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2012年04月25日

5月のJ-テルグ

う〜ん、こりゃあコテで捏ね捏ねして泥んこ遊びしてるとこなのかなあ?ちょっと違うか…。
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5月5日子供の日に公開される大人向け(←予測)映画について。

Dammu (Telugu - 2012) Dir. Boyapati Srinu

原題:దమ్ము
タイトルのゆれ:Dhammu
タイトルの意味:Mud

Cast: NTR Jr, Trisha Krishnan, Karthika Nair, Nassar, Brahmanandam, Bhanupriya, Ali, Kota Srinivasa Rao, Suman, Venu Thottempudi, Tanikella Bharani, Abhinaya

■日時:2012年5月5日、14:00開映予定(17:00終映予定)
■料金:大人2200円、子供1200円(当日券)
■字幕:なし(確認中)
■会場:埼玉県川口市、SKIPシティ、彩の国ビジュアルプラザ http://www.skipcity.jp/access/
■映画公式サイト:http://dhammuthemovie.com/
※ 前売り料金・家族チケット・予約方法など上映に関しての詳細は、主催者公式サイトhttp://www.indoeiga.com/を参照のこと

Tipsその1:開映は過去の実績からすると20分ぐらいは遅れる可能性あり、インターミッションものんびりしてるので終映はさらに遅れることも。
Tipsその2:上に掲げた主催者公式サイトに掲載の料理の写真はえらく旨そうだけど、会場で実際に供されるものとは関係ない。会場には調理施設がなく仕出しを電熱器で温めることしかできないのだ。あまり期待しすぎないように。
Tips その3:今度で4回目になるJ−テルグだが、これまでに2本立て→1本立てへの変更、上映作品の差し替え、字幕付きを謳っていたものが字幕なし上映にという感じに、土壇場の変更がつきものとなってしまっている。直前まで公式サイトを確認されることをお勧めしたい。
Tipsその4:会場となるスキップシティは巨大箱モノで敷地入り口から上映ホールまでが遠い。ひと気がない上に案内板が決定的に不足している。会場に辿り着けずに引き返した人がいるんじゃないかと毎回思うくらいだ。時間には余裕を持って出かけられたい。

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【見どころ予測】
例によって本国とほぼ同時公開。インドでは4月27日封切りが有力とされている。従って本日現在レビューなどは出回っていない。もちろん、NTRジュニアに始まってNTRジュニアに終わる作品であることは間違いない。が、そこを敢えてジュニア以外の部分についても紹介したいと思う。

■監督のボーヤパーティ・シュリーヌ(スィーヌとも)について
2005年にデビューし、本作が第4作目となる、まだまだ新鋭と言っていいシュリーヌ監督だが、すでに誰にでもわかるクッキリとした作風が現れている。まずこれまでの3作全てがファクション映画(ファクショニスム/ファクショナリスムについてはこちら参照)であること。そしてそこから必然的に導かれることではあるがヘビーなバイオレンスに満ちたものであるということ。

監督デビューとなったラヴィ・テージャ主演の Bhadra (Telugu - 2005) では、前半がハイダラーバードでのちゃらちゃらラブコメ、後半ラーヤラシーマで血みどろのファクション抗争。かなりヒットしたらしい。

第2作目のヴェンカテーシュ主演の Tulasi (Telugu - 2007) は、前半がヨーロッバを舞台にDDLJよろしくちゃらちゃらラブコメ、後半に入って主人公が故郷のパルナードゥに戻ったところから別の映画みたいになっちゃって、さらにはハイダラーバード、バンガロールを舞台に大太刀廻り。

どっちも最終的には満腹できるものではあったのだけれど、どうもその、アクションに入る前のロマンスだのファミリーセンティメントだのの部分がちんたらしてて結構辛かった。その代わりいったんバイオレンスのスイッチがオンになると凄い。腕ちょんぱ首ちょんぱは当たり前、よくもまあこれだけ多彩な殺しの手法を考えつくわと感心するしかない凄絶な修羅場に唖然だ。明らかに暴力シーンを華々しく作りたいがためにそれ以外の部分を無理にでっち上げてるという印象。しかし後味はそれほど悪くはない。煎餅ばりばり齧りながら「がはは、もっとやれ」と楽しめる類の徹底的な娯楽性がある。

導入部とクライマックスの乖離という共通の欠点は、しかし第3作目の Simha (Telugu - 2010) では克服された、というか前半から飛ばしまくりのハイテンションで完全に前2作とは別次元のものとなったのだ。フロップ続きでファナティックなファン以外からはあまり相手にされなくなりつつあった「ズレた親爺」バーラクリシュナが鬼神のように雄叫びをあげ、ナヤンターラが芯の強い屹然とした奥方様として見栄を切る、ボッビリ地方を舞台にした父子二代に渡るバイオレント・サーガ。見てる方も力が入り、見終わった後には心地よく脱力できる秀作で、全体的には湿り気味だった2010年トリウッドのトップランナーとなった。テルグ映画では一本の作品にコメディアンがむやみと沢山出てくることが特徴のひとつと以前に書いたけれど、シュリーヌ監督の場合は悪役に力を振り向けているようで、悪相がずらりと並んだラインナップには嬉しくなってしまった。

で、今回のジュニアNTR、これまでの主演俳優の中じゃあダントツの身体能力の高さだ。もうこれはとんでもない大暴れ映画を期待するなと言われても無理ってもんじゃあないですか。

ちなみに、封切りを待ちこがれるテルグ人達の間では、本作が Aaram Thampuran (Malayalam - 1997) Dir. Shaji Kailas のリメイクなのではないかという憶測が流通しているという。噂の根拠がどこにあるのかは定かではないが、現在公開されているスチル写真を見るとそれもアリかなという感じのものとなっている。ここらも注目して行きたいところだ。

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■ ヒロインについて
デビューからもう10年超、出演作も40本余のトリシャーについては今更特に説明する必要もないだろう。セカンドヒロインとして登場するカールティカ・ナーイルは、2009年デビューでまだフレッシャーの気配が漂う。80年代のタミル映画のトップ女優だったラーダー(日本では主演作『第一の敬意』が公開された)の娘。デビュー第2作目の KO (Tamil - 2011) Dir. K V Anand がかなりのヒットを記録し、注目度が高まった。サウスでは珍しい長身でモード系のインパクト顔。生半可な若手ヒーローじゃ喰われちゃうことは間違いない。ジュニア、トリシャーを相手にどういう存在感を見せてくれるかを見守りたい。

もうひとつ、オイラ的に感に堪えないのがジュニアの姉妹役へのアビナヤちゃんの登用だ!Nadodigal (Tamil - 2009) Dir. P Samuthirakani でデビューして一躍注目を浴びたあのかわゆいアビナヤちゃんが!嬉しくて転げまわっちゃうよ~!

■その他のスタッフについて
ミュージックディレクターはベテランのMMキーラヴァーニ先生。南印4言語+ヒンディーで活躍し、言語別映画界によってペンネームを変える(Maragatha Mani, M M Kreem)という人騒がせな御仁、Annamayya (Telugu - 1997) Dir. K Raghavendra Rao をはじめとした古典的な楽曲の作曲家という印象も強いが、改めてフィルモグラフィーを眺めてみると、きゃぴきゃぴカレッジソングから、ロケンロールまでなんでも来いの音楽家なのだわな。そのキーラヴァーニ先生の23日のツイートによれば、24日に楽曲の最後の手入れをしたのだそうだ。いや凄いね。

注目のスタント・マスターはラーム&ラクシュマン(ホントに兄弟だという)のコンビ。CineJosh 記事によれば、上に紹介した Simha のスタント構成も担当したらしい、これは大層期待できそうだね。完全網羅ではないと思うがこちらにはこれまでに手がけた作品のリストもあり。

撮影は、「こんな名前だけど100%タミル人」のアーサー・ウィルソン(日本では『愛は至高のもの』が公開済み)が担当する。プロデュースは、有名プロデューサーKSラーマ・ラーオの息子で、自身では Chukkallo Chandrudu (Telugu - 2006) Dir. Siva Kumar などの小品を手がけてきたアレクサンダー・ヴァッラバが初の大作に挑む。注目のダンス振り付けはプレーム・ラクシト、ラージュー・スンダラム他が担当、詳しくはこちらの楽曲リストで確認を。

局地的(川口市限定)に血の雨が降る確率100%の子供の日天気予報、だけど万が一、「大家族を背景にしたほのぼのコメディ」だったらどうしようかね…(汗)。
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投稿者 Periplo : 20:29 : カテゴリー バブルねたtelugu
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2012年04月24日

Ecce!:Kanchana

プンプン怒り顔がチョー素敵なお姉様。
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ずーっと昔にテルグ映画の Who's Who みたいなことをやってたんだった。シリーズ終結宣言するつもりは全くなかったんだけど、放ったらかしだったわな。久しぶりに書かずにはいられないお方が現れた、これもナーラダ仙の導きか。

しばらく前に Bhakta Prahlada の2作品見比べについて書いた時、一瞬このまま解脱までイッちゃうかと思ったオイラを強引に煩悩の淵に連れ戻して下さった女仙人様を末尾に紹介したのだが、程なくして知り合いの美女鑑定第一人者の先生から通報が入った。先生が仰るには、この美女のご芳名はカーンチャナー様、ラージクマールとの共演作では他に BabruvahanaShankar Guru などがあるとのこと。ありがやたやありがたや、持つべきものは綺麗なおねえさんデータベースのグル。

ただ、この時点でカーンチャナー様はカンナダ映画界の女優と、勝手に思い込んでしまっていたんで、ちょっとあらぬ方に行ってしまったのだ。うーん、色々検索しても Kanchana で引っ掛かるのは同名のタミル女優、それにローレンス監督のお化け映画(とそれのカンナダ・リメイク)のことばっかだ。にわか追っかけもここで終わるかと嘆息した時にやっと気づいた、同名のタミル女優じゃない、同一人物がタミル映画にも出てたんだ、オイラ何本か見てるじゃねえかぁぁ!

ということで、記事としてはかなりとっちらかってあまり信用できる感じじゃないのだが、ウィキペディアのカーンチャナー様エントリー。1946年マドラスの生まれ、両親はマチリパトナム出身のテルグ人らしい。幼時からバラタナーティヤムの訓練も受けていたという。インディアン・エアラインのスチュワーデスをしていたところを、映画監督CVシュリーダルに見いだされ、Kaadhalikka Neramillai でデビュー。同作が大ヒットし、以降テルグ&タミルを中心に南印4言語+ヒンディーで活躍し、70年代のグラマークイーンのひとりとみなされるにいたる。出演作は1980年代後半まで記録されているが、その後メディアの前から姿を消してしまったらしい。そのため一時は死亡説まで流れ、一方でゴシップ雑誌には、零落して寺院の撤饌で生きながらえているなどということを書かれたりもした。同情を装いつつも好き放題なことを書いてる idlebrain の記事は、おそらくはそれの受け売りと思われる。これに対してはカーンチャナーは断固たる態度で臨み、記者会見まで開いて否定の声明を出したとのことだ。実際にはバンガロールで中産階級の不自由ない生活を送っているという。ただし、2006年の The Hindu 記事にあるように、自身の親族との間での財産を巡る訴訟沙汰に忙殺されていたことは事実のようだ。最近(2011または2012年と推定)テルグ語チャンネルの maaTV のインタビューに応じ、元気なところを見せてくれた。

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上に述べたデビュー作、Kaadhalikka Neramillai (Tamil - 1964) Dir. C V Sridhar はタミル映画史に燦然と輝くお気楽ラブコメの傑作。その洒脱さは今日のタミル映画と比べても遜色がないのではないかとさえ思える。ツインヒロインの片割れのカーンチャナーは、サリーが基本で時にサルワール・カミーズを着ており、洋装は一切していないのだが、おそろしくモダンな印象。スッチーあがりの長身を活かしたサリーの着こなしは、まるでバレンシアガの夜会服みたいに見える。のびのびとしたダンスも非常に好もしい。本作は Preminchi Choodu (Telugu - 1965) Dir. P Pullaiah としてリメイクされ、カーンチャナーは同じ役で出演している、こっちも見てみたいね。


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やはり軽妙なコメディーである Bhama Vijayam (Tamil - 1967) Dir. K Balachander では登場シーンの半分以上を眼鏡で通してくれて凄くイイ。本作は Teen Bahuraniyan (Hindi - 1968) Dir. S S Balan & S S Vasan としてとしてリメイクされ、カーンチャナーは同じ役で出演している、こっちも見てみたいね。


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グルよりご示唆のあった Babruvahana (Kannada - 1977) Dir. Hunsur Krishnamurthy も早速鑑賞。いんや凄い神話ものだ、字幕なしのディスクなのに(こちらさんに助けられたんだけど)こんなに最初から最後まで面白くて固唾を呑んで観たものも珍しい。ここでチョロっと書いてしまうのは勿体ない気がする。そのうち別にエントリーを立てて紹介したいもんだ。ここでのカーンチャナーの役どころは、敢えて大ざっぱな言い方をすると竜宮城の乙姫様。ゴージャスでセクシーなイメージにはまさにうってつけのキャスティングだったと言える。


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追っかけを始めるそもそものきっかけとなった Bhakta Prahlada (Kannada - 1983) Dir. Vijay では、孫もいる老いた仙人とその若き日の回想シーンを一人で演じている。撮影時点で36歳ぐらいか。お祖母様としての臈長けた気品ある姿と、あっふ〜ん♥のシーンの落差が激しくて、萌えつつも笑い、笑いつつも萌える。


テルグ映画人名鑑シリーズとしてあげたのに、テルグ映画の紹介がないというのもあんましなので、最後にとっておきを。下のイメージは Navarathri (Telugu - 1966) Dir. Tatineni Rama Rao にゲスト出演した時のもの。本作はシヴァージ・ガネーシャンが1人9役を演じたことで大変に有名な Navarathri (Tamil - 1964) Dir. A P Nagarajan のリメイク。こちらではANRが9役をこなしている。オリジナルの方は字幕なしなのにリメイクのディスクには字幕があったという理由で鑑賞したのだが、テルグ版もまた打ちのめされるくらいに素晴らしい。両作でヒロインを務めるサーヴィトリは、テルグ版ではプロデューサーも兼ねていた。そして作中でヒロインが癲狂院に迷い込むシーンでは、彼女の意向で当代の有名女優達が患者としてゲスト出演して歌い踊ることになった。カーンチャナーもその一人、ん〜可愛いじゃありませんか。おらも入院させて欲しいよ〜。このシーンに現れる他のゲスト達の中にはアッと驚くような大物もいたのだが、それをここでバラしちゃうのはちょっと勿体ない。興味を持たれた各位で確認していただきたい。

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投稿者 Periplo : 02:32 : カテゴリー Scribble : Ecce Homo
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2012年04月19日

収集癖:ナーラダ仙(3)

お約束の雲海ウォークソングも、セットも組まず単なる多重露光で済ましてしまった。富み栄える王国の宮殿もなんだかモーテルみたいなんだ。あああ貧乏が憎いっ! いや、こんなボケボケ画像しか掲載できなくて忸怩たるものがあるのだが。

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前回紹介した Bhakta Prahlada に登場した童子プラハラーダの孫にあたる魔王マハーバリの物語を、珍しいマラヤーラム神話映画から。豪傑笑いも大見栄切りもない神話映画に君は耐えられるか?ってなもんだ。

Mahabali (Malayalam - 1983)

Director:Sasikumar
Cast:Prem Nazir, Jayabharathi, M G Soman, Raj Kumar, Adoor Basi, Shankaradi, T G Ravi, C I Paul, Murali Mohan, Ravi Menon, Thodupuzha Radhakrishnan, Aalum Mudan, G K Pillai, Kaavan Surendran, KPC Pilla, Unnimary, Meena, Prameela, Sadhana, Ishashri, Vijayalalitha, Rajeswari, Priyavadana

原題:മഹാബലി
タイトルの意味:Great Bali

VCDの版元:T-Series
VCDの字幕:なし
VCDの障害:特になし
VCDのランタイム:約2時間13分

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/mahabali-malayalam-1983

【ネタバレ度100%の粗筋】
なにぶん字幕なしなので、以下に書くのは Old Malayalam Cinema さんによるレビューをなぞっただけのもの。こういうブログエントリーがあるかないかで鑑賞の充実度が全然違うね、ありがたい。

プラハラーダの孫にあたる夜叉の王、バリ(Prem Nazir)は今日のケララにあたる地域を支配しており、その高い徳性と公正な統治の手腕から臣民達から慕われ、マハーバリと呼ばれていた。彼の王国は富み栄え、争いもなく、その名声は三界に轟いていた。彼は熱心なヴィシュヌ信徒だったが、息子のバーナ(Raj Kumar)はシヴァ神に帰依していた。マハーバリが得ている信望のあまりの高さに天界の神々や神人達は嫉妬と焦燥を覚えてヴィシュヌ神に訴えるが、ヴィシュヌは取り合わない。ある時マハーバリは牢獄に繋がれた罪人に身を窶したヴィシュヌに試されるが、その誠心は揺らぐことがない。その場に居合わせたナーラダ仙(M G Soman)は、マハーバリを褒め讃え、彼こそが天上界をインドラに代わって治めるべき人物だとまで言う。しかし謙虚な王は恭しく辞退する。一連の出来事をナーラダから聞かされたインドラ神(C I Paul)は、自分の地位を脅かすものとしてマハーバリを敵視する。

マハーバリの息子のバーナは父とは違い野心家で、父が天界の支配者となるべきだと信じていた。それを知ったインドラは町外れのシヴァ寺院を訪れたバーナを襲うが、バーナはかすり傷一つ負わず、寺の警固兵一人を殺すだけに終わった。その警護兵の娘ナンディニ(Unnimary)はバーナに保護され、やがて2人は恋仲となる。マハーバリと王妃(Jayabharathi)はナンディニを王子の婚約者として認める。

(途中の細かいエピソードは省略)

王子バーナと宮廷付きの仙人スクラーチャーリヤ(T G Ravi)を中核とした急進派は、インドラに代わってマハーバリを天界の支配者の地位に据えようと計画を練る。彼らはマハーバリが12年にも渡る大犠牲祭(Maha Yajna)を執り行うように仕向ける。それだけの大祭を成し遂げれば、ヴィシュヌ神は恩寵としてインドラの玉座をマハーバリに与えざるを得なくなるだろうというのが彼らの目論見だった。インドラは祭祀を妨害しようと試みるがうまくいかなかったため、結局ヴィシュヌに直接助けを乞うことになる。訴えを聞き入れたヴィシュヌは、婆羅門の夫妻のもとにヴァーマナ(十化身のひとつ、矮人)として生まれる。12年後、祭祀を間もなく完遂しようとしていたマハーバリの宮廷にヴァーマナは赴き、自分が三歩でカバーできるだけの広さの土地を喜捨するように求める。童子の正体に勘付いたスクラーチャーリヤが止めるのも聞かず、マハーバリはその要求に応じる。するとヴァーマナは最初の二歩で地上と天界を全て跨いでしまった。三歩目をどこに置くべきかを尋ねる童子。今やヴァーマナが何者であるかを悟ったマハーバリは、冠を脱ぎ、自分の頭頂を恭しく差し出す。最後の一歩を踏込む前に、ヴィシュヌはマハーバリに慈悲をかけ、一年に一日だけ彼が君臨した地上に戻ってくることを許す。そして童子の足がマハーバリの頭を踏みつけ、王はそのまま冥府に沈んで行く。こうしてケララの人々はマハーバリが地上に戻ってくる一日をオーナムとして祝うようになったのである。(粗筋了)

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【寄り道】
一般にインドのヒンドゥー教徒の間での最大の祭りとされているのは ディーワーリー(ディーパーヴァリー)で、概ね西洋暦の10月末から11月初旬の5〜6日間。「光の祭り」と呼ばれるこの節句の起源や意味については諸説があるが、ラーマ王子がランカー島での戦いに勝利してアヨーディヤーに帰還したことを祝うもの、というのが一応の定説になっている。

しかし祭り期間中の各日には、ラーマの帰還以外に細かく意味付けがされており、それらは地方によって多少異なる。多くの場合第2日目に当てられているナラカ・チャトゥルダシは興味深い。邪悪な阿修羅ナラカスラBhakta Prahladaに登場したヒランニャクシャの息子ということになっている)が力にまかせて天界を荒し回り、インドラ神をすら逃げ惑わせるに至ったのを、ヴォシュヌ神によって成敗されたことを祝うのだ。このナラカスラはヴィシュヌの持物であるチャクラで首を刎ねられるのだが、直前に改悛し、自分が死ぬこの日には世の人々が灯を点して祝うようにしてほしいと願い、聞き入れられる。徳の高い賢王マハーバリと乱暴者のナラカスラ、属性こそ異なるものの、ストーリーラインの骨格はよく似ているのだ。

さらに興味深いのは、全インド的な大祭日であるディーワーリーが、ケララではそれほど盛大には祝われないということ。他州と異なり原則的には1日で終了してしまうのだ。その代わりに、8月末から9月初旬頃に始まり、最長で2週間ほども続くオーナムがケララ人にとって最も重要な祭りとしてある(詳しくはこちらさんなど参照)。期間中はマハーバリ(マーヴェーリとも呼ばれる)の扮装をしたこんなオッちゃんが街を練り歩くのだ、そっち(どっちだ?)方面の人には堪らんだろうね。そしてヒンドゥー神話を起源として持つこのオーナムは、現在ではムスリムやクリスチャンも巻き込んで全州一丸の祭りとなっているという。

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【寸評】
みんなが祝うオーナムの起源を説くストーリーなのになんだか哀しい気持ちになる、ただ異族であるというだけで狩られて地底界に追いやられた魔王の物語。桃太郎物語と同じくらいあからさまに外来民族による先住民の征服と支配を示唆する構造。以前別の神話映画のレビューにもちょっとだけ書いたけど、天界の神々と地上・地底の夜叉・阿修羅・羅刹(この三種の違いがあまりよくわかっていないのだが)との隔てというのは、神性とか徳性の違いによるものではないのだ。前者が善で後者が悪という単純な対概念ではなく、いうなればカーストみたいなもんなのだ。つまり勝ったものが神となり、負けたものが悪鬼となった、そういう経緯がとてもよく分かる。

本作が形式上は神話映画として分類されることは間違いないが、実際の筋はむしろ宮廷クーデターの叙述に近い。っていうか、どうしてもサラリーマン残酷物語に思えちゃうんだよね。

公正で有能で部下から慕われてる部長(マハーバリ)が、収益あげてるのに待遇が他部署と変わらないのを不満に思ってる側近(王子バーナ、スクラーチャーリヤ仙人)の勇み足で「事業部制+独立採算化へ移行」みたいな動きの首謀者に祭り上げられて、危機感を持った役員連中(天界の神々)に目を付けられていきなり地方の営業所に左遷、みたいな話じゃねえか。かつて花形部署の責任者としてもてはやされていたのだけど今はちょっと微妙な立場の副社長(インドラ)がイマイチ効きの悪いジャブを連打して衆目を引き寄せてるうちに、裏で着々と追放に向けて動いてるのは総務部の古狸(ナーラダ)だとか…嫌すぎるよ〜〜〜。

ま、最大の吃驚ポイントはなんて言っても「ブランデーグラスの似合う男」MGソーマンによるゴルゴ13みたいなモミアゲのナーラダ仙だわな。こんなに聖性のかけらもない、微塵の愛嬌もない、デモーニッシュなナーラダ仙見たことないわ。こんなに真心のこもらない「ナーラーヤナ」他では聞いたことない。本作の公開時のレビューや制作者のインタビューなど、もちろん一切入手できないのだが、多分これはミスキャストなのではない。演出する方も演じる方も充分に意識的にやった結果であるはずなのだ。また傑出した性格俳優だったCIポールによる、あまりに人間的すぎるインドラ神も大層印象に残った。通常は滑稽で臆病な奴として描かれることの多いインドラ神(これはこれでまた不思議なのだけれど)だが、ここでは焦燥とプライドとの間で身悶えするキャラクターとして登場し、よりいっそう非・神話映画的なテイストを加えていたのだった。

という訳で、誰にでもお勧めできるというものでは全然ないのだが、マラヤーラム映画らしい脱定型への指向が神話映画にすら現れている一例としてここに記録しておきたいと思うのだ。

投稿者 Periplo : 18:45 : カテゴリー バブルねたkerala
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2012年04月11日

収集癖:ナーラダ仙(2)

集中連載にするつもりはないと言っときながら、我慢できず続けてしまうのだ。今回はぐっと本格的な神話映画。バーガヴァタ・プラーナを基にした、禍々しさと不吉さに満ち、しかし感動的なストーリー。

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Bhakta Prahlada (Telugu - 1967)

Director:Chitrapu Narayana Murthy
Cast:S V Ranga Rao (SVR), Baby Rojaramani, Anjali Devi, Balamuralikrishna, Padmanabham, Relangi, Haranath, Ramana Reddy, Dhulipala, Chittoor V Nagaiah, Jayanti, T Kanakam, Vanisri, Santa, Meena Devi, Sunita, Sushila, L Vijayalakshmi, Vijayalalitha, Geethanjali, Venniradai Nirmala

原題:భక్త ప్రహ్లాద
タイトルの意味:Devotee Prahlada
タイトルのゆれ:Bhakt Prahlada, Bhakta Prahlaada, Bhaktaprahlada, Bhaktha Prahalada

DVDの版元:Volga (Palビデオ)
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間46分
DVD 入手先:Induna(MoserBaer から発売のNTSCビデオ)など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/bhakta-prahlada-telugu-1967

※Volga版の本作DVD冒頭の認証画面を見ると、認証日が1977年となっているのが読み取れる。67年の公開から10年後に、何らかの手を加えた形でリバイバル上映がされたものと推測されるが、67年版との異同は明らかではない。

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Bhakta Prahlada (Kannada - 1983)

Director:Vijay
Cast:Rajkumar, Master Rohit (Puneet Rajkumar), Sarihta, Anant Nag, Tugudeep Srinivas, Vanavali Krishna, Satish Srinivasamurthy

原題:ಭಕ್ತ ಪ್ರಹ್ಲಾದ
タイトルの意味:Devotee Prahlada
タイトルのゆれ:Bhakt Prahlada, Bhakta Prahlaada, Bhaktaprahlada, Bhaktha Prahalada

DVDの版元:United Video
DVDの字幕:英語
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間28分
DVD 入手先:Kannada Store など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/bhakta-prahlada-kannada-1983

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【ネタバレ度100%の粗筋】(カッコ内の人名は、テルグ版/カンナダ版のキャスト。なお神話の登場人物の名前の読みは概ね映画中の台詞のものにあわせるようにしてみた。厳密なサンスクリット発音の表記ではないのをご了承いただきたい)

ヴィシュヌ神の住まうヴァイクンタの門番である天人のジャヤとヴィジャヤ。ある日ヴィシュヌ神が休息をとっている時間にブラフマー神の息子である4人の若き聖仙がやってくる。童形の彼らを甘く見て、また主の休息を妨げまいとして、入域を拒む門番と聖仙たちとの間で小競り合いが起こり、怒った聖仙は2人に人間界に堕ちるべしと呪いをかける。ヴィシュヌ神は2人の門番の非を認め、追放せざるを得なくなるが、時限を設けることにする。ヴィシュヌ神は2人に、ヴィシュヌに敵対するものとしての3転生を経た後に戻ってくるか、それともヴィシュヌ信徒としての7転生の後とするかを選ばせる。ヴィシュヌ神から離れていることが堪え難い2人は前者をとる。こうして2人は、1:ヒランニャカシャプとヒランニャクシャ、2:ラーヴァナとクンバカルナ、3:ダンタヴァクラとシシュパラ、という3つの転生を経た後にヴァイクンタに戻るのを許されることとなった。

ヒランニャカシャプ(SVR/Rajkumar)とヒランニャクシャの双子の兄弟は梵仙カシャパと妻ディティとの間に生まれた。ディティはまだ日のある黄昏時に欲情し自分から夫を誘って交わり2人を受胎した。これは大変不吉であるとされ、双子は婆羅門の両親を持ちながらも夜叉の王族としての人生を歩むことになった。

2人は有力な領主として君臨していたが、弟のヒランニャクシャは天界になだれ込んでの狼藉が過ぎて、ヴァラーハ(イノシシの形をとったヴィシュヌ神の化身のひとつ)にあえなく殺されてしまう。最愛の弟をなくして怒り狂ったヒランニャカシャプはヴィシュヌへの復讐を誓い、そのための超能力を得ようと激しい苦行を数年がかりで行う。ヒランニャクシャに住処を蹂躙されて以来夜叉の兄弟に恨みを持つインドラ神は、食を断ったヒランニャカシャプが痩せ細って行くのを見て彼の死を予測し、一族の血統を絶つため妊娠中の妻リーラーヴァティ/カヤドゥ(Anjali Devi/Saritha)をかどわかし胎児もろとも殺そうとするが、ナーラダ仙(Balamurakikrishna/Anant Nag)に止められる。ナーラダはリーラーヴァティを林間の庵に引き取って保護する。平穏に産み月を待つリーラーヴァティにナーラダはヴィシュヌの偉大さを讃える説法をする。まどろむ妊婦の体内で、胎児は熱心にそれに聞き入り復唱する。

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苦行を成し遂げてブラフマー神を喜ばせたヒランニャカシャプは引き換えに恩寵を授かることになる。不死身となることを希望したがそれは不可能であると言われた彼は、以下のように望んで叶えられた。昼にも夜にも、地上でも天空でも、屋内でも野外でも殺されないこと。鳥・動物・樹木・虫によっても、武器・言葉によっても、天人・神・夜叉・人・その他ブラフマー神によるどんな被造者によっても殺されないこと。これによって事実上の不死者となり無敵となったヒランニャカシャプは天界・人間界・冥界、三界の支配者となる。勝利に酔った彼はインドラとその取り巻きの神々を屈服させ自らの僕とする。さらに弟の復讐を果たそうとヴィシュヌの棲むヴァイクンタに押し入るが、不信心な彼はその場にいるヴィシュヌを見ることができない。雲隠れした卑怯者と罵りながら彼はヴィシュヌの行方を探し続けることになる。

ヒランニャカシャプの不在中に生まれた王子プラハラーダ(Baby Rojaramani/Master Rohit)は聡明で、誰に教わるでもなく生まれついての熱狂的なヴィシュヌ信徒だった。そんな彼を矯めようと父はシヴァ派の婆羅門(Padmanabham, Relangi/??)の下に入門させるが、プラハラーダはその学舎で門下生達にヴィシュヌへの帰依を説いて勧める有様だった。度重なる説得にも耳を貸さない息子に激怒したヒランニャカシャプはヴィシュヌへの信心を捨てなければ処刑すると脅すが、プラハラーダは「ヴィシュヌのために死ぬならば、それはまたとない僥倖である」と動じない。ヒランニャカシャプは兵士達に命じて、プラハラーダを崖から突き落としたり、象に踏ませようとしたり、毒蛇の群れの中に放り込んだりするが、ヴィシュヌ神の恩寵によってその度に息子はかすり傷一つ負わずに生還する。黄昏時、宮殿の柱廊で、ついにヒランニャカシャプは自ら手を下す覚悟で息子に迫る。「そなたが帰依するヴィシュヌが宇宙に遍在するというのなら、この宮殿にもいるというのか、儂の目の前のこの柱の中にもいるというのか」という問いに然りと答えるプラハラーダ。ヒランニャカシャプが怒りに任せて棍棒で柱を叩き割ると、そこからヴィシュヌの十化身の一つである人獅子ナラシンハが躍り出てヒランニャカシャプを倒し、その体を膝の上に抱え手で腹を切り裂いて貪り喰らう。憤怒のナラシンハはナーラダや神々が宥めても治まらなかったが、プラハラーダの祈りによって鎮静し、慈愛に満ちたヴィシュヌ神が再び現れる。(粗筋了)

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【寸評】
主役となるヒランニャカシャプやプラハラーダは日本人には馴染みの薄いキャラクターだが、インドでは映画以前の巡回劇団時代から神話ものの定番ストーリーの一つとなっているようで、幾度もリメイク(というか、先行作を意識して制作されたかどうかもわからないので、この言葉を使っていいか疑問なのだが)されている。 1931年のテルグ版は、記念すべきテルグ初のトーキー映画。同じくテルグの 1942年版は有名なスラビ劇団の演出を踏襲したものらしい。ヒンディー語版の Bhakt Prahlad (Hindi - 1946) Dir. Dhirubhai Desai についてはあまりにも情報が少なすぎる。上にあげたテルグ版からはタミルおよびカンナダ吹替え版が派生していた可能性が高い。実例は見つからなかったが、おそらく他の地方言語でも制作されていたのではないか。今回取り上げたのはそのうちのDVDで簡単に見ることができる2本。

先にズバリ総評してしまうと、どちらも見る価値あり、でも作品としての出来で比べるなら断然テルグ版が上、だと思う。

南印4言語の映画にそれなりの目配りをしていれば誰でも思うことだろうが、ともかく「神話映画」という浮世離れしたジャンルのテルグ語地域におけるしぶとさには驚くしかない。筆者は5年以上前にとあるところで、

南印神話映画の中心地はテルグ語圏らしい。神話映画がジャンルとして盛んだったのはヒンディー語映画が1940年代まで、タミル語映画が1960年代まで、それに対してテルグ語映画圏では1980年代まで命脈を保っていた。1960年代(タミル映画)、1970年代(テルグ映画)までの全盛期神話映画は総じて大作で、その時代の一流俳優が出演するものだった。それ以降の神話映画は急速にB級化し、かならずしも一流俳優が出演するものではなくなり、配給上も大都市ではなく地方が主なマーケットとなった。

などということを知ったかぶって書いたのだが、 今現在は、たとえば Sri Rama Rajyam (Telugu - 2011) Dir. Bapu の華々しい興行成績を見るだけでも訂正、あるいは留保を書き加える必要を(特に後半部分に)感じている。

なぜテルグ映画でなのか、というその頃からの疑問には未だに決定的な答えは見つかっていない。テルグ人が他州人と比べて特別に信仰深いとか、そういうんではなさそうだし。タミル映画との比較で言えば、テルグ界には神話映画とは相性が悪いドラヴィダ民族主義イデオロギーの影響が少なかった、ということは言えるのではないかと思う。それ以外で思いつく仮説はというと、冗談に聞こえるかもしれないが「テルグ映画界にはNTRがいたから」なんてとこだろうか。もちろんNTR一人では神話映画は成り立たない。同時代人として、今回紹介作の主演であるSVR(S V Ranga Rao)がいて、アンジャリ・デーヴィーがいた。さらには CSRが、サーヴィトリが、グンマディが、カンタ・ラーオが(かなり中略)そしてもちろんANRがいた訳である。神話映画が必要とするモニュメンタルな存在感を持つこれらの俳優が集まり、才能ある製作陣に支えられて秀作が数多く送り出された1950年代後半(Mayabazar 公開の1957年を起点としても大ハズレではないかもしれない)から60年代後半までの期間は、神話映画史からすれば奇跡の10年といってもいいものだったのではないか。この時期に生まれた傑作群に接しているうちにテルグ人観客はみんな神話映画アディクトになっちゃったんだよ、きっと。

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この2作の見比べからは、60年代のテルグと80年代のカンナダの、まさに総体的な人材の差というのを感じさせられた。主演のSVRとラージクマール、この2人の間に甲乙をつけるつもりは全くない。ただもう華麗の一言のドクター・ラージに対して業の重みに耐えかねて巨体を喘がせるSVR、どっちも繰り返し見たくなる。問題はそれ以外の部分。カンナダ版の方は主役の夜叉を取り巻く人々がなんかすっかりホームドラマになってるんだ。

一番くっきりと対照的なのはプラハラーダを演じる子役。カンナダ版ではドクター・ラージの次男三男ローヒト(現在のパワースター・プニート、誤記指摘感謝、川縁先生)なんだけど、かなり退く。この年頃の子供として当たり前ではあるけれど乳歯が抜け始めててガラッパチ顔なんだ。でもって(おそらく自分の声で)思い切り調子っぱずれに歌ってる。オイラがエキストラの兵隊役だったら、別の意味で頭を垂れちゃうよ。それに対してテルグ版でこの役を演じたのは本作でデビューした少女、ロージャーラマニーだった。歌の吹き替えはおそらくより年長の訓練された歌手。キャプチャ写真だけでイッちゃってる感が伝わるかどうかわからないが、もう楳図かずおの世界なんだ。この子の赴くところ奇跡が巻き起こるというのも200%納得。こんな神懸かった凄い役を幼少時に演じてしまったら、燃え尽きてその後の人生が滅茶苦茶になってしまったりしないだろうかと余計な心配までさせられてしまうのだが、成人後はフツーの人となって、吹き替え声優として落ち着いたキャリアを築き、オリヤー映画の俳優と結婚してもうけた男児は俳優タルン・クマールとして活躍するに至っているという。よかったよかった。

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あー忘れてた、これは一応ナーラダ仙品評のエントリーなんだった。ええと、カンナダ版ではアナント・ナーグが起用されている。本作にまつわる資料はあまりにも少なすぎて裏は取れないのだけれども、Narada Vijaya (Kannada - 1980) Dir. Siddalingiah がヒットしたのを受けての登場なのは間違いないと思う。衣装も使い回しじゃないかってくらいの、そっくり同じ役作り。ただ、同じキャラが本来の神話世界に投げ込まれると、なんだかやり手営業マンみたいな雰囲気になってしまう。システム手帳(この時代まだスマホはなかったから)でも使ってそうだよ。ドクター・ラージの剛毅とはいまひとつ噛み合っていないような印象を持った。一方テルグ版の方は、今やカルナーティック声楽の大御所となったバーラムラリクリシュナがやっている。音楽家のキャリアを1950年代から始めたこの人は、プレイバックシンガーとして映画との関わりも浅くはなかったが、自分自身の役での特別出演を除けば、本作が唯一の俳優としての演技。この時はまだ20代だったはずだ。これにはかなり意表をつかれたね。だってまあ、このオッさん、素顔を見てもお世辞にも男前とは言えない、っていうかハッキリ言ってキモい系じゃないすか。で、実際メイクをして花を飾ってスクリーンに登場してもやっぱヘンテコ顔なんだわ。にもかかわらず、物語が進むにつれて最高位の神仙としての深い慈愛のようなものが滲み出てくる。マッチポンプの謀略家というだけではなく、同時にあわせ持つリシとしての徳の高さが、いつの間にかオーラとなってこの素人俳優を覆っていた。これは結構みものだと思う。

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なんだかカンナダ版を貶すようなことを随分書いてしまったが、最初に断ったように本当に両作ともに鑑賞しても損はないと思うのだ。一番凄いのは何よりもこの神話のストーリーだと思うから。

特に「昼にも夜にも、地上でも天空でも、屋内でも野外でも殺されない/鳥・動物・樹木・虫によっても、武器・言葉によっても、天人・神・夜叉・人・その他ブラフマー神によるどんな被造者によっても殺されない」という恩寵を授かったヒランニャカシャプが、「黄昏時に、ナラシンハの膝の上で、宮殿の柱廊で、人獅子によって、素手で」殺されるというのが面白い。ほとんど頓智問答ではあるのだが、境界線上にある曖昧なものが持つ得体の知れない恐ろしい力という、原始的な神話世界に多く見られるモチーフが巧みに取り込まれていて唸る。

同時に、涜神の輩ですらヴィシュヌ神の大いなるはからいの中にいるという、バクティ的世界観のスケールの大きさに圧倒される。神話世界の中では、悪人にすら言祝ぐべき壮烈な死がありうるということ、自らを恃み暴虐を尽くした末の悔悟の暇さえ与えられない酷たらしい最期でありながら、それがヴィシュヌに近づくための悦ばしき一歩であるということ、こうした事々が民百姓にも夷狄の天竺映画オタクにも体感できるよう平易に説かれるのだ。心が洗われる。解脱への道が見えてきたような気すらするよ。

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解脱への道も見えたところでもういい加減にしとこうと思うのだが、最後にひとつだけ。83年のカンナダ版でのヒランニャカシャプのお母さん、まだ日のあるうちからイケないことで頭がいっぱいになっちゃった女仙人様、これを演じた女優さんは誰なんだ〜(ハアハア)。

投稿者 Periplo : 02:43 : カテゴリー バブルねたsouth so many cups of chai
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2012年04月01日

収集癖:ナーラダ仙(1)

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一月以上のブランクの後にブログを更新するのは、なんでだか訳もなくプレッシャーだったりする。なので今回は文章控えめでなるべく画像に語ってもらうエントリーにしようと思う。

「天界のトリックスター」ナーラダ仙がとにかく好物なのだ。

この辺境サイトにまで来て下さるような方には説明は不要だろうが、ナーラダ仙とはヒンドゥー教の神話世界でのリシ(聖仙)の代表格で、特にデーヴァリシ(神仙)と呼ばれる最高位にあり、三界を自由に行き来するメッセンジャーである。ヴィシュヌ神との繋がりが深く、常にヴィシュヌの異名である「ナーラーヤナ」を唱えている。芸術、特に音楽を司る技芸神としての一面もあり、タンブーラ(本来はヴィーナ)とカルタル(カスタネット状の楽器)を携えている。

そのためか、多くの仙人とは異なり、苦行者の形はとらず、髷を結い花輪を麗しく飾った姿で識別される。童貞の誓いを立てており、女性との艶めいた交渉はない。噂好きで、また秘密を守ることができない性格のため、天界ではしばしばトラブルメーカーともなる。

映画中では多くの場合、中背中肉のオバさんみたいな中年男性として描かれる。まだまだ色々と説明すべきことは多いが、それは今後のエントリーの中で徐々に書き加えて行くことにしよう。

まあ、こういう面白いキャラではあるのだが、神話映画の中では掻き回し屋として重要ではあっても、主役になることはほとんどない。しかしこの1980年のカンナダ映画では、ずばりタイトルにまでなっているのだ、しかも諜報エージェントもの(印度映画ではCIDジャンルと呼ばれることが多い)との合体で。面白くない訳がないでしょうが。

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Narada Vijaya (Kannada - 1980)

Director:Siddalingiah
Cast:Anant Nag, M P Shankar, Padmapriya, S Ashwath,
Tugudeepa Shrinivas, Sudheer, Hemachoudhari, Prathimadevi

原題:ನಾರದ ವಿಜಯ
タイトルの意味:Victorious Sage Narada, Sage Narada and Vijay
タイトルのゆれ:Naradavijaya

DVDの版元:Sri Ganesh
DVDの字幕:なし
DVDの障害:特になし
DVDのランタイム:約2時間13分
DVD 入手先:Kannada Store など

参考レビュー集成:http://periplo.posterous.com/narada-vijaya-kannada-1980

かなり以前に上記のDVDを買って観て、痺れに痺れてなんとか紹介したいものだと思いながらも、あまりに情報が少ないのと字幕がなくて想像で書かなければならない部分が多いのとで、逡巡したままそれっきりになってしまっていたのだ。

それがつい先日になってYouTube上に全編が字幕付きで上がってる(Shemaroo社提供)のを知ってビックリ。動画URLはhttp://youtu.be/9ZklUCRdEw4。こういうことはこれからも起きそうな気がする。

【ネタバレ度100%の絵入り粗筋】
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天界のヴァイクンタの園で、ヴィシュヌ神から任務をいいつかるナーラダ(Anant Nag)。人間界で二人といないほどの熱心なヴィシュヌ信者が苦境に立たされているのを救うべしとの指令である。ナーラダはとりあえず近くの雲上を航行中の飛行機に乗り込む。そしてあっという間にバンガロール空港に到着。

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降り立ったナーラダを地元警察のグルパーダ・シン(M P Shankar)らが出迎える。彼らはナーラダを、特命を帯びてボンベイからやって来たCIDのヴィジャイだと信じて疑わない。さらに怪しい男達もナーラダの後をつける。

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そして一便後の飛行機でバンガロールに到着する本物のヴィジャイ(Anant Nag)。ナーラダはホテルで寛ぐが、偶然にもその隣室にはヴィジャイが滞在することになった。ヴィジャイがバンガロールにやって来たのは、ギャングの一味に誘拐された科学者ラクシュミパティの行方を捜索して身柄を保護するため。そして、ガソリンなしで走る自動車という世紀の発明をまもなく完成させようとしていたこの天才科学者こそが、ヴィシュヌ神が救出を命じた大信徒だったのだ。

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ナーラダは彼をヴィジャイだと思い込んだヴィジャイのガールフレンドから迫られて多いに弱る。一方その頃ヴィジャイはスカートめくりをして遊んでいた。

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混乱は止まるところを知らない。ナーラダはヴィジャイの捜査を妨害しようとホテルにやって来たギャングの手下を相手に格闘する。一方その頃ヴィジャイは、そうとは知らずにナンパした博士の娘マーラー(Padmapriya)を追いかけ回していた。

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博士を監禁しているギャング一味は、シャッターを押すと被写体を数分間凍り付かせることができる魔法のカメラを使って犯罪を重ねていた。

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そしてナーラダとヴィジャイはついに対面し、お互いの目的が共通であることを知る。ナーラダは「ラクシュミパティを救うのはお前には無理だろう」とヴィジャイを挑発する。気色ばむヴィジャイ。

口論の中での行きがかりから、お互いに相手に成り代わって任務を遂行しようということになり、衣装を交換する二人。周囲の人々はさらに混乱する。

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一方ギャング達は、発明品を渡そうとしない博士に腹を立て、巨大電熱器で処刑しようとしていた。再び衣装を交換して元の姿に戻り、ギャングのアジトに突入するナーラダとヴィジャイ。博士を助け、一味を逮捕してめでたしめでたし。これにて任務完了。ヴィジャイはナーラダの偉大さを目の当たりにしてひれ伏す。(粗筋了)

【寸評】
上にあげた粗筋で分かっていただけたと思うが、本作は本来解説など全く不要な性質のものなのである。なので簡単に済ませよう。見どころは、全編に漲るとぼけたパロディーと、一人二役のアナント・ナーグ。特に後者、作中後半部分でナーラダとヴィジャイが服を取り替えてからのシーンが凄いね。印度の神さん映画に特有の(そして愛されている)仕掛けの一つに「成り済まし」というのがある。印度の神さんてのは変装が大好きだからね。Mayabazar (Telugu - 1957) Dir. K V Reddy で、サーヴィトリが演じた「可憐なシャシレーカーに化けた羅刹ガトートカチャ」の場面などが有名(バリ島の舞踊にも「クビャール・トロンポン」なんてのがあったよね、そういや)。この「成り済まし」を一人の俳優が同一の画面上で二人分同時に行うという高度な演技力が要求される場面なのだ。その芝居力が、こんなお莫迦映画に惜しみもなく使われてる、贅沢だあ。この人は、デビュー作である Ankur (Hindi - 1974) Dir. Shyam Benegal での印象があまりにも強すぎて、「立派な映画」でしかお目にかかれない俳優のように勝手に思い込んでいたんだけど、実際にはユーモア映画の第一人者だったのだな。カンナダ界、奥が深い。

それから音楽も、ソング・BGMともに素晴らしい。特に ♪Idu entha lokavayya (What a wonderful world)の生きる歓びの横溢に圧倒される。どうやらエキストラではなく見物の群衆をそのまま画面に取り込んでしまったらしいバンガロールの街頭シーンもいい。

歌詞の意味についてはこちらの掲示板上で詳細に説明されている。

字幕なしのDVDと5分ごとぐらいに強制広告の入るYouTube動画、どちらにも長短があるのだが、前世紀のカンナダ呑気ワールドにのんびり浸かりたいならDVD、細かいジョークを味わいたいならYouTube動画ってとこだろうか。一度は観て損はしないと思うよ。

これに関しては集中連載ではなくこれから気が向いた時にエントリーしようと思う。ナーラダ仙をどうぞご贔屓に。

投稿者 Periplo : 14:00 : カテゴリー so many cups of chai
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