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2019年02月20日

2月のJ-テルグ

バラクリを讃えよ、NTRを讃えよ、チャンドラバーブも讃えよ(ってどんなミラクルだ?)。良い子の皆が待ちに待った NTR Kathanayakudu の続編。カメラのフレームの外側を味わうことまでを含めた、稀に見る印度映画的体験(になるはず)。

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NTR Mahanayakudu (Telugu - 2019) Dir. Krish

原題: యన్.టి.ఆర్. మహానాయకుడు
タイトルの意味:NTR, the great actor
タイトルのゆれ:N. T. R., NTR Biopic, etc.

Cast:Nandamuri Balakrishna, Vidya Balan, Daggubati Rana, Nandamuri Kalyan Ram, Sachin Khedekar, Manjima Mohan, Himmansi Chowdary, Bharath Reddy, etc.

Music:MM Keeravani

公式トレーラー(英語字幕付き):https://youtu.be/Vs1BR5EbKoQ
全曲ジュークボックス(前後編共通):https://youtu.be/vzTGgvbH6KM

■開催日:2019年2月23日(土)
■時間:16:30開映
■料金:大人2600円、5-12歳の子供1400円、5歳以下の子供は無料(座席なし、座席が必要な場合は子供料金)
■字幕: 英語
■上映資材:DCP
■上映時間:ネット情報によれば約128分
■会場:千葉県市川市、イオンシネマ市川妙典(こちら参照)

■主催者公式サイト:http://indoeiga.com/
■参考レビュー集成:https://periplosjottings.blogspot.com/2019/02/ntr-mahanayakudu-telugu-2019.html
※2月22日の現地公開後に追記の予定

※事前予約をお勧めします。申し込みフォームはこちら。万が一の直前の急な変更や今後の案内などもメールで受信できるようになります。

【前編NTR Katanayakuduの粗筋】 
ナンダムーリ・ターラカ・ラーマーラーオ(Nandamuri Balakrishna)は学業を終えた後、1947年に役所勤めとなるが、賄賂まみれの職場に全く馴染めず、結局数週間で職を辞して、俳優を目指してマドラス(現チェンナイ)に赴く。初期の苦闘時代を経て、1950年代後半にはテルグ語映画界のトップスターとなり、アッキネーニ・ナーゲーシュワラ・ラーオ(Sumanth)とよきライバルとして競り合い、二大巨頭として君臨する。1981年に、60歳の誕生日を前にして、政治家として立つことを決意する。翌1982年3月に、自前政党「テルグ・デーシャム党」(TDP)を立ち上げて、本格的な政治活動を始めることとなる。

【後編の粗筋、ではなく一応史実とされていること】
●1982年の後半、NTRは選挙民に直接訴えるため、3回の州内遊説(Rath Yatra)を行う。総走行距離は35000kmにもなった遊説にあたっては、1938年型シヴォレーのヴァンを改造し「チャイタニヤ・ラタム」と名付けて何週間もその中で寝起きした。運転したのは息子のハリクリシュナだった(というのは実は公式化した伝説で、実際はそれまでずっとお抱え運転手として仕えてきたレッディ某だったという)。
●当初NTRを過小評価していた国民会議派中央だったが、TDPに大いな期待を寄せる世論を察知して、選挙戦にはインディラー&ラージーヴ・ガーンディーの親子がAP州を訪れてテコ入れを行うなどした。
●1983年1月、TDPは結党後僅か9カ月にして州議会選挙で圧勝し、NTRはAP州の首相に就任する。これはAP州の成立以来政権を独占してきた国民会議派にとっては屈辱的な敗北であり、これ以降インディラー・ガーンディー共和国首相とNTRとの間では舌戦が絶えなかった。デリーの中央政府とAP州政府との関係は最悪な状態が続いた。
●1983年5月、NTRのイニシアティブによって、全国野党連合大会がAP州ヴィジャヤワーダにて開催される。国政の場における野党の党首が一堂に会したシンボリックなイベントで、MGRらが参加した。
●1984年8月、NTRは心臓手術のための渡米中にAP州知事ラームラールにより解任される。直ちに帰国した彼は、議会内工作に成功し、州首相の座に返り咲く。この騒動の最中に僅か31日間の州首相の座を得たのが、TDP結党時から党の中枢部にいたベテラン議員ナーデンドラ・バースカラ・ラーオである。このバースカラ・ラーオのクーデターの裏にはインディラー・ガーンディー共和国首相の教唆と支援があったとされている。
●同年のその後、インディラー・ガーンディー共和国首相の暗殺死(10月)を受けて行われた12月の総選挙で、TDPは国政の場においても第二党となる大躍進を遂げる。このページの地図を参照。
●1985年、NTRは州政治の場においても解散・選挙を断行し、TDPは圧勝。二期目の州首相の座に就く。
●1985年、糟糠の妻バサヴァ・ターラカムが癌により死去。この頃からNTR自身の健康状態も急速に下り坂となる。
●1988年末、ヴィジャヤワーダにて、カープ・カーストの政党を立ち上げたヴァンガヴィーティ・ランガー・ラーオとその支持者がグーンダによって殺されるという事件が起きる。これはカープvsカンマのカースト間暴動に発展し、沿海地方には外出禁止令が敷かれるが、騒乱は約1カ月続いた。
●1989年末、国政と州議会の同日選挙。NTRの息子のバーラクリシュナは、自らは立候補はせずに選挙活動に参加し、大いに注目を集めた。TDPは州議会選挙で国民会議派に敗れ、野に下る。TDPの敗因は、候補者選定にあたってのベテラン冷遇・新人の大量投入が、古参議員の離反者を多く出したためと分析されることもある。また、NTRのばら撒き政策が、その恩恵に与れない社会の各層から反発を呼んだためとも言われる。
●1991年の総選挙では、選挙戦の序盤には好調な手ごたえを持ったTDPだったが、投票開始日(5月20日)に起きたラージーヴ・ガーンディー党首暗殺事件により、国民会議派に同情票が集まり、TDPは国政の場では24議席を失う。
●1992年2月、伝記執筆者としてNTRに接近してきていた30歳近く年下のラクシュミー・パールヴァティと結婚。出会った時点でのラクシュミー・パールヴァティは既婚者だったが、離婚してナンダムーリ家に嫁した。しかしNTR以外の親族は、老境に入ってからの再婚を恥として、ラクシュミー・パールヴァティを家族の一員と認めようとはしなかった。この結婚には1991年説、1993年説もあるが、ここでは『The Week』誌のインタビューに拠った。
●1993年、NTR最後の主演作 Srinatha Kavi Sarvabhowmudu が公開される。
●1994年、左派政党との連合で州議会選挙を制し、NTRは三期目の州首相の座に就く。NTRの絶大な信頼を得たラクシュミー・パールヴァティは政治にも関与するようになり、非公式の党内ナンバー2とみなされるまでに至る。
●1995年8月、TDP党内のクーデターにより、NTRは党首・州首相の座から追われる(ヴァイスロイ・ホテルの変)。クーデターのリーダーである娘婿のCBN(ナラ・チャンドラバーブ・ナーユドゥ)が党首となり、州首相の座をも引き継ぐ。以降CBNは2004年までの10年間、および2014年の州分断から今日までAP州首相を務める。
●1996年1月、NTRは失意のうちにハイダラーバードの自宅で心臓発作のため死去、享年70歳。

【主要キャラクター/キャスト】
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■NTR(ナンダムーリ・ターラカ・ラーマーラーオ)/ナンダムーリ・バーラクリシュナ
党派性を離れたところにいる冷静な観察者から見た政治家NTRは、乱暴なド素人、ばら撒き政策に頼ったポピュリズムの権化のようなものだったという。崇拝者から見たNTRについては本作が丁寧に描いてくれるはず。
■バサヴァ・ターラカム/ヴィディヤー・バーラン
NTRの妻。12人の子をもうけた。前編の冒頭では末期癌に冒されて入院しているシーンがあった。
■ナンダムーリ・ハリクリシュナ/ナンダムーリ・カリヤーン・ラーム
NTRの四男。俳優・政治家。昨年2018年に自動車事故で他界。NTRジュニア、ナンダムーリ・カリヤーン・ラームの父。
■ダッグバーティ・ヴェーンカテーシュワラ・ラーオ/バラト・レッディ
ダッグバーティ姓だが、ラーマーナーユドゥからヴェンカテーシュ、ラーナーに至る映画一家のダッグバーティ家とは無関係。NTRの息子サーイクリシュナと親友だった縁から、NTRの娘プランデーシュワリと結婚し、最も年嵩の娘婿となる。TDP立ち上げの時期から細々とした党務をこなし、執行部の主要メンバーとして活躍する。CBNとはことあるごとに対立していた。
■CBNまたはNCBN(ナラ・チャンドラバーブ・ナーユドゥ)/ダッグバーティ・ラーナー
国民会議派の若手代議士にして州政府閣僚だったが、1980年にNTRの娘ブヴァネーシュワリと結婚して娘婿となる。1982年のTDP立ち上げには当初懐疑的で、合流の誘いをにべもなく断った。翌年のTDP内閣成立にいたって初めてTDP入党を希望し認められた。1984年のNTRに対する第一次クーデターでは、NTR側につき混乱からの収束に手腕を発揮した。1995年に第二次党内クーデターを画策して成功、TDP党首となり、1995~2004年および2014年~現在のAP州首相。1995年からの第一次政権期には、積極的に外資を導入し、特にIT産業をハイダラーバードに誘致する政策をとり、成功を収めるなどして、ある種の名物首相として内外にその名を知らしめた。AP州の分裂後、2014/2015年と、立て続けに「営業」のために訪日している。
■ナーデンドラ・バースカラ・ラーオ/サチン・ケーデーカル
政治家。既に州政府の閣僚経験もあったが、TDPに入党し、党立ち上げの激動期からNTRの側近として大いに働いた。NTRに対する1984年の第一次クーデターの際にAP州首相となったが、NTRの巻き返しによって僅か31日天下に終わった。その後TDPを離党し、国民会議派所属となり現在に至る。

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【トリヴィア的な何か】
本当は前編 Kathanayakudu の時にきちんと書くべきだったのだけど、今年5月の総選挙を前にインドは熱い政治の季節に入ろうとしている。この二部作もまたキャンペーン映画のひとつなのだ。NTR在世中のキャンペーン映画というのは、「NTR演じる主人公が無産市民の中から立ち上がって人々をより良い未来に導こうとする」というような筋立てを持った劇映画だった。しかし2010年代後半に入って、存命中のセレブを描いた2016年の M.S. Dhoni: The Untold Story や2018年の SanjuMahanati あたりのヒットによって、「バイオピックいける!政治家もありか!」という流れになったようだ。昨年から今までに封切られたり撮影開始された政治家の伝記映画は、YatraThackerayPM Narendra ModiThe Accidental Prime MinisterThe Iron LadyChandrodayamUdyama SimhamMy Name is RaGa なんていうところ。まだ他にもあるかもしれない。いうなれば、「有権者に配る政治パンフレットを2時間半の映像で豪華に作ってみました」という感じか。こうした一連の作品の中で、本二部作は比較的早く着想されたようだが、だからといって政治的な目論見がない訳がない。

2017年の12月の The Hindu 記事 Everybody wants to make a film on NTR によれば、本二部作以外に3本のNTRを描く映画が構想されていたそうだ。バーラクリシュナ率いる宗家としては選挙前に妙なものを出されてはかなわないので、自らが壮大なスケールで公式伝記を作るしかなかったのだろう。華々しく「正伝」を作ることで他の2本は消えた。しかしあれこれやっても潰せず残ったのがラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督の Lakshmi's NTR。まあたぶん、RGVに対してもNTR宗家からの様々なゆすぶりはあったのだと思う。しかしめげないRGVは、Kathanayakudu の興行成績が伸び悩んでいるのを見たうえで、「Mahanayakudu の封切り日が決まったら自作のトレーラー公開日も告知する」とツイートして、つまり「俺様の映画を潰したければお前らの後編封切りも諦めな」という宣戦布告。そして程なく公開されたRGV版のトレーラーは、ホントにもう身も蓋もなく容赦ないものになっていた。このトレーラー中にあるようなことごとをキャンペーン映画かつ公式伝記である本作は正面から描けない。そこをどううやむやにして大長編二部作の体裁を繕ってまとめ上げるのか。本作を観るにあたっての興味はそこに集約されるように思われる。

【ヴァイスロイ・ホテルの変とその後の展開】
「チャンドラバーブを殺しに行ってこい」NTRは息子バーラクリシュナにそう命じた。2009年のこの記事中の引用は、本作にも登場するダッグバーティ・ヴェーンカテーシュワラ・ラーオの回想録 The Other Side of Truth からのもの。1995年8月にCBNが起こしたTDP党内のクーデターによって、NTRは党首・州首相の座を追われ、実質的な蟄居・引退状態となり、翌年1月に死去することになる。メールも携帯電話もなかったこの時代のクーデターは、賛同する議員・党員・関係者を1か所に集めて缶詰にすることだった(ヴァイスロイ・ホテルは、マリオット系列となって現在も営業中)。その時点でのTDP州会議員219名のうち実に162名がCBN側についた。そこにラクシュミー・パールヴァティを伴って説得のためやってきたNTRがどんな歓迎をされたかは、RGV版のトレーラーを見れば一目瞭然。そして、この立て籠もり勢の中には、NTRの実子ハリクリシュナ、バーラクリシュナ(NTRによって政治的後継者とされていた)、それに上述の回想録著者のダッグバーティ・ヴェーンカテーシュワラ・ラーオも含まれていたのだ(こちらのブログのイメージなど参照)。これら親族メンバーは「諸悪の根源ラクシュミー・パールヴァティを除く」「革命成った暁には大臣に」などの甘言によって造反側に取り込まれ、クーデター成功後には容赦なく切り捨てられた。冒頭のNTRのセリフはこの後の時期のもの。

NTR自身、ラクシュミー・パールヴァティ、ハリクリシュナは、CBNに乗っ取られたTDPに対抗する政党をそれぞれに作ってみたりしたが、いずれも成功しなかった。とにかく、95年クーデターによってナンダムーリ家と娘婿CBNとの関係は最悪に険悪なものとなった。また、ナンダムーリ家とラクシュミー・パールヴァティとの間も冷ややかなものだった。

この三つ巴状態に変化が起きたのが、2004年6月のバーラクリシュナ発砲事件だった。撮影中に負った怪我のため自宅療養していたバーラクリシュナのもとを、プロデューサーのベッラムコンダ・スレーシュ(そうだ、あの日本ロケに来たこともあるシュリーニヴァースの父親だ)が訪れ、両者の間で口論となり、バーラクリシュナが至近距離からスレーシュに対して発砲し、スレーシュが腕に重傷を負ったという映画のような展開。ミステリアスなことに、銃撃されたスレーシュはその後訴えを取り下げ、バーラクリシュナは起訴されず、夫人が銃器の不法所持で書類送検されただけに終わった。この顛末にCBNが介入した揉み消しを憶測した人もいたようだ。そして2007年にはCBNの息子ローケーシュとバーラクリシュナの娘ブラーフマニが結婚し、両家の姻戚関係はさらに強まった。2008年にはチランジーヴィによる新党立ち上げがあり、これはCBNとナンダムーリ家を一時的ながら強く結束させた。また2014年には、バーラクリシュナがTDP候補として州会議員選に初出馬して当選を果たしている。内心でどれだけCBNを嫌っていても、結局ナンダムーリ家はNTRが立ち上げたTDPをサポートするしかないのである。CBNもまた、自らが追い落とした(そして結果的に死に至らしめた)岳父NTRをぬけぬけと党のシンボルとして扱い、現在もその肖像を背負って立っているのである。
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投稿者 Periplo : 18:07 : カテゴリー バブルねたtelugu

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