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2011年11月28日

TNWコレクション:Pokkisham

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Autograph に続いて、チェーランの監督・主演作を取り上げてみようと思う。ただし、2004年の Autograph と本作との間には、2本の監督作がある。このTNWコレクションは必ずしも年代順の紹介ではないのでご了承を。

cvPokkisham.jpgPokkisham (Tamil - 2009)

Director:Cheran
Cast:Cheran, Padmapriya, Vijayakumar, Aryan Rajesh, Anupama Kumar, Mahesh Manoharan, Ilavarasu, Srinivasamurthy, Kalpana, Bindu Madhavi, Debabrato Roy

原題:பொக்கிஷம்
タイトルの意味:Treasure
タイトルの揺れ:Pokkisham - The Words of Love From You

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間54分
DVD 入手先:Bhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/pokkisham-tamil-2009

都会度★★★★★☆☆☆☆☆田舎度★★★★★☆☆☆☆☆
暴力度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★★★衝撃度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★☆☆☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★☆☆☆

【ネタバレ度40%の粗筋】
2009年のチェンナイ。ある青年(Aryan Rajesh)が、地方都市に出かけている母からの依頼で、自宅のどこかのあるという書類を探している。その間中、彼はガールフレンドからのひっきりなしの電話に応対しているが、やがて二人の会話は痴話喧嘩となる。彼は探し物の途中で、古いトランクの中に、5年前に死んだ父の古い日記帳と父宛の手紙の束を見つけ、吸い込まれるように読みふける。

1970年のチェンナイ。貨物船舶の航海技師として働くBレーニン(Cheran)は父ダーモーダラン(Vijaykumar)の手術に付き添うために、勤務地のカルカッタから帰省し、病院に詰めていた。大部屋の病室の隣のベッドには中年のムスリム婦人がおり、もっぱら彼女の世話をしているのはその娘の若いナディラ(Padmapriya)だった。彼女が介護の合間に熱心に本を読む姿にレーニンは目を留める。ナディラの母の症状が急変し緊急手術を受けることになった時に手助けをしたのがきっかけで、レーニンとナディラは親しく会話をするようになる。ナディラは普段はナーガパッティナム郊外の小邑ナーグールに暮らし、その地のカレッジに通う勉強の好きな娘だった。父のジャラルッディーン(Srinivasamurthy)は、東南アジアなどとの取引を生業とする小商人で、ナーグール・アーンダヴァル(Lord of Nagore, 有名なナーグール・ダルガーに祀られている聖人)の信徒会メンバーでもある熱心なムスリムだった。

15 日の病院詰めに費やした休暇の後、レーニンは止むなく任地のカルカッタに戻るが、ナディラのことが忘れられなくなっていた。彼は父から教えられたナディラの住所に手紙をしたためる。未婚のムスリムの娘に対してコミュニティ外の男が信書を送ることのリスクを承知してはいた。しばらくしてナディラからの返信が届き、彼は有頂天になる。それからしばらく、二人の間では頻繁にやり取りが続く。話題となったのは二人の共通の情熱である文学だった。しかしある時、ナディラからの返信が途絶え、レーニンは煩悶する。かなりの間を置いてやっと届いた手紙には、レーニンが彼女宛に送った書籍小包が父の手に渡り叱責されたこと、それ以降監視が厳しくなり手紙が書きにくくなったことが綴られていた。同時に彼女は、大変に控えめな言葉ではありながらはっきりと、彼に対しての愛を打ち明けていた。(粗筋了)

Pokkisham04.jpgPokkisham03.jpgPokkisham09.jpg Pokkisham06.jpgPokkisham08.jpgPokkisham05.jpg Pokkisham10.jpgPokkisham07.jpgPokkisham02.jpg

【寸評】
Autograph の大ヒット後、チェーラン監督は自作には必ず主演するのを倣いとして今日に至っている。そもそも Autograph では、出演を依頼したプロの俳優達にことごとく断られて止むなくの自演だったというが、それ以降のものに関してはおそらく主体的な選択なのだろうと思う。そしてその作品中(Maya Kannadi だけは未見なのだが)では必ず恋に胸を焦がす青年役というのをやるんだな。それは通俗的な映画の、様式化され意外にあっさりもしている恋愛感情の表現とは異なる、妙に生々しいものだから、観る人によっては胸焼けを起こすこともあると思う。筆者もどちらかというとこの傾向が苦手である。にも拘らず、「オラぁ辛党だって言ってるだろ」と喚きながら目の前に最中を出されるとパクッといっちゃう親爺みたいに、チェーランが止められないのだ。困った。この Pokkisham は、批評家やインテリ観客には好評だったが、興行的には失敗したものらしい。チェーランはインタビューの中でその原因をエンターテインメント性の欠如にあったと歯切れ悪く分析している。しかし本当のところは、俳優としてのチェーランの限界、もっと言っちゃうと痛さが、観客を遠ざけたのではないかと疑っている。逆にそういうものがあまり気にならない向きには本作はかなりお勧めできる作品と言える。

まあ、それにしても、チェーランに限らず、現場の全てを見渡して仕切るクールさが要求される監督業と、虚構のエモーションの中に自我を一時的に没入させる俳優業を同時に行うというのは、凄いことだわな。よっぽど腕の立つ助監督に支えられているということなのかな。

本作の筋立てはアメリカ映画『マディソン郡の橋』の影響を受けているとも言われているが、これは導入部が似ているというだけで、本質的な相似では全くない。むしろ、日本でも公開された『ボンベイ』(Tamil - 1995) Dir. Mani Ratnam を嫌でも思い起こさせる設定である。ただ、ヒンドゥー(コミュニストなのだが世間一般からはヒンドゥーとして扱われる)の男とムスリムの女の恋愛を似たような環境のもとに設定しながらも、『ボンベイ』と本作の間には相当の隔たりがある。前者は困難を超えて結ばれた男女が1992年のボンベイ・コミュナル衝突という歴史的大事件に巻き込まれるのをドラマチックに描くのに対して、本作は二人が結局結ばれるのかどうかが最大のミステリーとして進行するのだ。冒頭に登場する若い男は終盤になるまで名前で呼ばれない。これは名前からその家族構成が推し計られるのを避けるためだ。こんな曖昧なヒントも提示されるが、引っ掛けかもしれない。レーニンの息子の母親はナディラなのか別の人物なのか、観客の注意はそこにだけ向けられるように作られている。

それから旧世代の純情と新世代の恋愛の軽薄さの対比という面では、奇しくも同年に公開された Love Aaj Kal (Hindi - 2009) Dir. Imtiaz Ali とも非常に似通っている。ただし、Love Aaj Kal では、両世代の隔たりを強調するあまり、若者の軽佻浮薄ぶりを殆どニヒリズムのレベルにまで極端化してしまったためその後の展開に収拾がつかず説得力のない恋愛遊戯ドラマに終わってしまっている(と筆者は感じた、これを傑作と評価する人も多いようだが)。本作では若者はあくまでも狂言廻しにとどめ、38年前の愛の物語に絞り込んだところが良かったと思う。

そして何より、上に挙げた諸作と比較しての本作のユニークな点は、二人が宗教や境遇の違いを超えて心を通わせる契機が「タミル語と文学への愛」だということ〔文通を通して愛し合うというストーリーとしては Kadhal Kottai (Tamil - 1996) Dir. Agathiyan という作品もあるとういうが、筆者は未見〕。言語的なファンダメンタリズムは南印映画に共通する特質であり、そしてタミル界は制度的な面から最も露骨にそれを推奨している映画界ではあるが、表層的あるいはスローガン的な自言語への執着ではなく、母語への愛そのものを文通という形をとって謳い上げた本作の志の高さにはやはり敬意を払うべきだと思っている。

なお、本作では主人公の息子である若い男の声をプラサンナーが、パドマプリヤーが演じるヒロインの声をミーナーが吹き替えている。

Pokkisham11.jpg Pokkisham12.jpg

ありふれた日常の光景が、ある瞬間この世のものではないような光に満たされる、そんなソングシーンのビジュアルを担った美術監督の
ヴァイラバーランの仕事ぶりも見所のひとつ。

投稿者 Periplo : 01:05 : カテゴリー Tamil new wave catalog
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2011年11月23日

TNWコレクション:Anjathey

Chithiram Pesuthadi (Tamil - 2006) に続く、ミシュキン監督作品の第二作目。近年のタミル映画の都市型スリラーとしては傑作と評価された。

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この数年、筆者のタミル映画の鑑賞本数が減ってしまったのは、何よりもメディアの値段の相対的な高さによるものだったけれど、二番目の理由としてはガウタム・メーナン的なものにウンザリしてしまったせいもあるのだ。Kaaka Kaaka (Tamil - 2003)といい、Vaaranam Aayiram (Tamil - 2008)といい、大掛かりな割に薄っぺらいヒロイズムをたっぷりのメロドラマと変にマジなメッセージと一緒に見せられて、胸糞悪くなっちまったんだわな(そんなこと言いながら、ロマンス映画 Vinnaithaandi Varuvaayaa は決して嫌いではないのだが)。

筆者は、リアリズムを至上のものとする、インドのある種の映画好きとは立場を同じくしない。神話的な後光の中に仁王立ちするヒーローを常に待望しているのだ。が、作り手の「こうなりたかった格好いい自分」を芸もなく映像化しただけにしか見えない豪華アクション大作はどうしても駄目だ。そんな時に通俗的ヒロイズムとはちょっと違う本作に出会って、情念と運命の絡まりや、極限の悲惨の中の崇高といった、タミル映画を見始めた頃に刮目させられた世界に再び出会ったように感じ、懐かしくまた慰められる思いをしたのだった。

cvAnjathey.jpgAnjathey (Tamil - 2008)

Director:Mysskin
Cast:Narain, Ajmal Ameer, Prasanna, Vijayalakshmi, Pandiarajan, M S Bhaskar, Livingstone, Ponvannan, Bomb Ramesh, Sridhar, Sangeetha Balan, Priya, Snigdha Akolkar

原題:அஞ்சாதே
タイトルの意味:Do not fear
タイトルの揺れ:Anjathe, Anjathae, Anjaathe

DVDの版元:Moser Baer, Ayngaran (カバー写真は Moser Baer 盤)
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約3時間03分
DVD 入手先:Bhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/anjathey-tamil-2008

都会度★★★★★★★★★★田舎度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度★★★★★★☆☆☆☆お笑い度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★☆☆☆☆☆衝撃度★★★★★★★☆☆☆
ハッピー度★★☆☆☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★★★☆

【ネタバレ度40%の粗筋】
チェンナイ・テーナームペーットにあるポリス・コロニー。サティヤ(サティヤヴァン、Narain)とキルバ(キルバカラン、Ajmal Ameer)は、どちらも巡査を父に持ち、向かい合った家に住み、同じカレッジで主席を争った仲でもある親友だった。しかし、3年に一度のサブ・インスペクター(SI)採用試験に向けて着々と準備をするキルバに対して、サティヤは目的もなく無頼の生活を送っていた。キルバの妹のウッタラ(Vijayalakshmi)は兄がゴロツキ同然のサティヤと付き合うことに顔を顰めている。サティヤは酒場での喧嘩をきっかけに、怪しげな商売人のローグ(Pandiarajan)と不気味な若い男ダヤー(Prasanna)と顔見知りになる。祭りの夜、ウッタラに目を付けたダヤーは浴室に入った彼女を襲おうとするが、すんでのところでサティヤが助けに入り、ダヤーを殴打する。しかしウッタラの気持ちを思い、彼女が襲われかけたことをサティヤは口に出さない。常々サティヤの素行を苦々しく思っている父のローガナーダン(M S Bhaskar)は、そんな事情も知らず、無用な暴力沙汰を起こしたとして大勢の前で息子を痛罵する。

父の罵りに憤激したサティヤは、周りの人間の鼻をあかすためだけにSIになろうと決心する。彼には大臣の個人秘書を務める伯父がいたが、彼に縋って様々な便宜を図ってもらうことを潔癖な父はこれまで許さなかった。サティヤは一人でこっそりと伯父のもとを訪れ、助力を頼む。不真面目な態度で臨んだにも拘らずサティヤは試験に合格し、1年間の訓練期間の後、地元テーナームペーットの警察署に配属となる。このころチェンナイでは少女をターゲットにした身代金誘拐事件が連続しており、とあるきっかけから覆面の犯人グループの一人の声を聞いて記憶したサティヤは、キールティ・ヴァーサン(Ponvannan)が率いる私服の特別捜査チームに組み込まれる。(粗筋了)

【箇条書きの寸評】
■長尺と長回し
ともかく近年では珍しい3時間超のランタイム、挿入歌はたったの3曲なのに! しかも、ミシュキンは妙に長回しに凝る癖があり、プラン・セカンスまでは行かないものの、1分を超えるようなショットはゴロゴロ出てくる。それに加えて、芸術映画にあるような、遠景・中景での物事の進行だとか、逆に人物の膝から下しか映らない数分間とか、娯楽映画的な発想からしたら盛り上げるというよりは逸らかすような映像のオンパレードなのである。でありながら、ダレるところが全くなく、一気に見られてしまう。おそらくそれは犯罪ドキュメンタリーを見ているようなリアリティの演出によるものなのだと思う。

■語る風景
チェンナイを舞台にしているにも拘らず、華やかな都会らしい風景は一切出てこない。メインの舞台であるテーナームペーットは決して郊外ではなく、有名な繁華街 Tナガルからも遠くない地区なのであるが。夜のシーンも多いが、昼間であってもどの光景も不思議にくぐもっており、タミルが太陽の国であることを忘れてしまいそうだ。最たるものが、クライマックスの砂糖黍畑。チェンナイ市の北端のイェラーヴールという設定だが、大空のもと黍の葉が青々と茂っているありふれた農村地帯のはずなのに、ただもう不吉で彼岸の景色のようなのだ。ちょっとしたボタンの掛け違いから運命の用意した破滅への道を突き進む登場人物と、それを黙って見守る自然との対比が鮮やか。人物が点でしかないロングショットを使って雄弁に語らせるミシュキンの心象表現の好例と言えるだろう。

■妹の力
全体的には男っぽい映画なのだが、一応ヒロインとしてヴィジャヤラクシュミがいる。前年の Chennai 600028 (Tamil - 2007) Dir. Venkat Prabhu でデビューしたばかりでこれが2作目。角度によって可憐だったり小母さんみたいだったりする不思議な女優だが、本作では慎ましい庶民の娘を好演。ただし、ヒロインであるのに通俗的なセックスアピールがあまりない。ヒーローの恋愛対象としてよりもセカンドヒーローの妹としての存在の方が重要だからだ。ミシュキンという人には割と重度の妹コンプレックスがあるのじゃないかと疑ってしまう。前作 Chithiram Pesuthadi では、小学生ぐらいの幼い妹だったが、グサッとくるような洞察力のある台詞を吐いて大変に印象深かった。第三作の Nandalala だけはシスコンよりもマザコンが勝った作品だったが、続く Yudham Sei では、その不在によって大きな影を落とすものとして妹が帰ってきている。ミシュキン映画の妹にはこれからも注目だ。

■悪役
本作では、チョコレートボーイとしてタイプキャストされていたプラサンナーを変質的な犯罪者の役で起用したことが大変に話題になり、賞賛されもした。しかし、プラサンナーの邦人女性ファンを敵にまわすことになるかもしれんが、ホントにすげえのはパーンディヤラージャンの方だと思う。短躯で不格好、時代遅れの印度人民服をまとい、内面の歪みが表に溢れ出てしまっているような面構え。こいつが、大胆で卑劣な犯罪に手を染めながらも、同時に小心で怯懦、その恐怖心から逆に簡単に残虐行為を行なってしまう、かなり危ない奴なのだ。Chithiram Pesuthadi でもそうだったが、ミシュキン映画の悪役はリアリティと突拍子もなさが合わさって怖い。80年代中盤からのユーモア映画のヒーロー格(当網站でも一本紹介している)で、近年は脇に回ったコメディアンとして活動を続けている、いわばチョコレート小父さんのパーンディヤラージャンから愛嬌髭を取り去ったら犯罪者が見えた、この彗眼には唸ったね。

■音楽
デビュー3作目のスンダルCバーブの楽曲は僅か3曲だが、胸キュンおセンチ歌謡 ♪Manasukkul Manasakkul は良い。ソング・ピクチャライゼーションにおける幻想と現実の織り交ぜ方が神懸かっている。お待ちかねの黄色いサリーのお姐さんが登場する ♪Kathala Kannala でアイテムダンスを披露するスニクダ・アコールカル(と読んでいいのだろうか)は、ミシュキンの次回作 Nandalala ではヒロインを演じることになるので注目だ。一方、バックグラウンドスコアの方は、若干古くさく、時々やりすぎな感じがあった。

■南インド映画と警察官
大きく出た見出しだよな。これについてちゃんと書こうと思ったら、超長文のエントリーが別に必要になるくらいだ。ここでは手短かに、一々典拠を示すのを略して書く。

サウス映画で主人公あるいは悪役としての警察官がプレゼンスを増すのは、大雑把に言って1980年代からである。前者はエンカウンター(あるいはフェイク・エンカウンター)をも辞さないスーパーコップ、後者は多くの場合政治家と癒着した汚職警官として現れる。本作のように玉虫色の警察官像を描くのは比較的珍しいものであるはずだ。

それから、前半のメインの舞台となっているポリス・コロニーというのは、インドの都会なら大抵ある、その名の通り警察関係者が集住する地区。英国植民地時代の遺制と古来のカーストによる住み分けとが結びついたものと思われるが、他にも公務員の職名がそのまま地区名となっているレイルウェイ・コロニー、ポスト・コロニー、アーミー・コロニーなどが多くの町に存在する。同じ価値観を持ち、同じような経済状態にある人々が集まって暮らすわけだ。そういう中で、巡査の息子がSIになるということへの切ない憧れは育まれていく。これを強烈なモチーフとしたものに Kireedam (Malayalam - 1989) Dir. Sibi Malayil という有名作(2007年にアジット主演で同じ題名のタミル・リメイクが公開されもした)がある。

Vijayalakshmi.jpgsnigtha.jpg
ヴィジャヤラクシュミとスニクダ。だけど、いっちゃん萌えたのは、誘拐される金持ちの子女でかなり気の毒な役回りだった
プリヤーちゃん(注、役名)だってことは内緒だ。

投稿者 Periplo : 03:12 : カテゴリー so many cups of chai Tamil new wave catalog
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2011年11月19日

TNWコレクション:Poo

この真っ赤な土には、それだけで心を揺さぶるものがないだろうか。本作の冒頭では張芸謀へのオマージュが表明されている。
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2006年の Veyyil、2007年の Paruthiveeran、2008年の Subramaniapuram と立て続けにマドゥライの流血映画が発表されたところに現れた、異色の純愛映画。舞台となっているのは、作中ではっきりと提示はされないものの、マドゥライの南100kmのところにあるコーヴィルパッティ(コーイルパッティとも)であるとも、同じく南西75kmのところにあるラージャパーライヤムであるとも言われている。

cvPoo.jpgPoo (Tamil - 2008)

Director:Sasi
Cast:Parvathy Menon, Srikanth, Inbanila, Inigo, V Ramu, Sattur Janaki, V R Kannan, Varunazhi Kandaswamy, Harika, Divya, Saritha

原題:பூ
タイトルの意味:Flower

DVDの版元:Moser Baer
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間21分

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/poo-tamil-2008-0

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★★★衝撃度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★☆☆☆☆☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★☆☆☆☆

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【ネタバレ度30%の粗筋】
コーヴィルパッティの郊外の農村。乾物屋を営むカルップサーミ(Inigo)とマーリ(Parvathy Menon)は仲の良い若夫婦で、常に笑いが絶えない生活を送っていた。結婚後初めてのポンガル祭に、マーリは少し離れた実家にバスで帰省する。実家に帰り着いた彼女が真っ先に尋ねたのは、母方の従兄のタンガラス(Srikanth)が息災かどうかということだった。

話は過去に遡る。マーリとタンガラスは幼少の頃からの仲の良い遊び友達で、マーリは小学校に上がる頃にはタンガラスと将来結婚するということしか考えていなかった。タンガラスはハイスクールを卒業後、エンジニアとなるためにチェンナイの高等教育機関に進み、マーリは地元の火薬工場に就職した。遠く離れていても抑えきれない恋心を、マーリは親友のチーニ(Inbanila)に吐露する。チーニはマーリを放っておくことができず、彼女にタンガラスの真意を確かめさせようとあれこれと策を練る。(粗筋了)

【寸評】
テーマはずばり「純愛」。ありそうでなかったジャンルである。序盤のストーリーの流れには一見して「デーヴダース」を思わせるものがあるが、あくまでも主役は女の子。アルコールの誘惑も高級遊女も出てこない。そして、冒頭でいきなりヒロインが他の男と夫婦となっているのが提示されることによって、幼なじみの恋に何が起こったのかというミステリーの風味も加わる。

監督はすでに10年のキャリアを持っていた シャシ。実は本作の構想はデビュー前から暖められていたというのだが、プロデューサーが見つからないまま10年以上そのままで、MoserBaer 社(つまり The Best of Tamil Cinema 1931 to 2010 の著者、GDのオッちゃんだ)が買うことによってやっと日の目を見た、いわばドリーム・プロジェクトであったという。タミル語で書く中堅作家、Sタミルセルヴァンの “Veyyilodu Poi” (Gone with the heat of sun)という短編小説をベースにしている。小説の映画化と言えば、マラヤーラム映画なら珍しくもないことだが、タミル映画ではそれほど盛んではない。地滑り的な大ヒットとはならなかった本作だが、一定数はいる文芸的なものを好む観客には大変にウケたようだ。

本当のところ、当初は『あたいのじっちゃん、象、飼ってたの』の映画化を考えていた。しかし原作を再読してみて、バシールがこの小説の中で描き出した、こうした類の純情はすでに存在していないと感じた(ので映画化を断念した)。 Actually I thought of Entuppuppakkoranendarnnu. But when I read the story again, I felt that the kind of innocence Basheer was talking about in that story no longer existed.(Cinemaofmalayalam に掲載のアドゥール・ゴーパーラクリシュナンへのインタビューより)

過去のエントリーでも引用したことのある一節(ちなみにこのエントリーで予告された『あたいのじっちゃん〜』の映画化は結局頓挫したようだ)。確かに4言語の映画をそこそこ観ていると、いくらサウスといえども、時代設定を現代とした純愛映画というのはなかなか成立しにくいものだろうなとは思われる。なおかつ、唯一それが可能だとしたら、それはタミルの田舎だろうとも。しかしそれだけでは充分ではない。やはり映画まるごと一本を背負って立つヒロインが適役でなければ、どうしようもない出来になっていただろう。ここに登場するのが以前にも紹介したパールヴァティ・メーノーンだから吃驚なのである。トリヴァンドラム育ちの中産階級の子女で、映画デビュー前はテレビの司会者をやっていたというのだから都会的で才気煥発なタイプだろう(只今上映中のインタビューによれば、本作の撮影現場を訪れたパールヴァティの両親は、目の前にいるハーフサリーの色黒の娘が我が子だとしばらく気付かなかったそうだ)。そのパールヴァティが、盲目的に従兄を慕いながらもその前に出るとまともに口もきけないような無知な田舎娘をやるのだ。そしてひとたびその恋が破れた時に彼女が見せる豹変とバクティ的なまでの無私、これこそが、そしてこれだけが本作の見どころと言い切ってしまいたい程だ。

もちろんそれ以外に、村ののどかな暮らしの描写や、暖かみのある人情模様を評価する観客も多い。ただ、筆者にはこの作品のやや作りすぎた感じのある画面が、どうにも窮屈に感じられた。村の風景を描きながら、なにか空気感が足りない感じなのだ。あえて寓話的なものを狙ってそうしたのか、それとも、マドゥライ〜ティルネルヴェーリ間のディープ・サウスには本当にこんな宇宙的な空間が広がっているのか、そのあたりは分からないのだけれど。調べてみると、屋外撮影の多い本作ではあるが、その風景の中にも大道具部隊が出動して作り込んだものもあるようだ(こちらなど参照)。

ということで、渾身のお勧めとまでは言えないのだが、タミル・ニューウェーブの広がりが分かる佳品、観ても決して損はしない一作としてここに挙げておきたい。

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それにしても、ケララからタミルに出張っていく俳優たちの傾向として、男優はたいてい都市ものに出演(例外はマンムーティ)、女優は田舎ものも都市ものも何でもアリで全方位に展開、というのは面白いと思う。

投稿者 Periplo : 12:16 : カテゴリー Tamil new wave catalog
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2011年11月16日

TNWコレクション:Mozhi

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先日の Azhagiya Theeyae に引き続いて、プラカーシュ・ラージのデュエット・ムービーズと監督ラーダーモーハンとのコンビで送り出された作品の紹介。

筆者には、本作に関しては公開前から異様なまでの期待があった。コンテンツじゃなくてメディアに関するものだったけど。詳しくは2007年3月5日エントリーを参照していただきたいが、つまりそれは、海賊盤への対策として、劇場公開とほぼ同時に正規盤DVD&VCDを廉価(その当時の一般的な正規盤の価格の十分の一程度)で発売するという大胆な試みへの好奇心だった。大手の制作・配給会社が手を拱いているこの問題に、弱小プロがこんな形で切り込んでいこうとは、プラカーシュのとっつぁん、漢じゃねえか! 意気に感じたオイラは、チェンナイのシネコンで上映中だったのを見に行っちまったくらいだ。

ところが本作、蓋を開けてみたら予想外のヒット。なのでディスクリリースは延期します、という製作者発表。おいおいおい! 海賊盤防止という趣旨はどこにいったんじゃ。あー、印度人の言うことを真に受けた俺はやっぱりお人好し。

cvMozhi.jpgMozhi (Tamil - 2007)

Director:Radhamohan
Cast:Prithviraj, Jothika, Prakash Raj, Swarnamalya, Brahmanandam, M S Bhaskar, Neelima Rani, Geetha Ravishankar

原題:மொழி
タイトルの意味:Language、副題の Pesum Padam は直訳すれば「語る映画」、一般的にはトーキーのことを表す
タイトルの揺れ:Mozhi - Pesum Padam

DVDの版元:Moser Baer ほか
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間33分
DVD 入手先:WebMallIndiaAmazon.com など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/mozhi-tamil-2007

都会度★★★★★★★★★★田舎度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★★★★☆
おセンチ度★★★★★★★☆☆☆衝撃度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★★★★★★★★★シリアス度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
消化不良度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★☆☆☆

【ネタバレ度30%の粗筋】
映画音楽家ヴィディヤサーガルのもとで働く二人のキーボードプレーヤー、カールティック(Prithviraj)とヴィジ(Prakash Raj)は気楽な独身貴族。二人で部屋をシェアするつもりでチェンナイの高級フラットに引っ越してくる。マンションの自治会長のアナンダクリシュナ(Brahmanandam)は、独身者入居禁止のルールを言い立て、部屋を引き払うことを求める。こんな要求をほとんど意に介さない二人は、ことあるごとにアナンダクリシュナをからかうようになる。ある日カールティックは、街頭で妻に暴力を振るう飲んだくれを腕力でねじ伏せる毅然とした女性(Jothika)を目撃し、一目で恋に落ちる。程なくして、その女性の名がアルチャナということ、二人と同じマンション内に祖母と一緒に暮らしていること、そして彼女が先天的な聾唖であることなどが分かる。彼女の障碍を知ってもカールティックの恋心はつのるばかりだった。何とかアルチャナと近づこうとするカールティックは、彼女の親友のシーラ(Swarnamalya)に頼み込み、ヴィジも交えて4人の男女の友達付き合いが始まる。最初はシーラの通訳によって、やがて学習をはじめた手話によって、カールティックはアルチャナに自分の思いを伝えようとする。しかしそこでは様々な誤解や思いこみが邪魔をして、カールティックの奮闘にもかかわらず二人はなかなか距離を縮めることができない。(粗筋了)

【寸評】
2007年のタミル映画界は、巨艦 Sivaji The Boss Dir. Shankar がバラスト水よろしくガバガバと売り上げを吸い込む一方で、 Paruthiveeran Dir. Ameer Sultan という異色の田舎映画が突如現れ、そして本作のような「まるでトレンディ・ドラマ」までもが健闘するという、随分と賑やかな年だったのだな。

しかし、ギョーカイ人の若いのが高級マンションに住まいながら繰り広げる恋愛沙汰を描きながらも、本作は嘘くさく子供じみたトレンディ・ドラマ臭からは上手く逃れているように思える。それには幾つかの要因がある。まずはストーリーが障碍や痛みというものを繊細に扱っていること。それから、登場するキャラクター全般にタミル映画らしい楽天性とお人好しさがあり、かつ、全編にわたってさざ波のように笑いが満ちていること。そしてさらに、映画(タミル映画)というものへの穏やかなあてこすりが込められていること。

まず、障碍をもった人物の提示の仕方だが、本作でのそれはかなり大胆なものだった。これまでのサウス映画では、障碍を持った女性は、負い目以外の自意識をもつことがない、いじらしい妹で、兄や両親は彼女を嫁として引き取ってくれる男をなんとしてでも探さなければならない、そういう存在だった。が、ここで登場したヒロインは、求婚してくる男がいても気に食わなければ敢然とその手を払いのける、革命的なキャラだった。もちろん心に葛藤がない訳ではない。その揺れ動きを大きな瞳と流暢な手話で表現しきったジョーティカは凄いと思った。Perazhagan (Tamil - 2004) Dir. Sasi Shanker といい、本作といい、この人はハンディキャップをもったキャラクターを演じると空恐ろしいくらいに巧みだ。

そしてユーモアの質の目新しさ。前回 Imsai Arasan 23rd Pulikecei の項ではベテランのお笑いの笑えなさについて文句を垂れたりしたのだが、ここでのユーモアは主として喋くりからくるもので、観ていてなんでだか分からないまま全編にわたってヘラヘラ笑い通しだった。町中の兄ちゃんたちのタメ口よりは脚本家の技が効いてるが、専任コメディアンの鍛え抜かれた芸とくらべるとずっとリアリティがある、そういうさりげない笑い。そこにテルグ界のコメディー・キングであるブラフマーナンダムのベタなギャグもところどころ挟み込まれて、全体としては非常に起伏に富んだものとなっている。まあやっぱり、一番笑ったのはブラフミー先生のこのトラウマ顔だったけどな。

タミル映画への皮肉な言及という点ではどうか。前作 Azhagiya Theeyae に引き続いて、ラーダーモーハンは映画界で働く人物をメイン・キャラとして登場させて、開始早々に「そんな映画みたいに行くかよ」という意味のことを言わせている。そのような批判精神は、ヒロインの初登場シーンに最も良く現れているだろう。フォーミュラ映画でのお約束となっている、路上で暴れる荒くれを易々とぶっ飛ばして成敗するヒーローとそれを見て目が♥♥になるヒロイン、これを完全に逆転させてみたのだから。あるいは二組の男女の恋愛に、両親やカーストなどといったお決まりのハードルが一切登場しないのも結構凄い。これはシネコンでデートするような中産階級の都市生活者にはウケただろうね。

まあしかし、欠点もある。ソングシーンのビジュアルのしょぼさだ。 ♪Kaatrin Mozhi のような名曲がありながらも、絵の方は、若いのが集団でフラフラしてるとこをアフターエフェクト(画面分割とかフィルターワークとか)で色々といじってるだけ。まあ、ダンサーと言えるのはスワルナマーリヤーお姉様ぐらいしかいないから仕方ないのかもしれないが。こういう新機軸はまったく感心しない。

ともかく、クリーンで、都市型で、洒脱ですらある本作を見ていると、タミル映画はどこまでタミル映画でいられるか、タミル映画の「タミル性」の境界線はどこまで広げられるか、なんていうところにまで思いが及んでしまうのである。日本人の観客にとっては、そういう意味で鑑賞後に話が弾む一作であることは間違いないと思う。

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文字要素までをデザイン設計の一部として計算に入れた、なおかつ英語を使わない、洗練されたポスター。しかし実際の町中でドブ板の上にこれがディスプレイされると若干シュールな感じもあった。それから、このデザイン思想はケララでの上映用のものには全く活かされなかったみたいだ(笑)。

投稿者 Periplo : 03:17 : カテゴリー Tamil new wave catalog
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2011年11月14日

TNWコレクション:Imsai Arasan 23rd Pulikecei

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どれだけインド映画を見ていても、越えられない壁を感じる経験はなくならない。特に、ソングの歌詞の理解と、コメディシーンで笑えるかどうか、このふたつは最も高々と立ちはだかっているように思える。色々と観察してると、ネイティブの観客にとってはこの二要素はかなり重要なもので、作品全体がショボくてもコメディとソングは別個に評価するという傾向があるようだ。どちらも言語に関わる構成要素。詩については半ば諦め気味だったりもするのだが、お笑いの方は、面白さが分かってくるものと、何回見ても分からないものとがある、不思議なもんだ。

筆者にとって最近のヴァディヴェールは分からないお笑いの筆頭。デビューから90年代後半ぐらいまでのヴァディヴェールは凄かった。漆黒の肌、目つきの悪さ、戯画から抜け出してきたような骨張った体型、どこから見てもロウワー、もう「存在そのものが批判精神」といった趣で、田舎を舞台にした作品で特にインパクトが強かった。が、トップ・コメディアンとして押しも押されぬ存在となってからの近年のものは、たとえば『チャンドラムキ』(Tamil - 2005) Dir. P Vasu にしろ Pokkiri (Tamil - 2007) Dir. Prabhu Deva にしろ、ベッタリとくどくて、やり過ぎで、ダレきった戯けにしか思えなくて、しかし現地のレビューでは概ね好意的に捉えられていて、頭抱えてしまったのだった。

cvImsaiArasan.jpgImsai Arasan 23rd Pulikecei (Tamil - 2006)

Director:Chimbudevan
Cast:Vadivelu, Nasser, Nagesh, Manorama, Monika, Tejasri, Ilavarasu, Seeman, Vennira Aadai Murthi, V S Ragavan, M N Rajan, Manobala, Thyagu

原題:இம்சை அரசன் 23ம் புலிகேசி
タイトルの意味:残酷王プリケーシ23世(ただし、ここでの23というのは、22回の死産の後に生まれた子という意味)、読み方は「いむさい・あらさん・いるばっとぅ・むーんとらーむ・ぷりけーし」
タイトルのゆれ:Imsai Arasan Irupathi Moonam Pulikesi, Imsai Arasan Irubathi Moondram Pulikesi, Imsai Arasan 23-aam Pulikesi, Imsai Arasan 23-m Pulikesi, Imsai Arasan Irubathi Moondram Pulikesi, Imsai Arasan Irupathhu Moondram Pulikesi, Imsai Arasan Irubatthimoonraam Pulikesi, Imsai Arasan 23aam Pulikesi, imsai arasan 23 pulikesi, Imsai Arasan 23rd Pulikesi, Imsai Arasan Irandum Pulikesi

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間22分

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/imsai-arasan-23am-pulikesi-tamil-2006

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
暴力度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お笑い度★★★★★★★★★★
おセンチ度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆衝撃度★★★★☆☆☆☆☆☆
ハッピー度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆シリアス度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
消化不良度★★★★★★★★★★満足度★★★★★★☆☆☆☆


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なお、本作には、リメイクの元ネタとまで言ってしまっていいのかどうか迷うが、下敷きとなった作品がある。

cvUthamaPuthiran.jpgUtthama Puthiran (Tamil - 1958)

Director:T Prakash Rao
Cast:Sivaji Ganesan, M N Nambiar, P Kannamba, Padmini, Ragini, Helen, K A Thangavelu, M K Radha, OAK Devar, Stunt Somu, Sadasiva Rao

原題:உத்தம புத்திரன்
タイトルの意味:Virtuous Son
タイトルのゆれ:Utthama Puthran, Uthama Puthiran

DVDの版元:Thangamalar (ジャケットのイメージは Pyramid 盤)
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間45分
DVD 入手先:Cinemovies など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/utthama-puthiran-tamil-1958

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【ネタバレ度40%の粗筋】
1771年のタミル地方。チョーラプラム王国のモッカイヤッパル王(Nagesh)は、これまで世継ぎが生まれないことに悩んでいたが、22回もの死産の後についに王妃(Manorama)が双子の男児を生んだ。王妃の弟で宰相を務めるサンギリマーヤン(Nasser)は、密かに王位簒奪を狙っていたので、双子の誕生に失望する。しかし占星術師は、双子の兄に盲従の性質を、弟の方には自立性を、それぞれ読み取る。そのことから、サンギリマーヤンは弟を殺してしまい、兄を自らの意のままになるように育て上げることを考える。嬰児殺しは不吉であると助言した御典医は、弟をパーンディヤ国の外れのヴァイガイ川のほとりに捨てることを宰相から言いつかる。ところが御典医の妻がその赤子を拾ってしまい、夫婦はウッキラプダンと名付けた赤子とともに難を避けてカーンチープラムに隠棲する。一方兄の方は、プリケーシ23世と名付けられ宮殿で甘やかされ放題に育てられる。

25年後、モッカイヤッパルの後を継いで王となったプリケーシ(Vadivelu)は放埒で残忍かつ強欲で、漁色にも目がない暗愚な王としてチョーラプラムに君臨していた。蒙昧な彼を支える摂政のサンギリマーヤンは親英派で、民の苦しみをよそに、英国人と組んで私腹を肥やすことしか考えていなかった。一方、ウッキラプダン(Vadivelu)は社会正義を追求する高潔な若者に育ち、ナーランダ大学で反体制派の学生組織に属していた。(粗筋了)

【寸評】
これもまたシャンカル監督の S Pictures のプロダクト。ニューウェーブ系作品としては比較的潤沢な予算で作られたというが、どうやらその予算はセットの構築や衣装に費やされたように思われる。そのおかげで、この手の映画にありがちな、ビジュアルの惨めな安っぽさから逃れることができたようだ。監督のシンブデーヴァン(チンブデーヴァンとも)は、もともとはカトゥーン作家、本作で映画監督としてデビューした。

サウス映画にそれなりに馴染んで、スター主義の観点から見始めるようになると、嫌でも気付かされるのが映画界の疑似カースト制度だ。それはつまり、主役、お笑い、悪役、ヒロイン、妹その他の助演、と俳優の格付けがかなりカッチリとなされていて、その枠を超えるような配役が少ないということ(たとえばこの本にもそれはクッキリ現れている)。主役をやる俳優はデビュー作から主役であるということが多く、エキストラから始めて苦節何年でスターの座を掴むというパターンはゼロではないが割と少ない。各カテゴリーの間に流動性があるとしたら、それは下降の方向だけなのである。これは1950〜80年代の大スターの一族が連綿とヒーロー格を継承して、ヤクザみたいに家同士で張り合ってるテルグ映画界では特に顕著なことだ。そんな一般的な状況の中でも、コメディアンを主役にした映画は南印四林で時折は作られてきた。それぞれの言語圏でコメディアン映画の傾向が微妙に違うような気もするのだが、それはもうちょっと材料が集まってから書くことにしよう。

誰もが認めるトップ・コメディアン(ジャナカラージあたりは別格として)であるヴァディヴェールを主役に据えて、しかも一人二役、28年ぶりのコスプレ映画〔MGRのラスト出演作となった Maduraiyai Meetta Sundara Pandian (Tamil - 1977) Dir. M G Ramachandran から数えてのことという〕と喧伝された本作は、幾重にもメタ映画的な仕掛けを予測させる話題作だった。

実見してみて、通常はヒーローのサイドキックとして「ヒーローの間抜けな写し絵(しかも明らかに下層に属する)」をやっているヴァディヴェールが王を演じるということ、しかしその王が作中の一番の笑われ者であるという点、さらにはヴァディヴェールがヒロイズムの芝居をするのが、下層の出身として現れる双子の片割れである、などなど、重層的な騙し絵構造があることが分かる。

分かるけど別にそれが面白い訳じゃない。タミルの観客もそれを楽しんで観た訳じゃないと思うんだが。

ともかく文句なしに面白いのは悪王役のヴァディヴェール(多分それは通常のヴァディヴェールのお間抜けに「イケズ成分」をたっぷりプラスしたことによるのだと思う)で、正義の革命家の方は、ただ古来の類型をなぞってるだけで、生気に欠けてひたすら退屈。「柄にもない」感が痛々しくもある。だからといって一人二役というギミックを廃してしまったら、そもそも何のためにこの映画を作ったのかが分からなくなってしまっていただろう。うーん、だから結局狙いはどこにあったのだろう、馬鹿なガイジンはそこで堂々巡りに嵌って思考停止。タミルの壁はやはり厚いのだった。

なお、本作はカルナータカでは、チャールキヤ朝のプラケーシン王を揶揄したものと受け取られて上映禁止になったという。

また本作の公開にあたっては現地の芸能マスコミの間で、歴史映画(historical)というジャンル名が盛んに用いられた。このジャンルはトーキーの開始と同時ぐらいに始まったもののようだが、この「歴史」というのが、日本人が普通に考えるものとは随分と違う。まず20世紀に入ってからの対英独立闘争などを扱ったものは含まれない。また登場人物のほとんどが、不思議なイタリア・ルネサンス風の、あるいはムガル王朝風の衣装をまとうなど、時代考証もほとんど顧みられていない。設定こそ古い時代になっているが、歴史的な事件が語られることは少なく、双子の出生の秘密などといった民話調のストーリーラインであることが多い。隣接ジャンルとしてのフォークロアなどといったものとどう線引きされるのか、単にテキトーに使ってるだけなのか、色々と考えてしまうのであった。

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悪王プリケーシが、止むことのないカースト間紛争をみて考えついたのは、「カースト・コンフリクト競技場」を開設し、そこで「プリケーシ杯」を巡って敵対するカースト成員同士を戦わせること。「名君じゃん」と思ってしまった筆者は悪い子なのだろうか。

投稿者 Periplo : 00:40 : カテゴリー Tamil new wave catalog
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2011年11月06日

TNWコレクション:Subramaniapuram

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Paruthiveeran と並ぶマドゥライ映画の代表作。やはり低予算で作られ大ヒットとなった。この2作によってタミル・ニューウェーブ映画の固定イメージが作り出されたようにすら思える。

cvSubramaniapuram.jpgSubramaniapuram (Tamil - 2008)

Director:M Sasikumar
Cast:Jay, M Sasikumar, Swathy, Ganja Karuppu, Samuthirakani, Madurai Mani, Visithran, K G Mohan

原題:சுப்ரமணியபுரம்
タイトルの意味:地名。マドゥライの近郊に実際にそういう集落があるようだが、おそらく本作とは無関係。
タイトルのゆれ:Subramaniyapuram

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間24分

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/subramaniapuram-tamil-2008

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★★★★★★★★☆お笑い度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★☆☆☆☆☆衝撃度★★★★★★★★☆☆
ハッピー度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★☆
消化不良度★★★★★★★★★☆満足度★★★★★★☆☆☆☆

【ネタバレ度50%の粗筋】
1980年のマドゥライ近郊の小邑、スブラマニヤプラム。元自治体議員(ex-councillor)である壮年の男ソームは、無冠になったことで自身と家族の威信が損なわれたことにフラストレーションを募らせていた。彼には、遣い走りからちょっとした違法行為まで、時々の雑用をこなす何人かの手下の男達がおり、弟のカナグ(Samuthirakani)が直接の面倒を見ていた。アラハル(Jay)、パラマン(M Sasikumar)、カーシ(Ganja Karuppu)はそうしたそうした非公式な下働きメンバーで、定職に就くこともできず往来で無意味な暴力沙汰を繰り返し、家では肩身の狭い思いをしている若者達だった。アラハルはソームに忠誠を誓いながらも同時にその娘のトゥラシ(Swathy)とは密かに恋仲だった。

ライバルであるパラニサーミが党の地方書記に選出されたことでソームとその一家はますます落ち込む。カナグはアラハル達を言葉巧みに誘導し、自分からパラニサーミを暗殺すると言い出すように仕向ける。作戦は成功し、アラハル達3人は未明に路上でパラニサーミを刺殺する。しかし逃げ切れるものではないことは覚悟しており、カーシを連絡要員として残し、アラハルとパラマンはさっさと自首する。ところが、この働きを評価して早々に保釈の手続きを踏んでくれるだろうと期待されていたカナグは、2人を見捨てて放置する。同じ拘置所に収容されていた有力者の温情によって出所した2人は、カナグへの復讐心に燃えていた。(粗筋了)

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【寸評】
本作においても、また多くの才能がスポットライトを浴びた。監督・制作・出演のシャシクマールはそれまでバーラーやアミール・スルタンのもとで助監督を務めており、これが監督デビュー。主演のジャイは、群像ドラマ Chennai 600028 (Tamil - 2007) Dir. Venkat Prabhu でデビューの後の初ヒーロー出演。テルグ人女優スワーティ・レッディにとっては初めてのヒロイン役で、なおかつ初めてのタミル映画だった。悪役カナグを演じたのは新進監督のサムドラカニで、やはり本作が本格的な役者としてのデビュー。が、一番の衝撃的登場は、ミュージックディレクターのジェームス・ヴァサンタンだっただろう。テレビ番組のパーソナリティとしてすでに顔が知られていたジェームスだったが、元々の夢だった音楽での活躍の場を与えられ、クリーンヒットを飛ばした。当初シャシクマールはソングシーン抜きの作品にするつもりだったが、撮影中に考えを改めたという(こちら参照)。賢明な決断だったと言えるだろう。

実際のところ、これを書いている筆者は、どう頑張っても本作を完全に咀嚼できずにいるのだが、挿入歌 ♪Kangal Irandal と、その見事なピクチャライゼーションのおかげで、やはり忘れ去ることのできないものとなった。

なにが咀嚼を阻んでいるのかと考えるのだが、あまりにもリアルに再現された出口のない閉塞感だろうか。インド経済の「改革開放」よりもはるかに昔、1980年のタミルの地方の実態を筆者は知らない。ただ、やり場のない鬱屈したパワーが、たとえば Murattu Kalai (Tamil - 1980) Dir. S P Muthuraman のようなドラマチックな暴力映画を生み出し、またそれを熱狂的に受け入れさせたものであることは想像できる(劇中ではラジニカーントのスーパースターダムへの入り口となったこの作品の上映シーンがこってりと描写される)。Murattu Kalai の時代を、ヒロイズムではなくリアリズムで描くことが狙いだったというのは容易に感得される。しかし本作には、Paruthiveeran にはあった、大自然との交感がない。タイトルが端的に示すように、どこまでも小さな田舎町の中での出来事に終始して息が詰まる。惨劇の連続の果てに現実から少しだけ浮揚するような詩的な瞬間がない。そんなものは最初から意図してない、と言われたらそれまでなのだが。それともうひとつ、Paruthiveeran と同じく、南部の暴力的な土壌を背景に持ちながらも、ここで主な動因となっているのはカースト対立ではなく「仁義」であるというのも、嚥下を難しくしているものではないか。

一方で、田舎の暮らしの中での土俗的な要素の描写は、それほど多くはないものの魅力の一つとなっている。特にクライマックスシーンが、町外れの鎮守の森(こちらなど参照)となっているのは、犠牲獣の奉納を類推させるもので大変印象に残った。

シャシクマールの談話によれば、撮影にあたって最も力が注がれたのは、1980年のマドゥライ地方のヴィジュアルを可能な限り克明に再現することだったという。それは男優陣の髪型と服装に最も端的に現れている。本作の大成功には、タミル人観客の過ぎ去った時代への郷愁が後押しをしたのだろうか? それともこれは過去のことではなく、現在まで連続しているものとして受け止められたのだろうか?

なお、本作はタミル・ナードゥだけではなくケララでもバカ受けしたらしい。上映がマラヤーラム語に吹き替えられたものだったのかどうかはよく分からないのだが、なぜかマラヤーラム語訳の脚本が出版されるという現象までもが起きた。劇中歌 ♪Kangal Irandal は以降のマラヤーラム映画で何度も(登場人物が口ずさむ、などの形で)登場した。とことんタミル的なこの作品の何がケララの衆の心の琴線に触れたのかはやっぱりよく分からないのだが。ラルさんまでもが「新しいアイディアを持ったタミル映画人」としてシャシクマールの名を挙げた(こちら参照)のにはやはりちょっと驚いたのだった。

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村の、あるいは町の、こ汚い細い路地で追っかけっこ。この連綿としたセンチメンタリズムの継承にはやっぱりジーンとする。上は Karuthamma (Tami - 1994) Dir. Bharathiraja から。

投稿者 Periplo : 19:19 : カテゴリー Tamil new wave catalog
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2011年11月04日

TNWコレクション:Veyyil

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シャンカル監督の S Pictures からさらにもう一本、タミル映画としては珍しくカンヌ映画祭に出品された作品でもある。だから凄い、というわけでもないが。

cvVeyil.jpgVeyyil (Tamil - 2006)

Director:Vasantha Balan
Cast:Pasupathy, Bharath, Bhavana, Priyanka Nair, Shreya Reddy, T K Kala, G M Kumar, Ravi Maria

原題:வெயில்
タイトルの意味:Torrid Sun
タイトルのゆれ:Veyil

DVDの版元:Ayngaran
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間41分
DVD 入手先:Bhavani など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/veyyil-tamil-2006

都会度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆田舎度★★★★★★★★★★
暴力度★★★★★★★★☆☆お笑い度★★★★★★☆☆☆☆
おセンチ度★★★★★★★★☆☆衝撃度★★★★☆☆☆☆☆☆
ハッピー度★★☆☆☆☆☆☆☆☆シリアス度★★★★★★★★★☆
消化不良度★★★★★☆☆☆☆☆満足度★★★★★★★☆☆☆


【ネタバレ度40%の粗筋】
マドゥライの南にある小都市ヴィルドゥナガルの近郊で食肉解体業を営むシヴァナンディ・テーヴァル(G M Kumar)の幼い二人の息子はどちらも名うての悪ガキだった。長男のムルゲーサンは大のMGRファンで、ある日学校をサボって一人で映画館に行き、しかも喫煙しているところを父に見つかり、厳罰をくらう。傷心したムルゲーサンは現金と母の宝飾品を持ちだして家出し、マドラスに向かう。しかし途中の小村ティルッカルクンドラムで所持品を全て盗まれてしまったため、村に居着き、映画館で遣い走り仕事をするようになる。成長した彼(Pasupathy)は映写技師となるが、満場のファンが熱狂する Muthu の上映の最中にある事件が起きる。

一方、ヴィルドゥナガルで成長した弟のカディレーサン(Bharath)は若くして広告会社を立ち上げ、ライバルと競り合いながら事業を軌道に乗せようとしていた。仕事で知り合った声優のミーナークシ(Bhavana)とは喧嘩を繰り返しながらも惹かれ合っている。そんななかのある日、20年前に出奔した兄のムルゲーサンが帰郷して来る。(粗筋了)

【寸評】
タミル南部の荒々しい風土を強調したリアリズム系映画としては初期の作品といえるだろうか。適材適所の俳優達、緊密なストーリー、カメラ担当のマディによる斬新な色彩設計、全てにおいて完成度が高いにも拘らず、鑑賞後に何かすっきりしないものが残る。おそらくそれは部分的には主演のパシュパティの(舞台で鍛え上げられた)演技が上手過ぎて観ていて疲れてしまうことにあるのではないかと思う。贅沢を言うのもほどほどにしろと非難されそうだが、実際に観れば分かって貰えるはずだ。そのせいなのかどうなのか、上質の悲劇を観た後の、打ちのめされながらも浄化されるような感覚がない。もう一つの引っ掛かりは、「すべてに失敗した男」である主人公に「有用性」を求めようとするストーリーの方向性だろうか。これは他のインド映画のなかでも時々目にすることがある、能力の低い人間が捨て石となって社会に貢献することを称揚するような発想で、ちょっとゾクリとさせられる。

本作の前半はイタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のプロットとの類似を指摘されているが、そのまんまのパクリではない。また前年に公開されたヴィジャイ主演の Sivakasi (Tamil - 2005) Dir. Perarasu を裏返しにしたストーリーであると見る人もいる。なるほどとも思うのだが、家出息子や兄弟生き別れというのはよくあるパターンではあるし、制作者に何らかの引用の意図があったのかどうかは分からない(ちなみに本作の舞台のヴィルドゥナガルはシヴァカーシの隣町と言ってもいい位置関係にある)。それはともかく、本作前半での映画についての言及には大変に興味深いものがある。MGR映画から始まり、ヴィジャイカーント主演の Chinna Goundar (Tamil - 1992) Dir. R V Udayakumar、そして『 ムトゥ 踊るマハラジャ』(Tamil - 1995) Dir. K S Ravikumar(これらによって、物語の年代設定が大体把握できる)といった作品が映し出されるだけでなく、地方の映画館が時代の波に抗しきれず次々と閉館していく様子までもが語られる。惜しむらくは、これが後半に入ってふっつりと途絶えてしまうことか。

なんだか、不満気なことばかりを書いてしまったが、本作で最も目覚ましかったのはソングシーン。ARラフマーンの甥だというGVプラカーシュ・クマールがミュージック・ディレクターとしてデビュー。楽曲だけではなく、ピクチャライゼーションが素晴らしい。これは低予算で作られることが多いタミル・ニュー・シネマとしては希有なことだ。第一曲目の ♪Veyyilodu Vilayadi は田舎の餓鬼どもが野蛮に遊び回るというだけの、よくあるパターンの映像だが、疾走感が半端じゃない。それから白眉といえるのがバラトとバーヴァナのラブソング ♪Kadhal Neruppen。ヒーロー・ヒロインが「うおぉぉ、好きだ〜」「アタイも好きぃぃぃ」と告白し合った後、夜会服に着替えて真昼のミコノス島の白一色の路地で追っかけっこする、というのは慣れ親しんだ常套手段だが、ここでは違う。どう違うかに冗言を費やすつもりはない、見れば分かる。なんかインド映画ばっか見てると忘れそうになるんだけど、人や物を信じがたいほどに立体的に配置して動かす計算し尽くされた長回しのワンカット撮影や、ありとあらゆる趣向を凝らした秒単位のカットを何十と繋ぎ合わせる超絶のエディティング、これは世界の映像表現の中でも希有なものだと思う。上に挙げた二つはどちらもいわゆるダンスではなく、コラージュなのだが、これを構想したのはダンスマスターと呼ばれる職能の人物なのだろうか、それとも監督なのだろうか、わからないことはまだまだ尽きないのである。

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メインの舞台となるマドゥライ南郊のヴィルドゥナガルという街の名前は覚えておいてもよさそうな気がする。

投稿者 Periplo : 03:12 : カテゴリー Tamil new wave catalog
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