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2011年05月22日

再編再録:カンナギは正義を求める(2)

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前回掲載の写真とだいたい同じアングルからの、復活したカンナギ像、2007年4月撮影。画面には写っていないが、カンナギ像をトラブルから守るべく常駐の警官が1名配備されているのだった。


どうして自分がこれほどまでにカンナギの物語に心惹かれるのか、考えてはみるのだが、はっきりとした答えが見いだせない。気に入ってる要素を色々と反芻してみると、最初に来るのはやはり古代の原タミル文化みたいなものが感じられるという点だろうか。

カンナギが主人公である5世紀成立の叙事詩『シラッパディハーラム』(シラッパディガーラムとも)、それから1〜3世紀に成立したとされるサンガム(シャンガムとも)文学と総称されるユニークな詩文学、この二つは、北インドからヒンドゥー教+サンスクリット文学がもたらされて南インド全般を変容させる以前のタミル文化の最古層を物語ると言われている。もちろんこれには幾重もの留保が必要。例えば『シラッパディハーラム』中にもバラモンを敬うことの大切さに関する記述がはっきりみられるし、なおかつ作者のイランゴー・アディハルはジャイナ教徒であるとされている。また、ジョージ・ハートなど(タミル民族主義から比較的自由な)非インド人による研究は、古代においてタミル世界が既に充分にサンスクリットの影響を受けていたこと、同時にタミル語がサンスクリット語にも少なからぬ影響を与えていたことなどを教えてくれる。さらに厳密には、最大で数百年の時差があるサンガム文学と『シラッパディハーラム』を同列に語ることも、学術的にはすべきではない。

そういったことを念頭に置いたとしても、それでも『シラッパディハーラム』やサンガム詩が描き出すのは、中世のバクティ運動や英国支配下でのピューリタン的社会規範強化を経た今日のタミルとはずいぶんと違う、野性的で闊達、同時に晦冥さも併せ持つ、大変に魅力的な異世界である。

『シラッパディハーラム』は古代叙事詩であるが神々や英雄がメインではなく、若い女性が主人公というところもユニーク。そしてまた殷賑を極めたパーンディヤ王国の首都マドゥライが灰燼に帰すという「滅びのうた」であること。貞節の尊さや王位にあるものの務めというモラルの提示ももちろんあるのだが、読んで一番心に残るのはやはりカンナギの怒りの強力さだ。無実の罪で夫を殺され、正義が踏みにじられたことへの怒り、何をどうやっても最早取り戻せないものがあるということへの狂おしい悶え、直接的に責任をもつ王が絶命しても納まりきらず、自身の身体を損壊してもまだ鎮まらないこの憤激が、異様なほどのリアリティをもって読むものに迫ってくる。怒りという感情の純粋結晶を取り出して見せられているかのように。一方で、カンナギの夫コーワランと遊女マーダヴィの関係が破局を迎える場面が描き出す、まるで近代小説のような微細な心理の綾にも感嘆する。

山岳部族民が顔を覗かせる場面も大変に印象的。ストーリーの中では能動的な役割を担うことはなく、また既にこの時代において平地の民(ドラヴィダ人)に対してやや従属的な地位にいることが読み取れるのだが、同時にその固有の生活様式には一定の敬意が払われ、今日のような底辺に押さえつけられた人々という扱いではない。たとえば、タミルナードゥ州西端のポッラーッチの山岳部に住むムドゥヴァンという部族民は、マドゥライの大火の後カンナギに付き従って道行きし、その昇天を見守ったという伝承を今日でもアイデンティティとして持っていたりする。


それから、舞台となる土地の象徴性。カンナギが生まれ、結婚して家庭を築くのはチョーラ王国きっての海港都市 プーンプハール(プハールとも)。カンナギと夫のコーワランは、この地で有力な商人の家に生まれた似合いのカップルだったが、結婚後ほどなくして夫は遊女に溺れ、家業を顧みなくなる。カンナギは商家の妻としての社会的な務めを果たしながら耐え、最後に無一文になって戻って来たコーワランを再び迎え入れる。

カンナギの輿入れの際の婚資で唯一手元に残った宝石入りのアンクレット(こういう形状をしている)を元手にしての再起を誓った二人は、南にあるパーンディヤ王国の首都マドゥライに向かう。マドゥライに着き、コーワランはアンクレットを売りに宝石商を訪れる。宮廷に出入りする邪な宝石商は、王妃の真珠入りのアンクレットを盗み出したところだった。何も知らずにやってきたコーワランを盗人に仕立て上げて王宮に突き出し、コーワランは碌に査問も受けないうちに首を刎ねられてしまう。それを知ったカンナギは一人王宮に向かい、王妃の元に戻されたアンクレットを叩き割り、中から迸り出る宝石を示すことによって裁きの不当性を明らかにする。自責の念に耐えきれず王と王妃はその場で絶命するが、それでもカンナギの怒りは収まらない。彼女は自分の乳房をもぎ取り投げつける。するとそこに火の神が現れてマドゥライの街を焼き尽くす。

慟哭しながら原野を彷徨っていたカンナギは、 チェーラ王国に入り込み、ペリヤール川の岸辺のヴェーンガイ樹の下で天人たちに慰撫されながら昇天する。後日その有様を在地の部族民から聞いたチェーラ国王チェングットゥワン(シェングットゥワンとも)は深く感銘し、軍を率いて北インドに遠征し、ヒマーラヤ山塊から巨岩を切り出して持ち帰り、カンナギ像を彫らせ、首都ワンジ(比定地については諸説ある。タミルナードゥ州内陸部の カルール、ケララ州中部沿海部コドゥンガルールとも言われ、紛糾している)に壮麗な寺院を建設してその像を祀ったという。

つまりカンナギ物語はチョーラ、パーンディヤ、チェーラ(今日のケララ)の古代タミル三王国を律儀にカバーしているのだ。この地理的な広がりは、反アーリヤ=汎タミルを押し進めたい20世紀のドラヴィダ民族主義者にとっては、大変に好都合なものと映ったに違いない。それに、カンナギ物語の神がかったところの少ないナレーションも無神論を標榜する運動家たちに歓迎されただろう。一方で、矛盾するようではあるが、南インド全域に広まっている女神(しばしば名前を持たず、恩寵とともに厄災をももたらす両義的な存在としての女神)への崇拝と重なり、一般民衆にもカンナギ、あるいはカンナギ的な存在への信仰は浸透していた。サンガム文学の中に少数ながら存在する男性の英雄を差し置いて、カンナギが古代タミル民族を代表するキャラクターとして前面に押し出されたことには、そのような背景があったものと推測される。

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ケララ中部、コドゥンガルールにあるバガヴァティ寺院。魔物を殺したバドラーカーリーが本尊だが、この女神はカンナギと同一であるとされている。コドゥンガルールが古代チェーラ王国の首都ワンジであるとの説をとる学者は、この寺院をチェーラ王の建立したカンナギ寺院であると見なしている。


【素人臭い書誌】
シラッパディハーラム アンクレット物語(イランゴー・アディハル著、彦坂周・訳注、きこ書房刊、2003年、絶版)は、続編の『マニメーハライ』と並んでの貴重な日本語訳。しかし、日本語でシラッパディハーラムを語るにあたっての定本として良いのかどうかについては疑問が残る。本書のP.275-276の詩編は、『エットゥトハイ 古代タミルの恋と戦いの詩』(高橋孝信・訳、平凡社東洋文庫、2007年)のP.113と同じか、または同じテキストの異本であると思われるのだが、全く違う訳文になっていて、しかもどんな素人目にも後者の訳の方が筋が通っているのだ。タミル語の原典にあたることのできない者が文句を言うのも何だが、可能ならば英訳ぐらいは参照してみなければとも思ったのだった。

■世界の女性史〈15〉インド サリーの女たち(田中於莵弥・編、評論社、1976年、絶版)に所収の、「南インドの叙事詩と女性」(辛島昇)は30ページに満たないエッセイだが、カンナギ物語の概要とその文化史的位置づけについて簡潔にまとめられている。

■世界歴史体系 南アジア史3 南インド(辛島昇・編、山川書店、2007年)には、古代タミルの諸王朝の興亡などがわかりやすくまとめられている。

The Poems of Ancient Tamil - Their Milieu and Their Sanskrit Counterparts、George Hart、Oxford (India)、2003年第2版 の、英訳詩につけられた細かい注釈には示唆に富んだものが多い。

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コドゥンガルール・バガヴァティ寺院の本殿入り口に掲げられた怒れるカンナギ像。

投稿者 Periplo : 04:54 : カテゴリー バブルねたtamil
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2011年05月20日

資料系アップデート1105-2

これは別に新着ではないのだがついでに紹介。

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Varghese Cinema Directory(旧称Variety Cinema Directory)

版元:Best Media Associates [India] Pvt. Ltd.(筆者が架蔵する2006年版 Variety Cinema Directory のデータ、以下同)
版型:A5版変形
頁数:第1巻704ページ+第2巻720ページ(分売は不可)
価格:Rs.220-

まあともかくレンガのように嵩張り重たい本なのだ。版元はチェンナイにあり、実質的にタミル映画人名鑑と見なすべきもの。ただし、他州映画人でもタミル映画界とつながりのある(つながりを持とうとしている)人物の登場率は高い。第1巻が役者全般、第2巻がプレイバックシンガーから撮影用の貸住宅までの裏方全般を扱う。やっぱり面白いのは第1巻。

映画男優+女優、映画の悪役俳優、映画のコメディ俳優、映画のニューフェイス、映画の子役、TV&映画兼業俳優と、くっきり仕切られた中で、原則として1人1ページ(半ページもあり)のスペースを割いた役者さんの営業広告が延々と数百ページ続くのだ。表示内容は写真と住所、電話番号(当然ながら大スターの場合はマネージャーのものとなる)が基本で、あとは人によって出演作が列記されていたり、長々としたメッセージが添えられていたり。

広告と書いたのはあくまでも推測だが、各ページの仕様もまちまちで、統一性を求めるデザイン/編集の跡は見られない。つまり、ほんの少し前まで日本で広く流通していた旅行パンフレット集成雑誌のように、もっぱら広告収入によって利益を上げている(実売部数が上がると印刷・製本・運送などの実費がかかって却って儲けが減る)印刷物のようなのだ。だからなのだろう、どーんと気前よくコンテンツをオンラインで公開してるのだな。これに最近気がついたのだ。

ただし、広告主体印刷物とはいえ、金さえ出せばどんなスペースでも確保できるというのではなく、そのジャンル分けと並び順にだけは厳しい掲載方針が存在するようなのだ。金を積めば誰でもラジニカーントの隣のページに掲載できるというのでは全然ないらしい。

手元の2006年版をめくると、実質的な第1ページにはトリシャー、対向の2ページにカマルハーサン、3ページにサダー、対向4ページにラジニカーント、5ページにリーマ・セン、対向6ページにヴィジャイカーント、以下ミーラ・ジャスミン+ヴィクラム、スネーハ+アジット、マッリカ・カプール+ヴィジャイ、アシン+スーリヤ…と女優+男優が見開きで続く。順繰りに捲って100ページを過ぎたあたりから段々雲行きが怪しくなってくる。まったく見たことのない顔、なんでわざわざこれを載せるかという美しくない写真、写真の問題じゃなくやっぱちょっと無理じゃあ…というご面相etc.から、業界の下の方で蠢いてる人たちのあれやこれやが想像されて背中がむずむすしてくる。なんと言うか、一握りのスーパースターとそれ以外の人たちの間の、目も眩むような階梯が凄くわかりやすい形で示されるのだ。

本書にはちゃんと巻末に人名索引がついている。また、映画中で見掛けた知らない顔を、ただひたすらページを繰ることによって探し出すことも可能だと思う。ただ、そういう実用的な目的で本書を使用することは余りない。実際には、冒頭のトリシャー+カマルハーサンから始めて、順繰りにページを捲る際の、酩酊にも似た感覚を味わいたくて時々手に取るのだな。その点、オンライン版は各カテゴリー内はアルファベット順の並びになっていて、酩酊度は少ない。しかし皆さんが工夫を凝らしたヴィジュアルの数々を眺めると、やっぱり多少はトワイライト・ゾーン感覚が楽しめると思うよ。

投稿者 Periplo : 03:47 : カテゴリー バブルねたtamil
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2011年05月19日

資料系アップデート1105-1

続き物の途中ではあるが、やはり捨て置けない。すでに有名ブログでも紹介されているので、わざわざ告知する意味はあまりないと思うが、当サイトでもこれからたびたび引用することになると思うので簡単に。

thebestoftamil.jpgThe Best of Tamil Cinema 1931 to 2010

著者:G Dhananjayan
版元:Galatta Media
発行:2011年
版型:A4版
頁数:第1巻298ページ+第2巻382ページ(巻頭テーマ頁を除いた数字、なお分売は不可)
主な販売サイト:版元直販Amazon.com ほか
定価:Rs.2999-(インド国内、送料込みの版元通販または書店販売)、$125-(インド国外、送料込み、版元通販での価格)、$49.9-(ebookフォーマット、KoboiBooks Kindleなどで)

全2巻で合計680ページにもなる本書では、1931年から2010年までのタミル映画の歴史を、徹底した作品主義で俯瞰している。トレンドセッター(オリジナリティ重視でリメイク作品は含まない)およびランドマーク(クオリティ重視、他言語からのリメイクも含む)という2つの観点から選ばれた232本を、1作品あたり2−4ページを割いて編年形式で紹介している。各巻末には、どちらのカテゴリーにも入らないが無視できない作品54本というのも付記されている。重要なのは、232本がいずれも興行的に成功したもの、つまり広く大衆に受け入れられた作品だということだ。

ざっと見て、個人的には、第1巻(1976年までの108本)には「なんであれが入ってない?」が、第2巻(1977ー2010年の124本)には「こんなものまで入れちゃうかね?」が多いように感じられた。

極私的感想はさておき、まず素晴らしいのは豊富なスチル写真。それからキャスト・スタッフはもちろんだが、センサー認証のランクや上映時間などが明示されていること。タイトルの英語訳もありがたい。文章の半分以上がシノプシスにあてられ、エンディングまではっきりと叙述されているので字幕なし作品鑑賞にあたっては大変有益。ぱらぱらと読んでたら、 Autograph (2004) の粗筋にはビックリするようなことが書いてあった。もう一度見直さんと。それから各作品のデータ欄の末尾に「Source」という項目があって、近年のものには「Film」とあるが、古い作品の相当数が「Film DVD」となっている(本書でDVDが存在するとされている最も古い作品は1937年の Chintamani)。丹念に探せばディスクで見ることができるかもしれないというのは光明だ。

残念なのは、本当の意味での巻末索引が存在しないということ。監督別、主演俳優別に232本を並べ替えたリストはあるものの、人名・件名・作品名などの全文検索の索引はないのだった(ebook版ではどうなってるだろうね)。データブックなのに索引がないというのはもったいない話だね。

そういう文句はあるけれども、例えばタミル映画と政治の関わりに関心がある人ならば第1巻の頭ページXVIの写真を見て絶句するかも。テルグ映画好きの人ならば第2巻の頭ページIVの写真で感激に打ち震えるかも。サウス映画に少しでも興味のある人ならば今買っといて損はない(幻に終わった カンナダ映画の歴史本みたいなこともある訳だし)。これが刺激となって他の言語圏でも類書が出てきてくれることを祈るばかり。

著者のゴーヴィンド・ダナンジャヤン氏(通称GD)は全インド的な映画制作・配給会社である UTV Motion Pictures の南インド映画部門の責任者。現職に就く以前は、インドDVD界の価格破壊の中心、Moser Baer Entertainment のCEOだった。この時期にはタミル、ヒンディー、マラヤーラムの映画作品プロデュースも手がけたという。ツイッターでのアカウントはこちら。ここまで読んでくださった方にはもう続けるまでもないと思うが、できれば Moser Baer Entertainment のCEO時代にこの本を上梓して、合わせてDVD232本セットも発売して欲しかったぜよ、GDさんよ。MB社は相変わらずタミル映画のコンテンツ獲得には苦戦してるようだが。

投稿者 Periplo : 04:09 : カテゴリー バブルねたtamil
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