« 2011年09月 | メイン | 2011年11月 »

2011年10月31日

TNWコレクション:Chithiram Pesuthadi

ChithiramPesuthadi1.jpg

「アンタいっつも黄色を歌ってるね。シャツも黄色、時計も黄色だ。バンダナも黄色じゃないか、一体なんでなんだい?」答えはインターミッションの後に語られる。貰い泣き必至の切ない物語が。

タミル・ニューウェーブの最重要監督の一人と言っていいと思う、ミシュキンのデビュー作を紹介しておきたい。

cvChithiramPesuthadi.jpgChithiram Pesuthadi (Tamil - 2006)

Director:Mysskin
Cast:Narain, Bhavana, Dhandapani, Mahadevan, Ravi Prakash, Sathyapriya, Vasantha Narayanan, Ajayan Bala, Jaya Madan, Singara Sukumaran, Gana Ulaganathan, Malavika (Guest Appearance)

原題:சித்திரம் பேசுதடி
タイトルの意味:Talking Parrot
タイトルのゆれ:Chithiram Pesudhadi, Chithiram Pesuthady

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間28分
DVD 入手先:BhavaniMyIndiaShopping など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/chithiram-pesuthadi-tamil-2006

なお、本作は、タミル映画としては珍しく(だと思うのだが)脚本が出版された。

都会度★★★★★★★★☆☆田舎度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度★★★★★☆☆☆☆☆お笑い度★★★☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★☆☆☆☆衝撃度★★★★★☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★★☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★☆☆

【ネタバレ度40%の粗筋】
チェンナイのどこか。8年生で学業をドロップアウトしたティル(ティルナーヴッカラス、Narain)は、職もなく無為な生活を送っていたが、ヤクザのドンの息子ヴァサンタを暴漢から助けたことがきっかけで、そのドン、アンナーッチ(Dhandapani)の手下となり、有能な鉄砲玉として重宝されるようになる。ある日彼は、スクーターに乗ったチャール(チャールマティ、Bhavana)とニアミスして諍いを起こす。叔父(Ravi Prakash)の経営する孤児院で働くチャールは、育ちの良い娘だが度を超して勝ち気なところもあり、不正義を見過ごすことができない。境遇が全く違うにも拘らず生活圏の近い二人は、その後もしばしば思わぬところで出会い、その度に衝突していたが、いつしか恋が芽生える。母を遠い昔に亡くしているチャールは、一人娘を溺愛する父(Mahadevan)を説得し、彼女のために更正への道を歩み出したティルとの結婚に同意させる。しかし挙式まで残すところ10日に迫った日に、衝撃的な事件が起きる。(粗筋了)

【寸評】
監督のミシュキン以外にも、本作では以下の人々がデビュー(タミル・デビュー)を果たした。マ映画界での鳴かず飛ばすを打破するため改名して心機一転をはかろうとしたナレン、ちょっと世界征服に行くわよっとケララを出発したバーヴァナ(本作でフィルムフェア・サウスのタミル映画最優秀主演女優賞を獲得)、そして現在では気鋭のミュージックディレクターとしてバリバリ仕事をこなしているスンダルCバーブ。また、ソングシーンに登場するガーナー・ウラガナーダンは、無名のディヴォーショナル・シンガーだったが、本作によって大ブレイクしたという。その一方で脇を固める役者は思わず唸るような渋い芸達者。タイトルロールでこれまでの代表作を冠にして表示されている3人、カーダル・ダーンダパニ、ピターマハン・マハーデーヴァン、アレパーユデー・ラヴィ・プラカーシュ、この親爺達に痺れたね。特に、一度見たら忘れられないダーンダパニのド迫力。ミシュキンは悪役の造形にたいそう凝る監督と見た。

タイトルの「おしゃべりな鸚鵡」の意味が説明される台詞などは見当たらない(あるいはソング中にあるものを見落としているのかもしれないが)。まあ、普通に考えればこれはバーヴァナ演じるヒロインを形容しているものなのだろう。正義感が強く、不正が行われているのを見ると後先考えずに突っかかって行く。訴えが通らないと悔しさのあまり号泣する。父親に対しては専横な暴君として振る舞う。惚れたら一途。空気を読まない。妥協しない。演じ手によっては相当嫌味なキャラになってしまうところだが、さーすがバーちゃん、キュートな、愛すべきヒロイン像になっている。
【追記】いやこの場合「Talking Parrot」はインコの御神籤占いのことを指しているのだろうか?そうなると含意するところはますます分からなくなる。

一方で、ストーリーは全編を通じて破滅へと向かう不吉さに満ちているものの、ミシュキン作品のトレードマークとも言える「暗いどよめき」は、まだ発展途上にある印象だ。特にソングシーンのピクチャライゼーションが足を引っ張っている。マラヴィカがゲストで踊る一曲を除くと見るに耐えない出来。予算はねえし、主演俳優は踊りからっ下手だし、どうしろってんだよ!とヤケクソででっち上げたものとしか思えん。マラヤーラム映画見てんのかと思った。しかし、お馬鹿妄想シーンでこんなイメージとか見せられると、ゴーマン発言で有名なミシュキン監督とも友達になれそうだとも感じた。

ChithiramPesuthadi3.jpg
ChithiramPesuthadi4.jpg
ダーンダパニが演じるヤクザの本拠地は、バナナの卸屋だった!このファンタスティックな緑の魔窟のせいで星が増えたのだ。

投稿者 Periplo : 21:37 : カテゴリー so many cups of chai Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年10月30日

TNWコレクション:Azhagiya Theeyae

出会いはもちろんウーティで。霧の中から現れる白衣のヒロイン。

AzhagiyaTheeye1.jpgAzhagiyaTheeye2.jpg

前回は S Pictures 作品を紹介したので、次はプラカーシュ・ラージがオーナーの Duet Movies から1本。同社の顔とも言えるラーダー・モーハン監督のデビュー作。

タミル映画界で、脇役として活躍しながら、そこで得たギャラをせっせと自前の映画製作にまわしている俳優というと、ナーセルとプラカーシュ・ラージが思い浮かぶが、どちらかと言えば後者の方が成功しているように見える。

デュエット・ムービーズは Anthapuram (Telugu - 1997) Dir. Krishna Vamsi によって旗揚げされたが、それ以降はタミル映画の低予算作品を送り出し続けている。

本音を言うと、これをタミル・ニューウェーブにカウントしていいのかどうか、かなり迷った。そして今でも迷いがある。ただ、コージーでアンティームな等身大のロマンスでこの潮流の一角を占めているラーダー・モーハン監督作として無視できないため、敢えてここで登場させてみた。

cvAzhagiye.JPG

Azhagiya Theeyae (Tamil - 2004)

Director:Radha Mohan
Cast:Prasanna, Navya Nair, Prakash Raj, Elango Kumaravel, M S Bhaskar, Jayavarma, Bala, Pyramid Natarajan, Devadarshin, Jai Varma, Rambha(Guest Appearance), Abbas (Guest Appearance)

原題:அழகிய தீயே
タイトルの意味:The Enchanting Flame
タイトルのゆれ:Azhagiya Theeyae..., Azhagiya Theeye, Azhagiya Theeyey

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間20分
DVD 入手先:MyIndiaShopping など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/azhagiya-theeye-tamil-2004

都会度★★★★★★★★☆☆田舎度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★☆☆衝撃度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★★★★☆☆シリアス度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★☆☆☆☆


******************************************************************

本作には以下にあげるリメイクが存在する。いずれも公式リメイクなのかパクリなのかはよくわからない。

happy.jpgHappy (Telugu - 2006)

Director:A Karunakaran
Cast:Allu Arjun, Genelia D'Souza, Manoj Bajipai, Ranganath, Brahmanandam, Venu Madhav, Kondavalasa, M S Narayana, Tanikella Bharani, Suman Setty, LV Sreeram, GV, Rama Prabha, Seetha, Apoorva, Jahnavi, Lakshmipathy

原題:హ్యాపీ
吹き替え版タイトル:Happy be Happy(マラヤーラム語)

DVDの版元:iDream
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間31分
DVD 入手先:MyIndiaShopping など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/happy-telugu-2006

bolonatumiaamar.jpgBolo Na Tumi Aamar (Bengali - 2009)

Director:Sujit Mondal
Cast:Dev, Koyel Mallick, Tota Roy Chowdhury, Sabyasachi Chakraborty, Mousumi Saha, Supriyo Dutt, Bharat Kaul, Sumit Gangopadhyay,Nitya Ganguly, Mani Shankar Banerjee

原題:বলোনা তুমি আমার
タイトルの意味:Say You are Mine
タイトルのゆれ:Bolo Na Tumi Amar

DVDの版元:Venkatesh
DVDの字幕:あり(らしい)
DVDの障害:未検証
DVDのランタイム:未検証(IMDbによれば160分)
DVD 入手先:flipkart など

参考サイト: http://www.gomolo.in/Movie/Movie.aspx?mid=22062


それから、 Loafer (Oriya - 2011) Dir. Ashok Pati というのもあるそうだ。

******************************************************************

話をオリジナルに戻す。

【ネタバレ度50%の粗筋】
地方出身で映画監督志望のチャンドラン(Prasanna)は同じ夢を追いかける3人の仲間達とともにチェンナイの片隅で暮らし、アシスタント・ディレクターとして働きながらチャンスをうかがっていた。ナンディニ(Navya Nair)は政治家の一人娘で、不自由のない暮らしをしていたが、父(Pyramid Natarajan)とは折り合いが悪く、自立した職業人になることを目指してコンピュータ・スクールに通っていた。しかしこれを快く思わない父は、強引にアメリカ帰りのシステム・エンジニアのアラヴィンド(Prakash Raj)との縁談をまとめてしまう。何としても結婚を避けたいナンディニは友人のつてを頼って、彼女の恋人と偽ってアラヴィンドに会い縁組みを諦めるよう説得する役をチャンドランに頼む。作戦は見事成功したが、義侠心に富むアラヴィンドは、チャンドランとナンディニを引き連れて結婚登記所に行き、半ば無理矢理に二人を結婚させた上で、豪華なフラットまでをもプレゼントする。状況に押し流される形で二人はそのフラットで共同生活を始める。(粗筋了)

【寸評】
上の粗筋で書いた、仮面夫婦が一つ屋根の下で暮らすというのはインド映画で結構好まれている設定で、これまでにも何度も見たことがある。一番古いものだと Missamma (Telugu - 1955) Dir. L V Prasad なんてとこまで行く(もちろんこれが最古だという確証もないが)。インドでは未婚の男女の同居生活というのが現在でもかなりスキャンダラスなものだからなのだろう。

それからチェンナイで生活する若者の群像を描くという点で Boys (Tamil - 2003) Dir. Shankar を思い起こさせるエピソードもいくつかある。つまりドラマの前提を用意する導入部はコテコテなのである。

しかしストーリー自体が仕掛けた罠は冒頭からある。主人公とその仲間は映画人、何かというと「おいおい、映画じゃないんだから」と口にするのである。これは観客に対する諌めでもある。そこから普通に考えれば物語は映画のようにドラマチックには進まないだろう。あるいは「事実は映画よりも奇なり」という展開を持ってくるのだろうか?結論を言ってしまうと答えは前者である。というか、一旦映画的な慣用句でもって広げた風呂敷を、なんとかリアリティのあるかたちでまとめようと制作者が必死にもがくのが、インターミッション後の半分なのである。極めつけは「こーゆーのもかなり珍しい」としか言いようのない、アンチ・ヒロイズムのクライマックス。こればっかりはネタばらしをする気になれない。どうぞ各自ご覧になって下さいとしか言えない。でも見た後での苦情は受け付けんよ。

大ヒットとまでは行かなかった本作だが、レビューの類は好意的なものが割と多い。本作には格闘シーンは一切ない。ソングは4曲あるが、アッバスとランバーがゲストで顔を見せる最初のもの以外は、どれも「これならいっそなかった方が良かったんじゃないか」と思わせるようなショボい出来。もちろん予算の制約が大きかったのだろうが、ラーダー・モーハンという人は、どうも「ソング&ダンスで魅せる」というのが苦手で嫌いなんじゃないだろうかと勘ぐられてしまう。最新作 Payanam/Gaganam (Tamil/Telugu - 2011) ではついにソングゼロの娯楽映画を撮っちまったしね。じゃあ本作の売りは何かというと、コメディ専門俳優に頼ることのない、ストーリーラインにとけ込んだナチュラルなユーモア。これもまた、その後のラーダー・モーハン作品のトレードマークとなっている。

ところで、このシリーズではリメイクの比較であーだこーだ言うのは趣旨ではないということは、初回で断ったが、ここではどうしても触れない訳にはいかない。ベンガル語版とオリヤー語版は見ていないので何もコメントできない。テルグ語版 Happy についてだけ書く。テルグ映画界の有力プロダクションの一つであるギータ・アーツが製作、スターキャスト、ソングは6曲(どの1曲をとっても、オリジナルの全4曲撮影のために費やされた予算の倍程度の額をつぎ込んでいそうだ)、ファイトシーンは全5回、ブラフミーをはじめとする一流コメディアンが5人出演というフル装備の娯楽映画になった。ストーリーラインは基本的には同じなのだが、キャラクターにいちいち映画的誇張が加わった。ヒロインの専横な父は、単なる政治家からカースト・ファナティックな政治家に変わった。「怒らせたら怖い奴」である見合い結婚の相手はSEから警察官に変わった。主人公は映画監督の卵からピザ屋の店員に変わったが、なぜか映画撮影のシーンはリメイクの方が多くなっている。それから新たに悪役警官のキャラが加わった。血まみれのクライマックス以外はストーリーラインは同じ、でも見た目は全然違う映画。こんなに凄いオリジナル・リメイクのペアは見たことないってなものなのだ。で、どっちが楽しいかというと断然テルグ版の方なんだな。楽しいだけでなく、映画的なロジックがきちんと構築されていて無茶なストーリーなのに納得できるんだ。これはつまり監督のカルナーカランと脚本のコナ・ヴェンカットが如何に良心的にリメイクに取り組んだか、ということなのか。シンプルなオリジナルにこってりと増量して却って良くなったという例は珍しいと思う。

タミル・ニューウェーブのカタログ第4弾でいきなり訳のわからない展開になってしまったが、決してベストのお勧めではないが捨て置けないという作品はこれからも挙げて行くつもりだ。でも、単体でのお勧め度は★6つだが、リメイクと併せての鑑賞なら★10個というというのは、そうざらにはないもんかもしれんね。

投稿者 Periplo : 15:47 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年10月28日

TNWコレクション:Kalloori

南インドにおいて、肌の色の違いは多くの場合階級の違いである。英語を喋るかどうかの違いはほぼ間違いなく階級の違いである。階級の違うもの同士の間で友情は成り立つのか。そして友情と恋愛は共存できるのか。

kaloori1.jpg

前回はちょっと長く書きすぎたことを反省中。やっぱブログってメディアにはそれ相応の程よい文章量ってものがあるわな。それに毎回あんなに書いてたら体が保たないし、途中で挫折しちゃいそうだし。なのでなるべくサクサク紹介して点数を増やそうと思う。

cvKalloori.jpgKalloori (Tamil - 2007)

Director:Balaji Shakthivel
Cast:Tamanna, Akhil, Hemalatha, Rajeshwari, Sailatha, Mayareddy, Prakash, Thisaigal Arunkumar, Bharani, Kaamatchinaadhan, Balamurugan, Arunkumar, Alex

原題:கல்லூரி
タイトルの意味:Collage
タイトルのゆれ:Kalluri

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間20分
DVD 入手先:AyngaranMyIndiaShopping など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/kalloori-tamil-2007

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★★☆衝撃度★★★★★☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★★
消化不良度★☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★★☆

【ネタバレ度20%の粗筋】
タミルナードゥ州のどこかの地方都市。タミル語ミディアムのハイスクールを卒業したムットゥ(Akhil)は州立人文カレッジの歴史学科に入学する。ハイスクールの同級生の8人の男女も一緒だった。彼らはその多くが下層の家庭の出身で、様々な問題を抱えながらもなんとか高等教育の場に進んだのだった。初めての授業で彼らは同じクラスの女子生徒ショーバナ(Tamanna)に目を奪われる。地方長官や裁判官などを代々輩出したバラモン家庭出身の彼女は、ぬけるような白い肌と、流暢な英語とで他の生徒達を圧倒する。最初はお高くとまっているように見えたショーバナだが、ムットゥ達との交流の中で打ち解けるようになる。 10人の男女はいつまでも変わらない友情を誓い合うが、彼らの間で恋愛感情が芽生えてくることによって亀裂が生じはじめる。(粗筋了)

【寸評】
個人的な話で恐縮だが、ともかく学園青春ものというのが苦手なのである。言うまでもないが、キャンパスで出会ったハクいお姐さんに一目惚れして追いかけ回してたら怖い親爺が出てきて、トラックに満載の鎌持った手下の皆さんを相手に死闘を繰り広げる、というのは違う。ここで言う学園青春ものとは、多くの場合中産階級の子弟が集うキャンパス生活自体を、甘酸っぱいノスタルジアでコーティングして描く群像ドラマのことである。もちろん恋愛もあるが、メインとなるのは友情である。自分にとっちゃ、日本人のサウス映画ファンの間でも大変評価の高い Happy Days (Telugu - 2007) Dir. Sekhar Kammula も「ケッ」ってなものだったし、 Classmates (Malayalam - 2006) Dir. Lal Jose も、サスペンスの要素がなかったら評価するところゼロだったかもしれない。まあたぶん、これは観るもの自身がいい学生時代を送ったかどうかの差なんだろうけどね。

KallooriTamanna.jpgそれが、本作でだけは違ったのである。自分が実際に経験したことでもないのに、一々のエピソードに引きこまれ、固唾を飲んで見守った。幼くて特に賢くもない学生たちの人間模様という点では上に挙げた2作と同じ、ただ本作では、メインの登場人物の多くが貧困と向き合っているという点が違う。彼らにとって恋愛沙汰などというのは余剰的で贅沢な営為であり、不道徳ですらあり、意図して遠ざけなければならないものであった(妄想のソングシーンにあってすら、恋人たちは手も握らないのだ)。にもかかわらず恋心はジリジリと炙り立てるように追いかけてくる。前半はムットゥの、後半はショーバナの、その心の揺れが非常に丁寧に描かれる。特にショーバナを演じたタマンナーは圧巻。限りなくノーメイクに近いナチュラルメイク(かえってそれでインド人離れした白さが際立つのだ)で、上流家庭の慎ましいお嬢さんの雰囲気を完璧に描写し、恋愛の過程での憧れ、焦燥、嫉妬、喜び、自己嫌悪といった全ての感情を易々と表現していて驚嘆する。今やタミル映画界の女王となったタマンナー・バーティヤー(もちろん北インド出身)だが、大ブレイク(2009年ぐらいからか)以前にこんな見事な芝居をしていたのだ。これだけでも本作は、ニューウェーブに関心のある向きにだけでなく全てのタミル映画ファンにとって観るに値するものだと断言できる。

リアリスティックな田舎の学生生活の描写と同時に、本作ではある重大な社会的事件(ネタバレでも構わない人のみこちら参照)と、その土壌となっている政治的風土についても語られる。クライマックスにこれを持って来たことによって、制作者が何を訴えたいのか若干戸惑ってしまう(DVDの付録として採用されなかった別バージョンのラストシーンが収録されているということは、制作者にも迷いがあったのか、それとも何らかの圧力があったのか)のだが、それではどんな終わり方が良かったのかと考えてみても、これに代わるものは思いつかないのだった。

******************************************************************

本作の制作は S Pictures。『ラジニカーントのロボット(Enthiran)』のあのSシャンカル監督がオーナーのプロダクション会社である。自身は毎回記録を塗り替えるような巨大予算ポトラッチ映画を監督しながらも、一方でこの人は低予算の良質なスモール・シネマを送り出し続けている。プラカーシュ・ラージがオーナーのプロダクション Duet Movies と、この S Pictures、タミル・ニュー・シネマの2つの有力な供給元として今後も注目していきたい。

kalloori2.jpg
「兄ちゃんぶたないで。一所懸命やったんだけど、染みはとれなかったの。ますます濃くなっちゃったみたいなの」ハンカチという古典的な小道具で泣かせる台詞。

投稿者 Periplo : 17:27 : カテゴリー so many cups of chai Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年10月26日

TNWコレクション:Paruthiveeran

本格的なマドゥライ映画の登場だ。「赤い大地に注ぐ雨」という、古代タミルの有名な詩句があるけれど、これはいうなれば「赤い大地に注ぐ鮮血」。リアリズム描写の土台の上に立ち上がるタミル表現主義の最高峰。

Paruthiveeran

タイトルの Paruthiveeran は主人公の名前。パルッティというのは舞台となるマドゥライ近郊の(おそらくは架空の)村の名で、ヴィーランはよくある男子の名前だが元来は勇士を意味する。つまりちょっと嘘くさい名前なのだが、劇中の裁判シーンでも、主人公がパルッティヴィーランと名乗るところがある。

この名前から思い起こされるのは、民話の登場人物で、タミル南部地方では村の守り神として祀られることも多いマドゥライ・ヴィーラン(単にヴィーランとも)。民話の常で曖昧模糊としたところもあるのだが、北インド・ベナレスの王の息子として生まれた赤子が、運命のいたずらで森に捨てられ、樵の夫婦に育てられるという貴種流離譚。勇敢な若者に成長したその拾い子ヴィーランは、トッティヤムの王女ボンミがカーヴェーリ川で溺れかかっているところを助ける。二人は即座に恋に落ちるが、王女の親族はヴィーランの身分の低さから最初は二人の結婚に反対する。やがて武勇を認められてナーヤカ朝の軍司令官に任命されたヴィーランだったが、彼を妬む大臣の讒言によって無実の罪を着せられ、出征先のマドゥライで生きたまま四肢を切断される刑に処せられる。

この話は過去に何度か映画化されており、1956年のMGR主演のものが有名(参考)。元々の民話は本当にぼんやりとした輪郭しかわからないのだが、逆にそこから原初的な信仰形態のひとつである「尋常ではない不運な最期をとげた英雄への鎮魂」が垣間見えるようで興味深い。

もちろん本作は神話・民話では全くないし、この民話を現代に置き換えたものでもない。ただ、このタイトルがそれだけで血腥い往古の世界を微かに連想させるものであるとは言えるのではないか。

cvParuthiveeran.jpgParuthiveeran (Tamil - 2007)

Director:Ameer Sultan
Cast:Karthi Sivakumar, Priyamani, Saravanan, Ganja Kuruppu, Ponvannan, Sujatha, Sampath, Saraswathi

原題:பருத்திவீரன்
タイトルの意味:The Hero of Paruthi
タイトルのゆれ:Paruthi Veeran

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間44分
DVD 入手先:AyngaranBhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/paruthi-veeran-tamil-2007

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★★★★★★★★★お笑い度★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★☆☆☆☆☆☆☆衝撃度★★★★★★★★★★
ハッピー度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★★
消化不良度★★★★★★★★★★満足度★★★★★★★★☆☆

【ネタバレ度100%の粗筋】
マドゥライ地方の小村パルッティユール。ヴィーラン(Karuthi)と叔父のセッヴァーライ(Saravanan)は定職もなく暴力沙汰に明け暮れるヤクザな生活を送っていた。その日その日を刹那的に生きるだけのヴィーランは冗談とも本気ともつかず、地元のケチな警察署ではなくマドラスの監獄で服役するような大犯罪を犯すのが夢だと口走っていた。仲間のトラック運転手が買った売春婦を横取りするなど好き放題に振る舞う彼だが、その腕っ節の強さを恐れて手出しをするものはいなかった。ヴィーランの親戚のカルヴァセルヴァイ(Ponvannan)の娘ムッタラフ(Priyamani)は、幼い頃井戸で溺れかけたところをヴィーランに助けられて以来、彼を結婚相手と心に決め、ヴィーラン当人に疎ましがられても揺らぐことがなかった。

ヴィーランとムッタラフの家は親戚でありながら現在は犬猿の仲だった。ヴィーランの父マルドゥ(Sampath)と、その妹を妻にしたカルヴァセルヴァイは共に有力カーストのテーヴァルに属していたが、家が貧しかったため、かつては不可触カーストの女親分チェッラータの元で違法なアラックの醸造に従事していた。チェッラータが商売敵のテーヴァルを殺したため、村のテーヴァルの男達はチェッラータを亡きものにしようと密談する。カルヴァセルヴァイは謀議の中心となるが、貧困から救ってくれたチェッラータに恩義を感じるマルドゥは耳を貸さなかった。チェッラータが惨殺された後、彼は残された娘のシータンマを引き取り妻にする。アウトカーストとの結婚を激しく非難するカルヴァセルヴァイと決裂して、マルドゥは母、妻、弟のセッヴァーライと共に村はずれに移り住み、やがてヴィーランが生まれる。しかし、マルドゥと妻は不審な交通事故によって、幼いヴィーランを残して死んでしまった。

ムッタラフは思ったことは全て口に出し、気に入らなければ両親にも猛然と突っかかって行く勝ち気な娘だった。彼女は迷惑顔のヴィーランに「私の裸を見ることができるのはあんただけ。誰だろうとそれを変えようとする奴がいたら、私は死んでやる」と言い放つ。乱暴者のヴィーランも彼女に対してだけは手を上げない。ヴィーランが警官相手の暴力沙汰で服役していた間、両親はムッタラフを別の男に嫁がせようと試みるが、彼女は服毒自殺未遂の騒ぎを起こす。戻って来たヴィーランは、ムッタラフの愛の強さを改めて知り、彼女を受け入れる決心をする。ヴィーランはカルヴァセルヴァイの家に結婚の申し込みに訪れるが、結局そこは掴み合いの場と化す。ヴィーランはムッタラフに向かって「お前は俺のものだ。両親のために俺を捨てるようなことがあったら、滅多切りにして殺してやる」と挑発する。ムッタラフは、その夜母親の制止を振り切って家を出てヴィーランの元に身を寄せる。

二人はよその土地で新しい生活を始めようと村を出て歩き始めるが、カルヴァセルヴァイが雇った殺し屋が迫っていることを知る。ヴィーランはムッタラフを荒野の廃屋に残し、叔父と祖母の安否を確かめに村に戻るが、すでに彼らも逃げ出した後だった。ヴィーランを待つムッタラフに、たまたまやって来たヴィーランの仲間のトラック運転手たちが目を付ける。彼女がヴィーランの名前を口にしたことで彼らは嗜虐心を掻き立てられ、抵抗する過程で大怪我を負ったムッタラフを輪姦して去って行く。瀕死のムッタラフは、戻って来たヴィーランに苦しい息の下から「彼らはあんたが犯した罪の代償を私に払わせたのだ」と恨み、「自分が何をされたかが知れることがないようにどこかに埋めてほしい」と言って息絶える。遺体を埋めようとしたヴィーランだったが、そこにカルヴァセルヴァイらがやって来る。彼はとっさに遺体に鉈を振るいながら「お前は娘を他の男に嫁がせるのか、俺は許さない。娘をこま切れにしてやる」と叫ぶ。廃屋に突入した男達によってヴィーランは嬲り殺しにされる。(粗筋了)

ParuthiveeranSong2.jpg

【長い寸評】
なんかここに来るまでにやたらと「血」という単語を連発してしまったが、一応断っておくと、本作の撮影用に小道具さんが用意した血糊の量は、例えばバーラクリシュナの娯楽映画のそれの100分の1ぐらいだと思う。総ランタイムに占める暴力シーンの割合もさほど多くはない。にもかかわらずずっしりと重たい読後感。現地の映倫認証はU/A(認証ランクについてはこちら参照)だったが、実際に見た観客の間では「検査委員は居眠りしてたんじゃないか」の声が上がった。特に女性観客にはショックが大きかったようだ。しかしながら本作は大ヒット、驚くべきは舞台となったマドゥライ地方でもロングランを記録したということ。いわゆる「逃避主義」の娯楽映画では全然ないのに。Cinema Crazy State として全国的に名高いタミルの観衆の「シネマ・リテラシー」というものは時々こちらの想像力を超えている。恐れ入りました、としか言いようがない。これは本作のベルリン国際映画祭NETPAC部門での特別賞の受賞よりもずっと凄いことに思える。

ただし、衝撃的なストーリーラインは一見しただけで夢に出るほどだが、細部は結構わかりにくい所があり、ネット上のレビュー群の間でも結構解釈が食い違っていたりする。上に粗筋を全部書いたのも、整理しないと自分でもわからなくなるからだ。なので、ここでは感想というよりは、わかりにくい部分に若干の注釈を加えたいと思う。

******************************************************************

まず、実話に基づいているという(しかしその実話のソースは見つからず)この物語の年代設定だが、1990年代中盤と推定。理由は、携帯電話が登場しない&今よりもかなり若めのアジットとヴィジャイ(どちらも1992年デビュー)のポスターが映るという2点。

******************************************************************

それから背景となるカーストの問題。

Uppu Kuravar(塩売り)、Karuveppillai Kuravar(カレーリーフ売り)、 Thappai Kuravar(竹切り)、 Pacchaikuthi Kuravar(刺青屋)、Koodaikatti Kuravar(籠作り) は放浪民であるために低ランクと見なされている。彼らの一部は過去に強盗やその他の犯罪行為にたずさわっていたこともある。しかしそれは過去のことである。犯罪者コミュニティとしての位置づけはタミル・ナードゥ南部のクラヴァルには受け入れられていない。(People of India - Tamil Nadu [Volume XL, Part Two], K S Singh [ed.], 1997, Anthropological Survey of India, Affiliated East-West Press Pvt. Ltd., P.797より、勝手訳)

多数のレビューで言及されていることなのだが、イギリス植民地下の1871年に制定された悪名高いクリミナル・トライブ法によって犯罪者集団と指定された不可触カースト、クラヴァル(コラヴァルとも)の末裔たちの問題を描いている、とされるところ。実際にクラヴァルのカースト団体が、本作の上映中止を求める示威行動を繰り広げてもいる。しかしこのコミュニティの名前は映画中のセリフでは示されない(検閲でカットされたのかもしれないが)。おそらくタミル人観客はセリフ以外のビジュアルの面でそれと気づくのだろう。さらに、テーマとしてクラヴァル・コミュニティの今日的問題を描いているとも思えない。メインのモチーフとなっているのは、あくまでもタミル南部の有力カーストであるテーヴァルの閉鎖性と暴力性の問題、その背景としての上位・下位カースト間の緊張。主人公パルッティ・ヴィーランの人格にクリミナル・トライブの影響を読むレビューもある(一例としてこちらなど)が、ちょっと的外れではないか。

しかしながら、MSSパーンディヤンによれば、ドラヴィダ民族主義諸政党が全ての非バラモン階層の団結を希求したにも関わらず、その理念に完全には寄り添うことがなかったカースト集団もあったという。パッラルやパライヤルといったダリト以外にも、南部のテーヴァル、北部のヴァンニヤルといった集団は、ドラヴィダ民族主義政党の「非バラモン=後進カースト」のアイデンティティに完全に同調することはなかった。 (中略)

パーンディヤンが述べるように、タミル・ナードゥ北部ではヴァンニヤルとパラヤルの、南部ではテーヴァルとパッラール(またの名をデーヴェーンドラ・クラ・ヴェーラーラルあるいはデーヴェーンドラル)の対決が見られた。南部での衝突は、北部でのものよりも遥かに激烈で血腥いものだった。
(中略)

1995年から98年にかけて、タミル・ナードゥ南部の諸郡にはテーヴァルとダリトの衝突が広く見られた。(Rajan Krishnan, Imaginary geographies - The makings of the "South" in contemporary Tamil cinema [Tamil Cinema: The Cultural Politics of India's Other Film Industryに所収], P.149より、勝手訳)

上の文中で言及されているMSSパーンディヤンの論文 Dalit Assertion in Tamil Nadu: An Exploratory Note はここで読める。もう戦慄するしかない、果てしない衝突と暴力の連鎖の記録。タミルナードゥ州南部に多いテーヴァル(厳密にはテーヴァルは称号、カースト名はムックラットール)は、古くからの地主・自作農階級ではあるが、現在では貧農または小作農として糊口をしのいでいる者も多い。にもかかわらず、あるいはそれ故に、他と比べても異様なほどにカーストとしてのプライドが高く、社会的な地位の上昇を求めるダリトとの間で最も激しく衝突を繰り返している。また、ダリトが地位上昇のために教育に力を入れている、ただそれだけの理由から、テーヴァルは子弟の教育にさほど重きを置かないという。政治的にもDMKやAIADMKなどとは一線を画し、テーヴァルだけのカースト政党に勢力を結集させている。

テーヴァル・コミュニティの宗教行事には、騒々しい音楽が鳴らされるのが常だった。マドゥライ郡のエドゥマイ村で、映画『テーヴァルの息子(Thevar Magan)』の挿入歌 "Thevar kaaladi manne, potrippaadadi penne [テーヴァルの立つ足下の土の、その栄光を讃えよ]が流れた時、初めての映画館での暴動が発生した。そこには近隣の村々から観客が集まっていたが、劇場主は本編が始まる前にその歌を流すよう強要された。テーヴァルをタミルの土の主として讃えるその歌詞は、ダリトの神経を逆撫でするものだった。当然の結果として彼らは激嵩したのである。 (Cut-outs, Caste and Cine Stars: The World of Tamil Politics [Vaasanthi, Published by Penguin Books India, April 2006] P.202より、勝手訳)

1980年代以降のタミル映画にはテーヴァルにまつわる作品も目立つ。テーヴァルの地主の偉大さを称揚する御館様映画、あるいは暴力的な性向(とされているもの)を批判的に描く作品、あるいは強固に残る保守的な習俗にまつわるもの。以下などが代表的だという。

Murattu Kalai (Tamil - 1980) Dir. S P Muthuraman
Mann Vaasanai (Tamil - 1983) Dir. Bharathiraja
Muthal Mariyathai (Tamil - 1985) Dir. Bharathiraja
Vedham Pudhithu (Tamil - 1987) Dir. Bharathiraja
Thevar Magan (Tamil - 1992) Dir. Bharathan
Kizhakku Cheemayile (Tamil - 1993) Dir. Bharathiraja
Karuththamma (Tamil - 1994) Dir. Bharathiraja
Sivalaperi Paandi (Tamil - 1994) Dir. Pratap K Pothan
Pasumponn (Tamil - 1995) Dir. Bharathiraja
Panchalankurichi (Tamil - 1996) Dir. Seeman
Bharathi Kannamma (Tamil - 1997) Dir. Cheran
Kaadhal (Tamil - 2004) Dir. Balaji Sakthivel
Virumaandi (Tamil - 2004) Dir. Kamal Hasan
Sandakozhi (Tamil - 2005) Dir. Linguswamy
Thimiru (Tamil - 2006) Dir. Tarun Gopi
Veyyil (Tamil - 2006) Dir. Vasanthabalan

******************************************************************

わわっ、幾ら長い寸評って断ってもさすがに長すぎだ。プリヤーマニの衝撃とか、ロケ地話とか、書きたいことはまだまだあるのだけど、ここでは音楽について一言だけ書いて終えよう。

リアリズムに支配された本作、当然のことながら外国ロケのソングシーンなどはない。美しいラブバラードも1曲あるのだが、それ以外は全て、タミル語でクットゥ・パーットゥ(குத்து பாட்டு=kuthu song)と呼ばれる民謡風ソング。クーットゥ(கூத்து=dance, stage play)ではなく、クットゥ(குத்து=beat, punch)である。娯楽作品での威勢の良いヒーロー登場ソングなどもクットゥと呼ばれるが、本作のそれは映画に登場した最も本格的なクットゥであるという。ミュージック・ディレクターはユヴァン・シャンカル・ラージャー。YSRはただ採譜しただけじゃないかとすら思えるが、音楽評を読むと、やはりそれなりのコンポーズがあり、その上で実際にマドゥライ地方で活躍する民謡シンガーたちをフィーチャーして撮られたもののようだ。ヒジュラが歌い、カラガッタム(の一番泥臭いやつ)が乱舞し、クディライが跳躍する、国際交流基金の招聘での日本公演など絶対にありえないパフォーマンス、これだけのために本作を観ても損しない、お勧めです。

ParuthiveeranSong.jpg
西ガーツ颪が吹き渡る暗い予兆を孕んだ風景の中で、カーストも政治も、何もかもが溶けていくかのようだ。

投稿者 Periplo : 20:30 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (2)

2011年10月20日

TNWコレクション:Autograph

全てはここから始まった、のかな? 自信なし。タミル・ニューウェーブ映画のコレクション、第一弾。

autograpoh1.jpg

いや、そう言った時点で、前年のアレはどうだったんじゃとか、色んな反論が出て来ちゃうのは間違いなし。自分にとっては、なんかこれまでと違うらしいタミル映画の第一弾だったのだが。

この作品が公開された当時、とても頼りにしていたタミル人による英語レビューサイトがあった。ネット上のタミル映画情報については暗中模索状態だった頃、映画好きのインテリ青年達によって運営されていたその Teakada という名前の寄り合い所は、本当に貴重な情報の宝庫だったのだ。現在はキャッシュすら覗くことが出来なくなっているこのサイト上のレビューで、「アヴァンギャルド」という風に評言されていたのが本作だった。久しく目にしていなかったアヴァンギャルドなんて用語にも驚いたが、本作を実見してみて、その言葉から予測されるものとの隔たりに二度驚いたのだった。

cvAutograph.JPG

Autograph (Tamil - 2004)

Director:Cheran
Cast:Cheran, Sneha, Gopika, Mallika, Ganesh Babu, Ilavarasu, Krisha, Rajesh, Vijaya Singh, Kaniha, V K Sreeraman

原題:ஆட்டோகிராஃப்

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間46分
DVD 入手先:MyIndiaShoppingBhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/autograph-tamil-2004

シリーズ開始にあたって、昔どっかでやってたパラメータ評価を復活させてみた。暴力度を星で表示するのは、時にはネタバレとなるかもしれないが、流血の多寡によって見る見ないを決める人もいるだろうとの老婆心から。衝撃度とは、色々な意味でのインパクト。あまりの馬鹿馬鹿しさに脱力したり、凄まじい暴力に全身がこわばったり、良いものを見せてもらって飯が旨くなったり、等々の心身への影響。消化不良度は、このシリーズでどうしても必要だと思った尺度。好き嫌いとは別に、ストーリーの要諦がよく分からない、「なんでここでこう展開するのか?」とか「これは一体どういう意味なのか?」なんてことを、できれば専門家に解説してもらいたい作品も結構あったりするのだ。

都会度★★★★★☆☆☆☆☆田舎度★★★★★☆☆☆☆☆
暴力度★☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★★★衝撃度★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★☆☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★☆☆☆☆
消化不良度★★★★★★★★★☆満足度★★★★★★★☆☆☆

なんかこの表だけでも充分な気もして来たが…。

******************************************************************

本作にはテルグ版とカンナダ版のリメイクが存在する。リメイクの見比べであーだこーだ言うのはこのシリーズの趣旨ではないが、リメイクがオリジナルの理解の助けになることもあるので、情報は入手できる限りあげておきたいと思っている。

NaaAutograph.jpgNaa Autograph (Telugu - 2004)

Director:S Gopal Reddy
Cast:Ravi Teja, Bhoomika Chawla, Gopika, Mallika, Sunil, Venu Madhav, Krishna Bhagavan, Dharmavarapu Subrahmanyam, Prakash Raj, Kanika, Paruchuri Venkateswara Rao, Vijaya Singh, Duvvasi Mohan, V K Sreeraman

原題:నా ఆటోగ్రాఫ్
タイトルの意味:My Autograph
タイトルのゆれ:Naa Autograph - Sweet Memories

DVDの版元:Sri Balaji
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間28分
DVD 入手先:MyIndiaShoppingBhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/naa-autograph-telugu-2004

MyAutograph.jpgMy Autograph (Kannada - 2006)

Director:Sudeep
Cast:Sudeep, Meena, Sridevika, Deepa, Srinivasa Murthy, Yethiraj, Rashmi

原題:ಮೈ ಆಟೋಗ್ರಾಫ್

DVDの版元:Sri Nakoda
DVDの字幕:なし
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間53分
DVD 入手先:WebmallIndiaKannadaStore など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/my-autograph-kannada-2006

******************************************************************

話をタミル版に戻す。

【ネタバレ度100%の粗筋】
プロローグ:チェンナイで広告会社に勤めるクリエイターのセンディル(Cheran)は結婚式を間近に控えて、故郷のディンディガル(ティンドゥッカル)に向けて旅立つ。友人たちをはじめとした、今日の彼を作ってくれた人々に再会し、結婚式への招待状を手渡すのが目的である。

第1部:ディンディガルでは、中学の同級生たちや恩師に再会する。初恋の相手であったカマラー(Mallika)は三児の母となっており、暮らし向きも裕福とはほど遠く少しやつれた様子である。幼い恋の相手だった彼女とは手をつなぐことすらできず、卒業と同時になすすべもなく離れ離れになったのだった。

第2部:次に彼はケララのアレッピー(アーラップラ)に向かう。そして甘さと苦さの混じった回想が始まる。12年以上前に、郵便局長として赴任した父と共にやってきた彼は、言葉が全くわからないこの地でカレッジ生活を送ったのだった。カレッジで知り合ったラティカ(Gopika)に一目惚れした彼は、言葉の違いをものともせずに一途に求愛し、やがて二人は相思相愛の仲となる。しかしアレッピーの名家の当主であるラティカの父(V K Sreeraman)はこれを喜ばず、娘を強引に従兄と結婚させてしまう。なおかつ彼はセンディルの家にならず者の一団を差し向けて乱暴をはたらかせ、アレッピーから追い出しにかかる。やむなく一家はコインバトールに移り住むが、初めての真剣な恋に破れたセンディルは自暴自棄となり約二年間を酒浸りで無為に過ごすことになる。両親の必死の諌めでなんとか前向きに生きようという気になった彼はチェンナイを目指す。

第3部:チェンナイに辿り着きはしたものの、勤め口にありつけずに鬱屈していたセンディルは、ある日盲人達によるコンサートを主宰して自らも歌うディヴィヤ(Sneha)という女性を垣間見る。別の日にディヴィヤはバスの中で求職のためのビラを配るセンディルを見かけ、自らが勤務する広告制作会社への就職の世話をする。それだけではなく、何かと落ち込みがちな彼を励まし、上級職を目指すための勉強を勧める。しかし彼女は自身も様々な問題を抱えていた。寝たきりの母を家に一人残して通勤する苦しい生活、失恋で自殺未遂まで追い込まれた過去など。センディルが初めてプロジェクトリーダーとなって取り組むことになったムンバイでの撮影にも彼女は同行したが、実はその日の朝に彼女の母は息を引き取ったばかりで、それを押し殺しての出張だった。しかしこの出来事によって疲弊した彼女は退職し、もともとボランティアとして関わっていた福祉施設に入居することになる。

エピローグ:話は現在のケララに戻る。ラティカに結婚式の招待状を渡そうと訪れたセンディルは、彼女が寡婦となって独りぼっちで寂しく暮らしているのを知って呆然とする。チェンナイに戻った彼は間近に迫った結婚式をキャンセルすると言い出すが、ディヴィヤはそれを強く諌めて思いとどまらせる。見合いによって決まった相手(Kaniha)との式は、友人達、恩師、カマラー、ラティカ、ヴィディヤらが見守る中滞りなく行われる。(粗筋了)

【相当にネタバレを含む寸評】
ともかく色んな意味でビックリな一作だった。

まず、手法的に全然アヴァンギャルドではない、少なくとも日本人の映画好きの目には。が、当時のタミル映画では、フラッシュバックを織り交ぜたナラティブがかなり斬新なものと受け止められたようだ。コンテンツ的にも各種のセンティメントの洪水状態で、前衛とはかけ離れたものだった。それから、価値観において割と保守的(とその頃の自分の目には映った)なこと。大恋愛を成就させるぞぉぉとか、悪徳資本家に天誅じゃぁぁとか、そういうのゼロ。また、ノスタルジーとリアリズム手法がいい具合にブレンドされたしっとり心地よい第1部と第2部に対して、チェンナイ・ドリームみたいな早送りの立身出世物語の第3部がかなり浮いているように思えた。

最大の消化不良の原因は、第3の女性ディヴィヤ(公開時点ではこの役を演じたスネーハがキャストの中で一番のスタバリューを持っていたはずだ)のキャラの不可解。自立したキャリアウーマンとして登場しながら、いつの間にか主人公の忠実な滅私奉公型のアシスタントになってしまう変容に首を捻った。そして、ことあるごとに声高に友情を言い立てて、結果的に主人公とは結ばれないという筋立て。これは観客をミスリードしておいて最後にひっくり返してみせる引っ掛けとして設定されたことは容易に想像できる。ただそこにあまり説得力がない。独りぼっちになって施設に入居した彼女を横目に、主人公は余り互いに良く知り合ってもいない見合い相手と結婚する。友情と愛情は別ものというのがそこでの理屈だが、インド映画世界の中では、熱烈な恋愛感情がなくとも結婚するというのは特に責められる筋合いのものではない。なので、このヴィディヤというキャラクターにそれなりの感情移入をしていた観客は、第3部の終わりでズルっと来てしまうのだ。

この点について幾人かのグルに質問してみた。

インド生活の長いグルその1は、「何寝ぼけたこと言っとるんじゃ、インド都市部のホワイトカラー男女の間では、恋愛感情とは劃別された&それぞれが別の相手と結婚した後も持続する友情なんぞはありふれたものなんじゃ!」とお答え下さった。そうでしたか、不明を恥じます。

インド生活の長いグルその2は、「実際にはディヴィヤはセンディルを好きだったのだけど、色々な事情から愛を打ち明けられなかったのかもしれませんね」と仰った。うーん深い読みですね。

座右のグル The Best of Tamil Cinema 1931 to 2010 さんは、第2巻の257ページで「ディヴィヤは癌におかされており、余命も長くなかった」と解説して下さった。キャンサー・ドラマですかい、読み違いも甚だしいです、グル。

まあ、この点が納得できず、テルグとカンナダのリメイクにまで手を出してしまったのだが。両方ともオリジナルとほとんど同じストーリー、しかし最後に見たカンナダ版でディヴィヤを演じたミーナーに唸った。同じ運び(しかも字幕なし)なのに、ミーナーちゃんが演じるとなんでか分かったような気になれちゃうんだ。さすがの芸歴、ホントに感服しましたわい。それから、テルグ版でアレッピーでの主人公の友人役で登場するスニルがめっちゃ可笑しいとか、そういうのはあるけれど、まずはタミルのオリジナル版がお勧めです。

Autograph2.jpg
幅広い観客に受け入れられて大ヒットした本作、現地の女学生さん達の間では、ソングシーン♪Manasukullae Kadhal でゴーピカさんが身につけたタミル文字プリントのサリーが「素敵よね〜」と大受けしたのだそうだ。

投稿者 Periplo : 04:02 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0)

2011年10月15日

タミル・ニューウェーブとは何か

Vikadakavi
お蔵で熟成の後やっと今年4月に公開になったアマラちゃんのタミル・デビュー作 Vikadakavi (Tamil - 2011) Dir. G Krishnan、はよ見たい。

時間が経つのは早いもので、1月に新企画の予告として「年頭の抱負:泰米爾新浪潮」というのをあげてから9ヶ月以上もたってしまった。その間、ぽつぽつと新作は見てたんだけど、先行作も含めて参照すべき作品は無尽蔵にあるし、資料も読み出すと結構豊富。いつまでたっても理論武装(大げさ!)はもう充分というところに到れないのだ。紹介の仕方に若干迷いが生じたのもあって遅くなってしまった。

しかし考えすぎるといつになっても始められない。2000年代の中盤以降に作られた、これまでとはちょっと違ったタミル娯楽映画の目録化というぐらいのつもりで始めてみよう。

といっても、これまでにレビューとして紹介した作品群とは違い、必ずしも「感動した!お気に入りだ!お勧め!」というものばかりではないのだ。言い知れぬ衝撃を受けたが好きにはなれないとか、カタルシスが完全燃焼しない感じが気持ち悪いとか、あるいは、コンテンツよりも現地で大ヒットしたという事実の方に感銘したなんていうものもある。この「看過できない感じ」をとりあえずメモしておこうというぐらいのものだ。

メモとはいえ、大まかな括りぐらいは示しておこう。ジャンル的に区分するならだいたい以下の4つ。

1.田舎もの
2.都会もの
3.パスティーシュもの
4.チェーラン

1の田舎ものはタミル・ニューウェーブの代名詞と言っていいかもしれない。多くの場合暗いトーンで、壮絶な流血を描写するものも少なくない。マドゥライをはじめとする南部地方が舞台となるものも多く、マドゥライ・シネマなどと呼ばれることもある。Paruthi Veeran (Tamil - 2007) Dir. Ameer Sultan などが筆頭として挙げられる。有名俳優が主演することは少なく、あくまでも監督が主導する低予算映画。上映時間は短め。ざらついた手触りのリアリズム描写が特徴的だが、ソングシーンには伝統的なリリシズムが顔をのぞかせることもある。そう、これまでのタミル映画が育んで来たセンチメンタルな慣用句を全否定したりはしないのだ。ただし、田舎の暮らしの衝撃的なまでに過酷な現実を描くが、モラル的なカタルシスがない、つまり悪い奴が罰せられずに終わるものも少なくない。

2の都会ものは、ワンテンポ遅れて登場したような感触がある。チェンナイをはじめとした都会を舞台としており、リアリズムをベースにして等身大の若者の青春群像を描くようなものが多い。Chennai 600028 (Tamil - 2007) のヴェンカト・プラブ監督あたりが中心人物。ごく近年になって、猟奇的犯罪をテーマにしたスリラーなども現れて来ている。

3のパスティーシュというのは絶対数としては少ないと思う。腰が抜けそうなほど豊富なタミル映画の過去の遺産を料理して、斜に構えた笑いを創出しようという試み。Imsai Arasan 23am Pulikesi (Tamil - 2006) でデビューしたシンブデーヴァン監督が引っ張っている感じ。

4のチェーランというのは、半分冗談だが半分は本気。監督デビュー作 Bharathi Kannamma (Tamil - 1997) あたりではバーラティラージャーの忠実な(そして有能な)弟子とでも呼びたいような作風だったが、初主演作となった Autograph (Tamil - 2004) から何かが変わった。以降、ほとんどの自作で主演し、かつ他監督の作品にも出演することが増えた。どちらにせよ、この目ぇのショボショボした、滑舌もイマイチなオッちゃんというか兄ちゃんというかが主役を張るということは、ヒーロー礼賛の従来型の娯楽映画ではないということは確実だ。

それから、あくまでも作業上の便宜でしかないのだが、このシリーズではバーラー監督作品は取り扱わない。何と言うか新潮流の一員というよりは、独自の作家性の中にいる人のような気がするからだ。

あと、本来の趣旨からはズレてしまうのだけれど、上でちょっと名前を挙げたバーラティラージャーにも言及しておきたい。以前紹介した The Best of Tamil Cinema 1931 to 2010 だが、上下2巻に分けて刊行された本書の第2巻は1977年から始まる。これは決して恣意的なものではないはずである。この年に公開されたバーラティラージャーの監督デビュー作 16 Vayathinile (Pathinaaru Vayathinile) は、カマル・ハーサン、ラジニカーント、シュリーデーヴィーといった若い演じ手達のスターダムへの入り口であっただけでなく、ほぼ全編が屋外ロケで撮られ、リアリズムを基調に持ったヴィレッジ・シネマの嚆矢でもあったからだ。80年のタミル映画史に大きな転換点があったとしたら、このバーラティラージャーの登場であり、それは2000年代中盤以降のニューウェーブなんかよりずっとインパクトが大きかったのではないかという思念はずっと頭の中を廻っている。 ニューウェーブの収集よりもバーラティラージャーの総括をしたい気持ちは十分にあるのだが、いかんせん実作品のディスクが入手しづらい。こつこつチクチク集めて今やっと1ダースってとこだ。まあこれも今後の課題としよう。

Karthamma.jpg

こんな風に見比べると、変わったものなど何一つない、と言いたくなってしまうが。上:Karuthamma (Tami - 1994) Dir. Bharathiraja/下:Paruthi Veeran (Tami - 2007) Dir. Ameer Sultan

Paruthiveeran.jpg

ゆるゆると来週あたりからリストをあげてまいりやす。

投稿者 Periplo : 22:23 : カテゴリー Tamil new wave catalog
| コメント (0) | トラックバック

2011年10月08日

アラビアお伽噺

これは Arabi Katha(アラビア物語)ではない、Malayali Katha(マラヤーリー物語)なのである、なんて言ってるポスター。
Arabikatha

相当以前にあげた記事で、

ケララの衆にとって、豊かで何でもアリでオサーレーで憧れちゃう宝の国っていったら、なんつってもアメーリケなんだな。いろいろ見てみたけどイギリス在住 NRI にはついぞお目にかかったことがない。不思議だ。湾岸ていうのは、リアリティあり過ぎてまた意味が違って来ちゃうんだろうし。逆にジャッパンなんて、あまりにイメージなさ過ぎて造形不可能なんだろし。

なんてことを書いたのだった。アメーリケやジャッパンに関してはまあ今でも変わりはないのだけれど、湾岸に関しては少し分かってきたことがある。それは、実際に行った者と、ケララに残った者との間でのイメージのギャップだ。行って帰って来た者はあまり多くを語りたがらない、あるいは語るすべを持たない。一方残った者達は出稼ぎ者によってもたらされた金品によって野放図に想像を膨らませる傾向があるようだ。そしてこれまでのマラヤーラム映画はもっぱら後者に寄り添って作られてきたのだ。

従来のマ映画で最も多かったのは「がるふに行きたしと思へども がるふはあまりに遠し」というパターンで、Nadodikkattu (Malayalam - 1987) Dir. Sathyan Anthikkad なんかが代表例となるか。あくまでもケララの地から憧れてるだけの話。2000年代になると、貧乏なマ映画でも海外ロケは珍しいものではなくなってきて、一部をドゥバイなどでロケした作品が多少は目につくようになってくる。その場合は、幸運にもドゥバイで成功して巨万の富を築いた人物、またはドゥバイの暗黒街のドンが出てくるのが決まりだった。お約束は砂漠にキャンプを設営しての夜の大宴会・ベリーダンス付き。この系統で代表的なのは、公開当時マ映画史上最もハイバジェットだと言われ、そして見事に大コケした Dubai (Malayalam - 2001) Dir. Joshiy になるかね。

まあ娯楽映画なんてそういうものだと言っちゃえばそれまでだが、大卒者、学位保持者が「石を運ぶ仕事をしていた」というような湾岸出稼ぎの現状は、これまでスクリーン上で再現されることはほとんどなかった。ちなみに、上に引いたセリフは Varavelppu (Malayalam - 1989) Dir Sathyan Antikkad にあったと思う。

以下に紹介するのは、そのような定型パターンから外れた、実際に湾岸に赴いた者の生活の実情を描き出そうと試みた2本。別の意味でのお伽話ではあるのかもしれないが。

cvArabiKatha.jpgArabikatha (Malayalam - 2007)

Director:Lal Jose
Cast:Sreenivasan, Chang Shumin, Jayasurya, Jagathi Sreekumar, Guruvayoor Sivaji, Indrajit, Nedumudi Venu, Samvrutha Sunil, Salim Kumar, Atlas Ramachandran, KTC Abdulla, Augustine, Suraj Venjaramoodu, Narayanan Nair, Anil Panachooran, Sadiq, Majeed

原題:അറബിക്കഥ
タイトルの意味:An Arabian Tale
タイトルのゆれ:Arabikkatha, Arabikkadha, Arabi Kadha, Arabi Katha

DVDの版元:Central
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間30分
DVD 入手先:Bhavani DVD など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/arabikatha-malayalam-2007

【ネタばれ度30%の粗筋】
ケララ内陸地方の片田舎、チェンマンヌール。共産党の専従党員ムクンダン(Sreenivasan)は労働争議に明け暮れる日々を送っていた。父ゴーパーラン(Nedumudi Venu)からコミュニスト魂を受け継いだ彼が神のように崇めるのはフィデル・カストロ。そのためにキューバ・ムクンダンという綽名を持ち、妥協を知らず、党活動にのめり込むあまり中年になっても未婚の彼は、現実主義の党上層部メンバーからは密かに煙たがられていた。そんな彼をある日突然の不幸が襲う。農作業中に急死した父ゴーパーランに、党資金の使い込み疑惑が急浮上したのだ。実はこれは党執行部によって仕込まれた陰謀だったのだが、そんなことを知らないムクンダンは党資金返済のためにドゥバイに出稼ぎに行くこととなる。資本主義の牙城ドゥバイを憎悪するムクンダンは、彼の地で労働組合を結成することなどを目論むが、到着早々そんな夢想は打ち砕かれ、パキスタン人の監督の下で単純肉体労働に従事する。ある日彼は街頭でマラヤーラム映画の海賊盤VCDを売り歩く中国人の女性(Chang Shumin)と巡り会う。お互いに片言の英語でしか話せない間柄であるにも拘らず、ムクンダンは彼女に夢中になる。人民革命の大業を成し遂げた中国からやって来た、ただそれだけの理由から。(粗筋了)

【寸評】
皮肉とペーソスと感傷が巧みにブレンドされた上質の大人向けお伽話。全編の半分以上がドゥバイで撮影され、出稼ぎ者の悲哀と寄る辺なさがタップリと描写されるのだが、一番の批判の対象となっているのはケララ社会のありかた、そして左翼運動の今日的現状だったりする。ただし、玉虫色のエンディングを見ると、共産主義をこてんぱんに批判・断罪しているものでもない。つまり右の人も左の人もそれなりに楽しく観られる作りになっているんだ。こういう「敢えてとことんまで突き詰めない」というのはラール・ジョース監督の得意技だ。一方で個々の登場人物の愛すべきキャラ造形が、胃もたれしないしユーモア映画として本作を成功に導いたのだと思う。例えばシュリーニヴァーサン演じる主人公が、単に人民中国から来ているというだけでヒロインに一目惚れするところ。映画的に見ると、もうちょっと華のある女優(素人であったとしても)を引っ張ってこられなかったのかとも思う。しかし、あまりフェロモン発散のない、ちょっと疲れたようなこの人にゾッコンになってしまうというところに、逆に老唯物論者の馬鹿っぷりが見事に表れていて笑える。本筋からは外れるが、筆者にとって一番印象深かったのは挿入歌 ♪Chora Veena だった。勇ましい革命歌謡なのだが、うっすらと哀しみがつきまとう。これがね、なんかじ〜んと来ちゃうのよ何遍聴いても。政治的信条とかそういうのとは無関係に、餓鬼の頃の運動会の入場ソングがワルシャワ労働歌だった世代には堪んないんだぁ。てっきり歴史的な革命歌なのかと思っていたが、実は歌詞も楽曲も本作のオリジナル(本歌取り的な意味での下敷きはあったようだ、こちら参照)らしい。これはケララ左翼の皆さんの間でも大ヒットして、今では現実の示威行進などでこの曲が使われることも多々あるという。椰子の国のむせかえる緑の中にはためく紅旗と革命詩人、美しいじゃありませんか。

Arabikatha2.jpg


一方、こちらは「本当は怖いお伽噺」というタイプか。

cvGadhama.jpgGaddama (Malayalam - 2011)

Director:Kamal
Cast:Kavya Madhavan, Sreenivasan, Suraj Venjaramoodu, Biju Menon, V G Muralikrishnan, Jaffer Idukki, Lena, Sukumari, KPAC Lalitha, Sasi Kalinga, Shine Tom, Manu Jose, Ali Khamees, Mariam Sulthan, Khaamiz S Mohammed, Hala Al Sayed, Ahmed Saleh, Adnan Althuki, Tehani Al Mohammed, Abi Gael

原題:ഗദ്ദാമ
タイトルの意味:Housemaid(原題はアラビア語)
タイトルのゆれ:Khaddama, Gadhama

DVDの版元:Central
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約1時間56分
DVD 入手先:MyIndiaShoppingWebmall IndiaBhavani DVDMaEbag など

オフィシャルサイト:http://www.khaddama.com/
参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/gadhama-malayalam-2011

Gaddama.jpg

【ネタばれ度10%の粗筋】
ラザック・コッテッカード(Sreenivasan)はサウジアラビアの首都リヤドに定住しているケララ人で、小商いの傍ら、この地で同胞のマラヤーリーに起こる様々な問題に取り組み手助けをするソーシャルワーカーでもあった。ある日彼は、リヤドから400km離れた地方都市ブライダで住み込みメイドとして働いていたケララ人女性アシュワティ(Kavya Madhavan)が、雇い主の家から金品を盗んで逃走中との新聞記事を目にする。記事に書かれていることに疑念を持った彼は独自に調査を開始する。(粗筋了)

【寸評】
Arabikatha とはガラリと変わって、こちらは実話に基づく恐怖の逃走劇。スリラーとしての性格が濃いのであまりネタバレになることは書きたくない。クウェート在住のITエンジニアとの見合い結婚&移住の後、よくわからない経緯から泥沼の離婚劇を経てケララに帰還したカーヴィヤ・マーダヴァンが主演、本作によって完全復活が宣言された。観る前は告発調一辺倒の陰惨なアート系作品だと思ってたのだが、見事に裏切られた。これ、言うなれば「カーヴィヤ版ダイハード@サウジ」なんだわ。そうはいうものの、主役はか弱い女性、主体的に戦う場面はほとんどなく、逃げ惑うばかり。その一方で、彼女が赴く先々で、相対する人物がそれぞれに「この人を救うべきか、見捨てるべきか」を迫られるのだ。この部分にヒューマニティを追求するカマル監督らしさがよく表れていた。また、メイドとして湾岸に出向くケララ人女性が直面するかもしれない困難を容赦なく描きながらも、雇い主による性的な虐待の描写だけは避けて(代わりに別の国からやって来た女性が担わされるのだが)、実社会での出稼ぎ女性に差別の目が向かないように心配りもされている。しかし他方で全くの獣として表出されたアラブ人の描き方には反発も起きたようで、湾岸のいくつかの国では上映禁止となった。このあたりが、本作をリアリズム作品というよりは裏返しのお伽噺として扱いたくなる部分ではある。そして悪夢のような逃避行の後にほのかな希望の光を感じさせるエンディング。ここでの大変抑制された奥ゆかしい演出に感じ入った。カーヴィヤ・マーダヴァンは国家映画賞候補になるなどと騒がれたが、この人の通常レベルからしてこの位は普通という感想を持った。印象に残ったのは Bhramaram (Malayalam - 2009) Dir. Blessy で初めて注目したVGムラリクリシュナンだった。これがデビューから3作目。マ映画には少なくない「主役もこなせる性格俳優」として、これからお目にかかる機会も増えてくるのではないかと思われる。それから、ここのところ出演作が増加中の脇役シャシ・カリンガ、あまりに容貌魁偉すぎて分量を誤るとバランスが崩れてぶち壊しになりそうなこのオッさんを、ああこういう風に出して来たかと膝を打ちたくなる使い方、このあたりも見所と言っていいかと思う。ともかく鑑賞後に雨上がりの清々しさのようなものが感じられるお勧め作品。2本併せてみるとまた格別かも。

Gaddaama
映画関係者だけのプレビューでマンジュ・ウォーリアルとサミュークタ・ヴァルマが本作をいたく気に入って激賞した、ただそれだけの理由から二人の顔写真が並べられたポスター。

投稿者 Periplo : 03:45 : カテゴリー so many cups of chai
| コメント (0)