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2013年09月25日

資料系アップデート:1309

誰が呼んだかサンダルウッド。

BipolarIdentity.jpgBipolar Identity - Region, Nation, and the Kannada Language Film

著者:M K Raghavendra
版元:Oxford University Press, New Delhi
発行:2011年(初版)
版型:A5版
頁数:254
主な販売サイト:Abe Books ほか
定価:Rs.695-(インド国内)
コンテンツ要約:Oxford Scholarship Online 上にあり
掲載図版数:0
言及されるカンナダ映画の本数:約140本

学術書ではあるものの、一応カンナダ映画の通史として読むこともできる(かなり迂遠だけどね)初の英語文献ではないだろうか。2011年に出版されていたのにごく最近まで気がつかなかったので慌てて紹介。

■ひとまず、本書の論点と前提となる歴史的枠組みの記述とを、当網站筆者の私見を交えないよう留意して要約した。

カンナダ映画の(あるいは南インド映画全般の)歴史において、1956年に行われた言語州の理念に基づく州界再編のインパクトは巨大なもので、1947年のインド独立という歴史的イベントをはるかに上回るものだった。

1956年以前のカンナダ映画は、基本的には旧マイソール藩王国(以下、マイソール藩と略記)の領域内で作られ、領域内の住民を観客として想定したものだった。そのコンテンツも、マイソール藩の保守的風土を反映した独特な価値観をもつものが主流だった。そしてこのマイソール藩の記憶は、カンナダ映画の中でその後も長く尾を引き、1980年代末ごろまで残存し続けた。カンナダ語映画界を俗にサンダルウッドと称するのは、偶然ながら暗示に富んだことなのである(白檀はカルナータカ沿海地方や北部には生育しないという)。

マイソール藩は、1399年にヴィジャヤナガル王国内の小領主国として成立し、その後独立王国時代、ティープー・スルターンのイスラーム王国時代、英国の間接統治などを経て1947年まで存続し、インド共和国成立後はマイソール州となった。1956年の州界再編によって、それまで独立国だったクールグ(コダグ)、旧マドラス管区でカンナダ語と並びトゥル語やコーンカニー語も話される沿海地方、旧ボンベイ管区だったベルガウムとその周辺地方、旧ハイダラーバード藩王国領だったラーイチュールとその周辺地方が加わり、面積が倍増した。独立後の州都は一貫してバンガロール。1973年には州名がカルナータカ州に変更された。

Karnataka_1956.jpg
1956年の州界再編によって誕生したグレーター・マイソール州(現カルナータカ州)。Wikipediaファイル、Karnataka 1956 Reorg.svg を流用。

インド独立以前のマイソール藩では、最大セクトは農民カーストのヴォッカリガで、リンガーヤト(本来はシヴァ派の一分派だったが、マイソール藩ではカーストセクトと同等のものと見なされていた)が続いた。藩王家はクシャトリアを自称し、宰相はバラモンから出るのが常だった。マイソール藩は肥沃な農耕地を擁した非常に豊かな地方で、同時にカーヴェーリ川の水利を活かした工業化にも成功し、都市部では「マイソール・モダン」と称される欧化した風俗も見られた。これは独立後のデリーを中心とした中央部での、「ネルー・モダン」と呼ばれた先進的な生活様式の出現にはるかに先んじたものだった。とはいえ、こうした物質文化の根底に横たわっていたのは、君主制を軸にした身分位階の絶対視、堅固な家父長制、最大で半径30マイル程度の地域内での同族婚の慣習など、非常に封建的な農民の世界観だった。マイソール藩は英国の直接的な統治を受けていなかったために、他地域で対英独立闘争を通して培われた共和制民主主義や社会改革への希求なども比較的弱かった。

本書が時代を通して追うカンナダ映画の世界観にまつわるキーエレメントは3つある。

1.自足した小宇宙として栄えていたマイソール藩だったが、1947年の独立を期として、その領民にはこれまで忠誠をささげてきた藩王の先に、インド国家という、より抽象的だがさらに高い次元の忠誠対象が現れる。この二つの忠誠対象はそれぞれの時代の映画作品の中でどのような現れ方をしたか。

2.さらに1956年の州界再編によって拡大したマイソール(カルナータカ)州のカンナダ語話者としての自意識の問題も加わる。ボンベイ管区、マドラス管区、ハイダラーバード藩王国の辺境地帯でマイノリティ言語話者として貧困のうちに暮らしていたカンナダ語話者にとって、マイソール州への編入は悲願であった。一方で豊かなマイソール藩にとって、相対的に貧しいこれら地域の編入は、これまで自領内で蓄積してきた富が流出してしまう危機として受け止められた。結局のところ、カンナダ映画はその後も長らく、マイソール藩領民によるマイソール藩領民に宛てられた呼びかけであり続けた。そうした基調のなかで、一体化したカルナータカ人としての自意識創出への試みはどのような形でなされたのか(あるいはなされなかったのか)。

3.また、現代文明の象徴、さらには言語圏の中心として映画に現れる都市の問題がある。初期のカンナダ・ソーシャル映画の都市ものの舞台は圧倒的にマイソールだった。州都であるにもかかわらずバンガロールが作中で目立った現れ方をするのは、やっと1960年代末からである。マイソール藩内の都市でありながら、英国保護領時代にカントンメントと呼ばれる行政地区が英国人によって建設されて以来、バンガロールには非カンナダ語話者の流入が絶えなかった。特に植民地政庁への各種サービスを担うタミル人、ムスリム(ウルドゥー語話者)の移民は目立ったものだった。1980年代までのバンガロールの主要産業はほとんどが公共セクターのものだったが、90年代の経済改革以降はIT産業の中心地となり、インド全土からの労働人口の流入が加速した。高い購買力をもつこれら新移民の増加は、都市の共通語としての英語のプレゼンスをさらに強固なものとして、カンナダ語を母語として非ITセクター産業に従事する低所得層住民の疎外感を煽ることとなった(バンガロールのカンナダ語母語人口は全体の37パーセントにすぎない。カルナータカ州全域でみても66パーセントと、他の南印3州に比べて州公用語の母語率が低い)。マイソール藩領民の心の原郷としてのマイソール城市とよそよそしいコスモポリタン・シティーとしてのバンガロールのアンビバレントな関係は、カンナダ映画の中でどのように表出されてきたか。

■素朴な感想
冒頭にも書いたように、一応カンナダ映画史を通覧できる貴重な本だ。著者のMKラーガヴェーンドラはバンガロール在住の映画評論家&映画史研究家。どこにも書いてはいないが、カンナダ語話者であることは間違いない。これまでにヒンディー映画を主にとりあげた評論を2冊上梓しており、また雑誌等ではハリウッドとボリウッドを中心とした映画評を精力的に執筆している。

学術書にありがちな晦渋な言い回し、気取った社会学用語の愛用などはあるものの、そして言及されている140本強のカンナダ語映画作品のうち、当網站筆者が実際に鑑賞済みなのは40本程度というお寒さでありながら、何を言ってるのか分からないというストレスはあまり感じることなく読了した。

それは、ひとつにはこのラーガヴェーンドラさんが、「ここテストに出るから!」ってとこを飽くことなく何度も繰り返し書いてくれたから。枝葉が良く分からなくても、要部だけは繰り返し叩き込まれていやでも頭に入ってくるんだ。それから、一見して晦渋な文章の連なりの割には、この人の採っている方法論が大変にシンプルなものである、ということもある。その方法論とは「映画を生みだした地域の社会変動は映画のストーリーに反映されるはずだ、それを前提として大衆映画の主題・ストーリー・台詞・モチーフを各時代の人々の精神状況の寓意として読み取っていくのだ」というもの。

この方法論の部分が問題で、この人は本当に主題・ストーリー・台詞・モチーフというダイエジェティックな要素だけに着目していて、フレームの外側には全く無頓着なんだな。前世紀の大部分のカンナダ映画が、マイソール藩人の精神風土の上に成り立ち、マイソール藩人だけを呼び掛け対象と想定していたというのは分かった。それではそれら映画はどこで製作されていたのか(マイソールにもバンガロールにも映画撮影所はあったが、実質的な中心は80年代あたりまではマドラスだったという情報もある※)。カルナータカ州内でありながら映画的な呼びかけの外にあった沿海部や北部で、あるいはムスリムなどの言語・宗教的マイノリティーの間で、カンナダ語映画はどのように受容されたのか。たとえばこういう疑問に本書は全く答えてくれない。どこまでも寓意解釈によって話を進めると、時には膝を打つような卓見があっても、やっぱり最終的には恣意的な対象選択と強引なこじつけに至ってしまう。一例をあげると、50年代の神話・フォークロア映画で、主人公である王に神から科せられる「呪い」というのが、中央(=神)が決定した州界再編&領域拡大によって逆に疲弊・貧窮化してしまうマイソール藩(=王)の寓意だ、とかあるんだけど(P.xlvi)、そんなこと言われてもねえぇぇ。チャンダン・ガウダによる書評、A Non-Take on Kannada Cinema は、そのあたりを的確かつ辛辣に批判している。

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※現在のカンナダ映画の製作の中心はバンガロール。上はラージクマール夫人パールヴァタンマのバナーである Sri Vajreshwari Combines のオフィス。バンガロールのガーンディナガルにある。

それから、ヒンディー映画vsカンナダ映画という対比の単調さもある。どうもこの人も、インドの映画研究者にありがちな、ボリウッド・ハリウッドと母語映画だけを見て他の地方語映画には比較的無関心というタイプであるようだ。ヒンディー映画との対比だけでカンナダ映画の特質としていることごとも、他のサウス映画界に目を向けたらもうちょっと違った説明になったのじゃないかと思えるところも多々。かなりの行数を割いて論評している Appu (Kannada - 2002) を、Idiot (Telugu - 2002) と Dum (Tamil - 2003) のリメイクである、などと誤認している(P.139-)あたりからも無関心ぶりが窺われる。それから当のカンナダ映画に関しても、「ラージクマールの数多い神話映画で彼が神を演じたことは一度もない」などと断言してしまう(P.82)ところ、若干のそそっかしさを感じる。さらに、これは著者の責任ではないのだが、巻末の映画題名・一般項目インデックスに記されているページ数字がかなりの確率で間違っている。編集工程の基本的な部分で問題があったんだな。

しかし、当網站筆者にとって何よりも肩透かしで失望させるものとなったのは、「映画中に社会変動の寓意を読み解く」という趣旨の本書が、1982年からのゴーカーク・アジテーションに端を発するいわゆる「カンナダ語ショービニズム運動」に関する記述ではひどく歯切れが悪く、事実上スキップしていること。

When newsworthy developments do not arouse public expectations, they do not find expression in cinema. (中略)...the Kannada cinema industry participated in a mass movement called Gokak Agitation around the Kannada language in 1982, but Kannada cinema does not recognize it.

ということなんだが…。たとえば、きわめて表層的ではあるが、1990年代前半から現れて今日大隆盛となっている「《いわゆるカルナータカ州旗》ぶんまわしソング」は、カンナダ語ショービニズム運動とは無関係とでも言うのだろうか?ハッキリ言ってこれについて知りたいがために本書を頑張って最後まで読み通したようなものなのに。裏切られた~。

しかしこの件については本書とは違うところで驚倒するような証言が見つかった。材料を精査した上で遠からず発表したいと思っているので乞うご期待。

Brindavana.jpg
まもなく公開されるBrindavana (Kannada - 2013) のポスター。Brindaavanam (Telugu - 2010) のリメイクなのだが、この絵柄からは派手な州旗ぶんまわしが予想される。もちろんNTRジュニア主演のオリジナルにはこのようなシーンは見当たらない。

なんだか腐すようなことばかり書いてしまったが、たとえばラージクマールのソーシャル映画群の中でも記念碑的な位置づけにある Kasturi Nivasa (Kannada - 1971) と Bangaarada Manushya (Kannada - 1972) の2作に、薄れ行くマイソール藩の記憶への哀悼を読みとるくだりなどには感動すらしたのだ。一度は手にとっても無駄ではないと断言できる。

面白そうだが本一冊は読んでられんという人のためには、同じ著者による The Caravan のウェブマガジン上のMeanings of the City、The Hindu Frontline 上のインタビュー Mysore all the wayRoutledge Handbook of Indian Cinemas に収録の全12ページの論文 ”Kannada cinema and Princely Mysore” などがお勧め。

投稿者 Periplo : 23:31 : カテゴリー バブルねたkannada
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