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2010年08月31日

尋ね人の時間1008

あー、またこんなイメージのっけちゃって…。久しぶりに降参なので助け舟要請。

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Chithrashalabhangalude Veedu (Malayalam - 2008) Dir. Krishna Kumar より

いやー、なんというか夢に見そうな顔だ。禿頭にデイジーの目鼻立ち、つるつる玉の肌、それにヒゲ。キャプチャ写真では不気味なイメージがなかなか伝わらないかもしれないが。

最近のB・C級マラヤーラム映画でコメディアンとして出演したのを2,3回目撃しているのだがどうしても名前が分からない。おそらくは舞台のコメディアンとしてのキャリアを積んだ人物と思われる。

タミル映画ではちょっと目を離すと知らない兄ちゃん姉ちゃんが沢山出てきてクラクラするのだが、マラヤーラム映画だとオッちゃんオバちゃんの新人てのが少なくないのだ。誰か名前知ってたらおせーて。

投稿者 Periplo : 20:50 : カテゴリー brown dwarf galaxy
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2010年08月21日

ディスク情報1008-4

Thoovanathumbikal (Malayalam - 1987) と Kariyilakkattupole (Malayalam - 1986) に続いて字幕付きで見られるパドマラージャン監督作品が見つかった、これは大事件(情報提供:花隈會舘さん多謝)。他では妥協したとしてもパドマラージャン作品だけはやはり字幕付きで観る方が絶対にいいと思うのだ。

cvNamukkuParkkan.jpgNamukku Parkkan Munthirithoppukal (Malayalam - 1986) Dir. P Padmarajan

Cast:Mohanlal, Shari, Vineeth, Thilakan, Kaviyoor Ponnamma, Omana

タイトルの意味:Wineyards for us to dwell in
タイトルのゆれ:Namukku Parkkan Munthiri Thoppukal, Namukku Parkan Mundiritooppukal

VCDの版元:Harmony
VCDの字幕:英語・アラビア語
VCDの障害:現在のところ特になし
VCD入手先:RealCinemas など

【ネタバレ度20%の粗筋】
マイソールに定住するケララ・シリアン・クリスチャンであるソロモン(Mohanlal)は、トラック運転手としての数年間の風来坊暮しを終えて、母(Kaviyoor Ponnamma)と従弟アントニー(Vineeth)の暮らす家に戻ってくる。これからは亡父が残した山間部の葡萄園の経営に真面目に取り組むつもりだ。帰宅後程なく、彼は自分が不在にしていた間に隣家に住むようになっていた姉妹に目を留める。鉄道職員ポール・パイロッカラン(Thilakan)と看護婦ロージーの夫妻の娘、ソフィア(Shari)とエリザベスの2人の姉妹のうち、甲斐甲斐しく働く姉のソフィアに彼は惹かれるようになる。しかしなぜかソフィアには不幸の影がまとわりついていることに彼は気付く。(粗筋了)

【とりとめのない感想】
久しぶりに贅沢な映画体験だった。これまでに見てきたシリアン・クリスチャン映画というのは、なんでかしらんが家族内のドロドロ&敵対する名家同士の泥仕合を扱ったものが多くて、俳優が無闇に吼えまくってる、という固定観念があった。本作のストーリーも奇麗事では全くないのだが、なんか「ステージが違う」んだよね。煎じ詰めればメロドラマチックなラブストーリー、ただしそこに醸されるリリシズムの質が凡百の恋愛映画とは一線を画している。登場人物はたったの10人、語りの場は家と墓地と農園の3箇所のみ、ミニマリズムの設定の中で、聖書の物語のようなシンプルなナラティヴが詩情豊かに展開する。マジカルとしか言いようがない。

そのマジックの幾ばくかの部分は、マイソール、および高地の農園(どうやらバンガロール近郊のナンディ渓谷あたりをモデルとしているようだ)という、ケララの平地部とは全く異なるロケーションに負っているのかもしれない。葡萄園というのもマラヤーラム映画では見ることの少ないエキゾチックな道具立てだ。しかしこれは飾りではなく、リリシズムの中核をなしていて、劇中では旧約聖書の雅歌の一節の引用が効果的に絡められる。

なにぶん古い作品なので、ヴェーヌというカメラマンについては情報がない。VCDの解像度には限りがあるし、元になったプリントも劣化したものだったろう。それでも想像力によって補えるものはある。たとえば前半の、主要登場人物が庭でバドミントンをするシーンでの纏わりつく光と影の描写には、ビクトル・エリセの映像世界を思い起こさせるせるものがあった。映画館の大画面でとまでは言わないが、せめてリマスターしたMPEG2で見ることができたらと切に思うのだが。

演技陣についてはわざわざ冗言を費やす気にはなれないが、やはりモーハンラールとティラカンが傑出している。クオリティの高いロマンス映画としてもちろん推奨。さらに、単なる目先の変わった設定というのではなく、クリスチャニティが本質に据えられているクリスチャン映画というのを観てみたければ、本作は大変にお勧めなのだった。

NamukkuParkkan1.jpgNamukkuParkkan2.jpg
NamukkuParkkan3.jpgNamukkuParkkan4.jpg

投稿者 Periplo : 23:57 : カテゴリー so many cups of chai Mohanlal Discography
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2010年08月20日

ディスク情報1008-3

モーハンラール・ディスコグラフィーに一点追加、2009年公開の6本の中では一番のヒット作だったという。アート系・オフビート系で気を吐くことはあっても、コマーシャルな部分ではどうもこのところ低空飛行だった(今も続いてるみたいだ)ラルさんにとっちゃあ、貴重な一作となったことだろうね。

cvEvidamSwargamanu.jpgEvidam Swargamanu (Malayalam - 2009) Dir. Rosshan Andrrews

Cast:Mohanlal, Laxmi Rai, Priyanka Nair, Lalu Alex, Jagathy Sreekumar, Innocent, Pala Charlie, Edavela Babu, Sreenivasan, Laxmi Gopalaswamy, Shankar, Thilakan, Kaviyoor Ponnamma, Sukumari, Maniyan Pillai Raju, Kulappulli Leela, Babu Namboothiri , Anoop Chandran, T P Madhavan

タイトルの意味:It's Heaven Here
タイトルのゆれ:Ividam Swargamanu, Ividum Swargam Aanu, Evidum Swargam Aanu

DVDの版元:Central
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特定のドライブで再生できず
DVD入手先:RealCinemas など

【ネタバレ度30%の粗筋】
中部ケララ、ペリヤール川沿いの田園地帯コーダナードで農園を経営するマチュース(Mohanlal)は、バイオ農法など革新的な試みにも力を注ぐ、意識の高いインテリ・ファーマーだった。父ジェレミア(Thilakan)が棄農の危機にまで追い詰められたのを幼い時分に見てきた彼にとって、農園の存続は単なる生計の手段を超えた情熱だった。マチュースは農園経営に心血を注ぐあまりに中年になっても独身のままだった。パートナーを求める彼は政府系金融機関に勤めるマリア(Laxmi Gopalaswamy)との見合いに臨むが、農作業に嫌悪感を隠さない彼女と喧嘩別れしてしまう。同じ頃、村にはローカルTVチャンネルの取材がやってくる。ニュース・アンカーのベッツィ(Priyanka Nair)はマチュースの農園の様々な試みに大いに関心を示す。しかし、村がTVで紹介されたことにより、一帯で根を張る不動産マフィアのアールワ・チャンディ(Lalu Alex)に目をつけられる。彼は村の町昇格(township)と観光開発を釣り餌に、次々と村人から土地を買収していく。しかし本当のところは彼の首根っこを掴んでいるムンバイのマフィアに用地を丸ごと献上する心積もりだった。マチュースはチャンディと真っ向から対決するが、チャンディの差し金で偽造された父名義・未返済の公的資金借用証(多額の利息がついている)によって窮地に陥る。彼は弁護士のスニタ(Laxmi Rai)に助けを求めるが決定的な打開策は見つからない。(粗筋了)

【寸評】
個人的には、モーハンラール出演作という以上に、ローシャン・アンドリュースの第三作目ということでかなり期待が高かった。多作家とはいえないアンドリュース監督は Udayananu Tharam (Malayalam - 2005)、Notebook (Malayalam - 2006)、とかなりハイレベルな仕事をしてきている。過去作品でもストーリーが借り物という批判はあったが、語り口の上手さ、ローカライズの巧みさという点で、それは相殺しても構わないもののように思える。今作でもプロットの一部に Khosla Ka Ghosla (Hindi - 2006) Dir. Dibakar Banerjee との類似が指摘されてはいるが、まんまパクリというのでもなさそうだ。また、成功したデビュー作と第二作が全く異なる雰囲気であるのも面白いところだ。まだ当網頁ではきちんと紹介したことがないが、Notebook は大変にスリリングなギャル映画、そのタイトルのせいで少し前に公開されてヒットした Classmates (Malayalam - 2006) Dir. Lal Jose の二番煎じのように思われてしまっているとしたら残念なことだ。

余談はさておき、本作の感想だが、長い!&話が分かりにくい!というのが正直なところ。ソングシーンなしでゴリッと2時間40分だ。どんなにヘボでも、ちゃかちゃかダンスを入れてくれないと年寄りは集中力が持たんわ。結局そのせいでストーリーが分からなかったんだわな。筆者には非常に珍しいことなのだが、どうやら途中目を開けたまま眠ってたらしいのだ。なので日を改めて後半部だけ改めて見直してみたら、やっとストーリーのあらましが理解できたという次第。台詞に多くを負っている作品なので、散漫に見てると置いてかれちゃうんだな。若干の法律用語も知っておいたほうがいいと思う。特に「アミカス・キュリエ(Amicus Curiae)」は重要。これは現地観客にも馴染みのないものらしく、劇中で何度か語義を説明するシーンが出てくるが、あまりスッキリとはしない。それでも本作のスタッフにとってはこれはどうしても外せない要素と考えられたようだ。何の資格があるのかもわからない超人的な正義の仕置き人が大暴れして悪を懲らす、という印度映画的なご都合主義は多分この先少なくなっていくんだろうな、少なくともマ映画では。

初見での印象はあまりパッとしたものではなかったが、良作のカテゴリーに入れていいものと思われる。総合的な評価としては、丁寧なキャラクター造形、考え抜かれたストーリー等々、マ映画の良いところが詰まった作品、これでもうちょっと軽快なテンポで進む話だったら言うこと無しだったと思う。

演技賞は公文書偽造屋のジャガティ・シュリークマール先生。単なる金儲けのための悪事を超えたオタク的な探究心とある種の職業倫理とを兼ね備えた魅力的なキャラを快演。

クライマックスのシーンはここで撮影されている。ただそれだけのことなのに、どうして鼻血が出るほど嬉しいのか、我ながら不思議。

個人的な感傷はさておき、皆さんにも等しく喜んでいただける(←と信じたい)のは、爽やかラクシュミ・ラーイちゃんの法服でしょうなあ。我がコレクション(ここを見てくんさい)もますます充実して笑いが止まりましぇん。

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投稿者 Periplo : 22:17 : カテゴリー Mohanlal Discography
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2010年08月14日

ディスク情報1008-2

しばらく前に紹介したシャーム・ベネガル作品、さほど間をおかずにDVD化されたので入手・鑑賞してみた。

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cvWellDoneAbba.jpgwell done abba (Hindi/Urdu - 2009) Dir. Shyam Benegal
※センサー認証は2009年と思われるが、インド国内での封切りは2010年に入ってから

Cast:Boman Irani, Minissha Lamba, Sammir Dattani, Ila Arun, Ravi Kishan, Sonali Kulkarni, Rajit Kapur, Ravi Jhankal, Yashpal Sharma, Rajendra Gupta, Rahul Singh, Salim Ghouse, Satish Sharma, Lalit Tiwari, Anaitha Nair, Anupam Shyam, Charan Saluja, Masood Akhtar, Ayesha Jaleel, Preeti Nigam, Meena Nathand, Akhil Mishra, Deepika Amin, Ashok Mishra, Ashok Kumar, Subbani, Jagadish Sharma

DVDの版元:Reliance Big Home Video
DVDの字幕:英語
DVDの障害:現在のところ特になし
DVD入手先:RealCinemas など
オフィシャル・サイト:http://welldoneabba.glamsham.com/

【ネタバレ度20%の粗筋】
ムンバイで実業家のお抱え運転手をやっている寡のアルマーン・アリ(Boman Irani)は、年頃の一人娘ムスカーン(Minissha Lamba)の縁談をまとめようと、一ヶ月の休暇をとって故郷であるAP州テランガーナの小村チカットパッリに帰郷する。娘はアルマーンの双子の弟であるラフマーン・アリ(Boman Irani)、そしてその妻と暮らしているはずだった。ところが帰ってみると弟夫妻は隣人の井戸から水を盗んで売っていることを咎められて出奔中だった。家にはラフマーンが借りた小金を取り戻そうとバイクメカニックのアリーフ・アリ(Sammir Dattani)がしつこくやって来ていた。アルマーンは水不足に悩む村の様子を見て、自宅前に井戸を掘ることを思いつく。井戸持ちになって家の威信を高めれば、娘にもより良い縁談が来るかもしれない。彼は早速政府の援助プログラムに申請を行うことにする。(粗筋了)

【長い寸評】
まさにウェル・ダンな良くできた作品。笑いと涙があり、マイノリティ文化への温かな眼差しがあり、地方官僚の腐敗への皮肉も200パーセント。世界の映画祭が求めてる映画だ。

まず本作がヒンディー映画かウルドゥー映画かという当初の疑問だが、これはウルドゥー語映画に間違いなし。筆者が両者の違いを峻別できるというのではもちろん全然ない。約20分のオマケのメイキング・ビデオ中で主要出演者がダキニ・ウルドゥーとの格闘についてそれぞれに語ってるからだ。The Hindu 記事 Well done Boman では、専任の方言指導の担当者以外に(ありがちな話だが)ロケ現場でのドライバーの話す言葉がお手本にされたと述べられている。また同記事によればロケ地はRFCではなくその近隣にある実際の小村だったという。さすが完壁主義のシャーム・ベネガル、背景にも言語にも可能な限りのオーセンティシティを求めたのだわな。

1934年にシカンダラーバードでバラモンの家に生まれたシャーム・ベネガルは、ハイダラーバードのニザーム・カレッジで学位を取得した後ボンベイに向かい、広告業界に身を投じた。そしてそれ以降は北印度の住人として暮らしている。正確な年代は不明だが、おそらくは1956年のAP州の成立の頃ぐらいまでをハイダラーバードで過ごしたのではないか。この時代のこの街の雰囲気について、自身で率直に書き記している文章がある。

それは私がまだカレッジの学生だった頃にまで遡る。1950年代半ばのアーンドラの小さな町の寺院でのポッティ・シュリーラームル(訳注:マドラス州からのアーンドラの分離独立を求めた運動の象徴的人物。こちら参照)の死に至る抗議の断食は、ハイダラーバードの街のありさま、さらには独立後のインドありかた、それぞれの変容を最も劇的に(印パ分離独立というものを除けば)推し進めた出来事で、その影響ははかりしれなかった。教育・雇用の機会、地方主義の強化、そして言語ショービニズムの台頭など、至るところにその影響が感じ取られた。州は形を変え、郡は分割され、道や地区の名前は変更され、なによりも今日に至るまで政治学の授業を白熱させる各種の運動が生まれた。ハイダラーバード州は三分割され、言語的境界に基づいて成立した隣接州に吸収された。
こうして、インド唯一の真に成功した多言語州であったハイダラーバード州は突然の終末を迎えたのである。
もちろん誇張の誹りは免れないだろう。しかし今日に至るまで根強く存在し続けている幾つかの物事もある。たとえば、テランガーナの独立論だ。1950年代にハイダラーバードがアーンドラ・プラデーシュの一部になるやいなや、ハイダラーバード州の先住者に割り当てられた雇用枠の法制化を求める議論(これをMulki運動と言う)が盛んになった。 その当時、外から来た人々(つまりアーンドラ人ということだが)は単なる渡り者でしかなく、ハイダラーバードの街に責任と権利を持つ存在とは考えられていなかった。この視野狭窄な考え方には広範な支持者がいたのだ。ハイダラーバードの封建的な文化のもとに暮らしてきた住人たちが、アーンドラ人の企業家精神とうまく付き合う術を持たなかったということにより、それは大いに助長された。アーンドラ人たちの積極果敢な流儀に合わせるのは、おっとりとしたハイダラーバード人にとってはどう転んでも無理なことだった。しかしハイダラーバード人にもおそらく一理はあったのだ。400年以上に渡って築き上げてきた文化は、新しい制度によって脅かされていただけでなく、実質的に消滅への道を辿り始めていたからである。(Shyam Benegal, The City I Knew [The Untold Charminar に所収], P.182-183より、勝手訳)

今日のAP州地域に生まれたシャーム・ベネガルが、なぜテルグ語映画から距離を置きながらテランガーナを舞台にしたヒンディー/ウルドゥー語映画(Ankurしかり)を時に撮るのか、これは長らくの疑問だったのだが、「ハイダラーバーディ」という言葉が指し示す集団の大変に重層的で奥深いイメージに思いを致すと、何となくは理解できるような気になるのだ。

新しい州は「アーンドラ・テランガーナ州」と呼ばれることになっていたが、ハイフンで繋がった結合語が嫌われ、コンパクトな響きを持つ「アーンドラ・プラデーシュ州」に後から変更された。1956年11月、アーンドラ・プラデーシュ州はそのほかの幾つかとともに新しい州として成立した。
ハイダラーバードはインドで五番目に大きな州の州都となった。暫定州都としてカルヌールを擁していたアーンドラ州はそのまま継続的に存在することになったが、ハイダラーバード州は三つに分割され、テルグ語地域が新AP州に吸収された(訳注:残りはカルナータカ州およびマハーラーシュトラ州に吸収された、こちら参照)。ハイダラーバードにはアーンドラ地域からの膨大な人口流入が起こった。アーンドラにはこのような都市は存在しなかった。舗装された広々とした街路、低層だが広大な邸宅、公園・庭園、穏やかな気候、優雅で礼節をわきまえた人々とそのもてなし、すべてがアーンドラの人々にとっては目新しいものだった。沿海地方の人々にはマドラス管区の辺地で幾世代にもわたって築き上げてきた富だけがあった。今やついに彼らは、マドラスよりも歴史があり、美しく、気候もよい、自らの首都を手に入れたのだった。(Narendra Luther, Hyderabad A Biography, P.335より、勝手訳)

ベネガルの作る映画のトポスの捩れ(ムンバイからやってきた俳優が方言を特訓して撮影にのぞみ、また出来上がった映画が主に北インドで公開される)は、実はAPで作られるテルグ語映画の捩れの鏡面像でもあるらしいのだ。

テランガーナ地域に位置する州都ハイダラーバードはそれまで(訳注:アーンドラ・ブラデーシュ州の誕生)テランガーナ外で生み出されたテルグ語文学や他の文化的産物の中で華々しく登場することはなかった。
(中略)
アーンドラ・ブラデーシュ州の成立は幾つかの新しい可能性を生み出し、一方で別の可能性を封じ込めた。州の成立以降、脚本家や作詞家、その他の部門のインテリ映画人たちの間で、 映画産業をマドラス(現チェンナイ)からハイダラーバードに移すべきだとする呼びかけがなされた。 それまでマドラスは全ての南インド語映画の製作・配給の中心であったし、「マドラス管区のテルグ人」にとっては感情的にも投資の面から言っても、この街につぎ込んだものは大きかった。移設派の議論の要点は、テルグ語の映画作りが「異邦の街」で続けられてよいものか、というところにあった。ある左翼系脚本家は「亡命中の映画界」とまで形容して嘆いた。ハイダラーバードに映画撮影のインフラを整備する事業は1956のサティヤ・スタジオの創設(1959年に完成)から始まった。移設に向けての運動が勢いを増したのを受け、州政府はテルグ語映画の賞やハイダラーバードでの制作への助成金制度、その他各種の優遇措置を構じていった。1960年代中盤には、NTR(1983年からAP州首相となった俳優・監督)のライバルだったANRに率いられた映画スターたちが、プロデューサーに対してハイダラーバードで撮影を行うべきだと主張して集団的な「帰郷」を推し進めようとする動きもあった。しかしながら、90年代の初頭まで、大多数のテルグ映画はよりよい制作環境をもつマドラスで作られ続けたのだった。
1960年代に真摯な試みとして始められたテルグ映画界のハイダラーバード移転は、80年代末にやっと完成をみたが、それは州政府による優遇政策の下での巨大な不動産投資によって実現したものだった。主だったスターたち、それに成功したプロデューサーたちは、彼らの「母なる地」への献身を、広大な土地を所有してそこにスタジオや劇場、それに邸宅を建てることによって誇示したのだった。映画産業関連のこれらの大規模な投資は、裕福な沿海アーンドラ地方の出身者がハイダラーバードやテランガーナの各地に対して行った巨大な資本投下の一部だった。ハイダラーバードの「征服」があまりに徹底していたので、1956年以前はテランガーナ地域のリンガ・フランカだったウルドゥー語で映画を作るという試みは全くなされなかった。
(中略)
1980年代末まで、「非標準的」で「地域的」なテルグ語(訳注:テランガーナ方言をここでは指す)は悪役性と下層性のどちらかを(あるいは両方を)表すものとしてのみ使用され、主人公によって口にされることはなかった。主題的にも設定的にも沿海アーンドラ地方以外の場所がテルグ映画のスクリーンに現れることはなかった。のどかな村落風景は注釈せずとも沿海アーンドラ地方のものであるとされた。たとえば、どこまでも広がる田圃の眺めは、これぞ「典型的にテルグ的」なものとされていた指標で、沿海地方の平野部を想起させるものだった。そして村人たちの話す「標準的」テルグ語がかぶされば、地域の特定に疑問の余地はなかった。都市が登場するのならそれは間違いなく、90年代初頭までテルグ映画が制作されていたチェンナイだった。こうした背景の中で、映画界一丸となった試みが始まった。それは映画をテルグ語を使用した文化的産物として提示するだけでなく、テルグ人にとっての「テルグ性」の重要な源泉として提示する、というものだった。(S V Srinivas, Cardboard monuments: City, language and 'nation' in contemporary Telugu cinema [Singapore Journal of Tropical Geography 29 (1)に所収], P.89-91より、勝手訳、出典を示す注釈は省略)

上記文章ではさらに、1990年代以降のテルグ映画の都市ものでは、舞台はチェンナイからハイダラーバードに変わったものの、そこで主人公が話す言葉は明らかに沿海アーンドラ地方の「標準語」で、演じる俳優もまた同地方出身者がほとんどであることが述べられている。

ここでハイダラーバードとその他のテランガーナ地域との間のギャップという事にも目を向けたらどうだろう。当然だが、400年の文化に育まれたコスモポリタン都市と、貧困と抑圧にあえぐ農村地方とでは、いくらかつて同じ藩王国に属していたからといってメンタリティに相違が現れてくることは想像に難くない。しかし今のところそれに光を当ててくれるような映画作品や文学作品にはお目にかかってはいない。いまいち食指が動かないけどRナーラーヤナ・ムールティでも観てみるべきかね。

最後に、以前のポストで書いた個人的観点からの最も重要なポイントについて。

「これもまた我が偏愛の収集アイテム、ハイダラーバード産ウルドゥー語映画の系譜に連なるのか、それともボリウッド映画のオフビートな1品ということになるのか」

答えは後者。ともかく、考え抜かれ緊密に織り上げられた隙のない作品なのだ。ローカルな雰囲気を再現しながらも、テーマとして前面に押し出されてくるのはユニバーサルな問題。鑑賞後にほんのりと幸せな気分になりながら、同時に知的な時間を過ごした充足感にも浸れる、まさに映画祭のための映画。腰が砕け、膝が笑い、涎が滴る、オイラが愛して止まないHDBウルドゥー語映画の極北のアホくささとは全く別物なのだった。

投稿者 Periplo : 14:13 : カテゴリー バブルねたhindi
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2010年08月11日

祝辞1008

まさに dusky beauty という形容詞がぴったりなシュウェちゃんことシュウェータ・メーノーン。
PelariSwetha1.jpg

シュウェちゃん、ケララ州映画賞に続き、フィルムフェア・サウス2010でもマラヤーラム映画部門で主演女優賞を受賞。Paleri Manikyam での演技(ただし吹き替えはズィーナトが担当した)に対して。

どうもその辺の実感が分からないのだが、お色系アイテムガールからフィルムフェア主演女優賞へというのは、やはり大変なことらしいのだ、インドでは。

The Times of India によるシュウェちゃん喜びの談話はこちら。この先もセクシーな役柄を拒むことはないとの力強い発言に安堵。

その他の受賞者リストはこちら。あー、プリヤン先生も受賞してんだね。ノミネーションも含めたリストはこちら

ともあれ、2000年代半ば頃の非アイテム系出演から始まり、今じゃマ映画一座の常連になりつつあるシュウェちゃん、これからもしょっちゅう見られそうだ。よかったよかった。

最新作 Penn Pattanam (Malayalam - 2010) Dir. V M Vinu もなんだか楽しそうだ。

投稿者 Periplo : 20:05 : カテゴリー バブルねたkerala
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2010年08月07日

ディスク情報1008-1

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正直な話、作品としては別にお勧めではない。しかしディスクで遡れる最古のテルグ映画であることは間違いないし、もしかしたらディスクで遡れる最古の南インドあるいはインド映画なのかもしれない(裏づけないけど)。そういう意味で貴重な一品。

Malapilla (Telugu - 1938) Dir. Gudavalli Ramabramham

Cast:Gali Venkateswara Rao, Kanchanamala, Govindarajula Subba Rao, Puvvula Suri Babu, Sundaramma, Valampati Venkata Subbayya, Raghavan, Hemalatha Devi, Gangaratnam, Teku Anasuya, Puvvula Anasuya, Bhanumathi, Puvvula Satyapraskasam, Narasimha Murthy, Seshayya, Basavayya Chowdury, Subbaraju, Ramarao, Satyanarayana, Pullayya, Janardhanam, Tiruvengalam Naidu, Vallabhaneni, Seetramanjaneyulu, Palaochana Rao

タイトルの意味:Untouchable girl
タイトルのゆれ:Mala Pilla, Maalapilla, Maala Pilla

DVDの版元:S V Entertainment
DVDの字幕:なし
DVDの障害:現在のところ特になし
DVD入手先:Bhavani など

DVDのランタイム:148分(インド映画百科事典の記載では175分)
ソング:DVDのソングメニュー上には7曲、ただし実際に観てみると、いわゆるパディヤム(ラップ)を含めてもっと多い印象。こちらの頁では14曲をカウントしている

【ネタバレ度100%の粗筋】
マドラス管区、ヴィジャヤワーダ地方(今日のアーンドラプラデーシュ州沿海部)のある村では、国民会議派主導のダリト(作中ではハリジャンと呼ばれる)権利運動が盛んになっていた。争点となっていたのは、村のヒンドゥー寺院へのダリトの入構、そして共同池の水をダリトが使用することのふたつだった。寺院の管理権を握るバラモンのスンダラーマ・シャーストリ(Govindarajula Subba Rao)は頑迷な守旧派で、村の会議派リーダー・チャウダライヤ(Puvvula Suri Babu)の説得にも応じようとはしなかった。そんな中で、シャルマの息子ナーガラージュー(Gali Venkateswara Rao)は、あろうことかダリトの娘シャンパーラタ(Kanchanamala)と恋に落ちてしまう。やがてその恋は世人の知るところとなり、両人の親が激怒したばかりでなく、既に不穏な雰囲気に包まれていた村全体が騒然となる。恋人たちはシャンパーラタの妹アナスーヤ(Sundaramma)を伴って カルカッタに逃れ、その地で結婚し、自由で文明的な生活を謳歌する。村ではバラモンとダリトの間でチャウダライヤを始めとする会議派メンバーが調停に苦労していた。チャウダライヤはコミュニティ間の共存の必要性をシャーストリに懸命に訴える一方、ダリトたちには彼らの守護神ポレランマ女神に対しての動物供犠や神前での飲酒・酩酊をやめるよう説得する。ある日シャーストリの家に火事が起き、火中に残された妻を二人のダリトが命がけで救い出す。これによってシャーストリの頑なな心が溶け、彼はダリトに対する寺院の開放を決意する。しかし村の他のバラモンたちは激しくそれに抵抗し、暴力沙汰に発展しかねない事態となるが、警察の介入によって彼らは排除される。寺院開放のニュースを新聞で読んだナーガラージューたちもカルカッタから戻り、両親の祝福を受ける。(粗筋了)

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初のトーキーである神話映画 Bhakta Prahlada (Telugu - 1931) Dir. H M Reddy から7年、テルグ映画界についに同時代を舞台にした社会改革志向の作品が生み出され始めた、ソーシャル創始期のヒット作かつ問題作。

これらの証言に照らせば、神話映画は他のどのジャンルよりも抜きん出てインドでは「ユニバーサル」なアピールを持っていたということが言えるだろう。言い換えると、神話映画は階級・カースト・性別・年齢といったものを横断して社会の様々なセクションの人々を惹きつけることに成功したのである。アーシシュ・ラージャーデャークシャ(1993)は、このジャンルの政治的な正当化を可能にしたのは土着性(スワデーシー)であったと指摘している。しかし、1930年代からはこの神話映画ジャンルに対する批判も盛り上がりを見せるようになる。30年代までに、スワデーシーという基準での政治的正当化は効力を失っていた。トーキーの出現によって他の全てのジャンルがスワデーシーの属性を獲得する事になったからである。同時に神話映画は、高い人気にもかかわらず、継続して存在し続ける意義を失ったようにも見えた。30年代以降、ジャーナリストやそのほかの観察者の間では、神話映画が滅びる時が来たという、ほぼ一致した見解があった。(S V Srinivas, Gandhian Nationalism and Melodrama in the 30’s Telugu Cinema P.7より、勝手訳)

テルグ語圏に限らずどこの言語圏でもサイレント期には神話映画が大人気だったのだが、輸入された欧米映画に対抗するものとしての題材の土着性の価値は次第に薄れてきていた。当時のインテリ言論人にとって、神話映画とは女・子供・文盲が喜ぶ見世物でしかなかった。同時代の出来事を題材にした啓蒙主義・改革主義的な作品が望ましい映画芸術のありかたとされたのだ。つまりこの時代、「ソーシャル映画」は本当にソーシャルだったんだわな。しかしそうは言っても真面目なソーシャル映画は必ずしも多数の観客を呼びこむものとは限らなかったらしい。そんな中でこの Malapilla は大ヒット作となったという。

テーマとなったのは不可触民の娘とバラモンの青年の恋愛ということだが、実際に見てみるとこれは全体のストーリー中でどうも説得力がないし、あっさりしすぎて紙芝居的。恋愛モチーフを丁寧に描写するというのは改革主義の映画にはそぐわないということだったのか。本筋となっているのは国民会議派活動家のチャウダライヤ(この名前はカンマ・カーストを示唆するものだという)の献身的活動によっていかに村がコミュナルな共存関係を築いていくかということ。それにしてもこの時代、Achhut Kanya [Untouchable girl] (Hindi - 1936) Dir. Franz Osten とか、Lakshmi-Harijan Penn [Lakshmi-untouchable girl] (Tamil - 1937) Dir. C V Raman とか、不可触民問題をとりあげたものが目立つ。そして必ずカップルの女性のほうが不可触民だということにも注目だ。さらに付け加えるならば、カースト問題を扱いながらもカーストの撲滅という発想は一切ない、あるのは異カースト間の協和だ。それから、会議派のスローガン中にも対英独立の直接的なアジテーションはないものと思われる(当たり前だが)。

歴史的に見た場合、これら第一世代ヒーローたち(訳注:MGR、NTR、ラージクマールなど)の出現は、それに先行する時代の映画が女優をアトラクションの中心に据えていたのこととの対比で特別に意義深いものがある。(中略)出演者と言った時にどちら(訳注:男優か女優か)が最初に来ていたかについては疑いがない。「ヒーロー」の不足が嘆かれながらも、女優を第一とする事に問題ありとはされていなかった。女優中心の発想は自明で自然な事であるという状況だったのだ。ここで注目しておきたいのは、こういった懸念(訳注:男優の不足)が1930年代、つまりトーキーがサイレントに取って代わろうとしていた時期に表明されていたという事だ。
上に引いたのは南インド映画に関しての言及ではなかったが、同じような女優への傾斜は南インド映画界でも広く行き渡っていたという証拠もある。実際のところ、我らが三巨星(訳注:MGR、NTR、ラージクマールのことを指しているものと思われる)初期の映画の幾つかを見るだけでも、ナラティヴの展開とグラマーの表出の両面において、女性のキャラクターがもっとも重んじられていたことがわかるのだ。(M Madhava Prasad, Cine-Politics:On the political significance of cinema in south India P.43より、勝手訳)

本筋からは浮いているとは書いたものの、本作でも画面上の露出の多さではヒロインのカーンチャナマーラが圧倒している。クレジットでも妹役と共に「ヒーロー」役の優男よりも上に来ている。当時の映画界でのグラマークイーンという位置づけだったらしい。このころの世界の映画界共通の目元に重点を置いたメイクでいまひとつピンと来ないのだが。台詞回しはやはりこの時代の主流だったのか、舞台で客席の隅々にまで届かせることを第一義としたような発声法。映画の中で聞くとやや棒読みと感じられもする。しかし他の俳優の中には滑らかにマイクに乗るような台詞回しを行っている人もいて、過渡期というものを感じさせる。

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ちなみに、ソングシーン(踊りと言えるようなものはあまりない、しかし冒頭では振付師のクレジットも表示される)では俳優自身が歌っていることがクレジットからわかる。つまりこの作品は音声も同録で撮影されたと言っていいのだろうか。俳優自身がアフレコで歌を加えた可能性も完全に否定はできないが、作中(クレーンやレールを使っての)カメラの移動がほとんど見られないことなども考え合わせて、同録撮影が一番ありそうだ。同録からアフレコへの移行というのは、他にも増してインド映画史の中では革命的な画期であると考えられるのだが、ハッキリした年代や作品を提示した文献にはお目にかかれずにいる。印パ分離独立によって歌える俳優が多数パキスタンに行ってしまったからプレイバックシンガーという制度が確立した、などと説明されることもあるが、南インドではほとんど説得力がない。パキスタン移住云々はたまたま同時期にそういう現象が重なったということでしかないと思う。

(訳注:技術革新と映画表現が密接に結びついている)最初の例は、サイレント期の撮影についてである。この時期、映画は外光を活用して屋外で撮影されるのが常だった。屋外の騒音を気にする必要がなかったからである。しかし一度トーキーが導入されてしまうと、撮影は防音設備の備わったスタジオで人工照明の下で行われるようになったのである。もう一つの例は、プレイバックシンガーの出現である。30年代の末まで、歌える俳優だけが映画に出演していた。インド映画の娯楽性においては歌こそが最も重要な構成要素だったからである。音声を別に録音して後からそれを動画にシンクロさせる技術が整うと、歌える俳優の需要はなくなった。これによって古典音楽家たちは映画界から去っていったのだ。(S Theodore Baskaran, History through the lens - Perspectives on South Indian Cinema、P.18より、勝手訳)

本作において最も驚かせてくれるのが、豊富な野外撮影シーンとスタジオ撮り「野外」シーン(右下イメージ)との並存。先日のエントリーでは「1950-60年代の作品では、屋外シーンですら書き割りのセットを作成して撮影される事が少なくなかった」なんて書いたけど、1950-60年代よりも前(そして特にソーシャル映画のジャンル)ではまた違う世界が広がっていたんだわな。しかしこれは上の引用文中の「トーキー後には屋外撮影がなくなった」という説明とも矛盾している。1本か2本見ただけで「インド映画は××だった」的に断言してしまうのはやっぱ恐ろしいもんだ、気をつけないと。

ともかく本作は、俄か考古学者気分を味わってみたいという人にのみお勧め、なのだった。

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投稿者 Periplo : 18:58 : カテゴリー バブルねたtelugu
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