書いた、朗誦に近いスタイルの歌謡だが、テルグ語ではこれを padyam または padyalu(第一義としては「詩」なのだが)と称するようだ。これは今でも芸能の一種として残っているようで、素人さんの隠し芸からイッちゃってる玄人芸まで色々見つかる。
■名曲の多い本作中でもとりわけ愛されていると言われるのが ♪Vivaha Bhojanambu 。確かにこのアーンドラ料理礼賛ソングを一度でも見れば納得させられる。その直前のシーンで、これがなきゃあ宴会料理とは言えないぜ、と言及されている漬け物ゴーングーラについても調べてみた。こんなもんだそうだ。日本での入手に関する情報はこちらなど。このへんの食材や料理、微妙にキャストを替えて製作されたタミル版ではどうなってたんだろね。

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とりあえず今回の結語。

フツーに楽しむのなら、カラー版のシングルDVDで十分かと思う。しかし後からやっぱりデュアル・バージョンを買いたくなったとしても責任はとれんよ。

投稿者 Periplo : 22:40 : カテゴリー バブルねたtelugu
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